スポーツ
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スポーツ 2009年08月18日 15時00分
新日本プロレス 棚橋弘至 右目重傷でIWGP王座返上!
セルリアンブルーのマットに衝撃の事態だ。右目を負傷していたIWGPヘビー級王者の棚橋弘至が、眼窩内側壁骨折で全治1カ月の診断。これに伴って9・27神戸大会で予定されていたV2戦の消滅と、タイトルを返上が発表された。 やはりG1で負ったケガの代償は大きかった。16日に行われた「G1クライマックス準決勝」の中邑真輔戦で、棚橋は10分過ぎに右目にハイキックを食らって負傷。試合に敗れて大会後はすぐさま病院直行し、即入院するハメになってしまった。 この日は午前中に精密検査を行い、午後から3時間に渡って手術。全治1カ月の診断を受け、同社広報によれば「棚橋選手はIWGP実行委員会が決めた裁定に従うとのことでした」とのことから、無念の王座返上と時期シリーズ全戦欠場、併せて9・27神戸大会で予定されていた防衛戦も消滅することになった。 痛すぎる大黒柱の離脱。同社の菅林直樹社長は「選手生命はもちろん、日常生活にもかかわるようなケガですから、しょうがないことです。全治は1カ月ですが、それから復帰するまでにはプラスどのくらいといった感じ。しっかり治してもらいたい」と頭を抱えていた。
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スポーツ 2009年08月18日 15時00分
新日本プロレス 9・27神戸大会 真壁VS中邑で王座決定戦
新日本プロレスのG1クライマックスを初めて制した真壁刀義が17日、都内の同事務所で会見に臨んだ。IWGPヘビー級王者・棚橋弘至のタイトル返上により、9・27神戸大会で中邑真輔と王者決定戦に臨むことが決定。新政権樹立に向けてIWGP王座初戴冠を誓った。 プロレスリング・ノア杉浦貴との準決勝と中邑との頂上決戦を制し苦節13年でG1初制覇を成し遂げた真壁。激闘から一夜明けたこの日も連戦の疲れをみせることなく「優勝賞金1000万でこれからキャバクラとか風俗とか、豪遊しまくってピンクな夢を全部叶えるぜ」と意気揚々で「俺には休みはない。G1、その次はIWGPだ」とその視線は王座初戴冠に向いている。 9・27神戸大会ではIWGPヘビー級王者・棚橋弘至に挑戦する予定だったが、チャンピオンの王座返上で中邑真輔と王者決定戦に臨むことが決定。またしてもG1決勝で破った中邑とのリマッチにも自信満々で「間違いなく俺が取ってやる。結果は一緒。俺が獲ったら新日本はもっと盛り上がるぜ」とIWGP初戴冠を高らかに宣言。「俺がチャンピオンになったらバンバン女性ファンも来るんじゃねーか」とうそぶいていた。
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スポーツ 2009年08月18日 15時00分
メジャーリーグ極秘情報 ドジャース・黒田編
ロサンゼルス・ドジャースのナショナル・リーグ西地区連覇、そしてプレーオフ出場へ、キーマンになっているのが黒田博樹だ。 しかし、その黒田に先日、大変な事態が起こった。15日のダイヤモンドバックス戦で打球を頭部に受け病院直行に。幸い大事には至らなかったが、今後に影響は残りそうだ。 それにしても5勝目を挙げた試合ではチームの連敗ストッパー役を務め、「チームの出血を止め、生き返らせてくれた」とジョー・トーリ監督が絶賛。黒田にとってもトーリ監督の存在は何よりも心強いだろう。 トーリ監督は昨年まではニューヨーク・ヤンキースの監督として、誰よりも松井秀喜を理解、支えてきた。現在、松井が来季残留をかけて日々苦闘しているのはケガのためだけではない。