スポーツ
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スポーツ 2013年01月21日 11時00分
2020年東京五輪「当確」 レスリング・吉田沙保里が女子ラグビー「二刀流」参戦(2)
さて、2020年の五輪開催都市は今年9月7日にブエノスアイレスで開かれるIOC総会の投票で決まる。最終選考に残ったのは東京、マドリード(スペイン)、イスタンブール(トルコ)の3都市。昨年5月のIOC評価では東京は輸送、宿泊施設、医療サービス、安全警備など7項目で1位だったが、唯一のネックが「国民の支持」。ライバルのマドリード、イスタンブールがともに73%の支持を得ていたのに対し、東京はわずか47%にとどまった。開催地決定の大きな判断基準だけに不安を残すのだ。 「候補地の国民に直接賛否を問う国民支持調査が1月〜2月に実施される予定で、これで趨勢が決まる。ここでライバルに負けない数値を出さないと招致に黄信号が灯るのです。事前の予備調査ではロンドン五輪の日本選手の活躍もあり、66%まで上昇しており、今後10年で200兆円の公共事業を打ち出した安倍自民党政権に変わったことでさらなる上昇は見込める。そのアゲアゲ策の総仕上げとなるのが国民栄誉賞を受賞した吉田のラグビーへの助っ人であり、東京五輪の招致アンバサダー(大使)抜擢です。就任の席でも『私、吉田沙保里は東京招致ができたなら、8年後は止められても出ます、もちろん金メダル』と宣言していたが、胸に秘めているのはラグビーでの出場なのです。実際、『20代はイノシシみたいに突っ走ってすごく早かった。30代は楽しみながら変身も含めていろいろ経験したい』と発言しており、二刀流プランを前向きにとらえているのは間違いない。ALSOK社が東京五輪招致委員会のオフィシャルパートナーになったのも、新年から吉田が練習の拠点を東京に移すのもそのためでしょう」(全国紙五輪担当記者) ラグビーにとっても救世主出現だ。2019年にラグビーのワールドカップ日本開催が決まっているからである。世界的なビッグイベントにも関わらず、サッカーとは違い、国内ではイマイチ盛り上がりに欠ける。 来年3月には開催希望自治体を受け付け、'15年5月に開催10会場が決まる。1次リーグで4万人、準決勝、決勝は8万人規模の専用スタジアム建設が条件で、それぞれのスタジアム建設には200億円〜300億円が投じられるというが、「そんな金より震災復興が優先」という声もあり、機運は盛り上がらない。騒いでいるのは大手ゼネコンと広告代理店ぐらいの声も聞く。 「いまや全国大会の高校ラグビーにしても予選出場校が集まらず、九州のある県などは予選4チームというありさま。180億円が予想されるW杯運営費を賄おうと超党派でつくるスポーツ議員連盟(会長・麻生太郎元首相)はラグビーくじ(toto)実施の法改正を図ったものの、売り上げが期待できず挫折している。肝心の日本代表『サクラジャパン』が'91年のイングランドW杯でジンバブエを下して以来、W杯で5大会連続勝ち星がないのが一番の原因。現在のサクラジャパンは元オーストラリア代表ヘッドコーチのエディー・ジョーンズ氏をヘッドコーチに迎え、代表メンバー30人中10人を外国人出身選手で補強しているが、昨年9月の1次予選リーグA組では後進国のカナダにさえ勝てず最下位でした。惨状打開には化ける可能性の高い女子セブンズに期待するしかない」(スポーツ議員連盟秘書) なるほど、女子セブンズは昨年夏、マレーシアで開催された『アジア・パシフィック女子セブンズ』決勝でオーストラリア(ドバイ杯優勝)に敗れたものの、準優勝。同10月のセブンズW杯アジア地区予選(インド)でもフィジー、中国とともに今年6月のロシアW杯本大会出場を決めている。女子レスリング勢の援軍なしでも世界水準なのだから、彼女たちが加われば無敵艦隊も夢ではない。 