スポーツ
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スポーツ 2016年01月09日 18時50分
横浜DeNA ラミちゃん監督、早くも優勝宣言!
横浜DeNAベイスターズのアレックス・ラミレス新監督と山崎康晃選手が9日、神奈川県横浜市のMARK IS みなとみらいで『新ビジターユニフォーム発表会』に出席した。 ラミレス新監督はスーツ姿で登場、多数集まったファンからラミちゃんコールの大歓声。監督就任以来横浜のファンの前に出るのは初めてというラミレス監督は「コンニチワ。ありがとうございます。横浜DeNAベイスターズのラミちゃん監督です」と挨拶。 続いてステージ後方に設置された黒のベールを引くと青を基調としたビジターユニフォームがお披露目された。ラミレス監督は新ユニフォームを見て「横浜の名前を胸に戦っていけることは嬉しいです。チーム一丸となって家族のようなチームとしてやっていきたいです」と語った。 昨年入団した山崎はクローザーを任され新人としての最多記録となる37セーブを上げて新人王に輝くなど大活躍した。山崎は試合同様の“やすあき”コールが湧き上がる中、新ビジターユニフォームに身を包んで登壇。「横浜の文字が胸に入っていてビジターユニフォームですがホームのような気持になれますね」とコメント。 山崎は今シーズンの目標を問われると「優勝して皆さんと喜びたいです。個人としては40セーブとセーブ王を勝ち取れるようにキャンプからしっかりやりたいです」と力強く宣言。 最後にラミレス新監督は「最低80勝を目標にして、何とか優勝目指して頑張りたいです」と早くも優勝宣言で気勢を上げた。(アミーゴ・タケ)
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スポーツ 2016年01月08日 15時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈プロレス夢のオールスター戦〉
日本のプロレス界と切っても切れないのが東京スポーツ。最近こそ記事掲載面ではメーンを譲ったが、八百長暴露があろうが冬の時代を迎えようが、プロレス界を応援し続ける姿勢は創刊以来ずっと変わらない。 1979年8月26日、日本武道館で開催された『プロレス夢のオールスター戦』も、東スポ創立20周年のメモリアルイベントだからこそ実現したものだった。 「当時の東スポ・井上博社長が先頭に立って、何度もジャイアント馬場、アントニオ猪木らと交渉にあたる努力もあったが、最終的に開催が合意に至ったのは両者に“東スポのためなら”との気持ちがあったからです」(スポーツ紙記者) 今では団体間の対抗戦や交流戦もそう珍しいものではないが、当時は事情がまったく異なる。 「現在では対抗戦と言いながらも、本音の部分では互いに協力して盛り上げようという考えがある。しかし、80年代までの全日と新日は、共に本気で相手の団体を潰そうとしていた。そんな両者が同じリングに立つことが、いかに奇跡的なことだったか」(同) とはいえ、オールスター戦でファンが望むのは、やはり両団体のトップである馬場と猪木のシングル対決。間に立った東スポもそれを目標に交渉にあたったが、馬場は一貫して首を縦に振ることはなかった。 「もし馬場と猪木が闘ったとして、事前にどんな合意があったとしても猪木がそれを守るとは思えない。勝ち負けはそれぞれ団体の存亡にもかかわるだけに、受けられなかったのは仕方がありません。もし直接対決を強いたときには、馬場の参戦拒否も十分にあり得ました」(同) シングルどころかタッグでも、馬場と猪木が対戦しないことにガッカリしたファンも少なくなかったが、それでも無敵を誇った“BI砲”の復活は、日本プロレス以来8年ぶり。徐々に期待は高まり、当日の日本武道館周辺は、入場できないファンが層をなして取り囲むほどだった。 全日と新日の純粋な直接対決は、坂口征二vsロッキー羽田の1試合のみ。それも副将格の坂口と中堅の羽田とあって殺伐とした空気は薄く、お祭りムードの中で試合は進む。そうして迎えたメーンイベント。BI砲と対峙するのはアブドーラ・ザ・ブッチャーとタイガー・ジェット・シンの団体の垣根を越えた“狂悪コンビ”だ。 倍賞鉄夫リングアナの呼び込みで『吹けよ風、呼べよ嵐』が流れると、期せずして館内にブッチャーコールが巻き起こり、ヒールのブッチャーが大歓声でリングに迎えられる。