スポーツ
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スポーツ 2014年12月03日 15時00分
プロフェッショナル巧の格言 いつか[女子プロムエタイ世界チャンピオン] 「世界チャンピオンを獲るために「捨ててきた」たくさんのこと(3)
世界タイトルを獲得するまで、いつかはたくさんのことを「捨ててきた」という。この数年間、すべてを投げ打って格闘技に専念してきたのだ。 「人と同じことをしていたら世界タイトルは獲れないですから。お正月も練習だし、友だちとはここ何年かちゃんと遊んでないですね。小学生時代からの親友の結婚式に行けなかったのは悲しかったですけど…。目標を達成するためには、その分、何かを捨てなきゃいけないんですよ」 世界戦に勝った瞬間、いつかが感じたのは嬉しさよりも感謝だったという。トレーナー、ジムの仲間、家族や友人。格闘技に専念できたのも、周りの支えがあったからこそだった。 世界王者になった今、いつかの目には新たな光景が見えている。 「日本には闘いたい相手もいないし、試合をするなら海外がいいですね。タイに乗り込むのもいいし、香港やマカオでも格闘技が盛り上がっていると聞くので。そうやって活躍の場を広げて、自分の存在をたくさんの人に知ってほしいです」 目標を持つことの素晴らしさ。努力すれば夢は叶うということ。それを伝えていきたいといつかは言う。 「特に地元の人たちですよね。宮城は(東日本大震災の)被災地ですから…。悩んでいたり、目標がないという人たちに、私を見て『自分も何か頑張ってみよう』という気持ちになってもらえたら」 以前から“見られる”ことへの意識は高かった。試合でもヘアメークとまつ毛エクステを欠かさず、コスチュームもオリジナルのものを用意する。どれだけ強くなっても、女性らしさを失わないのがいつかのモットーだ。 「見た目には凄く気を使っていますね。格闘技をやっているからって、身なりが男性っぽかったり華がないのはプロとしてどうかなと。格闘家もプロである以上はエンターティナーなので。勝てばなんでもいいってわけじゃないんですよね。強くて、なおかつ女性らしいというのが理想。強くなりたい、勝ちたいだけじゃなくて、輝きたいんです」 かつて女性らしさとは無縁の世界だと思われていた格闘技だが、現在は女らしさと強さが自然に結びつく時代になっている。 ダイエットやストレス解消のためのスポーツとしても、キックボクシングは人気だ。いつかが指導を担当する『東京ガールズキックボクシング部』には、130人もの会員がいる。 「女性でも自己表現したいのは当たり前。格闘技もその一つなんだと思います。女性は弱いからこそ、強くなりたいという気持ちが大きいのかもしれないですね。選手にならなくても、キックで体を動かすのは楽しいですよ。だって、殴ったり蹴ったりするのって楽しいじゃないですか(笑)。それは男性も女性も変わらないんです」いつか1984年宮城県出身。モデルやレースクイーンとして活動しながら、'05年に総合格闘技に参戦するも全敗。だが'11年よりキックボクシングに転向すると才能が開花。今年9月、WPMF世界女子フライ級王座を奪取。
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スポーツ 2014年12月02日 15時00分
プロフェッショナル巧の格言 いつか[女子プロムエタイ世界チャンピオン] 「世界チャンピオンを獲るために「捨ててきた」たくさんのこと(2)
ケガが治ると、いつかは格闘家として最後の挑戦をスタートさせた。ただでさえ多かった練習量を、さらに増やしたのだ。 ジムでの練習に加え、フィジカルトレーナーについてラントレ(陸上トレーニング)も開始。試合までの1〜2カ月は、週に7日、つまり休みなしで追い込み練習が続く。月曜から金曜までは、1日2回の練習を行うという。 ジムに所属する女子のプロ選手はいつかだけだから、スパーリングも男子を相手にしてのものだ。「猛練習」という言葉では足りないくらいのハードトレーニング。「もともとがだらしない性格なので、人に引っ張ってもらわないと強くなれなかったんですよ」と笑ういつかだが、練習は「逃げたくなることも多い」し、「いつも泣きながらやってます」とも。 こうした練習で身につけたフィジカルの強さが、いつかの最大の武器だ。 「一番の長所はスタミナと、この筋肉でしょうね。身内から『メスゴリラ』って言われるんですけど、『ゴリラ』じゃなければいいです、メスであれば(笑)」 上昇気流に乗ったいつかは、昨年11月にWPMF日本フライ級タイトルに挑戦し、グレイシャア亜紀に大差の判定勝ちで念願の初タイトルを獲得する。 「タイトルマッチで、相手はベテランのトップ選手。女子キックの“顔”みたいな人ですから。人生を懸けた勝負でしたね。