新日本
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スポーツ 2016年12月05日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND29 〈最初で最後の直接対決〉 猪木が見せた前田への気遣い
新日本プロレス対UWFの闘いにおける世代交代の中で、ファンから待ち望まれながら最後まで実現しなかった、アントニオ猪木と前田日明のシングルマッチ。唯一、両者の直接対決は、前田が海外武者修業から凱旋した若手時代にさかのぼる。その試合で猪木は、意外な一面を見せていた。 かつてジャイアント馬場は「あいつは対戦相手を使い物にならなくするから困る」と、アントニオ猪木に苦言を呈していたという。 「馬場にしてみれば、全日のトップ外国人だったアブドーラ・ザ・ブッチャーを引き抜き、短期間で使い潰した新日への不満が相当あったのでしょう」(スポーツ紙記者) とはいえ“育成の猪木”としての一面も見逃すことはできない。 見栄えのするフィニッシュホールドのなかったタイガー・ジェット・シンに、ブレーンバスターを伝授したのみならず、実際の試合の中で猪木自ら練習台になったのがその一例。ほかにもスタン・ハンセンやハルク・ホーガンなど、粗削りな無名選手をメインイベンターにまで育てており、一概に馬場の言葉が正しいとは言い切れない。 「その一方で、手の合わない相手や不要な選手については、あきれるほどに冷淡な扱いをすることがあったのも事実です」(同) 国際プロレスなどで活躍したオックス・ベーカーは、同団体では怪奇派のトップヒールとして君臨していた。しかし、新日に参戦すると、猪木は初のシングル対決において、延髄斬りからのレッグドロップで3カウントを奪うまで、わずか3分足らずで試合を終わらせ、ベーカーに一切の見せ場を与えなかった。 この試合はテレビ生中継で、前の試合が押して残り時間がわずかとなってしまい、その枠内に収めるための処置とされる。とはいえ、その当時は試合途中での中継終了という流れもよくあり、無理に時間内で決着をつける必要もなかった。実績のあるベーカーに対して、この扱いは、さすがに“ひどい”と言われても仕方あるまい。 身内である所属選手に対しても、こうした猪木の差別的な扱いは見られた。 「長州力にはシングル対決でピンフォール負けを喫した猪木ですが、藤波辰爾にはタッグでのフォール負けはあるものの、シングル戦ではフルタイム引き分けまで。両者ともに後継候補と見られていたものの、猪木の中では明確な格付けがあったことがうかがえます」(プロレスライター) では、やはり猪木の後継者と目されていた前田日明についてはどうだったか。UWF軍として新日に参戦してからは、猪木vs前田のシングル対決が待ち望まれながらも、結局、実現には至っていない。 「これは、のちの猪木の引退試合で、小川直也との対決が実現しなかったことと似た意味があると考えられます。ラストマッチで有終の美を飾るためには、いかにファンの期待が大きいとはいえ小川とやるわけにはいかなかった」(同) つまり、“引退する自分が、将来、有望な小川に土をつけるわけにいかない”との猪木の親心により、両者の対戦が組まれなかったというわけだ。 前田に対しても同様だった。あの当時、まだ興行での集客やテレビの視聴率を考えれば、猪木がトップを張っていかねばならなかった。よって前田とやるなら猪木が勝つしかないのだが、そうすれば前田の経歴に傷をつけることになる…。 「以前から『猪木が前田を恐れて対戦を避けた』との声もありましたが、今になって振り返ればそれは違うように思います。前田はあのいわくつきのアンドレ戦でも、攻め込む前に『やっちゃっていいんですか?』と、リングサイドにうかがいを立てているし、試合中のアクシデントで藤波が大流血に至ったシングル戦でも、あえて両者KOで早めに試合を終えている。また、猪木への挑戦者決定戦でも藤原喜明に勝利を譲ったように、むしろアングルに忠実な選手であり、それが猪木戦だけ豹変するとは考えづらい」(同) 唯一、行われた猪木vs前田のシングル戦を見れば、猪木がいかに前田を大切に扱っていたかということがうかがえる。 1983年5月27日、高松市民会館で行われたIWGP決勝リーグ戦。日本勢では長州も藤波も、団体ナンバー2の坂口征二もエントリーされなかったリーグ戦に、前田は特例的な“欧州代表”なる枠で大抜擢された。 シングルマッチの連戦は選手にとって肉体的なダメージが大きく、絶対的エースの猪木としては、若手の前田が相手の地方大会での一戦となれば、軽く流して終わらせたいところ。だが、この試合で猪木は、当時の前田が武器とした“七色のスープレックス”からニールキックまで、得意技のすべてを受けきってみせた。 「猪木がジャーマンやドラゴンスープレックスを受けること自体が、めったに見られることではない。そのことだけでも、いかに前田の能力を買っていたかが分かります」(同) フィニッシュも立ち上がり際の延髄斬りという、いわば一瞬の返し技であり、そこにも前田になるべく傷を付けないように、という配慮がうかがえる。 相手を潰すばかりではない“指導者”としての猪木の一面がうかがえる、これも一種の名勝負と言えよう。
