工藤伸一
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トレンド 2011年04月09日 17時59分
【コラム】「花見」を聖なる儀式とする根拠は「サ神」伝説にあった
4月6日(水)には東京で桜が満開となった。気温上昇に伴い10日(日)まで計画停電も実施されない。週末は絶好のお花見日和を迎えられそうな見通しだが、石原慎太郎都知事が花見の自粛をするよう呼びかけていて、自治体主催の祭りが中止されるなどしている。 ところがその風潮に疑問を呈する声がネット上で散見される。その理由として挙げられているのは「花見は死者を弔う儀式であり、決して不謹慎なものではない」というもの。果たしてこれには根拠があるのだろうかと探ってみると、興味深い本が見つかった。 西岡秀雄『なぜ、日本人は桜の下で酒を飲みたくなるのか?』(PHP研究所/2009年3月刊)である。著者は大正2年生まれで、慶應義塾大学名誉教授や大田区立郷土博物館館長などを務めた方。「サクラ」という花の名前には「サ=サ神の/クラ=座る場所」という意味が込められているというのだ。 「サ神」は漢字が使われるより以前から信仰されていた八百万の神のひとつで、当てはまる漢字がないためカタカナで表記される。「サ神」を「サガミ」と読めば「相模国」を思い出してしまうが、国名の由来は不明とされている。それが忘れられた神の名によるものであれば、書物に残っていなくても不思議ではない。 各地に残る「サ」の音を冠する言葉が沢山あることから、その存在を導き出した。山の神である「サ神」の聖域と人里との境=「サ」カイは柵=「サ」クによって分けられ、田植えの始まる五月=「サ」ツキには「サ神」が坂=「サ」カを降りてくる。 古代には山に咲く=「サ」く花として親しまれてきた桜=「サ」クラの下で、酒=「サ」ケや肴=「サ」カナを捧げる=「サ」サゲル花見は、農作物の豊穣を祈願するとともに、聖域=あの世と人里=この世の境界線上で死者の弔いをする儀式であり、それによって人々に幸=「サ」チや栄=「サ」カエをもたらすものであった。 『遠野物語』などで知られる日本民俗学の大家・柳田國男に師事した早川孝太郎が『農と祭』に書いた「サ神」に関する論考を読んだことが、西岡氏の「サ神」研究のきっかけだとか。早川孝太郎は芥川龍之介や島崎藤村にも称賛された民族学者であり、彼の説が元となれば信頼度も高い。 石原都知事は仏教に関するエッセイ『法華経を生きる』(幻冬舎/1998年刊)を出版している通り仏教徒である。神を祀るのは主に神道だから気に入らない可能性はあるものの、それを政治に反映させてしまえば政教分離に反する。そもそも政(まつりごと)は先人の霊を祀(まつ)る祭り事でもあった。先祖供養は世界中のあらゆる場所で行われてきたものであり、特定の宗教とは関係のない伝統的文化なのである。(工藤伸一)
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トレンド 2011年04月02日 17時59分
【コラム】AKB48の新ユニット「Not yet」がテレビドラマ『Dr.伊良部一郎』に登場
心療内科を舞台とした『Dr.伊良部一郎』(テレビ朝日)は、主演を務める徳重聡(32)の意外性が話題のドラマ。2000年8月に『オロナミンC「1億人の心をつかむ男」新人発掘オーディション〜21世紀の石原裕次郎を探せ!〜』グランプリに選ばれたさわやか好青年のイメージをくつがえし、ハイテンションな奇人変人の精神科医・Dr.伊良部一郎になりきる怪演で人気を博した。 原作は奥田英朗(51)の小説シリーズ。一見意味不明に思えるような奇妙な手法を駆使し、見事に治療を成功させる不思議な名医の物語である。既刊『イン・ザ・プール』『空中ブランコ』『町長選挙』の中から、それぞれ2〜3話がドラマで使用された。なお、2冊目の『空中ブランコ』は第131回直木賞受賞作。原作の舞台は神経科だがドラマでは心療内科になるなど若干の変更点もあった。 巨乳妻役の原幹恵(24)に妖艶なナース役の余貴美子(54)といった女性陣が彩りを添える他、アイドルのゲスト出演も見どころ。3月20日(日)に放送された第7話には、AKB48の新ユニット「Not Yet」が登場。メンバーは大島優子(22)、北原里英(19)、指原莉乃(18)、横山由依(18)の4名。16日に発売されたデビューシングル『週末Not yet』は、このドラマの主題歌でもある。震災の影響でライヴやCM出演を自粛していたため、貴重なメディア露出となった。 ファッション誌の読者モデルから芸能界入りしたイケメン俳優・忍成修吾(30)が演じる若手起業家「アンポンマン」こと安保秀明は、ひらがなが書けない症状に悩まされている。苗字のアンポとアンパンマンをかけたニックネームは、ドラえもんをもじって「ホリエモン」と呼ばれる堀江貴文氏を思わせる。仕事が忙しすぎることが原因と気付いた伊良部は、彼のスケジュールを全てキャンセルさせ、仕事を忘れさせるべく釣りやゲームセンターや遊園地に連れまわす。 