この試合で負けたら引退しようと思って臨んだ試合でした」 そんな大一番で、いつかは5ラウンドの間まったく集中力を切らさず、前に出続けて勝利をものにした。練習量に裏打ちされたパワーとスタミナがあるからこそ可能な闘い方だ。 「試合では、下がったら負け。打たれても前に出て打ち返すのが私のスタイルだと思ってます。それができるのもフィジカルが強いからでしょうね。メスゴリラって言われても嫌じゃないのは、そんな体になるくらいの練習をしてきたっていう誇りがあるからです。この体はちょっとやそっとの努力で手に入るものじゃないので」 試合前は食事の内容も変わる。基本は鶏肉などのタンパク質と野菜。栄養を摂るためだけの食事だ。食べる楽しみは一切ない。唯一、果物を食べる時だけは「ああ、甘いなぁ…」とかすかな喜びを感じるそうだ。 「みんなが私と同じ練習、同じ生活ができるかって言ったら、そうじゃないはず。他の選手に対して『やれるもんならやってみな』くらいの気持ちはありますよ」 現在7連勝中。勝てば勝つほどプレッシャーは大きくなるばかりだという。周囲に対してもファンに対しても、それに闘ってきた相手にも責任を感じる。勝たなければいけない、ぶざまな試合はできない。そんな思いから、試合直前の控え室では号泣する。 それでも、最後には自信とプロ意識が不安を上回る。セコンドの「女優になれ」の一言で気持ちを切り替え、笑顔でリングに上がるのだ。 9月の世界戦、相手に合わせた対策を練習したのは3日間だけだったという。それも、これまで積み重ねてきた練習、強い肉体への自信があるからだ。タイ人、つまり本場のムエタイ戦士と対戦するのは初めてだったが、まったく臆することがなかった。 「ヒジ打ちがあるので強引にラッシュすることはできなかったですけど、相手が強いからこそ楽しく試合ができましたね」 ムエタイ特有の技術、相手の首を抑えてヒザ蹴りを打ち込む“首相撲”にもしっかりと対処できた。 「思ったより大丈夫でしたね。組んで闘うとスタミナを消耗するので、そうなったら私のほうが有利だと思っていましたし」
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スポーツ 2014年12月01日 16時00分
巨人『4連覇のカギ』を握る先発投手の中5日
秋季キャンプ中の11月2日だった。ブルペンを偵察した後、原辰徳監督(56)は記者団にこう話している。 「来シーズンも中5日でまわす方が(先発投手に)責任意識が出てくる」 2014年シーズン、原巨人は『中5日』の先発ローテーションで臨んだ。日本球界では異例と言っていいだろう。他球団は先発投手6人を核とし、『中6日』でまわしている。メジャーリーグに倣ったのではない。原監督の言う『責任』とは、選手に貪欲さと緊張感を促すためのものだ。 シーズン終盤、原監督は心を許す年長のプロ野球解説者との談笑中、 「巨人が金満球団? 金満じゃなくて、怠慢、肥満ですよ、このチームは…」 とこぼしていた。 年齢を重ねたせいもあるが、指揮官の眼には「主力選手の練習量が少なくなった」とも映っていた。 「4、5年前、移籍してきた選手がよく言ったもんですよ。『巨人の選手がこんなに練習するとは思わなかった』って。でも、ここ最近はそうではない。ベテランと呼ばれる年齢になった選手たちは、怪我を恐れて練習量を抑えているというか、早出特打ちをしなくなり、投手陣も走り込みの量が少なくなりました」(チーム関係者) 練習量を抑えたベテランの1人に阿部慎之助(35)がいる。原監督は阿部の打撃不振を言い当てた。端から見れば、叱るなりすればいいと思うが、「本人が気付き、何事も自分から取り組まなければ、真の実力は養われない」ということらしい。 チームを『大人の集団』に引き上げたい原監督の構想によれば、『中5日のローテーション』を託そうとしている菅野智之(25)、内海哲也(32)、杉内俊哉(34)、大竹寛(31)、小山雄輝(25)の5人。チーム防御率は3.58(リーグ1位)だが、先発投手だけなら、3.36(同1位)まで上がる。とはいえ、引き続き同じメンバーにローテーションを託すのはコワイ…。 エース・菅野は最多勝レース次点の12勝を挙げたが、故障で戦線を離れた時期もあり、今季は158回3分の2しか投げていない。杉内、内海は不振で勝てない時期が続いた。大竹は広島時代から“隔年活躍の傾向”がある。「来季は大丈夫」と見るのはキケンで、右肩の故障歴もあって無理はさせられない。小山は交流戦から先発枠の一角を掴んだが、フルシーズンを投げた経験がまだない。 また、年間の投球回数で見てみると、チーム最多は杉内の159回3分の1で、阪神・メッセンジャーの208回3分の1(リーグ1位)、広島・前田健太の187回(同2位)、DeNA・久保康友の178回3分1(同3位)、中日・山井大介の173回3分の2(同4位)、東京ヤクルト・石川雅規の165回(同6位)と比べると、見劣りがする。 