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スポーツ 2016年12月04日 12時00分
新たなスター誕生か? 新日本プロレスの“TIME BOMB”高橋ヒロムが1・4ドームに凱旋帰国
今年の「G1クライマックス26」最終戦、8・14両国大会の休憩が明けると、スクリーンに「TIME BOMB」なる映像が流れ、映し出されたカウントダウンの数字を計算すると、時限爆弾は11・5大阪大会に仕掛けられていることがわかった。大会毎に流されていくカウントダウン映像に、ファンは一体何が起こるのか気分を高まらせていたに違いない。 そして迎えた11・5大阪大会。IWGPジュニアヘビー級選手権試合で、BUSHIからKUSHIDAが王座を奪還すると、場内が暗転。最後のカウントダウン映像が流れ「0」と同時に爆音が響き、入場ゲートに無期限の海外遠征中だった高橋ヒロム(以後ヒロム)が現れた。この映像には何バージョンかあったが、大阪の街をバックにヒロムの遠征先だった、イギリスやアメリカ、そして日本の国旗がフラッシュするなど、いくつかのヒントが隠されていたと思われる。 大ヒロムコールの中、リングに上がったヒロムはマイクを持ち、「KUSHIDA、おまえに用はねえ。俺はこのベルトに用があるんだ。東京ドームでこのベルトに挑戦させてもらう。おまえはかわいそうな男だよ。ドームでおまえは終わりだ!」と叫ぶとベルトを舐め回すように見てからリングを後にした。刺激のある挑戦者の出現に、王者のKUSHIDAも断る理由がない。来年1・4東京ドーム大会での対戦が決定した。コメントブースに現れたヒロムは、「さあ、東京ドームに集まる5万人の皆さん、最高のもの、見せてやるよ。俺のIWGP初戴冠。そして! KUSHIDA! おまえの終わりの日だ!時限、TIME BOMB!」とまくし立てた。 ヒロムは、2010年8月24日に本名の高橋広夢でデビュー。身体能力の高さから将来のスター候補生として期待されており、ベスト・オブ・ザ・スーパーJr.(BOSJ)に2年連続で出場するなど、ヤングライオン時代から注目されていた。2013年6月から無期限の海外遠征へ出発。イギリスからメキシコに渡ると、CMLLではマスクマンのカマイタチ(後に覆面剥ぎマッチで敗れ素顔になる)として活躍。今年1月23日の後楽園ホール大会に乱入しドラゴン・リーを急襲すると、リーが保持するCMLL世界スーパーライト級王座に挑戦表明。翌24日の後楽園大会でリーへの挑戦が急遽決定すると、ファンが大熱狂するほどの激戦を制し、王座を奪取。一気に帰国への期待値が高まったが、本人は「IWGPヘビー級王者に負けないIWGPジュニア王者になる」ことを掲げて、再び海外遠征を続けた。4月頃からはメキシコからアメリカに闘いの場を移し、新日本と提携しているROHを中心に活動し、ヘビー級の選手とも数多く対戦した。ジュニアヘビー級の祭典である、BOSJやスーパーJカップでも凱旋帰国を果たすことなく、ヒロムはヘビー級王者にも勝てるジュニア戦士になるための最終調整を、アメリカマットで仕上げたのかもしれない。 1・4ドームという大舞台での凱旋帰国。しかも新日本は時限爆弾“TIME BOMB”として、この夏からずっと煽り続けてきた。“レインメーカー”オカダ・カズチカも1・4ドームで凱旋試合を行っているが、“レインメーカー”として認知されたのは、棚橋弘至からIWGPヘビー級王座を奪取してからである。これはヒロムに対する期待の表れであり、1月の試合で強烈なインパクトを残したことで、ファンの支持を得ているのも大きい。苦労して新日ジュニアのトップに上り詰めたKUSHIDAの壁は簡単に崩せるはずもないが、もし1回で崩すようなことがあれば、KUSHIDAが築いてきたものを全て消してしまうかもしれない。この時限爆弾はそれくらいの破壊力がある。 来年の1・4ドームは、ひさびさに新たなるスター誕生の可能性を秘めた大会となった。 (どら増田)(C)新日本プロレス【新日Times Vol.46】
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スポーツ 2016年11月28日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND28 〈壮絶な遺恨抗争の序章〉 橋本vs小川“初対決への裏事情”