遊園地のステージ上で歌っている「Not Yet」を、鼻の下を延ばして伊良部が見とれていると、急に彼女たちがステージから降りて近づいてくる。「もしかして俺に用?」と照れる伊良部を無視して、彼女たちはアンポンマンに握手を求める。人気アイドルから見ても憧れの人物という設定なのだ。イケメンなだけに、伊良部のみならずファンも悔しがりそうな展開である。アイドルとの握手に気を良くしたアンポンマンは「たまにはこういうのもいいな」と無駄に時間を過ごすことの楽しさを理解する。つまり「Not Yet」の役どころは、かなり重要なものだったわけである。 ちなみに前回の第6話には、中山忍(38)が出ていた。彼女は中山美穂(41)の妹で、90年にはアイドルユニット「七つ星」のメンバーでもあった。後に声優やシンガーソングライターになった宍戸留美(37)や、長寿ドラマ『温泉へ行こう』(TBS)のヒロイン加藤貴子(40)などが在籍していた伝説のグループである。中山はドラマ内の水泳シーンで、久々の水着姿まで披露。更に着衣のままプールに飛び込み服の下から水着が透けるセクシーさで、アイドルの健在ぶりを発揮した。 ドラマは27日に最終回を迎えたが、同日「Not Yet」はNHK総合『MUSIC JAPAN』にも出演。ドラマ主題歌『週末Not yet』は28日付のオリコン邦楽シングルランキングで1位を獲得し、その後も2位をキープ。このまま順調にファンを増やし続け、中山忍のように10年以上経っても変わらず活躍してくれるかも、などと遠い未来への期待まで膨らむ。(工藤伸一)
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トレンド 2011年03月26日 18時00分
美術家・会田誠さんら選考によるトーキョーワンダーサイトの企画展が再開
トーキョーワンダーサイト主催「第5回・展覧会企画公募」で44企画の応募から選出された3組の美術展が、トーキョーワンダーサイト本郷にて行われている。開催期間は2月26日〜3月27日までの約1カ月間で、入場料は無料。3月11日に発生した東日本大震災の影響で一時中断されたが、3月19日から開催時間を短縮しつつも再開し、3月27日(日)まで行われる。 トーキョーワンダーサイトは、新しい芸術文化を発信するアートセンター。「展覧会企画公募」は企画者=キュレーターを発掘するプロジェクト。クリエーター自身がキュレーターを兼ねることもあり、クリエーター支援・育成の一環である。2月26日(土)のオープニングレセプションでは、審査員である現代美術家・会田誠さんや敏腕キュレーターによる講評や、参加アーティストと観客一同でワインによる乾杯が行われた。 トーキョーワンダーサイトの公式サイトに記載された参加3組の概要を抜粋すると、以下のようになっている。 1F「ELASTIC VIDEO-curated by PLINQUE」 後援:在日オーストリア大使館 文化フォーラム 企画者: クラウディア・ラルヒャー アーティスト:マルクス・ハナカム&ロスヴィータ・シューラー、リディ・シェフクネヒト、アルミン・B・ヴァグナー、クラウディア・ラルヒャー(以上、PLINQUE)クリスティアン・ルシツカ、ザーシャ・ピルカー、ベルンド・オップル、デヤン・カルジェロヴィッチ、マヌエラ・マーク オーストリアのウィーンを拠点に活動する若いアーティスト集団PLINQUE(プリンキ)は主に2008年から断続的に展覧会を行っています。様々な場所で展覧会を開き、それぞれの文脈や設定に合った内容を展開しているPLINQUEが考えるビデオの概念は、動く画像の映写という典型的な形式に束縛されることはありません。それはビデオ・スカルプチャー、サイトスペシフィックなビデオ・モンタージュ、ビデオ・インスタレーションの領域にまで広がるものです。「ELASTIC VIDEO」展は、マルチメディア・アートにおける現在の動向および伝統的手法の各種コンセプトを拡張し、共同のユニークなビデオ・インスタレーション作品を展示します。 2F「floating view “郊外”からうまれるアート」 協賛:株式会社シアーズ 協力:学生メディアセンターなないろちゃんねる 企画者: 佐々木友輔/コーディネーター:中山亜美 アーティスト:佐々木友輔、石塚つばさ、笹川治子、遠藤祐輔、川部良太、ni_ka、田代未来子、清野仁美、渡邉大輔、藤田直哉 ロードサイドに建設されたショッピングモールやファミリーレストラン、立ち並ぶ団地、真新しい一戸建ての家々。日本中至る所で見ることの出来るこうした郊外の風景は、景観の破壊や故郷喪失、地域共同体の欠如など、これまで多くの批判に曝されてきました。しかし今では東京などの大都市でも、郊外都市と見紛うような風景に出くわすことが珍しくありません。グローバリゼーションの進行によって、世界全体が郊外的な環境に覆われようとしています。郊外の問題は誰にとっても切実なものとなりつつあるのです。 本展は、郊外的環境から生まれたアーティスト、そして郊外的環境を自らの手で改変・更新していこうとするアーティストを取り上げた展覧会です。