スポーツ
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スポーツ 2009年11月04日 15時00分
「時代」を彩った男と女・あの人は今 元ヤクルト投手・松岡弘さん
2009年5月、来年からスタートするクラブチーム「三重スリーアローズ」の監督にかつてのヤクルト投手・松岡弘が就任することが発表された。 松岡は、1947年7月26日、岡山県倉敷市出身。倉敷商業高から社会人野球の三菱重工水島に在籍して活躍、「倉敷に松岡あり」とまで言われ全国的に評判となった。 67年のドラフト会議でサンケイ(現・ヤクルト)から5位に指名され入団。70年代と80年代前半のサンケイ、ヤクルトの投手陣を支えてきた。 入団2年目の69年よりローテーション投手に定着。71年にはプロ入り初の2ケタ(14勝)勝利を挙げた。そして73年の21勝は現役最多勝利となった。 現役時代はサンケイとヤクルトで18年間主力をつとめた。78年、球団史上初のリーグ優勝、阪急との日本シリーズでは勝ち試合の4試合全部に登板、日本一に大きく貢献しその年の沢村賞も受賞した。80年、防御率2・35で最優秀防御率のタイトルを獲得。85年に「現役を引退して広い視野で野球を見つめていきたい」とユニホームを脱いだ。 あと10勝で200勝・名球会入り目前という83年に首を痛めて、2年間で1勝しかできず通算191勝で名球会入りには届かなかった。13年連続でシーズン9勝以上を挙げたのが「ひとつの勲章」であった。 引退後、86年から89年までヤクルトのコーチを務めた。その後の90年から99年までテレビやラジオの解説。そしてかつての同僚だった若松勉がヤクルトの監督になり、その時、2軍投手コーチ(03年から05年)に就任した。 06年、東京・あきる野市のクラブチーム・西多摩倶楽部の監督を引き受け「クラブチームから1人でも多くの選手をプロ球団に送り込みたい」そして、来年から再びクラブチームの監督となる。いま、松岡の夢はそこにある。◎岡山出身のライバル“カミソリ”平松投手は 松岡弘の現役時代、打倒巨人をともに目指した同じ岡山県出身の投手に星野仙一(中日)、平松政次(太洋=現・横浜)がいた。星野、松岡、平松の3人は「巨人に勝つこと」でマウンドに立った投手であった。 その3人の中のひとり、平松は65年の春のセンバツで優勝、同年のドラフトで中日に4位指名されたが、それを拒否して社会人野球の日本石油に入社した。翌66年のドラフトで当時の太洋ホエールズ(現・横浜)から2位指名を受け入団。しかし、入団後の1、2年はチャンスに恵まれなかった。 そんな時、1軍が雨天で練習をしていた際、当時の強打者・近藤和彦から冷やかしで投手を命じられ、初めてシュートを投げた。それが打者の胸元に食い込んだのに驚き、それを投手コーチに報告したことで平松にチャンスが巡ってきた。「カミソリシュート」といわれた平松の武器はこうして生まれた。 だが、その一方で平松はケガが多く、別名「ガラスのエース」とも言われた。現在は解説者として活動している。
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スポーツ 2009年11月02日 15時00分
石川遼 竹村真琴と真剣交際へ
男子ゴルフのヒーロー石川遼(18)=パナソニック=が賞金王奪回へ差を445万円に詰めた。マイナビABC選手権の最終日に最終ホールでイーグルを奪うなど結果は6位でも、その存在感を示した。そんな中、遼君の周辺で最近ガールフレンドの存在が見え隠れしてきた。しかしながら18歳の遼君にとっては“女の存在”などどうでもいい話ではあるが、やはりスーパーヒーロー。遼君は天下の人気者だけに身辺は気になるところである。石川遼「愛の青春グラフティー」とは。 「マイナビABC選手権」では最終日まで、優勝争いに絡むも、6位に終わった石川遼。今季絶好調で賞金王も首位の池田勇太との差を445万円に詰め依然射程内にとらえている。ゴルフとは一転、女性関係は18歳の「青春小僧」らしくなく、全くおとなしい。 そんな中、「マイナビABC選手権」の初日だった10月29日、19歳の「グラビア系女子プロ」竹村真琴が、石川の応援に登場。“熱視線”を送ったものだから、周囲は「スワッ、遼君の恋人へ発展か」と色めきたった。 