スポーツ
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スポーツ 2017年04月01日 16時00分
仁王立ちの貴乃花はその後低迷 稀勢の里“強行出場”の後遺症はいかに?
事実は小説より奇なり! 奇跡は目の前で起きた。新横綱稀勢の里(30)二場所連覇の瞬間だった。それも大負傷の身体で…。 「もう一度ちゃんと調べる。本人は出たいだろうが、まずはしっかり治さないと」 師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)は、4月2日から始まる春巡業を休場し、当面は治療に専念させると話した。 大相撲春場所で劇的な2場所連続2度目の優勝を果たした横綱稀勢の里が、左上腕部の筋損傷で加療1カ月と診断されたことが3月29日、日本相撲協会関係者の話で分かった。 大盛況のうちに幕を閉じた大相撲春場所(エディオンアリーナ大阪)は、千秋楽に誰も予想しなかった“感動ドラマ”が飛び出した。 新横綱稀勢の里は、同じ横綱白鵬(32)が5日目から休場するなどの展開にも恵まれ、序盤から独走状態。誰もが稀勢の里の15日制になって4人目となる「新横綱優勝間違いなし」と思った矢先、一寸先は闇を地で行くようなアクシデントに見舞われた。13日目の取組で、日馬富士の目の覚めるような速攻に圧倒された稀勢の里は、土俵下に転げ落ちた際に左肩を痛めたのだ。 「どこをどの程度、痛めたのか。場所中だったので、本人も師匠も、堅く口を閉ざして明かしませんでしたが、かなり重傷だったのは確か。痛めた瞬間、右手で左肩をかばい、隣にいた片男波審判(元関脇玉春日)に倒れ掛かったほどでした。支度部屋に引き上げる途中も痛みに顔をしかめ、唸り声も上げていました。そのまま救急車で病院に運ばれ、『これで稀勢の里の優勝は消えた』と誰もが思いました」(担当記者) ところがその翌日、稀勢の里は休場を促す師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)を振り切り、会場に姿を現した。たいした根性だ。 傷めた左肩には幾重にもテーピングが施されており、さすがにこの日は腕がまったく使えず、鶴竜に完敗。照ノ富士に星一つリードされて迎えた千秋楽の直接対決も「勝負にはなるまい」と誰もが思ったはずだ。 しかし、ここで信じられないような奇跡が起こった。本割、優勝決定戦と、稀勢の里が肩の痛みをこらえながら連勝。見事な大逆転で2場所連続の優勝をもぎとったのだ。 「稀勢の里が勝った瞬間、場内は総立ちですよ。歓声が鳴りやまず、八角理事長も、『たいしたもんだよ。これは今後に語り継がれる優勝だ』と声を震わせていました」(大相撲関係者) これで稀勢の里は歴史に残る横綱に昇格した。 ただ、心配なのはこの強行出場の後遺症だ。平成13年夏場所で、右ひざの大ケガを押して出場し、優勝決定戦を制して感動を呼んだ貴乃花は、そのあと7場所も連続して休場。その後2度と優勝できなかった。 稀勢の里は、「夏場所で元気な姿を皆さんに見せられるよう、明日から治療に専念する」と話したが、無事に復活できるだろうか。テーピングの下はどす黒い痣が痛々しく広がっていた。それを隠しての千秋楽の二番にはただただ頭が下がる。
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スポーツ 2017年04月01日 15時00分
プロレス解体新書 ROUND45 〈9年の時を経た夢の再戦〉 看板外国人それぞれのドラマ
『レッスルマニア』の成功により全米制覇を成し遂げたWWF(現WWE)が、1990年4月13日、満を持して日本に上陸した。 その『日米レスリングサミット』(東京ドーム)におけるメインイベントで、世界的スーパースターに成長したハルク・ホーガンと対峙したのは、かつての盟友スタン・ハンセンであった。 スタン・ハンセンとハルク・ホーガンのシングル初対決は、'81年5月10日、新日本プロレスの『第4回MSGシリーズ』公式リーグ戦の中で行われている。 人気、強さともにピカイチだった看板外国人のハンセンと、そのタッグパートナーで新進気鋭のホーガンによる盟友対決。試合は激しい肉弾戦となり、最後は場外でホーガンの椅子攻撃をかわしたハンセンが、ラリアットを叩き込み、リングアウト勝ちを収めている。 期待に違わぬ熱戦に観衆から拍手喝采が送られる中、2人はリング上で健闘を讃え合うように固く握手を交わしてみせた。 この試合は後楽園ホール大会のセミファイナルで、テレビ放映もなかったため、映像としては観客席からファンが撮影した不鮮明なものが残っているだけ。同シリーズはタイガー・ジェット・シンが初めてリーグ参戦したものの、一方では出場予定だったアンドレ・ザ・ジャイアントが来日直前にキラー・カーンとの試合で足を骨折し、不参加となるアクシデントもあった。 そんな中で、他の機会にはまず実現しないハンセンとホーガンの一戦が、中規模会場でのノーテレビマッチとされたのは、やや不自然な印象も受ける。 「実のところ、新日からWWFへの配慮があったのでは?」