スポーツ
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スポーツ 2014年04月21日 11時45分
松坂メジャー復帰に隠されたメッツの苦しい台所事情
それでも、胸中は複雑? ニューヨークメッツがマイナー契約を結んでいた松坂大輔(33)をメジャーに昇格させたと、公式ホームページ上で発表した。背番号は昨季と同じ『16』。だが、松坂に与えられた役目は先発ではなく、中継ぎ…。 「遠征先のタイヤモンドバックス戦(16日/現地時間)からチームに合流しました。チームは投手難ですが、松坂はオープン戦で好調でした。チームメイトも『待っていたぞ!』と歓迎ムードで迎えていましたよ」(現地特派員の1人) 同サイトは「中継ぎでの起用」とも伝えていた。松坂と交代で降格となった「ヒメア投手の代役」というわけだが、ここに至るまでの松坂の扱われ方を見ていると、合点のいかないことが多すぎる。 「松坂は『中継ぎでもいい』と話しており、メジャーでの登板機会に飢えていました。12日のマイナー戦では右肘にメスを入れて以来、最速となる96マイル(約154キロ)をマークしています。その好調さを維持しての昇格だったので、いきなり登板もあり得ると思ったのですが…」(前出・同) メッツのテリー・コリンズ監督は、松坂を信頼していないのではないだろうか。 松坂がマイナーで開幕を迎えることになったときもそうだった。松坂は招待選手としてキャンプに臨んだが、オープン戦6試合を投げ、防御率3.04。最後の2試合にだけを見れば、「11回3分の0」を投げ、失点1。エースのマット・ハービーが『トミー・ジョン手術』で今季は全休となり、先発5人枠がなかなか決まらず、故障者も出た。したがって、「松坂の開幕メジャー」は確実視されていたが、テリー・コリンズ監督は首を縦に振らなかった。その理由は−−。 「若手のヘンリー・メヒア、ジョン・エースと天秤に掛けられたんです」 米国人ライターがそう説明する。 まず、メヒア(24)だが、ドミニカ出身の有望右腕である。右肘に故障歴こそあるが、150キロの剛速球と鋭角なカットボールに「将来はリーグを代表する先発投手になる」と期待されていた。 「そのメヒアがオープン戦終盤、アクシデントに見舞われました。右腕に打球が直撃し、コリンズ監督はギリギリまで様子を見ようと診断書が届くのを待っていました。その結果、松坂のメジャー契約の登録が間に合わなかったとの見方もされています」(米国人ライター) メヒアの詳細な診断書が遅れ、そのために松坂のメジャー契約も流れたというのなら、それは間違いだ。そもそも、マイナー契約でキャンプインした選手を『開幕メンバー』に入れる場合、3月25日正午(現地時間)までに届け出なければならない規定になっていた。メヒアが打球直撃のアクシデントに見舞われたのは、3月28日。診断書の遅れは“こじつけ”と見るべきだろう。 「ジョン・エースはオープン戦中盤から右肘の違和感を訴えていました。コリンズ監督はジョン・エースの復調を信じ、登録から外そうとしなかった」(前出・特派記者) コリンズ監督は好調の松坂よりも、“故障中”のメヒア、ジョン・エースを頼りにしていたのだろう。 3Aラスベガスに合流することが発表された3月29日、日米報道陣にこう言い残している。 「競争であって競争でない、という感じ。自分がいい状態であっても、良いものを出しても、判断材料にならないというのが僕の立場」(共同通信参考) 投手陣の不安定さは開幕から半月以上が経過しても解消されず、コリンズ監督は松坂を昇格させる以外の策が思いつかなかったのだろう。松坂の“リベンジ”に期待したいが、前出の米国人ライターはこんな見方もしている。 「コリンズ監督は松坂を端からアテにしていなかったのかどうかは断定できません。絶好調の松坂を開幕から使わなかった采配はたしかに疑問ですが、昨年オフ、大きな補強をしなかったメッツにとって、松坂はたった一枚の切り札でした。その切り札をペナントレース早々に切ったということは…」 96マイルの快速球を投げるなど、完全復活は時間の問題。優勝戦線から遠ざかったチームでの中継ぎ登板よりも、もっと相応しい舞台があるのでは?
