スポーツ
-
スポーツ 2013年01月24日 16時30分
日本ハム “球界ナンバー1外野手”糸井を電撃放出の舞台裏
1月23日、日本ハム、オリックス両球団から衝撃的な超大型トレードが発表された。 日本ハムは“球界ナンバー1外野手”との誉も高いWBC日本代表候補の糸井嘉男外野手(31)と、06年新人王の八木智哉投手(29)を放出。オリックスから木佐貫洋投手(32)、大引啓次内野手(28)、赤田将吾外野手(32)を獲得し、2対3の交換トレードが成立した。日本球界を代表する糸井の電撃トレードは、大きな衝撃を与えた。 オリックスはクリーンアップを任せられる外野手の獲得を熱望し、糸井に食指。日本ハムは木佐貫と正遊撃手である大引の加入で、コマ不足の先発投手陣と、田中賢介内野手(31=現ジャイアンツ)のFA移籍により手薄となった内野陣を補強できる。双方にメリットあるトレードとなったが、チームの中心選手の糸井を放出した日本ハムが損したイメージはぬぐえない。 糸井は03年のドラフト自由獲得枠で、近畿大から投手として日本ハムに入団。しかし、投手としては芽が出ず、3年目の06年に外野手にコンバート。08年から出場機会を得て、09年にレギュラーを奪取してからは4年連続で3割、20盗塁をマーク。選球眼も良く四球が多く、出塁率は3年連続4割台で、11年から2年連続でリーグ最高出塁率のタイトルを獲得。守っては驚異的な身体能力で守備範囲も広く、強肩を生かした補殺の多さも群を抜いている。まさに走攻守3拍子兼ね揃えた糸井は、日本球界屈指の外野手。リーグ連覇を目指す日本ハムにとっては、チームに欠かせない戦力だったはずだ。 そんな糸井を日本ハムはなぜ放出したのか。糸井は昨年12月6日の契約更改交渉で、球団提示の1000万円増の年俸2億円プラス出来高を保留。2回目以降は代理人に委ねたが、1月21日の交渉で大筋合意。今月中にサインする見込みとなっていた。 ただ、糸井側は21日の交渉で今オフ後にポスティングシステム(入札制度)を利用して、メジャーに挑戦する意向を球団に伝えた。だが、球団は糸井のポスティングを容認しない方向だったというのだ。某スポーツ紙記者は「関係者の話を総合すると、日本ハムが糸井のポスティング希望を認めないとなると、また今オフにもめることになります。球団が認めなければ、トレードという展開になってしまいかねません。『それであれば、1年早いが放出してしまえ』というのが真相のようです」と語る。 糸井は「今はさびしい気持ちでいっぱいですが、この世界では当たり前のことととらえています」とのコメントを発表したが、内心じくじたる思いであることは容易に察せられる。 糸井を受け入れるオリックスは、ポスティングでのメジャー挑戦という爆弾を抱えることになる。村山良雄球団本部長は「今後のことは直接本人と話をして聞きたい。(移籍1年目で)本人もそんなつもりはないでしょう」と楽観視したが、予断は許さない。 糸井がメジャー挑戦を急ぐ理由には、海外FA権取得の問題がある。糸井は1軍定着が入団5年目と遅かった関係で、順調にいって、その取得は17年シーズン。権利を行使してメジャーに移籍したとして、18年シーズンは37歳を迎える。すでに、峠は越えており、メジャー球団の評価も下がるだろう。そのため、全盛期にメジャーへ挑むとなると、ポスティングしか手段がないのだ。とはいえ、ローテーション投手の木佐貫や、正遊撃手の大引らを出してまでして獲得した糸井のポスティング希望を、簡単に容認するわけにもいかない。今オフにはひと悶着あってもおかしくないだろう。(落合一郎)
-
スポーツ 2013年01月23日 15時30分
亡くなった大鵬さんの孫が初代タイガーマスクに弟子入りへ “邪道”大仁田とデスマッチ対決も
