しかし、お唐猫の身体はだんだんと大きくなり、遂には牛や馬ほどの大きさになってしまった。誰もが気味悪がり、お唐猫に近づかなくなった。お唐猫は人気のない前津(名古屋市中区大須)の荒れた祠に暮らすようになった。
ある時、お唐猫の背中に小さな木が生え、さらに木の下には草まで生えてきた。背中の木は生えてきた時のままの大きさで、大きくもならず、小さくもならなかった。
何故、こんな姿になったのか、お唐猫には心当たりが無かった。池に写った自分おぞましい姿を見て意識を失い、池に飛び込もうと思った。死を決意したお唐猫はふと気がついた。今までお唐猫と呼ばれ得意になって、他の猫とは違うという強引な自負心が神様を怒らせたのだと。お唐猫は何日も泣き続け、涙が枯れ果てた時、自分の運命を受け入れて生きていくことにした。
その時からお唐猫は雨が降り続いても、強い風が吹いても、洞の前から一歩も動かなくなった。自分の運命を甘受して、泰然自若と全てのものを受け入れたお唐猫を人々は偉大なものと畏怖するようになった。やがて、「お唐猫に願い事をすると、叶えてくれる」とい噂が広がり、人々はこぞって手を合わせて拝むようになった。中には、「お唐猫に願い事を頼むのだから」と、おからを山盛りに供える者もいたという。
現在、お唐猫がいた洞は大直禰子神社となっている。
(「三州の河の住人」皆月 斜 山口敏太郎事務所)
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou