スポーツ
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スポーツ 2009年08月03日 15時00分
二足のわらじ履く女子プロレスラー・華名インタビュー
プロレスラーで二足のわらじを履く場合、飲食店を経営する者が多い。その中で、女子プロレスラーの華名(フリー=27)は、珍しくデザイン会社社長の顔を持つ。元々デザインが好きで、短大のデザイン科を卒業し、広告代理店に勤務した。そこを1年半で退社して、選んだ道が180度別世界のプロレスだった。しかし、トップレスラーへの道は険しく遠く、挫折を余儀なくされた。 「プロレスを辞めてから、雑誌や新聞を見るのが嫌でしたね。特に、同期の夏樹☆たいようや渋谷シュウ、風香、ひとつ下だけど栗原あゆみの活躍している姿は見たくなかった」 プロレス界から去った華名は、デザインの仕事に戻った。フリーで様々なデザインを請負い、DTPおよび印刷業務、動画編集および作成、Web制作まで手広く仕事した。1年半のブランクを経てプロレス界に戻ったが、デザインは捨てられず、今年7月1日には、株式会社オフィス華名を立ち上げ社長に就任した。 「女子プロレスラーでも一般の会社を立ち上げて、2つともいい仕事が出来るんだということを証明したいですね」と、一睡もしていないやや充血ぎみの目で熱く語った。 試合が週1〜2回、練習は週3〜4日、あとはすべてデザイン会社の仕事で埋め尽くされる。 「一睡もしてなくても、プロレスは辞めたくない」。難波のド根性娘、華名は、今日も精いっぱい走っている。 元々、華名は吉本興業のファンで、2丁目劇場の出待ちが趣味という、お笑い芸人が大好きな“追っかけ”パワーにあふれる娘だった。芸人にはプロレスファンが多くいるため、そこから興味を持ち始めてプロレスラーになったようなものだ。 だが、皮肉にも華名がデビューした年は、2004年6月。97年に老舗で最大手の全日本女子プロレスが崩壊し、NEO、アルシオンに分裂した。その後、アルシオンが解散して、AtoZが後を受け継ぐ形で誕生。そこの生え抜きだったのが華名だ。 デビュー当時は女子プロ界暗黒時代でもあった。かつては東京ドーム、両国国技館、有明コロシアムなどへ進出した時代もあったが、全女の経営破たんと同時に、人気は急降下。 どこの会場でも客が埋まらない。華やかな時代に黄金カードを出し尽したため、どんなカードもくすんでメーンを張れるものがない。何をやっても当たらないのが、その時期だった。 それでも、華名は、07年9月にリングに戻ってきた。女子プロレスの灯火を消さない、消したくない、そんな気持ちを胸にひと皮むけた新生・華名として…。 −−今、女子プロ界が低迷してますが。 「プロレス業界自体が受け身になっちゃってますよね。もっと外を見なきゃいけないですよ。そして、もっともっと攻撃していかないと。今、女子プロの団体が増えて、様々なところで試合してますが、ファンのパイを取り合ったところで、ファンが増えないと思うんですよ。だからこそ、外を見ないとダメなんです。たとえば、プロレスとは関係なしに、メディアに出たり、発見したりしていかなきゃいけない」 −−その他に気づくことは 「私は、好きな芸人がプロレスラーファンだったので、レスラーになったんですよ。それも良し。芸人さんが武藤(敬司)さんの物まねするのも宣伝になって良し。いろいろな分野が世界にはありますよね。それを利用してプロレスを進化させたいんですよ。ネットで何かやろうとは思ってるんですけどね。ただ、気づいたのは、プロレスで止まっているもの、それは興行形態なんです」 −−入場料なども、ほとんど昔から変わらない。 「そうなんですよ。もうチマチマ稼ぐんじゃなく、大きく行きましょうよ。夢? そうですね、今、高橋奈苗さんたちとパッション・レッドというユニットを組んでるんですけど、勢いがあって楽しいんで、パッションで横浜文化体育館を満員にしたいです」 −−いつも前向きですが、失敗談はない? 