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スポーツ 2014年04月21日 11時00分
俺達のプロレスTHEレジェンド 第19R 馬場、猪木も認める“涙のカリスマ”〈大仁田厚〉
FMWの創設は平成元年。そのため大仁田厚を“昭和のレジェンド”として取り上げるのはふさわしくないかもしれない。 とはいえ初期FMWは、ある意味で“昭和の匂い”に満ちあふれていた。今となっては「電流爆破」に代表される過激デスマッチがその代名詞のように言われるが、当初、観客がFMWに求めたものは、プロレスが本来持っていた“いかがわしさ”にあった。 大仁田の対戦相手として参集した外敵は、実力のほどもよくわからない面々。日本陣営にしても、来歴すらよくわからない選手たちばかりであった。そんな状況を指して大仁田は「おもちゃ箱をひっくり返したような」と言ったものだが、むしろ「見世物小屋」とでも言う方がピッタリくる。 エースの大仁田からして全日時代に膝を粉砕骨折した後遺症でまともに動くことすらできない。柔道技で投げまくられ、テコンドー技で蹴りまくられながらも泥仕合に持ち込んで、ドサクサの中で涙ながらの勝ち名乗りを上げるという試合ぶりは、当時主流であったUWFなどのスポーツライクなプロレスとは真逆の存在であった。 「当時メジャー団体が不透明決着の排除に熱心だったのに比べて、FMWはうさんくささ満点でしたが、なぜかそれがクセになるんです」(当時を知るファン) “邪道”を名乗る大仁田だが、全日時代には師匠の馬場からことさらにかわいがられたという。 「馬場家の養子に…」とまで言われたのは後にも先にも大仁田ひとりで、そこまで見込まれた裏には、やはり“王道”に通じる何かがあったのだろう。一見すると逆ベクトルのようだが、実は大仁田の“邪道”こそが、本来プロレスが持ち合わせていたショービジネスとしてのエッセンスを凝縮したものではなかったか。 後に大仁田がFMWの弟子、ハヤブサを全日に出場させたいと頼んだときにも、馬場は二つ返事で承諾したという。FMWにおける大仁田のスタイルが馬場の気に沿わないものであったらそんな話を受けるハズもなく、これはどこかで馬場が大仁田の“邪道プロレス”を認めていた証左でもあろう。 また大仁田は、猪木とも深い因縁を持っている。 1995年1月4日、東京ドーム。猪木はジェラルド・ゴルドーやスティングを相手に『格闘技トーナメント』なる試合を戦ったが、本来ここで猪木vs大仁田戦が行われる予定だったというのだ。 「当時、FMWでの2回目の引退を表明していた大仁田から、代理人を通して“猪木さんと戦いたい”という話が持ち込まれ、猪木さんもこれを承諾していたんです」(新日関係者) 対戦に向けてのアングル作りの準備も進んでいたというが、それが中止となったのは一にも二にも大仁田のせいだった。 「猪木さんと大仁田が戦えば、言うまでもなく結果は猪木さんの勝ちです。これについては大仁田も納得していました。ところが大仁田は追加で注文を出してきたんです」(同・関係者) その注文とは、東京ドームでのシングル戦の後、大阪で開催するFMWの大会に猪木が出場して、そこで“負けてくれ”というもの。 「引退間際の猪木さんが他団体に出るというだけでも困難事なのに、さらに負けブックを呑んでくれなんて、そんな話はとても猪木さんに伝えられやしない。そのため結局、対戦自体が流れたんです」(同) この以前のドーム大会で、猪木は天龍源一郎に敗れていたが、これにしたって「今後、天龍を新日で売り出したい」という営業サイドのたっての希望を猪木が呑んだ結果のことであり、決して天龍自身から望んだものではなかったという。 だいたい、猪木相手に勝ちブックを要求するなどは、たとえ馬場であっても軽々と口にできることではない。それを平気でやるあたりが、大仁田の破廉恥さであり凄味なのであろう。 後に大仁田が新日へ本格参戦するとなったとき、新日での会議の席で猪木はひと言。 「あいつの毒は呑み込めねえぞ」 いったん大仁田を新日のリングに上げてしまえば、新日が大仁田の色に染められてしまう。そのことを危惧しての発言であった。 本物は本物を知る−−。それぞれ意味合いが異なるとはいえ、馬場と猪木の2大レジェンドに認められた大仁田は、やはりレジェンドと称するにふさわしいプロレス界の大立者なのだ。〈大仁田厚〉 1957年、長崎県長崎市出身。'73年、全日本プロレスに新弟子第1号として入門。翌年4月デビュー。'89年にFMWを設立。2度の引退→復帰を経て'98年に同団体を追放された後、フリーとして新日プロ他で出場を続けている。