「ラグビーファン以外にはあまり知られていませんが、日本の男子ラグビーのトップリーグ(スーパーリーグ)にはサッカーに例えるならメッシやクリスティアーノ・ロナウド級の世界的なスター選手が何人も参戦している。豪州やニュージーランドの南半球のシーズンは2月〜8月で、オフ(9月〜1月)は日本でプレーしている。『パナソニックワイルドナイツ』でプレーするソニー・ビル・ウィリアムズ(NZ代表)が代表格で、彼は現役ボクサーで東太平洋ヘビー級1位。彼らを参考に二刀流プランを組み立てるのでしょう」(ラグビー専門誌ライター) 今年は女子ラグビーがスポーツ界の台風の目になる。
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スポーツ 2013年01月20日 11時00分
2020年東京五輪「当確」 レスリング・吉田沙保里が女子ラグビー「二刀流」参戦(1)
今年のプロ野球は「投手と打者で日本一」を目指す日本ハムの大谷翔平の二刀流宣言が話題だが、それを上回る夢の二刀流プランが持ち上がり、スポーツ界が沸騰している。 五輪3連覇と世界選手権を加えて13連覇を達成、国民栄誉賞まで手にした吉田沙保里(30)のズバ抜けた実力と人気にあやかろうと、ラグビー界が獲得に乗りだしたのだ。 発端は昨年12月20日に都内で開かれた吉田の「国民栄誉賞を祝う会」。お祝いに駆け付けた日本ラグビー協会会長の森喜朗元首相が「(リオ五輪に吉田を)ぜひ使いたい」と助っ人要請し、「伊調(馨)さん、浜口(京子)さんと3人でスクラムを組めば、五輪にいける」と、とんでも構想をぶち上げたのだ。 この発案に共感したアントニオ猪木、朝青龍(元横綱)、九重親方らもすかさず「二刀流」の後押しを約束、一気に現実味を帯びてきたのだ。 「はじめは外交辞令かと思ったが、ラグビー界は既に調査済みでいい感触を得ているようです。決してマユツバの話ではない。ラグビーといっても、五輪の女子ラグビーはセブンズと呼ばれる7人制で前後半各7分。しかも、1日に何試合もする。ここ一番で彼女達を投入する作戦です。女子ラグビーは歴史が浅いこともあり、キャリアより体力勝負の側面を持つ。プレーする7選手の中に吉田、伊調、浜口が入れば、労せずトライを狙える。とりわけ、吉田十八番の高速タックルはラグビーの域を超えている。異次元のプレースタイルですから」(大手広告代理店五輪担当者) 二刀流転身への本気度を示すように、昨年末に行われた女子レスリングの全日本選手権では吉田(55キロ級)、伊調(63キロ級)、浜口(72キロ級)の3選手がそろって欠場した。五輪後でもあり、オーバーホールの目的もあるのだろうが、五輪招致関係者によれば、後進の育成の狙いも込められているという。 3年後のリオデジャネイロ五輪では吉田、伊調はそれぞれ34歳と32歳。浜口に至っては38歳。年齢的にレスラーとしてのピークを超えているし、その4年後の東京五輪ともなればなおさらだ。そこで女子ラグビー兼任を視野に入れているのだ。 「なでしこジャパンじゃないが、まだ競技人口の少ない女子ラグビーならメダルが十分に狙える。2010年に発足した日本代表の女子セブンズチームにしても、エースでモデル級の美形の鈴木彩香(23)を除けば生粋のラガーは少なく、主将の中村知春はバスケット、FW片嶋佑果は陸上円盤投げといった具合いにバレーボール、ハンドボールなどからの転向組でレスリングでも違和感はない。吉田や伊調は所属するALSOK(総合警備保障)のテレビCMでもわかるように、彼女たちは十分に走り込んでおり、走力に不安はない。かつ浜口をスクラムの中心に据えれば、無敵でしょう。なでしこを上回る人気競技になるポテンシャルを備えているのです」(スポーツ紙デスク)
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スポーツ 2013年01月19日 17時59分
吉田沙保里がリオ五輪と出産を「計算しないと」と笑顔!
