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「時代」を彩った男と女・あの人は今 元ヤクルト投手・松岡弘さん

 2009年5月、来年からスタートするクラブチーム「三重スリーアローズ」の監督にかつてのヤクルト投手・松岡弘が就任することが発表された。

 松岡は、1947年7月26日、岡山県倉敷市出身。倉敷商業高から社会人野球の三菱重工水島に在籍して活躍、「倉敷に松岡あり」とまで言われ全国的に評判となった。
 67年のドラフト会議でサンケイ(現・ヤクルト)から5位に指名され入団。70年代と80年代前半のサンケイ、ヤクルトの投手陣を支えてきた。
 入団2年目の69年よりローテーション投手に定着。71年にはプロ入り初の2ケタ(14勝)勝利を挙げた。そして73年の21勝は現役最多勝利となった。
 現役時代はサンケイとヤクルトで18年間主力をつとめた。78年、球団史上初のリーグ優勝、阪急との日本シリーズでは勝ち試合の4試合全部に登板、日本一に大きく貢献しその年の沢村賞も受賞した。80年、防御率2・35で最優秀防御率のタイトルを獲得。85年に「現役を引退して広い視野で野球を見つめていきたい」とユニホームを脱いだ。
 あと10勝で200勝・名球会入り目前という83年に首を痛めて、2年間で1勝しかできず通算191勝で名球会入りには届かなかった。13年連続でシーズン9勝以上を挙げたのが「ひとつの勲章」であった。

 引退後、86年から89年までヤクルトのコーチを務めた。その後の90年から99年までテレビやラジオの解説。そしてかつての同僚だった若松勉がヤクルトの監督になり、その時、2軍投手コーチ(03年から05年)に就任した。
 06年、東京・あきる野市のクラブチーム・西多摩倶楽部の監督を引き受け「クラブチームから1人でも多くの選手をプロ球団に送り込みたい」そして、来年から再びクラブチームの監督となる。いま、松岡の夢はそこにある。

◎岡山出身のライバル“カミソリ”平松投手は
 松岡弘の現役時代、打倒巨人をともに目指した同じ岡山県出身の投手に星野仙一(中日)、平松政次(太洋=現・横浜)がいた。星野、松岡、平松の3人は「巨人に勝つこと」でマウンドに立った投手であった。
 その3人の中のひとり、平松は65年の春のセンバツで優勝、同年のドラフトで中日に4位指名されたが、それを拒否して社会人野球の日本石油に入社した。翌66年のドラフトで当時の太洋ホエールズ(現・横浜)から2位指名を受け入団。しかし、入団後の1、2年はチャンスに恵まれなかった。
 そんな時、1軍が雨天で練習をしていた際、当時の強打者・近藤和彦から冷やかしで投手を命じられ、初めてシュートを投げた。それが打者の胸元に食い込んだのに驚き、それを投手コーチに報告したことで平松にチャンスが巡ってきた。「カミソリシュート」といわれた平松の武器はこうして生まれた。
 だが、その一方で平松はケガが多く、別名「ガラスのエース」とも言われた。現在は解説者として活動している。

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