工藤伸一
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トレンド 2011年02月03日 16時15分
ショートショート『兄さんの日』
「節分だか接吻だかセックスだか、豆撒きだか恵方巻きだか後藤真希だかしらねぇが、兄さんをのけものにしておいて、勝手に行事をすすめるのは断じて許さん!」 兄さんが狂った。 というより、もともと狂っていたのかもしれない。 狂という字は「王」に「ケモノへん」で。 この「王」は本来「まさかり」を意味するものだったらしく。 マサカリかついでクマにまたがった金太郎状態。 兄さんの名前は金太郎もとい、マサカリ・クサヲなのである。 それはさておき。 「いいか皆、よく聞きやがれ。平成23年2月3日を、兄さんの日に制定する。提案者は兄さん。賛同者も兄さん。父の日や母の日があるのだから、あってもいいじゃないか」 すると弟くんや妹ちゃんが「兄さんだけズルい!」と言い出した。 姉さんも「兄さんらしくないわね」と呆れている。 「兄さんは天下のブラック大学を出てんだ。何をしても許される身分なんだよ」 「だったらもっと知的な説明くらいしてみせたらどうなの、クサヲ?」 不遜なことをのたまう兄さんに、母さんがつっっかかる。 「よかろう。今日はちょうど旧正月なんだ。新正月の兄さんみたいなものだろ? だから兄さんの日。これでどうだ?」 「まあ、いいでしょう。それで我々に何をしてほしいわけ?」 「とりあえず、今日だけは兄さんを王子と呼べ」 「王子、次は何がお望みですか?」 「腹が減った」 「恵方巻きと豆撒き用の豆しかございませんが」 「苦しゅうない。よこせ」 「ちょい待てや、ゴルァ!」 鬼の形相で父さん登場。 「クサヲのくせに生意気だ! 貴様のような愚息に喰わすもんはない!」 「こんな子に着せる服もないわ。テメーラ、剥いちまいな!」 まさかの母さんによる援護射撃。「時は来た! それだけだ!」 「ギニヤー!」 奇声を上げてワラワラと、姉さんと弟くんと妹ちゃんが、兄さんにまとわりつく。 「ゲゲゲ! おいこら、やめろよ、こそばゆいじゃないか、フヒヒヒヒ!」 くすぐり攻撃に耐えかね無抵抗と化した兄さんは、身ぐるみ剥がされ生まれたままの姿に。 「鬼は外!」 父さんと母さんが、兄さんを標的にして、豆を装填したマシンガンをぶっぱなす。 「アウチ! 素肌にこれは、マジ勘弁」 兄さんが逃げ込んだ自分の部屋からも、容赦ない豆つぶて。 姉さんと弟くんと妹ちゃんが、先回りしていたのだ。 「おにーはそと!」 「お兄は外!」 「そういうことか! くっそ、こんな家、出てってやる!」 そのまま外へ出たはいいものの、何も着てないものだから、寒くてたまらない。 かといって戻るわけにも行かず、考えた末に交番へ。 「なるほど、自宅に帰れないというわけか。で、どうして全裸なの?」 「服はウチにあるので」(工藤伸一)
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社会 2011年02月02日 13時30分
身勝手な人類の一員としてペットを飼うということ(3)
僕は猫アレルギー体質だが、かなりの年月を猫と暮らしてきた。猫アレルギーの主な症状は、皮膚が腫れたり痒くなったり、くしゃみや鼻水が出たり、あるいは喘息を持っている場合に発作を誘発したりもして、危険だ。今は喘息の薬を飲んでいるから、症状が出ることはそうそうない。しかし薬が切れてしまうと、猫に接することはできないだろう。 幼稚園児の頃に、知人宅で飼われていた猫と遊んでいたら、目の周りがぶくぶく腫れてきて、驚いた親が病院に連れていき、猫アレルギーであることが発覚した。けれども何年かして何故か症状が出なかったので、治ったのだろうということで、知人宅から預かった猫を飼うようになったのである。 しかし大人になってから喘息を発症した際に受けた検査結果で、治ってなどいないことを知った。ハウスダストや花粉などもアレルゲンになっているため、猫に近づかなければ大丈夫というわけではない。そもそも喘息発作が初めて起きたのは、猫のいない場所だった。他の人の衣服に猫の毛が付着してることもあるから、根本的には防ぎようがない側面もある。 2005年に花粉症の発症を苦にした石原都知事が、スギの伐採を命じたことがあった。花粉症になる人は増加傾向にあり、動物アレルギーも同様に増えていると思われる。現代人がアレルギーになりやすいのは、環境が清潔すぎるからとの説もある。確かに昔に比べて何かといえば除菌をするので、抵抗力が奪われてしまったようには感じられる。とはいえ、いったん失くしてしまった力を取り戻すのは、簡単なことではない。 前回の終わりに「身勝手なのはペットを捨てる飼い主だけではなく、何もしてやれない人類そのものであり、皆で罪を背負っていくべきだ」と書いた。これは僕自身がアレルギーを抱えながらも猫と暮らさざるを得ない宿命に、業を感じ取ったせいでもある。