スポーツ
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スポーツ 2016年02月28日 12時00分
PL学園野球部「休部」決定! 『清原のせいや!』の怨嗟の声
高校野球屈指の名門、PL学園(大阪)が2月17日、硬式野球部を今夏の大会を最後に休部させる方針であることを明らかにした。同校事務局が「廃部ではなく休部という形になると思う。その先のことは分からない」と説明した。 新監督として同校事務職員で剣道部OBの川上祐一氏(41)の就任を発表。13年10月から2代続けて校長が兼務した有名校の監督を、またも本格的な野球経験のない人物が務めることになる。 これもすべて、「清原逮捕のせいや…」という怒声が渦巻いている。常習性、それも「現役時代から」と伝えられる現状に、母校関係者から「一生恨んでやる!」の声も聞こえてきた。 「今回の清原逮捕が母校PL学園の野球部廃止の流れを加速させました。ただでさえ抗しがたいものがあり、そのためOBたちは必死に存続に動いてきたのですが…」(高校野球関係者) 同校では'01年、下級生イジメ事件が発覚。以後、その遠因だった上下関係の『付け人制』を改めたが、'13年に再度発覚した。これが実質的に同校の運営実権を握る3代目教祖夫人の逆鱗に触れ、'14年以降、新入部員の受け入れも禁止してしまったのだ。 教祖夫人は野球部OBが卒業後、教団と距離を置く現状にも怒っていたという。 こうした状況に対し、逮捕前の清原容疑者は元盟友・桑田真澄氏を名指しして、こう発言していた。 「東大を教える暇があったら、PLに帰って…」 桑田氏が東大野球部を指導した'13年4月。当時はこの発言を支持するOBも多かったが、同容疑者は「教団と距離を置く典型的な1人」でもあった。野球部の同窓会にも顔を出さなくなったのは、逮捕後に桑田氏も明かしていた。しかし、同期で主将だった松山秀明・千葉ロッテ二軍コーチ、一学年上で元同校コーチを務めた清水孝悦氏とは連絡を取り合っていた。 「清水氏とは1月に個別に食事をしています」(同) とはいえ、清原氏から野球部再建の熱意は聞かれなかったそうだ。PLに限らず、高校野球はプロ養成所ではない。人間形成の場だ。 「清原は高校野球の監督をやりたいと言い、PL卒業生も聞かされています。入れ墨がネックになりそうですが、『東京五輪後は状況が変わる。ファッションでタトゥーを入れた外国人がたくさん来るから、日本人の反応も変わる』と言ったそうです。その持論を聞かされた面々は返す言葉もなかったそうです」(同) 現2年生11人が今夏の大会を終えれば、栄光あるPL野球部はジ・エンド…。 甲子園名物、PL学園の見事な“人文字絵”の応援風景は、もう見ることはできないのか?
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スポーツ 2016年02月25日 18時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈“悪魔王子”ナジーム・ハメド〉
まさに異端児と呼ぶにふさわしい。元WBC、IBF、WBO世界フェザー級王者の“悪魔王子”ナジーム・ハメド。 「その独特なファイトスタイルをして『ボクシングに革命を起こした』と評する声もありますが、あれはとても他の選手の真似できるものではない。やはり特別な存在としか言いようがありません」(ボクシング記者) 華麗にステップを踏み、ノーガードで相手に顔を突き出して挑発するのは、モハメド・アリら先人にも見られたスタイル。実は面前でガードをしないほうが自分の手が邪魔にならず、相手の攻めを見切りやすいという利点もあるのだが、そこからの攻防がハメドの真骨頂だった。 相手の攻めをのけ反るようなスウェーバック…すなわち荒川静香のイナバウワーばりにしてかわすと、そこから逆襲のパンチを放っていく。普通はそんな不安定な体勢で拳に体重を乗せることなどできず、まずまともなパンチを打つことは不可能なのだが、しかし、これがKOパンチになってしまうのがハメド流なのだ。 体幹の強さ、強靭なバネ、柔軟性のすべてを人並み外れた高レベルで備えねばならず、また、練習すれば誰もが身に付けられるという質のものではない。まさに天賦の才が求められる唯一無二のボクシングだった。 「相手に向かって飛び込みながらパンチを放つのも、しっかり脚を踏ん張って打つのと違って力が伝わりにくいため、セオリーに反します。しかし、ハメドはそれでもKOを奪っている。