柔道世界選手権を三連覇した小川直也が、フリー格闘家への転向を発表した。東京ドームのメインイベントで、相手はIWGP王者の“破壊王”橋本真也という破格のデビュー戦。後々まで繰り広げられる両者の抗争の幕開けだった。 1997年4月12日、新日本プロレスの東京ドーム大会。最初に発表されたメインカードは、橋本真也vsケン・ウェイン・シャムロックの異種格闘技戦であった。 シャムロックはパンクラスで船木誠勝らを下し、同団体の初代王者にもなった外国人エース。また、この頃はアメリカで勢力拡大中だったUFCにおいて、ホイス・グレイシーと引き分けるなどトップ格闘家の1人として名を馳せていた。 一方、橋本はちょうど1年前の東京ドーム大会で高田延彦を破り、IWGP王座を獲得してからは団体トップに君臨していた。 「もし、この両者が闘っていたなら、新日のリングだけに“橋本の勝ち”とみるのが妥当でしょう。そうして勝った橋本が、以降、異種格闘技路線に進むという道もあり得ました。ただ橋本は、かつてボクシング上がりのトニー・ホームに敗れたように、従来のプロレスと異なる初顔相手だとモロいところがある。そのため、負けたときには新日正規軍vsシャムロック率いる格闘家軍団の抗争勃発という展開もあったかもしれません」(プロレスライター) しかし、この一戦は結果的に幻と終わる。 「シャムロックが格闘技にこだわったため、新日を拒絶したとの観測もありましたが、その後は“世界一危険な男”としてWWFに参戦している。結局はファイトマネーなどの待遇の差で、新日よりもWWFを選んだというだけでした」(同) ともあれメインカードに穴が開き、それを埋めるため急きょ抜擢されたのが、同日に長州力とのタッグでプロレスデビューを予定していた小川直也だった。 「最初に小川の名を挙げたのは、明治大学の先輩にあたる坂口征二(当時の新日社長)です。中継するテレビ朝日も“小川なら高視聴率が期待できる”とこれに同調して、話はトントン拍子に進みました」(新日関係者) 外敵として新日本隊に挑むことになった小川は、長州のもとでプロレス修行を積むわけにいかない。そこで、小川の師匠役を任されたのがアントニオ猪木だった。 先の参院選に落選してからは、プロレス引退までの日を数えるばかりだった猪木も、突如、天から降ってきた“オモチャ”には大喜び。 格闘技の指南役として、修斗を主宰していた初代タイガーマスクこと佐山聡を呼び戻し、練習パートナーにも元レスリング全日本王者の藤田和之を配する豪華布陣で、猪木&小川の全国合宿行脚が始まった。 「ちなみに、このとき練習場として使ったのは、猪木のスポンサーだった佐川急便が各地に所有する保養施設でした。佐川問題が選挙で落選した大きな要因だったのに、本当に懲りない人ですよね」(スポーツ紙記者) だが、こうした流れにただ1人、反発した男がいた。対戦相手となる橋本真也である。 「小川の“柔道世界一”のネームバリューは重々承知しながらも、プロレス界では一枚看板のIWGP王者としてのプライドがある。橋本にしてみればプロレスでは素人の小川と、試合が組まれることだけでも不本意なのに、そんな小川を主役とする流れが描かれていることは、到底承服できるものではありませんでした。何しろ橋本の付き人だった藤田まで小川に付けるという、会社挙げての肩の入れようでしたから」(同) そのため橋本は一時、故郷の岐阜県に“合宿”と称して引きこもってしまった。それでも関係者の懸命の説得により、どうにか試合は実現。橋本はそれまでの不満をぶつけるかのごとく、柔道着をまとった小川に重爆キックを連発した。 のちに“暴走王”スタイルを確立する小川も、まだ当時はもっさりとした体形。腕十字や三角絞めなどで反撃を試みるが、橋本はこれをロープに逃れると、さらに蹴りを畳み掛け、一方的に追い込んでいく。 そうして、ついにバックドロップで小川をとらえると、仕上げのDDTへ。だが、そこにカウンターでSTO(スペース・トルネード・オガワ)が炸裂する。 大外刈りの体勢から相手に全体重をあずけ、そのまま頭部をマットにたたきつけるという、合宿行脚の中で開発された必殺技である。 小川は、前後不覚でヨロヨロと起き上がる橋本の背後に忍び寄ると、スリーパーホールドでがっちりと固め、見事にデビュー戦を白星で飾ったのだった。 それでも、負けたとはいえ橋本は、プロレスの凄味を見せつけて、1カ月後の再戦では小川を失神KOに下す圧勝。自尊心を保ちたい橋本と、鮮烈デビューを飾りたい小川、双方の顔が立つ大団円を迎えた。 このときはまだ、両者の壮絶な抗争が続くとは誰も思っていなかった。
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スポーツ 2016年11月27日 12時00分
仏ってる! IWGPタッグ戦線復帰へテンコジが価値ある公式戦3連勝!