最大の理解者であったトーリ監督の解任も大きなダメージになっている。 黒田にとっては逆に幸運だった。松井を通じて日本人プレーヤーの理解者になったトーリ監督が温かく見守ってくれているからだ。入団1年目の昨年、9勝10敗、防御率3・73と黒田本人も今ひとつ満足できない成績だったろうが、トーリ監督は1シーズン通してローテーションを守った実績を評価した。 今季も決してほめられた成績ではない。しかし、トーリ監督からチームの連敗ストッパー役として称賛されれば、悪い気はしないだろう。相次ぐ主力の故障に対して黒田は「僕もケガをしていた。周りの元気な選手でカバーしたい」と一致団結発言。さらには、「自分の成績は考えず、がむしゃらにチームのために投げたい」と宣言する。 メジャー球団の中には日本人嫌いを露骨に示す監督もいる。そんな監督の下では滅私奉公宣言などできないだろう。広島からFAする際の2年越しの騒動もムダではなかったことになる。 2007年にFA権を取得した当初は、もともと阪神ファンであること、大阪在住の病床の父親の世話をするためにも阪神移籍は間違いないと思われていた。広島球団、ファンの必死の残留コールにほだされてFAの権利行使を1年先送りにした時には、「ウソやろ」と岡田彰布監督(当時)が思わずつぶやいたといわれ、阪神サイドは茫然自失としたほどだ。 しかも、「1年後にFA宣言する場合は、メジャー移籍する時だけ」という、全く予期せぬ最終決断だった。これには、広島の4番だった金本が一足先に阪神入りしている上、エースの自分までが移籍してしまってはという、黒田の男気があったといわれている。当初はウワサされていなかったメジャー入りが急浮上した裏には、今時珍しい義理人情があったのだ。 結果は大正解だっただろう。広島は入団した97年に3位になっただけで、後は10年連続Bクラス。「なんとか自分の力で広島を優勝させたい」という黒田の悲願はかなわなかったが、ドジャース移籍1年目にナショナル・リーグ西地区優勝という美酒を味わっているからだ。今季も首位に立ち、地区連覇、プレーオフの夢が広がっている。 古巣・広島はといえば、今季もAクラス入りが絶望的で、13年連続のBクラスは決定的になっている。移籍が既定路線視されていた阪神も、岡田監督が引責辞任。真弓監督に代わった今季も開幕からいいところなしのBクラスが確定的だ。黒田の選択はベストだった。
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スポーツ 2009年08月17日 15時00分
G1クライマックス2009決勝戦 真壁が奇跡の大逆転!中邑KO
新日本プロレスの“暴走コング”真壁刀義が『真夏の祭典』初の栄冠に輝いた。16日に東京・両国国技館で「G1クライマックス2009決勝戦」が行われ、真壁は苦節13年でようやく頂点へ。暴走コングがこれまで決して語ろうとしなかった挫折と苦悩を激白した。 G1の女神は新日きっての苦労人に微笑んだ。連敗スタートから脅威の逆襲劇で予選リーグを突破し、準決勝では杉浦貴に血だるまにされながらも、なんとか2年連続で決勝進出した真壁。新必殺技ボマイェを武器に予選から無傷の7連勝で勝ち上がってきた難敵・中邑真輔との頂上決戦に臨んだ。 因縁の相手だった。2005年のG1では中邑戦でアキレス腱を切って途中欠場。その後は長期欠場を余儀なくされ「あー、これでG1も終わり、選手生命も終わりだと思った」が、そこから這い上がってこの日の決勝の舞台にたどりついた。 だからこそ自信に満ち溢れていた。ゴング前には「ナカムラさんよ、俺は本間を外すぜ」と盟友の本間をセコンドから退席させたほか、代名詞のチェーンも本部席に預け、実力勝負を提案。その心意気に大「マカベ」コールの後押し。一昨年のベスト4や昨年の準優勝は、チェーン巻きラリアートを使って結果を残してきたが、今年はラフファイトを捨て、クリーンファイトで正々堂々闘った。 のっけから中邑のえげつない蹴りをテンプルに食らい、赤鬼のように額が鮮血で染まったが、何度となくゾンビのように立ち上がった。思えば今大会すべて勝った試合は血だるまにされてから。「断崖絶壁、追い込まれるほど燃える」というように、15分以上もサンドバック状態になりながら、終盤に防戦一方の展開を一気にひっくり返した。 中邑の飛びつき腕十字、執ような蹴りで右腕が悲鳴をあげたが、その右腕を鼓舞してラリアートで反撃。たちまち形勢逆転するとスパイダージャーマンからキングコングニー2連発の必殺フルコースで難敵を沈め、真夏の最強戦士の勝ち名乗りを上げた。 G1初制覇により、9・27神戸大会ではIWGPヘビー級王者・棚橋弘至への挑戦権ももぎ取ったが、その一方で狙われる存在にもなった。試合後にはバックステージでZERO1の夏男こと「火祭り」王者の崔領二から“夏男決定戦”を要求され、すぐさま「いつでもやってやる」と呼応した。 デビュー13年目のレスラー人生を物語るかのようなG1だった。開幕2連敗から大どんでん返しで栄冠をつかみとった。新日プロに入って初めて最強の称号を得た暴走コングは柄にもなく感慨にふけった。 「俺は入門したとき、高田延彦からベルト獲ってヒーローだった橋本真也に憧れたよ。武藤でも、蝶野でもねぇ、橋本なんだよ。アノ人に食らわされたこともあるけど、早くあの位置に行きてぇと思ってやってきた。まあ俺が付き人やってたアノ人(佐々木健介)も一緒。でも次IWGP獲ったら並ぶ。いまの俺の夢は先人たちを追い抜くことだ」 36歳の遅咲きだが、なかなか芽が出なくとも決して腐らず、歯を食いしばって突っ走ってきた13年が、この夏ようやく実った。「俺は去年、一昨年とG1であと一歩のところまで行って、ナイガイ賞も2年連続でかっさらった逸材だ。俺の時代はすぐそこだったんだから、今年はそれが結果として優勝になったまでだ」と暴走コングは胸を張った。 チャンピオンにはホロ苦い夏となった。予選リーグ最終戦では憎きZERO1田中将斗を下し、準決勝に駒を進めたIWGPヘビー級王者の棚橋弘至。 この日は永遠のライバル中邑から危険度MAXの雪崩式ランドスライド、ボマイェを食らって立ち上がれなかった。試合後は「一番負けたくない相手に負けちまった。この悔しさは絶対忘れねぇ」とポツリ。 ただ、激戦の代償は大きく、右目眼窩(がんか)底骨折を負ったことから、きょう17日に精密な検査を受けることになった。9・27神戸大会の次期防衛戦はおろか、戦線離脱や最悪の場合は王座返上も想定される事態。チャンピオンに暗雲が垂れ込めた。 ノアの杉浦が、初参戦ながらベスト4入りを果たし、内外タイムス賞に輝いた。予選リーグ最終戦では、同点で並んだディフェンディング王者・後藤洋央紀を超危険な雪崩式の五輪予選スラムで破ったが、この日の準決勝では真壁に悪戦苦闘。最後はキングコングニーを被弾して無念の3カウントを献上した。 納得のいかない結末に「何の賞かと思ったらナイガイって、まるで俺が風俗好きみてーじゃねーか。テメェ俺に恥かかせやがったな、オラァ! ナイガイ賞なんて金になんねぇ。1000万ねーのか」などと八つ当たり。
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スポーツ 2009年08月17日 15時00分
OZアカデミー 尾崎と神取 リング禍防止で共闘