軽量級のフェザー級で約85%のKO率を誇るように、パンチ力も飛び抜けていたのです」(同) ちなみに、近い階級の日本人では、バンタム、フェザー級で世界王座を獲得して“平成最強の日本人ボクサー”とも評される長谷川穂積がいるが、そのKO率は約40%である。 トリッキーなファイトでKOの山を築き上げていくハメドの人気は、1992年に母国イギリスでデビューして以来、うなぎ上り。評判が評判を呼んで'97年にはアメリカ進出を果たし、軽量級ながら“ボクシングの殿堂”マジソン・スクエア・ガーデンのメーンイベンターとして登場する。 このときのファイトマネーは、日本円にして約3億円。これも軽量級としては異例の高額であった。入場時にはテーマ曲を丸々2曲ぶんの10分近くもかけ、花道奥からリングサイドまでダンスしながら練り歩いた。そして、エプロンからトップロープを飛び越え、一回転でのリングイン。 対戦相手のケビン・ケリーは、ハメドのパフォーマンスに怒りを抑えきれない様子で、額を突き合わせてのにらみ合いとなった。 この試合、PPVの契約も相当な数にのぼったが、ハメドへの注目はいわゆる悪役人気でもあった。正統派のボクシングファンからは「パフォーマンスだけのインチキ野郎」との声もあり、会場では母国選手の勝利を期待する“ケリーコール”が巻き起こった。 そんなアウエーの雰囲気が影響したのか、1R早々にケリーをコーナーに詰めたところで反撃され、ハメドはいきなりのダウンを喫してしまう。 2Rに入ってもケリーの攻勢は続き、左右のフックを食らったハメドは2度目のダウン。 「アメリカデビュー時のハメドは、すでにプロ29戦目。相手から徹底的に研究されていたことも苦戦の原因でしょう」(同) だが、ハメドはさして効いた様子も見せず、一瞬の隙をついた右でダウンを奪い返すと、そこからはストリートファイトさながらのどつき合い。 4Rにはまずハメドがダウンを奪うが、ケリーの反撃で3度目のダウン。それでもハメドは守りに回ることなく攻め続け、その左フックがこめかみをとらえると、ケリーは尻もちをつくようにゆっくりと後ろへ倒れていった。 この後、ハメドはアメリカでも快進撃を続けることになる。 「話題を得るため、弱い相手とばかり対戦してるのでは?」との批判もあったが、WBA現役王者で王座を返上したばかりのウィルフレド・バスケス、WBC王者のセサール・ソトらを倒して実力を証明。マイク・タイソン失速後のアメリカボクシング界を、大いに盛り上げたのだった。
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スポーツ 2016年02月24日 18時00分
次期JGTO会長・青木功が推す“リオ五輪メダルでシード権保証”の思惑
男子ツアーを統括する日本ゴルフツアー機構(JGTO)の次期会長に、“世界のAOKI”ことプロゴルファー青木功氏(73)の就任が“内定”した。 「任期は2期4年。現会長の海老沢勝二氏が任期満了で退任する意向を示しており、その後任として青木氏に打診したところ、前向きな返事が得られた。3月4日の総会、理事会を経なければなりませんが、選手会も歓迎の意向を示しています」(専門誌記者) 青木氏は現在もシニアツアーで活躍する現役プロ。クリーンなイメージの同氏がトップに就けば、低迷する国内男子ツアーに新たなスポンサーも加わるかもしれない。しかし、“青木革命”はそれだけではない。 「日本ゴルフ協会は『五輪競技対策本部』を立ち上げ、リオ五輪出場に備えています。代表ヘッドコーチの丸山茂樹、強化委員長の倉本昌弘の両プロはメダル獲得の報奨金代わりとして、『50歳までの期限付きツアーシード権』を与えようと提案しています。協会はやりすぎだと反対しているのですが…」(運動部記者) シード権については、ツアー機構の了承も得なければならない。だが、青木氏は会長を打診される前から「いいんじゃないの〜?」と、賛成の意向を漏らしているというのだ。 「石川遼が最たる例で、若手は好成績を持続できないが、地力を養った途端に海外に行ってしまう。さらに国内ツアーには翌年のシード権を確保するだけの最低回数しか出場しない。そんな彼らを厚遇する報奨制度となるだけに、年長者たちは難色を示しているのです」(前出・専門誌記者) 減少傾向にある国内ツアーは、これまでアジアツアーが主催していたのを共催に変え、ツアー回数を維持しているのが現状だ。青木氏にはゴルフ界の不況脱出を期待されるが、「『複数年シード権』に柔軟なのは、次期会長として選手の気持ちを掴もうとしているため」(同)との見方も。 もっとも、日本人の世界ランキング最上位は12位の松山英樹。現状ではリオでメダルを獲る可能性は極めて低く、内輪揉めしている場合ではないのだが…。