「ありますよ。たとえば、コレ恥ずかしい話なんですけど、水着の股の部分が破れてて、外が白、中が赤の二重に作られてたんですけど、白が破れて赤の布が見えちゃってたんですよ。股に赤ですよ。ファンに気づかれてたんですけど、買い換えるお金もなかったんでしばらく履いてました(笑)」 −−でも、華名さんなら大丈夫。強気だもの。 「はい。攻め、攻め。狙えるなら相討ちくらいの攻撃でいきたい。これが人生であり、プロレスなんですよ」<プロフィール> 本名=浦井佳奈子。1984年9月26日生まれ。大阪府大阪市出身。160センチ、61キロ。04年6月16日、東京・後楽園ホール、玲央奈戦でデビュー。AtoZの生え抜きだったが、06年3月に慢性腎炎による体調不良で引退。07年9月に再デビュー。現在はNEO、JWP、WAVEなどに参戦している
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スポーツ 2009年08月03日 15時00分
戦極 藤田が判定に激怒 戦極を批判
「戦極〜第九陣〜」が2日、さいたまスーパーアリーナで行われた。1年2カ月ぶりのリングで判定負けを喫した藤田和之が、同マットおよびジャッジを糾弾。最悪の場合このさき戦線離脱も否定できない事態となり、北京五輪柔道金メダリスト石井慧のプロデビューで注目が集まるヘビー級戦線に不穏な影を落とすことになった。 6月に戦極とのプロ契約こそ交わしたものの、いまだデビュー戦が決まらない石井のおかげで、現在同ヘビー級戦線は注目を集めている。 その石井が登場したのは休憩明け。五輪柔道メダリスト吉田秀彦、泉浩、瀧本誠からなる戦極「柔道トップチーム(JTT)」の一員としてリングに上がり「初戦の相手でこの中に闘いたい人がいる。それは泉先輩…。ではありません!」とあいさつした。 この中にいるとすればライトヘビー級の泉やウエルター級の瀧本ではなく、同じヘビー級の吉田なのはいわずもがなのこと。同団体の國保尊弘代表によれば「相手は日本人と外国人の2、3人の中から選ぶことになるでしょう。時期は早ければ11月(7日の東京・両国国技館)、もしくは来年のニューイヤー」とのこと。現時点でデビュー戦の相手候補としてJTTの吉田、かつて石井自身が対戦を熱望した藤田、さらには戦極契約前から対戦したいとしていたジョシュ・バーネットら3選手が有力だ。 しかし、その一方でこの日はそんな石井のデビューにも影響を与えかねない事態が発生した。「戦極〜第三陣〜」のトラビス・ビューにTKO負けして以来1年2カ月ぶりに登場した藤田だ。“エメリヤー・エンコヒョードルを倒した男”ブラゴイ・アレクサンドル・イワノフと激突。序盤戦に両拳を骨折した相手を圧倒し続けるも、1Rに左右のワンツーパンチでダウンを許したのが響いてしまい、最後は判定にもつれて1-2で復帰戦を落とした。 この判定結果をめぐり藤田が怒りを爆発させたのだ。試合後「納得できない。明確にしてもらいたいね」とブチ切れ「1Rでダウンしたから、後は印象が悪いと思って攻めた。でもいくら攻めてても、人の感情が入ってくるからしょうがない」と糾弾。 さらには呆れ顔で「終わったんで結果は結果。どうしようもねぇっちゃぁどうしようもない。人が決めることだから。コレが戦極なんじゃない」と切り捨てたのだ。 もう戦極には出ないとばかりに捨てゼリフを吐いた藤田に、陣営関係者も「判定には納得してない。グラウンドコントロールしてたのは藤田。この判定は不可解」とおかんむりだ。藤田が判定に噛み付くのは珍しい。それだけに、最悪の場合このまま戦極を離脱することも考えられる。 藤田離脱となれば、吉田と藤田の日本人の大物二枚看板でやってきた戦極ヘビー級戦線にとって、大きな痛手。貴重なヘビーの駒を失うハメになるばかりか、石井のデビュー戦だって必然的に今秋以降の吉田戦が濃厚となってくる。 あくまで國保代表は藤田について「負けはしましたが、存分にファンを楽しませてくれた。もう一度上がって藤田魂を見せてほしい」としているが、今後「戦極の乱」ならぬ「藤田の乱」がいつ起こってもおかしくない。