技術革新に任せた楽観論で盲目的に突き進むのでもなければ、戻ることの出来ない過去を礼賛する懐古主義に陥ってしまうのでもない、郊外的環境に生きる私たちの新たな生の在り方を模索するかつてない試みです。 3F「Girlfriends Forever!」 アーティスト:松井えり菜、村上華子、今津景、金森香(シアタープロダクツ)、小平透子、辰野登恵子、津田道子、長井朋子、中村友紀、松原慈、モム&ノエス 美術大学には女性が多いのに、アーティストとして活躍し続ける女性が少ない(ように見える)のはなぜでしょうか? “Girlfriends Forever!”は、若手アーティストの中でもひときわ活躍している松井えり菜('84年生)と、コンセプチュアルな作品で知られる村上華子('84年生)が、同世代の作品を広く紹介するとともに、既に長く活躍しているアーティストも迎えて女性アーティストの来るべき未来像を考えるための展覧会です。 個性的で華やかなイメージのある作家生活ですが、一方で長く制作を続けることは決して楽なことではないことも事実です。本展では、その2つの側面を“Girlfriendsの昼と夜”としてトーキョーワンダーサイト本郷の最上階を女性の部屋に見立てつつ、空間の隅々までアーティストの作品で満たします。壁にかかる絵だけでなく映像や家具まで、アーティストによるキュレーションならではの遊び心満載の空間が期待できます。 それぞれ海外と郊外と体外。海外というのはつまり日本から見て。郊外は東京から見て。体外は自分から見て。実は全て同じかもしれないけれど、距離感が違う。異なる視野を同時に俯瞰することは、トリックに騙されないスーパーフラットな視座の鍛錬になるだろう。なおかつ見ることは見られることでもあり、そこには当然ながら内省も含まれる。 ちなみにこの記事のタイトルに冠した「Kudohting View」とは、2Fで行われている「floating view」出展者の佐々木友輔さんと藤田直哉さん考案によるもの。「floating view」(フローティング・ヴュー/浮遊する景色・眼差し)というタイトルには、ショッピングモールやファミリーレストランで均質化された郊外の景色と、そこに浮遊するアーティストたちの眼差しの、両義性が込められている。 本稿の筆者である工藤伸一から見たセカイと、セカイから見た工藤伸一の両義性を探るべく、通しタイトルとして今後も使っていきたいと考えているので、以後お見知りおきを。ジャアナキストの肩書きも今回初めて使うが、語感がいいなと思っただけで深い意味はない。 さておき、東日本大震災の発生により展示の一時中断に見舞われる異例の事態となってしまった。この状況での再開を受けて思い出すのは、アーティスト・藤城嘘&黒瀬陽平が2008年から行ってきた新機軸の美術展「カオス*ラウンジ」の関連企画で、ストリートコンピューティング周辺のギークをフィーチャーして昨年渋谷で人気を博した「破滅*ラウンジ」が、途中から展示名を「再生*ラウンジ」に変えていたこと。 いま「新機軸」と書いたが、本来なら「新しい」という言葉はあまり不用意に使いたくない。けれども歴史を更新することがポストモダン時代の脱構築であると考えたなら、新しくない現象は一切存在しないともいえる。人間のあらゆる行為は意識するしないに関わらず温故知新の様相を呈する。古いものの影響を受けずに生きることはできないし、新しいものを作らないことも不可能だ。 むしろ古さの中に新しさを発掘し、新しさの中に古さを見出すことにより、時空を超えて歴史がつながる。パラレルワールドへの扉は何気ない日常の景色の物影に潜んでいる。生き残った僕らに出来ることは何か。明日への扉を開く鍵はこの美術展も含む、ありとあらゆる場所に遍在していることだろう。(ジャアナキスト/工藤伸一)関連記事「floating view “郊外”からうまれるアート」※3/26(土)予定だったシンポジウムは中止になりました。http://npn.co.jp/article_mroonga/detail/48251099/「第5回・展覧会企画公募」公式サイトhttp://www.tokyo-ws.org/hongo/index.html■主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 トーキョーワンダーサイト■会場:トーキョーワンダーサイト本郷(東京都文京区本郷2-4-16) 各駅より徒歩7分:御茶ノ水駅・水道橋駅(JR総武線) / 水道橋駅(都営地下鉄三田線) / 御茶ノ水駅・本郷三丁目駅(東京メトロ丸ノ内線) / 本郷三丁目駅(都営地下鉄大江戸線)■開館期間:〜3月27日(日)11:00-17:00[最終入場は30分前まで]■入場料:無料
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トレンド 2011年02月25日 18時30分
【コラム】アイドルを取り戻せ! 〜酒井法子と小向美奈子のレジェンド
