スポーツ
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スポーツ 2011年07月15日 15時30分
甲子園ダークサイト情報2011年版(3) 父母会とのお付き合いも大変だ…
近年、試合中の“負傷退場者”も目立ち始めた。熱中症である。どの学校の指導者も深刻に受け止め、万全を期して大会に臨もうとしているが、『食の細さ』も改めて指摘されるようになった。 「家庭で調理した弁当を持たせてほしいと、父母たちにお願いしました」 これは、30代後半の私立高校監督の話だ。 栄養のバランスや食中毒のことを考えれば、各家庭で調理したお手製弁当の方が良いに決まっている。しかし、この高校の場合、手弁当はむしろ逆効果であり、父母会の分裂騒動まで巻き起こしてしまった。 日曜日の練習試合でのこと。同監督は部員たちの弁当を覗いてみた。 「だから、部員たちはメシを残すのか…」 食事の量、栄養のバランス、メニューには全く問題ない。しかし、この暑さである。父母たちは弁当がいたむのを恐れ、オカズに揚げ物や炒めものなどを入れていた。部員たちは脂っこさに滅入ってしまい、食が進まなかったのだ。 学校にも相談した。結果、4年前に勇退した前任監督が父母会に要請していた『焚き出し』を復活させることになった。 「ワタシが前任監督の下でコーチをし、監督に上がる際、父母会から『焚き出し当番は負担だ』との相談があり、取り止めになったんです。ワタシ個人も焚き出しをやって、そのために土・日曜日に父母会を招集するのは気が引けましたし、監督の自己満足にすぎないと思っていましたので…」 父母会にも改めて相談し、土・日曜日の焚き出しが復活した。月1回か2回、ローテーション制で父母たちに学校に来てもらい、冷しうどん、パスタ、牛丼などの主食と、サラダ、豚汁などを作ってもらった。その場で食材を切り刻み、出来上がってすぐ食べるのだから、食中毒の心配はない。少しだが、部員たちの食べる量も増えたようだ。父母たちは部員たちの水分補給にも気を配ってくれた。同監督はそれなりの効果を実感していたが、『新たな難題』が舞い込んできた。 「焚き出しに来ない父母がいる…」 熱心な親御さんにすれば、仕事などを理由に当番をサボる一部の父母には腹が立つ。欠席が多い日は「臨時の参加協力者」を探さなければならない。欠席の連絡が入る度に父母会の役員は「急で申し訳ありませんが、明日何とかなりませんか?」と、他の親御さんに電話をする。責任感で電話をした親御さんが恨まれるときもある。また、焚き出しに出られない側にも言い分はある…。 同監督は“臨時措置”として、自分の奥さんや女性教諭にも協力を仰ぎ、1年目を凌いだが、2年目からは仕出し弁当を注文することにした。 「あの監督がしっかりしないから、こんなことになったんだ」 父母会の亀裂は焚き出しがなくなっても修復されなかった。冷たい目線を感じるようになった。父母会の分裂は監督のせいと言わんばかりだ。全ては部員たちの栄養、食の細さを改善するためだったのに…。 高校野球の監督とは、図太いくらいの打たれ強さがなければやっていけない職業なのかもしれない。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2011年07月15日 15時30分
西田隆維のマラソン見聞録 第4話「スポーツ選手活用体力向上事業」
7月7日、日本体育協会が文科省より委託を受け実施される「平成23年度スポーツ選手活用体力向上事業」陸上教室の講師として岩手県岩泉町の小川(こがわ)中学校へ。当日は早い時間からの授業だったので前日より現地に入り、日本の三大鍾乳洞のひとつ【龍泉洞】へ行った。 湧水をそのまま飲めるほど水がとてもキレイで、鍾乳洞の名とその水の透明度から『ドラゴンブルー』と呼ばれているそうだ。国の天然記念物に指定されるように、とても素晴らしい鍾乳洞なので是非一度は足を運んでいただきたい場所でもある。 小川中学校は全校生徒63名。数人は見学であったが、ほぼ全員がこの授業に参加した。