スポーツ
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スポーツ 2016年01月24日 13時00分
外野手出身の監督が大成しないって本当か!?(後編)
アンチ巨人からも高橋由伸監督(40)に対する同情の声が寄せられているという。原辰徳前監督が退陣し、後任の大本命と伝えられていた松井秀喜氏が色好い返事をしない。在野にも「有力」と目されたOBはいたが、メディアの読みはフロントの意向とは違っていた。「適任者不在」となり、高橋に白羽の矢が立てられた…。その突然すぎる監督要請もそうだが、引退試合すら行われなかった急展開ぶりが「かわいそう」と映るのだという。 巨人フロントも高橋監督の性格は分かっていたはずだ。監督要請をすれば、チームの指揮を優先し、自分は現役を引退する−−。「これまでチームに尽くしてきた功労者に相応しいセレモニーを」と配慮すべきではなかったのだろうか。 高橋の監督要請について、興味深い証言がいくつか聞かれた。 「(前任の)原監督は『次はヨシノブ』という流れを分かっていたのではないか。2015年の最終ゲームとなった10月17日(CSファイナルステージ第4戦)、原監督が最後の攻撃イニングで送った最終バッターは高橋でしたから」(球界関係者) また、別の関係者は『高橋監督への継承』が既成路線ではなかったと証言する。 「CS翌日、高橋は都内トレーニングジムで身体を鍛えていました。原監督が退陣会見を行った翌々日もジムにいましたし」 現役を引退してすぐに巨人監督に就任したのは、長嶋茂雄氏以来となる。40歳の高橋監督は12球団最年少ともなるが、長嶋氏が監督に就いたのは38歳、V9の歴史を作った川上哲治氏は41歳だった。王貞治氏は44歳、前任の原氏は43歳だ。巨人の歴史のなかでは「若すぎる」ということはない。 しかし、なぜ高橋監督でなければならなかったのか。その理由がイマイチ伝わって来ない。白石興二郎オーナーは「新しい風を吹き込んでくれる人、原野球を継承してくれ、かつ発展させてくれる人」と高橋監督の就任会見で答えていたが、ピンと来ない。 完成しきっていない原野球とは−−。巨人の秋季キャンプで高橋監督は2人の野手に熱い目線を送っていた。一人は、打撃フォームの改造に乗り出した大田泰示である。高橋監督の新人時代の打撃指導役でもあった内田順三打撃コーチに託し、徹底的にバットを振らせていた。二人目は同じく「将来の4番候補」である岡本和真だ。岡本は高卒1年目から非凡な打撃センスを見せたが、「今の守備では、レギュラーでやっていくのは厳しい」と言われている。その岡本をショートのポジションでノックを受けさせていた。 「内野守備を担当する井端弘和コーチの提案です。守備範囲の広いポジションで練習させたほうが早く成果が得られる、と」(前出・球界関係者) 将来の4番候補の育成。チームの将来像を完成させるとすれば、大田、岡本の覚醒を見届けることのできなかった原監督の思いは継承したことになる。 2人のことだけではないと思うが、4番打者を育てるのであれば、4番の重責を経験した者でなければ見えないものもある。 阪神、DeNA、巨人は外野手出身の新監督を迎えた。3監督とも采配に関しては未知数だが、秋季キャンプの雰囲気は良かった。他競技の監督だが、たとえばサッカーではコーチングを学ぶため、日本サッカー協会公認のライセンスを取得しなければ就任できないとされている。メジャーリーグでは選手経験のない人もいる。大半は選手では大成しなかった人で、マイナーリーグでの指導経験を積み上げてその地位まで上り詰めてきた。日本のプロ野球はチーム貢献度で決まるところもあるようだが、知識や経験、技術よりも人間性が重視されている。そう考えると、プロ野球の監督とは、現役時代のポジションよりも、自身の野球観を選手にどう伝えるかを問われるもののようだ。
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スポーツ 2016年01月24日 12時00分
「新日本の図式をブッ壊す」2・11大阪で後藤革命の集大成が見られるか?
