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「時代」を彩った男と女・あの人は今番外編 元騎手・田原成貴

 騎手時代も調教師時代もお騒がせ屋として有名だった田原成貴。調教師になった後の2001年10月に羽田空港で銃刀法違反の容疑で逮捕、その時、覚せい剤所持も発覚して再逮捕され、調教師免許をはく奪された。その後は、騎手や調教師の経験を生かして漫画の原作を書いたり有料制の競馬予想のホームページを運営したりしていた。だが、今年10月22日、再び覚せい剤取締法と大麻取締法の違反容疑で逮捕されていた。

 田原が騎手時代に制したGIレースは有馬記念、天皇賞・秋、桜花賞、オークス、菊花賞などと、通算成績は8648戦1112勝を挙げ、そのうちJRAの重賞は65勝を挙げた。
 調教師になって厩舎を開業してからも「黒の軍団チーム田原」という愛称をつけ、スタッフなどにそろいのジャンパーなどをユニホームにして存在感をもたせた。
 トラブルは騎手時代からしばしば起こっていた。1982年3月の中山で開催されたスプリングSで田原が騎乗したサルノキングの騎乗法に八百長疑惑がかけられた。また、87年には2冠に輝いたマックスビューティが翌年スランプに陥り、その責任を田原に取らせる形で騎乗降板になった。この後、田原は管理していた伊藤雄二厩舎と絶縁、そこの競走馬には引退まで一切騎乗しなかった。

 さらに92年、田原が騎乗していたサンエイサンキューの体調に関する発言でサンケイスポーツとの間にトラブルが起こり、同紙の記者が解雇される事件にまで発展した。また競馬場の検量室で田原が振った鞭が記者の顔面に当たり重傷を負わせるなどのトラブルメーカーであった。
 そのトラブルは調教師になり厩舎を開業しても起こった。とくに有名だったのが、馬主・関口房朗氏の所有馬・フサイチゼノンの調教をめぐっての対立であった。今回の田原逮捕でこんなトラブルを起こしていたことが思い出された。

◎田原と対立した関口氏は凄腕の馬主
 田原成貴が開業した厩舎でも馬主とのトラブルは起こった。とくに00年の皐月賞に向けてフサイチゼノンを調教している時、馬主である関口房朗氏と対立、関口氏所有の馬を森秀行厩舎に転厩させられたのは有名な話。その関口氏が競走馬の世界に入ったのは、技術系派遣会社メイテックの社長時代、社員の「実家の競走馬を買ってください」というひと言がきっかけになったという。
 馬主資格を取得した関口氏は「房朗が一番」というイメージの「フサイチ」の冠名の競走馬を数多く所有。96年の日本ダービーでフサイチコンコルドが勝利すると、00年にはフサイチペガサスが米国のケンタッキーダービーで勝利し、日米のダービー馬オーナーになった。
 また高額な馬を買うことでも有名で、これまでに4億9000万円、9億円、3億7400万円といった価格の競走馬を購入。ただ、それらは成績を残せずに種牡馬などになっている。最近では馬主としての活動を縮小しているが、まだ2歳馬などに関口氏名義の馬がいる。

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