(プロレス記者) この頃、ホーガンはWWFにおいてボブ・バックランドの持つヘビー級王座へのトップコンテンダー(最有力の挑戦者)に上り詰め、アンドレとも真っ向勝負できる次期エース候補と目されていた。 「一説によると、ホーガンには新日から、外国人エースのハンセンよりも高額のファイトマネーが支払われていたとも囁かれていました」(同) 勝敗自体は主催する新日の裁量のこととはいえ、WWF側からすれば将来のスター選手であるホーガンの敗戦を大々的に扱われることを快く思わず、何かしらの注文を付けた可能性もありそうだ。 そんな初対決から9年の年を経て、両者の再戦が実現する。 WWFと全日、新日の東京ドーム合同興行『日米レスリングサミット』のメインイベント。当初のメインは、ホーガンのWWFヘビー級王座にテリー・ゴディが挑戦するタイトル戦とされたが、直前の『レッスルマニア6』でホーガンはアルティメット・ウォリアーに敗れ、王座から陥落してしまった。 それを不服としたゴディが対戦を拒否したため、代役にハンセンが立ったというのが表向きの発表であったが、現実としてはチケットの売れ行き不振によって、全日側からハンセンに頼んでカード変更したといわれている。 9年前とは違い世界的トップレスラーとなったホーガン。アメリカでは9万人もの観衆を集めた実績もあり('87年『レッスルマニア3』アンドレ戦)、WWE側からすれば東京ドームぐらいであれば誰が相手でもフルハウスにできるとの自信もあったろうが、日本のファンからはソッポを向かれてしまったわけである。 「もしゴディが本当に対戦をキャンセルしたならば、全日マット永久追放も免れ得ない。しかし、実際には直後の6月、ドームのメインから降ろしたことに対するお詫びなのか、ゴディは三冠王者にまでなっています。WWFとのカード編成交渉にあたった全日にしても、どうせホーガンの独り舞台になるのに、そんなところへトップ選手は出せないとの意向があって、最初は二番手扱いだったゴディを立てたのでは」(同) 興行成功のためのカード変更が吉と出て、当日は5万人超の観衆を集めることとなったが、かつて新日時代の後輩にあたるホーガンのジョバー(やられ役)を務めることとなったハンセンの胸中は、いかばかりであったろうか。 「そこはハンセンもプロフェッショナル。試合序盤こそはホーガンがグラウンドやバックドロップなど、アメリカでは見せない日本流の攻めで主導権を握ったものの、場外戦となってからは、いつもながらのラフファイト。ド迫力のタックルでホーガンを吹き飛ばすなど、熱のこもった闘いを見せました。大会場向けの大きな動きが目立ったことや、ハンセンの突進をビッグブーツで迎撃して、クローズライン(肘の曲がりがアックスボンバーではない)で3カウントを奪ったフィニッシュが唐突だったことから、評価を下げる向きもあるようですが…」(同) 試合後はホーガン定番のマッスル・パフォーマンスを優先するために9年前のような握手はなし。かつて勝利した試合を念頭に「勝ち逃げは嫌いなんだ」とのコメントを残したのは、ハンセンのせめてもの意地であったろうか。
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スポーツ 2017年03月31日 15時00分
ヤケ酒に変わりそうな酒豪・なでしこ高倉監督の重圧
女子サッカー・なでしこジャパンは、3月8日までポルトガルで行われた国際親善大会・アルガルベカップで12チーム中6位に終わった。昨年からなでしこを率いる高倉麻子監督(48)は「最後に仕留めるところで課題が多い」と冷静に敗因を分析したが、かつての強さを取り戻すまでの道のりはかなり遠い。 「高倉さんは'13年にU-16の代表監督を務め、彼女が鍛えた選手たちがステージを上げていくのと同時に、自身もU-17、U-20と上がっていきました。手塩にかけた教え子の気心は分かっているはずなのに、代表監督のオファーを受けるかどうか悩んだのは、今日の苦戦を予想していたからでしょう」(専門誌記者) 現なでしこは、“世代交代”という重大なテーマを抱えている。'11年女子W杯優勝、その後もロンドン五輪、W杯カナダ大会で準優勝と、輝かしい成果を挙げてきた。しかし、澤穂希という絶対的な存在を失った後の低迷は周知の通り。そこへ起用された高倉監督の重圧は相当なものである。そのせいか、高倉監督は就任後、自身のことを話したがらなかった。 しかし、その私生活の一部がようやく見えてきた。 「酒豪ですよ。今は控えていると思いますが、休日は昼間から日本酒、つまみは塩辛。仲間とワイワイやりながら飲むときもあれば、1人で本を読みながら、延々と飲んでいるときもあります」(関係者) 飲ませ上手だという。夫で、現在サッカー指導者である竹本一彦氏もイケる口だという。また、酒飲みの気持ちは酒飲みが分かるのだろう。高倉監督の作るつまみは絶品とのことで、竹本氏の友人たちも、つい飲み過ぎてしまうそうだ。 「監督と付き合うと、みんな酒好きになる(笑)。当然、サッカーの話の延長で飲むこともあります」(同) アルガルベカップでは就任5戦目にしてようやく初勝利を挙げたが、6位では祝杯とまではいかなかっただろう。今のところ、なでしこから「飲み過ぎ被害者」は出ていない。 このまま低迷が続くと、ヤケ酒に変わる日も近い?
