山口敏太郎
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ミステリー 2014年05月31日 17時59分
意外と可愛い? 「アヒル口」の巨大怪物「シーサーペント」
右の写真は1925年にアメリカのサンタクルーズの海岸にて打ち上げられた謎の生物の死体である。 長い体に大きな顔、口にはまるでアヒルのような大きなクチバシが付いているのが確認できる。 この怪物は国によって呼び方は違うが多くは「シーサーペント」と呼ばれる。シーサーペントは新種の大ウミヘビもしくは巨大ウナギという説もあるが正体はよくわかっていない。 死体としてあがってくるシーサーペントの多くはニョロニョロとした体に不格好ともいえる巨大な頭が付いていることが多い。とくに今回の写真の怪物は鳥のようなクチバシを所有していることから、ウミヘビやウナギとはまったく違う未知生物の死骸と言えるだろう。 さて、このシーサーペントであるが実は日本でもかなりの数が目撃されている。 記憶に新しいのは2012年3月に静岡県の浜名湖で目撃された巨大生物「ハッシー」だろう。「ハッシー」には「マッシー」、「ハマナッシー」など強そうな恐竜タイプの名前が様々付けられているが、撮影された写真や浜名湖がウナギの産地として知られていることから、ハッシーはネス湖のネッシーのような首長竜のタイプではなく今回紹介している「シーサーペント」のような巨大ヘビ・ウナギタイプではないかと思われている。 最近でも日本のダイオウイカ騒動、メガマウスの騒動など巨大生物の発見が相次いでいるため、今回の「アヒル口のシーサーペント」のような我々がアッと驚くような巨大生物の生け捕りも今後、期待ができるだろう。 あなたももし、このような生物を発見した場合には是非山口敏太郎事務所へ一報をいただきたい。(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2014年05月27日 15時30分
「恐鳥・モア」は生きている!? 原住民と記念写真か
こちらの写真はニュージーランドにかつて存在していた巨大鳥「モア」らしき写真である。 「モア」は史上もっとも背の高い鳥として知られており、そのなかでも巨大な「ジャイアントモア」はダチョウよりも大きい約3〜4メートルの身長があったとされる。モアは1800年代に絶滅したとされ、残された骨の太さなどから到底鳥のものとは考えられず、恐竜の名付け親でもある考古学者のリチャード・オーウェンはモアを「恐鳥」と名づけた。 モアはニュージーランドにしか生息しておらず、当時のことを残した資料は先住民であるマオリ族の伝承のみである。 モアは空を飛べない鳥で動きが鈍いこともありマオリ族の狩猟によって絶滅したと言われている。 モアの絶滅期は1700年代末〜1800年代中頃とされており、学者がニュージーランドに行き詳細な資料を残すには時間が足りなかったと言われている。 しかしなぜかモアとされる写真は現代に至るまで何点か残されている。右の写真はそのなかの一枚である。 いかがだろうか。太い足に卵型の体、そして人間の背丈ほどもある長い首はまさに「恐鳥」の名に恥じぬ大迫力である。 足には鋭い爪が付いているものの人を襲うことはなかったとされ、強靭な足腰はもっぱら走るためだけに使われたという。 さて、この写真であるが前述の通り、モアは1800年代の中頃には絶滅しているため当然、写真に収めることはできなかったはずだ。 しかもこの写真にはモアと一緒にマオリ族らしき原住民がポーズを決め込んで立っているが、「いかにも」すぎる原住民でかなり怪しいと断言せざるを得ないだろう。 他にもモアと原住民の写真はモア狩りをしている様子なども残されているが、どれも狙いすぎた構図が多いので信ぴょう性はかなり低い。 しかし、モアは現代に至るまで目撃がされており(モアには小さい個体も存在している)、未だ生存説が多く唱えられている動物の一種である。 モアは今も人間から逃げるため地面を走り回っているのだろうか…。(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2014年05月24日 17時59分
流し目で背中に毒針…人魚のミイラは危険な女性!?