酒井法子(40)のシングルCD『碧いうさぎ』(作詞・牧穂エミ/作曲・織田哲郎)がミリオン寸前のヒット曲になったのは、本人主演のテレビドラマ『星の金貨』(1995年/日本テレビ)で主題歌だったため、ドラマのヒットに後押しされた形だ。もちろん曲自体の良さもあるといえ、いい曲が必ずしも売れるとは限らない。 テレビドラマ以外にも、CMやアニメとのタイアップも多数あった。『夢冒険』は『アニメ三銃士』(1987-1989年/NHKエンタープライズ)の主題歌で、『アクティブ・ハート』はOVA(オリジナル・ビデオ・アニメ)『トップをねらえ!』(1988年/GAINAX)の主題歌だった。どちらも人気アニメだったため、曲の売れ行きも良かったようだ。 特に『トップをねらえ!』は主人公の名前が「タカヤ・ノリコ」で、その声優が日高のり子で、主題歌が酒井法子の「トリプル・ノリコ」を売りにしていたこともあって、のりピーの存在感も強かった。『新世紀エヴァンゲリオン』で知られる庵野秀明の初監督アニメでもあるため、ファンの多い名作。 また彼女がヒロインのPCエンジン用ゲームソフト『鏡の国のレジェンド』(1989年/ビクター音楽産業)なんてものまであった。のりピーの活躍の舞台は通常のアイドルの枠を遥かに飛び越えて、アナログとデジタルの融合したハイパー・メディア・アイドルの域に達していたのである。その人気は国境をも超え、台湾にもファンが多い。 小向美奈子(25)も同様にテレビアニメ『ホイッスル!』(2002-2003/アニマックス)の主題歌を歌っていた。それだけではなく主人公の声優までやっていたのである。『週刊少年ジャンプ』(集英社)の長期連載漫画が原作ということもあって、これも人気アニメだった。また、特撮映画『爆竜戦隊アバレンジャー DELUXE アバレサマーはキンキン中!』(2003年/東映)の王女フリージア役も務めた。 『週刊少年ジャンプ』との兼ね合いでは、桂正和さんが酒井法子の大ファンということで、ジャンプ連載漫画『電影少女』の単行本巻末で対談していたこともある。『週刊少年ジャンプ』は1995年の歴代最高記録653万部がギネスブックにも登録されているように、世界で最も売れている漫画雑誌。そこに関われるアイドルは国民的スタアと考えて間違いない。 そんな超A級アイドルの二人が薬物によって人生を狂わされてしまったのは、さながら『ドラゴンクエスト』で竜王に誘拐されたローラ姫や『スーパーマリオ』で大魔王クッパに連れ去られたピーチ姫のような状況に思える。のりピーの元旦那を見れば分かることだが、薬物汚染はヤンキー文化の産物である。小向美奈子も現在フィリピンで恐い連中と一緒にいると噂されている。一方オタク層は、薬物どころか酒や煙草にすら拒否反応を示す者が多く、そういう意味でも対極にある。酒や煙草を好むオタクもいるが、彼らはその境界線上にいる感じだろう。 じゃあどうすればいいのかという話だが、これまで漫画やアニメやゲームと縁の深かった二人なんだから、彼女たちが社会復帰できるよう、それらの業界人が動いてくれてもいいんじゃないかな。薬物汚染とは真逆のベクトルに位置する社会問題といえば、草食系男子や引きこもりやニートである。彼らは漫画やアニメやゲームを好むオタク層だったりすることも少なからずある。オタク文化圏でかつて持て囃されていた彼女たちを、ヤンキー魔窟からオタク城下に奪還すべきなのだ。 そうすれば彼女らは、酸いも甘いも知り尽くした肉食系姐さんとしてヒキニート草食系男子を先導し、ヒキニート草食系男子は、肉食系姐さんのライフライナーとして足元を照らす。そのようにして、互いに道を踏み外さずに歩んでいける幸福な関係を築くことができれば、新たなレジェンド(伝説)が生まれることだろう。僕らの手にアイドルを取り戻せ!(工藤伸一)
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トレンド 2011年02月25日 16時30分
floating view“郊外”からうまれるアート
2月26日(土)〜3月27日(日)にトーキョーワンダーサイト本郷(東京都文京区本郷2-4-16)にて、美術展覧会「floating view“郊外”からうまれるアート」が開催される。入場料は無料、開館時間は11:00〜19:00(最終入場は30分前まで)、休館日は月曜日(祝日の場合は翌火曜日)、初日2月26日(土)17:00〜19:00には、オープニングレセプションがある。 「floating view」(フローティング・ヴュー/浮遊する景色・眼差し)というタイトルには、ショッピングモールやファミリーレストランで均質化された郊外の景色と、そこに浮遊するアーティストたちの眼差しの、両義性が込められている。グローバリゼーションによって景観や共同体を破壊してきた「郊外的環境」は、郊外のみならず世界中の大都市をも飲み込みつつある。この状況を時代の病として否定したり、あるいは未来への楽観や過去への懐古でもなく。あくまで自らの手によって環境を改変・更新すべく削り出された、色彩や言葉や造形。