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スポーツ 2017年03月30日 15時00分
熱き侍たちが躍動!! メジャーリーグ Times 今オフか19年オフか 大谷翔平のメジャー移籍
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)東京ラウンドの開催に合わせて大リーグのトップであるマンフレッド・コミッショナーが来日し、「大谷は大リーグ行きを'19年のオフまで待たなければならない」「(昨年11月末に改定された新ルールに例外を設けて)大谷を特別扱いすることはしない」と明言した。これを受け、今オフの大谷のメジャー挑戦を危ぶむ声が出ている。 大リーグの旧労使協定では、「(1)海外で5年以上プロ経験がある」「(2)23歳に達している」という二つの条件を満たしていればメジャーに年俸面で制約がないFA移籍をすることが可能だった。'17年オフにメジャーに挑戦する場合、大谷はこの二つの条件を満たしているため、契約規模は田中将大の7年1億5500万ドル(178億円)を上回る8年2億ドル(230億円)規模になると予想されていた。 しかし、昨年11月末に新労使協定が締結され、FA移籍できるのは「(1)海外でのプロ経験が6年以上」「(2)25歳に達している選手」という条件に変更になった。 大リーグではドラフト経由でプロ入りする選手(米国、カナダ、プエルトリコの高校、大学を出た選手)は、どんな選手でもマイナーで1〜3年プレーしてから20〜23歳でメジャー入りすることになる上、メジャー入りした後の3年間は最低年俸期間、4年目から6年目までは年俸の制約を受ける年俸調停期間になってしまう。そのため、早くても26歳か27歳にならないと年俸が超高額(2000万ドル以上)にならない。 例えば、大リーグNo.1投手のクレイトン・カーショウ(ドジャース)は20歳でメジャーに昇格後、最初の3年間は最低年俸でプレー、次の3年間の年俸は400〜1100万ドルで、27歳の時に初めて実力に見合った超高額年俸(3000万ドル=34億円)を受け取った。 メジャー2年目の昨シーズン、24歳でナ・リーグのMVPに輝いたケビン・ブライアント(カブス)は、今季はまだ3年目。なので年俸は最低年俸に毛が生えた程度の金額だ。 このようにメジャーの「正規ルート」である、ドラフト指名→マイナーリーグを通ってメジャーに上がった選手は、いくら傑出した成績を出しても、26〜27歳までは超高額年俸を取ることができない。 その一方、キューバや日本から来るトップレベルの選手は、FAで大型契約をゲットし、超高額年俸を受け取る現実がある。 その結果、両者の間に極端な年俸格差が生じるようになった。そのため労使協定の改定に合わせて、FA入団できる年齢が23歳から25歳、海外プロ経験の年数が5年から6年に引き上げられたのだ。 ただ、この「(1)25歳」「(2)プロ経験6年」という縛りは、あくまでもFA入団する場合である。マンフレッド・コミッショナーが今回の来日時に「大谷は大リーグ行きを'19年のオフまで待たなければならない」と発言したのも、「金銭的にメリットの大きいFA入団をする場合は」という前提があっての話だ。 二つの条件を満たしていなくても「(1)マイナー契約」「(2)格安契約金」で入団することはできる。年俸体系もドラフト経由の選手と同じになることを呑めば、実力次第でメジャーのマウンドで投げることは可能だ。 大谷はカネに無頓着で、あるのは早くメジャーのマウンドで投げたいという青雲の志だけだ。金銭的な損失は障害にならず、来季はメジャーのマウンドに立ってパワーピッチングを見せている可能生が高い。 マイナー契約は3Aの球団と契約を交わすことになるが、これは何の障害にもならない。ハイレベルな選手はすぐにメジャー契約に変更になるからだ。大谷は飛び抜けた実力の持ち主なので、開幕からローテ入りして投げることになるだろう(球団によってはFA権取得年限を1年遅らせる目的で4月下旬からメジャーで使い始めることもある)。 ハッキリ言って金銭的欲求が希薄な大谷にとって、今回のルール改定で失うものはあまりない。表に示したように金銭的に100〜130億円損をすることになるが、獲得を目論む貧乏球団にとっては、逆に願ってもない状況が出現したことになる。 大谷は金満球団より弱体球団に入団し、自分が牽引車になってチームを強くしたいという希望を持っているという。その本命として日ハムにキャンプ地を提供しているパドレスの名が取り沙汰されているが、他の弱小球団も獲得に乗り出すのは必至だ。 バッティングでも活躍したい大谷は、投手も打席に入るナ・リーグのチームに入る可能性が高い。だが、ア・リーグの球団がDHでも一定の出場機会を与えることを条件に獲得合戦に加わる可能性もあり、成り行きが注目される。スポーツジャーナリスト・友成那智(ともなり・なち)今はなきPLAYBOY日本版のスポーツ担当として、日本で活躍する元大リーガーらと交流。アメリカ野球に造詣が深く、現在は大リーグ関連の記事を各媒体に寄稿。日本人大リーガーにも愛読者が多い「メジャーリーグ選手名鑑2017」(廣済堂出版)が発売中。
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スポーツ 2017年03月29日 15時00分
速さとパワー復活! ホンダがF1世界王者を狙える3つの理由(2)
