スポーツ
-
スポーツ 2010年08月09日 13時00分
8/7阪神VS中日戦で見た残念な光景
2010年8月7日にナゴヤドームでおこなわれた阪神VS中日戦。 山本昌の復活劇で4-1のスコアで中日が勝利した。打たせて取る見事なピッチングで、阪神打線を手玉に取っていた。 選手が必死で頑張っているにも関わらず、ドーム付近や、阪神ファンが陣取るレフトスタンド側で、一部の人間による残念な光景が見られた。 最寄駅からナゴヤドームへと向かう連絡通路の中、堂々とチケットを転売するダフ屋行為をおこなう者が4〜5名ほどいた。お盆休みや学生の夏休みという時期で、一般のチケットが完売してるため、泣く泣く観戦できなかったファンもいるだろう。転売目的の不届き者のため、チケットが無駄になる状況を改善すべきだが、警察の動きは鈍いように思える。数百メートル離れたドーム入口付近で警備をしている複数の警察官がいたのだが、ダフ屋は野放し状態である。 野球に限らず、アーティストの音楽イベントでも名古屋エリアは野放し状態なのを改善する時期に来ているのではないだろうか。 もう一点、気になったのは、一部の阪神ファンによる迷惑行為だ。 ある人は必要以上にスタンド内を動き回り、何度も飲み物をこぼし、ドーム内スタッフに迷惑をかけるばかりか、飲み物がかかった人へ向けての謝罪も一切なかった。阪神が守備につく時には、試合を見ないで記念撮影をおこない、中日ドラゴンズの選手へ向けて、心ないヤジを飛ばしていた。周囲には家族連れで観戦しているファンもいるので、ヤジの内容や振る舞いには、もっと気を配ってもらいたい。盛り上がっているのは身内だけで、明らかに周囲のファンは困惑の表情を浮かべていた。 心ないヤジを飛ばす人がいるために、大多数の阪神ファンまでガラが悪く見られてしまうことをきっと分かっていないのだろう。試合が終了した後は、率先してゴミ拾いに走る良識のあるファンや、多数の阪神ファンの純粋な気持ちを壊してはいけない。誰もが安心して観戦できる環境は球団や球場が作るのではなく、ファンの良識のある行動とコトバから始まる。
-
スポーツ 2010年08月07日 14時30分
球界地獄耳・関本四十四の巨人軍、ダッグアウト秘話(25) 「花は霧島、タバコは国分」
誰からも「クロちゃん」の愛称で呼ばれる黒江さん(透修氏)は、ゴムまりみたいに打って走って、V9ナインの中では異色のファイターだった。本塁突入でも捕手に体でぶつかっていくファイトあふれるプレーで突貫小僧、豆タンクなどとも言われた。160センチ台の小柄な体で栄えあるV9ナインに名を連ねられたのは、そういった人に負けないむき出しの闘志があったからこそ。 こういうエピソードを本人から聞いたことがある。黒江さんが二軍から上がってきて、遠征先の宿舎で麻雀をやっていたら、途中なのにエースのジョー、城之内さん(邦雄氏)から「オイ、代われ。二軍のペイペイが」と言われたというんだ。その時に悔しさを噛みしめ、「絶対にレギュラーになってやる」と誓ったそうだ。 その言葉通り、河埜和正に取って代わられるまで、巨人軍の正遊撃手の座を守り続けたのは立派の一言だが、守りでは王さんに助けられた面もある。黒江さんの送球は、投手の変化球のようによく変化する。指が短いので、ボールをしっかり握って投げられないから、どうしてもストレートな送球にならない。でも、王さんが何事もなかったように、ファーストミットにおさめていた。 黒江さんには、チームのムードメーカーというか、周囲を和ます雰囲気がある。宮崎キャンプの時に我々が行きつけのジーンズショップがあり、当時、裾が広がるパンタロンが流行っていた。黒江さんが得意げに買ってくると、口の悪い後輩のホリさん(堀内恒夫氏)が、「クロちゃんのは、パンタロンになる部分からカットされている」と茶化した。 普通なら後輩が先輩にこんな口をきいたら、大変なことになる。が、黒江さんの場合は「何言っているんだ、ホリの野郎」とムキになって怒っても、周囲は爆笑で終わってしまう。チームの緩衝材なんだ。 オレが一軍に上がった頃、ベンチにはタバコが1箱か2箱と、ライターの入った皮のケースがぶら下がっていた。誰でも自由にタバコを吸えるように設置してあったんだが、そのタバコを入れておく役が黒江さんだった。鹿児島出身の薩摩隼人。鹿児島小原節に「花は霧島、タバコは国分」とあるが、はまり役で面倒みのいい黒江さんにピタリだった。 嫌らしい計算づくの全方位外交ではなく、天然で誰とでも仲良くなれる。長嶋さんが巨人監督の時にコーチをやり、王さんがダイエーの監督になれば、助監督で招かれる。ONだけではない。広岡さんが西武の監督時代にコーチ、ロッテのGMになれば二軍監督。森さんの西武、横浜監督時代は、ヘッドコーチとして呼ばれている。 巨人OBだけではない。