続いてシンがいつも通りに観客席をねり歩くと、いよいよ千両役者の登場だ。 『炎のファイター』に乗った猪木が青のロングタオルに白のガウンで、大トリの馬場がなじみ深い日本テレビのスポーツテーマとオレンジのガウンで入場する。開催宣言を述べる二階堂進コミッショナー(のちの自民党副総裁)の横には、PWF会長のロード・ブレアース。メーンレフェリーはジョー樋口、サブレフェリーはミスター高橋が務めた。 それぞれの名前がコールされる中で狂悪コンビが暴れ始めると、馬場がシンにチョップを放ち、猪木がブッチャーを場外へ蹴散らしたところで、試合開始のゴングが鳴る。 序盤から猪木が延髄斬りやコブラツイストの得意技を繰り出せば、馬場も脳天唐竹割り、16文キックを惜しげもなく披露する。狂悪コンビの動きもよく、ブッチャーがジャンピング・エルボードロップを猪木と馬場それぞれに炸裂させれば、シンも2人を場外で引きずり回してみせた。 「そんな中、猪木はブッチャーをブレーンバスターで投げるなど動きのよさが際立ち、この試合への意気込みは強かった」(同) 馬場と猪木が揃ってシンにアームブリーカーを仕掛けた場面が、この試合のクライマックス。猪木のピンチを馬場が救う、そんなタッグマッチでのありふれた光景に、観客から歓喜の声が沸き上がった。 フィニッシュは猪木がシンを逆さ押さえ込みで3カウント。試合時間13分03秒は、ファンにとって長年の思いが凝縮された幸福のひとときであった。 両雄が並んで勝ち名乗りを受ける中、マイクを取った猪木が「この次、リングで顔を合わせるときは闘うときです」と呼びかけると、馬場も「よし、やろう」と返答。しかし、2人は二度とリング上で交わることはなかった。
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スポーツ 2015年12月26日 16時24分
人騒がせなソフトバンク・松田宣浩のFA権行使 結局メジャー断念し、残留
なんとも後味の悪い結末となってしまった。 11月9日に海外FA権行使を表明し、メジャー移籍の道を探っていたソフトバンク・松田宣浩内野手(32)が、12月24日、残留を宣言。4年総額16億円プラス出来高(推定)の超破格な条件で、ソフトバンクと契約した。 関係者はもともと懐疑的な目で見ていた。元来、松田にはさほどメジャー願望がなかったからだ。FA宣言した際も、「自分がメジャーでどう評価されているか、メジャーでプレーする可能性があるかを探ってみたい」と語っており、その時点で、すでに残留がチラついていた。 残留を決めた理由は、王貞治会長から直々に残留要請を受けたこと、メジャーから本職の三塁以外の二塁、遊撃を守ることを提示されたためとしている。 松田には複数の球団が興味を示し、最も獲得に積極的だったパドレスは2年総額4億円(推定)の提示をしたとされる。 ここ数年、メジャーで成功を収めた日本人内野手はいない。ポスティングでツインズ入りした西岡剛内野手は満足な成績を残せず、自ら3年目の契約解除を申し出て帰国。FAでアスレチックスに移籍した中島裕之内野手は、2年間で1度もメジャーでプレーできぬまま、日本球界に戻った。川崎宗則内野手(マリナーズ→ブルージェイズ)や、田中賢介内野手(ジャイアンツ→レンジャーズ)はメジャー契約すら勝ち取れなかった。 これでは、メジャーでの日本人内野手への評価は下がる一方で、パドレスが提示した条件は妥当な線といえる。とても、ソフトバンクが出していたような好条件が、メジャー球団から引き出せるとは思えなかった。 昨オフには、鳥谷敬内野手が海外FA権を行使して、メジャー球団と交渉したが、色よいオファーはなく、阪神に残留した。 形の上では、鳥谷と同じ結果になったが、違う点はメジャー挑戦への本気度。松田の場合は「条件が悪くなっても、メジャーで挑戦してみたい」といった強いあこがれはみられず、単にメジャーの評価を聞くためのFA宣言だったようにしか思えない。 結局、ソフトバンクと、獲得に動いたメジャー球団が振り回されただけ。ソフトバンクにとっては一件落着となったが、松田のFA権行使は全く人騒がせなものだったようだ。(落合一郎)
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スポーツ 2015年12月23日 13時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈格闘技を超えた人間ドラマ〉