1月19日に急死した“昭和の大横綱”大鵬さん(本名・納谷幸喜氏=享年72)のDNAが、格闘技界へ打って出る。 大鵬さんには三女・美絵子さんと、婿(後に離婚)の元関脇・貴闘力(前・大嶽親方=鎌苅忠茂氏)との間に4人の孫(男子)がいる。次男の幸林君(中3)、三男・幸之介君(中1)、四男・幸成君(小5)は将来的に角界入りを目指す予定だが、長男で現在、埼玉栄高3年の納谷幸男君(18)が、今春の卒業後、格闘技の世界に身を投じる意向であることが分かった。 幸男君が門を叩くのは伝説のプロレスラー、初代タイガーマスク(佐山聡=55)が主宰するリアルジャパンプロレスで、佐山自身も幸男君の入門を認めている。 幸男君は196センチ、120キロの恵まれた体格で、幼少期に相撲をしていたが断念。埼玉栄高では相撲部に籍はあるものの、稽古はしていない。相撲よりプロレスや格闘技に興味があり、父の鎌苅氏が佐山と親交があったことから、話はトントン拍子に進んだ。 佐山はプロレスだけではなく、武士道・掣圏真陰流も主宰しており、門下生は総合格闘技のリングでも活躍している。幸男君は入門後、まずは格闘技の基本的なトレーニングを積んだ上で、適性や本人の希望を考慮し、どちらかのリングでデビューさせることになる。 佐山といえば、現在、プロレスのリングでは、あの“邪道”大仁田厚とエンドレスの抗争を繰り広げている。幸男君がデビューした暁には、将来的に大仁田とのデスマッチ対決も夢物語ではなくなった。 体格的には、すでに大物プロレスラーの風格がある幸男君。昭和を象徴する偉大な男のDNAが、プロレス界、格闘技界を席捲する日が、早く来てほしいものだ。(落合一郎)
-
スポーツ 2013年01月22日 15時30分
同僚プロレスラーに暴行はたらき刑事処分受けたTARUが禁断の復帰へ
ついに、あのいわくつきのプロレスラーがリングに帰ってくる。 11年5月29日、全日本プロレスの兵庫・神戸サンボーホール大会で、悪役ユニットのブードゥー・マーダーズ(以下、VM)のメンバーだったスーパー・ヘイトこと平井伸和選手(43)が試合後、急性硬膜下血腫で倒れ、開頭手術を受ける事故が起きた。平井選手は一命を取りとめたものの、後遺症が残り、現在もリハビリ生活を送っている。 その試合前に、VMのリーダーであるTARU(48=本名・多留嘉一)が「日ごろの態度が悪いことを叱ったが、反省の色が見られなかった」として、平井選手に暴行をはたらいていたことが明らかになり、TARUは同年6月1日、自主的に無期限でプロレス活動を休止した。 それを受けて、同3日、全日本ではVMを強制解散とし、同じ控え室にいた連帯責任として、VMメンバーのMAZADA(37=本名・正田和彦)、KONO(32=河野真幸)、稔(40=田中稔)の3人に無期限の出場停止処分を科した。 団体が行った調査で、TARU以外の3人は手を出していないことが明らかになったとして、同30日付で処分は解除された。 その後、平井選手の母親が傷害容疑で告発。同年11月22日、兵庫県葺合署が傷害の疑いで、TARUとMAZADAを逮捕した。当初は暴行をはたらいていないとされていたMAZADAは、2人のいさかいを止める際に、手を出していたことが判明した。 しかし、TARUとMAZADAの暴行と平井選手が倒れたこととの因果関係が不明であるため、傷害罪には問えず。同年12月13日、神戸区検に暴行罪で略式起訴され、神戸簡易裁判所はTARUに罰金30万円、MAZADAに罰金20万円の略式命令を出した。2人は罰金を納付して釈放され、刑事事件的にはケリがついた。 MAZADAはすでに全日本のリングに復帰し、レギュラー参戦している。主犯格のTARUは活動を休止したままだったが、1月21日、記者会見を開き、活動自粛を解き、1年8カ月ぶりに復帰することを宣言した。 ターゲットにするのは、佐々木健介(46)率いるDIAMOND RING(以下、DR=北斗晶代表)のリング。かつて、VMのメンバーだった“brother”YASSHIとVMを復活させて、2・11後楽園大会に参戦する。健介、北斗(45)夫妻の芸能活動は順調だが、健介は首の故障のため長期欠場中で、今大会が4カ月ぶりの復帰戦となる。劇薬ともいえるTARUを受け入れることで、DRには賛否両論が渦巻くことになりそうだ。(落合一郎)
-
-
スポーツ 2013年01月21日 15時30分
急死した大横綱・大鵬さんを超える力士は出るか?