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スポーツ 2009年08月03日 15時00分
健介オフィス 健介 気持ちのいい敗戦
2日の健介オフィス後楽園ホール大会で、佐々木健介がタッグパートナーでもあるプロレスリング・ノアの森嶋猛と一騎打ち。森嶋に初黒星を喫したものの、より絆を深めGHCタッグ獲りをブチあげた。 この日、昨年のノア日本武道館大会以来、約11カ月ぶりとなる森嶋との一騎打ちに臨んだ健介。試合開始直後から、逆水平を繰り出せば、森嶋もエルボーで応戦する一進一退の攻防戦が続く。ところが、10分過ぎ、ヒップアタックやミサイルキックなど巨体を活かした技に苦戦させられるも、ラリアート、ストラングルホールドγで追い込んだ。 ところが、北斗ボムの体勢に入ったところを圧殺されると、ジャーマン、ダイビングボディープレスで大ダメージ。最後はバックドロップで、ブン投げられ返すことが出来なかった。 試合後、互いの実力を認め合い、抱擁を交わした。健介は「今日は気持ちのいい負け方だよね。過去にハセケンとかヘルレイザーズとかタッグでトップを歩んできた自負はある。オレたちもその域まで達してると思う」と過去の名タッグチームになぞらえた。さらに「心の友、心友になってノアを暴れまわりたい」とタッグベルト獲りを視野に入れていた。◎中嶋が望月に完勝 また、中嶋勝彦はドラゴンゲートの望月成晃との一騎打ちに完勝。望月との“蹴撃タッグ”でドラゲーのタッグリーグに参戦することになった。 望月の最強ハイキック、一角蹴りなどを喰らいながらも、勝彦はジャーマン、右ハイキックで反撃。デスロールを後頭部に2発叩き込み、最後はジャーマン・スープレックス・ホールドでガッチリと3カウントを奪った。 これまで、望月と何度も抗争を繰り広げてきたが、完璧に勝利したことで終止符。試合後、望月から「ドラゴンゲートはタッグリーグが始まったばかりなんだよ。オレは最初からお前をパートナーにするつもりでいたんんだよ。よろしく頼むよ」とタッグリーグ参戦要請を受け「組んでやってみようと思います」(勝彦)と快諾。「出るからには優勝を目指していきます」と宣言していた。
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スポーツ 2009年08月03日 15時00分
MAキック 棚橋が虎“食った”
梶原一騎23回忌追悼記念興行が2日、東京・後楽園ホールで行われ、初代タイガーマスクが新日本プロレス・IWGPヘビー級王者の棚橋弘至に屈辱のギブアップ負け。初代タイガーは即刻ヘビー級への転向を示唆。リアルジャパンのマットでリベンジすることを誓った。 MAキックの興行の中で特別提供試合として行われたこの一戦。初代タイガーは新日プロの永田裕志&吉橋伸雄と初タッグを結成し、棚橋&IWGPジュニアヘビー級王者の4代目タイガーマスク&岡田かずちかと対戦した。 棚橋と初遭遇した初代タイガーはロー、ミドル、ローリングソバットなどジュニアとは思えぬ重い蹴りで悶絶させた。さらにフロント・ネックチャンスリー2連発からパイルドライバーで一気に勝負に出る。 ところがエビ固めで切り返されると、左足にドロップキック連発、ドラゴンスクリューの集中砲火を浴び一転ピンチに。最後は、テキサス・クローバー・ホールドで足を極められてそのままタップするしかなかった。 試合後、初代タイガーは「オーラがすごいですね。(技の)一発一発がひとつもふたつも上のところでやっているというイメージ」と“100年にひとりの逸材”棚橋の才能を絶賛した。 