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スポーツ 2016年02月23日 15時00分
3場所連続の逸V 白鵬の不可解な“失速”に「電撃引退…」の声
3月には31歳となる横綱白鵬(30)だが、来場所以降も、今場所終盤のようなぶざまな姿が続くようなら、あっさり電撃引退する可能性も浮上した。果たして、一度狂った歯車は元に戻せるのか…。 史上最多の優勝35回、常勝を誇った横綱白鵬が明らかにおかしい。先場所も終盤、大関琴奨菊にあっさりと競り負けて日本出身力士として10年ぶりの優勝を許してしまった。先々場所、やはり終盤に3連敗し、日馬富士に逆転優勝されたときとまったく同じパターンだ。 これで3場所連続の逸V。白鵬がこんなに長く優勝から遠ざかるのは横綱になって2度目のことだ。千秋楽翌日の横綱審議委員会でも白鵬の不可解な失速が話題になり、「あれは何なんだ」と厳しい声も上がり、都倉俊一委員も「不思議ですね」と発言。守屋秀繁委員長も「千秋楽は先に(琴奨菊の)優勝が決まってしまい、精神的に頑張れなかったのかな」と、いかにも心配顔だ。 いずれの場所も中盤までは快調に勝ち進んでいただけに、稽古不足やスタミナ切れを指摘する声も多い。 そう言えば、自分でも稽古不足を痛感しているようなフシもある。 「急にやりたくなったんだ。稽古はやって損はないから」 いつもは休養日に当てる先場所の初日2日前も土俵に下り、そう照れくさそうに話していた。 もしかすると、白鵬自身、優勝したときの感覚をド忘れしているのかもしれない。それだけに2月7日、両国国技館で行われた「大相撲トーナメント」で久々に優勝したときの喜びようは大変なものだった。 決勝戦で日馬富士を下し、およそ半年ぶりに優勝トロフィーを受け取ると、「ここ4、5日、体調がよくてね。(この大会も)40回目の節目。そんな思いもあった」とニッコリ。優勝賞金250万円を手にして支度部屋に引き揚げて来ると、その場で封を切り、「ほれ、小遣いだ」と7人いる付け人たちに3万円ずつ、床山には5万円を配り、忘れかけていた横綱の威信を取り戻したかに見えたのだが…。 「3回戦で新鋭の御嶽海を呼び戻しで豪快に投げ捨てたことも、喜びを倍化させたんじゃないでしょうか。残りの賞金は、両親の金婚式で11日から行くハワイ旅行の費用に当てる、とご機嫌でした」(担当記者) すでに稀勢の里は1日から、綱取りを目指す琴奨菊も4日から、稽古を開始している。ノンビリとハワイですごす姿に、大横綱の風格は感じられない。その頭の中には“引退”の2文字がよぎっているのかもしれない。そのXデーは、そう遠くない将来に訪れるかも。
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スポーツ 2016年02月22日 18時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈ド迫力の外国人“頂上決戦”〉
「出る前に負けることを考えるバカがいるかよ!」(アントニオ猪木) 「時は来た。それだけだ…」(橋本真也) 今ではこれらセリフとともに振り返られることの多い1990年2月10日の新日本プロレス東京ドーム大会。当初、大会の目玉とされていたのは、米国WCWで看板スターとなったグレート・ムタの凱旋マッチだった。 対戦相手も新日初参戦となるリック・フレアーという豪華カードで、新日ファンに限らず注目を集めていた。しかし、これが突如、一方的にWCW側からキャンセルされる。 「同年4月に開催予定のWWF興行『日米レスリングサミット』に新日が協力することになり、これに対し米国でWWFと興行戦争を繰り広げていたWCWが難色を示したのです」(プロレスライター) 最大の売り物を失ったのでは、大会開催そのものが危うい。新日の社長に就任したばかりの坂口征二にとっては、最初の大仕事でミソをつけることにもなる。 そこでひねり出したのが全日本プロレスへの協力要請という、当時としては誰も想像すらしていない離れ業だった。これにジャイアント馬場は二つ返事でOKを出す。 しかも、坂口の申し出は、かつて新日でも人気を誇ったスタン・ハンセンを借り受けたいというものだったが、馬場からの返答は「ジャンボ鶴田や天龍源一郎も貸し出す」という予想外の大盤振る舞いだった。 