オリンピックを含むレスリング世界大会13連覇中の吉田沙保里選手と、歌手のMs.OOJAが18日、東京・港区の複合商業施設「東京ミッドタウン」で開催された「第2回 東京ミッドタウン 三重フェア」のオープニングセレモニーに登場し、トークショーを行った。 同日から27日まで東京ミッドタウンで開催される三重フェアでは、伊勢神宮で社殿らを作りかえる20年に一度の大祭「式年遷宮」や、三重の伝統工芸品などを紹介し、伊賀忍者ショーも実施。期間中、「東京ミッドタウン レストラン」では三重の食を堪能することができる。また、三重県は、夏に東京・中央区の日本橋に三重のPRセンターを開設し、秋に本番を迎える「式年遷宮」らを紹介するという。 トークショーには、三重出身の吉田選手とMs.OOJAが駆け付けた。吉田選手は、特産品のあわびや松阪牛が大好きで、三重で開催された国民栄誉賞を祝う会の帰りに、伊勢うどんを食べたエピソードを紹介。吉田選手のパワーの源が、故郷・三重の食にあることを明かした。 また、式典では、伊勢のバラ30本の花束が、県知事から2人へ贈られた。吉田選手は、「プロポーズされた感じです」と感激。Ms.OOJAとの女子トークへ突入すると、「結構、イケメン好きです」と会場を沸かせ、「結婚願望があります。子どももほしい。でも、リオ(オリンピック)もあるので」と語り、「計算しないと」と笑顔を見せた。(竹内みちまろ)
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スポーツ 2013年01月19日 17時59分
プロ野球選手引退後の厳しい現実
毎年、多くの選手がドラフトで指名されて、プロ野球界に身を投じるが、それと同じ数の選手が引退を余儀なくされる。現役続行を断念した選手の引退後の生活は、年々厳しさを増している。 トップ選手や指導力を見いだされた者なら、監督、コーチとして、指導者の道が開かれる。プロ野球選手にとって、引退後の仕事としては最も魅力的な仕事は、やはりプロの指導者だ。ネームバリューにもよるが、監督なら5000万〜1億円程度、コーチでも1000万〜3000万円程度の年俸が保障される。ただ、監督やコーチはいつ契約を打ち切られるか分からず、安定した仕事とはいえない。 ユニフォームを着ることができない者は解説者、評論家として、テレビ、ラジオ、スポーツ新聞等で活躍するのが一般的。だが、解説者を取り巻く環境は大きく悪化している。最大の理由はプロ野球中継が地上波から撤退せざるを得なくなった点と、不景気によるスポンサー収入減により、ギャラ相場が大きく下落した点だ。 視聴率低迷が原因となり、この2〜3年で地上波でのプロ野球中継(主に巨人戦)は激減し、BS、CSにスライドした。当然のことながら、地上波に比べると、BSやCSは予算が少ないため、解説者のギャラも地上波に比べれば、大きく落ちる。 バブル期、現役時代にスター選手だった者は、各テレビ局と高額な報酬で年間契約を結んでいたため、コーチ並みの収入を得られていた。だが、年間契約はなくなり、スポット出演が慣例となった上、ギャラ相場も大きく下がっているという。 メディア事情に詳しいスポーツジャーナリストのA氏は、「地上波での解説者のギャラは、平均的なケースで50万円程度だったものが、10万〜20万円程度にまで下落しているようです。それがCSとなると、相場は5万円程度にまで下がります。ラジオはもともと、テレビより安いですが、これも同様です」と語る。 巨人戦を中継する日本テレビ系列のG+を除けば、他のCS局ではスター選手より中堅クラスだった者が解説者を務めることが多い。それは、予算の関係だ。早い話、CSではスター選手はギャラが高くて呼べないのである。 スポーツ新聞はというと、これも近年、ネットの普及で新聞の売り上げはダウンし、専属評論家に支払う原稿料相場は大きく落ちているという。 