「それはもちろん、ひとつしかないでしょ! わかるでしょ?」 1・4東京ドーム大会で、昨年末から散々挑発されていたロス・インゴベルナブレスの内藤哲也に完勝し、コメントブースに入って来た後藤洋央紀は、「具体的に狙いを定めているベルト」について質問されると、いきり立ちながらこのように答えた。そして、翌5日の後楽園ホール大会でIWGPヘビー級王者オカダ・カズチカ率いるCHAOSと8人タッグで激突。オカダのパートナーであるバレッタから昇龍結界でギブアップを奪うと、マイクを掴んだ。 「内藤とは昨日で終わりだ! オカダー! 次はおまえだ。俺がおまえからベルトを獲る!」 内藤との抗争終結宣言に、ファンは「エーッ」と残念がるリアクションを見せた。これに対してオカダは「内藤さんと昨日で終わりでも、みんながそれを聞いて『エーッ』と言っても、僕には関係ない」と前置きした上で、「去年のG1(クライマックス、8・1大阪大会)であなたに負けたことは覚えてますよ。あともうひとつ覚えていることがあります。『インターコンチ(当時後藤が保持していたIWGPインターコンチネンタル王座)と(オカダが保持するIWGPヘビー級王座の)統一戦をやりたい』って言ってましたよね? やりましょう統一戦!」と挑発。 しかし、会場に微妙な空気が流れ、「すみません! (その後、後藤がインターコンチのベルトを)獲られたこと忘れてました」と言うと、場内は爆笑に包まれた。後藤はオカダにバカにされた形となり、怒りの表情でバックステージに引き上げてきたが「去年のG1を忘れてないようで良かった。今の新日本の図式をブッ壊すのは俺の役目」と改めて挑戦を表明した。【オカダの「恥男」発言に後藤が会見乱入】 6日に新日本プロレス本社で行われた「1・4ドーム大会2夜明け会見」にオカダが出席。ドームで棚橋弘至の挑戦を退けたIWGPヘビー級王座戦を振り返るとともに、前日に挑戦表明してきた後藤について「『何回挑戦するんだろう?』と思います。僕も『東京ドームでは恥をかきたくない』って言いましたけど、何回も挑戦して、何回も獲れなくて…恥男っていうんですかね(笑)。よくもあんなに恥をかけるなと思います」と呆れた表情で語る一方で「G1が終わって(インターコンチとの)統一戦ってずっと言ってたじゃないですか。僕も(G1大阪大会でのIWGP王者同士の対決で)負けたことは忘れてないし、中邑さんに連勝したのは評価できるんじゃないかと。統一戦やりたかったですよ」と、リベンジしたい本音もにじませていた。 ここで「なめんなよ! コノヤロー!」と怒鳴りながら後藤が会見場に乱入、オカダを襲撃した。新日本本隊所属という後藤の立場から考えると信じられない行動だが、それこそ「図式をブッ壊す」手始めだったのかもしれない。これを受けてオカダは挑戦を受諾。「やるんなら自分で盛り上げてくれ」と後藤に注文をつけつつ、2・11「THE NEW BEGINNING in OSAKA」大阪府立体育会館(現エディオンアリーナ大阪)大会での防衛戦が決定した。【2・11大阪で後藤革命の集大成を!】 後藤が前回IWGPヘビー級王座に挑戦したのは、ちょうど2年前の2月11日。時のチャンピオンは同じくオカダ、そして会場も大阪府立体育会館で、その時はオカダの必殺技・レインメーカーの前に敗れている。しかし、昨年8月に大阪で実現したG1クライマックス公式戦では、完全無欠の昇天・改で後藤がオカダに快勝し、大阪のファンは歓喜した。 このように大阪にゆかりがある両者の対戦だが、オカダが指摘するように後藤は2007年に初挑戦して以来、一度もIWGPヘビー級王者になれずにいる。今回ばかりは後がないと言っても過言ではないだろう。今月末で中邑真輔が退団、また一昨年の4月からオカダ、棚橋とともにIWGPヘビー級戦線を賑わせていたAJスタイルズも次期シリーズのカードに名を連ねていない。ここで後藤が悲願のIWGPヘビー級王座初戴冠を果たせば、今後の新日本プロレスの勢力図が大きく変わるのは間違いない。2・11大阪では後藤革命の集大成に期待したい。(増田晋侍)<リアルライブ・コラム連載「新日Times」VOL.2>
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スポーツ 2016年01月23日 15時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈北勝海が涙に暮れた完全復活〉
