日本橋人形町に生まれ、大火により焼失。その後、浅草の外れに移された。以来、300年間にも及ぶ遊郭街「新吉原」の歴史が始まった。
6月19日土曜日、私こと呪淋陀が主催の怪談オフ会にて、吉原を散策した。参加者は総勢12名。
異界への先導をしてくださるのは、大野尚休(おおの・しょうきゅう)先生(霊界伝道士であり、怪談師:稲川淳二氏の最強ブレイン)。
まず、浅草で有名な漢方薬局にて、八つ目鰻の蒲焼と薬酒で精力をつける。
その後、平和な休日の公園にて、皆でお清めの御神酒を呑みつつ、尚休先生より吉原の歴史や異界散策についてご講義。
吉原とは、結界で区切られ、人によって作られた世界。
人々は吉原に、現実を忘れるために遊びに来た。そこは現世と隔絶された、華やかで洒落の分かる夢の異世界なのだ。
女性の地位が低い江戸時代において、遊廓の中では身分差はなかった。
一流の遊女ともなると美貌だけでなく、修行を重ねて芸に秀でており、教養も身につけ、品格があった。出世のチャンスもあったわけで、現代でいうキャリアウーマンともいえる。
決して悲しみ恐れるような場所ではない。
よくいわれる、吉原が苦界だという話は、現代人の先入観であるという。
先ずは吉原弁財天に訪れる。
大正の関東大震災で吉原遊郭一帯が火に包まれ、遊女ら多くの人々が弁天池に逃れて、490人が溺死。泥水の中に折り重なってあふれる死体は、凄惨を極めた。
後に供養にと、吉原観音像が建立された。現在、弁天池は埋められ、名残の小さな池が隅のほうに存在しているだけだ。
我々が敷地に入る前に、尚休先生が鹿島神宮の霊水をお清めで撒いた。
その時、霊感が強い女性は、地面に堕ちる霊水を求めてワラワラと無数の手が這ってくるのが見えたという。亡くなった時のまま時間が止まり、未だに渇きを覚えて水を求めている霊がいるのだろう。
中は樹木が生い茂り、昼間ながら薄暗く濃密な重い空気を感じた。そして時間の感覚がなくなるような不思議な空間。
慰霊碑の観音様の優しいお顔を眺めていると胸が熱くなる。線香を供えて静かに祈った。
次に吉原神社。吉原の栄枯盛衰を見守り、遊女たちの喜怒哀楽を見つめてきた。どれだけの遊女がここに祈りに来たのであろうか。
商売繁昌、技芸上達などのご利益があるとされ、女性の願いを聞いてくれる神社としても人気があり、女性の参拝客が多かった。
吉原の中通を大門跡まで進む。
目撃した男性のお話によると、道中、我々の前に立ちはだかる、大きな黒い影が現れたという。だが、尚休先生は寸での所で影をよけて、別の道を歩き始めたので、驚いたとか。
見返り柳を出た頃には、不思議と酔いが気持ちよく冷めていた。まるで、あの世からこの世に帰って来たような気分である。
尚休先生によると、今回の参加者の中には、位の高い太夫であったりと、前世に吉原にいろいろと縁が深い方もいらしていたとのこと。
我々は、吉原という地に呼ばれたのかもしれない。
栄華を極めた艶やかな幻影の中を探索し、楽しさや嬉しさなどの気分を捧げることができ、満足できた。暗く神妙な気持ちで祈ることだけが供養ではないと思った。
我々は、快く我々を迎えてくださった吉原、そして供養に対する新しい観念をご教授くださった大野尚休先生に感謝した。
大野尚休先生のブログ「しょーきゅーし」
http://blog.goo.ne.jp/syokyu_001/
(「怪談作家」呪淋陀 山口敏太郎事務所)
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou