得意のカレリンズ・リフトで前田の体をオモチャのように投げ飛ばし、持ち前のパワーをいかんなく披露したその試合の裏では、さまざまな人間模様が交錯していた。
日本のプロレス団体において、とかく付きまといがちなのが金銭トラブルの話。
アントン・ハイセル事業で団体分裂を招いたアントニオ猪木の新日本プロレスはもちろん、健全経営とみられた全日本プロレスですら御大ジャイアント馬場の没後には、待遇への不満を主な理由として所属選手が大量に離脱している。
「プロレス団体は興行で日銭が入ってくるため、どうしても『金ならどうにでもなる』という“どんぶり勘定”になりがち。また、看板選手が社長を兼ねることが多く、そのため『俺の顔と名前で稼いだ金だから』と、手前勝手に浪費してしまうケースも多々あります」(スポーツ紙記者)
そんな中にあって、希少な存在といえるのが前田日明だろう。目立つ金銭トラブルとしては、新生UWFとビッグマウスラウドにおいて、それぞれ事務方の不透明経理を糾弾したぐらい。
「周囲には前田の直情的な性向を嫌う人間も多いだけに、少しでも後ろ暗いところがあれば、きっと罵詈雑言の嵐となったはず。それでいて一切、前田個人の金にまつわる醜聞が出てこなかったのは、よほど身ぎれいだったという証拠でしょう」(同)
金銭面における前田の堅実さは、これまで随所で見受けられる。
旧UWF時代には、会社の収入増のため興行を増やすことを主張して、格闘技志向の佐山聡と対立。団体存続が立ち行かないと見るや、すぐに新日復帰を決断した。
そもそも新日からUWFへ移ったのも「理想の実現のため」などではなく、「母親の入院により移籍金を必要とした」ことが理由だったという。
リングスにおいても、試合を放送していたWOWOWとの契約が切れると、即座にリングスジャパンは活動休止。前田のネームバリューがあれば別口のスポンサーを募りつつ、借金でつなぎながら興行開催を続けることも十分に可能だったろうが、前田はそれをよしとしなかった。
今では不良少年たちを集めた低予算の格闘大会『THE OUTSIDER』のプロデュースに専念している('12年にはリングス再旗揚げ戦も行われたが、同年3回の大会開催の後に再度休止状態)。
また、リングス活動休止の遠因となったPRIDEによる看板選手の引き抜きに際しても、ファイトマネーの積み合いをしようとしなかった。
'10年の参院選では、当時、政権与党だった民主党からの出馬が取り沙汰されたが、民主党側からの金銭的支援体制が不十分だとして、これを取りやめている。
「そんな前田の契約や金銭面におけるクリーンな姿勢は、むしろ国内よりも海外勢から評価され、多くの実力派選手が初来日時にリングスのマットを選ぶこととなりました。そして、多くの国で今もなお、リングスの名前で活動をしている実態もあるようです」(格闘技記者)
前田の引退マッチとなった'99年の対アレキサンダー・カレリン戦も、そうした前田への信頼が結実したものだった。五輪レスリングのグレコローマン130キロ級で、前人未踏の3連覇を果たしたカレリンは、このとき4連覇を目指すシドニー五輪を翌年に控えていた。
ちなみにカレリンのグレコは、近年、日本で吉田沙保里ら女子勢の活躍で認知度の上がったフリースタイルと異なり、下半身への攻撃が認められていない。また、グレコは古代五輪から続く種目であり、フリーはカール・ゴッチやビル・ロビンソンのバックボーンでもある欧州のキャッチ・アズ・キャッチ・キャンを源流とする、いわば近代種目である。
「ごくごく簡単に言えば、技術の比重が高いフリーに対し、上半身だけで競うグレコは肉体的パワーをより多く要求されるもの。そんな、ある意味でごまかしの利かない歴史ある競技において、長年にわたり頂点に君臨したカレリンこそは、まさに“人類史上最強”と呼ぶにふさわしい選手なのです」(同)
ロシアにおいては国家的英雄であり、そんな偉大な選手が異種格闘技で戦うとなれば、格闘技史上の大事件。世界的には猪木vsモハメド・アリにも匹敵するビッグマッチであった。
また、カレリン出場の決め手となったのは、何も法外な高額ファイトマネーではなかった。新日が旧ソ連時代に多くの選手をスカウトした際、カレリンにも声を掛けたが、結局、そのときは競技専念を選択している。
そもそも金で動く選手ではないのだ。
カレリン戦実現の裏には、前田を信頼する人々の尽力があったという。
「ソ連崩壊後、国家からの支援がなくなり食い詰めたロシア人格闘家の多くが、リングス参戦によって経済的に助けられた。リングス・ロシアの幹部たちが涙ながらにそれを訴えたことで、カレリンは人生唯一となる異種格闘技戦を決断したのです」(同)
なお、カレリンはこの試合に関して、「私に挑戦してきたのは彼が初めてで、真剣だったから受けました」とだけ答えている。