北の湖理事長の急逝を受けて、八角親方(第61代横綱・北勝海)が日本相撲協会の新理事長に就任した。 「今年3月、春場所終了後の改選までの期間限定とはいえ、“次のトップは八角”というのは北の湖理事長が存命の頃からの既定路線。当面は八角体制が続くことになるでしょう」(スポーツ紙記者) 兄弟子の九重親方(千代の富士)ではなく八角親方が理事長となったのは、すい臓がん手術後の九重親方が、療養中ということばかりが理由ではない。 「横綱としては千代の富士の実績が断然ですが、引退後となると話は別。八角親方が九重部屋から独立して部屋を興したとき、九重付きの親方衆がすべて八角へ移籍したように、圧倒的に北勝海の人望は厚い」(同) 国民的スターとして人気を集めた千代の富士が、それゆえの自己中心的な振る舞いも見られたのに対し、北勝海は周囲への気配りを欠かさず、後輩の面倒見もよかったという。 “花のサンパチ組”と称された双羽黒(北尾光司)や孝乃富士(安田忠夫)ら、身の丈2メートル近い巨漢の同期生に比べ、北勝海は身長181センチで力士としては標準。入門当時はさほど期待をかけられることもなく、自身も「目標は十両昇進」と語っていた。 だが、ぶつかり稽古をやり過ぎて前頭部が禿げ上がったほど、熱心に相撲に取り組む姿勢は多くの関係者が認めるところ。そんな真面目さを千代の富士に見込まれた北勝海は(入門時の四股名は本名の保志)、チャンコ番など新弟子に課せられる雑用を免除され、連日にわたって兄弟子の稽古相手を務めた。 北勝海自身が「当時の猛烈な稽古があったからこそ横綱に昇進できた」と言い、千代の富士も「長く現役を続けられたのは北勝海との稽古のおかげ」と語っている。しかし、そんな特別な関係だったことで、「北勝海は千代の富士の不在か不調の場所だけ強い」とも言われたりした。 「一部では『千代の富士が買った星を北勝海が返していた』なんて陰口もあったが、その真偽はともかく、千代の富士と優勝争いをしている相手を北勝海が破るケースも目立った。そのため“千代の富士の番犬”のイメージが付いて回ったのは事実です」(大相撲関係者) 北勝海の絡んだ大勝負でも、どこか脇役として見られることが多かった。1989年7月場所、54年ぶりとなる同部屋横綱同士の優勝決定戦でも、主役はもちろん兄弟子の千代の富士。突き放しに活路を見出そうとする北勝海だったが、まわしを取られると為すすべもなく土俵を割った。 そんな北勝海が名実ともに主役を張ったのが、同年の初場所であろう。前年の5月場所中に持病の腰痛を発症して途中欠場となると、以後は3場所連続の全休。年を越した1月、復活を期して本場所に臨んだものの、北勝海は直前の発熱で出場すら危ぶまれていた。しかし、場所前の1月7日の朝、昭和天皇の崩御が伝えられる。 相撲好きで知られた昭和天皇を慮り、翌8日の初日が順延となったことが北勝海にとっては幸いとなった。体調を戻した北勝海は初日から白星を重ねると、14日目には前年3月場所の本割と決定戦で連敗し、逆転優勝を許した大乃国にも雪辱を果たす。 そうして迎えた千秋楽、相手は当時、大関で13勝1敗の旭富士(現在の伊勢ヶ浜親方)だった。ちなみに両者の対戦成績は、通算で北勝の23勝19敗と実力は拮抗(優勝決定戦を含む)。終生のライバルともいえる存在だ。 旭富士は14日目に苦手だった千代の富士を下すと、その勢いのまま千秋楽の本割でも北勝海を寄り倒す。ともに14勝1敗で並んだ優勝決定戦、北勝海がよく踏み込んで左前腕でカチ上げると、顎の上がった旭富士に全体重をかけてぶつかり、一気に寄り倒してみせた。 長期欠場からの復帰戦を優勝で飾った北勝海は、その表彰式が行われる土俵上で歓喜の涙を浮かべた。なお、昭和天皇への配慮から優勝パレードや祝賀会は中止されたが、それもまた質実剛健の北勝海らしいエピソードといえそうだ。
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スポーツ 2016年01月23日 12時30分
外野手出身の監督が大成しないって本当か!?(中編)
セ・リーグ最年長指揮官が47歳の阪神・金本知憲監督で、最年少が巨人・高橋由伸監督になる。40歳の高橋監督は12球団最年少でもある。 10月19日 原辰徳監督の退陣会見 10月20日 高橋由伸に監督就任を要請 10月21日 野球賭博事件に関するNPBの調査発表 10月22日 監督不在でのドラフト会議 10月23日 高橋由伸が監督要請を受諾 10月26日 就任会見 巨人の指揮官交代の流れを振り返ってみると、駆け足だったことが分かる。ひょっとしたら、『野球賭博事件』も影響しているのかもしれない。球団内調査では「福田聡志投手だけ」としていたが、NPBの追跡調査により、笠原将生、松本竜也の2投手の名前が新たに浮上。これを受け、原沢敦専務取締役球団代表も引責辞任しており、一連のダーティーイメージを払拭するため、クリーンな高橋由伸に監督を要請したとも取れなくはない。 しかし、関係者に話を聞いてみると、高橋監督が選ばれたのは賭博事件とは関係なかった。しかし、高橋由伸でなければならない理由はあったようだ。 「巨人には生え抜きのOBから監督を選ぶ不文律の伝統もある」(プロ野球解説者) そんな声もよく聞かれる。 前任の原辰徳氏は13年オフに新たに2年契約を結び直し、15年シーズンを戦った。