9月から始まった10年南アW杯アジア最終予選。A組の日本はホームだった2試合目のウズベキスタン戦で引き分け、カタールに勝ち点4で並ばれた。この不完全燃焼の一戦が引き金になり、去就問題が再燃。犬飼会長は「最終予選中の監督交代はしない」と発言したが、カタールに負けるようならどうなるか分からない状況に陥っていた。
大一番の前日会見。カタール人記者から「試合に負けたら辞めるのか」とダイレクトに質問された指揮官は顔を引きつらせた。回答だけは「今、初めて聞きました」と冗談交じりだったが、表情はうつろで余裕は全くなし。逃げるように会見場を後にした。18日夜の公式練習も、カタール人の試合関係者はグランド内に入っているのに、報道陣だけは締め出す用意周到ぶり。ピリピリ感は最高潮に達した。
まさに背水の陣の岡田監督がまず取った策は「気合作戦」だった。試合前のミーティングで選手を前に「大和魂を見せよう」と熱のこもったスピーチを展開したのだ。「きょうは物すごい気合が入っていた」と松井大輔も証言する。中村俊輔が左ひざ負傷を押して90分間フルに走り回ったのも、指揮官が危機感を前面に押し出した影響かもしれない。
人とボールの動くサッカーを実践するため、速さと運動量を兼ね備えた玉田圭司、田中達也、大久保嘉人の3人を前線に配したことも大きかった。とりわけ、どん欲なまでに相手を追いかける田中達也の抜てきは、ウズベキスタン戦の沈滞ムードを払しょくするのに十分すぎる効果があった。
このメンタル、戦術両面のテコ入れが功を奏し、日本代表は開始15分を過ぎると相手を圧倒。多彩な攻めから効率よく3点を奪った。長谷部誠が「きょうは本当に素晴らしいゲーム。自分たちのやろうとしていることをやっているのは変わらない。その上で点を取れたのがパーフェクト」と胸を張るような快勝に、能面のように凝り固まっていた岡田監督の表情も穏やかさを取り戻した。
加茂周元監督の解任を受けた1997年10月、コーチからいきなり代表監督に昇格した時も、絶体絶命のがけっぷちに立たされながらジョホールバルで歓喜の瞬間を迎えた。2000年の札幌監督時代にはエメルソンら才能ある選手に恵まれJ1昇格を手中にし、横浜時代の03年も最終節にライバルが脱落。J1年間完全制覇を果たした。指揮官・岡田武史は本当に土壇場では強い。その神髄をカタール戦で見せつけ、自らの解任危機を完全に封じこめた。
これで最終予選は岡田体制で行くことが確実になった。ならば、最後までその強運を示し続け、南ア切符を勝ち取るしかない。