もっとも、この日の竹村の登場は「石川と竹村のトレーナーが一緒で、(竹村が)一度、生で石川のプレーを見てみたい、という理由。大した話ではない」と、スポーツ紙記者。スキャンダルに発展する話ではない、というわけだ。 だが、ゴルフ誌の記者は180度、違う見方をする。竹村と石川は、間違いなく“恋人同士”に発展する、と断言するのだ。 「石川はジュニア時代から竹村と知り合いで、ゴルフというよりも、プライベートでの付き合いがメーンなのです。事実、竹村は石川のプレーを初めて見た。石川にとって“ゴルフ一筋”の青春期において、数少ない本音で話せる異性であることは間違いないのです。石川はゴルフと違ってオンナへの“免疫”がないため、以前から面識のある竹村と交際する可能性は高いでしょう」 確かに、石川のオンナ関係を探してみると、相手(オンナ)が一方的に熱を上げているケースが多い。現在、通学している「杉並学院」の生徒たちも石川とは“壁”があるようで、交流はゼロ。石川もクラスやクラブ単位での会合などには一切、参加していないようだ。 その一方で、ストーカーよろしく追っかけオバちゃんや“ミーハー”な芸能人は石川に異常接近を敢行。遼君GETを本気で画策しているようだが、石川は「部外者」には、あまり関心を持っていないようで…。 「タレントだと、上戸彩が熱狂的な遼君ファンの第一人者。野菜ソムリエで元・グラドルの赤松寛子は、遼君に猛烈なファンレターを送りつけるなど、追っかけのオバちゃん化しています。同じく野菜ソムリエの王理恵も“本田医師との婚約を破棄したのは石川の存在が大きかったため”という“都市伝説”が業界に流れています」(女性週刊誌デスク) まあ、石川と同年代でゴルフを趣味でプレーするオンナは芸能人かよほどのセレブ。石川のような「純粋無垢(むく)な青年」は、ビビってしまう魔女ばかり。そんな得体の知れない生物をハニカミ王子がチョイスするとは少々、思えない…。が、たまにチョイスしちゃうから人間というのは不思議な生き物。で、ゴルフの成績が伸び悩み…お決まりのコースで人生転落…という事にならないでもらいたい。
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スポーツ 2009年11月02日 15時00分
覆面に魅入られた男 異色レスラーのミステル・カカオ
プロレスを彩る存在として、日本マット界には数多くの覆面レスラーがいる。だが、今回取り上げるミステル・カカオは、他に類を見ない存在だ。現在43歳。アラフォーのマスクマンにして、マスク職人である。対戦相手だけでなくミシンと格闘する男の正体に迫る! ミステル・カカオがプロレスに関心を持つようになったのは、祖父の影響が大きい。祖父は大のプロレス好きで、欠かさずテレビ中継を見ていたそうだ。当時はまだテレビが白黒の時代。2歳だったカカオは「フレッド・ブラッシー、ボボ・ブラジルらの試合が記憶に残っている」という。 ただし、興味の対象はレスラーではなかった。カカオが魅せられたのはビルドアップされた肉体、覆面やコスチュームで、「特にお気に入りはザ・デストロイヤーのマスク」であった。小学生になると、ブルース・リーやミル・マスカラスの肉体を見るにつけ「どうしたら、あんな体になるのか」と体を鍛え始める。 プロレスにのめり込み出したのは、スタン・ハンセンの全日本プロレス乱入(1981年12月)を見てからで「ブロディ、スヌーカーと一緒に現れた時は鳥肌が立った」という。その後は地元の京都はもちろん、大阪で試合があれば、会場に足しげく通うようになる。 転機は大学受験のさなかに訪れた。全日本が練習生を募集している記事を目にすると、迷うことなく履歴書を送付。カカオは「プロレスラーは選らばれた人間たちの世界。まず受からないと思っていた」が、大学合格後に全日本から連絡があり、ジャイアント馬場との面談が実現。「すぐ道場に入るように言われたんですが、あまりに急な展開だったので、全日本が巡業で大阪に来た時に合流しました」。だが、両親はプロレス入りに大反対で、入門時に必要とされた親の承諾書は自分で作製し、大学に籍を置いたまま全日本の一員となった。カカオが入門した時(1984年)の全日本の若手メンバーは、先輩には川田利明がおり、数カ月後に小川良成が入門。新日本の闘魂三銃士とは入門時期が重なっている。 