それでも、スター選手だった者は、なんらかの仕事があるのでまだいい。中堅クラスや2軍暮らしが長かった者の引退後は深刻だ。打撃投手、ブルペン捕手、用具係、スコアラー、スカウト、球団職員といった形で、球団運営に関われればいいが、それができなければ、野球以外の第2の人生を考えなければならない。自営業をするにしろ、会社勤めをするにしても、学生時代から野球一筋でやってきた者にとって、一般社会の水は厳しい。 引退しても、どんな形でもいいから野球に携わる仕事がしたいというのがホンネだろう。ただ、これまで、そういった仕事がなかったのが現実だった。その意味で、今回、日本学生野球協会が高校野球の指導者になるための規定を大幅に緩和する案を、NPB(日本野球機構)に提示した意義は大きい。 これまで、「中学、高校で2年の教諭歴」がなければ、高校野球の指導者になれなかったのが、NPB、日本学生野球協会の研修を受けて、学生野球資格の回復ができるようになれば、多くの元プロ野球選手が、その職に就くことができるようになる。 むろん、現役でバリバリやっていた頃の高給は保障されない。しかし、選手を辞めても、高校野球指導者という新たな道ができたことで、多くの元プロ野球選手を救済できる。数年後には高校野球の監督の大多数が、元プロ野球選手だという時代が来るかもしれない。(落合一郎)
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スポーツ 2013年01月19日 11時00分
宿命のライバルの因縁 松井秀喜「引退」を決断させたイチローのヤンキース残留(2)
松井の父親・昌雄氏に近いテレビ関係者はこう語る。 「松井には日本に帰ってプレーするという選択肢は頭になかった。絶対に帰らない−−この信念は昌雄さんもびっくりするくらいに頑固で意志は固かった。表面的には怪我と闘ったこの数年間であった。アメリカの身体検査は日本とは比較にならないほど精密で、まずは健康体であって契約が結ばれる。そうでなければ、どの球団も契約を結んでくれない。日本ではパスできたとしても、メジャーは絶対にない。それは松井もある程度予想していました」 松井本人も先の引退会見で「この体では日本に帰っても“巨人の4番を張った”姿を見せられない。かえって日本のファンに失礼だ」と語っている。 松井の本当の膝の状態はどうだったのか。松井の膝を診断したことのある某トレナーが証言する。 「松井の膝は、巨人時代の清原和博がごまかし、ごまかし、隠し通しプレーしていたとき以上に酷いと診断されていました。その清原より悪い状態ということは、再起不能に近いものでした。メジャーの球場、しかも、人工芝では膝が持つはずがなかった」 そんな最悪な状況の中で、松井は現役継続できる一縷の望みをメジャーで探し求めていたのだ。 「どんなに日本の球団がいい条件を出しても、気持ちは動かなった」(前出・テレビ関係者) 阪神は、契約条件などどこの球団よりも厚遇、高額なものを用意していたといわれるが、それでも興味を示さなかった。 当然、メジャーへ移籍後も師匠・長嶋茂雄終身名誉監督との交流は続いていた。巨人時代に素振りの練習をマンツーマンで指導してもらったことを松井は一番の思い出に挙げた。 実は怪我と闘ったここ数年、ミスターは何度も激励の電話を松井にかけていた。また、シーズンオフの際は、ミスターがリハビリを続けている都内の自然教育園に、松井が訪れる計画が持ち上がったほどだ。 私はミスターのリハビリ動向を取材として日課にしてきた。'04年3月、脳梗塞で倒れたミスターが一日も欠かさずにリハビリを継続しているのは、“現役監督復帰”を夢見ているからにほかならない。その本心を松井は知っている。 確かに、現実的にはあり得ないことだ。松井自身「メジャーに行く限りは日本へ帰ってこない決意で行ってきます」とミスターに断言し渡米している。