前政権を合わせて計12年となる長期政権によるマンネリズムからも、シーズン途中から「新監督が招聘される」と見るメディアは少なくなかった。次期監督の本命と目された松井秀喜氏が前向きだという話は一切なく、 「江川卓氏でないとすれば、内部昇格ではないか」 と予想する向きもあり、大多数は川相昌弘ヘッドコーチ(当時)の名前を挙げていた。 阪神の和田監督の退陣が明らかになった直後もそうだった。「外部招聘でないとすれば、平田勝男ヘッドコーチ(当時)が相応しい」との声が出ていた。 両球団とも予想に反して、チームに新しい風を吹き込んでくれそうな新人監督を選んだ。 「メディアが川相、平田両ヘッドを後任に予想する声は球団にも届いていました。でも、両球団とも前政権を支えた筆頭コーチの昇格は考えていなかったようですね」(前出・プロ野球解説者) プロ野球の監督とは、勝つだけでは務まらない。プロ野球は人気商売でもあり、勝ってもお客さんが集まらなければ成り立たないのだ。巨人、阪神の両伝統球団は、采配の未経験者でも、ファンが「何かやってくれるのではないか」と期待を持たせてくれる人材を選ぶべきと判断したのだろう。セ・リーグの監督は全て40代となった。この年代はサッカーよりもプロ野球を好む。今まで以上に強い思い入れを持って観てくれるかもしれない。 「これまではON人気に頼ってきました。近年までその遺産にすがり、経営を続けてきた感も否めません。ONを知らない世代にも長くプロ野球を愛してもらうにはどうすればいいか、ファンと同年代の監督を選べば、これまで以上に感情移入してくれるのではないか」(球界関係者) その是非はともかく、プロ野球界の監督人選は、知名度、人気も加味しなければならないのである。よって、監督の現役時代のポジションはさほど重要ではないというわけだ。
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スポーツ 2016年01月22日 12時14分
外野手出身の監督が大成しないって本当か!?(前編)
今オフ、セ・リーグでは3球団が新監督を迎えた。奇しくも、3球団とも外野手出身の指揮官を選択した。プロ野球界には「外野手出身者は監督向きではない」との声もあるが、今年のセ・リーグのペナントレースを征したのは、東京ヤクルトスワローズであり、真中満監督(45)も外野手だった。過去にも外野手出身で優勝、日本一を勝ち取った指揮官はいた。それでも、外野手出身の監督が歓迎されない理由は、「ポジション上、守備のサインプレーに参加しないので、ゲームビジョンを組み立てるのが巧くない」からだそうだ。 野手出身のプロ野球解説者がこう言う。 「外野手出身の監督が『細かい野球をしない』との見方は否定できません。しかし、人それぞれ。DeNAのラミレス新監督は、ヤクルト時代に『監督のつもりでゲームを見ろ』という指導を受けています。これは野村克也監督の教えで、後任の若松、古田両監督からラミレスも学びました。将来は日本球界に残り、指導者になりたいとの意思を強く持っていたので、色々と勉強もしていた」 セ・リーグは外野手出身の監督が5人。他ポジションの出身者は、中日の谷繁元信監督(45)だけとなった。 阪神・金本知憲監督(47)、巨人・高橋由伸監督(40)、広島・緒方孝市監督(47)…。金本、高橋両監督が選出された背景に、球団の営業的事情もあったのではないだろうか。しかし、この外野手出身の両新任監督に興味深い共通点も見つかった。 阪神ヘッドコーチ=高代延博(61) 巨人打撃コーチ=内田順三(68) 両コーチとも、新監督の強い要望で昇格が決まったという。 高代コーチは作戦兼内野守備走塁コーチからの昇格で、若手育成に定評のあった内田コーチは二軍担当からの配置換えとなった。 金本体制のコーチ人事が発表されたとき、高代コーチの昇格について、球団側は「走塁、機動力の強化をはかる監督の要望」と説明していた。高代コーチは91年ドラフト会議で金本監督が広島入りした際の指導役である。高代コーチは「走塁、守備の指導でもっとも手を焼いた選手」として、金本監督をあげており、 「2人きりのときは、敬語は辞めてくださいと(金本監督に)言われた」 と、笑っていた。 金本構想によれば、高代コーチには引き続き、三塁コーチャーも務めてもらうという。ヘッドコーチ職は指揮官のサポート役であり、“三塁コーチャー兼任”は異例と言っていい。 いや、自身の師匠だからこそ、試合中の走塁指示を全て託せるのだろう。 「秋季キャンプ中の首脳陣の話し合いを見てですが、来季、ベンチでは矢野(燿大)、片岡(篤史)両コーチが金本監督の脇を固めると思われます。平田(勝男)チーフコーチが状況に応じて、若いコーチたちにアドバイスを送るようになるのでは」(関係者) 巨人・高橋由伸監督(40)は新人時代に打撃指導を仰いだ内田順三コーチを二軍指導から一軍に配置換えした。金本監督と同様に、高橋監督も「新人時代の師匠」に強い影響を受けたのだろう。 