しかし、承諾書の一件で両親はよりかたくなになりデビューの日時が決まっていたものの、京都に戻らざるをえない状況に。「会社には状況を話したんですが、道場は夜逃げのような形で出てしまった」。そして大学に通い始めると、「体をつくって、プロレスに戻れれば」と思い、ボディービルに熱中。数々のタイトルを獲得し、ミスター日本に出場を果たした。大学卒業後は京都でインストラクターをこなしながら、ボディービルダーの衣類やサプリメントを取り扱うお店にも勤め出した。 マスクを制作するキッカケは、その直後に訪れた。知人から初代タイガーマスクの覆面を手掛ける東京のマスク職人を紹介され、勤め先で初代タイガーのマスク販売を行うようになる。そして、その人のすすめでカカオもマスク作りを始めることになるわけだが、それまで縫い物の経験はなく、東京の工房に出向いて見よう見まねで作り方を修得。1992年にスペル・デルフィンから依頼を受けて制作したマスク&コスチュームが初仕事となった。 その後、カカオはさまざまな選手のマスクとコスチュームを手掛ける一方で、京都でプロモーター業も始め、みちのくプロレスやIWAジャパンの興行を開催。1997年に「ルチャリブレを直輸入したい」とCMLLジャパンを旗揚げすると、2000年7月に同リングで念願のプロレスデビューを果たした。 当時34歳。遅咲きのデビューである。本人は決断を下すのに相当悩んだという。 「歳が歳なだけに、プロレスをなめていると思われるんじゃないかという不安があって躊躇(ちゅうちょ)しました。でも、ある人の『今しかないよ』という言葉が背中を押してくれた」 そして2006年5月には東京都新宿区に覆面屋工房をオープン。現在は覆面マニアという自主興行を開きながら、他団体にも参戦している。「レスラーとしてはまだまだ。体が動く限りリングに上がり続けたいです」というカカオは、今後もレスラーとマスク職人を両立させていくつもりだ。◎覆面屋工房 覆面屋工房は、プロレスラー向けのコスチューム&マスクを手掛ける一方で、一般の人からの発注も受け付けており、オーダーメイドの覆面の制作も行っている。「最近はテレビ、CM、映画からオファーが多いですね。あとはイベント用とプレゼント用の注文もあります。プレゼント用の場合は、記念日に贈るので、マスクに日付を入れるデザインの注文が多いですね」(カカオ)。なお、店内にはマスクはもちろん、さまざまなオリジナル・グッズも発売されている。
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スポーツ 2009年11月02日 15時00分
新日本 観戦IGF勢に罵声
IGF勢が“アポなし来場”。新日ファンから吊るし上げを食らった。この日の新日プロ後楽園大会にはIGFファイターのジョシュ・バーネット、モンターニャ・シウバ、エリック・ハマーら選手と新日本の前社長サイモン猪木氏、宇田川強エグゼクティブ・ディレクターのフロント陣が7000円の席を購入してお忍びで観戦。だが、休憩時間には新日ファンから取り囲まれ「猪木は来ねーのか!」「何しに来たんだ。小川を連れて来いよ」「猪木がダメならサイモンがリングに上がれ!」などとば声を浴びせられていた。 なお、観戦したバーネットは青義軍の永田裕志を礼賛。「まだまだ(現IWGPヘビー級王者)中邑は若いヤングガイだけど、やっぱりナガタさんはナイスガイだ」と最高の賛辞をおくっていた。
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スポーツ 2009年11月02日 15時00分
新日本 飯塚テロ行為!! 新日社長、真壁が襲われる
あってはならない事態だ。新日本プロレス1日の東京・後楽園ホール大会後に、社長車が襲撃される事件が発生した。同社の菅林直樹社長がG1覇者の真壁刀義を連れてスポンサーの接待に向かおうとしたところ、テロの標的に。後楽園ホールの駐車場が惨状と化した。 試合後の後楽園ホールの駐車場に、選手の出待ちをしていたファンの悲鳴が響いた。選手やフロント幹部が車で会場を後にする帰り際のいつもの光景。この日は菅林社長が真壁を接待に連れて行くため、共に会場を後にしようとしたが、そのとき信じられない襲撃事件が起こった。 去り際に報道陣に対し「11・8の両国大会? 