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スポーツ 2014年04月20日 13時10分
投壊のトラに囁かれる『2人目の救世主』
開幕4カードを終え、勝率5割。チーム防御率6.49と、危機的状況にあった阪神投手陣が『秘密兵器のカード』を切った。宿敵・巨人との本拠地3連戦を迎える4月11日、育成選手の伊藤和雄(24)を支配下選手に復帰させた。伊藤がオープン戦、二軍戦で好投してきたのは既報通りであり、「復帰は遅すぎた」の声も聞かれた。 「伊藤は巨人とのオープン戦2試合に登板し(3月9、10日)、計3イニングで8奪三振をマークしました。3月下旬、過労による右肩の違和感を訴え、支配下登録が見送られました。『巨人戦に強い』というのが決め手になったようです」(プロ野球解説者) 伊藤は2011年ドラフト4位で阪神に入団した。2年目のシーズンを終えた昨年オフ、『育成選手降格』を通告されたが、キャンプから4月8日の二軍戦までの対外試合20イニング強を投げ、無失点。「(キャンプから)僅か2カ月余で支配下選手に復帰したのだから、一度見限った首脳陣にも問題がある」(前出・同)の批判もないわけではない。それとも、伊藤が非情通告を発奮材料に変え、頑張ったと見るべきだろうか。 チーム内部に関する“憶測”はともかく、こんな指摘も聞かれた。緊急補強トレードである。 「伊藤は中継ぎで使う予定。先発投手の人材難という根本的な問題は解決されていない。どの球団も計算の立つ先発投手は(トレードに)出さないだろうし、かといって、今季は外国人投手を緊急補強するのは難しい。一軍登録できる外国人選手の枠は、メッセンジャー、呉昇桓、マートン、ゴメスで埋まっているので」(同) だが、阪神の目の前には獲得可能な先発投手がちらついているという。オリックスの井川慶(34)だ。昨年12月、オリックス側から井川放出の情報が発信されていた。森脇浩司監督(53)は、昨季中から「チームを変えるには、トップ15人を変えなければいけない」と話してきた。そのチーム改革の一環が13年1月に成立した『大引、木佐貫−糸井、八木』の交換トレードであり、今季中にFA権を取得するエース・金子千尋(30)とも複数年契約を交わさなかった。 「今オフ、金子を引き止めないのかと聞かれれば、今の段階では何とも言えない。ただ、昨年オフに金子と複数年契約を交わさなかったことで、『チーム改革は本気なんだ』という緊張感が生まれました。井川は日本球界復帰後の2年間で(〜13年)5勝しか挙げていません。年俸も6000万円までダウンしており、阪神からすれば獲得しやすい選手になっている」(同) 井川の心中を察すれば、阪神復帰には抵抗があるのでは…。06年オフに米挑戦したが、そこに至るまでの契約交渉で「ポスティングシステムに掛ける、掛けない」でフロントと衝突している。とはいえ、日本球界の規約では選手はトレードを拒否できないことになっている。今季は先発で勝ち星を挙げるなど復調の兆しも見せつつあるが、オリックスは吉田一将、東明大貴など即戦力投手のドラフト指名に成功しており、仮に井川を放出したとしても痛手にはならない。また、オリックスはオフの戦力補強にも成功しており、阪神サイドに無理難題な交換要員は求めて来ないだろう。 成立可能なトレードのようだ。障害があるとすれば、阪神側のメンツかもしれない。
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スポーツ 2014年04月20日 13時00分