だが、もちろんこのまま黙っているわけにはいかない。「屈辱ですね。増量してIWGPヘビー級王座に挑戦します」と棚橋にいきなり宣戦布告をぶっ放した。 さらに、初代タイガーよりも怒り心頭だったのはリアルジャパン代表の平井丈雅氏だ。平井氏は怒りを抑えるように肩を震わせながら「リアルジャパンとしましてはこのまま終わるわけにはいきません。先生が信頼するパートナーを連れて絶対にリベンジします」とキッパリ。 リアルジャパンは9月11日に後楽園ホールで次回大会を予定しており、その日は新日本の興行は予定されていない。報復を誓ったレジェンド、初代タイガー。棚橋との天才対決の行方は、いかに。◎三沢光晴さん追悼セレモニーも この日の追悼興行では、故・梶原一騎さんの原作の漫画「タイガーマスク」の2代目として活躍した故・三沢光晴さんの追悼セレモニーも行われ、ノアの前相談役百田光雄氏が来場した。 梶原さんの実弟でもある真樹日佐夫氏に招待された百田氏は、三沢さんがタイガーマスク時代に使用していたというマスクを持ってリングに上がった。百田氏は「本来ならば、2代目タイガーマスク、三沢選手がこの場にいるはずですが、亡くなりました。彼が現役時代に被っていたマスクです」とあいさつ。 真樹氏、梶原氏の未亡人、高森篤子さんもリングに上がり、追悼の10カウントゴングが鳴らされ、故人を偲(しの)んだ。 なお、大麻取締法(所持)違反の疑いで5月に現行犯逮捕されたキックボクサーの我龍真吾も来場。 場内からば声や怒号が飛び交う中、我龍はファンに土下座した。「この度は本当に申し訳ございません。自分の心の弱い部分が出てしまいました。ボクには謝ることしか出来ません」とひたすらファンに謝罪。「これからの試合なり、生活態度をみてくださればわかると思います」とキックボクサーとして再起を誓っていた。
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スポーツ 2009年08月03日 15時00分
全日本プロレス 西村修が長州力に宣戦布告
全日本プロレスの西村修が2日、郡山大会で“革命戦士”長州力に8・30両国国技館大会での遺恨決着戦を要求した。 3・14両国国技館大会のタッグマッチで敗戦を喫した西村は「人類最大の憎き相手と決着をつけたいということで会社に伝えました。シングルマッチで完全決着を望んでいます。両国大会で決着をつけたい」と“出頭”を命じた。 革命戦士はこの要求にどんな反応を示すのか。
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スポーツ 2009年08月03日 15時00分
ノア 小橋が潮崎を絶賛
プロレスリング・ノアの“鉄人”小橋建太(42)が2日、東京汐留の日テレタワーB2ゼロスタ広場で行われた街頭プロレスに登場した。 試合直前まで雨が降っていたにも関わらず、1700人もの観客を動員。第4試合で小橋はKENTAとのタッグで潮崎豪&伊藤旭彦組と対峙。元&現付き人3人と同じリングに上がった。 小橋と潮崎が先発。両者は序盤からリングの内外で逆水平合戦を展開、両軍入り乱れての混戦となった。 小橋がハーフネルソン、ブレーンバスター、マシンガンチョップ、潮崎が豪腕ラリアット、ムーンサルトと得意技を披露。KENTAがgo 2 sleepで伊藤を粉砕、乱戦にピリオドを打った。 試合を終え小橋は「潮崎はチャンピオンになるだけのものは持っている。試合をやるときはキツいけど、うれしい」とまな弟子たちの成長に目を細め、「自分に喝をいれなきゃ」と熱いファイトに刺激を受けた様子だった。◎小橋と長谷川が初対面 ボクシング界とプロレス界の王者が揃い踏みだ。 街頭プロレスがあったこの日、テレビ局企画のイベントで小橋とWBC世界バンダム級王者の長谷川穂積(28)の初対面が実現した。 