スポーツクラブやサークルでは、ある程度やる気や知識もあるが、全校生ともなると運動の嫌いな子や苦手な子もいるので、どのようにしたら興味を持ってもらえるのか? というのが、まず第一の課題だ。マラソンはわかっているようで、わかっていないことが多い。ムダな情報ばかりが目立ち、型にはまることにこだわって楽しめないのではないか…と感じていた。 まずは20分間の講話。「記録を出したりする選手はカッコよく見えるけど、その陰では小さな努力の積み重ねがある。自分はマラソン選手としてオリンピックを目標としてきたが結果的には叶わなかった。しかし、ほかの道でその努力や、がんばりは生かされているので、投げ出さないことが大切なのだと──」そう話す私を生徒たちは食い入るように見つめている。純粋、無垢──。そんな言葉を感じさせられた。 次の実技では、誰にでもできるトレーニングから始めた。おしゃべりできるくらいのペース(市民ランナー用語にすれば“ニコニコペース”)での走り5分→歩き5分。その後10分軽く走って、短い距離のウィングスプリント(ダッシュの7〜8割の速さ)2本。少し休んで、ウィングスプリント90秒間→おしゃべりできるペースで90秒間。このような段階を踏んだトレーニングによってムリすることなく走れる状態になる。何だかゆるいメニュー…。マラソンらしからぬやり方と思われるかもしれないが、重要なのはペース配分。わかりやすい基準を示してあげながら、まずは『スポーツ=楽しい』と感じてもらえることが先決だ。 彼らからは思っていた以上に、吸収しようとする力を感じた。私の伝えたいこと、やってほしいことを察し、期待をはるかに超え「とりあえずトライしてみよう!」という前向きな意思を感じた。大人になるとつい色々と面倒になったり、おろそかになったりするが、彼らのハツラツとした笑顔と、まっすぐな瞳に忘れかけていた大切なことを教わったような気がした。<プロフィール>西田隆維【にしだ たかゆき】1977年4月26日生 180センチ 60.5キロ陸上長距離選手として駒澤大→エスビー食品→JALグランドサービスで活躍。駒大時代は4年連続「箱根駅伝」に出場、4年時の00年には9区で区間新を樹立。駒大初優勝に大きく貢献する。01年、別府大分毎日マラソンで優勝、同年開催された『エドモントン世界陸上』日本代表に選出される(結果は9位)。09年2月、現役を引退、俳優に転向する。
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スポーツ 2011年07月14日 15時30分
甲子園ダークサイト情報2011年版(2) OBをグラウンドに入れるな!
高校野球において、「絶対に勝てない学校」には1つの傾向が見られるという。それは優れた指導者を招聘し、プロ野球スカウトが日参するような逸材がいたとしても、打破できないそうだ。OBが現場関与してくる学校は負ける−−。そんな傾向もあるそうだ。 OBが現場関与とは、「指導者(コーチ)を気取ってノックをしたり、部員たちを教えること」だ。 関東圏の公立高校の話。その高校は公立ながら、「スポーツで頑張りたい受験生」を“応援する”自己推薦のような入学システムも新たに設けた。同校の野球部は1回戦負けが10年以上も続いたが、「野球部の指導に熱心な教諭が市内中学校(公立)にいる」と聞き、引き抜いたのである。 期待感のようなものは市内にも広がっていった。スポーツ自己推薦制度(仮称)はその流れによるもので、野球部員も一気に70人前後にまで膨れ上がった。学校側は監督の下に3名のコーチ(教諭、学校職員)も置き、応援体制を整えたが、人手が足らない。それが、OBの現場関与に拍車を掛けてしまったのだ。 「最初はノックの手伝いとかやってくれて。ありがたいと思った時期もありましたが」(学校関係者) OBは監督かコーチにでもなった気でいたのだろうか。平日にも顔を出すようになり、監督を差し置いて練習内容を指示するときもあった。彼らは『教員』ではない。この野球部の卒業生ではあるが、招聘した監督(教諭)のように大学や社会人など「さらに上のレベル」で野球をやったわけではない。技術面での指導には限界があり、彼らは根性論しか言えなくなった。 