それらが重なりあい、郊外に宿る身体性を呼び覚ます。 本展を企画したのは、郊外の景観をフィーチャーした「風景映画」で知られる映像作家の佐々木友輔さんで、コーディネーターはアートマネージャー/キュレーターの中山亜美さん。参加アーティストは、石塚つばさ、笹川治子、遠藤祐輔、川部良太、佐々木友輔、ni_ka、田代未来子、清野仁美、渡邉大輔、藤田直哉の各氏。 肩書きはそれぞれ、映像作家、写真家、美術家、批評家、研究者、詩人など多岐に及んでいるが、郊外の名の下に異質な個性が集結。均質化した郊外環境の持つ可能性を、郊外化しつつある東京で表現することによって、入れ子細工のようにして問題系を実感させる、ある種ゲリラ的な試み。日常に潜むゲリラ性は、参加アーティストの渡邉さんと藤田さんが所属する限界小説研究会の評論書『サブカルチャー戦争「セカイ系」から「世界内戦」へ』(南雲堂)で提起された「内戦化」にも呼応する世界的風潮だ。 必然的にその展示物は、展覧会場から東京都内の風景にも飛び出すこととなる。会場の最寄駅である水道橋や御茶ノ水の周辺の空間には、ni_kaさんによる「AR詩」がばらまかれており、それらはスマートフォン用アプリ「セカイカメラ」で読むことができる。AR(Augmented Reality)とは、拡張現実感もしくは強調現実感と訳され、人工物と自然物を重ね合わせるテクノロジーによってもたらされたりする感覚のことである。 3/5(土)15:00〜18:00には、このARについてのシンポジウム「AR(拡張現実)風景論」も同会場にて行われる。ゲストは丸田ハジメ(研究者・評論家)、若林幹夫(社会学者)、渡邉大輔(映画研究者・批評家)、清野仁美(アーティスト)、佐々木友輔(本展企画者)の各氏。郊外論と情報論の交差するAR(拡張現実)から生まれるアートの可能性について考える。 シンポジウムは3月26日(土)15:00〜18:00にも行われる。「サヴァイヴァル・ディーヴァは郊外都市となった」と題して、藤原えりみ(美術ジャーナリスト)、柳澤田実(哲学・宗教学者)、ni_ka(詩人)、藤田直哉(SF・文芸評論家)、石塚つばさ(アーティスト)各氏が、SFで描かれてきた「身体拡張」や「身体=都市」というテーマが「郊外都市」の姿として具現化されているとの観点から、郊外的環境における身体のあり方を探る。 各シンポジウムは「ななチャン」こと「学生メディアセンターなないろチャンネル」(http://nanachan.tv/)にて動画配信もされる予定。また会場では、佐々木さんと川部さんの映画4作品が1日2回ずつループ上映されているので、それを観に何度か足を運んでみるのも面白そうだ。何もなさそうに見えて実は全てがある、君と僕の郊外を行きつ戻りつ。(工藤伸一)「floating view“郊外”からうまれるアート」■会場:トーキョーワンダーサイト本郷(東京都文京区本郷2-4-16) 各駅より徒歩7分:御茶ノ水駅・水道橋駅(JR総武線) / 水道橋駅(都営地下鉄三田線) / 御茶ノ水駅・本郷三丁目駅(東京メトロ丸ノ内線) / 本郷三丁目駅(都営地下鉄大江戸線)■アーティスト 石塚つばさ、笹川治子、遠藤祐輔、川部良太、佐々木友輔、ni_ka、田代未来子、清野仁美、渡邉大輔、藤田直哉■開館期間:2月26日(土)〜3月27日(日)11:00-19:00[最終入場は30分前まで]■休館日:月曜日(祝日の場合は翌火曜日)■入場料:無料公式サイトhttp://qspds996.com/floating_view/公式ブログhttp://d.hatena.ne.jp/floating_view/主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 トーキョーワンダーサイトhttp://www.tokyo-ws.org/協賛:株式会社シアーズhttp://www.sears-itv.co.jp/協力:学生メディアセンターなないろチャンネルhttp://nanachan.tv/
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トレンド 2011年02月19日 13時30分
【コラム】サル人間とネコ人間
人間はサルから進化したとされている。「ニワトリが先かタマゴが先か」というけれど、原始の海から自然発生するのは単細胞生物くらいで、もちろんタマゴが先でなければ変だ。だから最初の猿人の親は、本物のサルだったことだろう。そして彼の遺伝子を受け継いだ類人猿が、やがて人類になった。 その流れそれ自体に疑問があるわけではない。けれども先日「二足歩行するゴリラ」の映像を見て、不審に思ったのだ。「確かに両足だけで歩いてはいるものの、やはりゴリラっぽい歩き方。これならクマの方がより人間に近い」と考えてみて、クマから進化した人間はいないものかと。 クマの背格好や動作は人間に似通っていて、中に誰か入ってるんじゃないかと思うことがある。それに比べ、チンパンジーやゴリラがヒトに近いかというと、クマに軍配が上がる気がしてならない。