投球回数は、菅野11位、杉内9位、内海15位、大竹18位、小山26位。この先発候補5人の奮起はもちろんだが、年齢的に上積みが期待できるのは、菅野と小山だけ。この点から考えると、巨人の4連覇は『救援陣』に掛かっているのかもしれない。 来季より、澤村拓一(26)がリリーバーに転向する。13年に球団最多の42セーブを挙げた西村健太朗(29)は先発にコンバートされる。おそらく、澤村をクローザーとして固定するつもりなのだろう。原監督は「夜遊びをさせないため。(救援投手は)連投になるので、自己調整が…」と笑ったが、澤村が伸び悩んだ理由は野手陣の信頼を勝ち得なかったからである。 チーム関係者がこう言う。 「澤村の性格は頑固のひと言に尽きます。歴代投手コーチが緩急を交えた配球を勧めても、『でも!』と反論し、力で相手打者をねじ伏せようとする自分のスタイルを曲げようとしなかった。そういう態度は反抗的にも見えるし、一人で戦おうとする姿をシラケた眼で見る野手もいないわけではありませんでした」 クローザーで実績を積み上げれば、野手陣の信頼は自ずと高まる。連投に次ぐ連投となれば、緩急も覚えなければならない。「澤村に繋ぐ」という継投リレーにおいて、他救援投手との仲間意識も芽生えるはずだ。 原監督は『選手の意識改革』を4連覇の必須事項と見ているのではないだろうか…。だとすれば、それはもっとも難しい舵取りとなる。テキサスレンジャーズのマイケル・ミコラス(26)、アーロン・ポレダ(28)両投手の獲得が決まった。米ア・リーグの西地区に詳しい米国人ライターによれば、 「ミコラスは与四球が少なく、日本向きだと思う。ポレダが160キロ近い直球を投げる左腕だけど、米球界向きのムービングボールではありませんでした。制球難の欠点もあるが、190センチ強から角度のある直球を投げ込むタイプ。小さく曲がるスライダーで打ち損じを誘うピッチングができれば…」 と評していた。 ミコラスは先発、ポレダは救援で起用するようだ。 今季、内海、杉内、菅野がローテーションを外れたとき、宮國椋丞(22)、今村信貴(20)らにチャンスが与えられた。来季も同様の起用法でスタートするものと思われるが、新加入のミコラスを含め、先発予備軍が菅野たちを「ローテーションから引きずり下ろしてやる!」くらいの気概を見せなければ、原監督の目指す意識改革による4連覇は成し得ないだろう。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2014年12月01日 15時00分
プロフェッショナル巧の格言 いつか[女子プロムエタイ世界チャンピオン] 「世界チャンピオンを獲るために「捨ててきた」たくさんのこと(1)
いつかはムエタイ発祥の地であるタイの組織が認定するWPMFの世界王者である。 今年9月21日、ディファ有明で行われたタイ人選手ペッベンチャーとの王座決定戦に判定勝ちを収め、この権威あるベルトを腰に巻いた。 11月で30歳に。世界タイトル奪取までにかかった時間の長さは、彼女が味わった紆余曲折を物語っている。 高校卒業後、モデルとして活躍の場を求め、宮城県から上京。グラビア、レースクイーンなどの活動をする中で、知人から総合格闘技を勧められた。 「地元でもヤンチャしてて気が強かったので、『そんなに気が強いなら格闘技の試合に出たら?』って誘われたんですよ」 所属したのは電撃ネットワークの南部虎弾が率いる『チーム南部』。拠点となるジムを持たないマネジメント・チームだったため、さまざまな練習場所を転々とすることになった。 「セコンドも毎回違うし、トレーナーが作戦を考えてくれるわけでもない。練習量自体は多かったんですけど、それで勝てるほど甘くないですよね。しかも、デビュー戦は格闘技を始めて3週間後(苦笑)。“レースクイーンが格闘技デビュー”っていう話題性重視だったんだと思います」 総合格闘技ではまったく結果が出せず、失意のまま帰郷することに。 地元の寺院・輪王寺で働き、植樹をテーマにした「ご当地戦隊ヒーロー」のショーでヒロインを演じていた。だが、そんな生活の中でも格闘技への気持ちは衰えていなかった。空手道場に通いながら、東京に戻ることを考えていたという。 「せっかく格闘技を始めたのに、一度も勝てないままなんて情けないし、恥ずかしいじゃないですか。それに私は、最初からプロとして格闘技を始めたので。趣味でやっていたわけじゃないから、なおさら負けっぱなしで終われなかった」 2年半後、再び東京へ。プロ選手が数多く所属する新宿レフティージムで練習を重ね、しっかりと実力をつけてアマチュアキックボクシングからの再出発を果たす。 「寝技よりも殴ったり蹴ったりが好きなので、総合ではなくキックに専念することにしました。