スポーツ
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スポーツ 2016年02月13日 18時00分
2016年プロ野球キャンプ情報「混セとパ1強5弱」説は本当か?(阪神編)
金本知憲監督(47)は打順を固定できず、投手継投にも頭を悩ますシーズンを迎えるのではないだろうか。 正二塁手争いを上本、大和、西岡剛が繰り広げ、梅野隆太郎と新人・坂本誠志朗が正捕手の座を争う。指揮官の言葉を借りれば、今年の阪神は投手を除く8つのポジションのうち、3つしか埋まっていないという。決まっているのは、遊撃手・鳥谷、右翼手・福留孝介、一塁手・ゴメス。残り5つは力のある者を使う、と…。この横一線の競争は良い意味での副産物を生んだ。しかし、首脳陣もある程度計算していた選手がいたはず。「レギュラーに近い」と目されていた選手の不調がちょっと気になる。 まず、正二塁手争いはオープン戦終盤までもつれ込むだろう。外野でゴールデングラブ賞を獲った大和のコンバートはもったいない気もしたが、内野ノックを見ていると何年も二塁を守っていたような軽快さである。上本博紀もいい。経験値の高い西岡も近年でいちばん動きが良いのではないだろうか。 対照的に、三塁手争いは“本命不在”だ。新外国人選手のヘイグは変化球の多い日本人投手に対応できるのだろうか。紅白戦(2月11日)で2安打を放ったが、打ったのは全て真っ直ぐ。「打ってアピールしなさい」と言わんばかりの真ん中やや外目の投球だった。バットが下から出るスイングで、振り切った後、体重が前に流れる。素人判断だが、高めの速いボール、内角の変化球に苦しむのではないだろうか。 「外国人選手は開幕に合わせて調整する。金本監督はヘイグに評価を下すのはオープン戦終盤」(チーム関係者) 三塁の守備力だが、新井良、今成のほうが巧い。ヘイグの守備練習を見ていると、エラーはしないのだが、捕球がぎこちない。ただ、投内連携プレーでは光るものがあった。短い距離でのスナップスローが物凄く良い。このヘイグのバットが金本監督の期待通り、オープン戦終盤で爆発するのであれば、米国時代と同じ一塁か外野にコンバートしたほうがいい。もっとも、一塁にはゴメスがいて、外野は「ライト福留」以外のセンター、レフトしか空いていない。この2つの外野ポジションを江越大賀、横田慎太郎、伊藤隼太、中谷将大らが争い、かつ二軍には期待の新人・高山俊が控えている。金本監督は今成にも外野の練習をさせている。正二塁手争いを繰り広げている上本、西岡、大和は打撃も好調なだけに、上本は昨秋キャンプから外野の練習もしているので、「二塁・西岡、外野で大和、上本を使う」という展開に変わるかもしれない。 ヘイグは三塁しか守るところがなく、打撃でアピールできなければ、新井良、今成、もしくは、去年と同じ「三塁・西岡」も考えるだろう。金本監督は上本、大和、西岡の3人とも使いたいのではないだろうか。 投手陣だが、藤浪晋太郎がスローペースで調整していた。スピードガンでは156キロをマークした日もあったが、昨季中盤以降に見せた「浮き上がってくる直球」には程遠い。おそらく、昨秋の侍ジャパン招集を辞退した右肩の炎症により、大事を取っているものと思われるが、メッセンジャー、能見がかなりハイペースで仕上げているだけに、一抹の不安は残った。 能見篤史はストレートの質が変わったように思う。ベテランの技巧派投手であり、近年は変化球主体のピッチングを組み立てていた。ストレートも球速を抑え、ストライクコースギリギリを狙っているイメージだったが、強いボールを投げていた。 左腕・岩崎優も良い。キレのあるボールを低めに投げ込んでおり、「何で、去年10敗もしたんだろう?」と不思議に思ったほどだ。 新クローザー候補のマテオだが、こちらも金本監督は開幕直前まで、「本当にクローザーを託せるのかどうか」で悩むのではないだろうか。前評判よりも制球力がある。あくまでもキャンプ前半での投球を見た限りだが、低めに投げるとき、球速が落ちる。一部報道によれば、「スペアとして獲得したドリスのほうが上」とあった。金本監督はゴメス、ヘイグ、メッセンジャー、マテオで外国人枠4人を予定しているそうだが、ヘイグのバットが火を噴かなければ、ゴメスと投手3人の開幕も十分に考えられる。 縦のスライダーがマテオの武器と紹介されているが、そのウイニングショットはコントロールできていないように見えた。縦の曲がり幅は大きく、鋭角だ。しかし、捕手が内角に構えても外角に行ってしまうのだ。制球力はストレートだけではないだろうか。 マテオは入団会見で「160キロを出せる」と話していたが、そんなにスピードは出ないように思う。振りかぶったときに、対戦打者方面にちょっと背中を向ける。その横の遠心力を使ってスリークオーター気味に投げるが、この投げ方からして、160キロは出ないのではないだろうか。但し、右打者は見にくい。1イニングなら十分に通用すると思うが、対戦打者にスライダーを見送られたときにどうなるか、ちょっと不安だ。 福原、安藤のベテランセットアッパーは健在だ。ここにFA補強した左腕・高橋聡文がいて、松田遼馬、歳内宏明も逞しくなってきた。ひょっとしたら、新クローザーの座を射止めるのは、マテオでもドリスでもなく、歳内かもしれない。計7人のリリーフ投手を注ぎ込み、相手チームとの相性で7人のうちの誰かに9回を託す“日替わり”もあり得る。 今年、狩野恵輔(33)が再クローズアップされるのではないだろうか。近年は主に代打。登録は捕手だが、守備に着くとしても外野だった。スイングと打球に鋭くなった。この好調さが本物なら、代打要員ではもったいないと思った。今成は三塁、二塁、捕手、外野と、守備練習で複数のポジションをこなしていた。調子を落とした選手がいたら、そこに今成をはめる構想だとしたら、今成が打のキーマンになるのではないだろうか。