期待できる2つ目は、興行主の変更だ。 グランプリ・サーカスの異名を持つF1は、世界最高峰の自動車レースであるとともに、3000万ポンド(約42億円)の分配金を賭けた世界最大のショーでもある。当然、主役チームは数年周期で変わる。バブル期のマクラーレン・ホンダの後はルノーの天下となり、M・シューマッハ擁するフェラーリが全盛期を築いた後、現在はメルセデスが圧倒的な力でF1界を支配している。それを差配していたのが、F1オーナーのバーニー・エクレストン氏だった。 ところが昨秋、米最大のケーブルテレビ会社リバティー・メディアが44億ドル(約4400億円)で運営会社を買収し、「フォーミュラ・ワン・グループ」に社名を変更。エクレストン氏は犬猿の仲だったロン・デニス氏とともに、F1の表舞台から姿を消し、F1は新時代を迎えた。 大リーグのアトランタ・ブレーブスも保有するリバティー・メディアが期待するのが“Powerd by Honda”の復活だ。トランプ大統領も、米国内に工場を持ち、米国人雇用に貢献しているホンダに好意的で期待も大きいという。 「北米のインディカー・シリーズでも、ホンダは6チームにエンジンを供給し、参戦8年目を迎える佐藤琢磨は今季、名門アンドレッティ・レーシングのステアリングを握る。トランプ氏が評価するのは、'03年からインディカーにエンジン供給を始めたホンダが、米国の自動車産業界の不況で'12年にシボレーが復帰するまで、'11年までの6シーズンをワンメークでシリーズを支えたこと。トランプ氏がトヨタや日産に辛辣なコメントを発してもホンダに寛容なのは、そのためです」(大手広告代理店) 3つ目は大規模な規則の変更だ。F1は今シーズンからレギュレーションを過去に例がないほど変えた。クルマ全体の最低重量を728㎏に増量(昨年は702㎏)。自然、ワイドなタイヤが必要となり、リアは昨年より8センチ太くなった。これは、ホンダには願ったり叶ったり。 昨年3月にホンダF1総責任者に就いた長谷川氏は、'08年の撤退前にエンジニアを務めた人物。ホンダの市販のハイブリッド車などの研究開発を経験してF1現場に戻った。ホンダの復帰1年目の'15年は、全19戦でポイント圏内(10位以内)でのフィニッシュがチーム2台で計6回という惨憺たるものだったが、長谷川氏が就任した'16年は、弱点だったパワー・ユニットの効率を一歩一歩改善し、年間6位にジャンプアップした。 「王者メルセデス・ベンツが強いのは、エンジンの熱効率をディーゼル車並みの40%以上に上げているからです。欧州では伝統的にディーゼル車の需要が高く、市販車開発のノウハウが活かされている。レースで使用できる燃料の総量が100㎏に制限されていた昨季までは、だから圧倒的に戦闘力が高かった。しかし、今季から燃料の総量が105㎏に引き上げられたことで、馬力で勝るホンダのパワー・ユニットにとって強力な追い風になっている」(自動車誌編集者) もっと言えば、新レギュレーション1年目は、規則を巡って混乱するのがF1界のお約束。敗れたチームが、勝ったチームのサスペンションや空力パーツにクレームをつけることが予想され、過去にはFIA(国際自動車連盟)がそれを受け入れ、制裁を下すことが何度もあった。今シーズンもそれは織り込み済み。 '09年シーズンは、泡沫候補のブラウンGPがシーズン前半を支配し、世界中を驚かせて盛り上げた。今季は判官びいきでホンダを応援するシナリオができているという話も囁かれている。 マクラーレンは'15年にメルセデスがワークス参戦(シャシーもエンジンも自社製)にスイッチしたことで、ホンダをF1復帰させてチームを組んだ。しかし、まだ一度も表彰台にすら上がっていない。最後の勝利は2012年のブラジルGPでのジェンソン・バトン。現在のエースドライバー・アロンソは今季が3年契約の最終年で「今季も勝てなければチームを去る」と話している。 陣営は背水の陣。ホンダが下馬評を覆す環境は十分に整っている。(F1ライター・朝吹颯)
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スポーツ 2017年03月28日 15時00分
速さとパワー復活! ホンダがF1世界王者を狙える3つの理由(1)
3月24日の開幕戦「オーストラリアGP」が近づき(※執筆時点)、中高年のF1ファンには久方ぶりに胸をときめかせている人も多い。今季からホンダに有利な新レギュレーション(F1規則)に変わったことで、「マクラーレン・ホンダ」復活が期待されているのだ。 ホンダF1総責任者の長谷川祐介氏は2月24日、イギリスで開かれた2017年の新型マシン「MCL32」の発表会で、「復帰3年目でホンダのパワー・ユニットは進化を遂げ、先頭集団に追い付くことができると確信している。開幕戦から表彰台を目指す」とその手応えを口にした。 しかし、2月末からスペイン・バルセロナ郊外にあるカタルーニャ・サーキットで行われた公式プレシーズンテストでは、散々な結果だった。直線スピードのトップはメルセデスの時速338㎞。続いてレッドブル・ルノーの331㎞。3位はフェラーリで327㎞。マクラーレン・ホンダはメルセデスより26㎞も遅い312㎞。ステアリングを握った元世界王者のフェルナンド・アロンソも「問題は1つだけ、ホンダ製のパワー・ユニットだ。信頼性に足を引っ張られ、プログラムを消化できなかった」と公然と批判。これでマクラーレン・ホンダの評判はガタ落ちした。 