新日本プロレス毎年恒例、タッグの祭典「ワールドタッグリーグ2016」が開幕した。今年は全16チームが参加し、AブロックとBブロックに分かれて激戦を繰り広げている。 スタートダッシュに成功したのは、天山広吉&小島聡のテンコジだった。Aブロックに入っているテンコジは、開幕戦の11・18後楽園大会で、いきなりIWGPタッグ王者組のタマ・トンガ&タンガ・ロアを破ると、続く11・20高崎大会で内藤哲也&ルーシュを、11・23愛知大会で棚橋弘至&ジュース・ロビンソンを破り、開幕から無傷の3連勝を飾っている。 「いまの内藤。“神ってる”っていう言葉。おまえにピッタリな言葉だよ。本当にすべてにおいて神がかってるよ。だけどさ! テンコジは悪いけど、そこをもうちょっと上のほうに行ってるんだ。俺の言葉で言えば、“仏ってる”って言うんだ。な? 神ってるより、もうちょっとだけ上なんだ。25年やってきて、俺と天山はもう悟りを開いちまったんだ。慈悲深い、悟りを開いたこのタッグチーム。デビューして25年。そして、テンコジとして組み始めてたぶん18年ぐらいになるんだ。途中別れても、またくっついて。こうやって腐れ縁みたいに、毎日のように一緒にいる。こんなことがいまの内藤にできるのか?」 11・20高崎大会の試合後、小島は内藤に対して思いの丈を一気にまくし立てた。天山もリング上で「内藤よ! トランキーロやな」と挑発。これに対して内藤は「テンコジに負けたことは素直に悔しい」と珍しく悔しさを露わにした。内藤はパートナーをXと発表し、開幕戦でロス・インゴベルナブレスのオリジナルメンバーである、メキシコCMLLの大物ルーシュをパートナーとして招聘。棚橋&ロビンソン相手に完勝した後だっただけに、2戦目にしてベテランのテンコジに足を引っ張られたのは想定外だったのではないだろうか。 11・23愛知大会で棚橋&ロビンソンを破った後には「何で勝てているのかわからない」と小島がコメントしていたが、今年の参加チームに限らず、新日本プロレスの歴史を振り返っても、テンコジはタッグとして最長のキャリアを誇っている。小島の言葉を借りるなら「仏」の域に達していてもおかしくない。 この記事を執筆している時点で、公式戦はまだ残り4試合残しており、3連勝からの4連敗という可能性も考えられるが、開幕戦で現IWGPタッグ王者組を破った事実は残る。過去、同王座を5回戴冠という最多記録を持っているテンコジだが、2013年11月、K・E・S・(ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr.)に王座を明け渡したのを最後にIWGPタッグ戦線からは遠ざかっている。その間、NWA世界タッグ王座は奪取しているが、テンコジの代名詞といえばIWGPタッグ王座である。 「仏ってる」今なら6度目の戴冠も夢ではないはずだ。テンコジにとっては久々に訪れたIWGPタッグ戦線復帰のチャンスを逃さないでほしい。(どら増田)【新日Times VOL.45】
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スポーツ 2016年11月20日 12時00分
新日本プロレスがアミューズとのタッグでシンガポール大会を成功! メディア露出強化で木谷オーナーの公約が大前進!
今年の1・5後楽園大会で発表された新日本プロレスとアミューズの業務提携。木谷高明オーナーは「リング以外のメディア露出をさらに強化していく」と力強く語っていたが、その言葉どおり、今年はリング以外でも様々なメディアで選手それぞれが新しい活躍を見せ始めている。 “新日本プロレスのエース”棚橋弘至は、今年はクイズ番組やトーク番組などバラエティだけでなく、時代劇初挑戦となったドラマ「石川五右衛門」準レギュラーでの出演や、選手としても一個人としても多大な影響を受けリスペクトして止まない「仮面ライダー」シリーズの映画版に敵幹部役として登場。IWGPヘビー級王者の“レインメーカー”オカダ・カズチカはドラマでの実名登場からファッション誌などでも特集され、さらにはTBS「マツコの知らない世界」より「キュンキュンするプロレスの世界」と題して“六本木 VICE”ロッキー&バレッタを相手にしたタッグマッチに挑み、見事、マツコ・デラックス氏に勝利を捧げた。 さらに写真家・篠山紀信氏もオカダに注目する一人。表紙を務めたムック本「NEW WORLD」での撮影をきっかけに、原美術館にて開催中の篠山紀信展「快楽の館」では191cmの見事な肉体美が投影されている撮り下ろしヌード写真が本企画ただ一人の男性として展示されており、10・10両国大会の試合後には王座防衛に成功したオカダの祝福に篠山氏が駆けつけている。また、独特な食レポが話題を呼ぶ“スイーツ真壁”としても活躍中の“暴走キングコング”真壁刀義は、テレビではユニットGBHの盟友で、ガラガラ声でおなじみ“みんなのこけし”本間朋晃を引き連れ、各バラエティ番組を多方面からにぎわせているが、スイーツの食レポやトークだけでは飽き足らず、大好物のモンブランをカルビーとの共同開発でなんとポテトチップスにしてしまうなど、スイーツ界でも暴れまくっている。