スポーツ
-
スポーツ 2013年01月28日 15時30分
大相撲初場所をつまらなくした白鵬に見えるかげり
大相撲初場所(1月13日〜27日=両国国技館)は、横綱として2場所目の日馬富士(28=伊勢ヶ浜)が15戦全勝で、2場所ぶり5度目の優勝を果たした。次点で12勝3敗の横綱・白鵬(27=宮城野)、平幕・高安(22=鳴戸)に“3差”をつけての余裕の栄冠だった。 新横綱となった九州場所(昨年11月=福岡)では9勝6敗と1ケタ勝利に終わり、大失態を演じた日馬富士は、初場所では本来の力を発揮。15日間、全く危なげないところはなく、3度目の全勝優勝を遂げた。 日馬富士の独走を許したA級戦犯は白鵬と、依然ふがいない大関陣だが、気になるのは、これまで圧倒的な強さをみせていた白鵬に、かげりが見えてきたことだ。 初場所3日目で、平幕・妙義龍(26=境川)に苦杯を喫すると、12日目には大関・琴欧洲(29=佐渡ヶ嶽)に敗れて2敗目。この時点で日馬富士とは2差がつき、優勝争いへの興味はうすれてしまった。結局、千秋楽では日馬富士にあっさり寄り切られて、横綱対決を楽しみにしていたファンを落胆させ、日馬富士との世代交代の予感すら感じさせた。 12勝3敗は横綱として、まずまずだが、これまで白鵬が残してきた成績から比べれば、さびしいものだ。絶対的な強さを誇ってきた白鵬に、この1年かげりが見られるようになったが、初場所の相撲内容は、それを決定づける象徴ともいえた。 07年名古屋場所(7月)で横綱に昇進した白鵬は、昇進後、年3回以上の優勝をコンスタントに成し遂げてきた。優勝回数は07年が大関での2回を含め4回、08年=4回、09年=3回。これは、ライバル・朝青龍が存在した上での数字だ。 10年初場所(1月=両国)後に朝青龍が引退し、一人横綱となってからは、10年=5回、11年=4回(春場所は八百長問題で中止)と孤軍奮闘したが、12年に入って、一気に成績は落ちてしまった。同年夏場所(5月=両国)では左手人差し指をはく離骨折し、横綱昇進後最低の10勝(5敗)に終わるなど、優勝は年間2回に終わった。 優勝回数だけではなく、下位力士への取りこぼしも増えた。年間勝利は07年=74勝16敗(勝率.822)、08年=79勝11敗(勝率.878)、09年=86勝4敗(勝率.956)、10年=86勝4敗(勝率.956)、11年(年5場所)=66勝9敗(勝率.880)だったが、12年は76勝14敗(勝率.844)と、大きく勝率を落とした。 白鵬はまだ27歳で、衰えるような年齢ではないが、5年間、1度も休場しないで綱を張ってきた勤続疲労は大きいようだ。このままでは、主役の座を日馬富士に取って代わられそうな気配だ。優勝回数は23回で歴代5位の白鵬には、さしあたって、北の湖(24回)、朝青龍(25回)を上回る目標もある。 日本相撲協会としても、白鵬と日馬富士がしのぎを削ってくれるのが理想だ。白鵬にはもう一度、仕切り直して稽古に身を入れて、建て直しを図ってほしいものだが…。(落合一郎)
-
スポーツ 2013年01月27日 11時00分
反則スレスレ技連発か 横審が目を光らせる初場所日馬富士の崖っぷち相撲
初場所が1月13日から両国国技館で始まっている。優勝争いの本命は北の湖(現理事長)と並ぶ歴代4位の24回目の優勝を目指す白鵬(27)だが、それ以上に注目を集めているのが、横綱2場所目の日馬富士(28)の取組だ。 新横綱だった先場所は終盤5連敗した上、9勝6敗と散々な成績に終わり、場所後、横審から、「横綱がひとケタはダメ。もし今度もひとケタなら引退だ!」と厳しい叱責を受けた。その後、この引退勧告は 「そういう力士を横綱に推挙した責任はどうなる」との反発が起き、一番軽いペナルティーの“激励”に緩和された。しかし、初場所初日が白星発進とはいえ、厳しい状況には変わりがないのだ。 場所前の日馬富士は、昨年末も大晦日まで稽古場に下り、黙々と汗を流していたが、内心、不安でしょうがないのは確か。それが如実に出たのが、飛び入り参加した8日の二所ノ関一門の連合稽古だった。 「稀勢の里との三番稽古(同じ相手と続けてやる稽古のこと)でタブーの顔面攻撃をしたり、すでに土俵を割っているのに引っ張りこんで投げようとしたり、ダメ押しをしたり、まさに好き放題。