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スポーツ 2016年02月13日 15時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈神格化されたカール・ゴッチ〉
「カール・ゴッチは本当に強かったのか?」とは、プロレスや格闘技ファンの間でたびたび起こる議論である。ゴッチの技術は“互いに組み合ってから闘う”という、レスリングのグレコローマンスタイルをベースとしたものであった。 よってそれだけを頼りとしたときには、打撃やタックルで相手との間合いを詰めることから始まる総合格闘技において、その技術を発揮する前に制される公算が高い。 だが、仮に全盛時のゴッチが総合に挑むことになれば、これに対応する新たな技術を習得することもあるわけで、結局「ゴッチの技術だけでは勝てないが、ゴッチ自身が通用したかどうかは不明」としか言いようがない。 ゴッチの強さを問うならば、それよりも“同時代における突出性”から見るべきだろう。ルー・テーズが「サブミッション技術では私の上をいく」と認め、力道山はその初来日時に「強けりゃいいってもんじゃねえ」と愚痴りながらも、以後、日本プロレスの若手育成コーチとして招聘した。 一時期はリングを離れてハワイで清掃員として働いていたゴッチを、再び呼び戻したのは国際プロレスの吉原功社長。その理由は「当時、世界屈指のテクニックを誇るビル・ロビンソンを招聘したものの、張り合える強豪がいないから」というものだった。 こうした“状況証拠”からしても、ゴッチの当時における優越性はうかがえるが、それでも疑問の声が上がるのは、良くも悪くもアントニオ猪木との関係によるものではないか。 旗揚げ当時の新日本プロレスは、外国人選手の目玉がいなかったことから、猪木と師弟関係にあったゴッチを“プロレスの神様”と持ち上げた。これは相対的に直弟子である猪木の評価を高めるのと同時に、“世間はNWA王座を最高峰というが本当に強いのはゴッチ”と、間接的に対抗団体の日本プロレスや全日本プロレスの脚を引っ張る意図があってのものだった。 「もちろん、ゴッチ自身は“神様”を自称したことなど一度もなく、新日と猪木を誇大に見せるため、ゴッチを実態以上に神格化して宣伝に使った部分はあるでしょう」(プロレスライター) では、実際の試合ぶりはどうだったか。前出の国際プロレスにおけるロビンソン戦では、現代の視点からするとやや地味ながらも、テクニックを競い合う好勝負を展開。5度の対戦はいずれも時間切れの引き分けに終わっている。 「フルネルソンを力で強引に外したり、逆エビで絞り上げたりと、ゴッチのパワーファイターとしての一面も垣間見られます」(同) 新日での猪木戦はどうか。こちらも5度の対戦で、ゴッチは3勝2敗と猪木に勝ち越している。 中でも有名なのは1972年3月6日、大田区体育館での新日旗揚げ戦で、ゴッチ必殺のジャーマン・スープレックスに対しては、辛うじてロープに逃れた猪木だが、直後の卍固めを力で外したゴッチは、そのまま猪木を持ち上げてリバース・スープレックスで3カウントを奪っている。当時、ゴッチは48歳。猪木は旗揚げによる心身の疲労があったとはいえ、29歳と旬を迎えたレスラーである。 また、自身の伝授したジャーマンを弟子の猪木が返し、直後にやはり自らが伝授した卍固めを破ってみせるという、師弟ならではのストーリーを演じたあたり、決して強さだけを追求する頑固一徹のレスラーではなかったようだ。 続くシングル第2弾、同年10月4日、ゴッチの持つ“世界最強ベルト”を懸けて行われた蔵前国技館での一戦も、場外でゴッチの放ったジャーマンを猪木がかわしてのリングアウト勝ちと、結果こそやや不透明ながら、全体的には見せ場はたっぷりだった。 「激しいバックの取り合いなどレスリングのムーブもありながら、ゴッチとしては珍しいワンハンド・バックブリーカーやダブルアーム・スープレックスなどを披露しています。キーロックを仕掛けた猪木をゴッチがそのまま持ち上げるという、のちにおなじみとなるムーブも見られました」(同) 神格化されたストーリーばかりが後付けで語られるものの、いい意味で“普通のレスラー”の一面も持っていたのだ。
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スポーツ 2016年02月11日 15時00分
新指揮官の注目度ゼロでW杯金欠ピンチの日本ラグビー協会