右の写真は山口敏太郎事務所に所蔵してある数多い人魚のミイラ写真の一枚である。 人魚は日本でも古くから「妖怪」の一種として扱われていたため、全国に人魚にまつわる伝説、画、そして写真が残されている。 そんな人魚写真のなかで最近事務所内で「もっともリアル」と話題になっている写真がこちらである。 この人魚写真で注目すべきはその顔。そして目である。いかがだろうか。かなり虚ろな目をしているのがおわかりになるだろう。目つきはなぜか流し目で、表情もうつむき加減で、まるで世間の目を怖がっているかのようである。 この人魚は全身がウロコに覆われており、背中から生えた突起物はまるでオコゼが持つ鋭い背びれのようである。この人魚もオコゼのように毒を持っていたのであろうか…。 さらに不気味なのは頭からすらっと伸びた髪のようなものである。髪は腕まで到達しており、かなり長いことがわかる。日本に残る人魚のミイラはなぜか男性モチーフの坊主姿が多い。今回の人魚は「美人」とは言えないものの女性的なイメージを保っている点でかなり珍しいといえるだろう。 さて、この人魚のミイラは本ミステリー記事でもなんどかご紹介している大分県の別府温泉にあった「八幡地獄の怪物館」所蔵のものである。 「怪物館」のミイラは写真こそ数多く残っているものの、そのほとんどは職人が作った工芸品とされている。 前述の通り、人魚は日本では怪物や妖怪の一種として扱われていたため、西洋の「マーメイド」のような可憐な女性としては描かれていない。 このミイラはそんな日本人魚へのイメージを払拭させるために職人が頑張って作ったものではないかと推測できる。 そう思うと、この不気味な人魚も若干愛おしくなってくる…かも? (山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2014年05月20日 15時30分
100年前に「スマホ」は存在していた!? 集合写真のミステリー!
2013年11月、山口敏太郎事務所は本ミステリー記事にて「1940年に目撃されたターミネーター」の写真をご紹介した。 これはカナダで発生した洪水現場にTシャツにリーゼント、サングラスを着用したゴツイ男が写りこんでいた、というものでミステリーファンには「リアル・ターミネーター」として親しまれているというものである。 結果この男は当時のファッションを先取りしすぎていたアメリカ人教師ということが判明(Tシャツもサングラスも当時、流通していたもの)しているが、世界にはまだまだ「タイムスリップ」にまつわる疑惑の写真が存在している。 右の写真は1911年に撮影されたとある町工場の集合写真の一枚なのだが、赤枠で囲った男にご注目していただきたい。 足を組み、頭をかがめて機械らしきもの手に持つ若者風の男が写っている。 こなれた佇まい、ごく自然なポージングといい、まるで現代の我々がよく街中で目にする「スマホいじり」のようではないか! 男が手に持つ機械の形こそわからないが、指の置き方や何かを入力しているかのような体制はiPhoneなどでメールやWEBサイトを閲覧している我々にそっくりではある。 集合写真なのにも関わらず、ひとりでスマホいじりを楽しむKYなこの男(まるで高校の修学旅行写真のようである)。こいつの正体は現代からやってきたタイムトラベラーなのだろうか。 機械が写っていればハッキリと判明するのだが、おそらくこれは懐中時計などの小型の時計を見ているものかと思われる。 当時、懐中時計などの小型の時計は高額とはいえ市販されており、日本でも土方歳三が愛用していたことでも知られている。また、集合写真の前面に写っているのはハンチング帽をかぶった10代前半と思わしき少年たちがメインのため、この男は後ろに写っている工場の偉い関係者、もしくはカメラマンのタイムキーパーのような役割を持っていた人間ではないかと思われる。 とにもかくにも不思議なこの写真。現代の目で見れば「スマホ」にしか見えないが、意図せずこのような写真が撮られ、今も語り継がれていくのは「現代のオーパーツ」とも言える現象で非常に面白い。 他にもこのような「現代のオーパーツ」の情報があれば、是非山口敏太郎事務所までご一報頂きたい。(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2014年05月17日 17時59分
怪談師・牛抱せん夏が撮影した「沖縄のドクロ」…周りには数々の浮遊霊が!?