「公立校とは思えないほど部員数も集まったので、ベスト16とか、ベスト8に進出できるだけの地力は付いてきました。そういう上り調子にある野球部のOBだということ、現在もグラウンドに行って指導しているというのが、OBたちのステータスになっていました」(学校関係者) 部員たちも内心、「平日の夕方に来るなんて、本当に仕事しているのか?」と小馬鹿にしていたが、OBは1人から2人、2人から3人へと増えて行き、土日曜日の練習はまるで『OBたちの同窓会』のような雰囲気になってしまった。 「1年生部員、女子マネージャーはOBたちにも気を遣わなければなりません。練習試合ともなれば、OBたちがネット裏でいろいろ言うわけですよ」(前出・同) OB会組織の権限、行き過ぎた関与と言えば、こんな話も聞いたことがある。 「T県で一時代を築いた商業高校は監督を交代させました。成績が上がらなかったのも事実ですが、監督交代を強く訴えたのはOB会組織です。後任は卒業生から選ばざるを得ませんでした」 公立高校の話に戻そう。同校監督がこう嘆いていた。 「私はこの学校のOBではないので、OBたちとは協力体制を構築したいと思っていました。ワタシの采配を批判するだけなら我慢できますが…」 OBたちはこうも言っているそうだ。「あの監督(教諭)は5、6年で異動になるが、自分たちは伝統ある野球部を見守る義務がある」−−。公立高校の教諭だから、異動は仕方ない。しかし、学校がOBによる部活動指導を黙認するのは、やはりおかしいのではないだろうか。 「学校は地元の評判を落とすのが怖いんですよ。指導熱心な監督が来て、徐々にですが、県大会の成績も上がっています。地元に後援会組織のようなものもできつつあり、野球部の卒業生のなかには地元出身者も少なくありません。卒業生を排除したとなれば、後援会組織の今後にも影響しかねません」(前出・同) 同監督はこの公立高校から勧誘されたとき、同じ県内で高校監督を務めている大学野球部の先輩に相談した。その先輩は賛成してくれたが、「オマエはその高校の卒業生ではないのだから、覚悟しろ」とも注意された。どの高校でも多かれ少なかれ、OBの関与はある。だが、卒業生ではない教諭が監督を務めるとき、彼らは「余所者」として敵視するという。 どの高校にもOB会組織のようなものはある。だが、強豪と称される有名校、チャンスを掴んだ初出場校などを取材すると、彼らは応援や差し入れこそするが、グラウンドには絶対に降りて来ない。 同監督も指示系統を自分に一本化させるためにも、OBたちに「来るな!」とはっきり伝えるべきである。 彼らの愛校心は百歩譲って認めるとしても、ちょっと聞いてみたい。野球部の伝統って何なのか?(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2011年07月14日 08時00分
闘将・星野の檄が逆効果にしかならない理由は…
球宴目前−−。ペナントレースは折り返し地点に突入しつつある。パ・リーグの戦況だが、福岡ソフトバンクと北海道日本ハムが僅差での首位戦線を争い、4位・千葉ロッテ以下が大きく引き離されてしまった。 Bクラスの千葉ロッテ、楽天、西武の下位3チームだが、後半戦も厳しい試合が続きそうなのは楽天だろう。エース・岩隈の復帰は時間の問題だが、首位・ソフトバンクとの『差』は戦力層だけではない。首脳陣と選手の距離感、信頼関係にも大きな違いがある。 昨今の星野仙一・楽天監督(64)は、試合後に目を釣り上げてばかりだ。 チームが不甲斐ない負け方をしているのだから止むを得ないが、その怒声は楽天ナインを萎縮させている。7月11日(対日本ハム)、今季3度目となるサヨナラ負けを喫した際、移動のバスに乗り込み、座席に腰を下ろすなり、「くそっー!」と叫んだ。コーチ、選手たちは凍てついた。試合でミスをした何人かの選手は罪悪感にも苛まれたはずだ。 しかし、星野監督は「中日時代から期待している選手にしか怒らない」という。「怒られたのは期待の裏返し」と教え子たちは感じ、今、星野監督のもとでコーチとなって、『怒声の真意』を必死に伝えている。 