アマチュアからやり直したのは、選手としてのきちんとした手順を踏むため。総合では異例のデビューだったので。アマチュア大会で初めて勝った時のことはいまだに覚えてますね。『なんだこの感覚は!?』っていうくらい嬉しかった。勝つ喜びを知って、格闘技がやめられなくなりましたね」 プロ再デビュー戦でも勝利を収めたいつかだが、快進撃は長くは続かなかった。初のタイトルマッチ、安倍基江とのWPMFライトフライ級日本王座決定戦で完敗を喫したのだ。相手のヒザ蹴りで左腕が粉砕骨折、試合続行不可能となってのTKO負けだった。 「タイトルマッチで負けるということは、私は格闘技に向いてないのかなって。もの凄く落ち込んだし、ジムで練習することもできなくて、また田舎に帰りました。東京にいたら、格闘技の関係者と顔を合わせるかもしれないじゃないですか。『ケガ、大丈夫?』って心配されるのも、心が痛むんですよね。地元でも家族には会いたくなくて、友だちの家に引きこもっていました」
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スポーツ 2014年12月01日 15時00分
ドラフトの目玉をパに奪われ続ける巨人阪神 新人が話題作りの無茶振りで潰されてゆく?
シーズンオフからキャンプ、オープン戦に掛け、プロ野球報道は“話題の新人”に集中する。そのため、近年のプロ野球ニュースは、ドラフトの目玉選手を多く獲得してきたパ・リーグにスポットが当たる割合が大きい。来春のプロ野球報道も、有原航平(22=早大)、安楽智大(18=済美高)を獲得した日本ハムと楽天に集中しそうだ。 しかし、それを伝統球団の巨人、阪神が黙って見ているはずがない。ましてや阪神は来季、球団創設80周年のメモリアルを迎える。 「2007年の社会人大学生ドラフトで巨人は村田透投手(現インディアンスマイナー)を1位指名しました。当時、ナンバー1投手の呼び声が高かった大場翔太の抽選に外れ、次に入札した篠田淳平の抽選に外れて選んだ投手なので、事実上の3位指名みたいなものでした。ただ、巨人1位指名選手に取材要請がなかったのは初めてのことで、フロントはショックを受けていました」(当時を知るベテラン記者) 伝統球団は何も仕掛けなくても取材陣が殺到…。そんな時代ではなくなった。ある意味、このドラフトは巨人が本気で人気回復に乗り出した節目になったといえる。このときのことが相当ショックだったのか、巨人と阪神の新人ピーアールが過剰になりすぎている。 まず、巨人1位の岡本和真内野手(18=智弁学園)だが、背番号が『38』に決まった旨を伝えた系列スポーツ紙は、『3=長嶋茂雄』『8=原辰徳』と、将来の4番サードを煽る見出しを立てた。高校通算73アーチを放った打撃力は備えているが、岡本には守備難の弱点がある。そこへこんな見出しで煽っては、岡本に余計なプレッシャーを与えるだけだ。 また、1位入札の抽選を2度外し、12球団最後に1位選手を決めることになった阪神は、横山雄哉(20=新日鉄住金鹿島)が即戦力投手であることを必死にアピールしていた。横山は侍ジャパン21Uに選出され、台湾で行われた『第1回IBAF21Uワールドカップ』に参加。第1ラウンド最終戦のニカラグア戦に先発し、5回1失点で勝利投手になった。 「球の出所が見づらいのと、落ちる球があるので、和田(毅=カブス)に似ている」 このように視察に訪れたメジャースカウトのコメントを関西のスポーツ紙が掲載。さらに、21U代表を指揮した平田勝男ヘッドコーチ(55)の「プロのキャンプに入っても、(体力的に)引けを取らない!」なる賞賛談話まで載せていた。 左腕の横山に期待する気持ちは分かるが、ニカラグアは日本から見れば格下チーム。箔付けが過ぎると、逆に伝統球団のプレッシャーで潰されかねない。 「来春に行われる宜野座の一軍キャンプでは、初日から掛布雅之DCと江夏豊臨時コーチを合流させる方向で調整しています。往年の投打のスター指導者を揃える理由は、伝統球団の“負”です」(球界関係者) 阪神の1位指名は、一軍で活躍することなく消えてしまった選手も少なくない。伝統球団の新人には独特の緊張感と過度な期待がファンやマスコミ、ときにはコーチ陣からも寄せられる。その精神的負担で自分を見失うからで、往年の四番とエースにその心構えを伝えてもらおうというのだ。 「2位指名の石崎剛(24=新日鉄住金鹿島)には中継ぎでフル回転してほしいと、担当スカウトが伝えました」(在阪記者) ドラフト上位指名の投手を中継ぎで使うとは、伝統球団の育成にそぐわない。そんなプライドが邪魔をして、適材適所の起用でなくなる。伝統が重荷になるだけならばいっそ捨て去って、新人の育成と起用方針を見直す必要がありそうだ。
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スポーツ 2014年11月30日 15時00分