“昭和の大横綱”大鵬の納谷幸喜(なや・こうき)氏が、1月19日午後3時15分、心室頻拍のため、東京都新宿区の慶応病院で死去した。72歳だった。 大鵬さんは18日に体調が急変。東京都江東区の自宅で呼吸困難に陥り、慶応病院に入院した。一時は持ち直したものの、その後、容態が悪化し息を引き取った。 まさに不世出の大横綱だった。大鵬さんは40年5月29日、ウクライナ人の父と日本人の母との間に樺太(現サハリン)で生まれた。45年に第2次世界大戦が終わると、5歳の時に母と北海道に引き揚げたため一家は離散。 11歳の時から川上郡弟子屈町で過ごし、林野庁関係の仕事をしながら、弟子屈高校定時制に通っていたが、同校一年の時にスカウトされ、56年に二所ノ関部屋に入門。同年9月の秋場所で初土俵を踏んだ。58年5月の夏場所で新十両、60年1月の初場所で新入幕、同年7月の名古屋場所で新三役とトントン拍子で出世。 同年11月の九州場所で史上最年少(20歳5カ月=現在の記録は貴花田の19歳5か月)で初優勝を果たすと、翌61年1月の初場所では、史上最年少(20歳6カ月=現在の記録は貴ノ花の20歳5カ月)で大関昇進。同年11月の九州場所では、ライバル柏戸とともに、史上最年少(21歳3カ月=現在の記録は北の湖の21歳2カ月)で横綱に昇進した。 ライバル柏戸とともに、“柏鵬時代”を築き、71年5月の夏場所途中で引退するまで、実に史上最多32回の優勝を積み重ねた。 大鵬さんが残した偉大な記録は優勝回数だけではない。全勝優勝8回(双葉山、白鵬と並び史上最多)、連続優勝6場所(現在の記録は朝青龍、白鵬の7場所)が2回、45連勝(歴代4位)と枚挙にいとまがない。通算成績は872勝(歴代5位)182敗136休(勝率.827)、幕内成績は746勝(歴代4位)144敗136休(勝率.838)と驚異的な勝率を誇る。 引退後は史上初の一代年寄として、大鵬部屋を創設し後進の指導に当たり、元関脇・巨砲ら14人の関取を育てた。05年に5月に定年退職し、相撲博物館の館長を務めたが、08年11月に体調問題で退任した。 その一方で、77年、36歳の時に脳梗塞で倒れ、左半身に麻痺が残るなど、体調面で不安を隠せず、理事まで務めたが、理事長職には就けなかった。 退職後、部屋は三女・美絵子さんの婿(後に離婚、養子縁組を解消)である元関脇・貴闘力(鎌苅忠茂氏)が大嶽部屋として後継したが、大嶽親方が野球賭博に関与したとして、10年7月に日本相撲協会から解雇され、同部屋は現大嶽親方(元十両・大竜)が引き継いだ。 大鵬さんが引退してから、約42年が経過しようとしているが、32回の史上最多優勝は誰も抜くことができなかった。元横綱・千代の富士(現・九重親方)が31回まで迫ったが、並ぶことはできず。これには朝青龍(25回)、北の湖(24回)が続いているが、この記録を超える力士はもう出ないのだろうか。 唯一、可能性を秘めているのが、優勝回数23回で歴代5位の白鵬(27=宮城野)だ。大鵬さんの記録まで、あと9回。朝青龍が10年1月の初場所後に引退後、一人横綱として、7場所連続優勝を飾るなど、優勝回数を稼いだ。しかし、昨年は日馬富士というライバルが出現し、わすか2度の優勝に終わった。 今後、仮に年3回ずつ優勝し続けたとしても3年を要し、年齢は30歳となる。大鵬さんは30歳で引退しており、白鵬が優勝回数32回を抜けるかどうかは微妙なところ。今後、大鵬さんに匹敵する大横綱が出るかどうかは疑問で、白鵬が超えることができなければ、この記録は永遠に伝説となる可能性も高い。 なお、大鵬さんの通夜は30日午後6時から、葬儀・告別式は31日午前10時から、東京・青山葬儀所で執り行われる。喪主は芳子夫人。(落合一郎)
-