セナ・プロスト全盛の1980年代後半から90年代前半のF1は、車体(シャシー)とエンジンの勝負だった。しかし、現在はエンジンが「パワー・ユニット」という新方式に変わり、マシン作りを煩雑にしている。 「ホンダが復帰する1年前の'15年に大幅なレギュレーション変更があり、従来の自然吸気の排気量2.4リットルからハイブリッドターボの1.6リットルエンジンにスイッチしました。小型車並みのエンジン変更に伴い、ブレーキの摩擦熱や排気熱をエネルギー転換させて電気でモーターを回す方式に変わり、もはやエンジンとは呼び難い高度な動力装置となりました。これが現在のパワー・ユニットです。ホンダはこの新システムに1年遅れて参戦したため、常に後手後手を踏んでいる状態でした。それが、今季から新レギュレーションに変わることで、ようやく横一線のスタートが切れるのです」(スポーツ紙デスク) 今季のホンダに、期待できる裏付けは3つある。 まずはニューマシンだ。マクラーレンは伝統的な名称“MP4”を廃止し(昨年はMP4-31)、今季から“MCL”冠の「MCL32」にチェンジした。これは、かつての総帥ロン・デニス氏(70)との決別を意味している。 かつてセナ・プロストを擁し、マールボロで知られるフィリップ・モリス社とのコンビで黄金時代を築いたマクラーレン・ホンダの総監督を務めたのがデニス氏だ。その栄光の象徴こそが“MP4”シリーズのシャシーだった。 そのデニス氏はホンダのF1撤退もあり、'09年にF1部門を離れ、市販車スーパーカー・マクラーレンの経営に専念していた。それが'15年のホンダF1復帰とともに総帥に返り咲いていた。それにより何かとチーム運営に口を挟むようになり、エンジンのスタイルが様変わりする中、従来のシャシー優先主義を貫き、チームを大混乱させた。 「これではホンダが真価を発揮できないと判断したTAGグループ(マクラーレン社株式の25%保有)の総帥マンスール・オジェ氏と、バーレーン政府投資ファンド『マムタラカト』は、昨年11月にデニス氏を解任。“老害”を取り除いたことで、シャシーに合わせたエンジン作りから、エンジンに合わせたシャシー開発へ、チーム方針を大転換したのです。ホンダにとってこの差は大きい」(F1ライター)
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スポーツ 2017年03月26日 15時00分
あるぞ! 早実・清宮幸太郎いきなりメジャー挑戦
清宮の『今後の野球人生』は、このセンバツで決まるのかもしれない。 3月19日、第89回選抜高校野球大会が開幕した。注目のスラッガー・清宮幸太郎(新3年=早稲田実業)は大会5日目に登場した。 12球団スカウトは「センバツの勝敗は評価に影響しない」と言いつつも、「できるだけ多くの打席を見ておきたい。将来性を正しく見極めるために」と、エールを送っていた。 その清宮にとって今大会は人生の岐路になりそうだ。 「甲子園に5回出る。日本一になって…」 早実に進学した当初、清宮はそんな『夢』を語っていた。「5回出る」ということは、1年夏から3年夏までの完全出場を意味する。目標は大きいほうがいい。だが、清宮自身も強豪ひしめく西東京地区のレベルの高さは分かっていた。あくまでも夢で、レベルの高い東京都大会でもまれ、また、そこから這い上がってきた。 「清宮は甲子園出場に強いこだわりを持っています。目標は甲子園出場ではなく、全国大会で日本一になることなんです」(関係者) 競技こそ違うが、父・克幸氏は日本一を何度も経験している。息子・幸太郎が全国制覇を目標とするのは当然の流れである。 「清宮には日本一になった後の“夢”があるから全国制覇にこだわるんです。たとえ高校生のステージでも、甲子園での優勝は全国制覇に変わりありません。清宮はその目標を果たした後、次の目標、つまり進路に関して公表する可能性が出てきました」(同) 清宮の夢は、東京五輪出場だ。「プロ入りか、進学か」。半年後のプロ野球・ドラフト会議までには、進路を表明しなければならないが、その前に、すでに3年先を見据えているというわけだ。 こうした大胆な発想については本誌既報の通りだが、夢ではなく将来の“具体的な目標”もキャッチした。 「メジャーリーグでホームラン王になる」 日本一を成し遂げた後、清宮は野球を始めた頃から掲げてきた、この『真の目標』に向かって歩み出す。 「現時点で、高野連は高校卒業時のメジャーリーグ挑戦に難色を示しています」(学生野球担当記者) 高校球児のメジャー挑戦願望といえば、二刀流の大谷翔平(日本ハム)が思い出される。'12年ドラフト会議では進路をメジャー1本に絞ったが、強行指名された後、態度を一変させた。'08年には田澤純一(マーリンズ)が日本野球機構(NPB)側との交渉を完全拒否し、海外に渡っている。 この『田澤問題』以降、NPBは当該選手が日本球界に復帰する際、「大卒・社会人は2年、高校生は3年」の間、契約できないとするハンデを設け、今日に至っている。 「その是非はともかく、日米間には有力ドラフト候補を獲らないとする紳士協定があります」(同) それでも、近年のドラフト候補たちは「メジャーリーグへの憧れ」を臆することなく口にしている。その影響で「特定球団以外は入団しない」とダダをこねる選手は激減したが、「復帰にペナルティーを掛けた条文が効果を喪失するのは時間の問題」と見る関係者は少なくない。