2014年センバツ特集(3) 『野球推薦』の球児たちが描く近未来像
強豪私立高校による越境入学や『特待生制度』の是非が問われたのは、2006年だった。その後、1学年の人数制限を設けることや公表するなどの規定ができ、今日に至っている。今回のセンバツ大会の出場校・32校のうち、公立高校は21世紀枠を含め、7校。私立が圧倒的有利とされた時代ではなくなったが、公立校にもかつての『特待生制度』に似たスポーツ推薦枠がある。 東京都で『文化・スポーツ等特別推薦』なる制度が設けられたのは、04年に逆上る。この制度を“利用”したいとする公立高校側が『硬式野球』『サッカー』『陸上』『バレーボール』『バスケットボール』などの一部スポーツ種目に特別枠を設け、その試験内容は各校の学校長が決めている。吹奏楽や書道、美術の分野にも及んでいて、どの公立高校が、何のスポーツ種目、文化系クラブ活動で特別枠を設けているかが公表されている。 しかし、誰でも受験できるわけではない。一例を挙げると、「中学時代での部活動で都大会出場」、「もしくはクラブチームで全国大会に…」とある。つまり、強豪私立がお誘いを掛けてもおかしくない球児しか受けられないのだ(高校側からの勧誘は禁止)。試験内容は面接、小論文(作文)。実技試験の有無は高校によって異なるが、定員は種目ごとに2、3人。学費に関する特別待遇はない。だが、近年、公立校は同制度によって、強豪私立校のような“スポーツエリート”を集めてきたのだ。人数はごく少数であり、他県に受験資格者を拡大していない点はかつての特待生制度と大きく異なるが、「私立よりも公立を」と考える父母もいる。また、昨夏の東京都大会(甲子園予選)を振り返ってみると、東東京大会では江戸川と城東がベスト4入りし、雪谷もベスト16入りしている。西東京大会でも日野が都立勢として33年ぶりの決勝戦進出を果たした。これらの公立校は『文化・スポーツ等特別推薦』があり、同制度がチーム強化に繋がったと見ていいだろう。 『21世紀枠』でセンバツ大会に選ばれた小山台高校(東京)は、多くの国公立、有名私立大学合格者を出していることでも知られる。同校は『文化・スポーツ等特別推薦』の制度を適用していない。ゲームセットの瞬間まで必死に戦った同校の姿はもっと評価されるべきではないだろうか。蛇足だが、公立校が有名私立校に勝つと大きく扱われる。少子化によって、公立も私立も生徒数の減少している。学校側が教育プログラムに特徴をつけ、受験生にピーアールするのは止むを得ないだろう。公立と私立を差別しない、他県からの野球留学生の努力も認める−−。そんな高校野球の楽しみ方もあってもいいのではないだろうか。(了/スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2014年04月20日 11時00分
貴乃花・九重両親方の明と暗
4月3日、日本相撲協会は理事会、年寄総会を開き、公益財団法人移籍後初の親方たちの職務を決めた。 注目を集めたのは、理事3期目、貴乃花親方の処遇。すでに続投が決まっていた北の湖理事長から、「あらゆる仕事を覚えて、将来のために頑張ってほしい」と、総合企画部長ほか六つの役職を兼務する実質的なナンバー3に指名された。明らかに近い将来のナンバー1、つまり理事長就任を示唆したバッテキ人事だ。 「北の湖理事長が直々に帝王学の伝授に乗り出したと解釈していい。現在の理事の顔ぶれを見てもわかるように、40代の理事は貴乃花親方一人。大相撲界はもう16年も日本人横綱が誕生していないあおりを受けて人材不足に陥っており、貴乃花親方以外に将来を託せる人材が見当たらないのが現状です」(担当記者) 一方、ひどく対照的なのが、これまでナンバー2の事業部長を務め、次期理事長の呼び声が高かった九重親方(元横綱千代の富士)だ。すでに理事選で落選し執行部から外れることは決まっていたが、今回の新人事では理事会に出席できる役員待遇からも外され、ヒラ委員に降格。協会内で発言する機会も失い、完全に干されてしまったのだ。 「九重親方は次期理事長に強い色気を見せ、最近は北の湖理事長と真っ向から対立していました。理事を落選したのも、北の湖理事長の怒りを買って出羽海一門の票が対抗馬の友綱親方に流れたため。もう九重親方が表舞台に復帰する可能性はないと言っていいでしょう。用意されたポストは八百長を監視する監察委員と、指導普及部所属という閑職です」(大相撲関係者) 来年6月、新理事長として赤い綱を締め、両国国技館で還暦土俵入りをするという九重親方の夢は、完全に幻に終わってしまった。