だから別に誰もが動物を飼わねばならないなんてことはないけれど、飼い主を敵視するようなことはやめてほしいとの思いがある。 前回の文章を読んだ方から「ペットを飼う」という表現が好きになれないという意見があったけれど、言われてみればその通りだと思う。人間のエゴのために動物を飼うのではなく、僕らは動物の世話係に過ぎない。主体は人間ではなく動物の側なのだ。動物は人間と共に暮らしてくれている。だから僕らは彼らの世話を怠ってはならない。 また「人類の罪」という言葉に「お前は新世界の神にでもなったつもりか」と拒否反応を示す方もいた。もちろん僕は神ではない。だから動物の命をみだりに奪う権利もない。アレルギーや住環境などの都合で同居できないケースも多いけれど、そもそも僕らは同じ地球で一緒に暮らしてきた仲間なんだ。宇宙の片隅で肩寄せ合いながら、どうにか仲良くやっていきたいものである。(工藤伸一)身勝手な人類の一員としてペットを飼うということ(1)http://npn.co.jp/article_mroonga/detail/07021667/身勝手な人類の一員としてペットを飼うということ(2)http://npn.co.jp/article_mroonga/detail/24793928/
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社会 2011年01月29日 12時30分
身勝手な人類の一員としてペットを飼うということ(2)
僕が子供の頃に、人を噛んで殺処分された犬のゴローや、事故死するなどしていなくなった猫たち。こうして思い出してみると、可哀想なことをしたと思う。決して虐待していたわけではない。けれどもペットを飼っていることそれ自体が、まるで虐待であるかのようなことまでいう人もいる。しかし実際に何もしてやれないからには、飼っているかどうかに関わらず、誰もが身勝手な人間の一員に過ぎないだろう。 殺処分に当たる保健所の職員は、何もしてくれない人たちの尻ぬぐいをしているのであって、飼い主だけを責めたところで状況は変わらない。ましてや「愛犬チロの敵打ち」と称し、元厚生事務次官らを殺害した小泉毅被告のように、行政を憎むのはお門違いだ。 全国で殺処分されるイヌやネコは、1年間で30万匹前後にも及ぶそうである。うち3割が犬で、7割が猫。ここ10年で半減してはいるが、減っているのは犬ばかりで、猫は横ばい。8割が生まれて間もない子猫だそうである。事故や病気や飢えで死んでいく野良猫が不憫で、去勢や避妊手術をボランティアで行っている人もいる。自分で飼えればいいのだが、それにも限界がある。 手術を受けさせるのも人間のエゴに見えるかもしれないが、少なくとも既に生まれている命が天寿を全うできるだけでもマシだろう。殺処分数が4年連続で全国ワースト1位だった福岡県の動物愛護センターでは、昨年8月から去勢や不妊手術を無償で行うようにしたそうである。 もし国家が殺処分せずに全ての犬猫を飼うとしたら、どうなるだろう。100匹の猫を飼う社長令嬢なる人がテレビ出演し「月100万円かかる」と言っていたことがある。1匹当たり1万円ということになるが、さらに3割程度にまで抑えたとしても、10年で300万匹なら、毎年1,200億円。国家予算が90兆円として750分の1。多いと見るか少ないと見るか、難しいところだ。 身勝手な飼い主は身勝手ゆえに、どんなに飼うなと言われても飼っては捨てるだろうし、何らかの理由で飼い主の下を離れ、そのまま処分されることもある。動物は自由に生きられるのが理想かもしれない。しかし野性の熊でさえ里に降りてくるこのご時世。人間と共生しながら代を重ねてきた彼らが、野性環境で問題なく生きていけるかは疑問に思えてならない。 だからこそ僕らには責任がある。もはや誰が悪いという話ではなく、これは人類全体の罪なのだ。自分だけは悪くないなんて、言い逃れることはできない。誰もが等しく罪を背負って生きていくべきなのである。できれば罪なき彼らの世話に一生を捧げながら!(工藤伸一)
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社会 2011年01月28日 17時00分
身勝手な人類の一員としてペットを飼うということ(1)