「内田コーチが秋季キャンプで真っ先に着手したのは、大田泰示の打撃フォーム改造です。あえて『脱力』で構えさせ、緩急で攻める投手にも対応できるようにしたいと話していました」(チーム関係者) 大田は将来を嘱望された大砲候補だが、まだ覚醒していない。打撃改造が良い方向に出ればいいが、逆に悪くなる可能性もある。まして、“脱力打法”なら、一発も狙える大田の長所を潰してしまうかもしれない。一般論として、打撃担当コーチは失敗した場合の引責を恐れ、打撃フォーム改造を避ける。内田コーチが迷わず、大田の打撃フォームの改造に着手したのは、彼の将来とチームのことを思ってだろう。 金本、高橋両監督は自身のプロ野球人生の第一歩を支えてくれた恩師を参謀に選んだ。球界では新人監督の采配を予想するとき、「現役時代にもっとも影響を受けた監督を踏襲する」という“定説”もある。両監督がどんな采配を繰り広げるかはまだ分からないが、こうも言えるのではないだろうか。もっとも影響を受けた指導者の教えを、若い選手たちにも伝えたいと−−。
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スポーツ 2016年01月20日 15時00分
大荒れ必至! 初場所より熱い4月理事長戦“三つ巴”綱引き
大相撲界の1年を占う初場所(両国国技館)が始まった。「この2場所、優勝から遠ざかっている白鵬は復活優勝できるか」「先場所の覇者、日馬富士の連覇はなるか」−−。今場所もまた、前売り券の売れ行きは上々。人気力士たちの熱闘に注目が集まりそうだが、それに負けない熱い闘いが、土俵外でも繰り広げられている。 こちらの主役は力士ではなく親方たち。初場所が終わると、2年に1度の役員候補選挙(理事選)がある。北の湖前理事長の急逝にともない、先月、すったもんだの末に代行していた八角親方(元横綱北勝海)が就任したが、その任期は3月まで。4月には改めて理事長を選び直すことになっており、今回の理事選の結果が大きく影響しそうなのだ。 「当初、次期理事長は八角親方で決まりとみられていたんですが、予想に反して揉めました。ここで八角理事長にスンナリ決まると4月の改選でもそのまま続投という可能性が高いので、いまのままの代行でいいじゃないか、と一部の理事が反発したのです。結果、2時間以上も協議し、6対5という僅少差で決まりました。この流れを受けて4月の改選でもひと波乱ありそうです」(担当記者) 八角理事長誕生に異論を唱えた急先鋒は、伊勢ケ浜理事(元横綱旭富士)と貴乃花親方。次期理事長に色気たっぷりの両者だが、とりわけ伊勢ケ浜親方は日馬富士、照ノ富士、安美錦ら、目玉力士を多く輩出している実績をちらつかせて論陣を張った。この相撲協会を二分しかねない状況に理事選がどうからんでくるのか。 「今回、定年や欠員などで最大派閥の出羽一門の3人をはじめ、4人の理事が入れ替わります。問題はそのうちの1人、“ポスト友綱”です。前回、伊勢ケ浜一門の友綱理事(元関脇魁輝)は出羽一門の支援を受けて当選、九重親方(元横綱千代の富士)が落選しましたが、その後継者が今回も同様の支援を受けられるとは限らない。そこを見越して九重親方が返り咲きに色気を見せています。もし九重親方が当選すれば、同門の八角理事長の支持層が広がるし、同時に伊勢ケ浜親方は大きく地番沈下するのです。貴乃花親方は時期尚早の声が大きい」(協会関係者) いい齢の大男たちが、これだけ大騒ぎするのだから、理事長職はよっぽどおいしいポストなのだろう。
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スポーツ 2016年01月17日 12時00分
1・4東京ドームにももクロ起用、アミューズとの業務提携から見る新日本プロレスの2016年戦略
「また1月4日は東京ドームでプロレスやるんですね」 昨年末、普段プロレスを見ていないたくさんの知人が新日本プロレス最大のビッグイベント、“イッテンヨン”を話題にしていた。2012年にブシロードが新日本プロレスを買収してから行ってきたプロモーション活動は、着実に実を結びつつある。 買収時にブシロード代表取締役社長(新日本プロレスオーナー)の木谷高明氏は「まずは新日本プロレスを知っていただくことからやっていきたい」と語り、巨額の広告費を投入して広報戦略を開始。夏のG1クライマックスと1・4ドームの開催時期には、JR山手線にラッピング車両を走らせたり、JR総武線の中吊り広告をジャックするなど、派手なプロモーションが恒例化した。 ブシロード体制5年目を迎えての今大会「WRESTLE KINGDOM 10 in 東京ドーム」もその例に漏れず、ブシロードのホームタウンとも言えるJR秋葉原駅構内のエスカレーター壁部には様々なバリエーションの広告を、原宿の明治通り沿いにはロング看板を掲出した。新宿では西武新宿駅前のユニカビジョンを連夜ジャックしたり、東口のステーションスクエアに巨大看板を掲出。