しかし、もし、ミスターが巨人監督で復帰し、かつ帰還指令が出たなら、松井は迷わず日本に帰ってきたはずだ。それだけが読売、巨人との接点だった。 スポーツ紙では、松井の巨人監督説を報じているが、ミスターの本心・夢を知っている松井がそれを潰すことはまずないだろう。 2人の関係は読売という枠を超えた深い絆がある。阪神ファンだった松井をドラフト('92年)でミスターが引き当て、日本一のスラッガーに育て上げた。 そして、松井は自分の意志を貫き引退した。ただ一つ、思いもよらなかったのが運命の悪戯か“イチローヤンキース”による“引退”だった。
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スポーツ 2013年01月18日 16時30分
プロ野球退団組に明るい希望 高校野球指導者条件が大幅に緩和へ
NPB(日本野球機構)と日本学生野球協会が1月17日、プロ野球経験者が学生野球の指導者になるための規定を話し合う「学生野球資格に関する協議会」を開き、学生側は高校野球の指導者になるための規定を大幅に緩和する案をNPBに提示した。これで、「柳川事件」から50年以上続いたプロ、アマの交流断絶が歴史的な雪解けとなる。 「柳川事件」とはプロ、アマ間の関係が悪化するきっかけとなった事件。プロ野球は日本社会人野球協会と協約を締結していたが、プロ退団者の登録時期や人数制限などで紛糾。プロ側が61年4月に同協約を破棄。直後にシーズン中でありながら、中日が日本生命の柳川福三外野手を獲得。社会人側はプロとの断絶を決め、日本学生野球協会もこれに同調し、プロとアマの確執が始まった。 これまで、プロ野球経験者が高校野球の監督などの指導者になるためには、「中学、高校で2年の教諭歴」という高いハードルがあったが、学生側はこれを撤廃。NPBの研修を受けた上で、日本学生野球協会が公認する研修制度を受講すれば、学生野球資格の回復が認定されることになった。 アマ側の研修は「校内における部活動の位置づけ概論」など8項目あり、1項目に対して1時間、計8時間を3日間で行う方向。NPBの研修内容は今後詰められるが、2日程度の座学となる。アマの研修受講資格者はNPBの研修を受講した者で、かつ1球団につき5人が目安で1年に60人程度となる。早ければ、今年中に正式決定する見通しで、資格が取れれば翌日から指導者になれる。 現行の制度で学生野球資格を回復し、高校野球の監督になったのは、甲子園出場も果たした元ダイエー(現ソフトバンク)で早鞆高(山口)の大越基氏(41)、今季より日本ハムのヘッドコーチに就任した前川越東高(埼玉)の阿井英二郎(48)などの例がある。いずれも、引退後に教員免許を取得するなど、高いハードルをクリアせざるを得なかった。 大学や社会人では先んじて緩和されており、大学では05年にプロ退団後2年経過すれば、指導者への就任が可能となり、元広島監督の古葉竹識氏(76)が東京国際大、元中日の江藤省三氏(70)が慶応大の監督を務めており、元巨人の高橋善正氏(68)も中央大の指揮を執っていた。社会人では97年に元プロ選手の受け入れが決まり、02年から指導者に就くことができるようになった。 この規定緩和によるメリットは、学生側がこれまでより高いレベルの指導を受けられること。そして、プロ野球を引退、戦力外になった選手にとっては、高校野球指導者という新たな再就職口が大きく広がった点だ。 NPBが11年10月に若手選手223人を対象に、「引退後、一番やってみたい仕事」というアンケートを取ったところ、1位は圧倒的に高校野球指導者で28.4%、以下、2位・飲食店開業=13.0%、3位・大学・社会人指導者=11.7%、4位・スカウト、スコアラー=11.1%、5位・プロ野球監督コーチ=8.6%だった。 