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スポーツ 2014年04月19日 11時00分
日ハム・大谷が“飛ぶボール”発覚と長嶋サン発言で打者一刀流に転向
自己最多の10奪三振で4月12日の西武戦で今季初勝利を挙げた日本ハムの大谷翔平選手(19)について、球団側が二刀流問題に幕を下ろし、「打者一本」で育てる方針を固めたという。 引き金になったのが、長嶋茂雄氏の発言だというから面白い。長嶋氏が「スター選手がいない。とくに野手にスターがいない」と、一部スポーツ紙のインタビューで語り、この発言に食いついたのが日本ハム球団だというのだ。 「昨年のポスティングシステムの変更で入札額が20億円に抑えられ、かつてのダルビッシュのように60億円売却は夢の話。なら打者で活躍してもらい、観客動員に寄与させた方が得策。そこに降って湧いたように長嶋さんの発言。しっかり便乗したわけです」(日本ハム担当記者) さっそく栗山監督は3日のソフトバンク戦から「3番DH」で出場させ、打者一刀流に軌道修正。逆に、スーパールーキー左腕・松井裕樹との初対戦が予想された9日の楽天戦ではベンチに下げた。「左打者はきついと思う。あのスライダーは、左の方が打っているという情報もあるけど、オレが見た感じでは左より右の方がいいと思う」という超過保護ぶり。もっとも、大谷の打者専念は“飛ぶボール問題”とも無縁ではない。 日本野球機構(NPB)は10日、今季使用中の統一球が昨季よりも“飛ぶボール”になっていたことを発表した。3月29日、開幕2戦目が行われた6球場で1ダースずつを検査。規定では反発係数の上限は0.4234と定められているが、東京ドームでは最も高い0.428を記録するなど、5球場で規定値を上回る数値が出たという。 「NPBは今季も昨季と同じ統一球を使用すると発表していた。井原事務局長は、製造するミズノ社に原因究明の指示を出したそうですが、現時点で原因と理由が特定できず、今シーズン中の変更は無理。打者の断然有利は続く。大谷が打者に専念するのは、こういう背景もあるのです」(プロ野球解説者) 今季の大谷が「打者」で大バケするのは確実だ。
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スポーツ 2014年04月18日 15時30分
メッツ・松坂大輔 “中継ぎ”でメジャー昇格
ブルージェイズの川崎宗則内野手がメジャーに昇格したばかりだが、今度は4月16日(日本時間17日)、メッツ・松坂大輔投手(33)がメジャー昇格を果たした。 左腕の中継ぎ投手、ジョン・ラナン(29)が40人枠から外れたため、代わりに松坂が上がった。ただ、松坂に与えられたポジションは先発ではなく、“中継ぎ”で、松坂自身も納得している。 昨季途中、松坂はインディアンスからメッツに移籍。7試合に登板して、3勝3敗、防御率4.42の成績を残した。オフにマイナー契約でメッツと再契約。スプリングキャンプには招待選手として参加し、先発5番手を、ヘンリー・メヒア投手(24)と争った。オープン戦では6試合に登板、23回2/3を投げ、防御率3.04と好成績を残したが、球団は若いメヒアを選択し、松坂は3Aラスベガス行きとなった。 3Aで松坂は2試合に登板、12回を投げ、防御率2.25と安定しており、“中継ぎ投手”として白羽の矢が立ったのだ。 球団公式サイトを通じ、松坂は「もっと長くラスベガス(3A)にいると思っていたので驚いた。でも早ければ早いほどいいので、本当にうれしい」とのコメントを寄せた。 松坂自身、メジャーでの救援登板はレッドソックス時代の11年に1度だけあるだけで、明らかに経験不足で不安はよぎる。 ただ、松坂に追い風も吹いている。先発組のバートロ・コローン投手(40)が腰痛を抱え、メヒアは右手中指のマメをつぶしており、この2人の体調次第では急きょ、先発機会が回ってくる可能性がある。そこで結果を残せば、コローン、メヒアから先発枠を奪うことも夢ではない。(落合一郎)