巨大アドトラックが都内を巡回するなど、全対戦カードが出揃った昨年12月上旬から過去最大級のプロモーションを行っていた。【東京ドームに“ももクロ”杏果が登場!】 今年のイッテンヨンは、プロレスファン以外の層にも会場に足を運んでもらうための試みとして、ももいろクローバーZの有安杏果がゲスト参加。モノノフレスラーである邪道のセコンドとして、第0試合の時間差バトルロイヤル『ニュージャパンランボー』に登場することが、ももクロからのコメント動画とともに事前にアナウンスされていた。 2年前の1・4ドーム大会でも、ももクロの参戦が噂されたが(ももクロのライブの演出を担当している佐々木敦規氏が同大会の演出をプロデュースしたため)、ももクロは同日に前橋でライブがあり実現しなかったという経緯もあって、ドームにももクロの登場曲『overture 〜ももいろクローバーZ参上!!〜』が流れると、緑のサイリウムと共に大歓声が木霊した。 試合後の会見で有安が「東京ドームはまだ単独ではやったことがない会場」と語っていたが、今年行われるももクロの5大ドームツアーの中にも東京ドーム“大会”は含まれていない。「『overture』が東京ドームで流れたのは今日がはじめてらしいです」と邪道が話すと、有安も「『overture』は(プロレスの入場テーマみたいに)イントロが流れたのと同時に盛り上がる曲を作りたくてできた曲なので『overture』が東京ドームに響き渡ったことは感無量でした」と続けた。 プロレスをオマージュしているももクロだからこそ実現したコラボ企画ゆえ、プロレスファンは終始歓迎ムード。試合後のバックステージは報道陣でごった返しており、有安目当てで取材に来ていたマスコミが多数いたのは言うまでもない。“杏果効果”でイッテンヨンの記事が芸能ニュースとしても発信されたため、世間に対して「新日本プロレスを知ってもらう」効果はかなりあったのではないだろうか。【アミューズとの業務提携を発表】 翌1月5日の後楽園ホール大会では、芸能事務所アミューズと新日本プロレスの業務提携が発表された。木谷オーナーは「日本のザ・ロック(ドウェイン・ジョンソン)を作りたい」とリング上で宣言。アミューズの相馬信之常務取締役も「レスラーは表現力の才能がある」と全面的なバックアップを明言した。すでにアミューズが制作に携わっている海外映画に後藤洋央紀の出演が決まって撮影済みだといい、棚橋弘至も「有名になりたいですね」と目を輝かせた。 また、アミューズ所属アーティストとのコラボレーションについて囲み会見で質問したところ、相馬氏は「まだ何も決まっていませんが、ウチにはプロレス好きなミュージシャンがたくさんいるので彼らのアイデア次第では十分に考えられる」と語り、木谷オーナーは「なんの前触れもなくコラボをしても(お互いのファンに)受け入れられないが、選手がPVに出演したうえで野外フェスなどで絡んだりするのは自然な流れだと思う」と可能性を示唆した。 新日本とアミューズが業務提携したニュースは各媒体で報じられ、大きな話題になっている。2016年の新日本はアミューズの全面バックアップにより、選手のメディア露出がさらに増えるだろう。知名度の高さは会場に足を運ぶキッカケとなる。来年のイッテンヨンに向けた戦略は、すでに始まっているのだ。(増田晋侍)<リアルライブ・コラム連載「新日Times」VOL.1>
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スポーツ 2016年01月15日 15時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈落日の“闘魂”に天龍が勝利〉
「これはプロレスルールです! 格闘技ルールではありません!」 レフェリーを務めるタイガー服部のマイクに、6万2000人の観客がどよめいた。 1994年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会『'94バトルフィールドin闘強導夢』のメーンイベントとして行われたアントニオ猪木と天龍源一郎のシングルマッチ。リング上には猪木の“魔性のスリーパー”を食らった天龍が、ノビたままで1分、2分と時間ばかりが過ぎていった。 この試合の直前に、猪木は格闘技ルールにこだわって「怖い試合をやる」と宣言していた。'89年の参議院選挙で当選した後、プロレスよりも議員としての活動に軸足を置いていた猪木は、この頃すでに年数回の特別な試合にのみ参戦する半引退状態だった。 一方の天龍は'92年に旗揚げした団体・WARのトップとして、新日と抗争を展開中。これまでに橋本真也、蝶野正洋、長州力、藤波辰爾をいずれもシングル戦で下していた。 猪木が格闘技を強調したのは、いわゆる“よい試合”を見せるための耐久力や忍耐力では、もはや天龍に劣ると自覚したからだろう。