実際にクマ・サル・ヒトは哺乳類の真獣下綱(しんじゅうかこう)までは同系統である。 しかしその先で、サルやヒトはサル目(霊長目)で、クマはネコ目(食肉目)に分かれている。ネコ目には、ライオンやチーターなどネコの仲間として知られる動物ばかりではなく、イヌやキツネやタヌキに、アライグマやパンダなど多くの種が属している。二足歩行で有名なレッサーパンダの風太くんも同じ。彼らの原種がネコということになるわけだが、ヒトとネコの関係は長い。 先日ムバラク政権を崩壊させた民衆革命で話題のエジプトといえば、ピラミッドとスフィンクスが有名である。ピラミッドは王の墓で、その守り神とされているスフィンクスは、王の顔とネコ科の身体を持っている。それだけヒトとネコの関係が深かったということのようにも思えるが、果たしてこれは本当に、単なる空想の生物なのだろうか? ヒトとヒトならざるものが性交渉を持つ「異類婚姻譚(いるいこんいんたん)」と呼ばれる伝承が、世界各地にある。その相手には、神や悪魔や妖怪だけではなく、動物もいる。「神の使い」とされるヘビや、「八犬伝」で知られるイヌに、「おしら様」と呼ばれるウマなどなど、様々なケースがある。 最初に触れた「ニワトリが先かタマゴが先か」という話からすれば、今ほど生物種が分化されてなかった進化の過程において、その後は全く違う方向に進んだ生物同士であろうとも、相互生殖を可能としていた時期があるはずだ。そうでなければ、生物種が増えていかない。だから人類史以前の出来事と考えれば、異類婚も決して非科学的な話ではないだろう。 そしてもしその進化の過程において、本当にスフィンクスが実在していたのだとすれば、それはネコから進化したネコ人間なのではないか。良く「ネコ派かイヌ派か?」という質問があるけれど、イヌもネコ目に属する。一方「ネコ派かサル派か?」という質問は、聞いたことがない。 サルよりネコにシンパシーを覚える僕自身、ネコ人間の末裔なのではないかと思えてならないのである。ゴリラやチンパンジーなどのサル目と、イヌやクマを含むネコ目。皆さんはどっちに近いと感じているだろうか?(工藤伸一)
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トレンド 2011年02月18日 15時00分
【コラム】ホワイトデーにチーズで10倍返し!?
バレンタインデーを過ぎるとチョコレートが安売りされているので、甘党には嬉しい時期である。「そんなことしなくても、もらったチョコが沢山あるじゃないか」って? それは聞かないで! さておき「バレンタインデーは製菓会社の陰謀だ」という人がいるが、2月14日は、紀元前に成立したローマ神話に出てくる結婚を司る女神「Juno」(ユノ、ユーノー、ジュノーなどの表記がある)を讃える日に由来しているとか。そういった歴史的背景を考えれば、決してそんなことはない。 けれどもバレンタインデーにチョコレートを贈る習慣は、日本独自のもの。しかし「陰謀」というほどのものとは思えない。販売促進の一環としてチョコレートが選ばれた理由は「ハート」にあるだろう。 「不二家ハートチョコレート」は、その名の通りハートの形をしている。けれどもこれは別にバレンタインデー用に開発されたものではないのだ。日本でチョコレートを贈る習慣が根付いたのは1970年代後半とされているが、「不二家ハートチョコレート」は1935年から発売されていた。 日本人とチョコレートといえば、1939年〜1945年の第2次大戦後に、日本の子供たちが「ギブミー・チョコレート!」と叫びながら、進駐軍の兵士にチョコレートをねだった話が想起される。けれども戦前からあったわけで、別に進駐軍がチョコレート文化をもたらしたというわけでもないようだ。 ところが1970年代後半に小中高生女子が男子に告白するためのアイテムとして、金銭的にも高価でなく手作りするのも難しくないチョコレートを自主的に選んだことから、それまで販売促進に手を焼いていた製菓会社も驚くほどの勢いで、定番のプレゼントとして浸透したということらしい。バブル期などに「女子中高生の流行が売れ行きを左右する」とまことしやかに伝えられるようになった原因も、その辺りにあるのかもしれない。 そもそもチョコレートの原料であるカカオには、恋愛成分とも呼ばれるフェニルエチルアミンが多く含まれているから、それを意中の相手に贈るのは科学的にも間違ってはいないようだ。フェニルエチルアミンが脳内麻薬物質ドーパミンを放出させることで、恋をしている時と同じ作用をもたらす。 チーズにはチョコレートの10倍もフェニルエチルアミンが含まれているとか。そうすると3月14日のホワイトデーには、チーズを使った食品を贈るのがいいかもしれない。プレゼントの金額ではなく、恋愛成分で「10倍返し」というわけである。もちろん10倍以上のラヴも添えて。(工藤伸一)
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トレンド 2011年02月17日 17時30分
【コラム】抗議自殺や自爆テロは善行なのか?
