新日本
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スポーツ 2016年07月10日 12時00分
“盟友”小島が出場枠譲渡で天山が新日本G1電撃参戦!
6・27後楽園大会で発表された「G1 CLIMAX 26」の出場選手の中に自身の名前がなかったことに対して怒りを露わにしていた天山広吉だが、その後もシリーズ中、出場アピールをし続けた。そんな天山に対して一人の男が立ち上がる。シリーズ最終戦の7・3岩手大会でNEVER無差別級6人タッグ王座をリコシェ&マット・サイダルとともに奪取した“盟友”小島聡だ。小島はリング上に天山を呼び込むとこう叫んだ。 「天山が最後の『G1』って言うんだったら、これは俺の出場枠を天山に渡す!」 「ホンマにええんか…」と戸惑う天山に対し大きく頷いた小島はバックステージで「カッコ良く優勝して来い」とエールを送った。小島の意向を受けた新日本プロレスは翌4日にこれを尊重し、小島の公式戦の日程を天山に変更すると発表。『G1』26回の歴史の中でこのような形での出場はもちろんはじめて。天山、小島とは“第3世代”の仲間である永田裕志も、天山が選出されなかったことに対して複雑な心境を抱いていただけに、Twitter上で「何と!!」とツイートするなど、今回の譲渡劇には驚いていた様子が伺える。 天山の「G1 CLIMAX 26」公式戦(Aブロック)の日程は次のとおり。7・18 札幌対 石井智宏 初7・23 町田対 タマ・トンガ 初7・25 郡山対 丸藤正道 初7・28 所沢対 真壁刀義 1年ぶり7・31 岐阜対 オカダ・カズチカ 2年ぶり8・3 鹿児島対 バッドラック・ファレ 1年ぶり8・6 大阪対 後藤洋央紀 2年ぶり8・8 横浜対 棚橋弘至 1年ぶり8・12 両国対 SANADA 初※対戦相手の右はG1での対戦歴 今年で史上最多となる21回目の出場で、3度優勝している天山だが、2006年の優勝を最後に『G1』で目立った成績は残せていない。昨年は3勝6敗でAブロックの最下位だった。しかし、柴田勝頼と内藤哲也から白星を挙げており、14年も後藤から、途中欠場となった13年は優勝した内藤と鈴木みのるから白星を挙げることで、リーグ内に混戦を招く役割を果たしている。今回は『最後のG1』という強い意志と、それに応えてくれた小島の気持ちも背負ったことで、優勝が義務付けられる闘いになるが、Aブロックのメンバーは強敵揃いで、例年よりも苦戦が予想される。 同じタイプの石井、真壁、後藤を相手にどこまでやれるのかがポイントとなるだろう。4・10両国大会でのNEVER無差別級王座戦では柴田をあと一歩まで追い詰めてはいるが、一発勝負のタイトルマッチと連戦の『G1』では闘い方も、調整法も変わってくるので、ベテランならではのテクニックで対峙してもらいたい。 個人的な注目は7・31岐阜大会のIWGPヘビー級王者オカダとの2年ぶりのシングル対決。2年前は2戦目となる弘前で対戦し、オカダが勝利を収めたが、弘前のファンから終始大声援を受けた天山も期待に応える動きを見せ、オカダを苦しめている。今年は天山絡みのカードでは一番後ろのセミファイナルとして組まれているので、天山の健在ぶりをアピールするには格好の舞台になるはずだ。強敵揃いのAブロックを制して11年ぶりに決勝の舞台に立つことはもちろん夢があり浪漫を感じるが、今、第一線で闘っている選手から一つでも白星を挙げてファンに勇気や希望を与えるのが、これまで『G1』で色んな世代や、他団体や世界のエース級の選手と闘ってきた天山の務めだと思う。 21回目となる天山の夏。天山と一緒に一度でも多くのうれし涙を流したい。(どら増田)<新日Times VOL.25>
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スポーツ 2016年07月04日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND8 〈北尾光司“笑撃”デビュー〉 話題性のみを求めたが故の結末