WBC世界スーパーバンダム級王者の西岡利晃とWBA世界スーパーフェザー級王者のホルヘ・リナレスとともに登壇した長谷川。 ボクシングとプロレス総勢8名の豪華競演の実現にファンは大興奮。リナレスが小さなゴムボールをサッカー選手のようにリフティングすれば、長谷川はミット打ち10連打、小橋はアナウンサーに逆水平と大ハッスルだ。 イベント後、小橋について長谷川は「試合は見たことないんだけど、すごいオーラを感じた」とコメント。 一方の小橋も「世界を極めた選手は違いますよ。世界チャンピオンはマイク・タイソン以来。あいさつ程度だったけど、自分のほうもそういうのを感じた」と呼応した。 トップアスリート同志感じるものがあったようだ。
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スポーツ 2009年08月03日 15時00分
新連載 メジャーリーグ極秘情報(1) ヤンキース・松井
日本人メジャーリーガー・ビッグ3の最新極秘情報をお届けする。まずは阪神VS巨人のラブコール合戦まで起きたヤンキース・松井秀喜の去就だ。 「ヤンキースにこだわらずに、他球団に移籍してでもメジャー球団で現役生活を全うして、日本球界には監督として復帰してほしい」。「メジャーではもう限界が見えている。日本球界に復帰すれば、まだまだやれる。ホームランも40本台はもちろんのこと、50本も狙える。王さんの55本超えに挑め」。松井と親しい関係者の間でも意見が真っ二つに分かれている。 共通しているのは、「4年契約の切れるヤンキースとの再契約はむずかしいだろう」ということだけだ。松井本人は再契約を目指して必死に巻き返しを図ろうとしている。しかし、「DHで出ている間は無理だろう。外野を守れるようにならないと、ヤンキースと再契約の話はできないだろう」と、松井の周辺からも悲観的な声が出ている。 ベストのヤンキース残留の選択肢が消えた瞬間から、松井は重大決意を迫られる。ヤンキース入団時の監督であり、最大の理解者ドジャース・トーリ監督、巨人時代からの恩師である巨人・長嶋茂雄終身名誉監督の2人が、去就決断のキーマンとして浮上する。メジャーの他球団でプレーするのが賢明か、日本球界復帰がベターな選択か。松井は日米の恩師の言葉に耳を傾け、最終決断することになるだろう。 だが、松井と親しい球界関係者は「トーリ監督、長嶋さんに相談するのは間違いないだろうが、一番重要なキーパーソンは夫人だろう」と言い切る。「これまで松井は夫人を公の場に一度も出したことがないほど大切にしている。そんな夫人の一言がすべてを決めるのではないか」と見ているのだ。 確かにマスコミから徹底的に隔離する、松井の夫人に対する異様なガードの堅さからしたら、うなずける話だ。プロ野球界では珍しい話ではない。「イチローがポスティングでマリナーズ入りした際にも、本人よりも夫人のメジャー志向の方が強く、イチローは背中を押された格好だった。松坂にもそういう傾向があった」。日本人メジャーリーガー担当記者はこう明かす。 松井の場合はイチロー、松坂と違い、ヤンキース入りしてから結婚しているが、夫人の占めるウエートの重さは変わらないだろう。となると、日本球界復帰へのネックになる可能性がある。夫人を厳重ガードしてマスコミからシャットアウトできるのは、プライバシーを最優先させる米国だからこそとも言える。日本に帰ってくれば、四六時中、写真週刊誌などが張り付き、松井夫人を追いかけるのは必至。 「いや、問題をクリアできるケースがある」というのは、メジャーリーグに精通している日本の球界関係者だ。「ヤンキースがワールドチャンピオンになってパレードをやれば、夫人同伴が決まりのメジャーだから、松井夫人のお披露目の場になる。一度公式デビューしてしまえば、日本球界に復帰しても、カメラマンに追われることはないだろう」と。 「日本球界に復帰するのなら、天然芝の甲子園を本拠地にする阪神へぜひ」と、フロント首脳がいち早くラブコール。「ありがたい話です」と松井から感謝された阪神は、ヤンキースのワールドチャンピオンを祈願する必要があるかもしれない。