ラグビー・トップリーグの年間表彰式が行われ、人気の五郎丸歩(29=ヤマハ発動機)が「ベストフィフティーン」のFBに選出された。しかし、ワールドカップの善戦で注目を浴びたものの、同表彰式を取材したメディアはごくわずか。テレビ各局もニュースコーナーで、サラリと触れた程度だった。 「トップリーグの中盤以降、試合会場では閑古鳥が鳴いていました。ファン拡大と人気の安定は今後の課題です」(スポーツ紙記者) 国内リーグの終了と前後して飛び込んできたのは、日本代表ヘッドコーチの後任人事。ニュージーランドの大手新聞ヘラルド紙は“断定形”で「ジェイミー・ジョセフ氏が日本協会と合意した」と伝えた。 ラグビーブームはW杯での善戦によるところが大きい。それだけに次期指揮官の責任は重大で、さらに日本ラグビー協会がクリアしなければならない課題も多い。 「W杯日本大会の会場ともなる5万人収容のエコパスタジアムにリーグ戦の観客は1万余しか集められませんでした。五郎丸が出た試合にもかかわらずです」(TV局スタッフ) ラグビーW杯の大会運営はサッカーとは異なる。大会への協賛金、放映権料はすべて統括団体のワールドラグビー(旧IRB)に入る。そして、試合運営費は開催国の全額負担となっており、試合会場で閑古鳥が鳴けば主催国が赤字を被る。日本は70億円の予算を用意しているが、360億円は必要だという。70億円の出所は税金だ。日本は独自にローカルスポンサーを集め不足分の290億円をどうにかしようとしているが、国内リーグを見せられた後では、各企業も二の足を踏んでしまう。 また、大手企業は「'19年W杯より'20年東京五輪」と考えているという。 「五郎丸は国内リーグ戦で左手を負傷し、途中交代しています。その後、強行出場を続けたのはラグビー界を盛り上げなければ、の使命感からでした」(関係者) その五郎丸は2月から国際リーグ戦『スーパーラグビー』に参戦。選手もファンも、日本は眼中にない?
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スポーツ 2016年02月10日 15時00分
「高橋巨人」開幕ダッシュどころじゃない! 原&江川連合5月“政権奪回”説
阿部慎之助の捕手復帰を手始めに、「原野球全面否定」でスタートを切った高橋巨人。院政を目論んだ原氏の思惑は外れ、江川氏と連携しての政権奪回に動き出した。宮崎キャンプでは早くも「高橋政権5月危機説」が囁かれ始めた−−。 前政権時代の4年間、原辰徳監督は「全選手が横一線でスタートする。主力だろうが特別扱いはしない」と厳しい姿勢で宮崎キャンプをスタートさせた。 ところが、高橋由伸新監督(40)は一転して路線を大幅に変更。阿部慎之助(36)、相川亮二(39)、鈴木尚広(37)らベテラン組を「スペシャル(S)班」に組み入れ、別メニューで調整を実施している。 「新監督の阿部への気遣いはハンパじゃない。すべては阿部に捕手復帰してもらうためです。昨年10月28日の秋季練習初日、高橋監督はいの一番に、阿部に捕手復帰を打診しました。2年ぶりのV奪回には阿部の豊富な経験が不可欠なこともありますが、リーグ最低だったチーム打率(2割4分3厘)を2割6分〜2割6分5厘程度に引き上げるには、新外国人のギャレット(34、前ヤンキース)に期待するのが手っ取り早い。阿部に一塁を開けてもらう必要があったのです」(スポーツ紙デスク) 阿部はこれまで沈黙を続けてきたが、1月4日からのグアム自主トレ、21日からの宮崎自主トレで自身の体と相談したうえで、キャンプ直前に捕手復帰を申し出ていた。 この間、高橋監督との間でキャンプの調整法、ベテラン優遇などの条件闘争が続けられていた。それが納得のいく合意に漕ぎ着けたからこその捕手復帰なのだ。 この男を味方につければ、坂本、長野、村田らのベテラン勢はもれなくついてくる。だが、これでは指揮権を自ら手放したようなもの。 そのやり方に怒り心頭なのが、昨年のキャンプで「捕手・阿部」に見切りをつけ、「復帰は99%ない」と大見えを切った原前監督だ。すぐにでも宮崎に駆け付け、文句の一つも言いたいところだが、「由伸に余計な気を遣わせたくない」と発言した以上は、そうもいかない。そこで原氏が送り込んだ刺客が江川卓氏(60)である。 「そもそも、原氏は後任監督に江川氏を推していた。それが昨年10月に野球賭博問題が発覚。状況が状況だけに、読売首脳は過去に古傷を持つ江川氏を避け、クリーンな高橋氏の監督起用に舵を切った。しかし、後ろに松井氏が控えている以上、江川氏もハイそうですかと、すんなり引き下がるわけにはいかない。そこで原氏と連携する形で、重い腰を上げたのです」(巨人OBの野球解説者) キャンプイン直前の1月25日、江川氏はジャイアンツ球場を訪問した。 日本テレビの企画とはいえ、二軍球場に足を運ぶのは18年ぶり。今年ブレイクが期待される2年目の岡本和真内野手(19)と談笑し、「レギュラーになりたい、ではダメ。チームを背負って立つ選手になれ」と激励した。 これは「三塁・村田」の設計図を描く高橋監督への当てつけでもある。 「投手陣は今年から選手会副会長になった菅野が牛耳っている。その菅野は高橋監督の信頼が薄い。昨年優勝したヤクルト戦を苦手にしているからです。昨季、チームは13勝12敗と互角だったが、エース菅野はCSも含め0勝4敗。