対象が若手だったということもあるが、多くのプロ野球選手がプロの指導者より高校野球の指導者になりたいと思っている現実を考慮すると、今回の規定緩和は学生野球側、プロ野球退団組側、双方に大きなメリットとなり、学生野球の底辺拡大につながる。 これで、ルール上ではスター選手でも高校野球の監督に容易に就くことが可能となった。ただ、現実として、受け入れる高校側がスター選手に見合う「報酬」を用意できるかは疑問で、中堅クラス、2軍選手が高校野球の指導者に就任することが多くなりそうだ。いずれにせよ、今回の学生側の歩み寄りは、野球界全体の構造を大きく変えるきっかけになるだろう。(落合一郎)
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スポーツ 2013年01月18日 11時00分
宿命のライバルの因縁 松井秀喜「引退」を決断させたイチローのヤンキース残留(1)
「松井は日本には帰ってこないですよ! ましてや将来的に読売巨人軍監督など引き受けるわけがない。あるとすればメジャー。しかも、ヤンキース監督なら引き受けるでしょう。これは相手がある話ですから松井本人の意思で決められることではないですが、現役時代から『僕の本心はヤンキースで引退したい』が願望であり、こだわりでした」 松井秀喜(38)の父親・昌雄氏と親しいマスコミ関係者から聞いた話だ。松井の本心を知る数少ない人物の証言である。 昨年12月27日(日本時間28日)、巨人、ヤンキースで活躍したゴジラ松井が引退を表明した。日米通算2643安打、507本塁打を放ち、20年間に及ぶ現役生活にピリオドを打った。 昨年7月25日、レイズから戦力外通告を受けた後も、ニューヨークでトレーニングを続けていた。「トリプルAからでも這い上がってやる」。自ら鼓舞しメジャー球団からのオファーをひたすら待っていた。 僅かな期待ながらも、古巣ヤンキースからの打診を待ちわびていた松井に、衝撃が走ったのは12月19日だった。FAとなっていたイチロー(39)とヤンキースが2年1300万ドル(約11億円)で契約したことを正式に発表したからだ。 お互いライバル視する松井とイチローには運命の悪戯が隠されている。 昨年7月23日、イチローがヤンキースへ電撃移籍したニュースは日米のファンを驚かせただけでなく、松井の胸には大きく突き刺さった。考えられない衝撃に絶句した。松井が最後の花道として熱望していたヤンキース復帰に、イチローもまたラストを飾る球団に選んだからだ。 しかも、2日前に松井はレイズから戦力外通告−−。常に意識し合ったスター選手からすれば、屈辱以上のものだったに違いない。 また、2人の立場は予期せぬ方向へも波及していった。昨年3月、大リーグ日本開幕戦レセプションで、松井との確執が消えてない渡辺恒雄球団会長が、イチローへ巨人監督要請したことだ。さらに、同8月には、ラジオ番組で将来の巨人監督として「松井かイチローか」という個人名を出した質問に対し「僕はイチロー」と渡辺会長は答えている。 巨人の4番を背負った松井と外様のイチロー。松井は「読売は嫌いだから帰らない」または「ナベツネ嫌い」を発言したことはないが、松井が巨人からヤンキースへ移籍('02年)したときの経緯に携わった側近のアドバイスも、「意地でも読売には帰るなよ」だった。
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スポーツ 2013年01月17日 15時30分
今場所もダメダメ! 3年ぶり4大関総崩れの失態
