スポーツ
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スポーツ 2018年10月25日 17時20分
伝統のG・T戦 ★巨人 第3次原政権舞台裏にある松井秀喜の「監督永久消滅」
クライマックス・シリーズ(CS)のファイナルステージを戦う巨人。高橋由伸監督(43)の退陣でファンが最も期待していたのは、生え抜きの元4番打者、松井秀喜氏(44)の監督就任だった。しかし、巨人は原辰徳氏(60)に次期監督就任を要請。'15年以来、球団初となる3度目の監督が誕生することとなった。 一方、松井氏に近いメディア関係者によれば、それ以前に水面下で監督就任のオファーはあったものの、松井氏は球団にすでに断る意思を伝えていたという。「当然です。3年前に原氏が退陣する際、次期監督の筆頭候補は松井氏でした。しかし、ヤンキースでの仕事が始まったばかりで辞退し、1歳年下の高橋氏に現役を引退させて監督に就任させた。それがいきなり解任され、後釜に自分が座るという選択を、道義にこだわる松井氏が選ぶはずがない。そこで松井氏は恩師・長嶋茂雄氏(82)の意を汲み、後任監督に中畑清氏を推したのです。3年間バトンを託し、その後に由伸氏が再登板するシナリオでした」 この経緯を見る限り、これまでの巨人なら、ミスターの「鶴の一声」で、ポスト高橋監督は中畑氏が本線となるはずだった。 しかし、7月に倒れた長嶋氏は、現在も入院中。球団サイドは「順調に回復中」と重病説の火消しに躍起だが、今なお予断を許さないという情報もあり、神通力の衰えは否定できないところ。同時に今回の監督人事は、読売グループの意思決定が渡邉恒雄読売新聞グループ本社代表取締役主筆(92)から山口壽一球団オーナー(61)にスイッチしつつあることも表している。「現在の首脳は、人気回復の特効薬は江川卓氏(63)の投入以外にないと考えているそうです。アンチもいるが、興味は湧くと。巨人戦のテレビ視聴率が20%を超えたのは、江川氏が絶対的エースだった時代。その江川政権への布石が、今回の原第3次政権なのです」(ベテラン巨人担当記者) 山口オーナーは「フロントとチームが一体となっての立て直しが必要」と、原氏に「全権監督」を約束。過去2回とは異なり、今回はコーチ陣の編成でもらつ腕を振るうことになる。 この情報を裏付けるように、巨人は11日、鹿取義隆GM兼編成本部長の退任と岡崎郁スカウト部長の異動を発表。GMは原氏が実質を兼ね、スカウト部長は原氏の後輩で東海大出身の長谷川国利査定室長が兼任。 他方で、川相昌弘二軍監督が今季限りで退団し、OBの篠塚和典氏を起用するとも発表した。川相氏は'16年から三軍監督を2年務め、今季は二軍監督として4年連続イースタン優勝。だが、原氏が監督だった'15年、当時ヘッドコーチだった川相氏と意見が衝突し、今回はお役御免というわけだ。 では、誰が原第3次政権でヘッドコーチを務めるのか。ここに、特効薬・江川氏の名前が挙がる。助監督扱いで入閣させ、GM的な役割も託す方針という。 思い出されるのが、'11年オフに勃発した当時の球団代表による「清武の乱」だ。ヘッドコーチに江川氏を招聘しようとした渡邉会長(当時)に対し、すでに同ポストに岡崎コーチの留任が内定していたことから、清武英利GM(当時)が「コンプライアンス違反」などと批判。この江川ヘッド案は、実は当時の原監督が出した腹案だった。「原氏が3度目の監督を引き受けたのは、この時の借りを江川氏に返す目的もあります。原、江川、篠塚の3氏は、藤田元司監督時代の“オトモダチ”。原・江川ファミリーにあらずんば抵抗勢力という時代に舞い戻った印象です。当時、対極に位置していたのが、中畑氏のグループでした」(スポーツ紙デスク) 実は、今回の巨人監督の人選で、本命候補だったのが江川氏だ。実現しなかったのは、指導者経験がまったくなかったから。そこで、原監督の下で2シーズンほど汗をかき、次の巨人監督に備えさせることに修正されたのだという。「原・江川政権の誕生で、中畑氏の巨人復帰の可能性が消滅しました。それは中畑氏と連携する松井氏も無縁ではなく、この先も『松井巨人はない』ことを物語っています。中畑氏に近い球界関係者によれば、松井氏が将来的に巨人に戻る意思を明白にすれば、中畑氏が巨人監督に就き、川相氏をヘッドコーチに据える布陣も検討されていたというのですが」(同) とはいえ、日本一3回、リーグ優勝5回という輝かしい実績を持つ原氏には、実子がクスリ疑惑で当局にマークされているという情報も伝わっている。読売新聞社が周辺も含めて身体検査した上で、監督復帰させたことは容易に推察できるが、まさかの事態はつきものだ。 原、江川氏とともに、黄金期を築いた巨人OBの野球解説者が、こう断言する。「巨人が万が一に備え“中畑巨人”を想定しているのは事実。しかし、原氏が今回も成功し、首尾よく江川氏にバトンを渡すことになれば、その次は高橋監督の再登板や阿部慎之助がおり、松井氏の出番は消滅する」 いずれにしても、今回の政変で巨人OB会に「中畑、松井、由伸、川相」という大きな抵抗勢力ができた。主流派の「原、江川、篠塚」とのせめぎ合いは今後も続くが、失地回復は難しい。 揃って他球団に鞍替え…そんな声も囁かれている。
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スポーツ 2018年10月25日 17時15分
間近に迫る日本シリーズ “平成初”と“平成最多”もかかる?