今西乃子・著/浜田一男・写真『犬たちをおくる日』(金の星社/2009年刊/税込1,365円)の紹介記事をネットで読んだ。飼い主が連れてきたり外で捕獲されるなどして貰い手もないまま殺処分されるイヌやネコの姿と、動物愛護センター職員の仕事ぶりや胸の内を伝えるノンフィクション本だそうである。 その紹介記事中にも出てくる「身勝手な飼い主」という言い回しは、ペット問題を語る文章で必ずと言っていいほど良く見かけるもの。動物の命を軽視する風潮を非難する言葉だ。僕自身も憤りを感じる一人だが、それでもこのフレーズを目にするたび、ペットにまつわる悲しい記憶がよみがえり、激しく苦悶してしまうのである。 幼い頃から実家で一緒に育った飼い犬のゴローとは、幼なじみ同様に暮らしてきた。けれども犬の成長は早く、僕が中学に入る頃には、人間でいえば60歳。番犬として家の前の犬小屋に繋がれていたが、ある冬の日に近所の子供たちから、雪玉を投げつけるなどしてイジメられた。僕より学年が下の悪ガキどもの仕業である。叱りつけたらすぐに逃げて行ったものの、その時にはもう手遅れで。 ゴローはすっかり人間不信に陥ってしまい、家族以外の人間が近づくと猛烈に吠えたてるようになった。それ以降「猛犬注意」と触れこんでは、慣れない人が近づかぬよう注意してきた。ところがある日、妹がエサをやろうとしている時に知り合いが訪ねてきて、妹が「危ないからダメだ」と止めても「大丈夫」といって聞かずに近付き、腕を噛まれてしまった。 完治までに日数を要する大怪我となり、父は責任をとってゴローを殺処分すると言いだした。「知らない人を噛んだのは、番犬としての役目を果たしただけなんだ。どうして殺さないといけないの?」泣いて懇願しても「いったん人の血の味を覚えたイヌは、癖になってまた噛みつく」として譲らない。数日後、学校から帰ると犬小屋にゴローの姿はなかった。それから何日もの間、愛犬のことを思って泣いた。 当時、我が家ではネコも飼っていた。ゴローもそうだったがペットショップで購入したのではなく、増えすぎて飼えなくなった知人から貰い受けたのだ。しかし僕ら家族の住む社宅が老朽化のため取り壊されるとこととなり、引越し先はペットを飼うことが禁じられていた。そこでさらに貰い手を探したものの、見つからなかった。 3匹のうち1匹だけ貰ってくれるはずの友人の親が「やはりダメだ」というので自宅に連れ帰ったところ、身の危険を感じてパニックになったのか、どこかへ消えてしまった。翌朝、車に轢かれているのを僕が見つけ、父に手伝ってもらい埋葬した。数日後には、もう1匹も後を追うようにして事故死。最後の1匹は何とか親戚に預けられたが、先住猫と折り合いが悪く家出したまま帰らないそうである。 これらの体験によって植え付けられた悔しさ悲しさ、そして何よりも拭いがたい罪の意識から、もし今後またペットを飼うようなことがあれば、絶対に一生面倒を見ようと子供心に決意した。しかし何もできなかった無力な僕は、やはり世間から見れば「身勝手な飼い主」の一員なのだろう。 ※身勝手な人類の一員としてペットを飼うということ(2)につづく(工藤伸一)
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トレンド 2011年01月28日 08時00分
文学賞の「組織票」騒動(2)
昨年刊行された小説単行本に投票する「Twitter文学賞」は、書評家・豊崎由美さんの呼びかけにより行われており、締切は1月31日で、発表は2月5日。嶽本野ばらさんの新刊『金脈』(小学館/2月23日発売予定)は規定外だが、嶽本さんがファンに組織票を投じさせたことにより、騒動に発展した。 嶽本さんは乙女やロリィタにホラーやパンクといった、廃退かつ耽美的な作風で知られる。2000年のデビュー小説集『ミシン』(小学館)の収録作『世界の終わりという名の雑貨店』や『下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん』が映画化するなどヒット作も多い。2003年と2004年には三島賞候補になったが、もともと新人賞経由でデビューしていないこともあって、一度も文学賞を受賞していない。だから賞がほしくてたまらないらしいのだ。 それにしてもこの騒動は、結果的に宣伝になってやしないだろうか? むろん逆効果になる可能性も大いに考えられるが、発売前から叩かれていた水嶋ヒロさんのデビュー小説『KAGEROU』だって、結局はベストセラーになった。読者が作家に求めるものは、必ずしも文章力や構成力ばかりではなく、作者の狂気性を喜ぶ節もある。 獄本さんは2007年に大麻所持の現行犯で逮捕され、2008年の復帰作『タイマ』では逮捕経験を交えた私小説風の内容が話題を呼んだが、そこに反省の色が見えないとして批判的に受け取る読者も多かった。けれどもファンに支えられて順調に著書を増やし、昨年11月には執行猶予期間を満了。 逮捕歴といえば、1月17日に発表された第136回芥川賞受賞者の西村賢太さんも、親子二代に渡る逮捕歴が話題になった。「作者の人物像と作品の良し悪しは別だ」という見方もあるにせよ、彼が私小説作家である以上、無関係とは言い切れない。 職業作家ではないが、1月26日に発売された市橋達也被告の手記『逮捕されるまで〜空白の2年7カ月の記録』(幻冬舎)も予約ランキングなどを見る限り、かなり売れているようだ。殺人者の本が売れることに比べれば、獄本さんのわがままなど大したことではないようにも思える。 無頼派と呼ばれる人間性に問題のある作家は他にも沢山いたけれど、特にそれが顕著なのは太宰治だろう。