「表向きには“坂口の社長就任祝い”でしたが、その裏には馬場なりの計算もありました」(同) 実はフレアーの新日参戦が決まったとき、これに先立って新日と全日との間で結ばれた『引き抜き防止協定』に引っ掛かるとして、問題が生じていたのだ。 日本においては全日側が権利を持つフレアーを新日が招聘するにあたり、馬場が代償として要求したのはスティーヴ・ウィリアムスの移籍だった。 「フレアーの新日参戦がなくなれば、その移籍話も消えてしまう。しかし、馬場としては以前から目をつけていたウィリアムスを、どうしても獲得したかった。そのため、新日に恩を売るにしても、ハンセンの1回きりの貸し出しでは釣り合わないと考え、鶴田や天龍もと言い出したわけです」(同) 思惑はどうあれ、初の全日と新日による本格対抗戦は、ファンにとってムタの凱旋以上のインパクトを与えることになった。 発表と同時にチケットは完売。試合当日には東京ドーム周辺に、入場できないファンが層をなした。 水道橋駅からドームへ向かう陸橋では、大勢のダフ屋が「5万!」「7万!」と威勢のいい声を上げていた。 大会も中盤となる第7試合。花道に鶴田が登場すると、ドームが割れんばかりの大歓声で迎えられ、日本のプロレス界では初めてとなる観客席でのウエーブも巻き起こった。 ただし、試合そのものはやや低調に終わる。鶴田&谷津嘉章vs木村健吾&木戸修は、格の違いから鶴田組の圧勝。続く天龍&2代目タイガーマスクvs長州力&ジョージ高野は、どこかチグハグで噛み合わない試合となった。 顔合わせの新鮮さ以外に見どころの少ない展開に、やや冷めかけたファンの気分を再度燃え上がらせたのは、続いてのビッグバン・ベイダーvsスタン・ハンセン。両団体トップ外国人の激突であった。 試合開始早々、両者殴り合いの中で、ベイダーは右目眼窩底骨折の重傷を負う。その痛みからマスクを脱ぎ捨てると、場内ビジョンに、ベイダーの腫れ上がったまぶたが映し出された。 しかし、どよめく観客席をよそに試合は続行! 負傷のハンデもなんのその、ベイダーはコーナー最上段からのベイダー・アタックとボディーへの重爆パンチで畳み掛け、ハンセンの予告ラリアットもドロップキックで迎撃してみせる。 これにハンセンもブルファイトで応戦。一瞬の隙をついた不意打ちラリアットで両者場外へ転落すると、果てをも知らぬ乱闘へとなだれ込んでいった。 結果、両者リングアウトとなったが、平成版トップ外国人対決のド迫力は、大いに観客を満足させたのだった。
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スポーツ 2016年02月21日 16時00分
小橋建太「青春の握り拳」インタビュー いま蘇る四天王時代と全身全霊のプロレス愛!
90年代の全日本プロレスのリングには、「四天王」と呼ばれる男たちがいた。三沢、川田、田上、小橋。男たちが命を削って繰り広げた激しい闘いは「四天王プロレス」と呼ばれ、多くのファンを感動させ、勇気づけた。あれから約20年−−。四天王の一角であった小橋建太(当時、健太)が、あの“熱狂の時代”を、アツく振り返る−−。 −−発売されたばかりの『小橋健太、熱狂の四天王プロレス』(ワニブックス刊)、読み応え抜群でした! 小橋(笑顔で)ありがとうございます。 −−「四天王プロレス」の時代から、既に20年近くが経過していますが、なぜ今、四天王プロレスをクローズアップしたのでしょうか? 小橋 最近、プロレス人気が復活したといわれていますけど、四天王プロレスを知らない世代も増えている。その人たちにも「今のプロレス界全体に多大な影響を与えた、こういうプロレスもあったんだよ」ということを知ってほしかったのが一番ですね。今はユーチューブでも試合が見れますし、とにかく僕たちが“命を懸けてやっていたプロレス”を風化させたくないという気持ちが強かった。 −−実際、四天王プロレスは、今見ても色あせない激しい試合ばかりです。 小橋 でも、中には「危な過ぎた」とか「やりすぎだった」という声もあるんです。現在、四天王は誰もリングに上がっていないため、四天王時代のプロレスが選手寿命を短くしたという人もいますが、僕は結局25年やったし、まったくそんなことはない。「あのときのプロレスのせいで」と言われるのがすごく嫌なんです。だいたい、プロレスに「やりすぎ」なんてない。 −−やり切ってこそのプロレスだと。 小橋 はい。じゃあ、やりすぎないのがプロレスだというなら、なんのためにリングに上がっているんだって話ですよね。選手がリングに上がって一生懸命やれば、試合はどんどん激しくなるし、それを見てファンも熱狂する。