さらに、広島東洋カープが優勝すると、以前からファンであることを公言している“トランキーロ”内藤哲也に取材が殺到するなど、今年は新日本プロレス所属レスラーの適応能力がいろいろなメディアで発揮された一年になった。 新日本は、現地時間11月15日(火)夜、シンガポールにて初となる単独興行「WRESTLING WORLD 2016 IN SINGAPORE」をマリーナベイサンズで開催。会場では多くの観客がオープンと同時に物販ブースに殺到。早々に売り切れるグッズも多数出る中、新日本プロレスのオリジナルグッズを全身にまとい、大きな拍手と声援が掛け合わさる熱気の渦の中心で試合が行われた。当日は1,300人を超える現地観客たちを“世界トップクラス”と言っても過言ではない試合内容で存分に魅せつけ、大会は大成功のうちに幕を閉じた。 今回の興行は、新日本がアジア進出を見据えた拠点の一つとしてシンガポールを選択。業務提携先であるアミューズのシンガポール支社との共催という形で今回の実現に至ったという。現地での模様は、東京から来たテレビ朝日のカメラクルーが、日本のビッグマッチと同様の体制で映像を制作し、動画配信サイト「新日本プロレスワールド」で世界に生配信され、約10,000人がその行く末を見届けた。新日本とアミューズとの提携は“世界戦略”という旗印のもと、芸能部門以外でも効果を発揮している。 シンガポール大会の成功は来年の1・4東京ドーム大会へも繋がってくる。なぜならば同大会も「新日本プロレスワールド」を通じて世界配信されることが決定しているからだ。木谷オーナーは「新日本プロレスワールドは海外からの視聴者が多い」ことを明らかにしており、シンガポールに拠点を置いているオーナー自身もリアルタイムで大会をチェックしているという。これに関してはオーナーとは“天敵”の関係にある内藤哲也にも「会場に来ない」ことに対し、皮肉を込めて度々指摘されている。 アミューズの関係者は「将来的な可能性のひとつ」と前置きをした上で、「所属アーティストとのコラボレーションはあり得る話」と提携時にコメントしていただけに、アミューズも新日本とのタッグで、海外進出を狙っている所属アーティストやタレントを投入し、世界戦略に乗り出す可能性は十分にあるだろう。 「まずは新日本プロレスを知ってもらいたい」「新日本プロレスが生活の中で目に入る存在にしたい」「世界戦略」これはブシロードが新日本を買収した時から、木谷オーナーがファンやマスメディアに対して言い続けてきている公約。アミューズとの業務提携によるメディア露出強化や海外大会の成功により、その言葉は現実味を帯びてきた。(どら増田)(C)新日本プロレス【新日Times VOL.44】
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スポーツ 2016年11月14日 14時00分
プロレス解体新書 ROUND26 〈長州復帰と大仁田劇場〉 電流爆破で“邪道”退治の舞台裏
老舗メジャーの新日本プロレスに、たった1人で闘いを挑んだ“邪道”大仁田厚。迎えるは現役引退したものの、大仁田の挑発に乗って復帰した長州力。新日の総帥・アントニオ猪木の反対を押し切り、禁断の電流爆破マッチが始まった。 「店に行くと“あの人”の顔がズラーッと並んでてさあ。それ見ると『この野郎!』って熱くなっちゃうんだよ」 大仁田厚が取材記者に対し、そんなふうにこぼしたことがあったという。パチンコ、パチスロ店にアントニオ猪木をモチーフとした機種が、多数設置されていた頃のことだった。 大仁田が猪木戦を口にしたのは2000年の前後からだが、実はそれ以前から水面下での交渉が持たれていた。 '94年に二度目の引退を表明した大仁田が、新日に猪木戦を要求すると、翌年1・4東京ドームの目玉カードとしてこれが内定。対戦に向けてのアングル作りで、東京スポーツにあおり記事が掲載されたりもした。 「猪木自身も対戦にOKを出したものの、最終的に頓挫したのは大仁田がバーターで猪木のFMW参戦を強く要求したからだと聞いています。新日にしてみれば『猪木と対戦できるだけでもありがたく思え!』ということだったようです」(スポーツ紙記者) その後、大仁田は引退となるも1年後に復帰。しかし、大仁田不在の間にFMWを支えたメンバーからの反発に加え、ディレクTVからの放映権料(年1億円、3年契約)が期待できたこともあり、大仁田は不要と見なされ、'98年11月に団体追放の憂き目に合う。そこで再度持ち上がったのが、新日参戦計画だった。 新日としても同年4月に猪木の引退興行を終え、次の目玉を探していたところで、以前の決裂などなかったかのように話は進展したという。'99年の1・4東京ドームでの佐々木健介戦に始まり、蝶野正洋戦、グレート・ムタ戦では大仁田がグレータ・ニタに扮し、神宮球場大会のメーンを担うまでになった。 だが、ここで横槍が入る。 「引退後、世界格闘技連盟UFOを設立した猪木は、エースの小川直也を新日でも主軸にしたかった。そんな猪木にとって“邪道”大仁田は目障りだったのです」(新日関係者) 一度対戦が決まりながら、決裂したことへの不信感もあったのか…。 