見かねた審判副部長の松ケ根親方(元大関若島津)が叱責する場面もありました。番付上位の者は、よく稽古場で叩きつけて恐怖感を植え付けようとするんですが、あれはちょっとやり過ぎ。それだけ汚名返上に必死だったんでしょうね」(担当記者) もし反則スレスレの荒っぽい相撲を封印すればどうなるか。この翌日、一転して優等生相撲で同じ稀勢の里に挑んだが、なんと6連敗し、地団太踏んで悔しがっていたところを見ればよくわかる。 これほど結果が歴然としているため、本番では張り手やダメ押しなど横審も禁じている相撲を取るのは確実と見られているのだ。 「いまの日馬富士は品格よりも勝ち星優先。問題はいつ、誰を相手にやるかですが、前半、一発やってみんなをビビらすことも考えられます」(協会関係者) いつ“張る”か見ものの日馬富士。
-
スポーツ 2013年01月26日 17時59分
FA移籍を巡る怪情報 「全員一致ではなかった馬原の一本釣り」
オリックスバファローズが馬原孝浩投手(31)の入団会見を開いたのは、1月18日だった。寺原隼人(29)のFA移籍による人的補償として、「最多セーブタイトルも獲得した右腕」が一本釣りされ、喪失した側のソフトバンクは「苦渋の選択だった。故障・リハビリで1年間投げていないので(馬原には)手を出して来ないと思った」と、地団駄を踏んでいた。 「今回の人的補償を『寺原−馬原』の交換トレードと捉えた場合、得をしたのはオリックスのほうです」(プロ野球解説者の1人) 馬原も新天地での再起を誓っていたが、奇妙なウワサも囁かれている。 順調に行けば、馬原は今オフにFA権を獲得する。それを行使して「1年でホークスに帰還するのではないか?」というものだ。 「あり得ない話ではないと思う。ソフトバンクは結束力の高いチームであり、寺原がホークス帰還を希望してFA宣言したのもそのためです」(前出・同) どのプロ野球選手もドラフト指名された球団には愛着がある。しかし、福岡ソフトバンクホークスは練習熱心な球団でもある。「厳しい練習」を積み重ねていくうちに、「苦楽をともにした」との意識も芽生え、他球団の選手よりも強い愛着を覚えるという。 また、こんな情報も聞こえてきた。 「実は、ソフトバンク側から(人的補償の)名簿が届いたとき、『馬原が良い!』と言ったのは森脇(浩司=52)監督でした。他のコーチ、フロント職員は別選手を押していましたが、森脇監督は譲りませんでした」(球界関係者) ダイエー、ソフトバンクで長年コーチを務めた同監督は、馬原を新人時代から知っている。1年間投げていないとはいえ、復活に関して確証に近い情報を得ていたのだろう。 しかし、オリックス投手陣を客観的に見れば、セットアッパーには平野佳寿(28)、クローザーには岸田護(31)がいる。昨季、52試合に登板した香月良太(30)はトレードに出したが、リリーフ投手の人数は決して少ない方ではない。他のコーチ、フロント職員が他選手を推した理由もこのへんにありそうだ。 「森脇監督がソフトバンクを退団する際、一部フロントとの衝突も伝えられました。オフの補強に成功したソフトバンクを早くも優勝候補に上げる声もあり、馬原を一本釣りしたのは『陽動作戦』の意味合いもあったのでは…」(前出・関係者) その馬原が一緒に自主トレをしている仲間のなかに寺原もいたのは、既報通り。仲良くやっているのは『今オフの再会』という約束があるからだろうか。
-
-
スポーツ 2013年01月26日 17時59分
身から出たさび! 大関復帰ならなかった把瑠都は一から出直し
大相撲初場所(両国国技館)で、大関復帰を目指した把瑠都(28=尾上)の夢はあえなくついえた。 把瑠都は昨年秋場所(9月=両国)で右足親指をはく離骨折、九州場所(11月=福岡国際センター)では左太もも裏を肉離れし、2場所連続で途中休場し負け越して、関脇に陥落。今場所、10勝以上を挙げれば特例で大関に復帰できた。 しかし、慢性化した左ヒザの故障は完治にはほど遠く、場所前の稽古は満足にできなかった。序盤戦、1勝2敗と厳しいスタートを切った把瑠都は、中盤戦から積極的に前に出る相撲に転じ、5勝3敗と星を持ち直した。だが、横綱の白鵬(27=宮城野)、日馬富士(28=伊勢ヶ浜)に連敗し、絶体絶命の5敗目を喫すると、13日目(1月25日)に平幕・高安(22=鳴戸)に寄り切られて6敗となり、大関復帰は露と消えた。 