俺達のプロレスTHEレジェンド 第48R 愛すべき名悪役の名脇役〈キラー・トーア・カマタ〉
悪役らしい悪役レスラーが日本マットで見られなくなって久しい。 アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク、タイガー・ジェット・シンといったトップヒールはもちろんのこと、見た目からして凶悪なキラー・コワルスキー、ブルート・バーナード、バロン・フォン・ラシク、ジプシー・ジョー、オックス・ベーカー…etc。インチキ丸出しのザ・ブラックハーツなども含めて、彼らは妖しい“悪のニオイ”を放ちつつ、マット上の闘い模様を豊かに彩ってきた。 キラー・トーア・カマタは、そんな中の代表的な一人に挙げられよう。 アメリカマットでは日系選手との触れ込みで、なるほど外見的には東洋系に見えなくもない。トーア・カマタという名前の響きも日本語的で、「東亜・蒲田」と漢字を当てればすんなり収まりがつく。 だがその実はポリネシア系カマカ族の出自で、カマカを日本風の発音にしてカマタ。またトーアは“岩山”を表す英語の語彙であって、つまり日本との血縁は何もない。 「そのファイトスタイルは反則暴走を繰り返しながらもどこか明るさがあって、他のヒールのような陰湿さを感じさせない。舌を出してペロペロと口の周りを舐め顔をしかめる、そんな表情はどこかユーモラスで、大物感こそはなかったものの攻めっぷりもやられっぷりも潔く、敵役としては“丁度いい具合”の選手でした」(プロレスライター) 体型的にはブッチャーよりひと回り小さく、その点でのインパクトは薄かったが、その分“動けた”のがカマタの強味。奇声とともにその場で跳び上がって放つジャンピング・トーキックに、フィニッシュホールドはロープ最上段からのフライングソーセージ(ボディープレス)。片足跳びのドロップキックなど、当時のあんこ型の選手には珍しく空中戦をこなし、またロープワークも軽快だった。 国際プロでラッシャー木村の好敵手として幾多もの過酷なデスマッチに挑み『流血大王』の異名を取ると、1978年に全日プロへ移籍した。すると、すぐにジャイアント馬場が連続防衛中だったPWF王座を奪取して2代目王座に就くという大仕事を成し遂げている。 「国際で木村に負け続けだったカマタに対し、反則裁定とはいえ馬場が敗れるというのは全日の歴史上でも異例のことでしょう。馬場としては、待遇にうるさいブッチャーをけん制するため、似たタイプのカマタをトップの一角に組み込もうというもくろみもあったようですが」(同・ライター) さらにいえば「国際崩壊よりも先に移籍してきた分、好待遇を得た」「PWF王座は外国人エース格だったビル・ロビンソンに渡すまでが規定路線で、馬場が直接ロビンソンに負けることを避けて一時的にカマタを王者とした」との説もある。 とはいえ、カマタもそうした扱いにふさわしいだけの実力を備えていた。 悪役スタイルには珍しく、どんな相手とも好勝負を繰り広げたのはその表れで、日本人相手はもちろんのこと外国人選手とも、ザ・ファンクスらのベビー勢だけでなく、ブッチャーとの抗争などヒール対決でもファンの耳目を集めている。 中でもディック・マードックとの大流血戦は、両者にとっての日本におけるベストバウトといわれるほどだ('80年3月、後楽園ホール)。 「結果はレフェリー・ジョー樋口への暴行による両者反則の無効試合となりましたが、試合はどちらも見せ場たっぷり。カマタは地獄突き、マードックはエルボー主体のいわゆるラフファイトなのですが、両者ともに技の合間に見せる表情や間の取り方が絶妙で、会場は大いに盛り上がりました」(プロレス記者) 自ら主役も張るだけでなく、ブッチャーのパートナーなどでもしっかり仕事をこなす。この時代の全日にはかかせない存在だった。 後に、とんねるずの石橋貴明が地獄突きを放ちながら「トーア・カマタ!」と叫ぶギャグをやったり、またフジテレビ『みなさんのおかげです』(当時)の仮面ノリダーのコーナーでも“トーア・カマタ男”なる怪人に扮するなどしたことで、プロレスファン以外の知名度も飛躍的に高まった。 そういう意味でも堂々、昭和の日本マット界を支えた名選手の一人として記憶されるべきレスラーといえるだろう。〈キラー・トーア・カマタ〉 1937年、米国ハワイ州出身。高卒後、米空軍に入隊した後、'58年プロレス入り。初来日は'72年の新日本プロレス。'75年の国際プロレス参戦から常連外国人となり、'78年に全日プロへ移籍。'82年心臓の不調により引退。2007年、心臓発作で死去。享年70。
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スポーツ 2014年11月30日 15時00分
思わぬところに落とし穴 巨人お得意の金満戦力補強が封じられた!