飯塚とチェーンデスマッチやってもいいぞ」と言い残して社長車の後部座席に乗り込んだ真壁を、駐車場に潜んでいた飯塚がいきなり強襲。金属バットで後部座席の窓を割り、真壁を強引に外に引きずり出して暴行したのだ。常軌を逸した駐車場テロ。 一瞬にして辺り一帯が散乱したガラスと真壁の鮮血で染まる異様な光景となった。 被害者は真壁だけはなかった。愛車BMWの窓ガラスを割られた菅林社長もガラス片で右目を負傷する始末。リング外の許されざる無法行為に、痛めた目を押さえながら「こんな事はありえない。こうした問題にはき然として対応する」とだけ言い残し、医務室に直行した。 過去に新日プロでは、リング上で長州顔面襲撃事件、リング外でも猪木の新宿伊勢丹前襲撃など、さまざまな襲撃があったが、社長車が襲われるのは前代未聞。果たして今回の一件に新日プロはこの先どう対応するのだろうか。
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スポーツ 2009年11月02日 15時00分
新日本 G1タッグリーグ戦 バーナード組優勝
G1タッグリーグは、ジャイアント・バーナード&カール・アンダーソンが田口隆祐&プリンス・デヴィット(アポロ55)を破り初優勝した。11・8両国国技館大会でチーム3D(ブラザーレイ&ディボーン)に挑戦することが決定。さらに全勝優勝を成し遂げた王者には“ビックボーナス”が発表された。 この日、中西学&大森隆男を下し、決勝進出を決めたバーナード組。決勝では、中邑真輔&矢野通を退けたアポロ55を“伝家の宝刀”マジックキラーで粉砕した。 試合後、バーナードは「相撲アリーナで今度こそIWGPのベルトをチーム3Dから取り戻す」と奪還を宣言。この日発表されるチーム3Dと両国でのタイトルマッチが決定した。 また、予選リーグから勝ち点をひとつもおとすことなく、完全優勝したバーナードには来年日本で公開予定の「マザコング」で主演を務めることが発表された。
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スポーツ 2009年11月02日 15時00分
三田涙のお別れ ラスカチョ伝説に幕
三田英津子がNEOの11・1後楽園ホール大会で現役生活にピリオドを打った。 栄光の名タッグチームラスカチョのファイナルとして行われた三田の引退試合は、女子の大会では久しぶりに後楽園を全面開放。立すいの余地のない超満員の観衆で埋め尽くされた。 三田はまずシングルのラストマッチで愛弟子の真琴を圧倒的なパワーで翻弄。真琴の野望を粉砕し、元祖デスバレー・ボムを炸裂させ完勝した。 そして正真正銘の引退試合は盟友、下田美馬とのラスカチョで出陣し井上京子&高橋奈苗の実力者コンビと最後の大勝負。下田のイスが高橋の頭を直撃し出血。場外でもラスカチョは大暴れし、京子にも合体のデスバレーを敢行。だが終盤に京子がラリアットで2人を吹き飛ばし、滞空時間の長いナイアガラ・ドライバーで三田をフォールし闘いに終止符が打たれた。 引退セレモニーでは師である北斗晶も駆けつけるサプライズもあったが、三田は「今、こうしてリングに立って最後を迎えること、三田英津子は本当に幸せです」とファンに挨拶。22年間の現役生活に別れを告げ、ラスカチョは永遠の伝説となった。
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スポーツ 2009年11月02日 15時00分
20周年記念興行 GAMI ガッツファイト
GAMIが1日、新宿FACEで開催した自身の20周年記念大会は、女子プロのオールスター級のイベントになった。 団体の枠を越えて、アジャ・コングや尾崎魔弓らのベテラン勢、トップクラス、若手が集結。主役のGAMIは実に4試合に出場。一つずつカラーを変え、かつて自分が所属していた団体のメンバーたちと対戦。メーンイベントにはジャパン女子の同期が集い、OGの福岡晶、紅夜又、斉藤澄子が一夜限りの復帰を果たしたが、全試合を終えた時点で勝ち星のないGAMIは、超満員札止めとなった客席から「大人げない」という声が飛ぶが、自分が勝つまでメーンを延長。 それでもなんとかボリショイを下すと安堵の表情を見せた。GAMIは試合後、「疲れた」とポツリ。それでも本人の現在、過去、未来が詰まった20周年記念大会は、出場した選手たちが「楽しかった」と笑顔を見せる、温かみに満ちたものであった。