巨人のライバル・中日の近藤貞雄監督に一軍総合コーチとして招かれてもいるんだからすごいよね。コーチ、二軍監督としてユニホームを着た6球団で、優勝しなかったのは、横浜だけ。ロッテの一軍は優勝しなかったが、黒江さん自身は二軍監督として優勝しているからね。 現在は、我々が所属しているプロ野球OBクラブの会長(全国野球振興会理事長)として、全国を飛び回っている。適材適所だと思う。これからも頑張って欲しいね、本当に。<関本四十四氏の略歴> 1949年5月1日生まれ。右投、両打。糸魚川商工から1967年ドラフト10位で巨人入り。4年目の71年に新人王獲得で話題に。74年にセ・リーグの最優秀防御率投手のタイトルを獲得する。76年に太平洋クラブ(現西武)に移籍、77年から78年まで大洋(現横浜)でプレー。 引退後は文化放送解説者、テレビ朝日のベンチレポーター。86年から91年まで巨人二軍投手コーチ。92年ラジオ日本解説者。2004 年から05年まで巨人二軍投手コーチ。06年からラジオ日本解説者。球界地獄耳で知られる情報通、歯に着せぬ評論が好評だ。
-
スポーツ 2010年08月07日 14時00分
田中正直のウェブランニングクリニック 「第34回 高所トレーニング」
今回は、高所トレーニングをテーマに書きたいと思います。 高所とは、標高の高いところを意味しましす。標高の高い所は酸素薄く、その影響でケニアなどの選手は早いと考えられてきました。日本でも、高橋尚子さんが標高3500mのボルダーというところでトレーニングしていたことで、高所トレーニングが話題になりました。現在日本では、低酸素状態を人工に作る低酸素室もあります。少し前には、ドーピングになるのではないか?と注目されました。 なぜ、高所でトレーニングの目的は? 低酸素トレーニングを行うことで、体内に酸素を運ぶ赤血球、ヘモグロビンを増やすための造血目的や、低酸素環境でのパフォーマンスを向上させるための順化(高所適応)目的、運動中に出てくる乳酸に対抗する能力を向上させる目的などが昔から知られています。 しかし、長期で滞在しなくてはならないことが原因でこの目的を果たせないことや、適応しにくい人がいるなど解明されていないことが非常に多いのが実情です。どのような人に効果が出やすく、どのような人に効果が出ないのかがまだまだ研究段階なのです。 長期に滞在した場合、多くは海外で慣れない環境で生活します。また2人部屋などで普段の生活よりストレスを感じることが多いと効果が出難いようです。 10年程前からは、2泊3日などで1500m〜2000mくらいでトレーニングするミニキャンプも効果があると言われ始めました。トレーニングは酸素薄いところで行い、休養は酸素のある平地でする。「トレーニングハイ リビングロー」という理論です。 トレーニングは高所、休養は平地を繰り返すことで、酸素運搬能力を高めるのです。 長野県の菅平や、蓼科などが都心からも近く行いやすい場所です。今後は、エアラン東京でも合宿などを開催したいと考えています。【Air Run TOKYO】ランニングクラブの練習会を体験してみたい方は、リアルライブ見たで無料体験できます。参加希望の方は、(airrun@pss1.jp)にメール下さい。 詳細は、【Air Run TOKYO】公式サイト(http://airruntokyo.syncl.jp/)をご覧下さい。 【Air Run TOKYO】監修・ランニングアカデミー 第35回は、『高所トレーニング2』写真:エアラン東京練習風景です。
-
-
スポーツ 2010年08月06日 15時00分
2010年 夏の甲子園ダークサイド情報(2)〜天才球児は高校で伸び悩む!?〜
今夏の大阪府代表校は履正社に決まった。同校が勝ち上がっていく過程で、注目されたのは4回戦のPL学園戦だろう。両校は昨夏も準決勝で対戦している。履正社にしてみれば、その惜敗した相手のPL学園が甲子園行きの切符を勝ち取っただけに、「今年こそは!」の思いも強かったはずだ。この両校の激突は、延長10回表、履正社の主将・江原祥太内野手の一打で決まった。 この好試合で注目された有名選手もいた。勧野甲輝一塁手である。彼は1年生から4番を任されることもあり、「清原2世」とも呼ばれた“プロ注目のスラッガー”だった。高校野球ファンなら覚えていると思うが、甲子園行きを果たした昨夏、彼は極度の不振で大阪府大会からベンチ入りできなかった。「最後の夏」に賭ける思いは人一倍で、履正社との試合では久々に「4番」に入ったが、ノーヒットに終わった。勧野は試合後、人目も憚らず号泣していた…。 「プロでやりたい気持ちはあります」 試合後の勧野のコメントだ。どうやら、『プロ志望届』を提出し、ドラフト指名を待つ気でいるようだ。