スポーツ 2013年01月21日 11時00分
2020年東京五輪「当確」 レスリング・吉田沙保里が女子ラグビー「二刀流」参戦(2)
さて、2020年の五輪開催都市は今年9月7日にブエノスアイレスで開かれるIOC総会の投票で決まる。最終選考に残ったのは東京、マドリード(スペイン)、イスタンブール(トルコ)の3都市。昨年5月のIOC評価では東京は輸送、宿泊施設、医療サービス、安全警備など7項目で1位だったが、唯一のネックが「国民の支持」。ライバルのマドリード、イスタンブールがともに73%の支持を得ていたのに対し、東京はわずか47%にとどまった。開催地決定の大きな判断基準だけに不安を残すのだ。 「候補地の国民に直接賛否を問う国民支持調査が1月〜2月に実施される予定で、これで趨勢が決まる。ここでライバルに負けない数値を出さないと招致に黄信号が灯るのです。事前の予備調査ではロンドン五輪の日本選手の活躍もあり、66%まで上昇しており、今後10年で200兆円の公共事業を打ち出した安倍自民党政権に変わったことでさらなる上昇は見込める。そのアゲアゲ策の総仕上げとなるのが国民栄誉賞を受賞した吉田のラグビーへの助っ人であり、東京五輪の招致アンバサダー(大使)抜擢です。就任の席でも『私、吉田沙保里は東京招致ができたなら、8年後は止められても出ます、もちろん金メダル』と宣言していたが、胸に秘めているのはラグビーでの出場なのです。実際、『20代はイノシシみたいに突っ走ってすごく早かった。30代は楽しみながら変身も含めていろいろ経験したい』と発言しており、二刀流プランを前向きにとらえているのは間違いない。ALSOK社が東京五輪招致委員会のオフィシャルパートナーになったのも、新年から吉田が練習の拠点を東京に移すのもそのためでしょう」(全国紙五輪担当記者) ラグビーにとっても救世主出現だ。2019年にラグビーのワールドカップ日本開催が決まっているからである。世界的なビッグイベントにも関わらず、サッカーとは違い、国内ではイマイチ盛り上がりに欠ける。 来年3月には開催希望自治体を受け付け、'15年5月に開催10会場が決まる。1次リーグで4万人、準決勝、決勝は8万人規模の専用スタジアム建設が条件で、それぞれのスタジアム建設には200億円〜300億円が投じられるというが、「そんな金より震災復興が優先」という声もあり、機運は盛り上がらない。騒いでいるのは大手ゼネコンと広告代理店ぐらいの声も聞く。 「いまや全国大会の高校ラグビーにしても予選出場校が集まらず、九州のある県などは予選4チームというありさま。180億円が予想されるW杯運営費を賄おうと超党派でつくるスポーツ議員連盟(会長・麻生太郎元首相)はラグビーくじ(toto)実施の法改正を図ったものの、売り上げが期待できず挫折している。肝心の日本代表『サクラジャパン』が'91年のイングランドW杯でジンバブエを下して以来、W杯で5大会連続勝ち星がないのが一番の原因。現在のサクラジャパンは元オーストラリア代表ヘッドコーチのエディー・ジョーンズ氏をヘッドコーチに迎え、代表メンバー30人中10人を外国人出身選手で補強しているが、昨年9月の1次予選リーグA組では後進国のカナダにさえ勝てず最下位でした。惨状打開には化ける可能性の高い女子セブンズに期待するしかない」(スポーツ議員連盟秘書) なるほど、女子セブンズは昨年夏、マレーシアで開催された『アジア・パシフィック女子セブンズ』決勝でオーストラリア(ドバイ杯優勝)に敗れたものの、準優勝。同10月のセブンズW杯アジア地区予選(インド)でもフィジー、中国とともに今年6月のロシアW杯本大会出場を決めている。女子レスリング勢の援軍なしでも世界水準なのだから、彼女たちが加われば無敵艦隊も夢ではない。 