翌日のスポーツ新聞では「世界中に笑われたドロー アリ・猪木」「“スーパー茶番劇”なにが最強対決」と酷評され、詐欺、ペテン師呼ばわり。一般紙も「猪木・アリ“真昼の決闘”寝たきり猪木にアリ舞えず」と皮肉った。
これは、ルール説明が不徹底だったのが原因だ。
アリ側から押し付けられたのは、「アリの頭への攻撃は禁止」「空手チョップ、頭突き、喉への攻撃禁止」「立った状態のキックは禁止」「肘と膝を使った攻撃は禁止」「ロープへ触れた相手への攻撃禁止」という厳しいルール上の制約。猪木には極めて不利なルール。それが判明してからは「名勝負」と評価されることが多くなった。
実は、ここからが私のアリとの戦いだった。一方的かつ度重なるルール変更に抗議すべく、後払い分の120万ドル(3億6000万円)をペンディングしていると、これが裁判に発展したのだ。それも未払いの120万ドルに、ペナルティー分の3000万ドル(90億円)を加えた総額3120万ドルを支払えという容赦ないものだった。
これが私の責任にされ、新日本プロレスの営業本部長から平社員に降格され、給料も減額。この債務処理にどれだけ苦しめられたことか…。弁護士同士の話し合いは1年半続いたが、決着することはなかった。
この危機を救ってくれたのがアリだった。私が弁護士を外してハーバード・モハメド(アリファミリーのボスでプロモーター)と膝を詰めて話し合い、あの試合がいかにフェアな戦いで、いまあの試合のためにアントニオ猪木がどれだけの債務を背負っているか、苦しみを乗り越えながら毎日試合を続けて借金返済に努力しているか…。そういった事情でこの裁判を終わらせてもらいたいと心を込めて説明すると、その場でアリに電話をしてくれた。
アリは「私はイノキさんをリスペクトしている」と言ってすべてをチャラにしてくれた。
あの試合の6ラウンドで猪木はアリをつかまえて倒し、上になった。そのときに反則負け覚悟で肘を一発入れていれば終わっていた。しかし、猪木はそれをしなかった。判定の点数表で猪木が勝っていたこと。そしてドローこそ、唯一最大の幕引きだったことをも知っていた。そしてなにより、猪木が最後までルールを守り、自分も正々堂々と戦ったことを誇りに思っていた。それが借金チャラの真実だ。
今回の「世界格闘技の日」制定は、40年前の猪木VSアリ戦が「現在へ続く全世界レベルでの総合格闘技の礎になった試合」という偉業を称えるものである。
実際、この試合が、ミュンヘン五輪の柔道金メダリスト、ウィリアム・ルスカとの異種格闘技戦につながり、現在のアルティメットやK-1、格闘技人気の先駆けとなった。
(文中敬称略)