この熱狂が生まれてこそ、選手と観客の間に一体感が生まれて、試合も白熱するわけですよ。四天王プロレスはそういう熱狂を生むプロレスだったし、僕たちも誇りと自信を持ってやっていた。そこに後悔はまったくないんです。 −−なるほど。時を超えるアツさが伝わってきます。 小橋 昔、ある方が「こんなプロレスを続けていたら10年持つ選手生命が1年で終わってしまう」と言っていましたけど、僕は長く続けることより、自分の思いをぶつけられるプロレスをして、悔いを残さないことの方が何倍も有意義じゃないかと思ってやっていました。 −−ただ、小橋さんは四天王の中では一番若手で、なかなか結果が伴わない時期もありましたね。 小橋 そうなんですよ。この本の巻末で対談した(レフェリーの)和田京平さんにも「負けてるイメージの方が強い」って言われたくらい(苦笑)。四天王時代の最初の頃は、勝てませんでした…。 −−そういう時期もあったからこそ、小橋さんに強い思い入れを持って見ていたファンも多かったのでは。 小橋 やっぱりファンの声援が何よりも力になりましたし、背中を押してくれました。だからなのか、逆に四天王時代の後半は負けてない。僕は四天王同士の三冠戦では、田上(明)さんには2戦2勝。川田(利明)さんには1勝2分けなんです。ただ、三沢(光晴)さんにだけは、三冠戦では一度も勝てませんでした…。 −−話は変わりますが、なんでも四天王時代の小橋さんのトレードマークでもあったオレンジのタイツは、松山千春さんに薦められたんだとか。 小橋 そうですね。最初は、赤いタイツをはいてたんですよ。馬場さんに「オマエ、赤はけ」って言われて。その頃、僕は馬場さんの付き人だったので、控え室に行ったら、そこに来ていた千春さんが「オマエ、若いんだからさぁ、オレンジの蛍光色とかそういうのはいた方が恰好いいよ〜」って言ってくれてね(笑)。オレンジにしたのは、そこからなんです。 −−オレンジというと、新日本時代の武藤(敬司)さんのイメージも強いですが、武藤さんよりも先だとか。 小橋 そうなんです! 武藤さんは「俺の方が早い」って勘違いされていたので、以前、トークショーで一緒になったときに、ちゃんとそこは言いました。「ムーンサルトは武藤さんの方が早いけど、オレンジタイツは俺の方が早いんです」って(笑)。 −−そんな会話もされているんですね(笑)。ところで小橋さん、今のプロレス界で、もし自分が現役だったら闘ってみたい選手はいますか? 小橋 そうですね…この答えは面白くないかもしれませんが、誰と闘いたいというよりも、今の全日本であったり、ノアを盛り返したい。やっぱり最近の新日本さんのブレイクぶりと比べると、あまりにも寂しいものがあるので。 −−やはり古巣が気になりますか? 小橋 というよりも、もっと昔の新日本と全日本のように、対抗勢力同士がお互い元気になってくれないと、プロレス界全体が繁栄しないですからね。 −−では、最後になりますが、本誌の読者にメッセージをお願いします。それこそ、現役時代は幾度もの手術からカムバックし、腎臓がんも克服するなど、不屈の闘志で復活を遂げられた小橋さんから、何かアドバイスをいただければと。 小橋 はい。僕ががんになったのは39歳。働き盛り、まだまだこれからってときで、なんとか復帰できたものの、本調子に戻ることは二度とありませんでした…。まして40、50代というのは、これまでの無理が体に出てくる時期。だから、そういう現実を一度受け止めて、その上で、また前に進めばいいと思います。「俺は若いんだ、俺は大丈夫」という気持ちは分かるんですよ。僕もそうでしたから。でも、大丈夫じゃないんですよね。 −−もう若くはないですからね。 小橋 ただ、40代、50代っていっても、まだまだこれからも青春ですから! −−いくつになろうと常に青春はできると? 小橋 はい。40、50代になっても楽しみはまだまだあります。 −−小橋さんは今、何をされているときが楽しいですか? 小橋 今は、娘と一緒に笑ってるときが一番ですかね。 −−女の子なら、プロレスラーにはなる可能性は低そうで一安心ですね(笑)。 小橋 男の子だったとしても、あまりプロレスラーにしたくはないんです。だって、僕が命を懸けてやってきた世界じゃないですか。プロレスに命を懸けられる覚悟がなければ、プロレスはやれないですから。 −−確かに、小橋さんの試合にはその覚悟がありありと見えていました。本の中で、「試合のフィニッシュのときに意識が飛んでいた」とありましたが、あらためてその映像を見ると、完全に意識がないのが分かります。 小橋 そうなんですよ。