16日のOZアカデミー後楽園大会で、尾崎魔弓と神取忍がハートセイバージャパンのプロバイダー認定コースをともに修了し、AEDの使用方法など基本的な心肺蘇生法を習得したことを発表。業界に心肺蘇生やAEDの講習を普及するため、互いに協力することを宣言した。 プラム麻里子さんの13回忌のこの日、安全管理の一歩を踏み出した尾崎は「私と神取さんが見本を見せたい」と2人が牽引役となって業界を引っ張っていく考えを示し、「今度は人に教える資格を取りたい」と心肺蘇生法のインストラクター資格の取得を次の目標に掲げた。 それに対し、今日が良いきっかけとなったという神取は「プラムの事故が絶対にあってはならない」とし、「自分のことは自分で守らないと」と講習の必要性を訴えた。
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スポーツ 2009年08月17日 15時00分
全日本 小島 ゾディアックを勧誘も…
16日の全日本プロレス茨城・霞ヶ浦文化体育会館で小島聡が、ゾディアックの勧誘活動を再開。ルー大柴ばりの英語でF4への参加を迫った。 以前から最凶軍団ブードゥ・マーダーズ(VM)きっての人気者ゾディアック獲得を狙っている小島。直談判するため、合間のオフを利用し渡米しようと試みたが、30日の両国大会でプロレスリング・ノア小橋建太との対戦が正式決定するなど、多忙を極めたため断念していた。 この日はKAI&大和ヒロシと組み、TARU&稔&ゾディアックと対戦。早速勧誘活動を再開した。奇襲攻撃、ロープによる絞首刑や鉄パイプでの反則攻撃に苦しんだ小島だったが、最後は右腕を振りぬき一閃。豪腕ラリアートでゾディアックを沈めた。 試合後、ゾディアックを呼び止めた小島は「そろそろマイチームに入る時が来たんじゃないのか? 一緒にトゥギャザーしようぜ。ゾディアック、ファイナルアンサー」と右手を差し出した。 再度F4入団を迫られたゾディアックだったが、共闘を拒否し、頭を抱えたまま控室へと消えていった。 またしても勧誘失敗に終わった小島だったが「なかなかディフィカルトだな。そうイージーに事は運ばない。でも。迷っているってのは脈がある証拠だから」と”ルー語”を交えつつ自信を口にしていた。
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スポーツ 2009年08月17日 15時00分
ハッスル 越中30周年記念は勝ちにこだわる
ハッスルの“ケツおやじ”こと越中詩郎が16日の「ハッスルディナー」(東京ドームホテル)で自らの30周年記念興行「ハッスル外伝やってやるって!!」(27日、後楽園ホール)について改めて意気込みを語った。 記念興行で永田裕志&獣神サンダーライガーと組み、天龍源一郎&川田利明&TAJIRIと戦う越中は「節目にこういう大会ができることに感謝している」としつつも、「体調もいい。勝ちにこだわってお祭りムードだけじゃないっていうところを見せたい」と語った。
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スポーツ 2009年08月17日 15時00分
大相撲 朝青龍 突然の団体行動のワケ
大相撲秋場所(9月13日・初日)に向けて横綱・朝青龍の周辺が、またあわただしくなってきた。もう言い訳がきかない土俵際、それも徳俵に足をかけた状態である。かつてのカリスマ横綱は一体どこに行ってしまったのか? その周辺を追跡した。 朝青龍、秋場所も大ピンチ。大相撲はいま、東北、北海道などをまわる夏巡業の真っ最中。名古屋場所で惨敗した横綱・朝青龍も巡業前日に何とか無事に再来日。意外にも成田空港に着いたその足で東京駅に向かい、みんなと一緒の相撲列車に乗り込むと巡業地に向かった。今まではなかった移動だった。 これまで朝青龍は、いつも巡業は他の力士たちと別行動。自腹を切って飛行機やマイカーで移動していた。それが今回は自分のフトコロの痛まない団体行動。同行する巡業部の親方たちの間からは「いよいよ朝青龍もフトコロが寂しくなったか」と冷ややかな声がもれたものだ。 