太宰は心中未遂で結果的に相手を死なせているが、不起訴になった。それは罪がなかったからではなく、親が裏で手を回してくれたんだと、小説の形ではあるが告白している。最終的に太宰は心中で世を去っているから、今さらそれを断罪しようとは思わない。 それどころか今時の太宰ファンの多くは、おそらく殆ど彼の作品なんて読んでやしないのだ。映画やドラマ化された『人間失格』やら教科書の『走れメロス』くらいは知っているだろう。しかし太宰は多彩な作家であり、他にも多くの名作を残している。彼の死後に『お伽草紙』を読み、その余りの面白さに認識不足を詫びた、同時代の評論家もいたそうである。 豊崎さんや投票者からすれば、迷惑千万だろう。けれども支持率と人となりはセットに思える節もあり、今後も人気は衰えることがないようにも思う。とはいえ物書きであるからには、姑息な手段ではなく作品で勝負してもらいたいものである。果たして今度の新作『金脈』は、汚名を返上させるほど客を呼び込める「金脈」に値する出来なのだろうか。全てはそこにかかっている。(工藤伸一)Togetter「Twitter文学賞で組織票」http://togetter.com/li/93251豊崎由美ブログ「書評王の島」http://d.hatena.ne.jp/bookreviewking/20110105/1294157404嶽本野ばら公式サイトhttp://www.novala.quilala.jp/
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トレンド 2011年01月27日 18時01分
文学賞の「組織票」騒動(1)
『文学賞メッタ斬り』シリーズ(パルコ刊/大森望さんとの共著)などで有名なカリスマ書評家の豊崎由美さんが、2010年に最も面白かった小説をSNS「Twitter」のユーザーに投票してもらう「Twitter文学賞」なる企画を行っている。 国内部門と海外部門に分かれており、締切は1月31日。発表は2月5日で、石井千湖さん、大森望さん、佐々木敦さん、杉江松さん、豊崎由美さんによる座談会が、動画サイト「USTREAM」にて配信される予定とのこと。 この賞の存在を知った小説家の嶽本野ばら(たけもと・のばら)さんが「投票しよう! 賞、欲しい」とTwitterでつぶやき、さらに「とりあえず1月26日23時〜24時予定で、ツイッター文学賞総選挙会議&嶽本野ばら聖誕祭をここでやります\(^o^)/」などと発言したところ、それを読んだ彼のファンがこぞって投票を始めた。 しかし嶽本さんの最新作『金脈』(小学館)は今年2月23日発売予定で、昨年発売された本を対象とする「Twitter文学賞」の規定外。全て無効票となってしまうのである。嶽本さん自身もそれには気付いていたが「雑誌発表は昨年だった」として開き直ってしまった。これには豊崎さんはもちろんのこと、多くのTwitterユーザーが怒りの反応を示した。 サブカルチャー/美術評論家の樋口ヒロユキさんに至っては、かねてより嶽本さんを評価していたはずなのに「訃報:作家、嶽本野ばらは本日、私の中で死にました。」と憤りをぶちまけた。それは嶽本さんの「もう何でもありなのだ。そう出来るだけのキャリアを勝ち取ったのが10年の成果」とのツイートに、不遜なまでの思い上がりを感じたからである。 一方、樋口さん同様に嶽本さんへの親和性を持ってきたと思しき文芸評論家の千野帽子さんは、多少なりとも擁護しているところがある。「彼の著書に救われたと思っている彼女たちが言いたかったのは、彼の新作がどれだけおもしろいかというより、彼をどれだけ愛してるか」であり、「そういう情緒的な癒着に読者を巻きこめる作家は、そうそういない」のだと。※文学賞の「組織票」騒動(2)につづく(工藤伸一)Togetter「Twitter文学賞で組織票」http://togetter.com/li/93251豊崎由美ブログ「書評王の島」http://d.hatena.ne.jp/bookreviewking/20110105/1294157404嶽本野ばら公式サイトhttp://www.novala.quilala.jp/
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トレンド 2011年01月27日 14時00分
【コラム】「これ知ってる?」「知ってるも何も、私が教えたんだよ」「そうだっけ?」