「ラグビーファン以外にはあまり知られていませんが、日本の男子ラグビーのトップリーグ(スーパーリーグ)にはサッカーに例えるならメッシやクリスティアーノ・ロナウド級の世界的なスター選手が何人も参戦している。豪州やニュージーランドの南半球のシーズンは2月〜8月で、オフ(9月〜1月)は日本でプレーしている。『パナソニックワイルドナイツ』でプレーするソニー・ビル・ウィリアムズ(NZ代表)が代表格で、彼は現役ボクサーで東太平洋ヘビー級1位。彼らを参考に二刀流プランを組み立てるのでしょう」(ラグビー専門誌ライター) 今年は女子ラグビーがスポーツ界の台風の目になる。
-
-
スポーツ 2013年01月20日 11時00分
2020年東京五輪「当確」 レスリング・吉田沙保里が女子ラグビー「二刀流」参戦(1)
今年のプロ野球は「投手と打者で日本一」を目指す日本ハムの大谷翔平の二刀流宣言が話題だが、それを上回る夢の二刀流プランが持ち上がり、スポーツ界が沸騰している。 五輪3連覇と世界選手権を加えて13連覇を達成、国民栄誉賞まで手にした吉田沙保里(30)のズバ抜けた実力と人気にあやかろうと、ラグビー界が獲得に乗りだしたのだ。 発端は昨年12月20日に都内で開かれた吉田の「国民栄誉賞を祝う会」。お祝いに駆け付けた日本ラグビー協会会長の森喜朗元首相が「(リオ五輪に吉田を)ぜひ使いたい」と助っ人要請し、「伊調(馨)さん、浜口(京子)さんと3人でスクラムを組めば、五輪にいける」と、とんでも構想をぶち上げたのだ。 この発案に共感したアントニオ猪木、朝青龍(元横綱)、九重親方らもすかさず「二刀流」の後押しを約束、一気に現実味を帯びてきたのだ。 「はじめは外交辞令かと思ったが、ラグビー界は既に調査済みでいい感触を得ているようです。決してマユツバの話ではない。ラグビーといっても、五輪の女子ラグビーはセブンズと呼ばれる7人制で前後半各7分。しかも、1日に何試合もする。ここ一番で彼女達を投入する作戦です。女子ラグビーは歴史が浅いこともあり、キャリアより体力勝負の側面を持つ。プレーする7選手の中に吉田、伊調、浜口が入れば、労せずトライを狙える。とりわけ、吉田十八番の高速タックルはラグビーの域を超えている。異次元のプレースタイルですから」(大手広告代理店五輪担当者) 二刀流転身への本気度を示すように、昨年末に行われた女子レスリングの全日本選手権では吉田(55キロ級)、伊調(63キロ級)、浜口(72キロ級)の3選手がそろって欠場した。五輪後でもあり、オーバーホールの目的もあるのだろうが、五輪招致関係者によれば、後進の育成の狙いも込められているという。 3年後のリオデジャネイロ五輪では吉田、伊調はそれぞれ34歳と32歳。浜口に至っては38歳。年齢的にレスラーとしてのピークを超えているし、その4年後の東京五輪ともなればなおさらだ。そこで女子ラグビー兼任を視野に入れているのだ。 「なでしこジャパンじゃないが、まだ競技人口の少ない女子ラグビーならメダルが十分に狙える。2010年に発足した日本代表の女子セブンズチームにしても、エースでモデル級の美形の鈴木彩香(23)を除けば生粋のラガーは少なく、主将の中村知春はバスケット、FW片嶋佑果は陸上円盤投げといった具合いにバレーボール、ハンドボールなどからの転向組でレスリングでも違和感はない。吉田や伊調は所属するALSOK(総合警備保障)のテレビCMでもわかるように、彼女たちは十分に走り込んでおり、走力に不安はない。かつ浜口をスクラムの中心に据えれば、無敵でしょう。なでしこを上回る人気競技になるポテンシャルを備えているのです」(スポーツ紙デスク)
-
スポーツ 2013年01月19日 17時59分
吉田沙保里がリオ五輪と出産を「計算しないと」と笑顔!