ならば、普通のプロレスの試合ではなく、一撃で勝ち負けの決まるルールでやろうという意図だった。 協議の末に通常のプロレスルールが適用されることになったものの、猪木はゴングと同時にナックルパートを天龍の顔面に連打すると、そこからチョークスリーパー。天龍がロープに手を伸ばすのもお構いなしに、鬼の形相で締め上げた。 冒頭の服部レフェリーの言葉は“天龍がノビたのは反則攻撃によるもので、猪木の勝ちではない”ことを観衆に向かって説明したものだった。 この試合の数カ月前、新日の幹部会議で次の東京ドームで猪木vs天龍をメーンとすることが決定された。議員生活との兼ね合いでスケジュールやコンディションの調整が困難なことから、数をこなせなくなった貴重な猪木の試合。初顔合わせとなるビッグネームとのシングル戦ならば、猪木ファンも納得で集客効果は抜群に違いない。 だが、1年を占うビッグマッチのメーンイベントで、中途半端な相手というわけにもいかない。前出の幹部会議では、次のようなやり取りがあったという。 「で、どうするの?」 「そりゃあ、源ちゃんしかいないだろう」 マッチメーカーA氏の発言に、幹部たちは一斉にざわめいた。 「誰が会長(猪木)を説得するんだ」 その数日後、会議での決定を伝えるためにAが会長室を訪れた。 「あぁ? 天龍?」 全日本プロレス=ジャイアント馬場のニオイの残る天龍の名に、猪木は不愉快さを隠そうともしなかったが、Aは“天龍率いるWAR軍との抗争が、いかに新日の利益になるか”を言葉を尽くして説明した。 「で、どうするんだよ」 「絶対、会長に恥をかかせるようなことはしませんから、ここはコチラに任せてもらえませんか」 猪木を押しのけるようにしてリングに駆け上がった長州力のビンタを受け、わずかに生気を取り戻した天龍は、場外へ体を運ばれ、WAR若手の介抱を受けて復活した。 試合再開と同時に、相撲仕込みの突っ張りチョップで猪木を対角コーナーポストまでぶっ飛ばし、反撃の卍固めも力任せに振り払う。 猪木も腕ひしぎ十字固め(やはりロープに逃れても離さず)やアームブリーカーで抵抗を見せるが、攻撃は単発。逆水平チョップでペースを握った天龍が、必殺のパワーボムを繰り出した。 きれいに投げられることをよしとせず、抵抗したことで後頭部からマットに打ちつけられた猪木に、カウントが数えられる。 レフェリーの手が3度目にマットを叩くと同時に、起き上がって天龍に殴り掛かっていったのは、猪木最後の意地だったのか。
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スポーツ 2016年01月14日 15時00分
箱根駅伝で“掟破り”の選手起用!? 山登り “往路5区”を巡る心理戦の“裏”
『山の神』の到来は、今年が最後になるかもしれない。 正月の風物詩・箱根駅伝は青山学院大学の2年連続2度目の総合優勝、それも1区から一度もトップの座を譲らない“完全優勝”(39年ぶり)という劇的なゴールで幕を閉じた。 「ポイントになったのは、昨年に続いて往路5区を走った神野大地(4年)でしょう。11月の全日本駅伝では失速し、昨年の箱根で『山の神』と呼ばれたときとは大違いでしたが、わずか1カ月余りで復活させた原晋監督の手腕はさすがです」(取材記者) 過去10回の大会を振り返ってみると、この山登り区間の往路5区で区間賞を獲った大学のうち、10校中7校が総合優勝を勝ち取っている。その最重要区間の“個人技”に対抗するため、実は有力大学間で選手エントリー時に心理戦が繰り広げられていた。 「山梨学院大が外国人留学生を2人使おうとしているとの情報が広まったのです」(同) 箱根駅伝にも、実はプロ野球の外国人選手枠のような“紳士協定”が存在し、「留学生は一校1選手のみ。補欠登録を含め、2選手まで」という取り決めになっている。日大、拓大、東京国際大などにも留学生はいる。だが、山梨学院大のエクック・オムワンバ(4年)、ドミニク・ニャイロ(1年)の走力はともに図抜けており、「この留学生を2人とも使う」という動きを見せていたのだ。 「最終的にはニャイロが往路2区を走り、7人抜きの快走を見せてくれました。一方のオムワンバは、3年前、2年前ともに直前になって故障し、箱根には出られなかった。出雲、全日本ともに後輩に出場を譲っていたため、何とかしてやりたいと学校側が思っても仕方がないことではあるのですが…」(同) 山梨学院大はギリギリまで出場選手を伏せた。最終的に“紳士協定”は守られたものの、有事のときは、他大学も「日本人選手故障、緊急で留学生起用」で対抗する気配があったという。 「来年度以降、往路5区の距離を縮める方向で主催者は検討に入りました。そうなると、5区の突出した個人技よりも、総合力での戦いになる。どの学校もシード権が欲しいので、こういった心理戦に発展したんです」(関係者) とはいえ、結果的に“紳士協定”破りがあったほうがレースは盛り上がった?