こちらの写真は山口敏太郎事務所所属の女流怪談師・牛抱せん夏が沖縄県で撮影した写真である。 写真の真ん中に位置する黒い岩にご注目いただきたい。この黒い岩、姿かたちがまるで鬼のようである。頭部に角のようなものが生えており、また鼻筋がシュッと縦に伸びているのが印象的である。 だが、実はこの写真にはもうひとつ秘密が隠されている。黒い岩の右上部にご注目いただきたい。なんと影になっている部分にもうひとつ髑髏のような模様が浮き出てしまっているのである。髑髏は何やら不敵な笑みをこぼしているように見える。 この写真が撮影された経緯をご紹介しよう。今年の春、牛抱せん夏はDVD「沖縄巡礼 知られざる霊場」(2014年10月10日発売)の撮影のため沖縄県の某所へ取材撮影に出向いていた。 この写真が撮られたのは沖縄県にある某史跡の洞穴。ここはユタ(沖縄におけるシャーマン)が修行する霊場があったとされ、沖縄県でも有数の心霊スポットであるという。 牛抱せん夏は自身の携帯電話で洞穴のなかを数枚撮影。そのなかの一枚にこの写真があったという。 牛抱せん夏は強い霊感を持っておりこの写真を見た瞬間に髑髏のほかに3体ほどの亡霊の姿も見えるという。しかし霊感を持っていない人はどこに写っているのかよくわからない。山口敏太郎事務所は関西で活躍している風水師・霊能者のあーりん女史へお話を伺ってみた。 「岩の影が顔のように見えている部分もたくさんありますが、複数の霊が随所にいて、ちょっとした霊団になっているようですね。写真を見ていると、どんどん奥から人の姿が映像のように浮かび上がってくる感じです。戦時中とおぼしき若い女性が多く、老婆や子供のような姿もあり、幅広の鉢巻きをした女性や、着物の人、ブラウス風の服を着た人もいます」 「邪気や悪意や怨念などはあまり感じられず、ただ集まって寄り添っているように思えます。数のわりには凶悪なものではないので、持っていてもそう問題はないとは思いますが、感化されやすい人は写真の中の人達のように神経質な様子で怯えたり、泣き出したりするような心理状態になるかもしれませんので要注意です」 とのことであった。あーりん女史の見立てでは数体ではなく複数の霊が集団になってやってくる様子が見えたという。また、鉢巻きや着物、ブラウスを着た女性というのもあまりに具体的すぎて不気味である。 彼女らはこれからもずっとこの地にいるのであろうか…。(写真:牛抱せん夏)(山口敏太郎事務所)DVD「沖縄巡礼 知られざる霊場」予告編(2014年10月10日発売)https://www.youtube.com/watch?v=ZZZTj7cpPQQあーりん監修携帯サイトau公式携帯コンテンツ「本格☆香港風水〜恋する護符」http://h-fusui.jp
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ミステリー 2014年05月13日 15時30分
代々木公園に「妖怪の骨」を売る男、現る! 河童の正体がついに判明か!?
これまで山口敏太郎事務所は「河童のミイラ」や「河童の写っていると思われる写真」などさまざまな「河童」を本ミステリー記事にて紹介してきた。 この度、山口敏太郎事務所は新たなる「河童実在の証拠」を発見したのでご報告したい。 こちらの写真は「河童の手」なる謎の物体である。 5センチほどの小瓶に白い骨のようなものが収められている。瓶にはご丁寧にも「河童の手」と書かれており、裏側には河童のイラストらしきものも描かれている。 口はコルクできつく栓がしており、まるで瓶から溢れ出る妖力を河童のイラストが封印しているかのようである。 手の骨の先端は三股に分かれており、この部分が水かきのついていた指かと思われる。 さて、ここで「河童の手」を手に入れた経緯をご紹介しよう。 「河童の手」を入手したのは小説家・脚本家の中沢健(たけし)氏。中沢氏は代々木公園をぶらついていた際、妖怪をモチーフにしたポストカードを売る露天商から購入したものだという。露天商からの詳しい説明は特になく「これはね、河童の手なんだよ」と中沢氏へ語り、河童の手の購入を勧めてきたという。値段は1500円であった。 中沢氏はCS局ファミリー劇場のオカルト検証番組「緊急検証シリーズ」に「UMA研究家」としても出演したこともある若手作家である。 露天商が中沢氏の存在を知っていたかどうかは定かではないが、あえて研究家側の人間に「妖怪の骨」を勧めてくるとはなかなか興味深い話である。 なお、中沢氏は手に入れた「河童の手」についてこう語っている。 「最初はテンションがあがりましたが…サイズや色、重さから考えてたぶん木の枝を改造したものと思います…」 現在、河童の手は作家・オカルト研究家の山口敏太郎の手に渡りお台場の「山口敏太郎の妖怪博物館」に常設展示されている。 博物館では虫メガネを貸し出しているので、是非貴方の目で「本物」かどうか確認してほしい。(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2014年05月10日 17時59分
リアル「死神くん」現れる!? 死神の写りこんだ写真には注意!
