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「メジャーリーグ極秘情報」“攻撃的捕手”マリナーズ城島 復活のカギ

 城島健司は2006年、日本人メジャーリーガー25人目にして、初の捕手としてシアトル・マリナーズに入団。開幕戦からマスクを被ると、いきなりの本塁打で「世界の城島」を知らしめる鮮烈デビューを果たした。

 福岡ダイエー、ソフトバンクホークス時代の城島は、とにかく型破りが持ち味だった。球種はともかく、基本的なリードは打者の内角一辺倒。しかも死球を恐れず「大体、この辺に投げればいいから」のアバウトリード。斉藤和己、新垣渚ら制球に難のある選手を見事にコントロールしたのだ。
 「ハッキリ言って王監督は最後まで城島を認めていなかった。王監督の考える捕手像は森祇晶氏のスタイルで、打撃よりもリード重視。『捕手は自身の打撃を考えている暇があったら、スコアラーのところへ行け』が王監督の考え方。そこに行くと城島は『リードはそこそこ。バットを重視』のスタイルを最後まで崩さなかったのです。覚えがめでたくなる訳がありません」(ソフトバンク担当記者)。これでは王監督と交わる訳がない。
 確かに城島は南海・野村克也に続く“攻撃的捕手”(打てないという訳ではなく、バッティング重視の捕手の事を指す)だけに、「日本人の誰もが城島の渡米に期待をした」(当時のダイエー担当記者)のも事実だ。

 別府大付属高3年次、駒沢大入りが内定していた中、当時・ダイエーの球団社長だった根本陸夫氏(故人)が彼の十八番であった“強奪”で獲得した。
 ご存じの通り「打つだけの捕手」にピッチャーの工藤公康が実践でリードたるモノを教えた、という“逸話”があるほどだ。
 「実際には、試合中にそんな事をしていたら、ピッチャーもキャッチャーも気持ちが入らず、メッタ打ちを食らう。工藤の話している事はオーバーですよ。城島は若菜嘉晴コーチ(当時)に独自のリードを学び、急成長したのです。若菜コーチは現役晩年に米国留学した経験があり、城島はその話に感銘し海を渡った、といわれています」とは、ベテラン記者だ。
 その独自のリードとは冒頭に記した「球種は構わず内角一辺倒」のリード。クラウン(現・西武)、阪神の正捕手時代、強肩と共に唸らせたものだ。
 晴れて若菜門下生となった城島は海を渡ってもダイエー、ソフトバンク当時の内角勝負を敢行。移籍1年目は見事に成功し、持ち前の打撃も打率2割9分1厘と奮闘した。
 しかし、捕手というポジション柄、避けて通れないものがある。ピッチャーとのコミュニケーションだ。「1年目は彼の突飛なリードに相手のチームどころか味方の投手も混同し、訳の分からないまま試合が進行していた。だが、相手チームに研究し始められた07年頃から、彼の打撃は上がったものの、逆にリードでチョンボするケースが目立ってきたのです」と、語るのは大リーグ通の球界OBの話だ。
 投手との信頼を得ることが「言葉の壁」により出来ず、正捕手からバックアップに異動。3年目の今年は出場試合機会はほとんど無くなった。
 このままでは、近日中にマリナーズから解雇通達が出ても不思議ではない。やはり、原点回帰してバッティング練習よりも捕手練習をすべき、ではないだろうか。

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