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スポーツ 2014年04月17日 15時30分
“邪道”大仁田と“昭和の大横綱”大鵬の孫との遺恨ぼっ発! 元関脇・貴闘力のプロレスデビュー戦で意外な展開へ
10年6月、野球賭博に関与したとして、日本相撲協会から解雇された元関脇・貴闘力(先代・大嶽親方)が、リアルジャパンプロレス4・16東京・代々木競技場第2体育館で、プロレスデビューを果たしたが、意外な展開が待ち受けていた。 貴闘力は角界を追われた後、焼き肉店を経営。昨春には、“昭和の大横綱”大鵬さんの三女・美絵子さんとの間に生まれた長男・納谷幸男が、親交のあるリアルジャパンプロレス(初代タイガーマスク主宰)に練習生として入門していた。 その縁もあって、同団体の昨年9・28後楽園大会を観戦していたところ、“邪道”大仁田厚に襲撃され肋骨を骨折。怒った貴闘力は雪辱を期し、プロレスデビューを決意。これを大仁田も受諾し、4・16代々木で対戦することになった。 貴闘力は鈴木みのるを、大仁田は矢口壹琅をパートナーにして、邪道ルールのデスマッチで両軍が激突。リング上には、2つの有刺鉄線ボードが持ち込まれた。 試合は開始早々、貴闘力が大仁田から大流血に追い込まれ、有刺鉄線ボードに叩きつけられるなど劣勢に回ったが、不屈の闘志で形勢逆転。最後はセコンドについた息子・幸男が大仁田を捕獲している間に、矢口に強烈な張り手を見舞ってフォールし、デビュー戦を白星で飾った。 大仁田へのリベンジを果たした貴闘力は「(有刺鉄線で)背中が痛いけど、(勝って)気持ち良かった」と笑顔を見せたが、今後についてはコメントしなかった。 一方、敗れて怒り心頭の大仁田は「大鵬の孫がジャマしやがって。負けたとは思ってない。次は親子タッグで来い」と、まだ練習生の幸男の出陣を要求。 初代タイガーマスクは、貴闘力の今後に関し、「本人に任せたい」としながらも、継続参戦を熱望した。 新たにぼっ発した大仁田と大鵬の孫・幸男との遺恨。本来、幸男はプロレスではなく、格闘技志向だが、大仁田はどんな手段を使ってでも要求を実現させてしまう男。そのデビュー戦が、大仁田とのデスマッチになるかもしれない。(ミカエル・コバタ)
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スポーツ 2014年04月17日 11時00分
CS・BSのバラ売りでしか買い手がつかない高額放映権料と視聴率低迷で巨人戦中継危機
最近の小・中学生に“巨人”と尋ねても、誰もプロ野球の「巨人」を連想せず、人気漫画『進撃の巨人』と返ってくるという。そんな時代を背景に、巨人戦の視聴率凋落が止まらない。 春の風物詩として毎年、話題を集めるセ・リーグの巨人対阪神の開幕カード(3月28日〜30日=東京ドーム)が、平均視聴率9.9%と歴代最低視聴率を記録。'13年12.4%、'12年11%だったことを考えれば、いかに視聴率を落としたかがわかる。この結果に頭を抱えているのがNHKと民放各局だ。 「テレビ朝日とテレビ東京は'08年以降、巨人主催試合の中継から撤退したが、TBSやフジは条件次第。日テレとNHKは放映権を購入済みですが、高いカネを支払ってもペイできず完全に赤字。巨人が放映権料を値下げしない限り、来年以降、地上波から中継が消滅するかもしれません」(民放編成マン) テレビ関係者から悪評が伝え漏れてくる巨人戦中継の放映権料の内訳を、民放スポーツ番組関係者が説明する。 