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日本ハム・新庄新監督、大成のきっかけは立浪新監督? “ポジションシャッフル”の背景にある若手時代の経験とは

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新庄剛志氏

  8日からチームの秋季キャンプを視察している日本ハム・新庄剛志新監督。10日、野手陣のポジションをシャッフルして練習を行わせたことを複数メディアが報じた。

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 報道によると、新庄新監督は視察最終日となったこの日、午前のシートノックで野手陣のポジションをシャッフル。球界のキャンプでは野手陣が一斉に本職以外の守備位置でノックを受けることは珍しいが、新庄新監督は「俺も内野をやって、ずっと外野をやっていたら一軍に上がれなかった」と自身の経験を踏まえた取り組みであることを明かしたという。

 新庄新監督は現役時代に阪神(1990-2000)、ニューヨーク・メッツ(2001,2003)、サンフランシスコ・ジャイアンツ(2002)、日本ハム(2004-2006)でプレーし「1714試合・.252・225本・816打点・1524安打」といった通算成績をマークした外野手だが、頭角を現したのは当時プロ3年目・20歳だった1992年シーズン。1990年シーズン中に外野手から内野手に転向していた新庄新監督は故障離脱した正三塁手・オマリーの代役として、1992年5月26日・横浜大洋(現DeNA)戦に「7番・三塁」でスタメン出場。第1打席でいきなり本塁打を放ったことを機に一軍に定着している。

 新庄新監督のポジションシャッフルを受け、ネット上には「確かに新庄も本職じゃない遊撃から成り上がっていったな」、「自分が複数ポジション守ってチャンスを掴んでるから説得力がある」、「20年以上前の経験が今に繋がってると思うと感慨深いな」と現役当時を思い返す声が寄せられている。

 同時に、「新庄がポジション動いたのは確か立浪がきっかけなんだよね」、「新庄のブレークの裏に立浪新監督の存在があることを知ってるファンももう少ないんだろうな」、「立浪の守備を見て転向決めたのは今考えると大正解だった」と中日・立浪和義新監督を絡めたコメントも数多く挙がっている。

 「新庄新監督は二軍で『.074・0本・0打点』と鳴かず飛ばずだった当時プロ1年目・18歳の1990年終盤に外野から遊撃に転向していますが、当時の報道では同3年目・20歳だった立浪新監督の遊撃守備を目の当たりにしたことをきっかけに遊撃転向をコーチに直訴したと伝えられています。このコンバートで起用の幅が広がった影響もあったのか、新庄新監督は翌1991年終盤に正遊撃手・平田勝男(現阪神二軍監督)の離脱に伴い初めて一軍昇格・出場を果たすと、翌1992年からは本格的に一軍に定着しています」(野球ライター)

 立浪新監督のプレーをきっかけに飛躍を果たした若き日の新庄新監督。くしくも同じタイミングで監督に就任したこの秋、自身とは形は違うが現チームの選手たちにもブレークにつながるきっかけを与えようとしているようだ。

文 / 柴田雅人

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