毎場所、繰り返される大関陣のふがいなさぶり。「今場所こそは…」と期待をしても、結果は出ない。そして、やはり今場所もダメダメだった。 大相撲初場所(両国国技館)はまだ4日目が終わったばかりだというのに、4人の大関陣は早くも優勝戦線から撤退の様相となった。 4日目(1月16日)、琴欧洲(29=佐渡ケ嶽)が平幕・妙義龍(26=境川)にはたき込みで敗れると、鶴竜(27=井筒)も平幕・安美錦(34=伊勢ケ浜)にはたき込まれ、稀勢の里(26=鳴戸)は大関復帰を狙う関脇・把瑠都(28=尾上)にすくい投げで敗れた。そして、琴奨菊(28=佐渡ケ嶽)は関脇・豪栄道(26=境川)に突き落とされて、4大関が総崩れする大失態を演じてしまった。 4大関すべてが敗れるのは10年春場所(3月=大阪)の中日(8日目)以来、約3年ぶり。この時は日馬富士(28=伊勢ヶ浜=現横綱)、琴欧洲、魁皇(40=現・浅香山親方)、琴光喜(36=解雇)の4人だったが、最終的に、同場所では日馬富士と琴欧洲が辛うじて2ケタの10勝(5敗)。琴光喜は9勝(6敗)、魁皇は8勝(7敗)止まりに終わり、全勝優勝した1人横綱の白鵬(27=宮城野)には遠く及ばなかった。 このていたらくに、北の湖理事長(元横綱)は「大関は全然いいところがない。負け方も悪い。まだ4日目だよ。誰かが優勝争いに残らないと。意地を見せてほしい」と怒り心頭。 今場所、4日目が終わった時点で、琴奨菊がただ一人、3勝1敗。稀勢の里、鶴竜、琴欧洲の3人に至っては2勝2敗。優勝争いは日馬富士、平幕の北太樹(30=北の湖)、栃乃若(24=春日野)が4連勝でトップを走り、白鵬らが1敗で追走している。 この先、中盤戦以降、大関陣には横綱、大関との潰し合いが待っており、1敗の琴奨菊はともかく、すでに2敗を喫している3大関が優勝争いに加わるのは難しい状況。 先場所(昨年11月九州場所=福岡)、5大関のなかで2ケタの10勝(5敗)を挙げたのは稀勢の里だけで、琴奨菊、鶴竜、琴欧洲は1ケタ勝利に終わり、2場所連続途中休場の把瑠都(28=尾上)は関脇に陥落。5人も大関がいても、誰一人、優勝争いに絡むことはできなかった。 今場所もまた同じことが繰り返されそうな気配だ。大関陣が奮起しなければ、優勝争いは盛り上がらない。もはや、この4大関には期待をかけるなということなのか…。(落合一郎)
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スポーツ 2013年01月16日 15時50分
巨人・沢村 原監督の甥・菅野加入で抑えに強制転向か!?
昨季、日本一を果たした巨人・原辰徳監督(54)が、沢村拓一投手(24)の抑え転向プランを練っている。 昨年12月、優勝旅行先のハワイでのことだった。3月のWBCで抑え候補にリストアップされている沢村のシーズンでの起用に関して、「沢村だって、十分(抑えの)可能性があるんじゃない」と仰天発言。 原監督は「2ケタ勝利を挙げているとはいえ、2年間でいくつ貯金したの? 彼の働きどころとして、もっとふさわしいところがあるのかもしれない」「あれだけのボールを持っているのだから。その辺のところもね、2012年、日本一になったけれども、やはりさらに強くするためには、チームの一人一人の力を、どういう歯車の中で使う方がベストなのか、というのを余計に考えないといけないと思う」と、沢村に抑え転向プランがあることを明かしていた。 これを伝え聞いた沢村は抑え転向を断固、拒否の構え。現在、グアムで自主トレ中の沢村は「原監督が、自分を抑えにしたい意向を新聞で読んだ。でも、自分は先発一本でやらせてもらうつもりでやっています。それしか考えていないです。オフに入ってから、先発としての調整をしていますし、キャンプでは成長したところを見せたい」と話している。 1月15日、客員教授を務める国際武道大で特別講義を行った原監督は、受講した学生から、沢村の抑え転向について聞かれると、「新聞紙上でグチュグチュ言っているようだけどね。拒否しているとか、していないとかではなく、沢村あっての巨人ではなく、巨人あっての沢村。その部分は十分、理解しているでしょう。しかし、強い意志の中で巨人の先発ローテを守りたい、というのは伝わってきた」とコメント。 