しかし、筆者がPL学園OBのプロ野球選手に聞いた限りでは「今の力では(プロでやっていくのは)厳しい」と否定的な声の方が多かった。 PL学園の練習は、他校と比べて『特殊』と言っていいだろう。 学校の授業終了後に行われる練習は基礎体力と基本練習の確認であって、その時間、量は他の名門私立高校と比べても短い。練習メニューも一般の公立高校とほぼ同じだ。授業終了後から3時間弱で切り上げられる。では何故、PL学園は『強豪校』であり続けるのか? それは、夕食後の『個人練習』で全てが決まるのだ。 PL学園の球児は夕食後、先を争って室内練習場に向かう。寡黙にバットを振る者もいれば、同僚にノックを打ってもらい、守備練習に時間を費やす者もいる。個人練習のメニューは人それぞれだが、時間にして3時間強。『全体練習』よりも長い。誰かに強要されたのではない。また、仮にサボッたとしても、咎める者はいない。たとえば、全体練習で指導者が打撃フォームの修正点を伝えたとする。各位は、それを『課題』とし、『個人練習』を克服していくのである。 「いつまでもその課題が克服できなかったり、悪癖を修正できなかったら、指導者が遠回しに『諦めろ』ということを伝えるんです。全員、名門PLの門戸を叩くくらいだから、それなりに自信を持って入学したわけですが、自分で練習ができなければレベルアップできないんです」(OBの1人) 甲子園ベスト8進出の実績を持つ有名監督は「一般論」と前置きしたうえで、こう言う。 「それなりの素質を持った中学生はいくつかの高校からスカウトされたり、硬式野球クラブの指導者のルートで強豪校に進みます。だけど、その素質を本当に開花された球児は数える程度しかいません」 素質を持った中学生球児は自信と、「オレは巧いんだ」という自負を持っている。たとえそれを口に出さない球児でも、高校指導者に叱られると、「分かってるよ〜」という態度を取るという。「練習してやっているんだ」と見下した言動を取るのだ。そのため、練習で全力を出さない。肉体的疲労や苦痛は味わうが、何処かで手を抜いているので、本当の意味で成長しないのである。 野球に限らず、天才は早熟だ。プロに行ける素質を持った大多数の球児は“それなり”で終わってしまうという。 「幸運にもプロ野球チームに指名された球児も、素質だけで野球をやっている子が多いですよ。高校在籍中、たまたま甲子園に出られて、目立つこともでき、ドラフトに引っかかったというか…」(前出・同) 勧野選手に関しては、そういったおごった言動は聞かれなかった。PL学園の野球は『大人』である。その大人の野球に適応できなかったのか、スランプの壁を乗り越える前に3年間がおわってしまったのだろう。 「越境入学が社会問題となり、ウチの高校は他県の有望中学生を勧誘するのを辞めました。むしろ、練習の雰囲気は良くなったような気がする(笑)」(関東圏の中堅指導者) 天才を育てきれない指導者の側にも、問題があるのかもしれない。 今夏、甲子園に駒を進めた高校の多くは「スター選手」がいても、「スーパースター」のいない『全員野球イズム』だ。興南・島袋、東海大相模・一二三が何処までやれるかも注目だが、ノーマークの無名校が旋風を巻き起こしそうな気がする。(スポーツライター・飯山満)
-
スポーツ 2010年08月06日 08時00分
笑う真弓に泣く星野─再逆転の可能性は?
笑う人あれば、陰で泣く人あり─。85年の日本一猛虎打線をほうふつとさせる、巨人の一発打線を圧倒する阪神のすさまじい破壊力。日本一の時には斬り込み隊長の1番バッターとして大活躍、今季は5年ぶりにリーグ優勝へサイ配をふるう真弓明信監督。チーム低迷時には「2年契約の切れる今季限り」とウワサされていたのに、今や手のひら返しで坂井オーナーからも続投を要請されている。 地獄から天国へ、笑う真弓監督。対照的なのが星野仙一オーナー付きシニアディレクターだ。真弓監督が今季限りとささやかれていた時には、「来季、星野監督復帰」情報がスポーツ紙にデカデカと掲載され、星野氏本人もすっかりその気。「もう一度、監督として勝負したい」と講演会やラジオ番組などで強烈アピールしていた。が、今や誰も星野氏の監督復帰など話題にしない。こちらは天国から地獄へで、泣く人だ。 「勝てば官軍、負ければ賊軍」というのは、勝負の世界の鉄則だ。が、同時に「勝負の世界、一寸先はヤミだ」というのも、これまたプロ野球界の定説だ。 現状では、笑う真弓に泣く星野。この立場が再逆転する可能性があるのだ。阪神OBの一人がこう語る。 「2年前の岡田を見てみろ。大独走V間違いなしと言われて、岡田もすっかりその気になっていたら、チームが急失速して、巨人に大逆転を許し、引責辞任するしかなくなった。今はオリックスの監督をやっている。真弓だって浮かれていたら、大どんでん返しがあるぞ」と。 確かにその恐れはある。