11月23日に東京ドームで行われた巨人ファンフェスタで、育成選手4名を含む新人選手8名が紹介された。ドラフト1位の岡本和真内野手(18=智弁学園)は「少しでも早く、チームの力になりたい」と、初々しい抱負を語っていたが、原辰徳監督(56)を囲む関係者からは「大丈夫か!?」という声も聞かれた。何が心配の種なのかと言えば、“定員オーバー”で本命の外国人選手が獲得できない可能性が出てきたことについてだ。 「レンジャーズのミコラス、ポレダの2投手とは大筋で合意しつつあり、入団は確実。マシソンとは複数年契約がまだ残っており、アンダーソンも残留の方向で話を進めています。この時点で、支配下登録選手は67名まで膨れ上がっていて…」(球界関係者) 今秋のドラフトは即戦力の選手が少ないと言われていた。そのため、巨人は12球団最少の4選手で指名を切り上げ、70名の支配下登録枠には十分に空きがあると思われていた。しかし、事態は一変した。そうさせたのは、落合博満中日GM(60)だ。 「“4年前の恋人”がフリーになったと聞けば、気にするなと言う方が無理な話」(同) 吉川大幾内野手(22)が落合GMから非情の戦力外通告を受けたのは、10月30日のことだった。吉川は宮崎でのフェニックスリーグに参加していたが、怠惰な練習態度が谷繁元信監督(43)の逆鱗と触れ、強制帰還させられた。反省し、一人で練習していたところを呼び出され、唐突に「来季の構想に入っていない」と戦力外を告げられたのである。 「吉川には二軍戦で覇気のない走塁をした前科もありましたが、巨人はPL学園時代から高く評価していました」(名古屋在住記者) 巨人は身辺調査も行い、吉川の獲得に踏み切った。さらに原監督は、同じく中日を解雇された堂上剛裕外野手(29)にも触手を伸ばした。その堂上は11月9日に行われた『第1回12球団合同トライアウト』で6打数無安打だったが、「ヒット数の結果だけではなく、体のキレ、自軍チームの補強ポイントなどで総合的に判断される」のがトライアウトでのスカウティングだ。しかし、この2選手の獲得は「落合GMへの陽動作戦の意味合いの方が強かった」と指摘する声が挙がっている。 「外野手、左打者という補強ポイントがあったが、FA獲得した金城(龍彦=38)と重複する」(前出関係者) 29歳で大きな怪我もしていない堂上を、育成枠で契約するという矛盾した獲得方法になったのは、支配下登録枠が定員オーバーしそうだったからだ。 「今後はキューバ選手の獲得交渉が始まります。キューバ政府下の野球連盟に欲しい選手のリストを提出し、金銭面、起用法などが吟味され、日本の各球団に振り分けられるシステム。そのため、状況次第ではグリエル、デスパイネなど他球団で活躍したキューバ選手を強奪できるかもしれません。ただ、支配下登録の定員を考えると、巨人は予定していたキューバ選手の獲得を見送るのでは」(前出関係者) 巨人はグリエルかデスパイネを強奪し、さらに第一線で活躍するキューバ投手の獲得を狙っていたという。しかし、選手枠が足らないのだ。 支配下登録上限人数は70名。そこから5名程度の空きを作ってシーズンに臨むのが通常の方法だ。空き枠は、主力選手の故障などアクシデントが起きた場合に選手を補充できるように備えるため。さらには自軍育成選手に支配下選手登録を目標とさせる意味もある。 現時点(11月25日現在)で巨人の支配下登録選手数は67名。元中日選手を獲って、落合GMに心理作戦を仕掛けるためとはいえ、原巨人は自分で自分の首を絞める選手編成にしてしまっている。
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スポーツ 2014年11月30日 10時00分
小塚桃子ゴルフ連載(13)第三部・100を切るゴルフ実践編「パー4コースの攻略法(ドライバー編)」