仮に清宮のような影響力の大きい球児が「自分の夢を抑えられない」と表明した場合、日米紳士協定は一気に瓦解してしまう可能性がある。 「早実の練習が公開された3月7日、清宮は『オルティス流』の練習を取り入れている旨も話してくれました」(スポーツ紙記者) 「オルティス」とは、通算541本塁打を放った元メジャーリーガー、デービッド・オルティスのことだ。打撃時に右肩が開かないようにするための練習を指すが、きっかけは昨秋の東京大会決勝で5打席連続三振を喫したことだった。練習方法、課題をすべてメジャーに置き換えて考える点からしても、相当な思い入れがあるのだろう。 また、その5打席連続三振を喫した後の明治神宮大会決勝戦でのことだ。早実は清宮に対抗する好スラッガー・安田尚憲のいる履正社(大阪)と対戦した。その両選手を視察していた阪神・畑山俊二統括スカウト補佐が試合後、記者団に囲まれ、こう語っていた。 「清宮はメジャーの打者みたい。日本でああいう打ち方をする選手はなかなかいない」 プロのスカウトならではの目線だ。清宮の打撃フォームが特異に映るのなら、NPB、早大のどちらに進んでも改造の指導を受ける。ならば、ペナルティーを覚悟で挑戦したほうが自分の意志を貫けるはずだ。 「NPBは今回の侍ジャパンの選手招集において、田澤にも声を掛けています。メジャーに挑戦しても、東京五輪出場の夢は消えません。マイナーでも頑張っていれば、五輪に招集される可能性はある。メジャー球団は国際試合出場に難色を示しますが、むしろ、メジャーに昇格していないほうが拘束されずに済みます」(ベテラン記者) 野球人生の選択は「日本一」の第一段階をクリアできるか、どうかで変わってくる。目標を達成したとき、退路を断つ。 いきなり世界へ挑戦してこそ怪物だ。
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スポーツ 2017年03月26日 12時00分
“あの頃”も“現在”も新日本を知る男“柴田勝頼”、満を持してオカダ・カズチカに挑戦!
「リング上で『約束した相手がいる』って言った瞬間、『まさか、同級生じゃないだろうな』ってみんな思ったかもしれないですけど、『オカダ!』って言った瞬間、みんなが『これを期待してたのかな』っていう。『俺のやろうとしてることは間違ってないな』とは思いましたね」 20日のアオーレ長岡大会で、バッドラック・ファレに勝利を収め、『NEW JAPAN CUP 2017』(NJC)を優勝した柴田勝頼が、21日に一夜明け会見を行い、試合後にオカダ・カズチカが保持しているIWGPヘビー級王座への挑戦を表明したことに対して、「間違ってなかった」と確信したことを明らかにした。両選手の対決は、4.9両国国技館大会で実現することが正式決定した。 柴田がIWGPヘビー級王座に挑戦するのは、実に13年振り。当時は王者だった藤田和之に挑戦し、「惨敗だった」と本人も会見で話していたように、玉砕している。新日本マット復帰以降も、後藤洋央紀との同級生抗争(対決やタッグ結成も含む)や、棚橋弘至や中邑真輔との同世代との再会、NEVER無差別級王座を巡る第3世代との抗争、他団体との対抗戦など、柴田がIWGPヘビー級王座と絡む機会がなかった。しかし、たった一度だけ挑戦表明をしたことがある。それは2014年2月にエディオンアリーナ大阪大会で行われた、IWGPヘビー級王者のオカダに、盟友後藤が挑戦し敗れたあと、柴田がリング上でオカダと対峙。一気に対戦ムードが高まったが、オカダは「し、柴田…さん? …向き合っただけで挑戦できると思うなこのヤロー! ちゃんとNJCを優勝してから挑戦して来い!」と突き放し、柴田が同年のNJCに優勝できなかったこともあって実現しなかった。あれから3年の月日が経ち、ようやく柴田に約束を果たす機会が訪れたというわけだ。 「ようやくですね。一回、『G1』で闘ったことがあるんですけど、タッグでも数回ですよね。4、5年いて、ホントに数回、リング上にいた時間なんて20、30分もないんじゃないかぐらいの。『こんなことってあるのかな』っていう思いでずっといて。これは俺の中で、『言ったら言っただけ、オカダから離れていくな』と。オカダを別に否定するわけではないんですけど、そこにまったく触れることができなかったっていうのが…ずっと常に虎視眈々としゃべらずに狙ってはいましたね」 柴田はこの3年間、オカダとほとんど絡めなかったことに対して不満を抱きながらも、挑戦する機会を虎視眈々と狙っていたという。NEVER無差別級王者になった辺りから、試合後のコメントも多く出すようになってきた柴田だが、言いたいことをストレートに発言し続けている内藤哲也を見て、「許されるんだな」という思いになり、向き合っただけで挑戦が決まった鈴木みのるをNJCの1回戦で破ったことも、挑戦表明への決断を後押ししたようだ。 これまでNEVER無差別級王座や、ブリティッシュ・ヘビー級王座といったシングルのタイトルを獲得してきた柴田だが、ベルトを腰に巻かないなど、ベルトへのこだわりがあまり感じられない選手のように思われてきた。しかし、これらのベルトの防衛戦を積み重ねてきたことで、考えが変わってきたという。 「やっぱり『ベルトってどうなのかな』とは思ってたんですけど、去年一年(NEVER無差別級のベルトを)持って。まぁ、言ってみれば3番目のベルトですよ。3番目のベルト、そしてイギリスのベルトを持って闘っていく中で、『ベルトって必要ない』とそれまで思ってたんですけど、『やっぱり、ベルトって大事なんだな』って思いましたね。