「大仁田の新日参戦が決まった当初から、猪木は『あいつの毒は一度飲んだら消せないぞ』と反対の姿勢でした。自分ならともかく、他の選手では大仁田に食われてしまうと危惧していたのです」(同) そのため大仁田はいったん新日リングを離れるが、それに不服を唱えたのがテレビ朝日だった。同局の『ワールドプロレスリング中継』での“大仁田劇場”が人気を博していたことから、その継続を望んだのだ。 さらに、新たな事情も絡んでくる。大仁田参戦の1年前、'98年の1・4東京ドームで引退し、現場監督に専念していた長州力の復帰問題である。 「大仁田は参戦時から『狙うは長州の首ひとつ!』と言ったものの、その時点で長州はまだ復帰には否定的でした。ただ、もともと“自分も引退するから猪木さんも”というのが引退の主目的だったわけで、再度、新日を牛耳ろうとする猪木への反発が復帰を決意させたようです」(同) 両者の利益が一致したことで、話はトントン拍子で進み始める。 「またぐなよ!」(道場に電流爆破マッチ直訴の手紙を持ってきた大仁田に対し、リングに近寄るなという意からの長州のセリフ)の名言が飛び出すなど、大仁田劇場も絶好調。大仁田とテレ朝・真鍋由アナの関係が、敵対から同志へと深化していく感動ストーリーも生み出された。 そうして'00年7月30日、ついに長州と大仁田が電流爆破マッチで相まみえる。 メーン以外は闘魂三銃士も外国人も参戦しない、もちろん猪木も来場しない。長州派の選手だけの大会ながら、会場の横浜アリーナは超満員。プロレスでは初となるPPVも実施された。 同年5月にはPRIDEが東京ドームでの初のグランプリ大会を成功裏に終え、また、8月5日には全日本プロレスから独立した三沢光晴らによるプロレスリング・ノアの旗揚げが予定される中にあって、長州と大仁田それぞれの存在感を見せつけるかたちとなった。 『ワイルドシング』の流れる中、観客をあおりながらゆっくりと入場する大仁田。続いて『パワーホール』が鳴り響くと、会場全体から大歓声が沸き上がる。 入場する長州の腕には、この直前に試合中の事故で亡くなった福田雅一選手の遺影があった。 「長州の肝いりで入団させた福田への想いは当然ありながら、復帰に否定的なファンがブーイングしづらくする意図もあったのでは」(プロレスライター) 試合は計5回の被弾で血まみれになった大仁田に、サソリ固めを決めた長州のTKO勝ち。長州は一度自ら有刺鉄線の反動を利用してラリアットを放つも爆破はなく、勝敗では一方的となったが、それでも水と油に思われた両者が、それぞれ持ち味を発揮した好勝負であった。
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スポーツ 2016年11月13日 12時00分
内藤が正論攻勢で棚橋にファン投票提案を突きつける! どうなる? 新日本1・4東京ドーム
「お前が俺の最後の希望だ」 新日本プロレス11・5大阪大会のメイン終了後、IWGPインターコンチネンタル王座を防衛した内藤哲也の前に現れた棚橋弘至はこう言い放った。 既に来年1・4東京ドーム大会のメインイベントはオカダ・カズチカ対ケニー・オメガのIWGPヘビー級選手権試合に決定し、発表されている。しかし1・4ドーム“7年連続メインイベント”という記録が掛かっている棚橋は、10・8魚沼大会で「必ず東京ドームのメインにたどり着いてみせます!」とファンの前で宣言。1・4ドームのメインに立つ“希望”を内藤に託す形で、挑戦表明を行ったのだ。2017・1・4「レッスルキングダム11 in 東京ドーム」第2弾決定カード▼IWGPインターコンチネンタル選手権試合<王者>内藤哲也 対 棚橋弘至<挑戦者> 「俺と絡めば、“7年連続・東京ドーム大会メインイベント”が見えて来る。そんな棚橋ファンと棚橋本人しかこだわってない、非常にくだらない記録のために、俺の前に出て来たんだなと」 7日に行われた会見で、内藤は棚橋の気持ちを見透かしたように話を続ける。 「ファン投票をしたあのときと同じですよ(2014年1・4ドーム大会のメインをファン投票によって決定した)。あのときも彼はインターコンチネンタル王座戦だったはずなのに、誰の意思かわからないけど、ファン投票という意味のわからない制度をいきなり持ち出して、インターコンチネンタル王座戦をメインイベントにしたと。僕はあのとき思いましたよ。なんで新日本プロレスはIWGPヘビー級王座に誇りを持たないんだと。東京ドームのメインイベントはIWGPヘビー級王座戦であるべきだと。やっぱりこの考えは変わらない。なので、皆様は僕がここで『ファン投票しましょう』と言うと思うでしょう? 僕の答えは逆ですよ。ファン投票は、僕は望みません」 内藤自身が望んでいると思われた“ファン投票”のリベンジは、あくまでも「IWGPヘビー級王座戦」というのが大前提だったのだ。これにはさすがの棚橋も言い返すことができなかった。内藤の正論攻勢はまだ続く。 「1年前に僕が言ったことを覚えてますか? 『この新日本プロレスは棚橋が言ったことがすべて。棚橋の言いなりである』と。いま棚橋が『ファン投票をやりたい』と言えば、きっとこの会社、動きますよ。