レギュラーシーズン、クライマックスシリーズ(CS)を終え、残るは日本シリーズのみとなったプロ野球の1年。セ・リーグは広島(2年ぶり8回目)、パ・リーグはソフトバンク(2年連続18回目)がそれぞれCSを勝ち上がり、日本シリーズ出場を決めた。 両軍が日本一をかけて激突するのは、70年近い歴史を持つ日本シリーズにおいて初めてのこと。意外な事実であることは確かだが、各メディアの報道などによって既にご存知という方も多いことだろう。 ただ、今から以下に記載する事柄については、知らない人も多いかもしれない。それは、それぞれのチームが日本一を達成した場合に実現する、“平成”関連の事柄である。 今回の広島のシリーズ出場は、1991年、2016年に続き3回目。しかし、1991年は西武に3勝4敗、2016年は日本ハムに2勝4敗で敗れており、日本一の称号を獲得するまでには至っていない。 広島が最後に日本一になったのは、阪急を4勝3敗で下した昭和59年の1984年が最後。つまり、今回広島が日本一となれば、それは“平成初”の出来事となる。来シーズンの日本一は新元号の元で決まるため、今年は正真正銘のラストチャンスだ。 ラストチャンスを迎えているのは、対戦相手のソフトバンクも同じ。ただ、“平成初”がかかる広島に対し、こちらは“平成最多”がかかっている。 平成の世において、ソフトバンクは6回の日本一を達成している。一見すると12球団トップの数字であるようにも見えるが、現時点では巨人と並ぶ最多タイ記録だ。 今年のシリーズで広島を退ければ、ソフトバンクの日本一回数は巨人を抜き、“平成最多”の7回目となる。もちろん、最多タイのままでも素晴らしい記録であることは確かだが、“タイ”の字が取れればより見栄えが良くなることもまた確かだろう。 “平成最後の日本一”と共に、上記の記録を達成するのはセ・リーグ3連覇中の広島か。それとも、過去5年で3回の日本一を誇るソフトバンクか。運命の一戦は、27日の第1戦からその幕が上がる。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2018年10月25日 06時15分
女子プロレス団体を中心に12団体が協力!Rayさん追悼興行の第1弾カード発表!
悪性の脳腫瘍と闘病の末、8月30日に亡くなった女子プロレスラーRayさんの追悼興行が開かれる。生前、Rayさんと親交が深かった吉田万里子、コマンド・ボリショイ、GAMIが発起人になる形で、Ray追悼興行実行委員会を組織。11月30日に『Ray追悼興行』を新木場1stRINGで開催すると発表された。 この大会には、アイスリボン、PURE-J女子プロレス、息吹、プロレスリングWAVE、我闘雲舞、センダイガールズプロレスリング、SEAdLINNNG、Marvelous、ワールド女子プロレスディアナといった女子プロレス団体をはじめ、Rayさんが上がっていた超戦闘☆プロレスFMW、WNCも協力を表明。23日にはREINA女子プロレスも協力すると発表した。現時点で協力団体は12となっている(プロモーション含む)。Rayさんと絡みがあったフリーの女子選手や団体として協力関係にない女子選手も個人として出場するという。 実行委員会は23日に第1弾カードを発表。スペシャル6人タッグマッチとして、バンビ(K-DOJO)&チェリー(フリー)&佐藤綾子(ディアナ)対DASH・チサコ(センダイガールズ)&松本浩代(フリー)&大畠美咲(WAVE)のカードが組まれた。この試合は吉田が主宰、プロデュースしていた若手選手育成をテーマにした大会『息吹』プレゼンツだ。この試合の特別レフェリーは『息吹』のレギュラーだった南月たいよう(SEAdLINNNG)が務める。南月は引退してしまったが、Rayとはかつてベルトを争った好敵手だった。適任と言えるだろう。 2003年9月に我闘姑娘の舞台で「零」のリングネームでデビューしたRayさんは、デビューからマスクを被るという、女子プロレスでは珍しいミステリアスなレスラーだった。しかし、持ち前の空中殺法や数々のトリッキーかつスピード感のあふれるプロレスと、マスクの中から見えるきれいな瞳、ファンサービスの際に見せる笑顔は多くのファンの心をつかんでいた。 