レフェリーのカウントが「ワン、ツー、スリー」と入った後に、京平さんに手を上げられたんですが、僕は朦朧としていたそうです。勝ち名乗りを受けて、(秋山)準に肩車されたあたりで、やっと意識が戻ったというか、状況が把握できた。 −−あれこそ覚悟というか、小橋さんのプロレス人生における背景を本で読んでから見ると、感情移入ができて泣けてしまいました。だから、この本はそういう楽しみ方もできるのかなと。 小橋 いいですね。みなさんにも、そういう楽しみ方をしてもらえたら素晴らしいですし、この本が、僕らが誇りを持ってやっていたプロレスを見てもらうキッカケになってくれればうれしいです。小橋建太=1967年3月27日生まれ。京都府出身。90年代後半から一世を風靡した元プロレスラー。『全日本三冠ヘビー級王座』『世界タッグ王座』『GHCヘビー級王座』など、多くのタイトルを獲得。現在は大学講師、スポーツ救命協会講師にも就任し、スポーツ全般の普及に努めている。2月14日13時〜女子レスラーの宝城カイリと、17時〜現役レスラーの潮崎豪とのトークイベントを開催。詳しくは公式HP=http://www.fortune-kk.com/まで。
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スポーツ 2016年02月21日 12時00分
新日本プロレス2・11大阪&2・14新潟に軍団再編の春一番が吹いた!
1・4東京ドーム大会が終わってから初のビッグマッチとなった『THE NEW BEGINNING』2・11大阪大会、2・14新潟大会。ともに超満員の大観衆が会場に詰めかけ、大盛況のうちに幕を閉じたが、そこでしばらく止まっていた軍団再編の波が一気に動き出した2大会だった。 「後藤さん! CHAOS入ったらどうですか?」 2・11大阪大会のメインで、IWGPヘビー級王座に通算8度目の挑戦となった後藤洋央紀を相手に“完封勝利”を収めたオカダ・カズチカの口から飛び出したのは、自身が所属する軍団への勧誘だった。すべてを懸けてこの試合に挑んだ後藤は、白使や鬼神ライガーを彷彿とさせる顔面から上半身にかけてのボディペイントで入場し、場内をざわつかせたが、この姿からはIWGPヘビー級のベルトを巻く姿が想像できなかったのも確か。挑戦表明から徹底したオカダへの襲撃でオカダを振り向かせることができただけに、そのままの姿で挑戦した方が新チャンピオン後藤の画をスムーズに想像できた気がする。 これで後藤はIWGPヘビー級選手権試合0勝8敗。いつも最後に空回りしているイメージが強い。もう後がなかった今回は、過去最高の空回りだったのではないだろうか。オカダも「まだ変われるでしょ。あんなんですべてを懸けるなんて言っちゃダメっすよ」と語り、後藤の強さを認めた上で「CHAOSで環境を変えれば、さらに変わることができるのではないか」と勧誘した理由について説明した。 一方の後藤は「このまま消えてしまいたい」と弱気になっており、14日の新潟大会で再びオカダと6人タッグで当たったが、明らかに精彩を欠いていた。オカダの握手は拒否したが、CHAOS入りはIWGPヘビー級王座からは遠くなってしまう可能性が高いものの、後藤がトップで生き残っていくためには悪い話ではない。棚橋弘至&柴田勝頼vsオカダ&後藤というカードには夢がある。 オカダは後藤に任せるとしているが「後藤さんの他にもう1人CHAOSに入れたい人がいる」と、さらなる補強(引き抜き)を示唆している。そして、新潟大会の試合後、自分自身に対して不満を述べたのはなんとキャプテン・ニュージャパンだった。「気分だけ変わるんじゃなくて、すべてが変わらんとな」とコメント。キャプテンは大阪大会で後藤のセコンドに付いていたが、まさか…? 中邑真輔が抜けた穴を補強するのは当然のことだけに、『NEW JAPAN CUP 2016』(3月3日、大田区総合体育館で開幕)から今後に向けた動きがあるかもしれない。 「今度はバレットクラブのニューメンバーを連れて来て、俺が挑戦する」 2・14新潟大会で、カール・アンダーソン&ドク・ギャローズ組が真壁刀義&本間朋晃組とのIWGPタッグ選手権試合(1・4ドームのリターンマッチ)に敗れると、タマ・トンガがマイクを掴み、真壁&本間の王者組を挑発。王者組も受諾した。その後、アンダーソンとギャローズ、そしてバッドラック・ファレとトンガがリングに上がり「Too Sweet」ポーズを交わして友情を確かめ合うと、アンダーソンとギャローズだけが残り、ファンへ深々と一礼をした。