大みそかの地上波テレビで初めて本格的な格闘技番組が放送されたのは、2001年の『猪木ボンバイエ』だった。猪木軍vsK-1軍の対抗戦を目玉とし、PRIDEの母体であるドリームステージエンターテインメント(DSE)が運営するという、当時の日本格闘界が大同団結した一大イベントであった。 当初、この大会の目玉とされたのは小川直也だった。前年にはPRIDEで佐竹雅昭を破るなど、総合格闘技界の日本人エースとしてファンや関係者からの期待は大きく、プロレスにおいては猪木の直弟子でもあり、猪木軍の大将となるのは当然のことと思われた。 しかし、これを小川が拒否したことで、大会自体の雲行きが怪しくなる。 「交渉にあたったK-1石井和義館長の8000万円のファイトマネー提示に対し、小川は1億円を要求。これが決裂の要因とされたが、それ以前に当時の小川は『強さを競うなら柔道時代にやった』と総合格闘技自体に興味を示していなかった」(格闘技ライター) さらには副将格の藤田和之も、タイでの合宿練習中にアキレス腱断絶の大けがを負ってしまう。同年9月に藤田が敗れたミルコ・クロコップへのリベンジマッチは、当然ながら不可能となり、カード編成は一からの見直しを余儀なくされた。 また、小川と藤田を欠いたことで、猪木軍はまともなメンバーが揃うかすら危ぶまれてたが、なんとか藤田の代役は、新日本プロレスの先輩にあたる永田裕志に決まった。 しかし、これをメーンイベントとすることには各所から難色が示される。 「大会を中継するTBSとしては、新日=テレビ朝日の色が付いている永田を主役にするのは面白くない。猪木事務所にしても、新日所属選手の永田ではマネジメント料が発生せず、ギャラの高いメーンには自分たちの子飼いを出したかったのです」(テレビ関係者) そこで抜擢されたのが安田忠夫であった。大相撲時代は孝乃富士の四股名で活躍し、北勝海や北尾、寺尾、小錦らと並んで“花のサンパチ組”と称され、小結まで昇進した。 28歳で廃業して新日へ入団。プロレスラーとしても大成を期待されたが、生来の無気力、練習嫌い、バクチ好きなど素行の悪さから、中堅どころに甘んじていた。 '01年には心機一転、猪木事務所入りして総合格闘家に転向。デビュー戦こそ佐竹に判定勝ちを収めたものの、2戦目にはレネ・ローゼのハイキックで壮絶なKO負けを喫している。 一方、相手のジェロム・レ・バンナは総合初挑戦とはいえ、その草分けであるケン・シャムロックの下で練習を積み、K-1四天王の実績からも将来を嘱望されていた。もちろん下馬評はバンナ一色。 「試合に期待できない分、他のところで盛り上げなければと、離婚で母方にいた娘まで引っ張り出して試合会場に招くなど、安田が負けた後の演出のことばかりを考えていました」(同) だが、試合は予想外の展開を見せる。安田はバンナの牽制の右ジャブに構うことなく、真正面から体ごとぶちかましていくと、その勢いのままグラウンドへとなだれ込む。 ただ突っ込むだけなので、安田がバンナの上になる場面もあったが、実戦でのグラウンド経験がないために、たまたま袈裟固めの体勢に入っても極めることができない。セコンドの指示を受けマウントへ移行しようにも、動きに隙が出て解けてしまう。スタンドに戻っても安田の突進の前に、バンナはどうしても下がることが多くなり、そこからパンチを放ってもダメージを与えられない。 そんな中、安田が一世一代の根性を見せる。コーナーに詰まり上から浴びせられるピンチを、バンナの腰にしがみついて耐えると、2Rに入り何度目かの体当たりで上になったところで、がむしゃらに覆いかぶさっていく。力任せに腕を喉元に差し込んでギロチンチョークの形をつくると、同時に密着した安田の体がバンナの口をふさぎ、ここでついにバンナがタップした。 技術は拙く、格でも劣っていたが、根性一本で勝ち名乗りを上げた安田。リングに駆け上がって祝福する娘を肩に担ぐその姿は、格闘技を超えたヒューマンドラマであった。
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スポーツ 2015年12月22日 13時00分
日本人力士の闇! アマチュア相撲も照ノ富士、逸ノ城と同期のモンゴル人力士が制覇