2007年に『息吹』を運営するエスオベーションに移籍すると、リングネームをRayに改名。『息吹』の大会数が少なかったこともあり、覆面レスラーで“飛べる”Rayの存在は女子プロレス界において貴重な存在だった。ここから他団体から引っ張りだこの選手へと成長していった。現在WWEで活躍しているASUKAとも対戦している。 2011年にフリーを経て、我闘姑娘時代の仲間がいるアイスリボンに移籍。アイスリボンに移籍してからも他団体で引っ張りだこの状況は変わらず、REINAでは初代CMLL-REINAインターナショナルジュニア王座の初代王者になり、念願のメキシコ遠征も実現。新日本プロレスと業務提携していることで有名なメキシコの老舗団体CMLLマットに登場している。 2012年5月にアイスリボンを退団。その後はJWP(現PURE-J)でLEONとのマスクウーマンタッグを中心に活動。REINAにも継続参戦し、LEONとREINA世界タッグ王座も奪取するなど、精力的な活動を続けた。2014年8月にはアントニオ猪木が代表を務めていたIGFの北朝鮮大会にも出場している。 2016年2月17日、都内で会見を開いたRayは自身の左目の視床付近に悪性の脳腫瘍が見つかり、グレード(ステージ)3であること、摘出が困難な状態であることを衝撃告白。闘病生活に入り「経過が順調」と報じられたこともあったが、再びリングに上がることはできなかった。なお、デビューからマスクウーマンだったこともあり、本名、年齢は非公表。 笑顔が似合う華やかな選手だっただけに、明るく楽しい追悼興行に期待したい。取材・文 / どら増田写真 / ©︎Ray追悼興行実行委員会
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スポーツ 2018年10月24日 21時45分
馬場、猪木、ファンクスと死闘!アブドーラ・ザ・ブッチャーが来年2月日本で引退
平成最後のプロレスオールスター戦として話題となっている『ジャイアント馬場没20年追善興行〜王者の魂〜』(2019年2月19日、東京・両国国技館)に大きなイベントが加わる。昭和の日本プロレス界で、ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木ら日本人のトップ選手や、ドリー・ファンクJr.、テリー・ファンクのザ・ファンクスらを相手に血で血を洗う抗争を繰り広げ、凶器攻撃や毒針エルボーで苦しめた“呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャーの引退セレモニーが行われることが決まった。 ブッチャーは馬場さんのライバルだった。2001年に東京ドームで開催された『ジャイアント馬場三回忌興行』ではジャイアント・キマラとタッグを組み、テリー・ファンク&大仁田厚と対戦。試合後には「ブッチャー、バーバー、ブッチャー、バーバー」と叫び馬場さんを偲んだ経緯もある。運営サイドは今大会に『アブドーラ・ザ・ブッチャー引退記念〜さらば呪術師〜』というタイトルを付け加えた。 ブッチャーは2011年にWWE殿堂入りも果たしており、アメリカやカナダ、プエルトリコなど、日本以外にもゆかりの国はたくさんある。ブッチャーは日本を引退の地に決めた理由について「来年2月にミスター馬場のメモリアルショーをやるから来日してほしいという要請を受け、ぜひ参加したいと返事をした。それと同時に、あと何度、自分が大好きな日本に行けるのかという事も考えてしまった」という。 「それは、長年アブドーラ・ザ・ブッチャーというレスラーをサポートしてくれた日本のファンに、感謝の言葉を直接伝える機会が何度このあとやってくるのか、ということだ。このビジネスを始めて57年。日本に初めて行ってから48年。そろそろコスチュームとフォークを置いて、リタイヤする時が今回のタイミングなのでは、と思ったのだ。来年2月、また日本に行けるのなら、アメリカでもカナダでも行っていない、アブドーラ・ザ・ブッチャーの引退セレモニーを行う機会を与えてほしいと、実行委員会、馬場ファミリーに伝え、了承してもらった」と経緯を明かしてくれた。