現役横綱からのプロレス転向となった北尾光司。大相撲時代には小錦をひねり潰すほどのパワーを誇り、まだ20代と若いこともあって将来を嘱望する声も多かった。しかし、その船出はプロレス史に残る惨憺たるものだった。 1990年2月、『笑っていいとも』にゲスト出演した長与千種は、とあるポーズを何度も繰り返した。左の手のひらを前方やや上に突き出し、拳をつくった右腕はガッツポーズのように折り曲げる。 司会のタモリはまったくピンときていないようだったが、プロレスファンなら一目でそれと分かった。前日にプロレスデビューを果たした北尾光司を真似たのだ、と。 「もちろん、北尾をリスペクトしてのものではない。終始、半笑いだった長与の様子から、北尾を小馬鹿にしていたのは明らかです」(プロレスライター) この頃、多くのプロレスファンの女子プロレスに対する認識は、闘いではなく芸能に近かった。 「これは業界内でも同様で、プロレス専門誌が女子プロを扱うことに、拒否反応を示すファンや関係者も多かった」(同) そんな女子プロレスラーの長与が、鳴り物入りで新日本プロレスのマット、しかも東京ドーム大会でデビューを果たした北尾を揶揄すれば、反感を買いそうなものだが現実は違った。 「むしろ『長与、よくやった』との声が大きかった。これはファンに限らず関係者も同じで、それほどまでに北尾は嫌われていたのです」(同) 大相撲の横綱だった双羽黒が所属する立浪部屋を脱走し、廃業となったのは'87年のこと。以後は本名の北尾光司として、スポーツ冒険家の肩書で活動を試みるもパッとしなかった。 〈師匠のおかみさんに暴行を加えた〉などと報道されたことで、北尾の評判は最悪。実際は部屋側にも問題があったようだが、横綱在位中でありながら「相撲界に未練はない」と言い放った北尾が、問題児であったことに違いはない。 また、廃業後すぐにプロレス入りが取り沙汰された際、『そんな安易な考えはない』と斬って捨てたことも、プロレスファンから不評をかこつ一因となった。 さて、北尾のデビュー戦は『'90スーパーファイトin闘強導夢』で行われた。全日本プロレス勢の参戦により大きな注目を集めたこの大会で、ビッグバン・ベイダーとスタン・ハンセンによるド迫力の外国人頂上決戦が繰り広げられた後、北尾はセミファイナルのリングに上がった。 なお、この大会のメーンイベントは橋本真也の「時は来た! それだけだ」と、アントニオ猪木の「出る前に負けることを考えるバカがいるかよ」の名言で知られる、猪木&坂口征二vs橋本&蝶野正洋の世代闘争タッグマッチだった。 新日vs全日の対抗戦よりも後に、北尾の試合が組まれたのは、放映権の都合で全日勢の試合がテレビ中継できないという事情があってのこと。世間一般にとって、元横綱のプロレスデビューは話題性抜群であったが、プロレスファンからすれば話は別だった。新日vs全日の歴史的邂逅と比べれば、いかに元横綱であろうともかすんでしまう。北尾が真剣に取り組む姿勢を見せたなら、それでも支持は得られたのだろうが…。 デーモン小暮作『超闘王のテーマ』にのせて、カクテルライトの飛び交う中を悠然と登場した北尾は、金メッシュの角刈り頭にサングラス。鋲だらけの革ジャンを脱ぎ捨てると、下には黄色いタンクトップを着込んでいた。 そうして、これを怪力一番に引き裂く、当時のハルク・ホーガンそのままのパフォーマンスを見せた。だが、よく言えばナチュラルな、言い換えれば締まりのないその肉体では、ビルドアップされた“超人”ホーガンと似ても似つかず、早くも観客席のあちこちから失笑が起こった。 いざ試合が始まっても、一つ攻撃を加えるたびに長与が真似た例のポーズを差し挟むから、どうにもこうにも間が悪い。 対するクラッシャー・バンバン・ビガロは、頭部にまでタトゥーを施した怪異な容貌とは裏腹に“ホウキが相手でもプロレスができる”と評される試合巧者。新日ではサルマン・ハシミコフやトニー・ホーム、WWFでも元NFLスーパースターのローレンス・テイラーら、いわゆる“プロレス初心者”のデビュー戦で相手を務めている。 「それらの試合と比べてもこの試合の出来は悪く、それほどまでに北尾のプロレス勘が鈍かったということでしょう」(プロレス記者) フィニッシュもやはりホーガンを真似たギロチンドロップであったが、これも最初に走る方向を間違える始末では、観客から嘲笑が起こっても仕方あるまい。 しかし、北尾ばかりを責めるわけにもいかない。 「北尾は、プロレス転向にあたって新日に入団したわけではなく、契約上はフリーランスとしての参戦だった。つまり、のちのハッスルに参戦したインリンやレイザーラモンHGのようなもので、現場監督の長州力が新日の稽古に参加しないことで非難したのも、北尾からすれば筋違いの話。結局、両者が決裂となったのも仕方がない。問題はそんな契約をした新日側にもあったのでは…」(同) 北尾と新日、両者ともに話題性だけを求めたが故の、不幸な結末と言えようか。
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スポーツ 2016年07月03日 12時00分
新日本G1に3度優勝の天山が選出されず怒り心頭!