こちらの写真は1963年にイギリスはニュービー教会で撮影された「死神」の姿をとらえたとされる心霊写真の一枚である。 すでにおわかりかと思うが、左側に凶悪な顔つきをした人物が立っている。 まるで映画「スクリーム」のゴーストマスクの ような顔、ローブを羽織っているかのような姿は我々がよくイメージする「死神」の姿にほかならないだろう。 この写真は前述の通り、1963年にイギリスの教会で撮影されたものである。詳細はほとんどわかっていないが当時、この教会に勤めていた牧師が撮影したものだという。 教会というシチュエーションに加え、あまりに明確に死神の姿が写りこんでしまっているため世界でも知名度の高い心霊写真のひとつでもある。 さて、「死神」とはその名のとおり「死を司る」神様のひとり。日本をはじめ全世界で死神にまつわる伝説が残っている。ま近年ではこの写真のように死神が映り込むと撮影者の命が奪われる前兆とされ、心霊写真としてはトップレベルの凶悪さを誇るという。 あまりに危険な心霊写真のひとつであるが、この写真に映った死神にはもちろんフェイク説もある。理由としてはあまりにハッキリと写りこんでいる、また教会の風景と死神に若干の解像度の違いが見受けられるためである。 実は死神の写りこんだ写真はほかにも撮影されている。2003年、イギリ スのハンプトン宮殿の監視カメラに今回の写真とソックリな幽霊が写りこんでいるビデオが撮影されたのだ。 ハンプトン宮殿では幽霊の目撃例が絶えずあり、一時期話題になったが現在ではただのツアーガイドであったという説が強い。 果たして死神は本当にいるのだろうか…。(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2014年05月06日 17時59分
ドラゴンは本当にいた? 埼玉で発見! 「龍のあご骨」
こちらの写真は埼玉県の法雲寺にて保管されている「龍のあご」とされる謎の骨である。 写真からは確認しづらいが、全長は20センチと小さく、細かい歯が立ち並び、糸でぐるぐると全体が巻かれている。見るからに頑丈そうなこの骨はまさに伝説の怪物「龍」のあご骨と呼ぶにふさわしいビジュアルをしている。 法雲寺には他にも本ミステリー記事でご紹介させていただいた「天狗の爪」「楊貴妃の鏡」といった不思議な物品が数多く展示されている。この「龍のあご」もそんな妖怪ミステリーを感じさせる貴重な品である。 さて、この骨であるがどこから手に入れたのか、本当に龍の骨なのかは一切不明。逸話も残っていないため、そのバックボーンがほとんどわかっていないのである。 ただ唯一わかっているのは地元の住民が珍しいものを発見し法雲寺に奉納した、という話が残っているのみである。 龍はごぞんじのように細長い蛇のような体に、恐竜のような頭を持つ怪物である。龍の正体についてはさまざま説があるが、近年では中国人がワニなどの爬虫類を怪物として見間違えた説が有力とされている。もちろん当時の日本にはワニはいないため、内陸地である埼玉県でこんなものが見つかったら当時の地元住民が大騒ぎするのも無理はないだろう。 推測ではあるが、この龍のあごは鮫のような魚のあご骨ではないかと言われている。おそらくは旅の行商人が手に入れたサメの骨を現地の人間にさずけたものと思われる。 現在、この「龍のあご」は法雲寺で見ることができる。「天狗の爪」「楊貴妃の鏡」とともに必見の内容なので是非、その目で確認していただきたい。(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2014年05月03日 17時59分
リンカーン大統領の幽霊が現れた!? 不思議な写真
