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タレント転向OBまで呼び戻した原監督の本当の狙いは…

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原辰徳

 原辰徳監督(60)の就任会見が開かれた(10月23日)。退任する高橋由伸・前監督(43)も同席しただけではなく、山口寿一オーナー、司会者は「原監督、高橋監督」と両者をそう呼んでいた。異様な会見ではあったが、報道陣が「ヤバイ」と思ったのは、この日発表されたコーチスタッフのこと。バラエティー番組にも出演していた宮本和知、元木大介の2人も入閣するという。
「ヨシノブを支えた大半のコーチは、第二次原政権下の面々です。『原派』と呼ばれていて、そのコーチたちを登用できないとなれば、これまで縁遠かったOBにも声を掛けるしかありません」(ベテラン記者)

 盗塁のスペシャリストとして、原政権下で活躍した鈴木尚広氏も入閣するという。コーチ人事での期待は鈴木氏だけになりそうだ。
「原監督はGM制がキライで、チームの編成が自分の知らないところで進まないようにしました。一部ではイエスマンでコーチを固めたとも揶揄されていますが…」(前出・同)
 何でも自分で決めなければ気が済まないタチ。そういう性格の上司は一般社会にも少なくない。しかし、原監督は独裁者ではない。
「原監督が本当に呼びたかったのは、50番トリオですよ」
 チーム関係者の一人がそう言う。
 50番トリオ。巨人のオールドファンなら分かるだろうが、第一次藤田元司政権下で頭角を現した駒田徳広、吉村禎章(現・一軍打撃総合コーチ)、槙原寛己の3選手のことだ。駒田の背番号が50、吉村が55、槙原が54。50番代の背番号からそう呼ばれ、いずれもチームの中核を担うまでに成長したが、現役晩年は厳しいものだった。

「駒田はFA権を行使して他球団に移籍しました。槙原は93年オフにFA宣言しました。チームには残留したものの、当時、水面下で中日監督だった星野仙一氏が動いていたんです。槙原は踏みとどまったものの、中日移籍を前提とした宣言でした」(関係者)
 残留後の槙原は”寂しい思い”もさせられた。クローザーに転向したのも、「球団が槙原に200勝をさせないために工作した」なんてウワサもあるくらいで、引退後、一度も巨人コーチの打診がなかったのは”FA残留の遺恨”だという。
「原監督は第二次政権で駒田を臨時コーチに呼ぶなどし、巨人帰還のきっかけを作っていました。槙原のことを何度か球団に話したんですが…」(前出・関係者)
 今回も槙原の名前が出なかったのは、原監督の力が及ばなかったからだとすれば、バラエティー番組で名を馳せた面々にお声がかかったのも合点が付く。
「鈴木氏は原監督が監督就任と同時に見出されました。原監督は一度や二度、失敗が続いても選手を二軍落ちさせるようなことはしない。その反面、反目してしまった選手に対してはあっさりと見切りをつけますが」(プロ野球解説者)

 3度目の監督就任で求められるのは、チーム再建。世代交代を進めることが最優先だが、4年以上も優勝から遠ざかっているため、結果を出さなければならない。その一方で次世代のコーチも育成しなければならない。今回、招聘された新コーチはイエスマンで終わらなければいいのだが…。※一部敬称略(スポーツライター・飯山満)

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