神宮球場に限れば、通算0勝5敗。そこで高橋監督は昨年の開幕前に左腕を痛め、わずか5試合(2勝1敗)の登板に終わったベテラン内海哲也投手とドラ1ルーキーの桜井俊貴をヤクルト戦の柱に据える考えです。内海の年俸は4億円。失敗しても責任転嫁できる。江川氏はそういう声の聞き役に回ることで結果的に菅野も内海も味方につけている」(巨人担当記者) 一方、松井氏は初日から14日まで、宮崎キャンプのフル参加を表明しているが、これは一軍だけでなく二、三軍まで視察する巡回コーチが狙い。主力の坂本、長野らには目もくれず、3年、4年先に主力となる潜在能力のある高卒選手を見て回り、指導している。 そもそも現体制は、野球賭博問題が広がり炎上した場合を想定した「様子見政権」だ。幸い問題は進展せず、本来の候補だった江川政権が再浮上してきた格好。チームが「高橋・阿部派、原・江川派、松井派」に3分立している異常事態から、ライバル球団の007が集結するサンマリンスタジアム宮崎のネット裏席ではこんな声が囁かれている。 「求心力を失っている巨人は、開幕ダッシュどころじゃない。5月の連休明けにも原前監督の息がかかった村田真一ヘッドが監督代行、シーズンオフに江川氏にスイッチ…」 チームに船頭は2人いらない。
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スポーツ 2016年02月09日 15時00分
次期理事長を巡る八角VS貴乃花「五分五分」となった土俵外バトル
嵐の予感いっぱいである。 初場所は10年ぶりとなる日本出身力士、琴奨菊(31)の初優勝で大いに盛り上がったが、熱気ではこちらも負けてはいない。1月29日、初場所が終わったばかりの両国国技館内で次の大相撲界のリーダーを決める理事選(役員候補選挙)が行われ、定員10人に対して現職6人、新人5人の11人が立候補。新人の高島親方(元関脇高望山)が落選した。 「本当は立候補する予定だった九重親方(元横綱千代の富士)が投票日前日、票が揃わなかったと断念しました。この九重親方を支持していた票が、微妙に他候補の得票に影響を与えたのは確か。予想では苦戦必至とみられていた伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)や山響親方(元幕内巌雄)らがそろってトップ当選しましたからね」(担当記者) 3月に改選される理事長のポストを激しく争っている八角理事長(元横綱北勝海)と貴乃花親方(元横綱貴乃花)の得票はともに9票で“痛み分け”となったが、当選した理事の顔ぶれを見ると、今後、両者の激突が一段と激しくなるのは避けられそうもない。 貴乃花親方にとって強い追い風となったのは、山響親方の当選だ。 この山響親方は、一門は異なるものの熱烈な貴乃花信奉者で、師匠である北の湖前理事長の遺志と称して立候補し、「前理事長は貴乃花親方を自分の後継者、つまり次の理事長と目していた」と“北の湖の遺言”の存在を明らかにしている。当選した直後も、「自分は北の湖親方の思いを貫いていくだけですよ。とにかくブレない気持ちでがんばっていきます」と熱く語っていた。 「伊勢ケ浜親方の当選も貴乃花親方にとっては有利な材料です。“反八角”という点では共通していますから。カギを握るのは、山響親方を除く3人の出羽海一門の理事たち(春日野、境川、出羽海親方)の動向です。この一門は今回も4理事、2副理事が全員当選し、一大勢力を誇っています。現在は八角理事長寄りとみられていますが、これから貴乃花親方が、自分に信頼を寄せる山響親方を突破口にどう切り崩していくか。理事長選挙まであと2カ月。貴乃花親方の動きから、いっそう目が離せなくなって来ました」(大相撲関係者) もちろん、八角理事長サイドも手をこまねいているはずもない。今後、両者のつばぜり合いは白熱するばかりだ。
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スポーツ 2016年02月07日 12時00分
「今度こそ俺のベルトに仕上げる」棚橋弘至インターコンチへの思いを胸に2・14新潟へ
「リスタート、さぁどこへ向かおうかな」 今年の1・4東京ドーム大会のメインイベントで、オカダ・カズチカが保持するIWGPヘビー級王座に挑戦した棚橋。1・4東京ドームで6年連続メインに名を連ね5連勝中だったが、激戦のすえ敗北。しかし「ドームの棚橋さんだからか、わからないですけど、率直に強かったです」と、これまで棚橋を意地でも認めることがなかったオカダに「強かった」と言わしめた。 翌1・5後楽園ホール大会で発表された芸能事務所アミューズとの業務提携に関する囲み会見には、選手代表として出席。木谷高明オーナーは「棚橋さんが一番座りがいい」と語り、棚橋も前日の敗戦を引きずったような様子を見せることなく、終始笑顔だった。そしてロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンとの6人タッグに敗れ、バックステージに引き上げて来ると、含み笑いを浮かべながら冒頭のコメントを出し、控室へ引き上げた。 そして棚橋の「運命のライバル」中邑真輔の退団が発表される。