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スポーツ 2009年08月01日 15時00分
武藤支える仕掛け人 内田雅之全日本取締役インタビュー
1972年に旗揚げされた老舗団体の全日本プロレス。2002年に武藤敬司が新社長に就任してからはF-1タッグ選手権、台湾進出などの独自路線で着実に新規ファンを開拓してきた。武藤とともに“二人三脚”で全日本プロの屋台骨を支えてきた男、内田雅之取締役に迫った。 −−全日本に入社するきっかけは。 「もともと武藤敬司と友人で、武藤さんが社長になって(経営が)しんどい時期があったので、友人として相談を受けたり協力していた。2004年に東京に定住することになり、『一緒にやろうよ』と言われたので、割と軽い気持ちで了解した」 −−武藤社長のどんな点に魅力を感じたのか。 「お互いになんとなく波長が合うし、武藤さんが社長だったら一緒にやってもいいなと思った。発想のすべてが面白いし、苦労していた時も第一線でレスラーとしてやっていた。その精神力はすごい」 −−経営に携わることになった当時の全日本の印象は。 「初めてのエンターテインメントの世界で、オレは外様だったから簡単には受け入れられないと思っていた。でも、武藤敬司の後ろ盾があったから経営もやりやすかった。絶対的に1人じゃ出来ないから。自分がやったのは、普通の会社経営と一緒で、経費の見直し。一般の会社のルールを適用させただけ」 −−武藤体制になってセクシー女優、お笑い芸人など、様々な業界とコラボレーションも試みているが。 「ウチは地上波放送がないから、世間の認知度を上げるためにプロモーションをたくさんやりたかった。そのためにはプロレスファンだけじゃなく、他のファンも取り込まないといけない。ファン層を増やすためにはどうしたらいいかを考えたときに、違うファン層を持ったところとコラボするのは絶対的に優位になると思った。コラボはウチの専売特許。いい試合を見せることによってウチのファンになるかもしれない。それに、座長(武藤社長)の頭が柔らかいから。アイデアっていうのは逆境で生まれる」 −−去年から台湾に進出して、今年は支局も設立した。 「今年も台湾興行をやる方向で動いている。着実に進化している。台湾で興行をやっているのは、中国に本格的に進出する大きな布石になるマーケットとして考えている」 −−今後アジア進出のために必要なことは。 「プロレスをたくさん流すこと。映像として見せなきゃダメ。まずは今年2年目の台湾。3年連続でやれなかったら意味がない。3年連続で出来たら、地盤も固まってきたようなもの」 −−今、プロレス界に改めて注目が集まっているが。 「三沢光晴さんが亡くなって思ったのは、お別れ会であれだけの人数(2万6000人)が献花に訪れたのを見たら、プロレスってすごいなって思うよ。痛ましい事故だったけど、守らなきゃいけない、無くしちゃいけないってのはすごく感じた」 −−今後の全日本の将来設計は。 「いいタイミングで世代交代したいよ。オレの理想は、次の若いヤツが出てきたほうがいいと思っている。小島(聡)、カズ(・ハヤシ)、諏訪魔とかいっぱいいる。こいつらが『オレがやりますよ』って言えるような環境を作ってやりたい」◎コラボの極致F-1タッグ 武藤体制にシフト後、独自路線を突き進んできた全日プロ。その最たる例がコラボレーション企画だろう。内田取締役が“専売特許”と語るように、これまで全日プロはセクシー女優、アイドルなどと合体。その中でも、F(FAKE)-1タッグ選手権はブランドとして確立した。 