みたいなことが良くありまして、あるいはその逆のケースも。とにかく物忘れがひどいので、こうして文章を書いていても、それを記事として書いたのか、SNSでつぶやいたのか、それとも誰かと電話で話しただけか、もしくは逆に人から聞いたり本で読んだりしたのか、どうにも分からなくなって。 ネットで調べたり人に尋ねたりしても見つからず、結局それは自分の頭の中で考えていただけで、実はどこで知ったわけでも誰に話したわけでも書いたわけでもなかったりすることさえあります。 そうしてようやく自分で考えたものらしいことが判明して、このようにして書くことができるわけです。とはいえ本当にこれは自分で考えたものなのかというと、やはり自信がありません。とはいえ世の中で知られている物事の多くは、伝聞の形で広まるわけで、完全なるオリジナリティーというものは、そうそうあるもんじゃないとも言えます。 そもそも僕らが使うこの日本語だって、遠い昔に誰かが作ったものが改変されたりしつつ今に受け継がれているのであって、それを組み合わせてどうにか自分の言葉らしきものを見つけるしかない。そのパターンは無限と言っていいほどにありますから、完全ではないにせよオリジナルっぽいものも無数にあることには違いありません。 文章を書く場合には色々と調べたりできるにしても、テレビやトークショーなどに出演される著名人の方々が、台本など見ることもなく書籍名や文章の一節や映画のストーリーや人名を、スラスラと出せることに驚きます。僕なんて世間話してる時でも行った場所や食べたものや会った人の名前が出てこなくて、しどろもどろになってしまう。 まして壇上で何か話すなんて芸当ができる人は、心から尊敬します。ただテレビだとカンニングペーパー(カンペ)があったり、政治家はプロンプター(やはりカンペみたいなものらしい)とか言われるものを使ってたりするようですが。 記憶力を良くする何かいい方法がないものかと調べてみたら、DHAを多く含む青魚や、レシチンの豊富な納豆を食べると良いらしい。でもどっちも僕の好物なので、良く食べてるんですよね。なのに物忘れが激しいとなると絶望的。 とにかく血行が悪いのが良くないとの話もあるから、これが原因かな。適度な運動をこころがけつつ、温かいものを飲み食いするようにすればいいのかも。言われてみれば確かに冬は完全に記憶喪失状態で、いまここに何を書いたかさえ覚えていない位なのです。(工藤伸一)
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トレンド 2011年01月22日 14時00分
余命半年のアナロ熊
1月20日(水)に検索サイト「Google」トップページのロゴが、いつもの赤・青・黄・緑のカラフルな配色ではなく、白黒になっていた。真ん中「o」の中には謎の「イ」という文字が。そのロゴをクリックすると「高柳健次郎」の検索結果が表示された。 高柳健次郎さんは「テレビの父」とも呼ばれる人物で、1899年1月20日は、彼の誕生日だった。1926年12月25日に彼が初めてブラウン管に映し出したものが「イ」という文字。その日は大正最後の日でもあった。昭和と共に始まった日本のテレビの歴史は84年にもなる。 NHKがテレビ放送を開始した1953年(昭和28年)2月1日から数えると、もうすぐ68年目。テレビの父・高柳さんは1990年7月23日に91歳で大往生を遂げたが、地上波アナログ放送は70周年を前にして、今年7月24日に幕を閉じることとなる。その日はちょうど高柳さんの命日の翌日に当たる。 今年に入ってから、テレビの黄金期を支えてきた大御所の訃報が続いた。『笑っていいとも』や『オレたちひょうきん族』などの人気バラエティ番組を手がけた、元フジテレビプロデューサー横澤彪さん(享年73)に、タレントとしても活躍した、元NHKディレクターの和田勉さん(享年80)。アナログ放送の終了を目前にして、勇退されたようにさえ思える。 それにしても昔のテレビは面白かった。これは単なる懐古趣味で言ってるわけじゃなくて、規制が緩かったから今のネットに近いカオス感というか、勢いがあったという話。テレビの歴史を振り返る特番で、白黒時代のバラエティ番組を観たら、芸人がゲストと野球拳をして、女優の衣装をセリにかけるなんてのもあった。おそらくコント55号の番組だったと思う。 それと同時に、近頃またテレビは面白くなってきているとも思う。ネットに押されて躍起になったおかげで、かつてのアングラ感を取り戻しつつあるからだ。不況によるギャラ低迷への抵抗なのか、ベテラン芸能人が若手顔負けなほど体を張る場面を見かけることも増えた。どこか戦後の闇市にも似た背徳的な熱狂が、復活の兆しを見せているように感じられる。 地上波デジタル放送のイメージキャラクター「地デジカ」は鹿がモチーフになっているが、それに対抗してアナログ放送を象徴するキャラとしてネットから産まれたのが「アナロ熊」である。野性の熊が里に降りてきて農作物を荒らしたり人を襲ったりすることもある一方で、動物愛護や絶滅危惧の観点もあり、議論を呼ぶこともある。 アナログ放送が人間に危害を加えるとは思えないが、とにかく駆逐されることとなった。粒子の粗い気の抜けた画面に癒されてきたアナログ人間の僕にとっては、ちょっと寂しい気もする。アナログ放送の最終日は日曜日なので、一日中テレビを見て追悼したいと考えている。あるいは地デジ移行にともない、東京スカイツリーに電波塔の座を奪われる東京タワーを墓標と見立て、アナロ熊を弔いに行くのもいいだろう。 ところで亡くなる間際の人が急に元気を取り戻す「魔法の時間」があるという。よみがえりつつ感じられるテレビの底力が、そういう類のものでないことを祈りたい。(工藤伸一)