次なるビッグマッチ2・11大阪(エディオンアリーナ大阪)、2・14新潟(アオーレ長岡)に向け、たくさんの選手がアクションを起こし、カードが決まっていく中、棚橋の「向かう先」は明らかにされぬまま、中邑の新日本ラストマッチとなる1・30後楽園大会を迎えた。 中邑の壮行試合に臨む棚橋の両隣りには、2・11大阪でオカダのIWGPヘビー王座に挑戦が決まっている後藤洋央紀と、同じく大阪で石井智宏のリターンマッチを受けるNEVER無差別級王者の柴田勝頼が立った。そう、この試合が始まるまで新日本マットでの「ネクスト」が定まってないのは、この試合で退団しWWEのリングで世界に挑戦する中邑と棚橋だけだったのだ。【インターコンチを中邑に託される】 中邑の壮行試合は、1・4ドームでベルトを奪われたリベンジに燃える石井が、その相手である柴田を垂直落下式ブレーンバスターで仕留めた。この試合が壮行試合でありながら、2・11大阪大会の前哨戦でもあることは、試合後大ブーイングの中、執拗にオカダを攻撃し続ける後藤の姿からも見て取れた。 そこに1・5後楽園で行われたタッグマッチ(中邑&YOSHI-HASHI対AJスタイル&ケニー・オメガ)でIWGPインターコンチネンタル王者だった中邑(1・25に返上)から完璧なスリーカウントを奪って、所属しているバレットクラブからAJを追放し、新リーダーとなったケニーが現れた。リング下で中邑に何やら英語でまくし立てたケニーは、2・14新潟で中邑が返上したインターコンチ王座決定戦を「X(未定)」と行うことが発表されている。恐らく返上した中邑に対して納得できなかったのだろう。リング上を見ると中邑の他には「ネクスト」が定まっていない棚橋しかいない。棚橋は見かねた表情でケニーと中邑の間に割って入り「シャラーーーップ!」と絶叫すると、ケニーに言い聞かせるようにこう続けた。 「いいか? 説明してやるよ。寂しいけどな、中邑は、今日はラストマッチなんだ。わかるか?」 棚橋と中邑が同じ方向を向いている。答えはひとつしかない。 「だから…だから…インターコンチ! 俺しかいねぇだろ!」 後楽園ホールに足を運んだ1806人(超満員札止め)のファンが抑えられない感情を爆発させるのを見た棚橋は、指を鼻にあて「シーッ」と観客を黙らせた。 「アイ、アム、Xー!」 両手をクロスさせながらこう叫び、2・14新潟でケニーと闘うXに名乗りをあげたのだ。背後から中邑が近付き、棚橋の肩を掴む。この時、客席には号泣しているファンがたくさんいた。中邑が愛し、新しい価値と創造を築き上げたインターコンチの運命は棚橋に託された。ケニーが引き下がるのを見届けた棚橋はリングを降りる前、中邑の方を一瞬振り返ったが、目が合うことはなかった。それはそれで、また再会した時の楽しみにとっておけばいい。 「ファンも俺たちレスラーも、前に進んでいかないといけない。中邑がいなくなるという喪失感はデカすぎる。ただ、まず中邑がいないという現実を受け止める。それがまず俺たちができる第一歩。時間がかかるかもしれないけど、これに慣れていくしかない。忘れるぐらいに盛り上げていくしかない。もしこれで、『新日本、オイ大丈夫か?』ってなるようなことがあったら、中邑も思い切って活躍できないでしょ? それは、俺たちにとっても本意ではない。新日本プロレス、まだまだ盛り上げていきますよ」【前回歩めなかった棚橋のインターコンチロード】 バックステージに引き上げて来た棚橋は、中邑退団による新日本のダメージについて冷静に分析しながらコメントした。さすがはエースである。その腰にIWGPヘビーのベルトはないが、新日本の象徴が棚橋であることは揺るがない。そんな棚橋にこんな質問をぶつけてみた。 −−今度こそ、インターコンチで、前回できなかった棚橋さんの新たな物語が始められるんじゃないですか? すると棚橋は「そう、そう、そう!」と軽く拳で壁を叩きながら「前は何ともできなかったから、鬼の居ぬ間に、俺のベルトに仕上げますよ」と晴れやかな表情で語り、控室に戻っていった。 棚橋は2014年の1・4ドームで中邑を破りインターコンチ王座を奪取すると「白いエース」宣言。そして「ベルトっていうのは、共有した時間の長さの分だけ思い入れが生まれるから、このインターコンチも俺のいい相棒になってくれると信じてます」と語り、また多くのファンが棚橋のインターコンチロードはどんなものになるのだろうかと期待していた。しかし、2月に中邑相手に初防衛に成功するも、4月の中邑との3度目の対決に敗れ、棚橋のインターコンチロードは見られぬまま終わっている。この時の悔しさが「そう、そう、そう!」という最初に出た言葉に詰まっていたのは間違いない。 だが、バレットクラブの新リーダーになって最初のビッグマッチとなるケニーは、ある意味棚橋よりも敗れたときのリスクがあるのではないだろうか。ヘビー級転向後、初のシングル。勝利のためなら当然セコンドを介入させて来ることも十分考えられるだけに、苦戦が予想される。試合後に中邑は棚橋について「『あとは任せたぜ』って言える仲間の一人」と語った。中邑から託されたインターコンチの運命、そしてあの頃歩めなかったインターコンチロード。様々な思いを胸に、2・14新潟から棚橋のリスタートが幕を切る。(増田晋侍)<リアルライブ・コラム連載「新日Times」VOL.4>