これは1・5後楽園ホール大会でAJスタイルズが見せたものと同じ意味を持つと言ってもいい。アンダーソンはバックステージで新日本や真壁&本間組を称賛した上で、「ザ・マシンガン(アンダーソンのニックネーム)とギャローズはおまえらの前から去る」と、かねてから噂されていた新日本マット離脱を明言した。WWEへの移籍が濃厚だ。 メインではバレットクラブの新リーダー、ケニー・オメガがバレットクラブ内ユニットThe ELITEの助けを借りながらも最後は実力で棚橋を下し、IWGPインターコンチネンタル王座に載冠した。ケニーのセコンドにはバッドラック・ファレや、ケニーとの今後の関係が気になるタマが付いていなかったのが気になるところ。そして、中邑の退団に際して木谷高明オーナーにもストレートに噛み付いた内藤哲也が、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンの新たなるパレハ(仲間)の存在について沈黙を守っているのも不気味である。 毎年4月の両国では何らかの事件が起きているが、今年はブシロード体制になって最大の軍団再編が起こる可能性が高い。タマが言っているように、新戦力も加わってくるだろう。大阪で決起した第三世代と、それに噛み付いた柴田勝頼によるNEVER戦線も見逃せない。優勝すれば、3つのベルトのいずれかに挑戦権が与えられる“春のG1”こと『NEW JAPAN CUP 2016』は、まったく予想不可能なトーナメントになりそうだ。 新日本マットにも軍団再編という春一番が吹いた今年の『THE NEW BEGINNING』だった。 (増田晋侍)<リアルライブ・コラム連載「新日Times」VOL.6>
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スポーツ 2016年02月19日 16時00分
W杯通算40勝でも“凄さ”が伝わらない! 高梨沙羅は地味キャラを脱皮できるか
ノルディックスキー・ジャンプ女子の高梨沙羅が今季、11戦10勝と圧倒的な強さを見せている(2月7日現在)。絶好調であり、世界各国は「19歳でこんなに強くなったのだから、次の冬季五輪では異次元のジャンプを見せるのではないか」と大きく取り上げているが、日本国内ではあまり盛り上がっていない。 「精神的にはまだ19歳。スポーツメンタルでの強さは別として、勝利インタビューのセリフは通り一辺倒。表彰台でも喜びを押し殺しているようなところがあって、テレビ的には絵になりにくい選手なんです。それが初々しいという声もありますが」(TV局スポーツ部員) スキーは国内ではまだマイナー競技だ。43歳のレジェンド葛西紀明や、かつて世界と対等以上に戦った複合の荻原健司らも、勝利の一報が伝えられても、イマイチ国内にその凄さが伝わり切らなかった。 「高梨の場合も、女子のノルディック選手でW杯40勝は歴代最多。どこまで記録を伸ばしていくか…」(海外特派員) 日本のスポーツファンは、爆勝街道まっしぐらの高梨の凄さは分かっているつもりでも、歴代最多と言われてもピンと来ないのだろう。 また、こんな理由も聞かれた。 「実兄がTBS社員となり、他局は“使いにくい”と遠慮している感もある。ちなみに、現在オンエア中の高梨のCMで彼女の幼少期の映像が使われていますが、一緒に映っているのがお兄さんです」(前出・TV局員) '18年の平昌冬季五輪では早くも、「高梨兄が現地入りし兄妹インタビューが行われる」と話すスキー関係者もいる。 「高梨は近年のスポーツアイドルとは異なります。浅田真央、浅尾美和のようなアイドル系ではない。かと言って、19歳なので葛西のようなカリスマ性もない。高梨が正当に評価されない理由に、メディア側が彼女をどう扱うべきか迷っているせいもあるのではないか」(スポーツライター・飯山満氏) さらには“マジメすぎる”性格も無視できない。 「大学生となった彼女は学業にも取り組んでおり、一時期、両立の難しさで成績を落としたこともあった。そんなことも硬い表情の遠因と言われる。せめてもっと笑ってくれればいいのですが…」(スポーツ紙記者) “大人”への脱皮に期待したい。
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スポーツ 2016年02月17日 16時00分
清原ショック直撃! 金本阪神 投手・打撃ともに最低レベルの悲鳴(2)