「ひとこと言わしてくれ…。2016年、『G1 CLIMAX』、俺の名前ないやんけ…『G1』ゆうたら俺やろが、エエ〜!? 新日本、ふざけんなよ、コラ!」 6月27日の後楽園ホール大会で今年の「G1 CLIMAX 26」の出場メンバーが発表されたが、そこに天山広吉の名はなかった。天山は自身の試合が終わったあとにマイクを掴んで怒りをぶちまけたのだ。天山と同世代である“第3世代”からは前NEVER無差別級王者の永田裕志と、盟友、小島聡が今年も選ばれている。 天山の過去のG1における成績は次のとおりだ。1995年 リーグ戦敗退1996年 リーグ戦敗退1997年 トーナメント準優勝1998年 トーナメント1回戦敗退1999年 リーグ戦敗退2000年 リーグ戦敗退2001年 リーグ戦敗退2002年 決勝トーナメント1回戦敗退2003年 優勝2004年 優勝2005年 リーグ戦敗退2006年 優勝2007年 リーグ戦敗退2008年 リーグ戦敗退2009年 リーグ戦敗退2010年 不出場2011年 リーグ戦敗退2012年 リーグ戦敗退2013年 リーグ戦敗退(途中から欠場)2014年 リーグ戦敗退2015年 リーグ戦敗退 天山は過去25回の大会のうち20回に出場。これは最多記録である。3回の優勝は蝶野正洋(5回)に続いて2位という輝かしい実績を残している。しかし、2006年の優勝を最後にリーグ戦においても勝ち越した年はなく、厳しい闘いが続いていた。今年はNEVER王者を獲得し意地を見せた永田や、欠場した棚橋の代役をしっかりと務めた小島に比べると落ちる感は否めない。それでも天山は前を向く。 「なんよって! 『G1』発表したよな? オイ、俺の名前ないよな? 俺の耳悪かったんちゃうやろな? どこにもなかった。ほんまに、名前が出なかったとき、その場で力抜けたよ。こんなことあんねんな。ありえないよ。俺にとったら、『G1 CLIMAX』今年ももちろんメンバー入ってる。当たり前や。それをなんやねん。嫌がらせかって。ふざけやがって。ほんま試合どころちゃうわ、こんなもん。ふざけんなって、オラ! 『G1』ある意味目標にしてる、新日本の一番のイベント。このイベントに出れへんって、おかしないかって。俺じゃあかんのかって。確かに、力は落ちたかもしれない。認めるわ。でもな、俺がプロレスやってる以上、新日本にいる以上、『G1 CLIMAX』絶対出なあかんやろって。何としてでも、出るからな。こっからやぞ。見とけよ。(出場を諦めない?)あんなもん、ふざけんなって、オラ! まだまだ返してやるよ。絶対、この『G1 CLIMAX』出る。出るって断言しとくわ、絶対!」 この日の試合では「まだまだいける」証としてムーンサルトプレスをフィニッシュに使用した。この結果を覆すにはかなり厳しいことが予想されるが、G1出場を決めた選手にとって、今シリーズ天山と当たる場合は油断が出来なくなったのは確かだろう。たとえタッグだろうと天山に敗れるようなことがあれば、何を言われるかわからない。今回の天山の主張には多くのファンが同調しており、内藤哲也ではないが、世論が動かす可能性がないとは言い切れない。 「今、天山も言ってましたけど、この半年でNEVERの価値観を、ボクら世代と柴田との闘いで、盛り上げてきた中で、やっぱ天山の気持ちってのは、痛いほどわかるし。俺も『どうしちゃったの?』って感じに思います。この半年、俺ら闘ってきて、天山が『G1』出れなければ、もしかしたら俺たちの上半期の闘いは、敗北だったのもしれない。そういう無念は、自分のこと以上に、やっぱ悔しさが凄いありましたよね」 これは永田のコメント。今年に入って第3世代はvs柴田勝頼で一致団結してきた。天山も4・10両国国技館大会で柴田に挑戦し敗れたものの、試合後柴田はインタビュールームに現れると、苦しい表情を見せながらその場であぐらをかいて「今までで一番キツかった」と絞り出すような声でコメントしている。今の天山は優勝候補にはなれないかもしれないが、優勝戦線に影響を与えるキーマンになれる可能性はあっただけに、G1のメンバーに名前がないのはやはり寂しさがある。 もし天山のG1出場が叶わなかったとしても、来年のG1に選ばれるよう天山には好調をキープしてもらいたい。(増田 晋侍)<新日Times VOL.24>
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社会 2016年06月28日 14時00分
不正会計発覚から1年 世界中がドン引きした東芝事件の“真犯人”
かつて『三種の神器』と言われた白物家電。日本の高度経済成長期の象徴であり、つい最近までは家電量販店に並ぶほとんどが日本メーカーのブランドで、それが技術大国日本のシンボルでもあった。しかし、2011年に三洋が中国のハイアールに買収されたあたりから、中国や韓国メーカーの製品がやたらと目に付くようになった。 今年3月、ついにあの東芝も、白物家電を手掛ける子会社の東芝ライフスタイルの株式80.1%を中国家電大手の美的集団(広東省)に売却することで最終合意した。美的集団は白物家電において東芝ブランドを世界中で40年間使用できるようになり、一方、東芝は約900億円の売却益を計上し、今期2017年3月期決算に対する資金繰りが多少は確保できるようになった。 「東芝のブランド名は残る見通しであるものの、日本を代表する総合電機メーカーの白物家電が中国資本となってしまうというのは寂しい話です。振り返れば、すべての始まりは証券取引等監視委員会に届いた内部通報でした。東芝が過去に行った工事進行基準案件に関わる会計処理についてのものであったとされますが、その他にも映像事業、半導体事業、パソコン事業に関わる不正会計などがゾロゾロと相次いで確認されました。その後、特別調査委員会、第三者委員会を設置し、調査の結果、2009年3月期以降の7年間の損益について2248億円の下方修正を行うに至ったのです」(東芝ウオッチャー) 不正に手を染めた要因は旧経営トップからの当期純利益至上主義、目標必達のプレッシャー、上司の意向に逆らうことのできない企業風土、経営者における適切な会計処理の意識の欠如、各部門における内部統制機能の欠如などの複合要因による組織的な関与など複数の原因があったと認定し、結果として現場への業績改善圧力が指摘された歴代3社長が引責辞任する異例の事態となった。 「東芝は市場からの信用も失墜し、東京証券取引所と名古屋証券取引所より昨年の9月15日付で『特設注意市場銘柄』に指定されました。このことがマーケットからの資金調達を困難にさせ、前述の有力子会社の売却の動きにつながったのです」(同) ある経済通は「東芝が真に健全な経営状態になるには自己資本比率30%台になる必要があるが、そのためには年間1兆円近くの資金が必要で、さらに年間1000億円の純利益を10年間続けなければならない。しかし、現在のようなペースで事業を売却することは考えにくく、常識的に考えてこのノルマを達成するのは難しいと思う」と述べた。 東芝をこんな状態にしてしまった不正会計。そのきっかけは旧経営陣の強いプレッシャーにあったと結論付けられているが、ある識者は「不正の内容から比較して、あまりにも失う代償が大きかった。なぜこの程度の額の粉飾を数年にもわたり行っていたのか疑問が残る」と語る。さらに、「この事件の問題の大きさは東芝の経営危機のみならず、日本の会計制度に対する国際的信用を大きく落としたことにある」と続ける。 そこには、東芝の強引な経営陣のプレッシャーに飲み込まれ、不正会計をスルーしてしまった“真犯人”とも言うべき新日本監査法人に大きな責任があった。 「監査対象であると同時に大口得意先であるため、その意向をどうしても受けてしまう。同法人はオリンパス事件でも粉飾決算を見抜けませんでしたが、今回の不祥事のダメージはさらに大きいと言えます。金融庁から3カ月の新規業務停止と課徴金21億円を命じられただけでなく、既存顧客の流出ですでに多くの顧客が別の監査法人に乗り換えました。ある役員は『監査法人を変える上での業務上の負荷は承知だが、投資家から不信感を抱かれないメリットの方がそれを上回る』と語っています」(経済記者) 新日本監査法人は先頃より、全顧客企業を対象にビッグデータを使い会計処理の不正をチェックする仕組みを導入するなど、役割の回復に全力を注いでいる。日本の会計監査制度に対する国際的信用が失われてしまった以上、他の監査法人にとっても対岸の火事ではなく、制度そのものの経年劣化というテーマにどう取り組むべきかが問われる。 東芝は6月22日に開かれた定時株主総会において、不祥事の発覚以降、代表執行役社長を務め構造改革を進めてきた室町正志氏が退任し、代表執行役副社長の綱川智氏が新たな代表執行役社長に就任。実質上の新経営体制となった。 「日本を代表する電機メーカーの復活と、日本の会計監査に対する信頼を取り戻すためにも、健全な経営手腕を期待したいですね」(前出・ウオッチャー) “政治とカネ”の話はウンザリだが“企業の不正”も大概にしてほしいものだ。
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スポーツ 2016年06月26日 12時00分
新日本、オカダが至宝奪還も内藤の余裕は消せず! 最終決着は1・4ドームか?
新日本プロレス上半期の総決算『DOMINION 6・19 in OSAKA-JO HALL」が19日大阪城ホールに9,925人(超満員)の観衆を集めて開催した。メインイベントは全国で“トランキーロ旋風”を巻き起こしている内藤哲也にオカダ・カズチカが挑戦するIWGPヘビー級選手権試合。新日本本隊にいた頃から必要以上にブーイングを浴びていた大阪は内藤にとって鬼門だった。しかし今回はそれを逆手にとり、「一番楽しみなのは大阪のファン」「大阪のファンには手のひら返しをしないでほしい」と言い続けた。試合の直前に場内に流された映像でも、ダメ押し的に話しており、これを受けた大阪のファンは8割以上が支持をする東京とは違い、6割くらいのファンがブーイングを浴びせていた。 試合前から何とも言えぬ異様な空気に包まれたが、これこそが内藤が望んでいた空気感であり、この日内藤のリクエストに応える形でリングサイドに陣取った木谷高明オーナーに見てもらいたかったことなのだろう。木谷オーナーと謎かけのような握手をしてからリングに上がった内藤を見つめる挑戦者オカダの横にはマネージャーの外道の姿がなかった。介入を繰り返すロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンのメンバーを排除するため、オカダもセコンドをつけないという意思表示を見せた。あくまでも1vs1を要求するオカダに対して内藤は「大帰れコール」の中、セコンドを控え室に帰しこれに応えた。 試合は内藤が大半のペースを握る展開。オカダも技のキレはあるが、内藤にベルトを獲られた4月の両国大会以上に終始シリアスな表情を見せていた。逆に内藤は笑みすら浮かべる余裕の表情を節々に見せることで、焦るオカダよりも精神的優位に立つ。これまでと違って介入や凶器攻撃、金的などの反則行為を一切しなかったこともオカダを焦らせたに違いないだろう。戦前内藤が話していたように、実力勝負で敗れるようなことがあれば、オカダにとって失うものは大きすぎるからだ。 そんなオカダをせせ笑うかのように内藤は正調レインメーカーをカウント2で返す。この時点で大阪のファンの両者への声援は若干内藤が上回った。