猛虎復活に阪神ファンは5年ぶりの優勝を確信して、連日、真夏の虎祭り騒ぎだが、もし巨人にリーグ4連覇を許せば、その反動は計り知れないだろう。「惜しかった。よくやった」とならないのは、2年前の岡田監督の引責辞任を見れば、よくわかる。 「優勝すれば、新たに2年契約を期待できる。が、優勝できなければ、岡田の二の舞で引責辞任とまでいかなくても、真弓は来季1年間限定の続投になるだろう。来年が正念場になる。星野の現場復帰のチャンスはまだ残る」と、前出の阪神OBがこう予測する。 阪神のオーナー付きシニアディレクターという立場上、「巨人・原頑張れ」と表立ってエールを送れない星野氏だが、内心では巨人・原監督にカツを入れたいところだろう。それだけの貸しがあるのも事実だからだ。 1年目の02年、日本一になりながらフロント首脳との衝突で第一次政権がわずか2年間の短命で終わった原監督を励ましたのは、18年ぶりに阪神を優勝させた星野監督だった。「読売はひどいことをする。まだ若いんだから、もう一度、早くグランドへ戻ってこい」と激励。甲子園での阪神対巨人最終戦後のセレモニーで、原監督を抱きかかえ、送別する異例のパフォーマンスを演じ、原監督が感激の涙を流している。 それだけではない。原監督がポスト堀内としてわずか2年間のブランクで巨人に復帰できたのも、星野氏のおかげだ。大本命は星野氏だったのに、巨人大物OB、阪神ファンの猛烈な反対運動が起こり、星野氏が泣く泣く巨人監督を断念したからだ。原監督が世界一の監督になったWBCもそうだ。北京五輪で惨敗した星野監督の続投が既定路線になっていたのに、イチローらの反対で辞退せざるを得なくなり、緊急代役で原監督が指名されたのだ。 星野氏のおかげで現在があると言っていい巨人・原監督が恩返しをして、阪神・真弓監督を破るかどうか。笑う真弓、泣く星野の立場がもう一度、入れ替わるかどうか。キーマンは意外にも巨人・原監督と言える。
-
-
スポーツ 2010年08月05日 16時30分
猛虎に心強い「新伝説」が生まれる
完全復活した伝統の一戦。東京ドームでの巨人vs阪神の首位攻防3連戦が盛り上がり、久々に球界に活気が戻っている。リーグ4連覇へ大独走しようとしていた巨人を阻止している阪神が立役者だ。5年ぶりのリーグ優勝を熱望する猛虎ファンが狂喜・乱舞する新伝説がある。 「就任1年目に4位。2年目にリーグ優勝」。05年にリーグ優勝した30代目の岡田彰布監督。03年に球団史上18年ぶり、2リーグ分立後4度目のリーグ優勝を達成した29代目の星野仙一監督。前任者の2人と同様に、31代目の真弓明信監督も、1年目の昨年は4位で、2年目の今季、5年ぶりのリーグ優勝へ巨人と激しい戦いを演じている。「2度あることは3度ある」のことわざ通りの展開になっている。 しかも、星野政権、岡田政権1年目の4位は、勝敗数までピタリと同じで、真弓政権も酷似している。02年の星野政権、04年の岡田政権ともに66勝70敗だ。引き分け数が4と2の違いがあるだけ。昨年の真弓政権は67勝73敗4分。試合数が増え、勝ち星が1つ多く、負け数が3つ多いだけ。酷似したパターンの4位と言える。 実は、過去にさかのぼると、変則的な形だが、就任1年目に4位→2年目にリーグ優勝がもう1例ある。12代目の藤本定義監督だ。61年のシーズン中に11代目の金田正泰監督からバトンを受け、4位。翌62年に2リーグ分立後、球団史上初のリーグ優勝を飾っている。その2年後の64年にも藤本監督はリーグ優勝しており、球団史上ただ1人、2度の優勝監督になっている。 ちなみに球団史上、就任1年目4位になった他の監督を調べてみると…。7代目の松木謙治郎監督が2年目に3位。20代目のブレイザー監督は2年目のシーズン途中に解任され、21代目の中西太監督へバトンを渡し、5位だ。こう見てくると、藤本監督の場合は例外的ケースと言えるだろう。 藤本監督の2度目の優勝以来、21年ぶりの85年、2度目の監督復帰した1年目の23代目・吉田義男監督がリーグ優勝、初の日本一になっている。あの巨人戦でのバース、掛布、岡田の甲子園バックスクリーン3連発の猛虎伝説を作った年だ。 「就任1年目4位、2年目にリーグ優勝」の新猛虎伝説創始者の星野監督が、阪神に優勝をもたらしたのが、この甲子園バックスクリーン3連発の猛虎伝説から18年ぶりだったので、当時は「阪神優勝周期は20年前後」説がささやかれたのだ。「次の優勝はまた20年後か」と。 それに代わる「就任1年目4位→2年目優勝」の新猛虎伝説は、ファンを狂喜・乱舞させるだろう。29代目の星野監督から始まり、30代目の岡田監督が引き継ぎ、そして3代連続で31代目の真弓監督へ。 新猛虎伝説を信じて虎党の声援は、日々熱狂的になっていくだろう。首位攻防3連戦で東京ドームの左半分を占拠して、「本当にすごい応援ぶりだ」と阪神OBを仰天させたが、まだ序の口だ。20日からの東京ドーム3連戦を経て、9月18日からの甲子園3連戦がクライマックスになる。