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スポーツ 2016年01月11日 18時06分
異例の“低年俸”でドジャース入りしたマエケン 活躍できなれければ早期のトレードもあり!?
広島東洋カープから、ポスティングシステムでメジャー移籍を目指していたマエケンこと前田健太投手(27)のドジャース入団が決まった。 だが、喜んでばかりもいられない。基本年俸があまりにも低く、出来高偏重の契約となったことで、前田を心配する向きも多いようだ。 前田は身体検査でイレギュラー(異常)な点が見つかり、一時は破談寸前までいったようだ。イレギュラーな点とは、本人は明言こそ避けたが、肝心の右ヒジといわれている。しかし、双方が歩み寄り、低年俸を前田側が、ドジャース側が長期契約を受け入れた結果、無事合意に至った。 契約内容は、契約金100万ドル(約1億1700万円)、8年契約で基本年俸はわずか300万ドル(約3億5100万円)。広島時代の昨季年俸3億円から、さほど上がらない。契約金と基本年俸を併せた総額は8年で2500万ドル(約29億2500万円)。トレードされた場合には、100万ドルが支払われる。 2年前にポスティングでヤンキース入りした田中将大投手は、7年総額1億5500万ドルの大型契約を結んだ。今とはポスティングシステムのルールが違うが、12年にレンジャーズ入りしたダルビッシュ有投手は6年総額5600万ドル(出来高が別途あり)だった。2人と比べると、前田の年俸はあまりにも低すぎる。 しかし、前田の場合、異例といえる破格の出来高が付く契約となったのだ。その内容は、開幕ロースター入りで15万ドル(約1755万円)。先発登板が15試合に達したら100万ドル、20先発でさらに100万ドル。以降、25先発、30先発、32先発で150万ドル(約1億7550万円)ずつが加算され、最大650万ドル(約7億6050万円)。 投球回は90回で25万ドル(約2925万円)。以降、10回毎に190回まで25万ドルずつプラスされ、200回に到達すれば75万ドル(約8775万円)が付き、最大350万ドル(約4億950万円)。 出来高総額は最大で1015万ドル(約11億8755万円)となり、この契約が8年間続く。満額を獲得できた場合、基本年俸と併せて1年1315万ドル(約15億3855万円)となり。8年間満額が続けば、契約金を加えた総額は8年1億620万ドル(約124億4100万円)となる。 ただ、それはあくまでも活躍した場合の机上の計算にすぎない。32先発、200回は年間を通じて、故障、不調なく、ローテーションに入って登板しなければ到達は不可能。メジャーに行って、故障がちの田中は達成できておらず。ダルビッシュは13年に32先発、200回を1度だけ達成したのみだ。黒田博樹投手(現広島)は7年間のメジャー生活で、4度の32先発、3度の200回を成し遂げているが、それは黒田がタフで故障が少なかったからで、容易な数字ではない。 また、契約には前田側のオプトアウト(契約破棄権)、トレード拒否権は含まれておらず、ドジャースに極めて有利な内容。田中やダルビッシュは一定の条件をクリアすれば、オプトアウトできる条項を契約に入れている。この契約内容では、前田の意思でFAとなることはできず、ドジャースから移籍するとしたら、トレードなど、球団側の意向の場合のみ。 ドジャースにとって、いつ故障するかわからない前田に高額な年俸を保証できない。それでも、活躍すれば、出来高で支払う。前田側からオプトアウトもできないため、ドジャースに有利なばかりの契約。ただ、前田にとっては、働けばそれなりの年俸となり、ケガしたときも300万ドルは保証される。故障して手術を受けたとしても、8年の期間があるため、復活するチャンスもあるのがメリットとなる。ただ、いずれにせよ、田中やダルビッシュの大型契約と比べると、あまりにもさびしい契約内容であることに変わりはない。 「前田側からオプトアウトも、トレード拒否もできませんから、活躍できなければ、早々にトレードされてしまう可能性も秘めています。問題はドジャースが2000万ドル(約23億4000万円)の譲渡金を広島に支払わなければならないため、その元は取る必要があります。前田がそこそこの活躍をするか、獲得を希望する球団が、譲渡金の一部に相当する額をドジャースに補てんするようなことがあれば、トレードもまとまるのでは?」(某スポーツ紙記者) もちろん、ドジャースも8年という長期契約を結んだからには、1、2年で放出することはないだろうが、前田の働きがパッとしなければ、いずれ放出要因になりかねないだろう。※年俸は推定。為替は現在のレート117円で算出。(落合一郎)