1000万円もの賞金が入る優勝から遠ざかること、横綱になって最長ブランクの3場所。夏場所前にはタミル前夫人とも離婚し、2人の子供たちの養育費として月2000ドル(約19万円)を支払わなくていけない。いろいろな意味で、節約を強いられている。 この突然の団体行動がもたらしたものはそれだけではない。これまで朝青龍は持ち前のわがままのせいもあったが、大金をはたいて別行動することで、他の力士たちに「オレはお前たちとは違うんだ」というところを見せつけ、自分のパワーや存在感を誇示してきた。あの横綱に逆らったら、とんでもないことになるという“無言の圧力”を養ってきたのだ。それがみんなとおとなしく移動することで一気に消滅し、並みの横綱になってしまったのだ。 「金の切れ目が縁の切れ目ではないけど、周りの見る目も全然違ってくるよ。それでなくてもうまく攻めたらなんとかなる、とみんなが思い始めているところなのに。この巡業でよっぽどビシッとしたところを見せないと、秋場所も厳しいことになるよ」と大相撲関係者は話している。 巡業2日目にはエアコンを消し忘れて風邪をひいたと称して朝稽古をサボったり、翌日は久しぶりに稀勢の里や琴奨菊らと汗をかいたと思ったら、今度は右肩痛の再発を訴えるなど、いまだに改心したところが見えない。このままでは、土俵の鬼といわれた初代横綱若乃花をほうふつさせる“仏壇返し”のマスターに励むなど、新境地開拓に余念がない白鵬らとの水は開くばかりだ。 秋場所も途中で3敗でもすれば、今度は名古屋場所のように結局10勝止まりでも、“不問にふす”という甘い裁定では済まされない。世間の目もより厳しく朝青龍を糾弾することは確かで、最悪の事態に追い込まれるだろう。
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スポーツ 2009年08月17日 15時00分
全米プロ選手権・最終日 遼が16番で驚異のチップイン
男子ゴルフの全米プロ選手権は16日、米ミネソタ州チャスカのヘーゼルティン・ナショナルGC(7674ヤード、パー72)で最終ラウンドを行い、日本人史上最年少でメジャーの決勝ラウンドに進んだ石川遼は72で回り、通算8オーバーの296で大会を終えた。第3ラウンドで73だった藤田寛之は78とスコアを落とし、石川と並ぶ通算8オーバーだった。優勝は通算8アンダーのY・E・ヤン(韓国)が初V。 石川遼は8オーバーからのスタートとなった最終日。勝負パンツの赤いズボンでスタートしたが、いきなり1番でボギーを叩いてしまった。同組で回るNo.2ともいえるミケルソンから激励されたのがプレッシャーになったのか。 続いて3、4番のロングショートホールで連続ボギーとし、前途に暗雲が立ち込める11オーバーと後退してしまった。 ところが、これでくじけないのが遼の若武者らしい魅力のあるところ。7番ロングホールに入ると果敢に攻めた。3オン1パットがバーディー。そして、前半最後の9番でも風にもめげずバーディーを奪い返し前半を終えて9オーバー。そして、勝負をかける後半に突入した。 「遼がんばれ」。強風にのってウッズの声が聞こえたのか、遼が3ホールをパーでしのいだ後の15番ロングから弾けた。642ヤードの長いパー5だが、遼は確実に3オンに成功すると、グリーンのラインを読み切り「ナイス・バーディー」(ミケルソン)。 そして、圧巻だったのは16番のミドルホール。遼の打った第3打はピンを目指してまっしぐら。なんとボールは直接カップに吸い込まれた。チップ・イン・バーディーだ。ギャラリーの大歓声が響き渡る。そこにウッズがいるのかと間違えるほどの大騒ぎ。やはり17歳の若武者はスターとしての資質を兼ね備えているといえるだろう。 遂に最終ホールを迎えた。激闘を続けてきた4日間の集大成を見せる時である。第2打をバンカーに入れたが、「自信はあった」と言う通り、鮮やかにボールはピンそば30センチにピタリと寄った。またもや大勢のギャラリーが大歓声をあげる。 結果は8オーバーで終わったが胸を張れ天才少年石川遼。近い内に必ず大きな仕事をするはずだ。 石川遼の話 世界トップクラスの選手と回って、自分のゴルフができた。こういう舞台でプレーし続けたいと思った。