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トレンド 2011年01月21日 17時00分
第二次世界内戦のお知らせ
1月22日(土)午後6時30分からリブロ池袋本店にて、限界小説研究会による評論書『サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へ』(2010/12/2・南雲堂・税込2,625円)の刊行記念トークショー第2弾『ポスト9.11のハリウッド映画と日本映画』が行われる。出演者は渡邉大輔さん、三浦哲哉さん、佐々木友輔さん、藤田直哉さん。 限界小説研究会は、前著『社会は存在しない −セカイ系文化論』において、ゼロ年代(2000年-2009年)に発表されてきた様々な分野のサブカルチャー表現に共通する「セカイ系」を肯定的に考察した。それは宇野常寛さんが『ゼロ年代の想像力』で「セカイ系」を「古い想像力」として批判したことへの反論であることが、序文や笠井潔さんの論文を皮切りに随所で明言されている。 「セカイ系」とは「君と僕」の小規模な関係と「世界の危機」や「世界の終わり」といった大規模な問題が、途中にあるはずの「社会」をすっとばして結合してしまうような表現形式を指す。「セカイ系」すなわち「アキバ系のオタク的想像力」と言い換えることもできる。そしてそれは、ゼロ年代のあらゆる社会状況を象徴するものであった。 別にオタクが誰よりも偉いという話ではなく、マンガ・アニメ・ゲームといったアキバ系文化には、よりダイレクトに社会状況の本質が反映されやすいということ。ゼロ年代にベストセラーとなった東浩紀さんの『動物化するポストモダン』でも、そのように位置づけられている。そして宇野さんの「セカイ系」批判は、東さんへのアンチテーゼの側面が強い。 宇野さんが「セカイ系」を捨てるかわりに必要と説いた「決断主義」を、笠井さんは「それこそ1930年代頃に使い古された戦時下の思想の回帰に過ぎない」と断言。秩序が崩壊したポストモダン社会において、生きるために闘わざるを得なくなった「決断主義」は「バトル的セカイ系」であって、社会との関係を喪失した「ひきこもり的セカイ系」とは双子のようなものであると。 そしてその「決断主義」を迫られるような「例外社会」は、これから先の2010年代以降に顕著になっていくが、そこでの「決断」は推奨されるようなものではなく、たとえば通り魔などの形として現れてしまう。社会と関係を持てずに引きこもるのとは逆に、社会との関係を断ち切ろうとする、セカイ系の悪しき側面として。 それを象徴する最たる事件が、9.11テロだった。それ以降の戦争は、世界大戦など大がかりなものから、対テロ戦争としての「世界内戦」に変質した。日常に潜む「世界内戦」は暴力によるものばかりではなく、経済格差やコミュニケーション不全に起因する、貧困やイジメの問題も含まれる。 その状況の変化はマンガ・アニメ・ゲームにおける戦争像にも反映されると同時に、ドキュメンタリー風の「手ブレ映画」にも影響を及ぼしたと考察される。それらは大規模なスペクタクル映画へのカウンターとして増えたと見られていたが、それだけではなく「セカイ系」から「世界内戦」に変わりゆく社会状況に促されてきたものであると。 その「映画における世界内戦」について『サブカルチャー戦争』で論じたのが、今回の出演者でもある渡邉さんと藤田さん。佐々木さんは映像作家で、三浦さんは映画や表象文化論の研究者。渡邉さんと藤田さんは、三浦さんが編集委員をしている映画批評サイト「flowerwild」にも寄稿している。また佐々木さんの作品上映に際しトークショーを行ったこともある。映画に関する議論を繰り返してきただけに、熟成された濃密なトークが期待できる。 藤田さんと三浦さんは佐々木さんの映画『夢ばかり、眠りはない』や『新景カサネガフチ』に比べ、より実験的な『彁(タカ) ghosts』を評価しているようだ。一方で藤田さんは『彁 ghosts』は一般受けしないから『カサネガフチ』の方が映画としては洗練されているとも話している。僕は佐々木さんの映画を3本とも観ているので、この辺りの話も気になるところだ。 手ブレ映像や前衛的な編集技法を駆使した、アヴァンギャルドかつポップな佐々木監督の映画は「風景映画」とも呼ばれる。この方法論は、社会学者の宮台真司さんにインスパイヤされているそうである。限界小説研究会が敵視した『ゼロ年代の想像力』も宮台さんの影響化にあり、そういう意味では敵と味方が入り乱れたパラレルな関係にあるようにも思えて面白い。 