-
スポーツ 2010年08月05日 15時00分
田中正直のウェブランニングクリニック 「第33回 高校総体の思い出」
今回は私の高校時代の思い出を少し書きたいと思います。 思い出といっても大失敗です。なぜ、そう思ったか? 先日高校総体のテレビを見て懐かしく感じたからです。高校総体というと聞き慣れない方もいると思いますが、「インターハイ」と言えばピンときますよね。 各スポーツの全国大会が毎年同じ県、もしくは2県で同時開催するのです。高校生の国内オリンピックみたいな感じです。 私も高校3年生の頃に北海道代表として、5000mと3000障害出場しました。インターハイに出るためには、北海道であれば地区大会6位入賞で北海道大会の出場権もらえ、北海道大会で6位までに入賞するとインターハイの出場権がもらえます。 北海道以外は、地区・都府県・ブロック大会となります。ブロック大会とは、東北、北関東、南関東のような区分けです。北海道は1つ関門が少ないので素直にラッキーですね。 私が高校3年生の時は、鳥取県で開催されていました。夏に北海道から出ることがなかったので、鳥取で初めて体験した35度は今でも鮮明に覚えています。クーラーのない青少年自然の家で8人部屋。レース前に気持ちがダレていましたね。緩み過ぎて緊張もありませんでした。しかし、すごい道産子もいました。男子100mで道産子が優勝したり、槍投げで優勝、800m、1500m入賞などなどかなり北海道勢が活躍した年でした。 私は、2種目とも予選敗退でした。5000mは代表全員が予選敗退、3000m障害は3人が決勝進出と明暗が分かれた長距離でした。 私の大失敗エピソードですが、事件は5000mでおきました。私の組には、高校記録保持者のケニアからの留学生「ジュリアス・ギタヒ」君がいました。 号砲とともに、彼だけ飛び出していってしまいました。私は大きな集団で走ります。12周半しますが、4周目頃からポツポツと選手が離れていきます。私も6周目あたりから離れ、18人中15番目くらいを走っていました。サウナの中を走っているかのような暑さに感じます。予選通過よりも、同じ北海道人に負けられないといった違う目標になってました。 ダラダラとペースが落ちながらも、周回数表示板もようやく1になり、得意のスパートです。昔からスパートは得意だったので、一気にペースを上げます。これで暑さから解放されると思ったらいつも以上にパワーが出ました。200mで5人くらい抜き、残り200m! ここで同級生が大きな声で応援。 「田中はあと1周だよ〜」暑さでおかしくなっている頭がパニックです。「ガンバレ〜」ではないことに驚き、意味がわからない。 田中は? 後ろを見たらギタヒ君が残り200mのスパート! まさかのミス!! あの周回数表示板は、ギタヒ君に対するものでした。力が抜けた私は、抜いた相手にまた抜かれ、ようやく本当のラスト1周へ。ラスト200mは、また豪快にスパートし数人を抜いてゴール。周りから見ると、ギタヒ君に抜かれないようにスパートした子に見えたようです。しかし、同級生はわかってくれていたんですね。今でも友達と笑い話として話題に上がります。 大学を卒業して、日清食品(現日清食品ホールディングス)に入社しました。 そこで、高校卒業して日清食品に入っていたギタヒ君と同じチームになりました。ある日、覚えているか聞いてみたら、私とは知りませんでしたが、ユニフォームの色まで覚えていました。ギタヒ君にとっても不思議な子に見えていたようです。2人で大笑いしたことは言うまでもありません。 大舞台での大失敗は一生忘れることはないでしょう。【Air Run TOKYO】ランニングクラブの練習会を体験してみたい方は、リアルライブ見たで無料体験できます。参加希望の方は、(airrun@pss1.jp)にメール下さい。 詳細は、【Air Run TOKYO】公式サイト(http://airruntokyo.syncl.jp/)をご覧下さい。【Air Run TOKYO】監修・ランニングアカデミー第34回は、『高所トレーニング』写真:エアラン東京練習風景です
-
スポーツ 2010年08月05日 12時00分
甲子園のあの日 逆転満塁HR