大関への返り咲きがならなかった把瑠都は、「残念です。ちょっと硬くなった。組んでくるとは思わなかった。何をしたかったのか分からない」と首をひねるばかり。今後については「残り2日間頑張ります」と、自身に言い聞かせた。 一から出直しとなった把瑠都だが、大関復帰への道のりは極めて厳しい。現行の降格制度になった69年名古屋場所以降、関脇に陥落したケースは把瑠都以外に16例(13人)あるが、落ちた場所に10勝以上を挙げて大関に戻ったのは5例(4人)しかなかった。ましてや、そのチャンスを逃した11例(10人)のうち、大関に再昇進できたのは魁傑(現放駒親方)ただ一人。 今場所、東前頭16枚目の雅山(35=藤島)は、01年九州場所で陥落後、06年に再びチャンスをつくり、三役で3場所連続2ケタの34勝(11敗)と十分な星を挙げたが、不運にも大関再昇進は見送れたケースがある。 北の湖理事長(元横綱)は「今場所は上がるチャンスだったが、一からやる方がもっと厳しくなる」と明言した。一度落ちた元大関の再昇進には、より高いハードルが待ち受けているのは必至。ましてや、現在4人の大関がおり、どうしても新たな大関をつくる必要性はない。 スポーツライターのA氏は「把瑠都の大関陥落は、身から出たさびですよ。把瑠都は稽古嫌いで知られており、降格の原因となったケガの多さは稽古不足からくるものです。1年前(昨年初場所)に優勝したように地力はある力士ですから、親方衆の間では、『稽古していれば、とっくに横綱になっている』と言われています」と語る。 把瑠都が復活できるかどうかは、故障箇所を治すこともさることながら、「稽古嫌い」の持病を克服するしかなさそうだ。(落合一郎)
-
スポーツ 2013年01月25日 15時30分
引退危機 断崖絶壁に立たされた“角界のロボコップ”高見盛
各界きっての人気者で、09年暮れにはLカップグラドルの松坂南と浮き名を流した高見盛(36=東関)が、引退の危機に瀕している。 東十両12枚目の位置で迎えた大相撲初場所(両国国技館)で、高見盛は3勝1敗と好スタートを切ったものの、2日目の鏡桜(24=鏡山)戦で右肩を痛めたのが響き、5日目から8連敗を喫し、12日目(1月24日)を終えて、3勝9敗の星となった。 残り3番で3連勝しても、6勝9敗で終わる。この星だと、番付は3枚程度下がるのが慣例。十両は14枚目までで、幕下に陥落することが濃厚となった。 ただ、十両と幕下との入れ替えは他の力士との兼ね合いがあり、まだ断定はできない。先場所(昨年11月=九州場所)、鳰の湖(26=北の湖)が西十両11枚目で5勝10敗と負け越しながらも、ラッキーにも十両にとどまった例もある。 番付を編成する審判部の鏡山部長(元関脇・多賀竜)は、高見盛の十両残留について、「あり得ない話するなよ。状態を見ろよ。もう終わりじゃん。もう落ちるのにカウントしている」と厳しい見方を示した。その一方で、鏡山部長は「(先場所の)鳰の湖の例もあるからね。今日でも確定なんだけど、明日負けたら観念してもらわないと」と、残り3連勝なら、十両残留のいちるの可能性があることも口にした。 とはいえ、三角筋付着部炎症で満足に右肩を動かせない高見盛が、残った相撲を全勝できるかとなると、極めて厳しい状態。 かねて、高見盛は幕下に落ちた場合は引退の意向を明らかにしていた。高見盛は「言い訳は一切しません。したくないので。明日も相撲を取らなきゃいけない。千秋楽まで取らなきゃいけない。集中したい」と、千秋楽まで全うする意思を示した。 先代の東関親方(元関脇・高見山)は「押し相撲に弱くなった。踏ん張りがなくなってきた」と衰えを実感している。腰の手術のため、入院中の東関親方(元幕内・潮丸)は、千秋楽まで相撲を取らせる意向だという。関係者には「(高見盛は)幕下に落ちても、ケガを治して、自分の相撲を取りたいという気持ちがあるのでは…」と話す者もいる。ファンのなかには、「幕下に落ちても、高見盛の相撲を見たい」という声が多いのも事実。 泣いても笑っても、あと3日。出された結果をもとに、場所後に先代東関親方、現在の師匠と進退について、話し合いがもたれるもようだ。(落合一郎)
-
-
スポーツ 2013年01月25日 11時45分
怪情報 糸井放出は大谷の「あのセリフ」に隠されていた!