「もう試合はできないし、ミスター馬場を追悼する大会だというのは、もちろん理解しているが、日本のファンに心を込めた感謝のメッセージを送りたいという気持ちも理解してもらいたい」と呼びかけている。 ブッチャーは過去の対戦も振り返った。「1970年の真夏に日本へ初めて行き、ミスター馬場と大きなスタジアムで初めてシングルマッチをやったことを、今でも昨日のことのように思い出すよ」とポツリ。 「ミスター馬場とはそれから20年以上にわたり、日本中どころか、シカゴやプエルトリコでも闘い、暴れすぎてミセス馬場には何度も怒られたな。ジャイアント馬場と一番血を流しあって闘ったのが俺なのは間違いない。それも500試合以上。詳しい数なんて覚えていない」という。 「だが、ミスター馬場は俺にとって最強の敵ジャイアント馬場であり、最高に信頼できるプロモーターであった。馬場夫妻にとっても、アブドーラ・ザ・ブッチャーという存在は、最高のドル箱レスラーだったはずだ。いつかあの世でミスター馬場と再会したら、2人で試合して、試合後は最高級キューバ産葉巻をくわえながら、昔話をしたいもんだ。でも俺はまだまだこっちの世界で人生をエンジョイするつもりなので、あの世でトレーニングを続け、待っていてくれと伝えたい」と馬場との思い出を振り返っている。 そんなブッチャーだが、全日本から新日本に電撃移籍をして、世間を騒がせたことがあった。しかし、新日本とは水が合わず、猪木とのシングルマッチも凡戦に終わったことから、全日本にUターン。タイガー・ジェット・シンとの最凶コンビで大暴れをして再び馬場さんの対角線に立った。新日本に移籍した選手は使わない方針の馬場さんがブッチャーと故ブルーザー・ブロディに関してはUターンを認めていたのである。 こんなブッチャーに対して、実行委員会に名を連ねている天龍源一郎は「馬場さんの没20年追善興行に、くしくもブッチャーが引退セレモニーをやりたいという気持ちが芽生えたというのも不思議な感じです」と語る。 「僕が全日本プロレスに来たときは馬場さんとブッチャーがメインを張っていたというのが感慨深い。たぶん、馬場さんの追善興行だということでブッチャーの中で『俺も踏ん切りをつけよう』と思ったのではないかと思います。それくらい、日本プロレス時代からの縁のようなものがあって、同じ日に引退セレモニーをやれるというのはブッチャーにとって最高のもの。日本のファンの前で最後に引退セレモニーがやれれば、僕もいいと思う。彼にも満足してリングを降りてほしいと思っています」と感慨深げにコメントしている。 主催者はブッチャー・シートの設置を企画した。このシートは最前列で大会当日、ブッチャー引退セレモニーで、リング上で本人に花束贈呈ができるという特典付きだ。価格はなんと20万円!昭和のプロレスファンなら奮発するかもしれない。 また1954年2月19日は日本プロレスの国際試合初興行として、力道山・木村政彦組対 シャープ兄弟の試合が蔵前国技館で行われたことから、2月19日を「プロレスの日」としている。実行委員会の緒方公俊氏は「この日を馬場さんの築いた“明るく楽しく激しい”プロレスをもとに1980年、90年代のプロレス熱を再燃させる日にしたい。またファンの方々にとっても、家族、仲間、仕事の同僚たちにとっても久々に再会して、大同窓会になればいいなと思っています」とファンが再び集う場にしたいと抱負を述べている。 当日はブッチャーとも因縁深い“不沈感”スタン・ハンセンも特別ゲストとして来日。他にもレジェンドの登場を予定しているという。全日本、新日本、大日本、ノア、W-1ら参加団体や選手には、現在進行形の試合をオールドファンに見せてもらいたい。逆に最近のファンには歴史を振り返るキッカケになる大会になればいいと思う。 きっと新日本プロレスの棚橋弘至が口にしている「プロレスは繋がっている」という言葉の意味がわかるはずだ。取材・文 / どら増田写真 / ©︎H.J.T.Production
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スポーツ 2018年10月24日 21時15分
平成最後のプロレスオールスター戦!来年2月にジャイアント馬場追善興行開催!