「選手を怒る(=叱る)」ことがいちばん難しい…。 今春のキャンプ取材中、他球団ではあるが、「選手を叱るエピソード」を教えられた。東京ヤクルトスワローズの畠山和洋外野手(28)が小川淳司監督(53)に叱られたそうだ。外野手練習中、背面キャッチなどで遊んでいたのを見て、同監督はかなり厳しい口調で怒ったという。だが、過日、畠山を直接呼び寄せ、「期待している選手にしか叱らない」と伝えている。規定打席未到達ながら3割を放った。今季は中核打者として存在感を増したのは、期待の大きさを知ったからである。 小川監督は長く二軍指揮官も務めており、当然、選手の性格も熟知している。信頼関係がなければ、「怒る行為」は逆効果なのである。星野監督が楽天ナインの性格を完全には掌握していない。首位・福岡ソフトバンクの秋山幸二監督(49)も、キャンプ中は率先して外野守備練習に参加するなど、選手とのコミュニケーションをはかっていた。期待している選手にしか叱らないのはどの監督も同じでも、その前段階には『大きな差』があるようだ。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2011年07月13日 11時45分
2011年甲子園 群雄割拠の夏 栄冠を掴むのは誰だ…
7月12日、高校野球千葉県大会。暑さも忘れさせるような大熱戦が繰り広げられた。専大松戸対千葉明徳(市原市臨海球技場/第1試合)の一戦だ。この試合は「2回戦屈指の好カード」「プロ注目の好投手の投げ合い」とあって、収容人数約1000人の小さな地方球場は試合開始と同時にほぼ満員となった。 専大松戸・上沢直、千葉明徳・鈴木康平(ともに3年生)の両投手は、ともに前評判以上の好投手だった。 両投手とも右のオーバーハンド、手元で浮き上がってくるストレートが武器で、上沢投手はコントロール抜群のスライダーとカーブを、鈴木投手は左打者の膝元にも決め込むスライダー系の変化球も持ち球にしていた。結果は6対6で引き分け再試合…。通常、高校野球では延長戦は15回まで行われるが、千葉県には『特別規定』がある。 「1日3試合が予定され、その試合が同日の最終試合でない場合は、3時間30分を経過した時点で新しいイニングに入らない」というもの。両校陣営とも戸惑ったとし、批判的な速報記事もあったが、むしろ両校の球児たちは救われたのではないだろうか。 炎天下で上沢投手は10回を、鈴木投手は11回を投げている。当然、両投手の体力的・精神的疲労は並大抵ではない。また、試合終盤、熱中症のような症状を見せ、途中交代した選手もいた。臨時代走も使われ、背番号9をつけた選手が内野にも入った。暑さに集中力を奪われたため、考えられないようなミスも出た。足の痛みを訴え、仲間の肩を借りてベンチに下がる選手もいた。まさに消耗戦であり、『特別規定』がなければ、負傷者はもっと増えていただろう。 試合は千葉明徳が先制し、専大松戸が同点に追い付き、逆転に成功。9回表に千葉明徳が二死から再逆転したが、その裏に再び同点に追い付かれた。10回表・裏の攻防も見応えがあり、同点に追い付かれるということは、サヨナラ負けの窮地が続くわけだ。観戦者は暑さを忘れ、そんな緊迫したプレーの連続に引き込まれていった。前評判以上の好ゲームが繰り広げられたのは、好投手の存在だけではない。ともに鍛え抜かれた守備のチームであり、失策が出た直後でも、笑顔で次プレーに向かおうとする団結力が見られた。 結束力の強いチームは、試合を重ねながら強くなっていく−−。 これは、上位進出に成功した高校でよく聞かれる言葉だ。両校にはその可能性がある。これ以上の負傷者を出さないため、球児の集中力を奪わないためにも…。『特別規定』が両校の明日を守ったと言えるのではないだろうか。(スポーツライター・美山和也)
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スポーツ 2011年07月11日 15時30分
東京で一番暑い場所。真夏の歌舞伎町にたちのぼった入道雲!! 地下プロレス『EXIT-79 CORE:Y』に波乱の一揆勃発!!