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スポーツ 2009年11月02日 15時00分
吉田秀彦 石井戦に秘策
大みそかに行われる格闘技イベント「SRC」(東京・有明コロシアム)で石井慧と対戦する“柔道王”吉田秀彦が1日、囲み取材に応じ、大みそかの石井との世紀の一戦に向けて6パックボディーに肉体改造することを表明した。 初のキックボクシングジムへの出げいこを予定している吉田は「打撃も力つけたいし、実戦練習もしないとスタミナもつかないし。ケガしない限りは(やりたい)」とやる気マンマン。 さらに、石井が肉体改造に取り組んでいることもあり「石井に負けない体をつくる。どの辺がじゃないです。全体です」と対抗心むき出し。腹筋を6分割したバキバキボディーに仕上げるという。 この日は、都内で行われた「第3回VIVA JUDO!杯」小学生団体柔道大会を視察。大みそかに向けて気持ちを新たにしていた。
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スポーツ 2009年11月02日 15時00分
「時代」を彩った男と女・あの人は今番外編 元騎手・田原成貴
騎手時代も調教師時代もお騒がせ屋として有名だった田原成貴。調教師になった後の2001年10月に羽田空港で銃刀法違反の容疑で逮捕、その時、覚せい剤所持も発覚して再逮捕され、調教師免許をはく奪された。その後は、騎手や調教師の経験を生かして漫画の原作を書いたり有料制の競馬予想のホームページを運営したりしていた。だが、今年10月22日、再び覚せい剤取締法と大麻取締法の違反容疑で逮捕されていた。 田原が騎手時代に制したGIレースは有馬記念、天皇賞・秋、桜花賞、オークス、菊花賞などと、通算成績は8648戦1112勝を挙げ、そのうちJRAの重賞は65勝を挙げた。 調教師になって厩舎を開業してからも「黒の軍団チーム田原」という愛称をつけ、スタッフなどにそろいのジャンパーなどをユニホームにして存在感をもたせた。 トラブルは騎手時代からしばしば起こっていた。1982年3月の中山で開催されたスプリングSで田原が騎乗したサルノキングの騎乗法に八百長疑惑がかけられた。また、87年には2冠に輝いたマックスビューティが翌年スランプに陥り、その責任を田原に取らせる形で騎乗降板になった。この後、田原は管理していた伊藤雄二厩舎と絶縁、そこの競走馬には引退まで一切騎乗しなかった。 さらに92年、田原が騎乗していたサンエイサンキューの体調に関する発言でサンケイスポーツとの間にトラブルが起こり、同紙の記者が解雇される事件にまで発展した。また競馬場の検量室で田原が振った鞭が記者の顔面に当たり重傷を負わせるなどのトラブルメーカーであった。 そのトラブルは調教師になり厩舎を開業しても起こった。とくに有名だったのが、馬主・関口房朗氏の所有馬・フサイチゼノンの調教をめぐっての対立であった。今回の田原逮捕でこんなトラブルを起こしていたことが思い出された。◎田原と対立した関口氏は凄腕の馬主 田原成貴が開業した厩舎でも馬主とのトラブルは起こった。とくに00年の皐月賞に向けてフサイチゼノンを調教している時、馬主である関口房朗氏と対立、関口氏所有の馬を森秀行厩舎に転厩させられたのは有名な話。その関口氏が競走馬の世界に入ったのは、技術系派遣会社メイテックの社長時代、社員の「実家の競走馬を買ってください」というひと言がきっかけになったという。 馬主資格を取得した関口氏は「房朗が一番」というイメージの「フサイチ」の冠名の競走馬を数多く所有。96年の日本ダービーでフサイチコンコルドが勝利すると、00年にはフサイチペガサスが米国のケンタッキーダービーで勝利し、日米のダービー馬オーナーになった。 また高額な馬を買うことでも有名で、これまでに4億9000万円、9億円、3億7400万円といった価格の競走馬を購入。ただ、それらは成績を残せずに種牡馬などになっている。最近では馬主としての活動を縮小しているが、まだ2歳馬などに関口氏名義の馬がいる。
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