オリンピックを含むレスリング世界大会13連覇中の吉田沙保里選手と、歌手のMs.OOJAが18日、東京・港区の複合商業施設「東京ミッドタウン」で開催された「第2回 東京ミッドタウン 三重フェア」のオープニングセレモニーに登場し、トークショーを行った。 同日から27日まで東京ミッドタウンで開催される三重フェアでは、伊勢神宮で社殿らを作りかえる20年に一度の大祭「式年遷宮」や、三重の伝統工芸品などを紹介し、伊賀忍者ショーも実施。期間中、「東京ミッドタウン レストラン」では三重の食を堪能することができる。また、三重県は、夏に東京・中央区の日本橋に三重のPRセンターを開設し、秋に本番を迎える「式年遷宮」らを紹介するという。 トークショーには、三重出身の吉田選手とMs.OOJAが駆け付けた。吉田選手は、特産品のあわびや松阪牛が大好きで、三重で開催された国民栄誉賞を祝う会の帰りに、伊勢うどんを食べたエピソードを紹介。吉田選手のパワーの源が、故郷・三重の食にあることを明かした。 また、式典では、伊勢のバラ30本の花束が、県知事から2人へ贈られた。吉田選手は、「プロポーズされた感じです」と感激。Ms.OOJAとの女子トークへ突入すると、「結構、イケメン好きです」と会場を沸かせ、「結婚願望があります。子どももほしい。でも、リオ(オリンピック)もあるので」と語り、「計算しないと」と笑顔を見せた。(竹内みちまろ)
-
スポーツ 2013年01月19日 17時59分
プロ野球選手引退後の厳しい現実
毎年、多くの選手がドラフトで指名されて、プロ野球界に身を投じるが、それと同じ数の選手が引退を余儀なくされる。現役続行を断念した選手の引退後の生活は、年々厳しさを増している。 トップ選手や指導力を見いだされた者なら、監督、コーチとして、指導者の道が開かれる。プロ野球選手にとって、引退後の仕事としては最も魅力的な仕事は、やはりプロの指導者だ。ネームバリューにもよるが、監督なら5000万〜1億円程度、コーチでも1000万〜3000万円程度の年俸が保障される。ただ、監督やコーチはいつ契約を打ち切られるか分からず、安定した仕事とはいえない。 ユニフォームを着ることができない者は解説者、評論家として、テレビ、ラジオ、スポーツ新聞等で活躍するのが一般的。だが、解説者を取り巻く環境は大きく悪化している。最大の理由はプロ野球中継が地上波から撤退せざるを得なくなった点と、不景気によるスポンサー収入減により、ギャラ相場が大きく下落した点だ。 視聴率低迷が原因となり、この2〜3年で地上波でのプロ野球中継(主に巨人戦)は激減し、BS、CSにスライドした。当然のことながら、地上波に比べると、BSやCSは予算が少ないため、解説者のギャラも地上波に比べれば、大きく落ちる。 バブル期、現役時代にスター選手だった者は、各テレビ局と高額な報酬で年間契約を結んでいたため、コーチ並みの収入を得られていた。だが、年間契約はなくなり、スポット出演が慣例となった上、ギャラ相場も大きく下がっているという。 メディア事情に詳しいスポーツジャーナリストのA氏は、「地上波での解説者のギャラは、平均的なケースで50万円程度だったものが、10万〜20万円程度にまで下落しているようです。それがCSとなると、相場は5万円程度にまで下がります。ラジオはもともと、テレビより安いですが、これも同様です」と語る。 巨人戦を中継する日本テレビ系列のG+を除けば、他のCS局ではスター選手より中堅クラスだった者が解説者を務めることが多い。それは、予算の関係だ。早い話、CSではスター選手はギャラが高くて呼べないのである。 スポーツ新聞はというと、これも近年、ネットの普及で新聞の売り上げはダウンし、専属評論家に支払う原稿料相場は大きく落ちているという。 それでも、スター選手だった者は、なんらかの仕事があるのでまだいい。中堅クラスや2軍暮らしが長かった者の引退後は深刻だ。打撃投手、ブルペン捕手、用具係、スコアラー、スカウト、球団職員といった形で、球団運営に関われればいいが、それができなければ、野球以外の第2の人生を考えなければならない。自営業をするにしろ、会社勤めをするにしても、学生時代から野球一筋でやってきた者にとって、一般社会の水は厳しい。 引退しても、どんな形でもいいから野球に携わる仕事がしたいというのがホンネだろう。ただ、これまで、そういった仕事がなかったのが現実だった。その意味で、今回、日本学生野球協会が高校野球の指導者になるための規定を大幅に緩和する案を、NPB(日本野球機構)に提示した意義は大きい。 これまで、「中学、高校で2年の教諭歴」がなければ、高校野球の指導者になれなかったのが、NPB、日本学生野球協会の研修を受けて、学生野球資格の回復ができるようになれば、多くの元プロ野球選手が、その職に就くことができるようになる。 むろん、現役でバリバリやっていた頃の高給は保障されない。しかし、選手を辞めても、高校野球指導者という新たな道ができたことで、多くの元プロ野球選手を救済できる。数年後には高校野球の監督の大多数が、元プロ野球選手だという時代が来るかもしれない。(落合一郎)