F-1タッグは、お笑い芸人とプロレスラーがタッグを組み、リング上で対決するタイトルマッチ。ファン感謝デーや武藤祭など年に2、3回行われ、会場は常に満員となる。プロレスの技術はもちろん、モノマネという普段は見られないプロレスラーの一面を見られるのも人気の秘密だ。 過去には、ダチョウ倶楽部の上島竜兵やはなわらが挑戦したが、現在V7中の“絶対王者コンビ”武藤&神奈月のW武藤組の牙城を崩せず。王者組は昨年大みそかにはW武藤としてゴールデンタイムにも進出し、勢いはとどまることを知らない。 「まだまだやりたい企画はいっぱいある」と内田取締役。その飽くなきチャレンジスピリットが武藤全日本をここまで支えている。
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スポーツ 2009年08月01日 15時00分
戦極 “ヒョードルを破った男”イワノフが初来日
「戦極〜第九陣〜」(2日、さいたまスーパーアリーナ)のヘビー級ワンマッチで藤田和之と対戦する“ヒョードルを破った男”ブラゴイ・アレクサンドル・イワノフが31日、都内のホテルで記者会見した。 サンボのブルガリア選手権を7連覇、そしてあのヒョードルをサンボとはいえ倒した実績を引っさげての初来日した同選手。 「藤田選手のビデオはだいたい観ました。弱点も分かっています」としっかりと藤田対策をしたことを明かし「サンボを知らないのは有利。しっかり勝ちます」と勝利宣言した。
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スポーツ 2009年08月01日 15時00分
ノア 丸藤 三沢追悼興行 裏の大仕掛け
プロレスリング・ノアの丸藤正道副社長が今秋予定している三沢光晴さん追悼興行(9・27日本武道館、10・3大阪府立体育会館)の“黒子役”に名乗りをあげた。現在ケガで欠場中のため、試合に出場することは難しいが、他団体選手の招へいなどのバックアップに尽力するという。 追悼大会はこれまでの三沢さんの偉大な功績を称え東京と大阪で開催されるが、田上明社長は、追悼興行の参戦選手について「昔から馴染(なじみ)のある選手には声をかけている。(川田利明選手?)視野に入っている」と旧全日本勢などにラブコールを送っていることを明かした。 さらに「マッチメークに関しても一生懸命考えている。成功させたい」と2カ月後に迫った興行に向けて突き進むことを誓った。 そんな田上社長に援軍が現れた。副社長の丸藤だ。丸藤は現在、右ひざ前十字じん帯断裂からの戦線復帰を目指している。本来であれば自身が試合をして貢献したいところだが、それまでに復帰することは難しいという。 丸藤は「マッチメークであったり、誰が参戦するとか。他団体の選手にも協力してもらいたいからオファーを出している」と裏方として援護射撃することを決意。早速、追悼興行に向けて独自の案を打ち出した。 「東京に出る人間、大阪に出る人間と2大会で出る選手を分けた方がいいと思う。もちろん両方に出る選手もいる」。今回は東西の興行で選手を入れ替えるというのだ。 1人でも多くのファンに三沢さんが作り上げてきたものを見て欲しい。その思いから「三沢さんはノアの象徴でもあり、プロレス界全体の象徴でもあった。1つの大会では収まり切らない。2大会とも見て欲しいぐらいの気持ちなんで。東京から大阪の最初から最後まで、三沢光晴追悼興行にしたい」(丸藤)と他団体も含め選手を分ける理由を明かした。 仮に、複数の団体から選手が参戦することになった場合、10・3大阪大会の日は新日本プロレス、全日本プロレスともに興行の予定はない。それだけに、メジャー3団体揃い踏みという可能性も十分考えられる。 三沢さんの後継者として、副社長として丸藤は全力でサポートする。
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