「今年は先発投手として内海(哲也)同様、多く貯金ができる先発投手になってもらいたい。これがボクの希望です」としながらも、「適材適所の中でチームを作るのも重要なこと。いいコンディションを作って2ケタ勝利は挙げるけども、この2年間、貯金はしていない。そういう現実はある」と、今季の起用については、まだ流動的であることを示唆した。 沢村は11年に11勝11敗をマークし新人王を獲得。昨季も10勝10敗で、ルーキーイヤーから2年連続で2ケタ勝利を挙げた。しかし、貯金はゼロ。投球回は200回(11年)から169回2/3(12年)に減り、防御率は2.03(11年)から2.86(12年)と、ともに大きく数字を落とした。 原監督が引っかかっているのは、沢村の勝率の悪さだ。エースの内海(30)は18勝5敗(11年)、15勝6敗(12年)と2年間で22の貯金を作っている。昨季FAで移籍した杉内俊哉投手(32)は終盤、故障でリタイアしたものの、12勝4敗で8つの貯金をした。二人の勝率と比較すれば、いかに沢村の勝率が悪いか明白だ。 それを思えば、原監督が沢村は先発に向かないと考えても無理からぬところ。沢村の持つ剛速球とハートの強さをもってすれば、抑えの方が先発より適性があると考えるのも自然な流れだ。 しかし、沢村の抑え転向プランの背景は、それだけではなく、かわいい甥の菅野智之投手(23)の加入も影響しているようだ。日本ハムの指名を拒否して浪人してまで、“叔父愛”を貫いただけに、原監督にとっては眼に入れても痛くないほど、かわいい存在であることは間違いない。 某スポーツ紙記者は「原監督はなんとしても、菅野をローテーション投手として育てたいでしょう。菅野が先発で投げられれば、先発枠に余剰人員が出ます。そうなると、誰をリリーフに回すかとなると、沢村が候補に浮上したのでしょう」と語る。 原監督の発言を聞く限り、沢村の抑え転向は決定事項ではなく、状態を見て臨機応変に対応する意向のようだ。だが、菅野が先発で使えるメドが立てば、チーム方針で沢村が強制的に抑えに配置転換される可能性もありそうだ。(落合一郎)
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スポーツ 2013年01月15日 15時30分
お先真っ暗! 大関復帰目指す把瑠都は風前の灯
まさにお先真っ暗というしかない。 大相撲初場所(両国国技館)で大関復帰を目指す関脇・把瑠都(28=尾上)が、2日目で早くも手痛い1敗を喫した。 昨年秋場所(9月=両国)で右足親指をはく離骨折、九州場所(11月=福岡国際センター)では左太ももを肉離れし、2場所連続で途中休場し負け越した把瑠都は、関脇に陥落。今場所、10勝以上を挙げれば特例で大関に復帰できる。 初日(1月13日)こそ、平幕の豊響(28=境川)を上手投げで破ったものの、2日目(14日)は大関・琴奨菊(28=佐渡ケ嶽)にいいところなく寄り切られ、早くも黒星がついた。 現行の制度となった69年の名古屋場所以降、大関から関脇に陥落した例は16あるが、そのうち大関に復帰できたケースはわずか3割の5例しかない。しかも、2日目までに黒星を喫して再昇格できた例は一度もない。 九州場所で痛めた左足は完治にはほど遠く、場所前満足な稽古はできず、7日の横綱総見も欠席した。相撲内容が良ければ、まだ希望も見いだせるが、この状態では残り13日で9勝以上をマークするのは至難のワザだ。ノルマの10勝を挙げられなければ、一からやり直しとなる。 北の湖理事長(元横綱)は「前半戦でこの1敗は痛い。前に攻めていく相撲を取らないと厳しい」と、ほとんどダメ出し。 体調は万全ではなく、稽古も不十分となれば、頼れるのは気力と地力だけ。残る13日間でサバイバルを懸ける把瑠都だが、大関復帰は風前の灯といえる。(落合一郎)