身長187センチ、体重175キロ。末は横綱か大関か…。将来が楽しみな金の卵が出現した。それもまた、モンゴル人力士だ。 12月6日、東京・両国国技館で今年の“アマ横綱”を決める全日本相撲選手権が行われ、日大3年でモンゴル出身のバーサンスレン・トゥルボルド(21)が優勝した。大相撲の世界でモンゴル人力士が優勝するのは当たり前になっているが、64回を数える同大会で外国人出身者が優勝するのは初めてのことだ。 「ついにアマの世界までモンゴル人に席巻されたのかと、大会関係者は騒然としていましたよ。それも優勝の呼び声が高かった小柳(東農大)や、国体成人の部で優勝した黒川(アイシン軽金属)といった猛者を破っての文句なしの優勝ですからね。これで幕下15枚目付け出しの資格を得たことになります。ただ、来年は日大相撲部のキャプテンになることが決定しており、大相撲入りする意思はないと話していますが、再来年にプロの土俵に立つのは間違いありません」(担当記者) このトゥルボルドが注目される理由はもう一つある。平成22年3月、いまや大相撲界で人気者となった照ノ富士や逸ノ城らと一緒の飛行機でモンゴルから来日。ともに高校相撲界の名門・鳥取城北高に留学した仲であることだ。 照ノ富士は高校を中退、逸ノ城は高校卒業後に相次いでプロ入りしていったが、トゥルボルドは同校の石浦監督から、「まだ相撲が甘い」と言われ、日大に進学。しかし、先にプロ入りした2人に決して素質が劣っていなかったことは、入学からわずか3年でアマ横綱になったことでも分かる。 「体も大きく、照ノ富士や逸ノ城らのようにスター力士になる可能性は十分。照ノ富士は、『また大物が出てきたね。高校時代から力はすごかったけど、ちょっと下手くそなところがあった。大学に行って相当がんばったんじゃないの。早くプロに来て』と熱いエールを送っていました。遠藤も伸び悩むなど、日本人力士にこれといった有望株が見当たらないだけに、入門すればたちまち注目力士になることでしょう」(大相撲関係者) 平成18年初場所の栃東(大関)を最後に、日本人力士の幕内優勝が途絶えて来年1月の初場所でちょうど10年になる。この分では、この不名誉な記録もまだまだ続きそうだ。
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スポーツ 2015年12月19日 15時50分
2017年も現役続行が濃厚なイチロー その裏に隠されたマーリンズの思惑とは…
マーリンズと契約を更新したイチロー外野手(42)が、2017年も同球団で現役を続行することが濃厚だという。 今季、153試合に出場しながら、398打数91安打で打率.229、1本塁打21打点11盗塁と、自己ワーストの成績に終わったイチロー。打率だけを見ると、昨季(ヤンキースに在籍)の.284から大きく数字を落としただけに、衰えを感じざるを得ない。来季、どこまでやれるかははなはだ疑問だ。 それでも、2017年シーズンもプレーを続けられるというのは、一体どういうことなのか? イチローの契約は1年で、2017年は球団が選択権をもっている。その権利を行使するかどうかは球団次第。基本年俸は今季と同じ200万ドル(約2億4200万円)で、打席数に応じて出来高が付く。その内容は、250打席、300打席に到達した場合、それぞれ30万ドル(約3630万円)が支払われ、その後は、50打席ごとに40万ドル(約4840万円)が加算される。設定は600打席までで、最大で300万ドル(約3億6300万円)となる。出来高的には打率などの成績ではなく、あくまでも打席数が問われる点は、イチローにとっては好都合だ。 来季も、その立場が“4番手外野手”であることに変わりはないが、球団は正中堅手のマルセル・オズナ外野手(25)のトレードを画策しているというのだ。今季、打撃不振に陥って、マイナー落ちも経験したオズナは、打率.259、10本塁打、44打点の成績に終わった。昨季と比べると、打率(昨季=.269)は大差なかったが、本塁打は23本→10本、打点は85→44と激減した。オズナを放出することになれば、イチローの出番が今季より増えるのは確実。それに備えて、イチローの存在は重要なものとなる。 さらに、イチローの2017年の現役続行を決定的にする動きが起きているというのだ。「イチロー獲得を機に、マーリンズは日本進出を狙っています。ジャパンマネーに魅力を感じているのです。2017年には日本で開幕戦を開催するプランを温めており、来年1月か2月に、球団幹部が大挙して、日本市場視察のため、来日するようです」(某スポーツ紙記者) 当然のことながら、日本で公式戦を開催するとなると、イチローの存在なくしては考えられない。2017年に実現できるかどうかは、視察の結果によるが、“その日”が訪れるまで、イチローの現役続行は確定したようなものである。(落合一郎)