2007年、第89回全国高校野球選手権大会−−。 佐賀北高校の帝京戦、決勝戦をスタンドで観戦していた。東海チャンピオンの宇治山田商業戦との延長15回4-4の引き分け、それから再試合の2戦の守備を観て、唐突に(あ、ここ優勝するぞ…)と思ったのだ。かなりな野球少年だったが、甲子園の試合をまともにテレビで観たのも、10年ぶりくらいだった。それなのに、なぜか吸い寄せられるように甲子園に行った。スポーツライターではないし、仕事のアテもない。(笑)でも突然の野球熱に浮かされたかのように、行かずにはいられなかった。それぐらい、一流校のそれとはまた違った、“強さ”を感じる佐賀の守備だったからだ。 帝京戦の試合開始前、シートノックの間、佐賀の控え選手は、炎天下中腰で並んで声を出していた。帝京はそういう理屈に合わないことはしなかった。 選手たちの肩が強いのは、明らかに帝京にほうだったが…(やっぱり、佐賀まだなにかあるかもな…)そう個人的には思った。どっちがいい悪い、ということではない。2つの対照的なチームカラーのぶつかり合いが楽しみに思えた。 佐賀北側のベンチの後ろに陣取った。ストライクとボールの判定もわからない位置だったが、帝京の長田のスクイズを久保がグラブトスした場面は、セーフに見えた。 が、本当にいい試合だった。そして本当に勝ってしまった。 決勝戦。 帝京戦にも増して、佐賀一色なのが、始まる前からわかった。練習時から佐賀の選手のプレーにスタンドから声援が飛ぶのである。そしてメンバー紹介に大歓声。ちょっと相手がかわいそうだなあ…という雰囲気だった。対戦相手の広陵だって、'67以来の全国制覇がかかっていたのだから。 上戸彩を大人っぽくしたようなお姉さんが『ビールいかがすかー!』とハスキーな声で呼び込んでいて何度も彼女からビールを買おうと思ったが、なんだか神聖な場所に思えて…結局2日ともかちわり氷で我慢。はっきり言って、これはただの水だ…。 でもこれぐらいなければ倒れてしまいそうな暑さだった。 佐賀が4点を追う展開で、運命の8回裏。四球押し出しで一点返して、一死満塁。 バッターは、大会でもHRを打っていてちょっとほかの選手より雰囲気がある感じの、3番の副島だ。この日は、相手投手の前にいいところがなかったが、願ってもいないバッター。やはりこの打席も落ち着いて闘っていた。途中で「打て! 頑張れ!」すごい声の声援が沸き起こった。と、「いやーん! もう頑張ってえ!」普段はクールなはずのいまどきの甲子園ギャルたちが、その声援を継いだ。スタンドのボルテージは最高潮に達していた。 スライダーの曲がり端を叩いて打球が上がった、その瞬間…一瞬球場が静まった。(うそだろ…この場面だぞ?)そう思った。広陵の選手が、いかにも野球がうまい子がやるようにかっこよくボールを見送った。それしか出来なかった。 レフトスタンドの中段に突き刺さる逆転満塁HRだった。 直後、静寂は、およそもう聞くことはないと思われるような地響きのような大歓声に変わった…。 佐賀の選手たちは、優勝したあとも、それまでの戦いぶり同様にほとんど表情を崩す選手はいなかった。スタンドからの大声援にも、それまでは知り合いに向けてやっていたようなごく自然な会釈を、礼儀正しく返すだけだった。まぶしすぎて、涙が出そうになった。(笑) 付近のガングロギャルが、「副島やばい…」そう言って放心状態になっていた。 この準決勝、決勝戦のチケット半券は、今でも大事に取ってある。 あきらめてはいけない、そう観ている者すべてに教えてくれたような気がしたからだ。帝京も、広陵も同様に、ほんとに高校生らしい素晴らしい闘いぶりだった。 今年も、出場校はすべて出揃って、後は本大会を待つばかり。 大会の主役である選手たちの健闘を祈りたい。
-
スポーツ 2010年08月05日 08時00分
2010年 夏の甲子園特集(6)〜職業監督と教員監督は、どっちがいい!?〜
今夏、関東圏の県大会1回戦でこんな光景を目にした。古豪高校の4番打者が県立高校の先発投手から先制の特大アーチを放った。しかし、その古豪高校は逆転負けを喫し、甲子園の夢を絶たれた。問題はその翌日に勃発した。古豪高校を率いてきた青年監督が解任を通告された。古豪復活の期待に応えられなかった責任もあるが、それだけではないようだ。 「アナタも観てたでしょ?」 そう言われても、筆者はピンと来なかった。 実は、先制アーチを放った4番打者はダイヤモンドを一周する途中で、ガッツポーズを取っていた。 「この程度のことで喜んでいるとは…。我々(古豪高校)は腐っても鯛、上から見下すくらいの気持ちがないといけないし、そういう試合を見せてほしかった」 OBや地元有志で運営される後援会組織の1人が言う。青年監督がこの古豪高校の指揮官に着任し、数年が経つ。彼は同校のOBだが、大学卒業後は野球から離れていた。地元後援会組織に請われ、務めていた会社にも辞表を出して、野球部の指導に専念してきた。俗に言う『職業監督』である。 めざましい成績は治めていないが、指導者として、また、彼の人柄を悪く言うは1人もいない。「母校を建て直してくれ」と頭を下げてきた後援会組織と学校が、今度は『解任』を通告してきたのである。