いよいよ12月、師走ですね。一年の締めくくりです。皆さんはどんな一年でしたか? 私はとても、充実した年になりました。 さて今回は「パー4」についてです。ゴルフの基本といったら変ですが、「軸」となるホールですね。 18ホール中、4ホールがパー3。4ホールがパー5。ですので、実に10ホールがパー4です。この10ホール、プロゴルファーはパーで上がるのが絶対条件、もっと言えば原則です。 プロは±0。ではアマは、といえば100を切りたい方は5打、最悪でも6打では上がりたい。その場合、パー3コースで勝負、イーブンパーを狙いたいです。パー4コースですが勿論、距離は一定ではありません。400ヤードを超えるミドルとそれより幾分、距離が短いオーソドックスなコースがあります。 400ヤードでは当然ドライバー。そもそもドライバーは一番のパフォーマンスです。よく考えればすぐにわかりますが2打目以降は各々、ショット位置が違う。バラバラなところから打ちます。しかも自分のスコアが気になり他人のショットを注視している事はまず、ありません。ワンショット目になると「どの程度飛ばすんだろう?」とみんなの目が自分に集まる。そうなると絶対、飛ばしたいと思いますよね。 基本、今日の一発目が一番のパフォーマンスですが、2ホール目、3ホール目も「良し、飛ばそう!」という気持ちになります。 2打目以降はたまたまショットを見てくれている人がいれば「ナイスショット!」という声は上がるには上がります。ただ、それ以上に一打目のドライバーはみんなが注目してくれます。やっぱり、「わー!」と言われたいですよね。 私自身でいえば「(多くの)人に見られたくて」この仕事(芸能界)をしている訳ですし、ゴルフ場でも同じように「見られたい」という気持ちは強いです。とはいえ、力みます。今日の一発目…一番ホールよりも13番、14番ホール目の方が本当はよく飛びます。 私のドライバーはラウンド終盤にかけての方が飛距離は出る。「今日イチ(今日一番のショット)」は終盤に出る傾向が強いですね。因みに「今日イチ」は距離にして220ヤード前後です。 今回は「ドライバー」に関してのみ綴りました。本来は飛距離よりもセカンドショットを考えてフェアウェーに落とす事が肝要です。次回はその辺り、「コースマネジメント」について書いていきますね。小塚桃子オフィシャルブログ「季節はずれのももリンダ」 http://ameblo.jp/koduka-momoko/
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スポーツ 2014年11月29日 18時00分
“元K-1ジャパン王者”天田ヒロミが白血病と闘うライバル、ノブ・ハヤシと友情タッグ! アントニオ小猪木は女子にKO負け
かつて、一大ムーブメントを巻き起こしたK-1。そのマットでしのぎを削ったのが、天田ヒロミとノブ・ハヤシだ。 2人は04年6月26日、K-1ジャパン・グランプリ決勝戦で対戦。天田が判定でノブを下して、日本の頂点に立った。 その後、K-1は衰退の一途をたどり、活動を停止(現在のK-1は別組織)。天田は新たな戦場をキックボクシングのリングに求め、近年IGFなどプロレスのリングにも上がるようになった。 一方、ノブは09年1月に急性骨髄性白血病を発症。いったんは快方に向かい、同年11月にエキシビションマッチを行ったが、10年1月に再発。長い闘病生活の末、13年11月3日、「チャクリキファイティングカーニバル」で公開スパーリングを行ったが、その相手を務めたのが、かつてのライバルである天田だった。 その後、今年8月、2人はお笑いコンビ「1-K」を結成して、「キングオブコント2014」に挑んだが、それはコントの舞台でのこと。公開スパーでから1年の月日を経て、再びリングという同じ舞台に立つことになった。 11月27日、東京・後楽園ホールで開催されたASUKA PROJECTのプロレス興行で、天田がプロレスラーの鈴木秀樹(フリー)と対戦。そのセコンドにノブが付き、夢の合体を果たしたのだ。 試合は鈴木がいきなり場外戦に持ち込み、セコンドも加勢。大乱戦のなか、突如、海賊男が現れ、天田に手錠をかけると、たまらずセコンドのノブもリングに上がり、両軍大乱闘となって、無効試合の裁定が下った。 試合後、天田は「汚いことばかりやりやがって。久々に鈴木選手と試合できると思ったのに、悔しい。どこのリングでもいいから、もう一度やりたい」と再戦を希望した。 ノブはBLADE12・29大田区総合体育館大会で、6年ぶりの復帰戦に臨むことが決まっている。 また、11・27後楽園には、アントニオ猪木のモノマネでおなじみのお笑い格闘集団・西口プロレスのアントニオ小猪木(身長158センチ)も出場。