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“下げマン”と称された元テレ朝・河野明子さん 夫・井端のWBCでの大活躍で“上げマン”報道

 元テレビ朝日のアナウンサー・河野明子さん(34)といえば、ご記憶の方も多いだろう。

 明子さんは01年4月にテレビ朝日に入社。02年7月から04年3月まで、同局の看板番組「ニュースステーション」に出演。同年4月からは同番組を後継した「報道ステーション」で、古舘伊知郎とのコンビでメーンキャスターを務めた。

 05年10月には一部週刊誌が22歳年上の同番組スタッフとの同棲を報じ、本人も同局広報を通じて交際を認めたが、その後破局した。

 もともと、中日ドラゴンズ・井端弘和内野手(37)のファンだった明子さんは、04年の沖縄キャンプ取材で井端と知り合った。その後、色仕掛けが功を奏して、交際に発展。08年12月に結婚し、09年3月いっぱいで同局を寿退社した。11年7月には1児をもうけている。退社以降、仕事はしておらず、専業主婦に落ち着いている。

 その明子さんだが、これまではもっぱら“下げマン”と称されることが多かった。井端は結婚した翌年こそ、3割をマークしたものの、10年以降は目の故障に苦しみ、10年は1軍定着後、ワーストの53試合出場にとどまり、11年は104試合に出場したものの、打率は自己ワーストの.234に終わった。井端が結婚して大きく成績を落としたことで、明子さんは“下げマン”といわれたのだ。

 しかし、一念発起した井端は、12年は140試合に出場して、打率.284をマーク。守備では3年ぶりのゴールデングラブ賞を獲得し、復活を果たした。

 そして、第3回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)では、初めて日本代表本戦でメンバー入り。当初、山本浩二監督の構想ではあくまでもバックアップ要員だったが、井端は実力でレギュラーの座をもぎ取った。

 1次ラウンド初戦のブラジル戦では、2-3のビハインドから8回表に代打で登場。値千金の同点タイムリーを放ち、逆転勝ちにつなげた。2次ラウンド初戦の台湾戦では、2-3のビハインドで迎えた9回表二死二塁の絶体絶命の場面から、起死回生の同点タイムリーを放った。息を吹き返した日本は、延長戦で逆転して勝利をもぎ取った。

 まだ、2次ラウンド1組の順位決定戦は残っているが、米国での決勝ラウンドへの進出が決定。ここまで、井端は12打数8安打3打点で、打率は驚異の.667。侍ジャパンの打の最大の殊勲者は紛れもなく、2度も窮地を救った井端であることはいうまでもない。

 一躍、日本のヒーローに躍り出た井端だが、テレビメディアは井端ではなく、明子さんにスポットを当てた。3月10日のオランダ戦当日に放送された「報道ステーションSUNDAY」(テレビ朝日系列)は、元局アナとあって、明子さんに密着。目の故障で一時は引退を考えた井端を激励し、復活へ導いたのは明子さんのサポートがあったからこそとの美談として報じた。

 また、同日のオランダ戦を放送したTBSも、元局アナでもないのに、そのノリに便乗。井端の登場場面では、バックネット裏で観戦する明子さんを再三映して、テレ朝と同様の論調で「復活できたのは明子さんの支えがあったから」と実況アナが連呼した。

 テレビメディアのおかげで、日本全国に“内助の功”をアピールできた明子さん。かつては、“下げマン”と称されたが、すっかり“上げマン”に昇格。しっかり、溜飲を下げたに違いない。
(落合一郎)

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