『中心として、いろいろ動かしていくものなんだな』と思いましたね。IWGPは新日本プロレスの象徴ですから」 また、近年IWGPヘビー級王座戦線の顔ぶれが、オカダを中心に固定化していることに関しても、 「(IWGPヘビー級王座戦線の)『新しい風景にしていきたいな』と。ずっとオカダなんで。俺が再び上がり出した時もオカダだったし、いまもなおオカダ。『IWGPで組まれる対戦カードも似たような選手ばっかりで、そこに一つ風穴を開けたいな』っていう気持ちはあります」 と語り、自らがベルトを獲得することで、新たな流れを作って行きたい意向を示した。とはいえ、今年に入ってからのオカダは、1.4東京ドーム大会でのケニー・オメガ戦、2.5北海きたえーる大会での鈴木戦と、IWGPヘビー級選手権を期待値を遥かに超えるハードな試合で防衛に成功しており、3.6大田区総合体育館大会で行われたタイガーマスクW戦でも、ノンタイトルながらギリギリかつ、ワクワクするような素晴らしい試合を行い勝利を収めている。向かう所敵なし状態と言っても過言ではない。柴田優勝後のリングには現れなかったオカダだが、長岡大会のセミファイナルに出場後、「(決勝に進出した)柴田さんもファレも防衛戦をやったことがないので、新しい闘いを見せることができる」と自信あるコメントを残している。 「俺はオカダが知らないあの頃の新日本を知ってるし、現在の新日本も知っている。オカダと闘えることに楽しみである部分、オカダ・カズチカの素の部分をどれだけ引き出して、俺の土俵で試合してやるかっていうのが、俺の中では凄い楽しみ。俺がプロレスラーとやってきた18年間、どこを区切ってもプロレスラーなんですよ。そこは誰も真似できない部分だと思います。昨日も言ったんですけど、『流す涙より、汗の方が美しいですよ』と。嘘つかないですから」 オカダはこれまでにも、鈴木みのるをはじめ、第3世代や真壁刀義、そして棚橋や中邑といった“あの頃”の新日本プロレスを知る選手と試合をしてきているが、柴田は新日本の旗揚げメンバーである、故・柴田勝久氏の子息なだけに、「産まれたときから新日本」という自負がある。柴田が放つ独特な雰囲気は、古くからのファンには“あの頃”を最も感じるレスラーだと思うし、現在のファンには新鮮に映っているところがある。 そんなシチュエーションの中、組まれたオカダ対柴田の一戦は、旗揚げ45周年という節目に実現するに相応しい、IWGPヘビー級選手権試合になるだろう。(どら増田)【新日Times vol.61】
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スポーツ 2017年03月24日 17時00分
心技体の“心”が折れた「大横綱白鵬」の満身創痍に“引退”の声
春場所の土俵を見ていて「軽い」と感じていたのは角界雀ばかりではあるまい。体重は落ちてはいないはずなのに土俵上の白鵬(32)の取り口を含めて、存在自体がかる〜く見えたのだ。心技体の“心”が折れた瞬間だった。 まさか、最初に脱落するのが白鵬だとは…。 稀勢の里フィーバーで盛り上がる大相撲春場所(エディオンアリーナ大阪)もいよいよ終盤戦。新横綱稀勢の里と関脇高安はともに初日から10連勝(21日現在)と、田子ノ浦部屋の勢いが止まらない。果たして賜杯を抱くのは誰か。連日、熱戦が繰り広げられているが、本命視された白鵬が17年ぶりに出現した4横綱揃い踏みの状態からまさかの第1号の脱落者となり、日本中のファンはどよめいた。 白鵬が休場したのは5日目。プレッシャーをはね除けて好スタートを切った稀勢の里とは対照的に、初日に続いて4日目の勢戦でもあっけなく敗れて2敗となり、その白鵬らしからぬ負けっぷりが話題になった。そして5日目、右拇指捻挫と右大腿筋群損傷で全治3週間という診断書を提出。実にあっさりと姿を消してしまった。白鵬の休場は去年の秋場所以来、横綱になって3度目だ。 そもそも4横綱時代というのは、先に上がった横綱たちが衰え、それまでのような強さがなくなったために起こる現象だ。そうでなければ、横綱が4人もできるワケがない。このことは、いずれの4横綱時代も短命だったところにも表れている。17年前の曙、貴乃花、若乃花(2代目)、武蔵丸の4横綱時代も、たった5場所しか続かなかった。1場所で終わったこともある。 今回も長くは続かないであろうことは、序盤戦で見せた日馬富士や鶴竜の不甲斐ない相撲からも想像に難くないが、この休場で白鵬の衰えぶりも予想以上に深刻であることが分かった。 「場所前は元気そのものでした。稀勢の里らのいる田子ノ浦部屋に出稽古に行き、高安ばかりでなく、稀勢の里とも6番取って4勝2敗と勝ち越して健在ぶりをアピール。師匠の宮城野親方(元幕内竹葉山)も、『まだまだやれるってことが確認できたんじゃないか』と目を細めていました。休場の原因はケガとはいえ、信じられないという顔の親方衆も多かったですね」(大相撲担当記者) 気になるのは、気力の衰えだ。以前は負けると顔を真っ赤にして相手を睨みつけたものだったが、最近は淡々としたもの。 「(今場所は)仕切っている時から元気がないというか、今までのような闘志が感じられなかった」(藤島審判部副部長=元大関武双山) すでにモチベーションの低下は明らかだったのだ。 優勝も、記録も、できることはすべて達成し、残るは引退だけだが…。 一人横綱を支え切った時代も孤独な土俵だった。さすがの「大横綱白鵬」も満身創痍に違いない…。不死鳥のごとく蘇って来ることを期待したい。
