「松井には日本に帰ってプレーするという選択肢は頭になかった。絶対に帰らない−−この信念は昌雄さんもびっくりするくらいに頑固で意志は固かった。表面的には怪我と闘ったこの数年間であった。アメリカの身体検査は日本とは比較にならないほど精密で、まずは健康体であって契約が結ばれる。そうでなければ、どの球団も契約を結んでくれない。日本ではパスできたとしても、メジャーは絶対にない。それは松井もある程度予想していました」
松井本人も先の引退会見で「この体では日本に帰っても“巨人の4番を張った”姿を見せられない。かえって日本のファンに失礼だ」と語っている。
松井の本当の膝の状態はどうだったのか。松井の膝を診断したことのある某トレナーが証言する。
「松井の膝は、巨人時代の清原和博がごまかし、ごまかし、隠し通しプレーしていたとき以上に酷いと診断されていました。その清原より悪い状態ということは、再起不能に近いものでした。メジャーの球場、しかも、人工芝では膝が持つはずがなかった」
そんな最悪な状況の中で、松井は現役継続できる一縷の望みをメジャーで探し求めていたのだ。
「どんなに日本の球団がいい条件を出しても、気持ちは動かなった」(前出・テレビ関係者)
阪神は、契約条件などどこの球団よりも厚遇、高額なものを用意していたといわれるが、それでも興味を示さなかった。
当然、メジャーへ移籍後も師匠・長嶋茂雄終身名誉監督との交流は続いていた。巨人時代に素振りの練習をマンツーマンで指導してもらったことを松井は一番の思い出に挙げた。
実は怪我と闘ったここ数年、ミスターは何度も激励の電話を松井にかけていた。また、シーズンオフの際は、ミスターがリハビリを続けている都内の自然教育園に、松井が訪れる計画が持ち上がったほどだ。
私はミスターのリハビリ動向を取材として日課にしてきた。'04年3月、脳梗塞で倒れたミスターが一日も欠かさずにリハビリを継続しているのは、“現役監督復帰”を夢見ているからにほかならない。その本心を松井は知っている。
確かに、現実的にはあり得ないことだ。松井自身「メジャーに行く限りは日本へ帰ってこない決意で行ってきます」とミスターに断言し渡米している。しかし、もし、ミスターが巨人監督で復帰し、かつ帰還指令が出たなら、松井は迷わず日本に帰ってきたはずだ。それだけが読売、巨人との接点だった。
スポーツ紙では、松井の巨人監督説を報じているが、ミスターの本心・夢を知っている松井がそれを潰すことはまずないだろう。
2人の関係は読売という枠を超えた深い絆がある。阪神ファンだった松井をドラフト('92年)でミスターが引き当て、日本一のスラッガーに育て上げた。
そして、松井は自分の意志を貫き引退した。ただ一つ、思いもよらなかったのが運命の悪戯か“イチローヤンキース”による“引退”だった。