今まで、何度ブチのめされてきたであろうか…。 “求道妖怪”入道が、師・夢路から初勝利を挙げた記念すべき瞬間は、東京で一番暑い場所で訪れた。 毎年恒例となりつつある灼熱地獄、真夏のCORE STADIUM。歌舞伎町ラブホテル街の地下に、ひっそりと身を隠すようにたたずむ地下戦士養成所は、日々ストイックな特訓により選手たちが体を鍛え上げる場所。 「そんな所にエアコンなんてとんでもない。意味がない。考えられない!!」と、声を荒げるのは新宿ジム代表、“歌舞伎町の不死鳥”RIKIYA。 加えて壁、天井をすべて黒いペンキで塗り尽くした狂気の漆黒密室は、殺人級の保温能力をもつ空間なのである。 さらに、その地獄に続々と集まってくる地下闘士たちの異常な熱気。特に、地下組織の本拠地・フランスより今回招集メールを受け取った参戦選手たちは、誰をとっても肉厚系。平均体重95キロの男たちが奏でた格闘狂想曲は、フィリピンからの指名演武人J.S.Ramisの「ダラブッカ」なる膜鳴楽器の波動音により幕を開けた。 第1試合、夢路&小笠原組と高岩&入道組の一戦。重厚なレスリングを展開する夢路と高岩に、ますます絶好調の驚異の51歳・小笠原和彦の蹴り技。そんな中に入って入道は、激情的に一直線に攻め込み、夢路の頭突きと関節複合技に潰された。今まで地下の激闘史の中で幾度となく繰り返された地獄絵図である。 Ishtariaのベリーダンスを挟み第2試合がリングアナウンサーのミスター雁之助から発表されると、場内はザワついた。それは、第一試合とまったく同じカードだったのだ。そしてまたしても入道は、夢路の“世界一”の頭突きに豪快にKOされた。 さらにJ.S.Ramisのダラブッカ演奏を挟んだ第三試合も、またしても同じカード。異様な興奮が場内を包む中、口から血を垂らし、目がうつろな入道はなおも突進を繰り返す。ある意味、必要以上に“ものわかり”と“あきらめ”が悪い入道の奮闘に、パートナー高岩も強烈すぎる援護射撃。豪腕ラリアットで夢路をとらえ、必殺のデスバレーボムをCORE STADIUMの薄いマットで炸裂させてから入道に繋ぐ。入道はここぞとばかりに得意のセントーン。しかし夢路も“バンプマン”の意地を見せつけ受けきって、なお死なず。そして変化をつけた“地を這う頭突き”の連打で反撃に転ずる夢路。苦闘の中でひらりとよけた入道の巨体は、自らの自信技「キャメルクラッチ」の体勢に入っていた。 これがガッチリと決まり、腰に爆弾を抱える夢路がたまらずタップ! この瞬間、地下の客席が、なんともいえない喜びの歓声に包まれた。それはいつ来るやも知れなかった入道の“成長”の瞬間だった。 何度も客席に向かって勝利の雄叫びを挙げる入道。空がないはずの地下に力強く“入道雲”が立ちのぼった。 メインイベントでは若き阿吽王者・竹嶋に、“JAPANEASE OSYO”の異名をタイ地下プロレスに響かせ大ブレイクした日龍が挑戦。前回の対戦では竹嶋にブチ切れ“キラー和尚”の一面を覗かせた格闘僧侶の、満を持した挑戦だ。一方、竹嶋はパートナーの矢野が今月に入って「消息を断つ」という非常事態の中での防衛戦。矢野のいない間、一人で阿の帯を守り続けることができなければ“兄弟タッグ”とまでいわれた矢野とのチームを解消しなければいけなくなる。ここは、なんとしてでも守りきり矢野の行方を探しあてなければと、竹嶋は使命感に燃えた。 試合はレスリングをベースにした竹嶋と、柔道をベースにした日龍の息詰るグラウンド合戦に終始した。三州ツバ吉と長きに渡り防衛を重ね、梅沢菊次郎とは“肉弾坊主コンビ”で猛威を震った前王者・日龍の阿吽の帯に対する思い入れは強い。竹嶋はそれを一瞬の片羽締めで断ち切って、防衛を果たした。 奇しくもコアスタジアムでシゴかれ、しのぎを削り合い、成長を重ねた二人。入道と竹嶋が勝者として輝いた真夏の夜の地下だった。そして全試合終了後の計量で、6選手が合計12kgもの減量を達成していたという結果にも驚きだ。 全試合結果は以下の通り。◆地下プロレス『EXIT-79 CORE:Y』2011年7月10日(日)開始:18:00会場:東京・新宿歌舞伎町「CORE STADIUM」<第1試合>○富豪2夢路、小笠原和彦(13分28秒 コブラツイスト)高岩竜一、●入道<第2試合>○富豪2夢路、小笠原和彦(4分48秒 KO)高岩竜一、●入道 ※頭突き<第3試合>高岩竜一、○入道(7分32秒キャメルクラッチ)●富豪2夢路、小笠原和彦<メインイベント 地下日本阿吽選手権>[王者]○竹嶋健史(11分14秒 片羽締め)[挑戦者]●日龍※竹嶋が保持する「阿の帯」が懸けられる。※竹嶋が阿の帯防衛に成功。※試合はすべて時間無制限一本勝負。KO、ギブアップのみで決着。地下プロレスtwitterhttp://twitter.com/Chika_Wrestling地下プロレス データベースhttp://www43.atwiki.jp/wuw-exit/梶原劇画で伝承された「地下プロレス」が、この日本に存在した! 闇の闘いを伝える『EXIT』とは何か!?http://npn.co.jp/article/detail/97320773/“三冠王者”紅闘志也凱旋、新・阿吽王者に矢野啓太&竹嶋健史… 6・12 地下プロレス『EXIT-77 CORE:X』http://npn.co.jp/article/detail/48536560/果てしなく続く「入道 vs 竹嶋」 …地下の聖地CORE STADIUMに、また新たな伝説が加わったhttp://npn.co.jp/article/detail/67554880/
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スポーツ 2011年07月11日 15時30分
『群馬のチャップマン』がトラのブルペンを変える!?