議論をバトルと捉えれば、ある意味このイベント自体も「世界内戦」の現場である。刊行記念2度目のトークショーすなわち「第二次世界内戦」。このトークショーをグラウンド・ゼロとしたセカンド・インパクトによって、新たなる戦後の到来を体感することだろう。そしてその先の「第三次世界内戦」は、君と僕の終わりなき日常に蔓延っている。(工藤伸一)リブロ公式サイト『ポスト9.11のハリウッド映画と日本映画』トークショーhttp://www.libro.jp/news/archive/001567.php日時:2011年1月22日(土)午後6時30分〜会場:西武池袋本店別館9階池袋コミュニティ・カレッジ28番教室参加チケット:リブロ池袋本店書籍館地下1階リファレンスカウンター入場料:500円(税込)定員:70名お問合せ:リブロ池袋本店 (電話予約も可能)限界小説研究会BLOGhttp://ameblo.jp/genkaiken/映画批評サイト「flowerwild」http://www.flowerwild.net/渡邉大輔ブログ「imagosphere notes」http://d.hatena.ne.jp/daisukewatanabe1982佐々木友輔「総合ウェブサイト」http://qspds996.com藤田直哉ブログ「the deconstruKction of right」http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/
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社会 2011年01月19日 16時30分
AVコーナーという名の戦場
愛知県豊田市で1月9日に行われた「新成人を祝う会」式典後のパーティーで、ビンゴゲーム景品にアダルトビデオが含まれていたとして波紋を呼んでいる。市の補助金が使われていたことで糾弾された形だが、問題はそれだけではない。 アダルトビデオは略してAVとも言うが、AVを閲覧したり出演したりできるのは18歳以上であり、新成人にそれを配ったからといって違法ということにはならない。とはいえAVであることを事前に知らされていないことを考えれば、セクハラスやわいせつ罪に抵触することは十分に考えられる。 仮に当選者がAV好きだったとしても、それはそれで別の問題に波及する。AVは激しく好みが分かれるコンテンツだからだ。それに映画やテレビのように時間があるから観てみるというようなものではなく、ムラムラしてどうしようもない状況で観るものだ。だからレンタルビデオ店のAVコーナーは、戦場のごとき緊張感に満ちている。 出演者の好みのみならず、シチュエーションの種類やフェティシズムの傾向などなど、自らを慰めてくれる条件を見極めるには、細心の注意が必要だ。何としても後悔しないものを得ようと、ハイエナのように虎視眈々と獲物を物色する。食べ物なら食えれば腹にはたまるけれど、AVは失敗すると何にもならない。 それどころか選択を誤り行き場を失くした性衝動が原因で、犯罪に向かわせてしまう危険性すらないとはいえないだろう。むしろだからこそ、そういうことにならないためにも絶対に、趣味と合致した珠玉の1本を見つけ出さねばならない。命がけのような心境になっても、決しておかしくないのである。 AVをはじめとするアダルトコンテンツを犯罪への呼び水と捉え非難する声もあるが、日本の犯罪発生率は先進国の中でも低い。先進国クラブとも呼ばれる国際機関の経済協力開発機構(OECD)が2005年に行った調査では、日本の犯罪発生率は26カ国中25位。しかも5年前より2%減少していた。ちなみに最下位はスペインだったそうである。 アダルトコンテンツの犯罪抑止力がどの程度あるかは分からないが、少なくとも簡単に無関係といえるものではないだろう。だから税金によるAV購入の是非はさておき、AVそれ自体が糾弾されてしまうのは、いかがなものかと思うのだ。(工藤伸一)
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社会
AVコーナーという名の戦場
2011年01月19日 16時30分
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トレンド
この世にはニュースしかない!〜サイファーと芥川賞と詩とニュース
2011年01月18日 18時15分
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芸能
「新御三家」がルーツの「イケメン進化論」とは?
2011年01月17日 11時00分
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その他
ALI PROJECTがアニソン番組に降臨!
2011年01月15日 17時30分