小猪木は先頃、モデル・瓜谷はるみ(身長182センチ)との実に24センチもの“身長差婚”を発表したばかりで、「J-Girls」の女子キックボクサー・難波久美(契明ジム)と異種格闘技戦を闘った。 試合は3ラウンドに入って、難波がローキックで立て続けにダウンを奪い、3ノックダウンで小猪木がTKO負け。 独身最後の試合で、女子選手に惨敗を喫した小猪木は、「身長差は得することが多い。彼女が高い所に手が届くし…。家庭が不仲、家庭内別居、離婚に至らないようにしたい。家庭では猪木さん(バツ3)を見習わないようにしたい」と、試合そっちのけで、結婚に向け抱負を述べていた。 なお、同大会のメーンイベントでは団体代表の篠瀬三十七がジ・ウインガー、真霜拳號と組み、“邪道”大仁田厚、矢口壹琅、アズール・ドラゴンと対戦。篠瀬は大流血に見舞われながらも、バズーカエルボーでドラゴンを仕留め、初進出となった後楽園大会を締めた。(ミカエル・コバタ)※ASUKA PROJECT公式ホームページhttp://www.asuka-pro.com/
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スポーツ 2014年11月29日 15時00分
大久保流管理野球に楽天ナイン困惑 救援投手陣は崩壊寸前
東北楽天ゴールデンイーグルスの秋季キャンプは、某テレビ番組さながら“珍百景”のオンパレードだ。 「8人対8人の試合をしたり、紅白戦では選手に監督をやらせていました。ポジションごとに選手のランク表も作ったりして…」(スポーツ紙記者) 大久保博元新監督(47)によるチーム改革の一環だという。 「いや、大久保監督は裏では勉強家なんです。個人的に大学教授のもとを訪ね、心理学、物理学、スポーツ科学、生理学などを学んでいます。現役時代の実績が誇れるものでないことを自覚しているので、知識やデータで選手を心服させるしかないと必死なんですよ」(球界関係者) その熱心さが、三木谷浩史オーナーの「大久保にやらせてみたい」の“鶴の一声”につながったようだ。 8人制野球、選手の監督代行もゲーム展開を考えさせる手段だとすれば、合点がいく。しかし、秋季キャンプでは「やりすぎでは!?」といった光景も見られた。 「休日、選手全員でゴミ拾いをやっていました」(前出記者) 決して悪いことではない。楽天は球団創設時からファンサービスを重視しており、秋季キャンプ地の岡山県倉敷市の市民と触れ合う活動の一環だったのかもしれない。選手は真面目に町のクリーン活動に勤しんだが、「わざわざ休日に…」といったような、アピール目的の活動を煙たがる声は聞こえてきた。極めつけはその後に行われた監督の訓示である。 「常勝軍団の足掛かりを作りたい」 その意気込みはいいが、選手は大久保流のプランに戸惑いを感じている。その一つに、中継ぎ投手の定期的な入れ替え案がある。中継ぎ投手を2チームに分け、定期的に一軍と二軍を行き来させるというものだ。「登板過多の疲労を蓄積させないため」とのことだが、こんな意見も聞かれた。 「中継ぎ投手は一軍登録の試合日数で年俸を査定させます。投手の年俸が上がらない」(前出関係者) 楽天のブルペンはマーティ・ブラウン元監督が整備し、前任の星野監督時代もそれが踏襲されたという。監督が「行け!」と指示を出した投手以外はブルペンで投球練習をしない。登板が空き、調整で投げ込み練習がしたい者は担当コーチに申し出る。このメジャー式のブルペン管理で登板過多を防いで来た。 この長年定着したやり方を変えるというのは、救援陣全体に影響が及ぶ。 「大久保監督は『楽天流デーブ指導マニュアル』なるものを自ら作成し、これが後のチームのバイブルになるくらいの自信を持っています」(同) 大学教授のもとで学び、今日に備えてきたのだろう。 「『挨拶は帽子を取ってしろ』とか、『お辞儀は深くしろ』など、礼儀面も指導していました」(前出記者) 社会人としてのマナーは必要だ。しかし、直近にそれで失敗した例がある。2014年の球宴前に退任した伊原春樹前西武監督だ。伊原前監督は服装や髪形を厳しく指導した。西武が低迷した原因は、その息苦しさにあったと言っても過言ではない。新任監督は現役時代にもっとも影響を受けた指揮官のやり方を踏襲するという。大久保も“管理野球”時代の西武で育てられたライオンズOBである。
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