今年1月に始まったエジプトの大規模デモにより、2月11日にムバラク大統領が辞任を発表。1981年以降、29年間に及んだ長期政権が幕を閉じることとなった。 そのきっかけになったのは、1987年から23年続いたベン=アリー政権を崩壊させた、チュニジアのジャスミン革命である。チュニジアを代表する花がジャスミンであることから、インターネット上でそう呼ばれるようになったらしい。ベン=アリー大統領がサウジアラビアに亡命した今年1月14日、エジプトでも反政府デモが始まり、ネットでの連携や民衆のデモにより長期政権が倒された点において、非常に酷似した状況となったわけである。 ジャスミン革命は、モハメッド・ブウアジジという26歳の失業者男性が露天商をしていたところ、無許可での街頭販売を警察にとがめられたことへの抗議として、焼身自殺を図った事件が引き金になったとされている。失業率の高さを解消できない一方で規制ばかりしてくる政府への、大衆の怒りが爆発した形である。 自らの命を犠牲にして民衆に後を託したブウアジジは1月4日に息を引き取り、ジャスミン革命の英雄となった。エジプトでも焼身自殺は相次ぎ、死者も出ているそうである。それらが功を奏して革命の成功につながったと考えるべきなのかもしれないが、果たして自殺を美化していいものなのか、疑問が残る。 「抗議自殺」だけではなく「自爆テロ」も、宗教的犠牲心による聖なる「殉教」として好意的に受け止められたりすることがある。殺人は悪だけれど、自殺は善という考え方。自爆テロの場合、善と悪の複合によって、一応は善と看做されるということだろうか。自らを生贄にした呪術に思える節もあるが、英語の「immolation」は「生贄」で「Self-immolation」が「焼身自殺」だそうである。 この「自殺=善」とする発想は、武将の切腹や神風特攻隊など、日本の歴史上にも散見されるものだ。年間3万人を超える自殺者の多さも、そこに起因するのかもしれない。3万人を超えるようになったのはここ10年ほどだが、それは人口の兼ね合いもあるからで、実は日本における自殺者の割合は、昭和22年から大幅には変化していない。 自殺が美化される風潮がある限り、自殺者数は減らないのではないかとも思えてくる。うつ病や病苦による場合は仕方ないにしても、賛美するからには、いつか自分もやらないといけなくなるように思えて恐い。だから僕は次のように考える。 「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉は「本当に死ななきゃいけない時のために、何としてでも生き抜くべし」ということではないか。そしてその「本当に死ななきゃいけない時」がいつなのかは誰にも分からないから、結局は「死ぬことと見つけたり」がゆえに「何としてでも生き抜くべし」ということになる。 うちの親が良く言っていた「命根性が汚い」という言葉は、生きることへの執着心を非難するもの。自分の子に「生きようとするな」なんてと思っていたが、「惨めに命乞いするくらいなら、カッコよく死になさい」ということらしい。そして「カッコよく死ぬ」ためにはどうすればいいか考えてみると、やはり「死ぬことと見つけたり」同様に、もっとカッコよく死ねる可能性があるかもしれないわけだから、その時のためにも生きなくてはならない。 ブウアジジら抗議自殺者にとっては、まさに「その時」が来たということだったのかもしれない。だからその死を無駄にしなかった大衆の思いは称賛されるべきであろう。けれどもそれと同時に、もう二度と悲劇を繰り返さないでほしいと願わずにはいられない。これだけ自殺者がいるのに何ひとつ変わり映えのしない日本にいるからこそ、そう思う。(工藤伸一)
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トレンド 2011年02月12日 14時00分
家の延長としての国家
2月4日(金)25:25〜28:25にテレビ朝日系列で放送された『朝まで生テレビ』のテーマは「激論! 日本は本当にダメな国なのか!?」というもの。その中で「家族を守ることと国家を守ることは同じか?」という議論があった。すぐに話が他に移ってしまったけれど、僕は興味深い話だと思った。 堀江貴文さんは「国境などいらない」と言っていた。けれどもそれは侵略戦争の大義名分にもなりうる考え方で。日本の天下統一を果たした豊臣秀吉が朝鮮出兵したのも、第二次世界大戦における大東亜共栄圏構想も、その「国境などいらない」という発想によってなされた。だから国境をなくしたところで、国家の原型たる家制度が残る限り、利権のブラックボックスは消えない。 星新一の『マイ国家』というショートショートがある。マイホームが独立国家と化して神話まであるという話だが、実際の国家も似たようなものだろう。1家族を「1世帯」とも言うが、それになぞらえれば、日本は1億2千万の家族を有する1世帯ということになる。 東浩紀さんが言うように「国家は経済共同体」と考えたならば、国家の原型たる「家族」も「経済共同体」として運営される必要がある。「家族経営」という言葉は家族で事業を営む経営スタイルを指すが、一方で主婦や主夫も経済活動をしているとみなされることらすれば、あらゆる家族を「家族経営」と言ってもいいだろう。そしてその経済共同体の最小単位としての家族がある限り、領土問題など覇権争いは絶えることがない。 最小単位は個人と考えることもできるが、それは共同体ではないし、外貨(これは外国のお金という意味ではなく、家の外という意味)を稼ぐ世帯主だけが家計を支えているわけではないから、やはり家族と考えるべきだろう。