2014年4月末、アメリカからオバマ大統領が来日し日本は久々の大統領訪問に歓迎した。 しかし、亡くなったはずの大統領が突然目の前に現れたとしたら…我々は快く歓迎できるだろうか。 今回は大統領にまつわるミステリー写真をご紹介したい。 この写真は19世紀なかごろに撮影されたという第16代アメリカ大統領エイブラハム・リンカーンの幽霊を収めたとされる写真である。 彫りの深い顔、特徴的なモッサリとした口髭は確かにリンカーンとよく似ている。 鋭い眼光がキラリと光る只者じゃない人物だとは思うが、何故この人物が「リンカーンの幽霊」だと言い切れるのだろうか。 実は手前にいる女性。彼女こそはリンカーン大統領夫人・メアリー・トッド・リンカーンとされる女性だからなのである。 この写真を撮影したのはアメリカ人彫刻師のマムラー氏。 マムラーは写真技術が広まりだした19世紀中盤から亡くなった人物を写真に写し出すことができた、いわば「心霊写真家」の第一号的存在である。 死者の姿を撮影できるマムラーの噂はたちまちアメリカ全土に広がり写真撮影の依頼が後を絶たなかったという。 噂を聞きつけたリンカーン大統領夫人は匿名の一般女性としてマムラーに写真撮影を依頼。するとこのような不思議な写真が撮影されたという。 ちなみにマムラーが夫人をリンカーン大統領の妻・メアリー夫人だと知ったのは後になってからだったという。 この写真に写っているリンカーンと思われる男性は夫人の肩にやさしく手を添えており、まるで仲睦まじく記念写真を撮っているかのようである。メアリー夫人には「暗殺」という不慮の死を遂げた旦那の姿が死後もずっと見えていたのだろうか。(山口敏太郎事務所)
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ミステリー 2014年04月29日 16時30分
半人半牛の「件(くだん)」は長崎県で生まれていた!?
今年4月のミステリー記事にて山口敏太郎事務所は伝説妖怪「件(くだん)」のミイラの写真をご紹介した。 件のミイラは顔が人間、体が牛という半人半牛の怪物で、生まれると災いが起こるとされている。前回、ご紹介したのは干からびたミイラの写真であったのだが、実は生きていた姿そのままで剥製にされた件が日本に存在していたという。 今回、ご紹介している写真は長崎の農家で生まれたという件の剥製の写真である。 右の写真をよくご覧いただきたい。子牛の体に白い人間の顔のようなものがベッタリと張り付き、異様なオーラを放っている。その顔はこの世のものとは思えない強烈なオーラを放っている。まさに「凶兆を呼ぶ」に相応しい怪物そのままのビジュアルである。 この件は明治42年(1909年)に「名古屋新聞」で紹介されたものとされている。 記事によるとこ明治39年(1904年)に長崎の農家で生まれ、しばらく生きていた後、生後31日目に「日本は露西亜(ロシア)と戦争をする」と予言し死亡したとされている。 「ロシアと戦争をする」とはもちろん「日露戦争」のことであり、件が生まれた1904年に開戦し1905年に終戦している。 件は病気のほか戦争をはじめとする世界情勢が乱れたときにも誕生するとされており、見事に予言が当たった形である。 この件は「名古屋新聞」によると死後剥製にされ長崎の八尋博物館に陳列されている、と記載されているが現在は残されておらず、八尋博物館の閉館とともに消失してしまったものと思われる。 しかし、それにしてもこの件、一度見たら忘れられない凶悪な顔つきをしている。何かを叫んでいるであろう口、小さいながらも鋭い目はまさに鬼気迫る表情で我々に何かを訴えかけてくるようだ。 現在、剥製は残されていないため作り物だったかどうかはわからないが、仮に作り物だとしても作者は何かを訴えるためにこの顔を練り上げたことと思われる。 残された「件の剥製写真」…現代に住む我々はこの顔から何かを読み取れるのだろうか。(山口敏太郎事務所)
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