-
スポーツ 2013年01月19日 11時00分
宿命のライバルの因縁 松井秀喜「引退」を決断させたイチローのヤンキース残留(2)
松井の父親・昌雄氏に近いテレビ関係者はこう語る。 「松井には日本に帰ってプレーするという選択肢は頭になかった。絶対に帰らない−−この信念は昌雄さんもびっくりするくらいに頑固で意志は固かった。表面的には怪我と闘ったこの数年間であった。アメリカの身体検査は日本とは比較にならないほど精密で、まずは健康体であって契約が結ばれる。そうでなければ、どの球団も契約を結んでくれない。日本ではパスできたとしても、メジャーは絶対にない。それは松井もある程度予想していました」 松井本人も先の引退会見で「この体では日本に帰っても“巨人の4番を張った”姿を見せられない。かえって日本のファンに失礼だ」と語っている。 松井の本当の膝の状態はどうだったのか。松井の膝を診断したことのある某トレナーが証言する。 「松井の膝は、巨人時代の清原和博がごまかし、ごまかし、隠し通しプレーしていたとき以上に酷いと診断されていました。その清原より悪い状態ということは、再起不能に近いものでした。メジャーの球場、しかも、人工芝では膝が持つはずがなかった」 そんな最悪な状況の中で、松井は現役継続できる一縷の望みをメジャーで探し求めていたのだ。 「どんなに日本の球団がいい条件を出しても、気持ちは動かなった」(前出・テレビ関係者) 阪神は、契約条件などどこの球団よりも厚遇、高額なものを用意していたといわれるが、それでも興味を示さなかった。 当然、メジャーへ移籍後も師匠・長嶋茂雄終身名誉監督との交流は続いていた。巨人時代に素振りの練習をマンツーマンで指導してもらったことを松井は一番の思い出に挙げた。 実は怪我と闘ったここ数年、ミスターは何度も激励の電話を松井にかけていた。また、シーズンオフの際は、ミスターがリハビリを続けている都内の自然教育園に、松井が訪れる計画が持ち上がったほどだ。 私はミスターのリハビリ動向を取材として日課にしてきた。'04年3月、脳梗塞で倒れたミスターが一日も欠かさずにリハビリを継続しているのは、“現役監督復帰”を夢見ているからにほかならない。その本心を松井は知っている。 確かに、現実的にはあり得ないことだ。松井自身「メジャーに行く限りは日本へ帰ってこない決意で行ってきます」とミスターに断言し渡米している。しかし、もし、ミスターが巨人監督で復帰し、かつ帰還指令が出たなら、松井は迷わず日本に帰ってきたはずだ。それだけが読売、巨人との接点だった。 スポーツ紙では、松井の巨人監督説を報じているが、ミスターの本心・夢を知っている松井がそれを潰すことはまずないだろう。 2人の関係は読売という枠を超えた深い絆がある。阪神ファンだった松井をドラフト('92年)でミスターが引き当て、日本一のスラッガーに育て上げた。 そして、松井は自分の意志を貫き引退した。ただ一つ、思いもよらなかったのが運命の悪戯か“イチローヤンキース”による“引退”だった。
-
-
スポーツ 2013年01月18日 16時30分
プロ野球退団組に明るい希望 高校野球指導者条件が大幅に緩和へ
NPB(日本野球機構)と日本学生野球協会が1月17日、プロ野球経験者が学生野球の指導者になるための規定を話し合う「学生野球資格に関する協議会」を開き、学生側は高校野球の指導者になるための規定を大幅に緩和する案をNPBに提示した。これで、「柳川事件」から50年以上続いたプロ、アマの交流断絶が歴史的な雪解けとなる。 「柳川事件」とはプロ、アマ間の関係が悪化するきっかけとなった事件。プロ野球は日本社会人野球協会と協約を締結していたが、プロ退団者の登録時期や人数制限などで紛糾。プロ側が61年4月に同協約を破棄。直後にシーズン中でありながら、中日が日本生命の柳川福三外野手を獲得。社会人側はプロとの断絶を決め、日本学生野球協会もこれに同調し、プロとアマの確執が始まった。 これまで、プロ野球経験者が高校野球の監督などの指導者になるためには、「中学、高校で2年の教諭歴」という高いハードルがあったが、学生側はこれを撤廃。