社会福祉は、本来なら家族や親族が面倒を見るべきところを、自治体が肩代わりする制度である。これも家の延長としての国家の側面ということになる。 それにしても政治家はなぜ政治家と呼ばれるのか。政治屋だと一段格下げに見える。小説家じゃなくて小説屋なんてのもそうだ。屋号と家号の問題に関しては、また改めて書きたいと思うが、経済共同体の商売人と考えたら、いっそ国家じゃなくて国屋でもいいのではないか。 堀江さんや東さんが「Twitterによる連携」などと話していたのは「もし国家が戦争を起こそうとしても国民が阻止する」ということだろう。政府の意思のみで発生する「世界大戦」から、大衆によるゲリラ戦術に国体が脅かされる「世界内戦」への変質。 その経緯と展望について書かれたのが、限界小説研究会のメンバーによる評論書『サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へ』(南雲堂)である。メンバー以外の識者も交えた刊行記念トークショーは過去2回行われ、リアルライブにて告知させてもらっていた。近々3回目の予定もあるそうなので、その告知も兼ねてまた考察してみたい。(工藤伸一)「世界内戦」を生き抜くためにhttp://npn.co.jp/article_mroonga/detail/64589414/第二次世界内戦のお知らせhttp://npn.co.jp/article_mroonga/detail/17028034/
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トレンド 2011年02月10日 16時30分
酒井法子とジョン・ライドン
酒井法子(39)の自叙伝『贖罪(しょくざい)』は、5万部程度と売上が良くないそうである。 そもそも活字本が売れないと言われている中で万単位なら問題なさそうに思えるが、ヒット曲『碧いうさぎ』がミリオン寸前までいったことを考えると、やはり少ない気はしてくる。ちなみにウィキペディアの「酒井法子」の項目ではミリオンセラーとなっているが、曲自体の項目では99.7万枚となっている。出荷枚数は100万枚を超えたものの、事件後の発売中止措置によって、実売数は超えられなかったということだろうか。 2009年11月25日に覚せい剤取締法違反(所持)により、懲役1年6か月、執行猶予3年の判決が確定。その約1年後に発売された『贖罪』は、あまり反省が感じられない内容と批判もされたが、アイドル絶頂期の話やプライベート写真も多く、ファンにとっては嬉しい本。2月3日には電子書籍版も発売されたそうなので、後ほどまた好意的なレビューでも書いてみようかと考えている。 実は最も好きなアイドルが誰か聞かれたら、酒井法子ということになるけれど、それをどう説明すべきか迷っちゃうような状況に来ていて。けれどものりピーが、変な男と結婚したりシャブ中になったりしても、アイドルはあくまでもアイドルというような思いはあって。ともすれば、むしろ堕ちていってくれた方が、より神聖が増すようにさえ思えるくらいで。 何というか、世の災厄を一身に背負うがゆえに、崇拝に値する偶像というか。つまり簡単に騙されちゃうくらい、ピュアなんだ。本当の清純派は、汚れていくのが、当たり前で。なぜなら、汚れないでいられるほど、器用じゃないから。その不器用さこそが、アイドルの資質なのである。 だから汚れてしまう前に人気絶頂の最中で、事務所ビル屋上から投身自殺した岡田有希子(享年18)なんて、まさにアイドルの鏡。パンクロックバンド「セックス・ピストルズ」の解散直後に、恋人ナンシーの後を追うようにして変死したシド・ヴィシャス(享年21)なんてのもそうだ。 バラエティ番組に出てくる変なオッサンとして惨めに醜態を晒すことで、自らを偶像破壊して生き残るジョン・ライドン(55)の方が、僕は好きだけど。岡田有希子はシドで、酒井法子はジョンだろうか。どちらも清く正しく美しい、パンクやアイドルの模範だ。 そしてパンクとアイドルは技術の放棄という点においても似ている。むしろパンク的な上手さや、アイドル的な上手さというものがあって。ところがそれを維持できない。それも含めてパンクであり、アイドルというかさ。つまり人生そのものなんだ、パンクもアイドルも。 それを事務所やファンやマスコミが利用して、飯のタネやらオカズやら玩具にしているわけで、責任を負うべきなのは、事務所やファンやマスコミの方だ。アイドルの運や才能や魅力をエサにして利益を稼いできた贖罪の意味もあって、今度は逆にアイドルを叩くという側面もあるんだろうけれど、しかしそれじゃ事務所やファンやマスコミが追い詰めた、アイドル当人への贖罪を果たしているとは言えないんじゃないだろうか。 芸能界に蔓延する薬物汚染も、本当の加害者はブローカーであって芸能人は被害者だったりもする。だから多少なりとも擁護せざるを得ないはずなんだ。そしてそれは、薬物と手を切れるような方向性のものであることが、望ましい。とにかく入手ルートが殲滅されない限り、不幸の連鎖は続いてしまうことだろう。 のりピーは2月14日に40歳の誕生日を迎える。「バレンタインデー生まれ」なところも正統派アイドルという感じだけれど、だからといってホワイトデーに白い変なものを送っちゃ、ダメ。絶対!(工藤伸一)
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2011年01月28日 17時00分
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