力道山の弟子としてアントニオ猪木とともにプロレスの発展に尽力した“世界の巨人”ジャイアント馬場さん(享年61)が亡くなってから20年が経つ。特別興行『ジャイアント馬場没20年追善興行〜王者の魂〜』が2019年2月19日、東京・両国国技館で開催されることが発表された。 実行委員会には、坂口征二(新日本プロレス相談役)、天龍源一郎(天龍プロジェクト)、秋山準(全日本プロレス代表)、H.J.T.Productionといった今は亡き馬場さん夫妻とゆかりのあるメンバーが名を連ねた。現在の運営会社は違うものの、馬場さんが設立し旗揚げをした全日本プロレスをはじめ、新日本プロレス、大日本プロレス、プロレスリング・ノア、WRESTLE-1からの参加が決定。参加団体やフリー選手は今後も増えることが予想される。来年は日本武道館で開催された『プロレス夢のオールスター戦』(1979年8月26日)から40年を迎えるが、平成最後のオールスター戦にふさわしい大会になりそうだ。 今年4月に馬場さんを公私にわたって支えてきた元子夫人(元全日本プロレス社長)が亡くなったが、元子さんは姪の緒方理咲子さんに「来年は馬場さんの没後20年よね。馬場さんの没後20年をきっかけに、またみなに馬場さんの存在を見ていただきたい。来年、どうしたらよいかなあ。馬場さんはどうしたら喜んでくれるかなあ。馬場さんにまつわる方々にたくさん来ていただいて何かできたらいいなあ」と亡くなる前日まで話していたという。今年7月に馬場夫妻ゆかりのキャピタル東京で行われた元子さんのお別れ会でその話が話題となり、今大会を開催する運びとなったという。 坂口氏は「51年前、25歳の時に柔道界からプロレスへ転向しまして、そのまま馬場さんと一緒にハワイに行き、プロレス修業をしました。その間、馬場さんには弟のように可愛がってもらいました。一時は袂を分かちましたが、その後も本当に可愛がってもらいました。今、私がノウノウと生きていられるのも馬場さんのおかげと感謝しております」と振り返る。 「先般、元子さんのお別れ会にOBがたくさん集まってくれて、緒方さんから『来年は没後20年だから、それにふさわしいイベントをやりたい』と、話が盛り上がりました。プロレスファンが喜んでもらえるような、そしてプロレスがますます隆盛になるイベントになってほしい」と坂口氏は力を込める。 さらに坂口氏は「プロレス界は山あり谷ありで、きつい時代も随分味わってきました。苦しい時代があって、またいい時代になるというのがプロレス界。そういう中で、このような明るい話題がありますと、プロレスが世間的にも認められ応援してくれる方も多いと思います。ぜひとも大会を成功させていきたいと思います」とコメントした。 坂口氏は新日本の社長就任直後の1990年2月、東京ドーム大会に出場予定だったリック・フレアーが団体の都合でドタキャンしたため、当時は鎖国を貫いていた全日本の社長だった馬場さんに選手の貸し出しを直訴。馬場さんは「お前の社長就任祝いだ」と主力選手を5人も新日本に派遣した。一時的ではあったがその後も新日本と全日本が外国人選手を行き来させるなどしていた。馬場さんが亡くなった際には新日本から坂口氏と藤波辰爾だけが弔問を許された。 馬場さんの弟子である天龍は「20年というのは実感として胸に迫る思いがあります。馬場さんの追善興行を両国国技館で、新日本をはじめ多くの他団体の方が協力してくれるというのもまた、僕たちにとってもプロレス界にとってもうれしい。僕が相撲からプロレスに転向した時、世の中のしきたりとか物事を教わったのも馬場さんであります。陰になっていつも馬場さんを支えておられた元子さん。微力ではありますが力添えできれば幸いと思っております」と改めて馬場夫妻に感謝した。 「今はプロレスがスポットライトを浴びている時。プロレスを継続する力を与えてくださったのが馬場さんだと思っています。若いファンの人、最近プロレスを見るようになった人にもジャイアント馬場という人がいて、今、これだけプロレスが隆盛になっているんだなと思ってもらえるためにも、この大会はいい機会だと思ってます」と天龍は強調。 最後に「馬場さんはアメリカンプロレスに日本のプロレスを織り交ぜた、最初のキッカケを作ってくれた人だと思っています。みなさんの中で回顧していただければ幸いだと思う」と呼びかけた。2015年に引退し、現在はタレントとして活躍している天龍は、1990年に全日本を電撃退団。馬場さんと袂を分かっているが、2000年に選手が大量離脱しピンチに陥った古巣に元子さんの依頼で復帰した過去がある。 また会見では『ジャイアント馬場20thメモリアルイベント〜ジャイアント馬場展』が12月29日から2019年1月7日まで、渋谷東急百貨店本店3階イベントサロンで開催されることも発表された。入場無料。展覧会では馬場さんの愛用品、直筆の油絵、チャンピオンベルトが飾られる。また馬場展開催記念として、スペシャルゲストのトークショーや、福袋、記念品グッズの販売も行われるとのこと。 来年は2月にかけて、平成最後のオールスター戦とともに、“明るく!激しく!楽しい!”プロレスを独占したジャイアント馬場というレスラーが再評価されることになるだろう。取材・文 / どら増田写真 / ©︎H.J.T.Production
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スポーツ 2018年10月24日 18時10分