パ・リーグを代表する好打堅守の外野手・糸井嘉男(31)の放出トレードが発表されたのは、1月23日。オリックス関係者が一部メディアに明かした話によれば、今回のトレードは日本ハム側から持ち掛けてきたという。しかも、「交換要員として、先に糸井の名前を出してきた」そうだ。 北海道日本ハムファイターズは“核になる内野手”がいない。二塁手・田中賢介をFAで失い、遊撃手の金子誠も今季、38歳になる。昨秋の日本シリーズでメスを入れた左ヒザを再び痛めており、開幕に間に合わない可能性もある。働き盛りの内野手・大引啓次(28)が欲しかったのは間違いないが、今回のトレードは「糸井を放出する目的」の方が強かったのではないだろうか。 日本ハムは余剰人員を持たない球団−−。 今さらだが、「アレは糸井放出を匂わせていたのでは?」と思える言動もある。投手と野手の二刀流に挑戦するドラフト1位ルーキー・大谷翔平(18=花巻東)が千葉県・鎌ヶ谷市の『勇翔寮』に入寮したときだった(9日)。大谷は記者団の要請に応え、囲み取材に応じている。 −−グラブはいくつ用意していますか? 「2つです。内野用と外野用の…」 外野用? 取材陣が「投手をやるときは、内野用と外野用のどちらを使うのか」を聞いた途端、球団職員が“時間オーバー”の取材切り上げを知らされた。 このときは聞き流してしまったが、この入寮日に至るまで、栗山英樹監督(51)を始めとする球団要人は「ピッチャーと遊撃手で」と、二刀流の内訳を伝えていた。 プロ野球投手で他ポジションのグラブを使う話は、聞いたことがない…。『投手用グラブ』は内野用、外野用とも形態が異なる。大きさ、硬さ、開き具合などは人それぞれだが、それは基本となる『投手用グラブ』があって、契約したスポーツメーカー担当者に「好み」を伝えて改造を加えていくのが一般的である。 大谷はプロ入りにあたって、グラブを新調したという。何故、投手用ではなく、外野用グラブを用意したのだろうか。ドラフト1位ルーキーならば、スポーツメーカーが『投手用グラブ』を改造してくれるのだが…。 日ハムが内々に外野守備の準備も伝えていたとすれば、糸井放出と同時に囁かれた『外野兼任説』と、“不可解なグラブ新調”は合致する。おそらく、ポスティングによるメジャー挑戦を表明した糸井との2013年オフの契約交渉はモメる。メジャー志望の大谷を口説き落としたことが、『糸井放出』を加速させたのではないだろうか。 「日本ハムには親会社の関係でJリーグ・セレッソ大阪の経営を知るフロント職員もいます。彼らは選手を育て上げ、海外の大型クラブに売るサッカーの経営スタイルを知っています」(他球団の職員) 日ハムは余剰人員を持たない球団とも言われている。近年、重複戦力は持たない少数精鋭のスタイルで優勝争いを繰り広げてきた。今回の糸井放出に驚き、批判的な地元ファンも少なくないそうだが、球団の展開としては、昨秋のドラフト会議後に描いていた『経営戦略』の一つにすぎないのかもしれない。
-
スポーツ 2013年01月24日 16時30分
日本ハム “球界ナンバー1外野手”糸井を電撃放出の舞台裏
1月23日、日本ハム、オリックス両球団から衝撃的な超大型トレードが発表された。 日本ハムは“球界ナンバー1外野手”との誉も高いWBC日本代表候補の糸井嘉男外野手(31)と、06年新人王の八木智哉投手(29)を放出。オリックスから木佐貫洋投手(32)、大引啓次内野手(28)、赤田将吾外野手(32)を獲得し、2対3の交換トレードが成立した。日本球界を代表する糸井の電撃トレードは、大きな衝撃を与えた。 オリックスはクリーンアップを任せられる外野手の獲得を熱望し、糸井に食指。