この会社はすぐ変わりますから。あのときの発言が、正しかったのか? いまハッキリわかりますよ。7年連続メインイベント、出たいんだろ? じゃあ、お前の口から『ファン投票やろう』って言ってみろよ」 ファン投票提案を突きつけられた棚橋はこれについて質問されると…。 「返す言葉がない…。(内藤は)ベビーフェイスだなと。それはまだ保留にしておきましょう。あのファン投票が動いたのは、棚橋対中邑だったからだと思うんですよ。そのカードに神通力があったところで、ファンの投票も動いたと。ニコイチの問題だったので。棚橋が1人で騒いでどうなる問題でもないかなと。それだったら、7年連続、東京ドームメインイベントっていうのは、実現したら凄い誇れる記録ですけども、それ以上に大切なモノがあるんじゃないかって、今気付きかけてますね」 と話し、内藤の攻勢を保留という形でかわした。しかし、ここまで論破された棚橋というのは見たことがない。棚橋は「闘わずして世代交代された気分」と話していたが、内藤は「今年の1・4ドームでオカダに負けた時点で棚橋の時代は終わり。この1年間彼が何かやりましたか?」と正論を投げかけると「トドメを刺す」とコメント。棚橋も「トドメを刺されるようならそれまで」と語り背水の陣で挑む考えを示した。 次期シリーズの「ワールドタッグリーグ2016」でも内藤(パートナーはX)と棚橋(パートナーはジュース・ロビンソン)は同じブロックに入っており、11・18後楽園大会で対戦することが決定している。内藤は棚橋に対してよりファン投票実施の圧力をかけてくるのは間違いないだろう。棚橋はファン投票を提案するのか? もしそうなった場合、新日本は提案を受け入れるのか? このカードに関しては年末にかけてまだまだ一悶着ありそうだ。(どら増田)撮影/広瀬ゼンイチ【新日Times VOL.43】
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スポーツ 2016年11月06日 12時00分
新日本、ヨシタツと抗争中のBONE SOLDIER、初のベルト奪取まで登りつめられるか?
「もうヒーローごっこは終わりだ」 新日本プロレス9・25神戸大会で、ヨシタツにハンタークラブ入りをTwitterのアンケート結果を理由に断られた、キャプテン・ニュージャパンはヨシタツを襲撃。その瞬間、会場内は「キャプテンがヨシタツに逆ギレしたのか」程度にしか見られていなかったこともあり、微妙な空気が流れていた。その後、高橋裕二郎&チェーズ・オーエンズのバレットクラブの攻撃に加担したため、僅かなブーイングが起きてはいたものの、この観客のリアクションを見る限り、ヨシタツが4月に復帰してからキャプテンとの間で繰り広げられてきた、ハンタークラブ劇場はファンに支持されていたとは言い難い。 試合後、バックステージでバレットクラブのメンバーに迎えられたキャプテンに、リーダーのケニー・オメガは「まずは見た目と名前を変えよう。新しいコスチュームとリングネームを考える」ことを明らかにし、翌日に発表された10・8魚沼大会のカードには、バレットクラブの新メンバーとして、BONE SOLDIER(ボーン・ソルジャー、以下ソルジャー)なる選手の名前がラインナップされた。また公式ホームページでは、ソルジャーのシルエットがキャプテンに酷似しており、新しいキャプテンの顔がソルジャーであることが示唆されている。 そして迎えた魚沼大会で、高橋裕二郎、アダム・コールとともに現れたソルジャーはおどろおどろしいマスクにバレットクラブTシャツという風貌で、因縁のヨシタツ、ジュース・ロビンソン、田口隆祐の本隊トリオと対戦。デビュー戦はヒール転向の証とも受け取れる反則負け。試合後も執拗にヨシタツを攻撃し、因縁を深めた。 10・15台湾大会では、ヨシタツとソルジャーのシングルが実現。この試合もソルジャーがレフェリーの目の前で急所蹴りをしたため反則負け。試合後ソルジャーは、「骨も魂もスーパーヒーローじゃないんだよ」とキャプテン・ニュージャパンとの完全決別を宣言した。 続く「Road to POWER STRUGGLE」では、ヨシタツの地元でもある11・3岐阜大会でのシングル再戦に向けて、10・23東金大会以外ではすべての大会で、ヨシタツとソルジャーの対戦が組まれた。ソルジャーはヤングライオンの川人拓来を新技ボーンソルジャーで葬る試合もあったが、基本的には反則負けが多かった。10・30後楽園大会では試合後にキャプテン時代にコスチュームとして使用していた盾でヨシタツを襲撃。11・1熊谷大会ではキャプテンのマスクをヨシタツに被せて「キャプテン・ニュージャパンやるよ。そのマヌケなキャラお前にピッタリだ」と譲渡を示唆するなど、ヨシタツを挑発した。 これに怒ったヨシタツは11・2静岡大会で「明日、お前が俺に勝ったら、俺がキャプテン・ニュージャパンになってやる」と宣言。翌日の岐阜大会に向けてファンの関心を一気に引き寄せた。 岐阜大会のシングルマッチは、全7試合中、第5試合にラインナップされた。これはキャプテン時代には見られなかったことである。そんなシチュエーションに燃えたのか、試合はソルジャーがヨシタツを持ち前のパワーと実力で押しまくる展開に。