池江璃花子が背負う名前だけの『日大』の看板
競泳女子の池江璃花子(18)が日本大スポーツ科学部のAO入試に合格した。体育会系のスキャンダルが相次いだことで、日本大学への進学を躊躇していたとされる池江だが、当初の予定通り来年4月から日大の“汚れた看板?”を背負うことになった。 現在の池江は、トルコで約2週間の短期合宿に入っているが、その練習パートナーが凄すぎると話題になっている。「リオ五輪100メートルバタフライ金メダリストのサラ・ショーストロム(25=スウェーデン)です。ショーストロムは50メートルと100メートルの自由形と、100メートルバタフライの世界記録保持者で、“短距離の女王”と呼ばれています。アジアでは圧倒的な強さを誇る池江ですが、彼女に勝たなければ東京五輪での金メダル獲得は不可能とまで言われているんです」(体協詰め記者) 100メートルバタフライは、池江が最も得意とする種目だが、今年8月のパンパシフィック選手権で出したタイムは56秒08。ショーストロムの持つ世界記録とは「0秒60」の差がある。「世界女王との合宿は、池江にとって相手の技術や練習方法を盗む絶好のチャンスです。今回の合宿を企画したのは、新しく専属コーチとなった三木二郎氏の人脈。同氏がイギリスに留学していた時代のネットワークで実現したと聞いています」(同) また、五輪2大会連続金メダリストの北島康介氏を支えた伝説のトレーナーもサポートに付く。北島の偉業を陰で支えた佐々木秀男トレーナーが、池江の遠征や海外での大会に帯同することが決まったのだ。 三木氏と佐々木氏が、「チーム池江」として正式に動き出すのは来年4月以降。こうなると、池江が日大水泳部に顔を出している時間は、ほぼないに等しい。「来年も、短期合宿や海外の大会に参加する予定なので、日大の看板を背負って戦う学生選手権などには関わることがないでしょうね」(チーム関係者) しかし、日大側もこんなことは織り込み済み。スポーツ紙の記者が解説する。「日大からすれば、すっかり地に堕ちたブランドイメージの回復に貢献してくれれば、それだけで御の字なんですよ」 しかし、『池江璃花子』の看板の前には、日大であれ東大であれ、どこの大学であっても世間は関心を示さないのでは…。
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スポーツ 2018年10月24日 17時45分
タレント転向OBまで呼び戻した原監督の本当の狙いは…
原辰徳監督(60)の就任会見が開かれた(10月23日)。退任する高橋由伸・前監督(43)も同席しただけではなく、山口寿一オーナー、司会者は「原監督、高橋監督」と両者をそう呼んでいた。異様な会見ではあったが、報道陣が「ヤバイ」と思ったのは、この日発表されたコーチスタッフのこと。バラエティー番組にも出演していた宮本和知、元木大介の2人も入閣するという。「ヨシノブを支えた大半のコーチは、第二次原政権下の面々です。『原派』と呼ばれていて、そのコーチたちを登用できないとなれば、これまで縁遠かったOBにも声を掛けるしかありません」(ベテラン記者) 盗塁のスペシャリストとして、原政権下で活躍した鈴木尚広氏も入閣するという。コーチ人事での期待は鈴木氏だけになりそうだ。「原監督はGM制がキライで、チームの編成が自分の知らないところで進まないようにしました。一部ではイエスマンでコーチを固めたとも揶揄されていますが…」(前出・同) 何でも自分で決めなければ気が済まないタチ。そういう性格の上司は一般社会にも少なくない。しかし、原監督は独裁者ではない。「原監督が本当に呼びたかったのは、50番トリオですよ」 チーム関係者の一人がそう言う。 50番トリオ。巨人のオールドファンなら分かるだろうが、第一次藤田元司政権下で頭角を現した駒田徳広、吉村禎章(現・一軍打撃総合コーチ)、槙原寛己の3選手のことだ。駒田の背番号が50、吉村が55、槙原が54。50番代の背番号からそう呼ばれ、いずれもチームの中核を担うまでに成長したが、現役晩年は厳しいものだった。「駒田はFA権を行使して他球団に移籍しました。槙原は93年オフにFA宣言しました。チームには残留したものの、当時、水面下で中日監督だった星野仙一氏が動いていたんです。槙原は踏みとどまったものの、中日移籍を前提とした宣言でした」(関係者) 残留後の槙原は”寂しい思い”もさせられた。クローザーに転向したのも、「球団が槙原に200勝をさせないために工作した」なんてウワサもあるくらいで、引退後、一度も巨人コーチの打診がなかったのは”FA残留の遺恨”だという。「原監督は第二次政権で駒田を臨時コーチに呼ぶなどし、巨人帰還のきっかけを作っていました。槙原のことを何度か球団に話したんですが…」(前出・関係者) 今回も槙原の名前が出なかったのは、原監督の力が及ばなかったからだとすれば、バラエティー番組で名を馳せた面々にお声がかかったのも合点が付く。「鈴木氏は原監督が監督就任と同時に見出されました。原監督は一度や二度、失敗が続いても選手を二軍落ちさせるようなことはしない。その反面、反目してしまった選手に対してはあっさりと見切りをつけますが」(プロ野球解説者) 3度目の監督就任で求められるのは、チーム再建。世代交代を進めることが最優先だが、4年以上も優勝から遠ざかっているため、結果を出さなければならない。その一方で次世代のコーチも育成しなければならない。今回、招聘された新コーチはイエスマンで終わらなければいいのだが…。※一部敬称略(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2018年10月24日 17時15分