日本ハムは木佐貫と正遊撃手である大引の加入で、コマ不足の先発投手陣と、田中賢介内野手(31=現ジャイアンツ)のFA移籍により手薄となった内野陣を補強できる。双方にメリットあるトレードとなったが、チームの中心選手の糸井を放出した日本ハムが損したイメージはぬぐえない。 糸井は03年のドラフト自由獲得枠で、近畿大から投手として日本ハムに入団。しかし、投手としては芽が出ず、3年目の06年に外野手にコンバート。08年から出場機会を得て、09年にレギュラーを奪取してからは4年連続で3割、20盗塁をマーク。選球眼も良く四球が多く、出塁率は3年連続4割台で、11年から2年連続でリーグ最高出塁率のタイトルを獲得。守っては驚異的な身体能力で守備範囲も広く、強肩を生かした補殺の多さも群を抜いている。まさに走攻守3拍子兼ね揃えた糸井は、日本球界屈指の外野手。リーグ連覇を目指す日本ハムにとっては、チームに欠かせない戦力だったはずだ。 そんな糸井を日本ハムはなぜ放出したのか。糸井は昨年12月6日の契約更改交渉で、球団提示の1000万円増の年俸2億円プラス出来高を保留。2回目以降は代理人に委ねたが、1月21日の交渉で大筋合意。今月中にサインする見込みとなっていた。 ただ、糸井側は21日の交渉で今オフ後にポスティングシステム(入札制度)を利用して、メジャーに挑戦する意向を球団に伝えた。だが、球団は糸井のポスティングを容認しない方向だったというのだ。某スポーツ紙記者は「関係者の話を総合すると、日本ハムが糸井のポスティング希望を認めないとなると、また今オフにもめることになります。球団が認めなければ、トレードという展開になってしまいかねません。『それであれば、1年早いが放出してしまえ』というのが真相のようです」と語る。 糸井は「今はさびしい気持ちでいっぱいですが、この世界では当たり前のことととらえています」とのコメントを発表したが、内心じくじたる思いであることは容易に察せられる。 糸井を受け入れるオリックスは、ポスティングでのメジャー挑戦という爆弾を抱えることになる。村山良雄球団本部長は「今後のことは直接本人と話をして聞きたい。(移籍1年目で)本人もそんなつもりはないでしょう」と楽観視したが、予断は許さない。 糸井がメジャー挑戦を急ぐ理由には、海外FA権取得の問題がある。糸井は1軍定着が入団5年目と遅かった関係で、順調にいって、その取得は17年シーズン。権利を行使してメジャーに移籍したとして、18年シーズンは37歳を迎える。すでに、峠は越えており、メジャー球団の評価も下がるだろう。そのため、全盛期にメジャーへ挑むとなると、ポスティングしか手段がないのだ。とはいえ、ローテーション投手の木佐貫や、正遊撃手の大引らを出してまでして獲得した糸井のポスティング希望を、簡単に容認するわけにもいかない。今オフにはひと悶着あってもおかしくないだろう。(落合一郎)
-
スポーツ 2013年01月23日 15時30分
亡くなった大鵬さんの孫が初代タイガーマスクに弟子入りへ “邪道”大仁田とデスマッチ対決も
1月19日に急死した“昭和の大横綱”大鵬さん(本名・納谷幸喜氏=享年72)のDNAが、格闘技界へ打って出る。 大鵬さんには三女・美絵子さんと、婿(後に離婚)の元関脇・貴闘力(前・大嶽親方=鎌苅忠茂氏)との間に4人の孫(男子)がいる。次男の幸林君(中3)、三男・幸之介君(中1)、四男・幸成君(小5)は将来的に角界入りを目指す予定だが、長男で現在、埼玉栄高3年の納谷幸男君(18)が、今春の卒業後、格闘技の世界に身を投じる意向であることが分かった。 幸男君が門を叩くのは伝説のプロレスラー、初代タイガーマスク(佐山聡=55)が主宰するリアルジャパンプロレスで、佐山自身も幸男君の入門を認めている。 