このあと諦めずにレインメーカーを3連発叩き込んだオカダが至宝を奪還したが、オカダは翌日に行われた一夜明け会見で「昨日の内藤哲也はボクの想像よりも強かった。最後にしても内藤さんの足が返そうとしてる意地が見えた」と語っているように、オカダの完勝感も、内藤の完敗感も感じられない試合だった。 「これもすべては、俺の掌の上だよ」 これは試合後に出された内藤のコメントである。内藤は今回オカダのリターンマッチ決定について「リターンマッチやりたいと言って挑戦できるなら、俺もそういう気持ちになっちゃう」と不満を漏らしていたが、これは裏を返せば今回ベルトを落としても、リ・マッチ権を要求してくる可能性は充分に考えられる。ただオカダとの抗争に関しては、かつて中邑対棚橋に敗れたファン投票を3年振りに実施し、来年1・4東京ドームのメインをこのカードで勝ち取りたい気持ちが強いはず。それを考えると3年前の夏と同様、G1に優勝しておく必要がある。あのファン投票の結果は内藤にとって屈辱的なものだったが、対戦相手でチャンピオンだったオカダもかなり憤っていた。あの時は内藤を見下していた感もあったオカダだが、一連の闘いで「僕が内藤哲也というレスラーを強くしてしまった」とも語っている。 このカードが来年の1・4東京ドーム大会のメインカードの大本命になるかどうかは、真夏の最強決定戦『G1 CLIMAX 26』の結果が大きく左右することになる。(増田晋侍)<新日Times VOL.23>
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スポーツ 2016年06月25日 15時00分
プロレス解体新書 ROUND7 〈三冠ヘビー級王座の統一〉 ジャンボ鶴田vsスタン・ハンセン
日本プロレス界の至宝である三冠ヘビー級王座。スタン・ハンセンとの統一戦に勝利して初代王者となったジャンボ鶴田は、リング上から笑顔でファンの歓声に応えたが、その結末は決して団体側の望んだものではなかった。 日本プロレス界における最高峰といえば、多少の意見の違いもあろうが、それでも三冠王座は外せまい。 初代王者のルー・テーズから力道山が奪取したインターナショナル王座。 日本プロレス時代のアントニオ猪木がアメリカで獲得して以降、次期エースへの登竜門とされてきたUN(ユナイテッド・ナショナル)王座。 力道山の遺品として保存されていたベルトに由来し、全日本プロレス旗揚げからその象徴とされてきたPWF王座。 それぞれのベルトに刻まれた激闘の歴史が、三冠王座には継承されている。 ちなみにこの6月時点での同タイトル保持者は、全日所属の宮原健斗。佐々木健介の弟子としてプロレス界入りした27歳の若武者で、三冠の歴史にふさわしい今後の飛躍に期待したい。 「三冠王座は全日のみならず、日本プロレス界における最強の証であり続けました。プロレスで“最強”というときには、猪木=新日本プロレスを思い浮かべるファンも多いけれど、それは“格闘技世界一”と称した異種格闘技戦のイメージです。普段のプロレスでの猪木は話題性優先で、さほど勝ち負けにはこだわっていなかった。第1回のIWGP決定戦での失神KO負けなどは、その最たるものでしょう」(プロレス記者) 対して三冠王者は、常にトップの象徴として一枚看板であり続けた。 「これも新日でIWGP王者とG1覇者が並立したのとは異なる。この伝統は全日から分かれたNOAHが小橋建太を“絶対王者”としたことにも引き継がれました」(同) しかし、そんな三冠ベルトも、統一までの道のりは決して平たんではなかった。 「'87年に長州力らが離脱した後の全日は、天龍革命によりファンからの人気はむしろ高まった感もあったが、当時、これに対応できたのは日本人ならジャンボ鶴田、外国人ではスタン・ハンセンやブルーザー・ブロディぐらいのもの。リング上の充実ぶりとは裏腹に、話題性には乏しかった。そこで持ち出されたのが“タイトル統一”という手段だったのです」(全日関係者) 最初に統一戦が行われたのは'88年4月15日の大阪大会で、PWFとUNの二冠を保持していた天龍源一郎とインター王者のブロディとの対戦だったが、これは両者リングアウトに終わる。 続いて同年10月17日の広島大会で、ブロディから王座を奪取した鶴田と、天龍を下した二冠ハンセンの間で統一戦が行われたが、これも引き分けとなる。 同年8月にはインタータッグとPWFタッグの統一戦が行われ、ザ・ロード・ウォリアーズを下した鶴田&谷津嘉章の五輪コンビが、初代世界タッグ王者となっていた。ファンからすれば「タッグに続きシングルも」が当然の期待だろう。 「それまでは王座戦がリングアウトや反則などで終わるのは、興行システム的にもむしろ当然とされてきました。ただ、鶴田、天龍、ブロディ、ハンセンと、同じメンバーが毎度のように不透明決着を繰り返せば、さすがにファンも不満が募る。プロレス専門誌の台頭によって結果が手元に残るようになり、ファンの議論にさらされたことの影響もあったでしょう」(同) 話題性のある抗争はなるべく長く続けたいというのが団体側の本音だが、「煽るだけ煽りながら全日は本気で三冠統一する気があるのか」と、ファンの欲求不満は溜まりに溜まっていた。 そんな中で行われた'89年4月16日、後楽園ホール大会において鶴田vsハンセンの統一戦がまたもやリングアウトに終わると、会場内にはブーイングが飛び交い、暴動寸前の不穏な空気に包まれた。 '87年にはライバル団体の新日で、猪木vsマサ斎藤(海賊男乱入)、猪木vsビッグバン・ベイダーと二度の暴動騒ぎが発生しており、熱狂的ファンには「全日、おまえもか」との気持ちもあったろう。 そして、ようやく三冠統一となったのはこの2日後、大田区体育館における鶴田vsハンセンの再々戦だった。最初からどこかぎこちなく噛み合わない展開が続く中、ハンセンのラリアットを避けた鶴田が、その隙をついて丸め込んでの3カウントだった。 「三冠統一という節目のビッグマッチ、どうせやるなら日本武道館などの大会場でやりたかったのが本音です。しかし、先の後楽園であまりに不満の声が高まったために、仕方なく…というのが真相でしょう」(同) 完全なピンフォールではなかったが、それでも一応の決着がついたことにファンは歓声を送った。以降、全日では不透明決着が激減。三冠戦でも幾多の名勝負が繰り広げられることになる。