「通常『パッケージ』と呼ばれ、当該試合の放映権を獲得したNHK、もしくは民放キー局が、地上波やBS、CS、ワンセグに至るまで自由に放送形態を選択できる。金額はNHKが一試合約8000万円。民放は約5000万円。数年前はNHKが1億5000万円、民放が1億円だった。値段は下がっているとはいえ民放はかなり辛い。ゴールデン・プライム帯でもスポンサーが裸足で逃げ出すといわれています」 もっとも、この事態に殿さま商売を続けてきた巨人軍も、さすがに危機感を募らせているという。 「“パッケージ”を止めて地上波、BS、CSなどの放映権をそれぞれバラ売りにするプランが浮上しており、いずれはそんな時代が来るかもしれない。ちなみに地上波は、一試合当たり2000〜3000万円、BSは500万円、CSは300万円という具体的な数字が各局から内々に挙がっている。この格安料金に対し、巨人フロント陣がどう出るかが注目されているんです」(スポーツ紙巨人デスク) 巨人が頼りとする日テレも、'14年度のプロ野球巨人戦中継デーゲーム14試合のうち全国ネットは2試合にとどまり、12試合を関東ローカルで放送するのみ。 「地上波のナイター6試合は全国ネット、BS日テレは61試合を放送する。ただし'15年度は一切の白紙ですが、中継試合が激減することは間違いありません」(事情通) プロ野球選手たちにウン億円という年俸を支払える時代はそう長くは続かないだろう。“巨人といえば野球”という時代は、再び訪れるのか?
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スポーツ 2014年04月16日 11時00分
俺達のプロレスTHEレジェンド 第18R 日本育ちのアメリカンヒーロー〈ハルク・ホーガン〉
“ハルク・ホーガンは日本のプロレス界が育てた”というのは、とりわけ新日本プロレスファンにとっての誇りであった。 初来日時、既にWWF(現WWE)では王者ボブ・バックランドに何度も挑戦し、またアンドレ・ザ・ジャイアントとの対戦ではボディスラムで投げ飛ばすなどトップクラスの実績を残していた。そんな“インクレディブル(信じられない)”ハルク・ホーガンは、新日でも当初からMSGシリーズの特別参戦と、トップ級の扱いではあった。 だが、そのリング上での動きはというと、はっきり言って怪力頼りのデクの坊。初見で「日本では通用しない」タイプの選手と感じたファンも多かった。 それがいつしかグラウンドの攻防もこなすなど徐々に技術の向上を見せ始めると、試合でも猪木とのコンビでMSGタッグリーグ優勝、さらにはIWGP優勝と順調にポジションアップを果たしていった。 今で言うなら、昨年末の紅白に松田聖子とデュエットで出場した歌手のクリス・ハートのようなもので、デビュー前にはやはり日本人であるヒロ・マツダに師事し、テクニックもパフォーマンスも日本で学んだ“親日外国人”というのがファンたちの認識であった。 そんなホーガンが「イチバ〜ン!」と叫べば大歓声で応え、映画『ロッキー3』に出演すれば、まるで日本のプロレスが世界に認められたかのようにうれしく思ったりもした。 だが、1983年、WWFの全米侵攻の際にトップとして迎え入れられたホーガンは、そのうちに日本のリングと疎遠になる。 単にスケジュールの都合から来日できなくなったというだけでなく、映像で見掛けるアメリカでの戦いぶりも、日本でのそれとは全く異なる大味なものへと変容していった。 日本において決め技とされたアックスボンバーは、ただのつなぎ技とされ、フィニッシュは“ハルクアップ”からのレッグドロップ。勝利後のマッスル・パフォーマンスが、当時ホーガンの最大の見せ場であった。 完璧なスーパースターを演じ切るその姿は、日本のファンもアメリカと同様に、笑顔で歓声を送りたくなる魅力にあふれてはいた…。しかし、そこにいるのは日本で育ったはずの“超人”でも“現代に蘇ったネプチューン”(by古舘伊知郎)でもない、華美な衣装を身にまとうアメリカンヒーローの“アイコン”であった。 '87年の『レッスルマニア3』で主役を担ったホーガンが、アンドレとのメーンイベントで史上最多9万人以上の大観衆を集めたと聞いても、それは「日本に関係ない他の国の出来事」でしかなかったのだ。 そんなアメリカマット界の頂点に立ったホーガンが、'90年4月13日、久々に日本のリングに登場することになる。 東京ドームで行われたWWF、全日、新日合同興行『日米レスリングサミット』のメーンイベント。対戦相手は新日時代からの盟友であり、長きにわたって日本のトップに立ち続けたスタン・ハンセン。 当初はテリー・ゴディが予定されながら、前売り券が伸びなかったため急遽ハンセンに変更したともいわれるが、これはファンにとって願ってもないことで、当日は5万人を超える大観衆が押し寄せた。 いよいよメーン。会場には『サンライズ』に続いて『リアル・アメリカン』が流れる。花道のホーガンはアメリカでおなじみのサングラスとバンダナではなく、タンクトップにハチマキというシンプルなコスチューム姿であった。 ゴングが鳴ると同時に、ホーガンはロックアップから身体を回転させての腕絡みを披露すると、続いてカニバサミでハンセンの足を取って倒し、バックに回って攻め立てる。さらにコブラツイストでハンセンを締め上げ、場外戦へなだれ込むと、互いに額から大流血。グラウンドでの攻防に流血のラフファイト、いずれもアメリカではめったに見せない姿である。 フィニッシュもレッグドロップではなく、アックスボンバーを豪快にたたき込んでから見事にフォールしてみせた。 この日のホーガンはアメリカンヒーローではない、紛れもなく日本で育った「イチバ〜ン!」のハルク・ホーガンであった。〈ハルク・ホーガン〉 1953年アメリカ出身。'77年、覆面レスラーのスーパー・デストロイヤーとしてデビュー。ハルクをニックネームとして'79年、WWF参戦。初来日は'80年の新日本プロレス。以後、米国で転戦し、トップスターとして活躍した。
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ハッスル消滅!? 小川H軍休止宣言
2006年12月27日 15時00分
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大みそかボビー弟と対戦 金子賢 前田道場入り
2006年12月14日 15時00分
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珍指令 KID 秒殺禁止
2006年12月12日 15時00分
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生還小橋に捧ぐ 三沢 GHC奪還
2006年12月11日 15時00分
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猪木 緊急提言 想定外プロレスをやれ!
2006年12月05日 15時00分
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1・4東京D「レッスルキングダム」 新日本 全日本“乗っ取り”へ秘策 長州3冠戦出撃
2006年11月16日 15時00分
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復活1・4東京D大会へ秘策 新日本最終兵器サイモン猪木 IWGP挑戦!?
2006年11月07日 15時00分
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来春ビッグマッチ パンクラス芸能人最強決定戦 坂口憲二 今田耕司 押尾学
2006年10月31日 15時00分
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大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分