幸男君は196センチ、120キロの恵まれた体格で、幼少期に相撲をしていたが断念。埼玉栄高では相撲部に籍はあるものの、稽古はしていない。相撲よりプロレスや格闘技に興味があり、父の鎌苅氏が佐山と親交があったことから、話はトントン拍子に進んだ。 佐山はプロレスだけではなく、武士道・掣圏真陰流も主宰しており、門下生は総合格闘技のリングでも活躍している。幸男君は入門後、まずは格闘技の基本的なトレーニングを積んだ上で、適性や本人の希望を考慮し、どちらかのリングでデビューさせることになる。 佐山といえば、現在、プロレスのリングでは、あの“邪道”大仁田厚とエンドレスの抗争を繰り広げている。幸男君がデビューした暁には、将来的に大仁田とのデスマッチ対決も夢物語ではなくなった。 体格的には、すでに大物プロレスラーの風格がある幸男君。昭和を象徴する偉大な男のDNAが、プロレス界、格闘技界を席捲する日が、早く来てほしいものだ。(落合一郎)
-
スポーツ 2013年01月22日 15時30分
同僚プロレスラーに暴行はたらき刑事処分受けたTARUが禁断の復帰へ
ついに、あのいわくつきのプロレスラーがリングに帰ってくる。 11年5月29日、全日本プロレスの兵庫・神戸サンボーホール大会で、悪役ユニットのブードゥー・マーダーズ(以下、VM)のメンバーだったスーパー・ヘイトこと平井伸和選手(43)が試合後、急性硬膜下血腫で倒れ、開頭手術を受ける事故が起きた。平井選手は一命を取りとめたものの、後遺症が残り、現在もリハビリ生活を送っている。 その試合前に、VMのリーダーであるTARU(48=本名・多留嘉一)が「日ごろの態度が悪いことを叱ったが、反省の色が見られなかった」として、平井選手に暴行をはたらいていたことが明らかになり、TARUは同年6月1日、自主的に無期限でプロレス活動を休止した。 それを受けて、同3日、全日本ではVMを強制解散とし、同じ控え室にいた連帯責任として、VMメンバーのMAZADA(37=本名・正田和彦)、KONO(32=河野真幸)、稔(40=田中稔)の3人に無期限の出場停止処分を科した。 団体が行った調査で、TARU以外の3人は手を出していないことが明らかになったとして、同30日付で処分は解除された。 その後、平井選手の母親が傷害容疑で告発。同年11月22日、兵庫県葺合署が傷害の疑いで、TARUとMAZADAを逮捕した。当初は暴行をはたらいていないとされていたMAZADAは、2人のいさかいを止める際に、手を出していたことが判明した。 しかし、TARUとMAZADAの暴行と平井選手が倒れたこととの因果関係が不明であるため、傷害罪には問えず。同年12月13日、神戸区検に暴行罪で略式起訴され、神戸簡易裁判所はTARUに罰金30万円、MAZADAに罰金20万円の略式命令を出した。2人は罰金を納付して釈放され、刑事事件的にはケリがついた。 MAZADAはすでに全日本のリングに復帰し、レギュラー参戦している。主犯格のTARUは活動を休止したままだったが、1月21日、記者会見を開き、活動自粛を解き、1年8カ月ぶりに復帰することを宣言した。 ターゲットにするのは、佐々木健介(46)率いるDIAMOND RING(以下、DR=北斗晶代表)のリング。かつて、VMのメンバーだった“brother”YASSHIとVMを復活させて、2・11後楽園大会に参戦する。健介、北斗(45)夫妻の芸能活動は順調だが、健介は首の故障のため長期欠場中で、今大会が4カ月ぶりの復帰戦となる。劇薬ともいえるTARUを受け入れることで、DRには賛否両論が渦巻くことになりそうだ。(落合一郎)
-
-
スポーツ 2013年01月21日 15時30分
急死した大横綱・大鵬さんを超える力士は出るか?
