しかし、その黒田に先日、大変な事態が起こった。15日のダイヤモンドバックス戦で打球を頭部に受け病院直行に。幸い大事には至らなかったが、今後に影響は残りそうだ。
それにしても5勝目を挙げた試合ではチームの連敗ストッパー役を務め、「チームの出血を止め、生き返らせてくれた」とジョー・トーリ監督が絶賛。黒田にとってもトーリ監督の存在は何よりも心強いだろう。
トーリ監督は昨年まではニューヨーク・ヤンキースの監督として、誰よりも松井秀喜を理解、支えてきた。現在、松井が来季残留をかけて日々苦闘しているのはケガのためだけではない。最大の理解者であったトーリ監督の解任も大きなダメージになっている。
黒田にとっては逆に幸運だった。松井を通じて日本人プレーヤーの理解者になったトーリ監督が温かく見守ってくれているからだ。入団1年目の昨年、9勝10敗、防御率3・73と黒田本人も今ひとつ満足できない成績だったろうが、トーリ監督は1シーズン通してローテーションを守った実績を評価した。
今季も決してほめられた成績ではない。しかし、トーリ監督からチームの連敗ストッパー役として称賛されれば、悪い気はしないだろう。相次ぐ主力の故障に対して黒田は「僕もケガをしていた。周りの元気な選手でカバーしたい」と一致団結発言。さらには、「自分の成績は考えず、がむしゃらにチームのために投げたい」と宣言する。
メジャー球団の中には日本人嫌いを露骨に示す監督もいる。そんな監督の下では滅私奉公宣言などできないだろう。広島からFAする際の2年越しの騒動もムダではなかったことになる。
2007年にFA権を取得した当初は、もともと阪神ファンであること、大阪在住の病床の父親の世話をするためにも阪神移籍は間違いないと思われていた。広島球団、ファンの必死の残留コールにほだされてFAの権利行使を1年先送りにした時には、「ウソやろ」と岡田彰布監督(当時)が思わずつぶやいたといわれ、阪神サイドは茫然自失としたほどだ。
しかも、「1年後にFA宣言する場合は、メジャー移籍する時だけ」という、全く予期せぬ最終決断だった。これには、広島の4番だった金本が一足先に阪神入りしている上、エースの自分までが移籍してしまってはという、黒田の男気があったといわれている。当初はウワサされていなかったメジャー入りが急浮上した裏には、今時珍しい義理人情があったのだ。
結果は大正解だっただろう。広島は入団した97年に3位になっただけで、後は10年連続Bクラス。「なんとか自分の力で広島を優勝させたい」という黒田の悲願はかなわなかったが、ドジャース移籍1年目にナショナル・リーグ西地区優勝という美酒を味わっているからだ。今季も首位に立ち、地区連覇、プレーオフの夢が広がっている。
古巣・広島はといえば、今季もAクラス入りが絶望的で、13年連続のBクラスは決定的になっている。移籍が既定路線視されていた阪神も、岡田監督が引責辞任。真弓監督に代わった今季も開幕からいいところなしのBクラスが確定的だ。黒田の選択はベストだった。