NPBの研修を受けた上で、日本学生野球協会が公認する研修制度を受講すれば、学生野球資格の回復が認定されることになった。 アマ側の研修は「校内における部活動の位置づけ概論」など8項目あり、1項目に対して1時間、計8時間を3日間で行う方向。NPBの研修内容は今後詰められるが、2日程度の座学となる。アマの研修受講資格者はNPBの研修を受講した者で、かつ1球団につき5人が目安で1年に60人程度となる。早ければ、今年中に正式決定する見通しで、資格が取れれば翌日から指導者になれる。 現行の制度で学生野球資格を回復し、高校野球の監督になったのは、甲子園出場も果たした元ダイエー(現ソフトバンク)で早鞆高(山口)の大越基氏(41)、今季より日本ハムのヘッドコーチに就任した前川越東高(埼玉)の阿井英二郎(48)などの例がある。いずれも、引退後に教員免許を取得するなど、高いハードルをクリアせざるを得なかった。 大学や社会人では先んじて緩和されており、大学では05年にプロ退団後2年経過すれば、指導者への就任が可能となり、元広島監督の古葉竹識氏(76)が東京国際大、元中日の江藤省三氏(70)が慶応大の監督を務めており、元巨人の高橋善正氏(68)も中央大の指揮を執っていた。社会人では97年に元プロ選手の受け入れが決まり、02年から指導者に就くことができるようになった。 この規定緩和によるメリットは、学生側がこれまでより高いレベルの指導を受けられること。そして、プロ野球を引退、戦力外になった選手にとっては、高校野球指導者という新たな再就職口が大きく広がった点だ。 NPBが11年10月に若手選手223人を対象に、「引退後、一番やってみたい仕事」というアンケートを取ったところ、1位は圧倒的に高校野球指導者で28.4%、以下、2位・飲食店開業=13.0%、3位・大学・社会人指導者=11.7%、4位・スカウト、スコアラー=11.1%、5位・プロ野球監督コーチ=8.6%だった。 対象が若手だったということもあるが、多くのプロ野球選手がプロの指導者より高校野球の指導者になりたいと思っている現実を考慮すると、今回の規定緩和は学生野球側、プロ野球退団組側、双方に大きなメリットとなり、学生野球の底辺拡大につながる。 これで、ルール上ではスター選手でも高校野球の監督に容易に就くことが可能となった。ただ、現実として、受け入れる高校側がスター選手に見合う「報酬」を用意できるかは疑問で、中堅クラス、2軍選手が高校野球の指導者に就任することが多くなりそうだ。いずれにせよ、今回の学生側の歩み寄りは、野球界全体の構造を大きく変えるきっかけになるだろう。(落合一郎)
-
スポーツ
ハッスル消滅!? 小川H軍休止宣言
2006年12月27日 15時00分
-
スポーツ
大みそかボビー弟と対戦 金子賢 前田道場入り
2006年12月14日 15時00分
-
スポーツ
珍指令 KID 秒殺禁止
2006年12月12日 15時00分
-
スポーツ
生還小橋に捧ぐ 三沢 GHC奪還
2006年12月11日 15時00分
-
スポーツ
猪木 緊急提言 想定外プロレスをやれ!
2006年12月05日 15時00分
-
スポーツ
1・4東京D「レッスルキングダム」 新日本 全日本“乗っ取り”へ秘策 長州3冠戦出撃
2006年11月16日 15時00分
-
スポーツ
復活1・4東京D大会へ秘策 新日本最終兵器サイモン猪木 IWGP挑戦!?
2006年11月07日 15時00分
-
スポーツ
来春ビッグマッチ パンクラス芸能人最強決定戦 坂口憲二 今田耕司 押尾学
2006年10月31日 15時00分
-
スポーツ
大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分
特集
-
岡平健治「19」解散は「お金の問題じゃない」 岩瀬敬吾、地元に戻るのを「止められてよかった」 今後はバラエティーで「ポンコツっぷりを見て笑ってほしい」
芸能
2025年08月05日 23時00分
-
野球人生“燃え尽きた”元プロ野球選手・宮國椋丞氏 今後は「周りの人に頼られたり、笑顔にしたい」
スポーツ
2025年07月25日 23時30分
-
-
豊ノ島、YouTubeチャンネルで若乃花とコラボ熱望 タレントとして相撲番組で「冠番組」持ちたい
芸能
2025年07月21日 12時00分
-
宮迫博之「雨上がり決死隊」再結成は「蛍原さん次第」 ドジャース始球式の裏話も明かす
芸能
2025年07月14日 17時00分
-
元ザブングル松尾陽介、沖縄で芸人のセカンドキャリアサポート 芸人引退に「心境の変化」
芸能
2025年04月28日 19時03分