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スポーツ 2017年03月24日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND44 〈信頼が結実した世紀の一戦〉 最強カレリンとの引退マッチ
1999年2月21日、前田日明のラストマッチが横浜アリーナで行われた。相手は人類最強とも称されるロシアの英雄、アレキサンダー・カレリン。 得意のカレリンズ・リフトで前田の体をオモチャのように投げ飛ばし、持ち前のパワーをいかんなく披露したその試合の裏では、さまざまな人間模様が交錯していた。 日本のプロレス団体において、とかく付きまといがちなのが金銭トラブルの話。 アントン・ハイセル事業で団体分裂を招いたアントニオ猪木の新日本プロレスはもちろん、健全経営とみられた全日本プロレスですら御大ジャイアント馬場の没後には、待遇への不満を主な理由として所属選手が大量に離脱している。 「プロレス団体は興行で日銭が入ってくるため、どうしても『金ならどうにでもなる』という“どんぶり勘定”になりがち。また、看板選手が社長を兼ねることが多く、そのため『俺の顔と名前で稼いだ金だから』と、手前勝手に浪費してしまうケースも多々あります」(スポーツ紙記者) そんな中にあって、希少な存在といえるのが前田日明だろう。目立つ金銭トラブルとしては、新生UWFとビッグマウスラウドにおいて、それぞれ事務方の不透明経理を糾弾したぐらい。 「周囲には前田の直情的な性向を嫌う人間も多いだけに、少しでも後ろ暗いところがあれば、きっと罵詈雑言の嵐となったはず。それでいて一切、前田個人の金にまつわる醜聞が出てこなかったのは、よほど身ぎれいだったという証拠でしょう」(同) 金銭面における前田の堅実さは、これまで随所で見受けられる。 旧UWF時代には、会社の収入増のため興行を増やすことを主張して、格闘技志向の佐山聡と対立。団体存続が立ち行かないと見るや、すぐに新日復帰を決断した。 そもそも新日からUWFへ移ったのも「理想の実現のため」などではなく、「母親の入院により移籍金を必要とした」ことが理由だったという。 リングスにおいても、試合を放送していたWOWOWとの契約が切れると、即座にリングスジャパンは活動休止。前田のネームバリューがあれば別口のスポンサーを募りつつ、借金でつなぎながら興行開催を続けることも十分に可能だったろうが、前田はそれをよしとしなかった。 今では不良少年たちを集めた低予算の格闘大会『THE OUTSIDER』のプロデュースに専念している('12年にはリングス再旗揚げ戦も行われたが、同年3回の大会開催の後に再度休止状態)。 また、リングス活動休止の遠因となったPRIDEによる看板選手の引き抜きに際しても、ファイトマネーの積み合いをしようとしなかった。 '10年の参院選では、当時、政権与党だった民主党からの出馬が取り沙汰されたが、民主党側からの金銭的支援体制が不十分だとして、これを取りやめている。 「そんな前田の契約や金銭面におけるクリーンな姿勢は、むしろ国内よりも海外勢から評価され、多くの実力派選手が初来日時にリングスのマットを選ぶこととなりました。そして、多くの国で今もなお、リングスの名前で活動をしている実態もあるようです」(格闘技記者) 前田の引退マッチとなった'99年の対アレキサンダー・カレリン戦も、そうした前田への信頼が結実したものだった。五輪レスリングのグレコローマン130キロ級で、前人未踏の3連覇を果たしたカレリンは、このとき4連覇を目指すシドニー五輪を翌年に控えていた。 ちなみにカレリンのグレコは、近年、日本で吉田沙保里ら女子勢の活躍で認知度の上がったフリースタイルと異なり、下半身への攻撃が認められていない。また、グレコは古代五輪から続く種目であり、フリーはカール・ゴッチやビル・ロビンソンのバックボーンでもある欧州のキャッチ・アズ・キャッチ・キャンを源流とする、いわば近代種目である。 「ごくごく簡単に言えば、技術の比重が高いフリーに対し、上半身だけで競うグレコは肉体的パワーをより多く要求されるもの。そんな、ある意味でごまかしの利かない歴史ある競技において、長年にわたり頂点に君臨したカレリンこそは、まさに“人類史上最強”と呼ぶにふさわしい選手なのです」(同) ロシアにおいては国家的英雄であり、そんな偉大な選手が異種格闘技で戦うとなれば、格闘技史上の大事件。世界的には猪木vsモハメド・アリにも匹敵するビッグマッチであった。 また、カレリン出場の決め手となったのは、何も法外な高額ファイトマネーではなかった。新日が旧ソ連時代に多くの選手をスカウトした際、カレリンにも声を掛けたが、結局、そのときは競技専念を選択している。 そもそも金で動く選手ではないのだ。 カレリン戦実現の裏には、前田を信頼する人々の尽力があったという。 「ソ連崩壊後、国家からの支援がなくなり食い詰めたロシア人格闘家の多くが、リングス参戦によって経済的に助けられた。リングス・ロシアの幹部たちが涙ながらにそれを訴えたことで、カレリンは人生唯一となる異種格闘技戦を決断したのです」(同) なお、カレリンはこの試合に関して、「私に挑戦してきたのは彼が初めてで、真剣だったから受けました」とだけ答えている。
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