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スポーツ 2016年06月20日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND6 〈新生UWFの旗揚げ〉 最強を目指す闘いへの過渡期
1988年5月12日、後楽園ホール。新日本プロレスを追放された前田日明が旗揚げした新生UWFは、大いなる熱狂で歓迎されるとともに、その後のプロレス、格闘技界に一石を投じることになった。 「選ばれし者の恍惚と不安、二つ我にあり」 新生UWF旗揚げ戦『スターティング・オーバー』の試合前になされた前田のあいさつは、今もプロレス界の名言の一つとして語り継がれている。もともとはフランスの詩人ポール・ヴェルレーヌによるもので、太宰治の小説などにも引用されている(原典では『選ばれてあることの恍惚と不安と二つ我にあり』)。 続けて前田は「選ばれた者としての自負とこのままでやっていけるのかという不安」と、言葉の意味を説明している。 このフレーズにより多くのUWFファンは、「U戦士はプロレス界から選び抜かれた精鋭」と認識し、また、それを応援する自身のことも「ほかのプロレスファンとは違って真贋を見極める目を持つ者」と、自負することになった。 カール・ゴッチやシーザー武志、藤原喜明(U参加は翌年)らがオブザーバーとしてリングサイドで見守る中、この日に組まれたのはわずか3試合。 第1試合 高田延彦vs宮戸成夫(優光) 第2試合 中野龍雄(巽耀)vs安生洋二 第3試合 前田日明vs山崎一夫 所属6選手による対戦カードは、高田戦が手合い違いからエキシビション扱いになるなど、勝敗についての興味はさほど持てるものではなかった。それにも関わらず、チケットは発売開始からわずか15分で完売。後楽園ホールが入るビルの非常階段には、開場を待ちきれないファンが列をなした。 「チケットが“発売数分で完売”とか“行列ができた”などはバブル期によく見られたマーケティング手法で、発表をそのまま鵜呑みにはできないが、前田の復帰を待ち望む声が大きかったのは確かです」(プロレスライター) 旗揚げの前年、試合中に長州力の顔面を背後から蹴り上げ、重大な故障をさせたとして、前田は新日との契約を打ち切られた。アントニオ猪木が前田とともに滝に打たれるなど、和解ムードを漂わせながらも、結局、新日復帰とはならなかった。 「次世代のエースとしてファンからの信奉を集めていた前田。弾圧を受けるほど信者の信仰心が高まる新興教団のごとく、新日からの理不尽な扱いを受けたことで、より人気が沸騰しました」(同) 新生UWFがどんなファイトを見せるかは、多くのプロレスファン共通の関心事でもあった。 かつて「ごちゃごちゃ言わんと誰が一番強いか決めたらええんや」と言い放った前田が、新日という既成団体の枠から外れたときに、いったい何をやらかすのか。 つまりは“ガチンコ”かどうか、それこそが興味の中心であり、ファンの期待をあおるように専門媒体もはやし立てた。中でも〈プロレスという言葉が嫌いな人、この指とまれ〉と表紙に打って、UWFの記事を掲載した『格闘技通信』はその顕著な例であろう。 では、実際の試合はどうだったか。 「相手を壊そうが何をしようが、勝利が最優先される闘いを真剣勝負と言うならば、UWFは否です。あくまでも興行を意識したプロレスでした。わずかな所属人数で仲間を潰したのでは、興行が成り立たない。UWFの人気=前田人気である以上は、前田がその看板を背負わなければファンもついてこない。旗揚げ当初、すでにその道の専門家からは『UWFは格闘風プロレス』と喝破する声もありました。ただその一方で、試合形式はどうであれリング上の選手たちが真剣であったことには間違いありません」(同) 近年になってはUWFを「格闘技をかたったプロレス」と批判する声もあるが、しかしその意見は早計だ。総合格闘技という概念がなかった時代のこと(佐山聡の主宰した修斗が初のプロ興行を行ったのは新生UWF旗揚げの翌年)、真の最強を目指す戦いへの過渡期であり、試行錯誤の段階であったと理解すべきだろう。 この日のメーンイベント、前田vs山崎の一戦は、新日参戦時にはさほど目立った活躍のなかった山崎の予想外の奮闘によって、大いに盛り上がることとなる。山崎のしなるようなハイキックで前田がダウンすること5回。後のUWFルールであれば、この時点で山崎の勝利である。 しかし、前田はふらふらになりながらも、ファンの声援を背にここから巻き返す。キャプチュード、ニールキックで山崎を追い込むと、最後は片羽締めで25分に迫る激闘を制した。 「これからのUWFは自分たちの信じた道を進んでほしい。そして最後まで仲間割れしなかったら最高」 これは大会直後のシーザー武志のコメントである。
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スポーツ 2016年06月19日 16時00分
今だから書けるモハメド・アリvsアントニオ猪木 「格闘技世界一決定戦」の真実 〜新間寿(新日本プロレス元専務)〜(2)