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スポーツ 2016年02月05日 18時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈小橋vs健介“伝説の剛腕対決”〉
“科学的トレーニング”や“合理的ゲームプラン”が推奨される昨今のスポーツ界だが、こと日本においては、今なお精神論がもてはやされる傾向にある。 幼少時からマンガやドラマ作品で「努力」「忍耐」「根性」を打ち出した、いわゆる“スポ根もの”に親しんできた影響もあるのだろう。これをリング上で再現してみせたのが、プロレスラー・小橋建太である。 高校卒業後にいったんサラリーマンとして就職するも、プロレスラーになるため退職。新弟子試験では書類審査で落選するが、それでも諦めることなく全日本プロレスの事務所へ直談判。通っていたトレーニングジムの会長で、プロレス界に知己の多い遠藤光男の紹介を得て、なんとか全日本プロレスへの入門を果たした。 「実のところ、当時は大相撲十両・玉麒麟(田上明)の入門が決まっていて、20歳すぎで特別な格闘技経験もない小橋は、完全に“いらない子”でした」(プロレスライター) それでも小橋は、並外れた練習を積み重ねることで徐々に周囲に認められ、ついにメーンイベンターまで上り詰めた。 「ウエイトトレーニングには否定的だったジャイアント馬場が、小橋の練習ぶりに感化されてそれを取り入れたそうです」(同) 一方、佐々木健介も小橋同様、努力と根性でのし上がったプロレスラーである。 長州力に憧れてジャパンプロレス入りしたものの、決して体は大きくなく、格闘歴も目立ったものではなかった。そのため、健介に対する長州の方針は、「適当にしごいて追い出してしまえ」だったが、そんなパワハラ稽古に耐え切ったことで、目をかけられる存在となっていった。 「長州の直弟子として、新日本プロレス入団後は優遇されたように見えましたが、弟子だからこその使い勝手のよさから、重要な試合では損な役回りをさせられることも多かった」(同) UWFインターナショナルとの対抗戦での垣原賢人戦や、新日初登場時の大仁田厚戦などは、健介にとってきっと不本意なものだったろう。しかし、それにもめげず、与えられた役回りを全力で尽くすことで、トップの一角を担うまでに成長していった。 そんな小橋と健介の初対戦となったのが、2005年7月18日、プロレスリング・ノアの2度目となる東京ドーム大会であった。 いずれもラリアットを得意とするパワーファイターと、スタイルも似た両者。健介オフィス(のちにダイヤモンドリング)を立ち上げたばかりでノア初参戦となる健介と、直前にGHC王座を力皇に明け渡すまで“絶対王者”と称された小橋が、いったいどんな試合を繰り広げるのか。 勝敗への興味は自ずと高まったが、4月のノア武道館大会でカードが発表されて以降、健介は一切、コメントを口にしなかった。 これについて健介は、試合後「コメントを口にしないことで己の緊張感を高めていた」と語っている。それほど特別な試合だったというわけだ。 これは小橋も同様で、入場テーマ曲にはGHC王座戴冠前まで使っていた『グランド・ソード』を選んだ。健介戦での原点回帰を期していたのだ。 6万2000人の大歓声の中、いきなりの健介のバックドロップで始まった試合は、手探りなしの一直線。互いの得意技を惜しげもなく繰り出していく。 山場は、今なお語り継がれる伝説のチョップ合戦。5分以上にもわたって互いに繰り出した逆水平チョップの総数は、なんと218発を数えた。 衝撃から逃れることなく体を前に突き出して、相手のチョップを受け続ける。1発ごとに飛び散る汗のミストが、ライトに照らされてキラキラと輝く。2人の厚い胸筋は、ドームのスタンド席から分かるほど、ドス黒く変色していった。 この試合に影響され、闇雲にパンチやエルボーの打ち合いをするレスラーが増えたが、このときの2人とは1発ごとの重みが違う。チョップだけで試合が終わったとしても、きっと観客は満足する。それだけの迫力は、おいそれと真似できるものではない。 最後はローリング袈裟切りチョップの連発からのラリアットで、小橋が健介を抑え込んだが、もはや勝敗など関係ない。両者の激闘を讃えるファンの大歓声は、いつまでもやむことがなかった。
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スポーツ 2016年02月05日 13時30分
球界復帰の思いが空回りした? 元盟友・桑田真澄氏が明かした清原容疑者の裏の顔