熱戦続く高校野球秋季大会 既に栄冠に輝いたチームも
来春の選抜大会への切符をかけ、北海道、東北、関東、東京、北信越、東海、近畿、中国、四国、九州の10地区で熱戦が繰り広げられている高校野球秋季地区大会。それぞれの地区によって進行進度には差があるが、各地区の現状は一体どのようなものになっているのだろうか。大会の進度順に、確認の意味も込めて以下に紹介していきたい。 本稿執筆時点(10月23日)で、まだ地区大会が開幕していないのは中国と四国。中国は26日から、そして四国は27日からそれぞれ開幕する予定となっている。なお、中国山口予選を制した高川学園は、部員の不祥事により地区大会を辞退している。 近畿ではここまで龍谷大平安、市立和歌山、履正社、福知山成美、報徳学園、明石商がベスト8に進出。残る2枠は、27日に行われる智弁和歌山対大阪偕星、橿原対大阪桐蔭の結果により決定する。 3回戦までが終了し、ベスト8が決まっているのが東京。岩倉、東海大菅生、日体大荏原、早稲田実、城東、国士舘、東亜学園、国学院久我山といった高校が、ここまで勝ち残りを続けている。 準々決勝を終え、ベスト4が出揃ったのが関東、東海、九州。関東は習志野、桐蔭学園、山梨学院、春日部共栄。東海は津田学園、中京大中京、中京学院大中京、東邦。そして九州は明豊、日章学園、大分、筑陽学園がそれぞれ進出を決めている。なお、関東と九州のベスト4進出校に関しては、例年の出場枠から考えると選抜出場がほぼ“当確”となっている。 北海道、東北、北信越は、既に地区大会全日程が終了。北海道は札幌大谷(初優勝)、東北は八戸学院光星(5年ぶり5度目)、北信越は星稜(24年ぶり8回目)がそれぞれ頂点に立ち、来春の選抜出場を決定的に。また、来月9日から開幕する明治神宮野球大会への出場も決まった。 以上が、各地区における地区大会の現状となっている。既に選抜切符を手中に収めている高校もあるが、まだ試合を残す高校の今後の戦いにも要注目といったところだ。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2018年10月23日 21時15分
ショック!WWEトップスター、ローマン・レインズが白血病再発で王座返上!
世界最大のプロレス団体WWEは日本時間23日、ロードアイランド州プロビデンスで主力ブランドのロウを開催した。オープニングで世界的なスーパースター、ローマン・レインズが神妙な面持ちで登場。衝撃告白をした。 「俺は病気に勝って戻ってくる!」 レインズはマイクを握ると、「謝罪しないといけない。11年間白血病と付き合ってきたが、再発してしまった。王座を返上しないといけない」と告げた。「22歳で宣告されて、仕事もなく、子供ができたり、その時は人生で一番大変な時期だった。でもWWEがチャンスをくれて、みなさんの前に登場することができた。そして、みなさんがリアクションをくれてとても感謝している」とレインズが包み隠さずに病状を説明し、ユニバースへ感謝の気持ちを伝えると、場内から“サンキュー・ローマン”コールが起きた。 最後にレインズは「これは引退のスピーチではない。もう一度白血病をやっつけて俺は戻ってくる。ありがとう。みんな愛してます」とベルトを置いてリングを後にした。ステージでは盟友シールドのセス・ロリンズ、ディーン・アンブローズが現れてレインズとハグすると、涙ながらに3人拳を合わせてシールドポーズで締めくくった。レインズの王座返上により、日本時間の11月3日に開催されるPPV『クラウン・ジュエル』では空位のユニバーサル王座をめぐり、前王者のブロック・レスナーとブラウン・ストローマンが対戦することが決定した。 メインイベントではロリンズ&アンブローズが、王者ドルフ・ジグラー&ドリュー・マッキンタイア組のロウタッグ王座に挑戦。ハイレベルな一進一退の攻防を展開すると、ユニバーサル王座決定戦に出場するストローマンが登場。さらにロリンズの攻撃がレフリーに誤爆すると、ストローマンが因縁のマッキンタイアを襲撃して場外乱闘に発展。するとロリンズは1人で劣勢になったジグラーをカーブストンプで沈めると、アンブローズがレフリーを叩き起こして3カウント。ロリンズ&アンブローズがタイトルを奪取した。 王座奪取に喜ぶ2人だったが、ここで突如アンブローズはロリンズを蹴り上げ、ダーティ・ディーズを見舞う。さらに襲撃を続けるアンブローズは場外のマットを剥がすと、「お前のせいだ」と叫びながら2発目のダーティ・ディーズでロリンズをKO。場内が騒然とする中、アンブローズはシールドの衣装を脱いでその場を後にした。レインズが白血病の治療専念を告白し長期欠場に入ったことで、シールドの使命は終わったのかもしれない。この光景をレインズはどんな思いで見ていたのだろうか? WWEのトップスターによる衝撃告白には驚いたが、レインズにはしっかりと治療に専念してもらい復活を果たしてほしい。しかし、レインズの離脱によりロウはもちろんWWEの勢力図も大きく変わるかもしれない。文 / どら増田写真 / ©2018 WWE, Inc. All Rights Reserved.