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ミステリー
宇宙人に書かされた記事
2011年01月12日 14時00分
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社会
喪中の年賀状
2011年01月08日 14時30分
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社会
MAX敬語をご査収くださいませ
2010年12月25日 13時30分
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トレンド
サンタクロースに関する恐い話
2010年12月24日 15時45分
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トレンド
佐々木友輔 映像個展『新景カサネガフチ』
2010年12月18日 10時00分
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トレンド
「世界内戦」を生き抜くために
2010年12月17日 19時15分
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ミステリー
『パラノーマル・アクティビティ』と「夢遊病」
2010年12月11日 16時00分
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ミステリー
月のウサギはヒソウサギ!?
2010年12月10日 12時30分
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社会
サイファーが11都市で開催 谷川俊太郎さんも
2010年12月09日 18時00分
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社会
死の教育はどうあるべきか?(2)子供の自殺
2010年12月07日 18時00分
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トレンド
「第十一回文学フリマ」が開催!
2010年12月04日 19時09分
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社会
秋葉原事件を題材にした映画が無料上映
2010年12月03日 18時20分
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トレンド
『サブカルチャー戦争』と『新文学03』
2010年12月03日 16時30分
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社会
「今年の漢字」締切せまる!
2010年12月03日 12時35分
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トレンド
三島由紀夫没後40年目の憂国忌(3)
2010年11月29日 14時00分
特集
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あかつ、アメリカ・アポロシアターでの「動きで笑わせるネタ」は世界にも テレビに年数回でも出られる自分は「持ってる」
芸能
2025年10月03日 12時00分
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TKO・木下、篠宮との一件を明かす 目標は「タイと日本のハブ」 挑戦に対する厳しい声には「どうでもいい」
芸能
2025年09月26日 18時00分
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元ボーイフレンド・宮川英二、最大の挫折は「M-1グランプリ」 セカンドキャリアは、芸人やお笑いサークルの学生の就職支援 芸人の給料も赤裸々に語る
芸能
2025年09月18日 17時00分
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岡平健治「19」解散は「お金の問題じゃない」 岩瀬敬吾、地元に戻るのを「止められてよかった」 今後はバラエティーで「ポンコツっぷりを見て笑ってほしい」
芸能
2025年08月05日 23時00分
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misono、家族について「マジで気持ち悪い家族」 「⼦ども⾃然にできると思っていたけど……」と不妊治療の再開、明かす
芸能
2025年09月16日 11時00分
