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三谷啓子の「マイクと声と私」第7回 〜番組中継編〜

 ラジオ放送はテレビ放送と違って、ちょっとした機材があれば、身軽に出かけて中継をすることは可能なのです。その機材とは「携帯電話」「マイク」「マイクロフォン中継アダプター(かなり小型です)」…それと「イヤフォン」。

 中継は生放送の本番中にリポーターが行います(ラジオを聴いてれば、よく耳にしますよね)。リポーターが「ひとりしゃべり」で中継を繋ぐ場合や、相手がいてインタビューする場合と、その時の状況に応じてリポーター中継シーンを声で伝えていきます。
 つい先日、私がレポーターとして出かけて行った先は、東京・立川の『立川高島屋』。正面玄関口で『防災フェア』(東京消防庁・立川消防署の協力)を開催、私が「しゃべり」を担当した訳です。
 イベントでは「実際の救助」「救急活動」や「東日本大震災の活動状況のパネル展示」「起震車体験」「防災服着用コーナ(子供用です…私にも入りました!)」…などがあり盛り沢山。買い物客はみなさん、足を止めてイベントを凝視しておりました。

 前ふりはこの位にして、ここからが今回(番組中継編)の本題です。

 中継する場合は、取材現場に到着すると先ず取材対象の責任者に挨拶。そしてインタビューを受けてくれる人との打ち合わせ。それから現場の状況と情報を取材します。そのあとは中継の時間まで、自分自身の目で中継場所を見て触れて、そして空気も感じておくことが大切です。
 今回のイベントでは私が体験した起震車について綴ります。
 大きなトラックの荷台にある部屋に靴を脱いで入ります。3畳ほどのスペースに食卓テーブル、流しにはガスコンロ(もちろんダミーです)、天井には電気の笠、地面はカーペットが敷いてあり、まさしく自宅を思わせる内装なのです。
 私が部屋に入るや地震の体験がスタート。最初は震度6(関東大震災の揺れです)の体験をしました。初めは下から突き上げるような揺れを感じ、続いてにわかに激しい横揺れを体験…何と、1分半も続いたのです。立ったままで体験しようとしたのですが、揺れを感じると立っていられなくなり、テーブルの下に潜って「四つんばい」になろうとするのですが、これが結構、困難。お恥かしながら私が消防職員に注意されたこと−−『頭隠して尻隠さず』ではなく『尻隠して頭隠さず』状態だったのです。皆さんはテーブルから頭がはみ出ることなく、しっかりと自分の『頭を守って』くださいね。

 次は震度7の体験です。これは立っていることすらできず、ただただテーブルの下で(テーブルの)脚にしがみついていただけ。動くことも体勢を変えることも、もちろん移動することもできないような恐ろしい揺れ。自分の意思で行動ができないモドカシさを実感しました。
 しかし−−これは「起震車であること」「地震が今からくるとわかっていること」「絶対に安全な状態で終了できる」体験ですから、心構えができています。
 実際、本当に体験した様な地震が前触れもなく襲ってきたらどうなるのだろう−−。建物が崩れるのではないだろうか、一体、私はどうなるのだろうか、子供たちは今、どうしているのだろう、火の始末は? …等々、心の恐怖も襲ってくるはずです(因みにガスコンロの火は地震が収まってから切りましょう)。

 前置きが長くなりましたが、レポーターは自分自身が実際に体験した話を伝えることが大切です。自分は体験して知っていることを『見ていない人』に、情景が浮かんでくるように声だけで伝えるのは難しいことです。一人よがりにならないよう言葉を駆使して、臨場感溢れるレポートをするには《第三者的な目線》や、《俯瞰して物事を見る力》も必要なのです。
 それからインタビューについては、相手を紹介する時に《この人は誰なのか》《何の話が主題なのか》ということを柱に進めていきます…。
 話が散乱するので今回はこの辺にしましょう。この続きはインタビュー編で綴ります。

(エフエムたちかわアナウンサー・エフエムたちかわアナウンススクール校長)

【三谷啓子(みたにけいこ)プロフィール】
特技・広島風お好み焼き作り(腕は抜群! と自画自賛)
趣味・国際交流ボランティア活動
(ホームステイの受け入れや留学生交流、やっぱり“人”が好き)
褒賞・2007年3月「防災・防犯無線」アナウンスの永年協力に対し、立川市長より感謝状を授与される
〜2010年から立川拘置所で全国初の所内放送をボランティアで始め、新聞各紙、TV、ラジオ、海外メディアにも大きく取り上げられ、注目を集めている〜

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