試合は、猪木が寝転がった状態からアリの足に蹴りを仕掛け、アリのパンチが届かず攻めあぐねるという展開。結局、両者決め手に欠け、15ラウンド引き分けに終わった。 翌日のスポーツ新聞では「世界中に笑われたドロー アリ・猪木」「“スーパー茶番劇”なにが最強対決」と酷評され、詐欺、ペテン師呼ばわり。一般紙も「猪木・アリ“真昼の決闘”寝たきり猪木にアリ舞えず」と皮肉った。 これは、ルール説明が不徹底だったのが原因だ。 アリ側から押し付けられたのは、「アリの頭への攻撃は禁止」「空手チョップ、頭突き、喉への攻撃禁止」「立った状態のキックは禁止」「肘と膝を使った攻撃は禁止」「ロープへ触れた相手への攻撃禁止」という厳しいルール上の制約。猪木には極めて不利なルール。それが判明してからは「名勝負」と評価されることが多くなった。 実は、ここからが私のアリとの戦いだった。一方的かつ度重なるルール変更に抗議すべく、後払い分の120万ドル(3億6000万円)をペンディングしていると、これが裁判に発展したのだ。それも未払いの120万ドルに、ペナルティー分の3000万ドル(90億円)を加えた総額3120万ドルを支払えという容赦ないものだった。 これが私の責任にされ、新日本プロレスの営業本部長から平社員に降格され、給料も減額。この債務処理にどれだけ苦しめられたことか…。弁護士同士の話し合いは1年半続いたが、決着することはなかった。 この危機を救ってくれたのがアリだった。私が弁護士を外してハーバード・モハメド(アリファミリーのボスでプロモーター)と膝を詰めて話し合い、あの試合がいかにフェアな戦いで、いまあの試合のためにアントニオ猪木がどれだけの債務を背負っているか、苦しみを乗り越えながら毎日試合を続けて借金返済に努力しているか…。そういった事情でこの裁判を終わらせてもらいたいと心を込めて説明すると、その場でアリに電話をしてくれた。 アリは「私はイノキさんをリスペクトしている」と言ってすべてをチャラにしてくれた。 あの試合の6ラウンドで猪木はアリをつかまえて倒し、上になった。そのときに反則負け覚悟で肘を一発入れていれば終わっていた。しかし、猪木はそれをしなかった。判定の点数表で猪木が勝っていたこと。そしてドローこそ、唯一最大の幕引きだったことをも知っていた。そしてなにより、猪木が最後までルールを守り、自分も正々堂々と戦ったことを誇りに思っていた。それが借金チャラの真実だ。 今回の「世界格闘技の日」制定は、40年前の猪木VSアリ戦が「現在へ続く全世界レベルでの総合格闘技の礎になった試合」という偉業を称えるものである。 実際、この試合が、ミュンヘン五輪の柔道金メダリスト、ウィリアム・ルスカとの異種格闘技戦につながり、現在のアルティメットやK-1、格闘技人気の先駆けとなった。(文中敬称略)
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スポーツ 2016年06月19日 12時00分
新日本プロレス「ライオンズカフェ」が原宿に! 選手コラボメニューも登場!
新日本プロレスは17日、原宿のエンタテインメント・コラボレーション・カフェ「AREA-Q」において「新日本プロレス ライオンズカフェ〜44周年YEAR 原宿夏祭り!!〜」(以降、ライオンズカフェ)を7月10日(日)までの期間限定でオープンさせた。新日本では団体ロゴの獅子になぞらえ、創立44周年を迎える今年を“獅子(44)”の年・ライオンズイヤーとして様々な企画を考えており、今回のライオンズカフェもライオンズイヤー上半期最大のファン感謝祭と位置づけされた目玉企画だ。 ライオンズカフェはコアファンからビギナー、話題のプ女子や家族連れまで幅広い層に新日本プロレスの魅力に触れ、語り合い、飲み食らってもらいたいというテーマのもと、店内にはチャンピオンベルトのレプリカやトロフィーなども展示されているほか、カフェ限定オリジナル映像の上映や新日本の歴史を振り返る展示物も掲示されている。また、ライオンズカフェの注目は選手とのコラボメニューだ。主なメニューは次のとおり。■真壁刀義:マカベミアチョコレートケーキ真壁公認のライオンズカフェオリジナルスイーツ。キャラメルグラサージュの上にチェーンと炎をイメージしたチョコレートと、カラメルマカダミアナッツ。滑らかな口どけのチョコレートムースの中にはバニラを贅沢に使用したバニラムース、カリカリとした食感のマカダミアナッツでアクセントをつけた。生地の底にはアーモンドを使用した厚めのチョコレートのフィナンシェで身も心もとろける美味しさとのこと。※各回、数量限定での販売■真壁刀義:キングコングスムージー【黒蜜きなこバナナスムージー】※ソフトドリンクバナナスムージーをベースに黒蜜きなこをトッピングした。■棚橋弘至:スリングブレンド(アイス/ホット)【豆乳ラテ】※ソフトドリンク女性に人気の豆乳を使用したラテ。■オカダ・カズチカ:RAIN MAKER【ラズベリージンジャー】※ソフトドリンクイメージカラーに合わせ、ラズベリーシロップとジンジャーエールを使用。■内藤哲也:DESTINO【ロイロジャース】※ソフトドリンクコーラとグレナデンを使用したドリンク。■永田裕志:ブルージャスピス【ブルーカルピス】※ソフトドリンク永田のイメージカラーである青をポイントにしたブルーカルピス。■獣神サンダー・ライガー:怒りのシャンディガフ【シャンディガフ】※アルコールライガーの華麗なイメージをゴールドのシャンディガフで表現している。■KUSHIDA:ベスト オブ ザ スーパー ハイボール(BOSH)【ブラックハイボール】※アルコールヘルシーなハイボール好きを公言しているKUSHIDAをイメージした。■本間朋晃:KoKeShi【グレープフルーツカルピスソーダ】※ソフトドリンク本間の黄色をイメージし、グレープフルーツの酸味とカルピスの甘さが調和した一杯。■天山広吉:バッファローフロート【コーラフロート】※ソフトドリンク天山選手のバッファローのイメージをコーラフロートにチョコスティクでツノを表現している。■小島聡:コジコジオレンジ【カシスオレンジ】※ソフトドリンク小島のコスチュームをイメージしたオレンジ色のドリンク。■後藤洋央紀:荒武者【レッドアイ】※アルコール男らしいイメージをビールで、イメージカラーの赤をトマトジュースで表現した。■矢野通:矢野の一杯【鬼殺し+クランベリー】※アルコール矢野の得意技と同じ名前のお酒・鬼殺しを使用したドリンク。イメージカラーの赤を強調するため、クランベリージュースを加えることで飲みやすくなっている。 さらにオリジナルレシピによる「新日本プロレスちゃんこ」もメニューに加わった。プロ野球の球場ではこのような選手とのコラボメニューを多く見ることができるが、プロレス界では斬新で、大きな話題を呼びそうだ。 また、選手の来店も決定した。6/21(火)獣神サンダー・ライガー6/22(水)永田裕志6/23(木)本間朋晃6/28(火)中西学、小島聡(1&2)※「中西ランド」の収録予定(各回とも)7/5(火)オカダ・カズチカ【完売】7/6(水)棚橋弘至 【完売】※6/28以外の各選手の来店は2&3のみ※その他選手も来場日程が決定次第ホームページ等で告知する 上記のように発売と同時に完売になった日もあるなど、現在の新日本の勢いを感じる今回のライオンズカフェだが、ファンが友達や家族を気軽にプロレスに触れてもらいやすい場所を提供した新日本の姿勢は評価できる。 真夏の最強決定戦「G1 CLIMAX26」が今年も7月18日に開幕するが、ライオンズカフェはファンにとっての前夜祭会場のようなオアシスになるだろう。■「新日本プロレス ライオンズカフェ〜44周年YEAR 原宿夏祭り!!〜」開催期間:2016年6月17日(金)〜7月10日(日)<平日>1.OPEN 12:00 / START 12:30〜14:002.OPEN 15:00 / START 15:30〜17:003.OPEN 19:00 / START 19:30〜21:00※金曜日のみ3回目がOPEN 19:30 / START 20:00〜21:30<土日祝>1.OPEN 10:00 / START 10:30〜12:002.OPEN 13:00 / START 13:30〜15:003.OPEN 16:00 / START 16:30〜18:004.OPEN 19:00 / START 19:30〜21:00※各回完全入替制■会場:AREA-Q 東京都渋谷区神宮前6-28-6キュープラザ原宿7階(アクセス)東京メトロ千代田線・副都心線「明治神宮前」駅7番出口 徒歩1分/JR山手線「原宿」駅徒歩約6分(増田晋侍)<新日Times VOL.22>
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スポーツ 2016年06月18日 16時00分
今だから書けるモハメド・アリvsアントニオ猪木 「格闘技世界一決定戦」の真実 〜新間寿(新日本プロレス元専務)〜(1)
モハメド・アリとアントニオ猪木(73)による「格闘技世界一決定戦」から40年。今年、同試合のあった6月26日が「世界格闘技の日」と認定された。残念ながらそのメモリアルデーを待たずして、20世紀を代表するスーパースターが米アリゾナ州の病院で6月3日亡くなった。74歳だった。 当時、アリの人気は凄まじかった。「ボクシングこそ史上最強の格闘技だ」。カシアス・クレイからモハメド・アリと改名し、世界王者に就いたこの男の言葉を疑う者はいなかった。 他方、当時は力道山時代と違い、プロレスの強さを心から信じる日本人は少なくなっていた。どんなに人気があっても大新聞はプロレスの話題を取り上げず、スポーツ新聞でさえ、プロレスの記事を扱わなくなっていた。 「自分たちは世間から蔑まれているのか…」 そのような時代背景の中で動き出したのが、あの異種格闘技、頂上対決だった。 「ボクシングとの試合であれば大新聞が記事にする。アリと対戦したい」 猪木の突拍子のない申し出に反対する人が多かったが、当時、新日本プロレスの営業本部長だった私はすぐに賛同した。ずっと同じ思いを持ち続けていたし、猪木のプロレスラーとしての実力、強さを知る私には、実現させる策も、成功させる自信もあったからだ。 試合前年の1975年6月、マレーシアで防衛戦を行うアリはトランジットで東京に立ち寄り、ボクシングの記者会見をした。その席でアリに「挑戦状」を突き付けたのだ。 実は、その3カ月前、アリは日本レスリング協会の八田一朗会長に「誰か東洋人で俺に挑戦するヤツはいないか?」とリップサービスをしていた。そこで「相手をお探しなら応じますよ」と申し出たわけだ。これにアリが「イノキなんてレスラーは名前も知らないが、いつでも相手になってやる」と毒づいた。これにメディアが「猪木VSアリ戦、実現へ」と一斉に飛びつき、猪木ですら驚いた対決の流れができた。 ここからが大変だ。アリとのファイトマネーは600万ドル(約18億円=当時)。半分は全米21カ所のクローズドサーキット(有料生中継)で賄うとして、残り300万ドル、当時のお金で9億円…。不可能と思いながらも、猪木、倍賞美津子(元猪木夫人)、坂口征二ら、みんなで必死になってかき集めた。 試合は土曜日の昼間に行われ、米国へも衛星中継された。日本ではその夜にも再放送され、昼は平均視聴率38.8%、夜は29.9%。まさに、日本中が注目する一戦となった。
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