阪神は育成枠の好投手、ロバート・ザラテ(24=左投左打)を支配下登録する予定だという。ザラテが一軍で結果を出せば、外国人選手の獲得の仕方も変わってくるのではないだろうか。 ザラテはBCリーグ・群馬ダイヤモンドペガサスに在籍していた。昨年、彼が登板する試合を何回か観たが、「本当に外国人か!?」というのが第一印象だった。ストレートは見応えがあった。「群馬のチャップマン」(第2回WBCキューバ代表投手/現レッズ)と称されるほど速く、コントロールも悪くない。速球派の外国人投手は四球で自滅するタイプも多いが、「本当に外国人投手か!?」と思った理由は、そのことではない。クイックや牽制、一塁へのベースカバーなどの細かいプレーが巧く、「ベネズエラ出身、米ルーキーリーグ、1A経由」の経歴を疑いたくなるほどだった。 当然、スタンドには各球団のスカウトが頻繁に顔を出していた。彼らは「群馬の高校野球を見たついでに」「明日、新潟なんだけど…」と話していた。高校球児のスカウティングのついでに足を伸ばしたのだろう。 スカウトが直接見て、その実力を確かめられる利点は大きい。 また、ザラテが「米ルーキーリーグの出身」なのも面白い。米国メディア陣によれば、「ルーキーリーグには150キロを出す投手はたくさんいる」と言う。その大多数がメジャーに昇格できず、消えてしまうのだが、ザラテのようにクイックや牽制の能力が高ければ、日本のプロ野球を『結果』を出してから、メジャーに再挑戦することも可能となる。むしろ、2A、3Aを経由するよりも『近道』かもしれない。 日本のプロ野球側にすれば、独立リーグを経験しているので、日本の生活習慣を教える手間も省ける。年俸も安く抑えられる。 ザラテが阪神で結果を出せば、ルーキーリーグで埋もれている“原石たち”も、NPBスカウトに見てもらうため、日本の独立リーグに売り込みを掛けてくるのではないだろうか。 近年、「外国人選手の使い回し」も多くなった。どの球団にも優秀な渉外担当者がいる。だが、日本の野球スタイルや食生活などを知らない外国人選手に対し、活躍できるかどうか、100%の確証が持てないため、「多少成績が落ちても、確実に計算できる経験者」を選んでしまうのだ。その善し悪しは別として、なぜ、確実に計算できる方を選ぶかといえば、おおむね、どの球団も「クリーンアップの一角、3連戦の初戦を託す先発、クローザー」のいずれかを外国人選手に委ねている。これらのポジショニングは『チームの生命線』だからである。 ザラテには150キロ強の真っ直ぐと、スライダー系の変化球があるが、唯一の弱点は球種が多くないことだろう。あくまでもBCリーグを観た私見ではあるが、球種が少ないので、先発よりも、セットアッパーが適任だと思われる。阪神ブルペンは、榎田、小林宏、川崎、久保田など人材も豊富だ。目立った役どころはまわって来ないかもしれないが、榎田、川崎とも違うタイプの左投手なので、投手継投策の幅を確実に広げてくれるはずだ。 そうなれば、他球団スカウトはもっと頻繁に独立リーグに足を運ぶだろう。野球の国際試合が行われ、またメジャーリーグがより身近になった今、外国人選手のNPB入りはむしろ歓迎すべきだが、『チームの生命線』を委ねすぎる傾向はいかがかと思う。異色の経歴、独立リーグ出身の快速左腕を甲子園でも観てみたい。(スポーツライター・美山和也)
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スポーツ 2011年07月11日 11時45分
ゲイがコネー! タイソン・ゲイが臀部手術で世界陸上出場ならず