同青年監督は「自分の力不足だった」と話していたが、「まだ気持ちの整理が付かない」ともこぼしていた。 「教員免許を持っていれば、どこか違う学校からオファーがあるかもしれないし、チャンスはいくらでもあるんだが…」(前出・同) おそらく、この青年監督は高校野球とは全く違う仕事を探すことになるだろう。 今さらではあるが、高校野球の監督には2通りがある。1つは前述のように野球部指導だけを任された『職業監督』で、もう1つは『教員監督』。学校教師が部活動顧問として、野球部を指導するのである。数値上では『教員監督』の方が多いが、甲子園常連校になると、前者の割合が高くなる。 『職業監督』は“結果”を出さなければ、解任も免れない。『教員監督』はたとえ野球部監督としてダメ出しをされたとしても、教諭(公務員)としての地位と給与は確保される。しかし、気苦労の多さにおいてはどちらも大変そうである。 「公務員の給与体系が変わってね、甲子園に引率しても『出張手当』が付かなくなったんですよ。その前までは修学旅行と同じように、『出張手当』が付いたんですがね(笑)。授業を担当する肉体的な厳しさにはもう慣れましたが、クラスを受け持つのだけは…」 関東圏の公立高校監督がそう苦笑いをする。 クラス担任を“兼任”する肉体的負担は並大抵ではないという。たとえ進学校であっても、学級担任ともなれば『予定外の残業』が毎日のように降りかかってくる。担当学級の生徒が問題を起こした、他授業教諭からの担当学級へのクレーム、校則違反者への指導等々…。3年生の担任にでもなったら、進路相談で野球どころではないだろう…。 「こちらから学校長にお願いして、学級担任を外してもらいました。どの部活動顧問の先生もそうですが、とくに野球部は…」(前出・同) こうした“切実な要望”を聞き入れてもらえない教員監督もいるそうだ。 さらにまた、公立高校の教員監督ともなれば、『転任』がある。「ようやく、自分の目指す野球部像ができてきたと思ったら、他校へ異動」なんてことも…。野球に専念できるのは『職業監督』の方だが、『結果』が伴わなければ、1年で解任されるケースもあるそうだ。 関東圏の職業監督の1人がこう続ける。 「自分と父母会、地元後援会組織の目標が違えば、つるし上げにされます。甲子園には行けませんでしたが、自分として5年連続ベスト8の成績にそれなりの達成感を持っていました。でも、後援会の皆さんはそうは見てくれませんでした」 また、職業監督は多かれ少なかれ、校外活動もこなさなければならない。「有望中学生がいる」と教えられれば、その仲介者の顔を立てる意味で視察にも行かなければならない。もちろん、ルールを逸脱した勧誘はできないが、『後援会員のお願い』で行政関係の会合にも呼び寄せられ、やりたくもない講演を強要されたこともある。 「グラウンドにいるときがいちばん落ち着く」とも語っていたが、気苦労の絶えない校外活動と、成績次第で職を失う恐怖からは逃れられない。 「甲子園に出れば、(監督としての)寿命が5年伸びる(笑)」 前出の職業監督は冗談めかした口調でそう笑っていたが、半ば本気ではないだろうか。名将・木内幸男氏は、かつて「甲子園は最高の教育場所」とも称していたが、指導者にとっても「野球に専念できる、最高の檜舞台」ではないだろうか。(了/スポーツライター・美山和也)
-
-
スポーツ 2010年08月04日 12時00分
2010年 夏の甲子園ダークサイド情報(1)〜球児の足を引っ張る大人〜
甚だ恐縮ではあるが、高校野球には「好感の持たれる学校」と「そうでない学校」の2通りがある。ここに、筆者個人の私見を付け加えるならば、『取材対応』で「おやっ!?」と思わされる学校もないわけではない。こちらはフリーランスという立場上、まず、取材対象の高校にこちらの取材主旨と掲載媒体、発売日などを伝え、アポイントを取る。「OKなのか、それともNGなのか」で、時間を要する学校もあるが、そんなことは問題ではない。 「監督に直接相談して下さい」 「何時ごろ、お電話すればご迷惑になりませんか。監督さんのご迷惑にならない時間帯が分かれば教えて下さい」 そう聞き返すと、電話は保留状態となり、暫くたらい回しにされる。 「どういったご用件ですか?」 辿り着く先は学校長である。こちらの言葉が足らなかったのか、学校長の手を煩わせてしまったことを詫び、電話を改める。数日後、ようやく、監督さんと繋がったが、「野球部長か、学校長に先に確認してくれ」と言う。さらに2、3日を費やす。今度は副校長が対応してくれた。 「監督が取材を受けてもいいって言ったんですか?」 確か、監督は「まずは学校長に許可を取ってくれ」と言ったはずだが? 改めて、監督さんに電話を掛け直し、もう1度お願いをしてみる。 「副校長が取材はダメだと言ってました」 取材NGはよくあることだ。そんなことで腹を立てる取材記者は1人もいない。