東京のジョギングメッカといえば、皇居周辺、神宮外苑、代々木公園、駒沢公園…などが思い浮かぶだろう。僕が毎朝走っている善福寺川堤は、おおよそメッカとは似つかわしくないノンビリとしたジョギングコースなのだ(杉並区は当地をジョギングコースと位置付け200メートル毎『距離表示』を建てている)。
その牧歌的ムード100%の善福寺川堤で今、もっとも「気になる女性」が存在する。彼女を始めて目撃したのは今年の初め。「美容と健康」を意識して走り始めたのだろう。走り慣れて無く、当然走る筋肉も構築されていない彼女は、苦しそうに歩を進めていた。
僕はその第一印象があまりに強烈であったので毎朝、(僕の)走るための意義・目的が「彼女との出会い」となったほどだ。
その彼女が最近、劇的に変化した。驚くべき事に、約8カ月走り続けた結果、「走るための身体」が見事に完成されたのである。そのため、今の彼女はペースこそゆったりしているが、ランニングフォームは背筋がピンと伸びて実にキレイ。本当に「走るのが楽しくて仕方ない」という感じを醸し出している。これは今年初めでは考えられない進化で、今では僕と会釈出来るほどにまで彼女はビルトアップしている。
彼女を見て思う事がある。それは市民ランナーが「今、彼女の心(初心)になれるのか(戻れるのか)」ということだ。そもそも、市民ランナーも走り始めるきっかけは「ダイエット」「美容と健康」「運動不足解消」…といった動機だろう。
それが今はどうか−−。
ランニングの魔力(なのかは理解出来ないが…)に取り憑かれた市民ランナーたちは本来、「ダイエット」「美容と健康」「運動不足解消」の目的で走り始めたのにも拘わらず、今では「自己ベスト達成」の為、ランニングをしているという、よく分からない状態に“甘んじて”いる。
その結果、「痩せすぎ」「身体を壊す」「運動過多」になっている。これは喜ばしい話ではない。特に、記録ばかりウツツを抜かす“シリアル系市民ランナー”は「速く走るための食事療法(制限)やサプリメントの摂取は積極的に実践するがその他の医学的根拠についてはまるで関心が無い」という呆れた実態である。
「走る」という動作は足裏全体で地面を蹴り上げ、それを連続して繰り返すこと。ごく当たり前の事だが、その行為(ランニング)は足裏で赤血球を破壊する作業でもあるのだ。それを毎日、長時間にわたり続けるとどうなるのか−−。貧血になり、さらに悪化すると「急性骨髄性白血病」になってしまうのだ。この辺についてシリアス系市民ランナーは全く認識していないだろう(指導者も認識していないだろうが…)。
こうなると「美容と健康」とはお世辞にも言えない。貧血状態で日々、疲労困憊の中、走り込みをする→ヒトは疲労回復をさせようとし、既に(体内に)摂取しているカルシウムを分解。体内に(疲労で)溜まっている乳酸へ向け、(分解した)カルシウムを流し、乳酸の活動を収めようとする→体内の絶対的なカルシウムが不足し、さらに悪化した場合は、自らの骨を司っているカルシウムを分解するようになる→骨粗鬆症に陥り、女性はホルモンバランスを崩す→生理不順となる。
前例は「最悪の場合」だが、ランニング雑誌愛好家や指導者付きの市民ランナーは常に「最悪のケースと背中合わせ」である事を言っておきたいのだ。
他人の好みなので、「速く走るな」と言うつもりは毛頭ない。が、「アナタ方は今、何処を向いて走っているのですか」とは問いたいのだ。
そもそもは、「美しくありたい」と思って走り始めたのでしょう−−。
その初心をふと思い出し、「今の自分は輝いているかどうか」を再確認して頂きたいと思う。「美容と健康」とは「ストレス発散」の意味も含まれていたはずだ。それが今では、日々「ストレスを溜め込んでいるランニング」になっているのではないだろうか。
今朝も善福寺川堤で件の女性を見かけた。年の頃は50代後半だろうか。それでも、彼女はとても若々しく輝いて見える。僕が、一緒に練習(指導)したくなるのは、こういった初志貫徹している人たちなのだ。
※来週は市民ランナーが毎試合狙う「自己ベスト」の不思議を綴りたいと思う。
<プロフィール>
西田隆維【にしだ たかゆき】1977年4月26日生 180センチ 60.5キロ
陸上長距離選手として駒澤大→エスビー食品→JALグランドサービスで活躍。駒大時代は4年連続「箱根駅伝」に出場、4年時の00年には9区で区間新を樹立。駒大初優勝に大きく貢献する。01年、別府大分毎日マラソンで優勝、同年開催された『エドモントン世界陸上』日本代表に選出される(結果は9位)。09年2月、現役を引退、俳優に転向する。