2月4日、巨人キャンプを表敬訪問していた桑田真澄氏(47)が記者団の要請に応え、盟友・清原和博容疑者(48)が逮捕された件についてコメントを発した。 その映像は同日中のTVニュースでも伝えられたが、桑田氏の「3年ほど絶縁状態であった」なる発言に驚いた巨人関係者も少なくなかった。 「桑田さんの話が全て真実だとすれば、清原容疑者の態度はどうかと思います。桑田さんが仲介した野球関係の仕事をスッポかしたり、手を抜いたりしたと聞かされれば、桑田さんだって怒るし、心配もするでしょう。そういう気遣いをうっとうしいとし、距離を取った清原容疑者のほうが間違っています」(球界関係者) 桑田氏は自身の元に来た解説の仕事や野球関係の講演会依頼がこなせないとき、クライアントに「清原を是非使ってほしい」と推薦していたという。だが、清原容疑者はマジメに仕事をしなかった。それを諫めた桑田氏に「もう放っておいてくれ」と、一方的に絶縁を告げ、約3年が経過したそうだ。 現時点で、清原容疑者が覚醒剤に手を染めた背景に「プロ野球界復帰を願っていたが、叶わず、その焦燥感と寂しさがあった」と伝えられている。 民放テレビ局スタッフもそれを裏付けるように、こう話していた。 「逮捕までの約半年間、清原容疑者は自分から売り込んで来たり、『なんでもやるから』みたいな言い方までしていました。1時間の情報番組の5分くらいの出演でも引き受けていました。具体的な金額は言えませんが、駆け出しのお笑い芸人が得るくらいの出演料の仕事でもこなしていました」 「生活のため」もあっただろう。清原容疑者が“ドブ板営業”を引き受けたのだが、テレビに出演し、その人気と存在感を示すことによって、どこかのプロ野球チームからお声が掛かると思っていたそうだ。 近年誕生したプロ野球監督のなかには、野球見識や指導者経験ではなく、ネームバリューで招聘された者もいる。しかし、バラエティや情報番組は“畑違い”であり、復帰の希望は叶わないだろう。 すでに時遅しだが、ならば桑田氏に謝罪し、関係を修復して野球解説の仕事を仲介してもらったほうが良かったのではないだろうか。 スポーツ中継のTVプロデューサーが「一般論」と前置きし、こう言う。 「大半のプロ野球OBは地上波でのプロ野球中継が減ったことを指して『仕事がない』とこぼしています。一理あるけれど、今は衛星放送で12球団6カードの中継をやっており、メジャーリーグも中継しています。仕事はないわけではない。ひと昔前のような高額なギャラはお支払いできませんが、私たちがお願いしたいと思える解説者が少ないんです。大半のプロ野球OBは勉強してくれない。アナウンサーが話を振っても、気の利いたコメントを出してくれないので」 孤独の責任は清原容疑者の側にも責任があったようだ。 2月4日、巨人キャンプを表敬訪問した桑田真澄氏(47)は、どこかぎこちなかった。 「盟友の逮捕」について語ったのだが、記者団の質問が途切れると、「もう大丈夫ですか?」と、桑田氏のほうから聞き返していた。桑田氏はどちらかといえば、マスコミ嫌いなほうである。自身もかつてはスキャンダル報道の標的にされ、現役時代は番記者たちに「勉強不足だ」と噛み付いたこともある。もっと言えば、記者団が「清原容疑者の逮捕について会見を」と要請したとき、断るのではないかと思っていた。清原容疑者と絶縁状態にあったことは、桑田氏自らが切り出している。直接、清原容疑者に伝えることができないため、囲み会見という形でしか、伝えられないと思ったのだろうか。 「今年1月、母校・PL学園野球部のOB会が開かれましたが、清原容疑者は欠席でした。PLのOBたちはKKコンビの絶縁を察していたようです」(高校野球の要人) だが、PL時代の仲間たちとは縁が切れていなかった。昨年12月半ば、清原容疑者は一学年先輩のPL野球部卒業生と個人的に会っていた。清原容疑者のほうから連絡を取り、食事をしたという。 「PL関係者が会うと必ず話題になるのは、母校野球部の存続問題です。なんとかして野球部を残したいとの声が圧倒的で、会えば必ずと言っていいほど存続策の話し合いになります。でも、清原容疑者だけは『何かあれば自分も』という、一歩引いた言い方でした」(前出・同) 清原容疑者はプロ野球界への復帰を希望していた。指導者願望があり、人一倍強く持っていたという。仮にだが、清原容疑者が「自分が母校の指導者になる。後輩たちのために」と口にしていたら、どうなっていただろうか。卒業生たちは全面的に協力したはずだ。しかし、学校側は賛成しただろうか。高校時代の彼は“ヤンチャ”で通っていた。野球以外、つまり、学園生活は劣等生であり、人間教育の場でもある高校部活動の指導者に相応しいタイプではない。清原容疑者はそういった自身の評価を知っていたので、母校野球部の存続問題については積極的に意見を言わなかったのではないだろうか。 プロ野球解説者が『野球人・清原』をこう評する。 「彼はスタメンのレギュラーでしか野球をやったことがない。極端な言い方をすれば、少年時代から中心選手でしか野球をやっていないんです。巨人移籍後、悪態ばかりが報じられるようになりましたが、客観的に見れば、年齢的に力が衰えていました。肉体改造などで頑張ったことは認めますが、ベテランとして、どうやってチームに生き残っていけばいいのかを考えず、4番であり続けようとしていました。4番であり続ける生きざまもけっこうですが、ベテランとして一歩引いてチームのために尽くす野球を受け入れようとしなかったから、引退後の生活に適応できなかったのではないか」 かつて、清原容疑者を指導した森祇晶元西武監督がこんなことを話していた。「名将の下で野球をしなければ、監督にはなれない」と。自身が現役時代に川上哲治氏に鍛えられた経緯について語っていたのだが、清原容疑者はPL学園で名将の誉れ高い中村順司氏に鍛えられ、23年のプロ野球生活で森、長嶋茂雄、仰木彬の3氏の下で学んでいる。清原容疑者は「現場復帰したい」とこぼしていたが、恵まれた環境にいたのである。清原容疑者が名将の下で学んだ経験を生かそうと思えば、引退後の人生は変わっていたのではないだろうか。(了)