何故、自分の言葉ではなく、「誰かがそう言ったから」なんて回りくどい言い方をするのだろうか。こちらに配慮しての言動だとしても、学校として、外部対応(取材等)の窓口が一本化されていないのは芳しくないだろう。 取材当日に「アレッ!?」と思わされる学校もあった。学校の受付に行くと、「取材が入るなんて聞いていない」と言うのだ。こちらは同日朝、監督さんに確認の電話も入れていたのだが…。 高校野球とは、監督が球児たちを牽引して行かなければならないものだ。一般論として、大学の野球部員は「自分たちで練習しろ!」と突き放される。もちろん、全体練習もあるが、各位で練習メニューを組み立てなければならない。言わば、大人扱いされるのである。残念ながら、高校球児にはそんな『大人の野球』はまだできない。良くも悪くも、監督、指導者は「オレに付いて来い!」という姿勢を見せなければならない。従って、「誰かがダメと言っているから」という取材の断り方をする学校に対し、「大丈夫か?」と思ってしまう取材者は筆者だけではないのだ。 また、部外者との付き合い方について、こんな気苦労も聞かされた。OB、近隣住民の行き過ぎた関与である。 関東圏の私立高校監督がこう言う。 「あちらがご厚意で面倒をみてくださったのは分かっているんですが…。ワタシが悪者になるしかありませんでした」 同監督が野球部監督に迎えられるまで、『町の顔役』が夏の予選前、野球部員全員を自宅に呼び、食事をご馳走していた。その『町の顔役』と学校は、自ずと深い関係になっていく。その顔役は時折、グラウンドにもやって来る。それだけならまだしも、監督の指導内容に口を挟み、定例の食事会では監督の悪口も言っていた。部員が監督の言うことを聞かなくなる…。先の監督は「歴代監督が皆、短期間で同校を去った」理由が分かった。 「ワタシに全てを任せてください」 同監督は顔役に訪ね、頭を下げた。言葉を選んだつもりだが、顔役にすれば、「もう学校に来るな」「余計なことはするな」と言われたのも同然である。 この私立高校の監督は4年後に甲子園出場を果たしたが、その顔役とは和解できなかった。県予選でブザマな負け方をすれば、今でも自分のクビが吹っ飛ぶのは分かっているという。 「OBの関与が多すぎてダメになった高校もあります。強豪校には監督の他に、コーチがいます。監督とコーチスタッフは指導内容をすり合わせ、食い違いが起こらないよう注意しています。OBも善意で練習を手伝っているのでしょうが、決してプラスにはなりません。監督が赴任して日が浅い学校は、とくにその傾向が見られます」(中部圏の監督) 高校野球は誰のものなのか…。大人の都合で振り回されているのだとしたら、その学校の球児は不幸である。(スポーツライター・飯山満)
-
スポーツ
ハッスル消滅!? 小川H軍休止宣言
2006年12月27日 15時00分
-
スポーツ
大みそかボビー弟と対戦 金子賢 前田道場入り
2006年12月14日 15時00分
-
スポーツ
珍指令 KID 秒殺禁止
2006年12月12日 15時00分
-
スポーツ
生還小橋に捧ぐ 三沢 GHC奪還
2006年12月11日 15時00分
-
スポーツ
猪木 緊急提言 想定外プロレスをやれ!
2006年12月05日 15時00分
-
スポーツ
1・4東京D「レッスルキングダム」 新日本 全日本“乗っ取り”へ秘策 長州3冠戦出撃
2006年11月16日 15時00分
-
スポーツ
復活1・4東京D大会へ秘策 新日本最終兵器サイモン猪木 IWGP挑戦!?
2006年11月07日 15時00分
-
スポーツ
来春ビッグマッチ パンクラス芸能人最強決定戦 坂口憲二 今田耕司 押尾学
2006年10月31日 15時00分
-
スポーツ
大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分
特集
-
岡平健治「19」解散は「お金の問題じゃない」 岩瀬敬吾、地元に戻るのを「止められてよかった」 今後はバラエティーで「ポンコツっぷりを見て笑ってほしい」
芸能
2025年08月05日 23時00分
-
野球人生“燃え尽きた”元プロ野球選手・宮國椋丞氏 今後は「周りの人に頼られたり、笑顔にしたい」
スポーツ
2025年07月25日 23時30分
-
-
豊ノ島、YouTubeチャンネルで若乃花とコラボ熱望 タレントとして相撲番組で「冠番組」持ちたい
芸能
2025年07月21日 12時00分
-
宮迫博之「雨上がり決死隊」再結成は「蛍原さん次第」 ドジャース始球式の裏話も明かす
芸能
2025年07月14日 17時00分
-
元ザブングル松尾陽介、沖縄で芸人のセカンドキャリアサポート 芸人引退に「心境の変化」
芸能
2025年04月28日 19時03分