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スポーツ 2015年12月18日 16時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈変幻自在のトリックスター〉
格闘家にとって、引退は決して喜ばしいことではない。「もう闘えない」という自己同一性の喪失だけでなく、その後の生活の問題も関係してくる。 相撲やボクシングのように業界の体系がしっかり整った世界であっても、部屋持ちの親方やジムの会長になれるのは、一部のエリートだけ。業界を統一する組織すらない総合格闘技やプロレスともなれば、さらに引退後の身の振り方は難しくなる。 「順調にタレント活動をしていたように見えた魔裟斗までが、この年末に復帰するのは驚きでした」(格闘技ライター) 先日引退した天龍源一郎が、65歳までリングに上がり続けたように、一流どころであっても将来の保証はない。そんな中にあって、リング外でも堅調な活躍を続けるのが須藤元気だ。 引退直前に発表されたエッセイ集は、10万部超のベストセラー。俳優や映画監督をこなし、近年はパフォーマンス集団のワールドオーダーを率いて、世界的な活躍を見せている。 「格闘家としての須藤は、もちろんスター選手の一人ではありましたが、組織を代表するような看板選手ではなかった」(同) K-1に登場した当初、テレビ中継で付けられたニックネームは“だまし討ちのアーチスト”だったが、のちに“変幻自在のトリックスター”となった。しかし、トリックも「詐欺師」や「いたずら者」を意味するもので、魔裟斗の“反逆のカリスマ”や山本KID徳郁の“神の子”と比べれば、とても主役級の響きではない。 そう考えるならば、文筆や音楽での成功は、決して格闘家の知名度に頼ったものではなく、須藤個人の優れた資質によるものに違いない。 高校時代には、レスリング(グレコローマン)でジュニア世界選手権の日本代表になり、大学卒業後の'98年に渡米して柔術の修行を積むと、帰国後はパンクラスやリングスなどで活動していた。 K-1初登場は'02年で、当時、魔裟斗のライバルと目されていた小比類巻貴之と、K-1MAX日本代表決定トーナメント1回戦でぶつかった。 「総合で立ち技もやっているとはいえ、本来、須藤は寝技がベースの選手。パンクラス参戦時に菊田早苗らと立ち上げたユニットも、寝技の攻防を主体とするものでした」(同) 立ち技だけのK-1では、とても勝負にならないと見られていた須藤だが、試合開始早々にバックブローで小比類巻からダウンを奪う。結果は3R、ローキックによりKO敗戦となったが、強豪相手に善戦したことで一気に注目を集めた。 翌年の同トーナメント1回戦では、ついに魔裟斗と対戦。極端に腰を落として酔拳のように体をくねらせながら、バックブローや前蹴り、胴回し回転蹴りなどを次々と繰り出した。 結果的には、冷静に対応してローキックを当てていった魔裟斗の判定勝ちとなったが、日本のトップ選手に最後まで決定機を与えなかった須藤も、大いにその名を上げることとなった。 また、試合ぶりとともに人気を集めたのが、ド派手な入場パフォーマンスだ。ダンサーを引き連れて、自ら中心となって踊りながらの入場は、いつしか試合と並ぶ見ものとなっていった。 格闘家としてのキャリア、そして入場パフォーマンスで須藤の頂点となったのが、'05年の大みそか、HERO'sミドル級トーナメント決勝の山本KID戦であった。元レスリング五輪代表の宮田和幸らを下し、決勝に進出した須藤は、大勢の芸妓や若い衆に扮したダンサーを引き連れ、花魁道中さながらの入場で大阪ドームを沸かせた。 だが、試合自体は実に呆気なく終わってしまう。KIDのパンチで仰向けに倒れた須藤は、すぐさま上体を起こして防御の姿勢をとったものの、そこへKIDが追撃のパウンドを繰り出したところで、レフェリーのストップがかかった。 「この早すぎるストップには、『KIDを勝たせるためでは?』との疑惑の声が上がったほどでした」(同) 1R4分39秒。花道にいた時間よりも短い結末だったが、須藤は激しく抗議することもなく、ただ苦笑いを浮かべていた。 1年後の'06年大みそか。ジャクソン・ページに鮮やかな三角締めで勝利した直後、須藤はリング上で突然引退を発表した。 あの苦笑いは、いろんな意味で日本の総合格闘技に、見切りをつけてのものだったかもしれない。
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スポーツ 2015年12月18日 11時22分
虎の変革「金本監督は勝ちに行く」(育成編)
金本知憲監督(47)が真っ先に挙げたチーム改善点は『チーム盗塁数』の少なさだった。2015年シーズンはトータルで「48」。リーグトップの巨人は「99」。つまり、半分以下である。得点能力を挙げるには機動力を高めなければならない。一発(本塁打)に頼らない野球をするためにも、「走る意識」は選手に持たせるべきである。 「秋季キャンプでは走塁練習に時間を割いていました。走塁の順番待ちをしている選手に『休んでる暇はない』と喝を入れ、走塁の状況判断の大切さを唱えたりしていました」(スポーツ紙記者) しかし、どの球団監督も機動力の重要性は分かっている。なのに、機動力がペナントレースのメインにならないのは何故か…。相手チームのバッテリーによる牽制やクイックなどが発展したせいもある。いちばんの理由は、選手に「走る意識」を定着させた後の明確なビジョンがないからだろう。 「常に選手にプレッシャーを掛けて行く」 この金本知憲監督のコメントは興味深い。 03年シーズンのことだった。阪神移籍1年目のこの年、選手・金本は主に3番を任されることが多かった。その当時の2番バッターは赤星憲広だった。前年まで2年連続盗塁王のタイトルを獲得した韋駄天である。当然、ベンチは盗塁を期待する。このとき、3番・金本は「ファーストストライクを見送る」と約束していた。 赤星からすれば、プレッシャー以外の何者でもなかった。クリーンナップの金本がファーストストライクを捨てることの重要性は分かっている。その考えが「絶対にスチールを成功させなければならない」とするプレッシャーとなったが、同年、赤星は61の盗塁数をマークし、後に5年連続盗塁王の記録を打ち立てていく。当時を知るチーム関係者は「ファーストストライクで盗塁を決めなければ」の重圧が赤星を成長させたと見ている。 監督・金本はこうしたプレッシャーを各選手に与えながら育てていくのではないだろうか。 その機動力アップの教育を一任されたのは、高代延博ヘッドコーチである。今さらだが、高代コーチは91年ドラフトで広島入りしたときの金本監督の指導者でもある。高代コーチは“教え子の参謀”ともなったわけだが、 「走塁練習でいちばん手こずったのが金本だった」 とも一部メディアに話していた。 その言葉通りだとすれば、「苦労して覚えたことこそ、最大の武器になる」ということだろうか。 金本監督の現役時代を知る若手は「怖かった」とも話していた。近寄りがたい雰囲気も醸し出していたのだろう。しかし、それは対戦投手の得意球で仕留められたら、チームの士気にも影響するとし、常に自身にプレッシャーを掛けていたからだという。球団の指揮官選びは決して話題作りではなかったようだ。
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スポーツ 2015年12月17日 12時00分
虎の変革「金本監督は勝ちに行く」(投手編)
金本知憲監督(47)は投手継投策については、矢野燿大作戦兼バッテリーコーチ、香田勲男投手コーチに「全て任せる」と言い切った。しかし、実際は違う。おそらく、解説者時代から温めていたプランなのだろう。点差、相手ベンチの代打要員の有無などを見極めてからになるが、クローザーを休ませ、「思い切って、若手投手をマウンドに行かせる試合も作る」という。 経験値の浅い若手が重圧に負け、楽勝ムードも一変してしまうかもしれない。だが、それくらいの修羅場を経験させなければ、育たないという金本流の育成持論なのである。 「9回に若手投手を登板させるのは、呉昇桓の残留を前提とした構想でした」(球界関係者) 阪神渉外担当は、呉昇桓に代わる新たなクローザー候補を探している。 一部報道によれば、先発ローテーションの一角であるメッセンジャーのクローザー転向も検討されているという。メッセンジャーはかつて奪三振のタイトルも獲得した。連投のできるタイプでもあり、適任かもしれないが、阪神には「5番手以降の先発投手が脆い」という弱点がある。メッセンジャーをクローザーに配置換えすれば、計算の立ちにくい先発投手が4番手以降になってしまう。 新外国人投手が安定しないようならば、4季ぶりに帰還した藤川球児との併用も検討しなければならないだろう。 金本監督が考えていた継投策は、主に3パターン。1つはごく普通のパターンで、先発投手からセットアッパーを挟んで、最後はクローザーで締めくくるというもの。この基本的な継投のほかに、先発投手からいきなりクローザーに繋ぐケースと、前述の若手を抜てきしてクローザーを休ませる策も考えていた。 投手出身のプロ野球解説者がこう言う。 「2つ目は『消滅』と見ていい。阪神だけではないが、昨今の救援投手はセットアッパー、クローザーのポジショニングを問わず、『イニング跨ぎ』が苦手になっている。金本監督の先発投手からいきなりクローザーに繋ぐ継投策は、イニング跨ぎを苦にしない呉昇桓の残留を想定したものであって、新外国人投手には同様のケースを期待しないほうがいい。メジャーリーグを経験したクローザーは『イニング跨ぎ』をやりたがらないので」 メジャーリーグを経験したクローザーは契約段階でイニング跨ぎを拒否する者が多い。また、連投に関しても「5試合続けて投げさせない」といった条件も突き付けてくる。 賭博疑惑による呉昇桓の退団は、もっとも大きい痛手となるだろう。 「FA補強した高橋聡文(32=前中日)をクローザーで使ってくるのではないか」(前出・プロ野球解説者) 考えようによっては、若手に修羅場を経験させる機会が増え、投手陣が逞しくなっていく。金本監督は目先の勝利にもこだわると話していたが、将来を見据えた若手登用なら、ファンも許してくれるのではないだろうか。
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スポーツ 2015年12月16日 16時00分
オコエの育成方法を巡って対立? お互いに実績のある星野と梨田
東北楽天ゴールデンイーグルスのドラフト1位、オコエ瑠偉(18=関東一高)が、新入団選手発表会でも“異彩”を放った。 12月1日に行われた新入団選手発表会で、オコエが美声を披露したのは既報通りだが、梨田昌孝監督(62)の表情はどこかぎこちなかった。 「オコエの育成法ですが、キャンプは一軍に帯同させるのか、二軍でじっくり鍛え上げるのかまだ決まっていません。2013年1位の松井裕樹は一軍キャンプに帯同させ、2014年1位の安楽智大は二軍スタートでした。楽天には一軍帯同と二軍スタートの両方の例があるので、決めかねているようでした」(プロ野球解説者) 正確に言えば、現場を預かる人間2名の意見が分かれてしまったのだ。 球団の編成と運営を任された星野仙一副会長(68)は中日指揮官時代から、新人を抜てきすることでチームを勢いづけてきた。来季から楽天投手コーチとなる与田剛コーチもその一人で、高卒野手では立浪和義氏も一年目から正遊撃手でデビューさせた。 しかし、梨田監督は違う。どちらかといえば、リスクをともなうギャンブル的な采配はしない。過去に指揮をした近鉄と日本ハムでも、計算の立つベテランを使い、単独スチールでさえ嫌ってきた。 梨田監督はオコエを二軍で鍛え上げ、将来に備えたい。しかし、星野副会長の考え方は違う。 「2014年の星野副会長が楽天で指揮を振るった最後のシーズンのことです。星野副会長は高卒ルーキーだった松井裕樹を一軍キャンプに帯同させましたが、『いまのままでは通用しない』と見抜いていました。佐藤義則投手コーチ(元ソフトバンクコーチ)も同意見でしたが、本人に自覚させなければ、どんなに練習させても意味がないとして、一軍マウンドを踏ませました」(球界関係者) その“プロの洗礼”が、2年目の飛躍につながったというのが星野副会長の意見らしい。 オコエが一軍で通用するかどうか、そのカギは打撃力にある。夏の甲子園大会中と、その後に招集されたU-18大会とでは、打撃フォームが違った。代表指揮官の西谷浩一監督(大阪桐蔭)がプロ入り後のことを見越して、オコエの打撃フォームを改造したのだ。 また、プロの投手のスピードに対応できるかどうか、やってみなければ分からない点も多い。梨田監督は「二軍で自信を付けさせてから一軍」という育成法だが、球団の営業面を考えれば、すでに人気のあるオコエに関しては星野式が採用される可能性のほうが高い。 持論を却下された梨田監督がへそを曲げ、星野副会長に反旗を翻さなければいいのだが…。