陸上・男子100mで世界第2位の9秒69の記録を保持し、2007年世界陸上選手権では金メダル三冠に輝いたタイソン・ゲイ(米国)が、6月24日の全米選手権で痛めた右臀部を7月5日に手術、以降長期休養に入ることが明らかになった。これにより、8月27日より韓国・テグで開幕する世界陸上選手権にゲイが出場することが不可能となった。 それにしてもゲイの世界陸上不出場が、日本全国のTVウォッチャーに大きな落胆を与えたことは間違いない。世界陸上といえば、日本においては何といっても、TBS系列による同大会の独占放送でメインMCを務める織田裕二の存在が不可欠であるが、織田本人のモチベーションはともかくとして、ゲイの激走に織田裕二が熱視線を送るサマを楽しむ機会を奪われた全国のTVウォッチャーの無念さは、容易に想像できるところである。 やはり「世界陸上の織田裕二」の歴史といえば、タイソン・ゲイとともにあったといっても過言ではない。「ゲイがキター!」の叫びが今年は聞けないとは、まったくもって寂しい限りである。
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スポーツ 2011年07月09日 19時00分
ボビー・オロゴンの弟がボクシングに転向へ
バラエティー番組でおなじみのタレント、ボビー・オロゴンの弟でタレント兼格闘家のアンディ・オロゴン(28)が、ボクシング転向への第一歩をしるした。 アンディは7月8日、福岡・九電記念体育館での亀田興行の前に行われた、プロボクシングのミドル級B級ライセンスのプロテストを受験。日本ランカーを相手に軽快な動きを見せた。結果は後日発表となるが、合格は濃厚と見られている。 兄ボビーから、「(マニー)パッキャオは1試合で30億円も稼ぐんだぞ。オマエもボクシングをやって、オレを楽させろ」と勧められたアンディは、6月15日に沖縄の平仲ジムに入門。ジムに住み込んで、約3週間の特訓を経て受験。元WBA世界ジュニア・ウエルター級王者の平仲明信会長は、「本番に強い。合格ですよ」と太鼓判。アンディは「30億円もいらないけど、1試合で3億円稼ぐボクサーになる」と決意表明。 アンディはK-1、総合格闘技の両刀でファイト。昨年大みそかの「Dynamite!!」では、プロ野球から転向した元横浜、オリックスの古木克明の相手を務め注目を集めた(アンディの判定勝ち)。タレントとの兼業ながら、アンディ・サワー、小比類巻太信(旧名=貴之)、ブアカーオ・ボー・プラムックらの強豪とも接戦を繰り広げ、非凡な格闘技センスを覗かせていた。 アンディがボクシングに転じた理由には、K-1を主催するFEGのお家の事情も関係しているもよう。ボクシングでは他の格闘技との両立を禁じており、デビューした場合はK-1からは完全撤退となる。なお、テストに合格した場合は、WBA世界バンタム級王者の亀田興毅が2度目の防衛戦を行う、8・31日本武道館でのデビュー戦がプランされている。(落合一郎)
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スポーツ 2011年07月09日 17時59分
甲子園ダークサイト情報2011年版 審判のトラウマ? 「大会直前にルールブックを読み直し…」
関東圏の某高校野球審判によれば、甲子園大会の予選直前になると、楽しみな反面、「誤審を犯してしまったらどうしよう…」という不安に駆られるという。その気持ちは分かる。球児たちにすれば、集大成。その真剣勝負をジャッジする重圧感は相当なものなのだろう。 高校野球界には「審判団のミス」と言わざるを得ない記録も残っていた。 2004年7月24日、山梨県大会決勝戦−−。地元県民から「決勝戦をやり直すべき!」の抗議も殺到した。 その問題の試合は、春夏連続出場を目指す甲府工と前年覇者・東海大甲府との間で行われた。甲府工の1点リードで迎えた6回裏(2対1)、東海大甲府は一死から『6番一塁・田中稔也』がデッドボールで出塁した。