「アナタも観てたでしょ?」
そう言われても、筆者はピンと来なかった。
実は、先制アーチを放った4番打者はダイヤモンドを一周する途中で、ガッツポーズを取っていた。
「この程度のことで喜んでいるとは…。我々(古豪高校)は腐っても鯛、上から見下すくらいの気持ちがないといけないし、そういう試合を見せてほしかった」
OBや地元有志で運営される後援会組織の1人が言う。青年監督がこの古豪高校の指揮官に着任し、数年が経つ。彼は同校のOBだが、大学卒業後は野球から離れていた。地元後援会組織に請われ、務めていた会社にも辞表を出して、野球部の指導に専念してきた。
俗に言う『職業監督』である。
めざましい成績は治めていないが、指導者として、また、彼の人柄を悪く言うは1人もいない。「母校を建て直してくれ」と頭を下げてきた後援会組織と学校が、今度は『解任』を通告してきたのである。同青年監督は「自分の力不足だった」と話していたが、「まだ気持ちの整理が付かない」ともこぼしていた。
「教員免許を持っていれば、どこか違う学校からオファーがあるかもしれないし、チャンスはいくらでもあるんだが…」(前出・同)
おそらく、この青年監督は高校野球とは全く違う仕事を探すことになるだろう。
今さらではあるが、高校野球の監督には2通りがある。1つは前述のように野球部指導だけを任された『職業監督』で、もう1つは『教員監督』。学校教師が部活動顧問として、野球部を指導するのである。数値上では『教員監督』の方が多いが、甲子園常連校になると、前者の割合が高くなる。
『職業監督』は“結果”を出さなければ、解任も免れない。『教員監督』はたとえ野球部監督としてダメ出しをされたとしても、教諭(公務員)としての地位と給与は確保される。しかし、気苦労の多さにおいてはどちらも大変そうである。
「公務員の給与体系が変わってね、甲子園に引率しても『出張手当』が付かなくなったんですよ。その前までは修学旅行と同じように、『出張手当』が付いたんですがね(笑)。授業を担当する肉体的な厳しさにはもう慣れましたが、クラスを受け持つのだけは…」
関東圏の公立高校監督がそう苦笑いをする。
クラス担任を“兼任”する肉体的負担は並大抵ではないという。たとえ進学校であっても、学級担任ともなれば『予定外の残業』が毎日のように降りかかってくる。担当学級の生徒が問題を起こした、他授業教諭からの担当学級へのクレーム、校則違反者への指導等々…。3年生の担任にでもなったら、進路相談で野球どころではないだろう…。
「こちらから学校長にお願いして、学級担任を外してもらいました。どの部活動顧問の先生もそうですが、とくに野球部は…」(前出・同)
こうした“切実な要望”を聞き入れてもらえない教員監督もいるそうだ。
さらにまた、公立高校の教員監督ともなれば、『転任』がある。「ようやく、自分の目指す野球部像ができてきたと思ったら、他校へ異動」なんてことも…。野球に専念できるのは『職業監督』の方だが、『結果』が伴わなければ、1年で解任されるケースもあるそうだ。
関東圏の職業監督の1人がこう続ける。
「自分と父母会、地元後援会組織の目標が違えば、つるし上げにされます。甲子園には行けませんでしたが、自分として5年連続ベスト8の成績にそれなりの達成感を持っていました。でも、後援会の皆さんはそうは見てくれませんでした」
また、職業監督は多かれ少なかれ、校外活動もこなさなければならない。「有望中学生がいる」と教えられれば、その仲介者の顔を立てる意味で視察にも行かなければならない。もちろん、ルールを逸脱した勧誘はできないが、『後援会員のお願い』で行政関係の会合にも呼び寄せられ、やりたくもない講演を強要されたこともある。
「グラウンドにいるときがいちばん落ち着く」とも語っていたが、気苦労の絶えない校外活動と、成績次第で職を失う恐怖からは逃れられない。
「甲子園に出れば、(監督としての)寿命が5年伸びる(笑)」
前出の職業監督は冗談めかした口調でそう笑っていたが、半ば本気ではないだろうか。
名将・木内幸男氏は、かつて「甲子園は最高の教育場所」とも称していたが、指導者にとっても「野球に専念できる、最高の檜舞台」ではないだろうか。(了/スポーツライター・美山和也)