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スポーツ 2009年08月17日 15時00分
「メジャーリーグ極秘情報」“攻撃的捕手”マリナーズ城島 復活のカギ
城島健司は2006年、日本人メジャーリーガー25人目にして、初の捕手としてシアトル・マリナーズに入団。開幕戦からマスクを被ると、いきなりの本塁打で「世界の城島」を知らしめる鮮烈デビューを果たした。 福岡ダイエー、ソフトバンクホークス時代の城島は、とにかく型破りが持ち味だった。球種はともかく、基本的なリードは打者の内角一辺倒。しかも死球を恐れず「大体、この辺に投げればいいから」のアバウトリード。斉藤和己、新垣渚ら制球に難のある選手を見事にコントロールしたのだ。 「ハッキリ言って王監督は最後まで城島を認めていなかった。王監督の考える捕手像は森祇晶氏のスタイルで、打撃よりもリード重視。『捕手は自身の打撃を考えている暇があったら、スコアラーのところへ行け』が王監督の考え方。そこに行くと城島は『リードはそこそこ。バットを重視』のスタイルを最後まで崩さなかったのです。覚えがめでたくなる訳がありません」(ソフトバンク担当記者)。これでは王監督と交わる訳がない。 確かに城島は南海・野村克也に続く“攻撃的捕手”(打てないという訳ではなく、バッティング重視の捕手の事を指す)だけに、「日本人の誰もが城島の渡米に期待をした」(当時のダイエー担当記者)のも事実だ。 別府大付属高3年次、駒沢大入りが内定していた中、当時・ダイエーの球団社長だった根本陸夫氏(故人)が彼の十八番であった“強奪”で獲得した。 ご存じの通り「打つだけの捕手」にピッチャーの工藤公康が実践でリードたるモノを教えた、という“逸話”があるほどだ。 「実際には、試合中にそんな事をしていたら、ピッチャーもキャッチャーも気持ちが入らず、メッタ打ちを食らう。工藤の話している事はオーバーですよ。城島は若菜嘉晴コーチ(当時)に独自のリードを学び、急成長したのです。若菜コーチは現役晩年に米国留学した経験があり、城島はその話に感銘し海を渡った、といわれています」とは、ベテラン記者だ。 その独自のリードとは冒頭に記した「球種は構わず内角一辺倒」のリード。クラウン(現・西武)、阪神の正捕手時代、強肩と共に唸らせたものだ。 晴れて若菜門下生となった城島は海を渡ってもダイエー、ソフトバンク当時の内角勝負を敢行。移籍1年目は見事に成功し、持ち前の打撃も打率2割9分1厘と奮闘した。 しかし、捕手というポジション柄、避けて通れないものがある。ピッチャーとのコミュニケーションだ。「1年目は彼の突飛なリードに相手のチームどころか味方の投手も混同し、訳の分からないまま試合が進行していた。だが、相手チームに研究し始められた07年頃から、彼の打撃は上がったものの、逆にリードでチョンボするケースが目立ってきたのです」と、語るのは大リーグ通の球界OBの話だ。 投手との信頼を得ることが「言葉の壁」により出来ず、正捕手からバックアップに異動。3年目の今年は出場試合機会はほとんど無くなった。 このままでは、近日中にマリナーズから解雇通達が出ても不思議ではない。やはり、原点回帰してバッティング練習よりも捕手練習をすべき、ではないだろうか。
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