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スポーツ 2016年02月02日 15時00分
10年ぶりに日本人力士優勝! 琴奨菊の小心キャラ克服の裏
記録はいつか途切れるものとはいえ、それをやってのけたのが31歳で引退間近の“お荷物大関”になるとは誰が予想しただろうか。 大相撲初場所(東京・両国国技館)で'06年初場所の大関・栃東以来10年ぶりとなる日本出身力士、大関・琴奨菊(31)が初優勝した。それも白鵬など3横綱を3タテするなど、文句のつけようのない内容だった。 「神がかり的、というのはこの場所の琴奨菊のことです。4日目の安美錦戦で物言いをつけられてもおかしくない勝負を拾うなどツキもありましたが、終盤は持ち前の鋭い出足とパワーで完全に相手をねじ伏せましたから。どうして突然、こんな目の覚めるような相撲が取れたのか。本人もよく掴みきれていないようでしたが、相撲協会の中でも、この優勝に驚いた関係者が多かったことは確かです」(担当記者) そんな初優勝の裏にあったのが、新妻の内助の功だ。 昨年7月に結婚した祐未夫人とは入籍を済ませただけで、式を挙げるのは1月30日。実は今場所好調だったのも「賜杯の横に必ず座らせてあげる」と彼女に約束していたからだという。 そしてもう一つ、あのルーティンにも秘密があった。 「琴奨菊は精神的に弱く、小心キャラだった。精神安定剤を服用しながら出場を続けたり、大関昇進前には写経をしていました。今は心を落ち着かせるため、深呼吸をする。それが、最後の仕切りの際、上体を大きく反らして深呼吸をする“琴バウアー”です。確か、深呼吸の効用は東海大の先生に教わったと聞いています」(スポーツ紙記者) そんな苦労が知られていただけに、琴奨菊が豪栄道を破って優勝を決めた直後の国技館内はまるでお祭り騒ぎ。初場所が終わると、大相撲界ではもう一つのビッグイベント、理事選(役員候補選挙)が行われるが、苦戦が予想される九重親方(元横綱・千代の富士)までお祝いの言葉を述べたほど。 だが、当のヒーローの目にはドラマチックな優勝につきものの涙はなく、支度部屋に戻るなり、「感無量。今日も迷いなくいけた。日本人10年ぶりの優勝は、たまたま自分がそのときに優勝しただけ。本当に(ケガだらけの)この体でよく闘った」と語った。 さあ、来場所は綱取りだ。日本人横綱がいなくなって丸13年。果たして琴奨菊はもう一度、旋風を巻き起こすことができるか。
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スポーツ 2016年02月01日 16時31分
ヨシノブは集客戦争で生き残れるか
キャンプイン直前の1月30日、長嶋茂雄終身名誉監督(79)の特製ベースボールカードを2月20日と同21日に配布すると発表した。2月20日は長嶋氏の80歳の誕生日だ。それを記念してのファンサービスだという。 「キャンプ報道の優先順位は、新任監督、話題のルーキーがいる球団からです」(ベテラン記者) 高橋由伸監督(40)を就任させた巨人も大きく扱われるだろうが、『新監督インパクト』でいえば、阪神・金本知憲監督(47)のほうが上だ。また、近年の宮崎キャンプの注目度だが、タクシーで10分ほど離れた『生目の杜運動公園野球場』の福岡ソフトバンクホークスのほうが来場者数で勝っている。 ホークスよりも先に宮崎でキャンプをスタートさせた巨人からすれば、 「九州地区はホークスファンが多いとはいえ、キャンプ来場者数では負けたくない」と、地団駄を踏んでいるはずだ。 まだ日程は明らかにされていないが、長嶋氏が今年も巨人キャンプを訪れる予定になっている。長嶋監督時代の巨人打線をともに支えた盟友・松井秀喜氏もいる(臨時コーチ)。 この3人が揃う日、野球報道は巨人一色になるのは間違いない。しかし、こんな悲鳴も聞かれた。 「あくまでも主役はヨシノブです。松井氏がヨシノブよりも目立っては…」(関係者) 松井氏も自身の“立ち位置”は分かっているはず。一歩引いて、長嶋氏とともにヨシノブを盛り立てるつもりだが、報道陣は「一に長嶋氏、二に松井氏」で質問攻めにするのではないだろうか。 「長嶋氏、松井氏、ヨシノブ」でお隣のホークス、金本阪神に対抗。でも、立ち位置では長嶋氏と松井氏はヨシノブより目立ってはいけない…。何か不思議で、気疲れしてしまいそうである。 本来なら、巨人はドラフト1位ルーキー・桜井俊貴(22=立命館大)を目立たせ、チームの顔に育てなければならないはず。チーム関係者によれば、高橋監督もそう考えているそうだ。 「高橋監督は岡本和真、大田泰示を覚醒させることを考えています。2、3年先のチーム像を考えたら、それが正しいと思います」(プロ野球解説者) キャンプの集客戦争で引けを取れば、巨人はペナントレースで「阪神の次」なんてことにもなりかねない。しかし、高橋監督は冷静にチームを分析できている。その意味では、ライバル球団と十分に張り合っていけそうだが…。