変革第2章とは、大型補強のことだ。 「二軍でドラフト1位の高山俊が軽快に柵越えを連発しています。高山は間違いなく即戦力」(同) その高山に対し、金本監督は昨秋、右手にメスを入れた経緯を指し、「肩や肘はできていないはず。焦らず」と慎重な口ぶりを見せた。それからすれば、今の高山の柵越え連発デビューは手放しでは喜べない。 「高山は高い野球観を持った選手です。首脳陣の求める選手になるとの考え方で、金本監督が入団会見時に言った『一発も打てるバッターに』の言葉を意識しています」(球界関係者) 高山は東京六大学リーグの通算安打記録を塗り替えたように、ヒット量産タイプのバッター。しかし、今は長打も打てるタイプに変貌しようとしており、「彼の長所が死んでしまう」との心配もあるのだ。この件について、金本監督は自軍のスカウトチームと話し合う必要があるだろう。 正捕手争いにしても、首脳陣は考えを改めつつある。3年目の梅野隆太郎とドラフト2位・坂本誠志郎の一騎討ちと思われていたが、矢野燿大作戦兼バッテリーコーチが先入観なしで見た第一印象は、「岡崎(太一)が一番いい」そうだ。 「去年オフ、クビを覚悟していた一人です。土俵際に追いやられ、闘争心に火がついたようです」(球団関係者) オフの間、相当練習したのだろう。腹筋は割れ、フットワークもスイングも別人のようだという。金本監督は口にこそ出さなかったが、筋トレルームで岡崎の肉体改造に気付いていた。「頑張った選手で開幕のオーダーを組む」という指揮官に強い印象を与えたのは間違いない。 しかし、メッセ、藤川-岡崎のバッテリーでは、新鮮味は「ない」に等しい。 「育成重視と言っても、勝たなければ好意的だった虎ファンの態度も一変します。勝つために何か手を打つしかない」(前出・関係者) 頼れるのは中年だけなのか。 オヤジ軍団では長丁場は凌げない。金本監督を待っているのは波乱のシーズンというのは間違いない。
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スポーツ 2016年02月16日 16時00分
清原ショック直撃! 金本阪神 投手・打撃ともに最低レベルの悲鳴(1)
トラのキャンプは、アニキの“ダメ出し”で幕を開けた。就任当初とは対照的な冷酷さは、『チーム変革・第2章』の始まりと見るべきだろう。 「まるでダメ。弓を引く感じが全くできていない」 キャンプ2日目、プロ3年目の横田慎太郎に積極指導した金本知憲監督(47)がそう言い放った。横田に付きっ切りの1日だったと言っても過言ではなく、フリー打撃にとどまらず、全体練習後の居残りでも約1時間、身振り手振りを交えながら指導していた。 アニキ金本のダメ出しは、その後に設けられた共同囲み会見で出たもの。それゆえ、かなりガッカリしたのではないか…。 「秋季キャンプから今日まで、横田は期待の若手とされ、金本監督、掛布(雅之)二軍監督もTV出演するたびに彼の名前を出していました。本人もかなりヤル気になっており、オフもバットを振り込んでいました。初の一軍キャンプ帯同で張り切っていたのに」(トラ番記者) 金本監督は「横田の今後に期待して…」と追加質問しようとした記者を遮り、「迷って当たり前。迷路に入って、パニックになって、それで生還したら自分のものになる」と言い放ったのだ。 関係者によれば、指揮官は横田が一人前になるまでに3年以上掛かってもいいと見ているという。 だが、また問題が発生。 「藤浪晋太郎もエース剥奪の可能性が出てきました」(前出・同) 金本監督はブルペン視察の感想を聞かれ、「藤川(球児)がいちばんよかった」と発言。さらに、メッセンジャーに対しては「開幕(投手)はメッセか、藤浪」と言わしめた。藤浪よりもメッセンジャーの名が先に出たということは、在籍期間球団最長タイの7年目を迎えたベテランの助っ人外国人に軍配が上がったのだろう。つまり、投打で期待する若手が、監督が求めるレベルまで上がっていなかったわけだ。 先の関係者は「金本監督の要求が高すぎる」と前置きした上で、こう解説する。 「藤浪はオフの右肩炎症の影響で少し調整が遅れただけで心配ありません。金本監督にとって秋季キャンプは雰囲気作りであり、最初からこの2月のキャンプで選手をふるいに掛けるつもりでいました。指揮官として、若手が一人前になるまで3年掛かるのか、5年掛かるのかを見極める場にしたいとも話していました」 金本監督はその口ぶりから「3年ではなく、5年」と判断したようだ。 「金本監督は世代交代、若手育成を掲げていますが、そのレベルまでいかなかったら、大型補強をやると内々に予告しています。その可能性も十分ある」(同)
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