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スポーツ 2018年10月23日 18時10分
男子マラソン日本記録で1億円なら海外強豪選手が続々帰化する?
今年2月、東京マラソンで16年ぶりに日本記録を更新した設楽悠太(26=ホンダ)選手が「マラソン日本記録突破褒賞制度」によって受け取った1億円の金額には驚いたが、10月7日、米国で開催された「シカゴマラソン」で、日本の大迫傑選手(27)が、設楽選手の持つ記録を21秒短縮する2時間5分50秒の日本新記録を出して3着に入ったことにより、2人目の報奨金1億円を手にした。西川晃一郎会長も「日本新に期待してきたが、見事に出してくれた」と顔を綻ばせた。 男子マラソンは10年以上記録を更新できず、陸連幹部も焦りを募らせていたが、今年に入って2人も更新者が出るとは思わなかったろう。「報奨金制度はマラソン強化のカンフル剤として創設されました。導入から4年目となった今年2月の東京マラソンで、設楽選手が16年ぶりの日本新を出し、1億円第1号となっていたんです。連合とすれば、嬉しい悲鳴とともに、今後の財源を不安視する声も聞こえてきます」(スポーツ紙記者) 大迫にとっては、2年後に迫った東京五輪での活躍こそが最終目標に違いない。本人も、「オリンピックに出られるとしたら、そこでは記録に意味はない。大事なのは順位」と言い切る。 スポーツジャーナリストの織田淳太郎氏が言う。「大迫は中距離を中心にトレーニングをやっています。米国などで科学的トレーニングを受けている。10キロ走って100メートルダッシュ、それから回復させて、また同じことをやるインターバルトレーニングは非常に効果があると言われています。先端のトレーニングを受けて、いずれ記録を更新するのではないかとみられていた」 とはいえ、織田氏はロス五輪以降のオリンピックでは、選手を札束でひっぱたいてでも記録を出させる商業主義が蔓延してきたと指摘し、こう続ける。「私自身は、そうした商業主義があまり好きではなく、今回の大迫の記録にも、さほど関心が持てなかった」 確かに、鼻先にニンジンをぶら下げて走らせることには賛否両論あるが、選手にとっては一発勝負で記録を塗り替え、1億円を手中にできれば、それで第二の人生が切り開けるのも事実。「最近は駅伝がブームだが、学生時代に燃え尽きてしまう選手も少なくない。これからの選手は、実業団も力を入れている駅伝で十分にトレーニングを積んでマラソンに転向し、一攫千金の億万長者を目指してもらいたいんですが…」(前出・記者) あとは、報奨金をどこから引っ張ってくるかだ。財源は、陸上競技連合が拠出した1億5,000万円と、およそ30社の企業から集められた2億円以上の協賛金、あわせておよそ3億5,000万円。2月の東京マラソンで、設楽悠太選手が16年ぶりに日本記録を更新。この時は設楽選手に加え、所属先の実業団と、あわせて1億5千万円が贈られた。今回、大迫選手が日本記録を更新したことで、これまでの報奨金の合計額は、2億5千万円に達した。財源から、さらに運営費なども差し引くと、報奨金を獲得できるチャンスは、残り1回だという。 しかし、日本記録で1億円出すというなら、強豪ひしめくアフリカの選手たちが続々と帰化しやしないか?
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