“昭和の大横綱”大鵬の納谷幸喜(なや・こうき)氏が、1月19日午後3時15分、心室頻拍のため、東京都新宿区の慶応病院で死去した。72歳だった。 大鵬さんは18日に体調が急変。東京都江東区の自宅で呼吸困難に陥り、慶応病院に入院した。一時は持ち直したものの、その後、容態が悪化し息を引き取った。 まさに不世出の大横綱だった。大鵬さんは40年5月29日、ウクライナ人の父と日本人の母との間に樺太(現サハリン)で生まれた。45年に第2次世界大戦が終わると、5歳の時に母と北海道に引き揚げたため一家は離散。 11歳の時から川上郡弟子屈町で過ごし、林野庁関係の仕事をしながら、弟子屈高校定時制に通っていたが、同校一年の時にスカウトされ、56年に二所ノ関部屋に入門。同年9月の秋場所で初土俵を踏んだ。58年5月の夏場所で新十両、60年1月の初場所で新入幕、同年7月の名古屋場所で新三役とトントン拍子で出世。 同年11月の九州場所で史上最年少(20歳5カ月=現在の記録は貴花田の19歳5か月)で初優勝を果たすと、翌61年1月の初場所では、史上最年少(20歳6カ月=現在の記録は貴ノ花の20歳5カ月)で大関昇進。同年11月の九州場所では、ライバル柏戸とともに、史上最年少(21歳3カ月=現在の記録は北の湖の21歳2カ月)で横綱に昇進した。 ライバル柏戸とともに、“柏鵬時代”を築き、71年5月の夏場所途中で引退するまで、実に史上最多32回の優勝を積み重ねた。 大鵬さんが残した偉大な記録は優勝回数だけではない。全勝優勝8回(双葉山、白鵬と並び史上最多)、連続優勝6場所(現在の記録は朝青龍、白鵬の7場所)が2回、45連勝(歴代4位)と枚挙にいとまがない。通算成績は872勝(歴代5位)182敗136休(勝率.827)、幕内成績は746勝(歴代4位)144敗136休(勝率.838)と驚異的な勝率を誇る。 引退後は史上初の一代年寄として、大鵬部屋を創設し後進の指導に当たり、元関脇・巨砲ら14人の関取を育てた。05年に5月に定年退職し、相撲博物館の館長を務めたが、08年11月に体調問題で退任した。 その一方で、77年、36歳の時に脳梗塞で倒れ、左半身に麻痺が残るなど、体調面で不安を隠せず、理事まで務めたが、理事長職には就けなかった。 退職後、部屋は三女・美絵子さんの婿(後に離婚、養子縁組を解消)である元関脇・貴闘力(鎌苅忠茂氏)が大嶽部屋として後継したが、大嶽親方が野球賭博に関与したとして、10年7月に日本相撲協会から解雇され、同部屋は現大嶽親方(元十両・大竜)が引き継いだ。 大鵬さんが引退してから、約42年が経過しようとしているが、32回の史上最多優勝は誰も抜くことができなかった。元横綱・千代の富士(現・九重親方)が31回まで迫ったが、並ぶことはできず。これには朝青龍(25回)、北の湖(24回)が続いているが、この記録を超える力士はもう出ないのだろうか。 唯一、可能性を秘めているのが、優勝回数23回で歴代5位の白鵬(27=宮城野)だ。大鵬さんの記録まで、あと9回。朝青龍が10年1月の初場所後に引退後、一人横綱として、7場所連続優勝を飾るなど、優勝回数を稼いだ。しかし、昨年は日馬富士というライバルが出現し、わすか2度の優勝に終わった。 今後、仮に年3回ずつ優勝し続けたとしても3年を要し、年齢は30歳となる。大鵬さんは30歳で引退しており、白鵬が優勝回数32回を抜けるかどうかは微妙なところ。今後、大鵬さんに匹敵する大横綱が出るかどうかは疑問で、白鵬が超えることができなければ、この記録は永遠に伝説となる可能性も高い。 なお、大鵬さんの通夜は30日午後6時から、葬儀・告別式は31日午前10時から、東京・青山葬儀所で執り行われる。喪主は芳子夫人。(落合一郎)