左手首を直撃したため、治療でベンチにいったん下がり、『5番左翼・町田慶太』が『臨時代走』として一塁ベースに立った。次打者が送りバントを決める。東海大甲府ベンチから主将が球審のもとに走る。何かを念入りに確認した後、二塁ベースに進んでいた『臨時代走』の町田に、代走・宮地勝史が送られた。しかし、得点には繋がらず、攻守交代。 「あれ!? ちょっと待てよ…」 ここから、『悲劇』が始まった。 まず、代走で出た宮地がセンターに入った。センターを守っていた古屋がレフトへ。そして、治療を終えた田中が再び一塁の守備に着いた。甲府工ベンチが球審に確認する。 「臨時代走に代走を送ったとき、交代するのは町田ではなく、田中では?」 審判団はそれを一蹴し、試合再開。8回裏、東海大甲府が二死二塁と再び同点の好機を作り、前打席で死球を食らった田中が打席に入ったときだった。 カウント「1ボール0ストライク」。甲府工バッテリーがサイン交代を終え、2球目を投じようとしたそのとき、ネット裏スタンド下の本部席が「タイム」を掛け、4人の審判員を招集した。 何事が起きたんだ? それもこんなおかしなタイミングでタイムを掛けるなんて−−。 山梨県高野連は念のため、日本高野連本部に『臨時代走』の交代について電話で確認していた。その折り返し電話が掛かってきたのだ。 臨時代走に代走を送った場合、試合から退くべきは「本来の出塁選手」、つまり、たった今、打席に入っている田中だったのである。 この事態をどう収拾すべきか−−。 約40分間、審判団と大会本部が協議した結果、二死二塁はそのまま。打席にいる田中を吹っ飛ばして、カウント「1ボール0ストライク」を次打者の7番・池田廉を継承させて試合を再開させるという。 「ナニ、それ!?」−−。 ヘンな中断を挿んで、8回裏も無得点。さらに9回表、またしても、『ミス』は起きてしまった。出場資格を喪失していた田中に代わって、一塁守備に着いたのは岩倉亮。バックスクリーンにある打順表は『5番・宮地』、『6番・岩倉』となっていた。 そう、臨時代走の代走として途中出場した宮地は『6番・田中』の交代選手だから、『5番・岩倉』、『6番・宮地』とするべきだったのだ。だが、両校がこのミスに気づいたのは、延長11回裏の東海大甲府の攻撃中。9回裏に2対2の同点となり、『6番・岩倉』(5番打者扱い)で先頭打者として出塁し、次打者として『5番・宮地』が犠打を決める“珍事”が発生した。 「あのう〜」 両校が岩倉、宮地の打順が違う旨を告げ、訂正を求める。 「10回裏だけじゃないぞ。8回裏も“5番打者のつもり”で宮地は打席に立ったじゃないか!?」 田中が一塁守備にいた7回表から、試合をやり直そうか? それよりも、この試合は公式記録として残せるのか? 審判団と大会本部は頭を抱えたが、『5番・宮地』、『6番・岩倉』の打順の間違いは「その時点で指摘がなかった」ということで、甲府工には泣いてもらった。その打順ミスが協議された直後、東海大甲府がサヨナラ勝ちした。 甲子園代表校がこんな試合で決まっていいのか!? それが、スタンド、テレビで観戦していたファンの声であり、山梨県外からも「試合をやり直すべき。負けた甲府工の気持ちも考えろ。勝った東海大甲府だって…」との抗議が多く寄せられた。 臨時代走に代走を送る際、東海大甲府側は「交代になるのは町田か、田中か」を確認している。「町田」と誤答したのは審判団であり、「間違っていないか?」と甲府工も“抗議”もしている。 臨時代走とは、『高校野球特別規則』であり、正規の野球ルールではない。 この試合の失敗を教訓に、各都道府県ではルール研修会、審判員の実技講習会が行われ、再発防止に努めている。(一部敬称略/スポーツライター・飯山満)
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