途中、高橋裕二郎の介入やベルトを使った反則攻撃もあったが、前哨戦とは明らかに違うソルジャーの姿があった。試合は一瞬の隙をついたヨシタツが逆転勝ちを収めたが、試合後に「あいつはバレットクラブのお通しで頭数には入れるつもりはなかったけど、今日やってみて頭数に入ってたよ。何回でもやってやる」とヨシタツはソルジャーを認めるコメントを出すとともに抗争継続を訴えた。 もともと先輩として、キャプテンの実力を買っていたヨシタツなだけに、今回のシングル戦でソルジャーがシリアスモードで来たことが嬉しかったのかもしれない。ハンタークラブを巡る展開に関してはファンの支持を得られなかった二人だが、今回の抗争に関してはファンの関心を集めることが出来た。ソルジャーは盟友だった棚橋弘至や、KUSHIDAとの対戦が実現していないという楽しみも残されている。 実力は折り紙つきなだけにヨシタツとの抗争で、ベルトが狙えるポジションにまで登りつめてもらいたい。(どら増田)(C)新日本プロレス【新日Times VOL.42】
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スポーツ 2016年11月05日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND25 〈巌流島決戦とは何か!?〉 猪木vs斎藤“2時間超えの死闘”
1987年10月4日、プロレス史上でも例のない前代未聞の闘いが行われた。時間無制限、無観客、ノールールの果たし合い。 アントニオ猪木とマサ斎藤が闘う舞台は、いにしえの巌流島。プロレスマスコミ以外からも注目を集める中、闘いの火ぶたは切って落とされた。 新日本プロレスは'87年夏より、アントニオ猪木率いるNOWリーダー軍と、長州力、前田日明、藤波辰爾らNEWリーダー軍による世代闘争をスタートさせた。 これはテレビ朝日が視聴率アップを見込んで主導したアングルであった。 「しかし、リング上の結果がどうであれ、総帥の猪木が『ウン』と言わない限り世代交代などあり得ない。当の猪木も全盛期は過ぎたとはいえ、団体トップの人気選手であることに変わりなく、その座を譲るなどと言うわけがない。だから、ほかの選手は気持ちがまったく入りませんでした」(プロレスライター) その結果、タッグを組んだ長州と藤波が、どちらが猪木をフォールするかで争うという、複雑かつ難解なアングルが繰り返されるようになっていく。 「専門誌を欠かさずチェックするマニア層にしてみれば、こういったいわゆるイデオロギー闘争に引かれる部分もあったでしょう。しかし、ベビーvsヒールの勧善懲悪を求める力道山時代からの古参ファンや、タイガーマスクの華麗な世界に憧れた少年ファンたちの多くは、こうした展開についていけずに離れてしまいました」(同) なおこの頃、ライバルの全日本プロレスは、長州維新軍の離脱で存続危機を叫ばれながら、明確に「天龍革命」という構図を示すことで人気復活の兆しをみせている。 迷走する新日はテレビ放送が金曜から火曜に変更され、これがまた人気低下に拍車をかけた。 「ビートたけしが“フライデー討ち入り事件”で謹慎となり、冠番組の『スポーツ大将』が休止を余儀なくされた。この人気枠をプロレスで埋めようとしたわけですが、視聴者はついてきませんでした。放映日変更で視聴習慣が崩れたというのもあるし、制作がスポーツ班からバラエティー班に替わったことで、熱心なプロレスファンの反感を買ってしまった」(テレ朝関係者) こうしたプロレスとバラエティーの差異、たけし絡みの関係性は、のちのTPG(たけしプロレス軍団)にまでつながっていく…。 そんなドン詰まりの状況下、猪木がやにわにぶち上げたのが“巌流島決戦”だった。宮本武蔵と佐々木小次郎の故事で名高い決闘の舞台。そこで猪木がマサ斎藤と、無観客、時間無制限かつルール無用の果たし合いを行うという。 最初こそ「なぜ世代闘争のさなかに旧世代同士が闘うのか」との疑問もあったが、その壮大なスケール感の前では、小さなことに過ぎない。前代未聞の闘いはプロレス以外の一般メディアも巻き込んで、大いに注目を浴びることとなった。 それにしても、なぜ猪木はこの闘いに挑んだのか。 「ブラジルで起業したアントンハイセルの破綻による億単位の借金に、“おしどり夫婦”と呼ばれた倍賞美津子との離婚危機…ちなみにこの離婚も、猪木が倍賞の親族にまで借金を頼んだことが原因だったようです。さらには新日自体の人気低迷も重なって、この頃の窮地は“自殺まで考えた”と、のちに猪木自身が話したほど。そんな中にあって、やけくそで一発大きな花火をぶち上げてやろうとの気持ちが、巌流島決戦となったわけです」(プロレス記者) ただ、本当にそれだけだったのだろうか? 「観客など関係ない、こびない闘いをしたかったというのですが、だったら道場でやればいいこと。本音のところでは、あくまでもビジネスとして注目を集めたいという、プロデューサー感覚があったように思います。状況が悪いときほどデカいことを仕掛けて、逆境をはね返そうというのが猪木流ですから」(新日関係者) 視聴率低迷にあえいでいたテレ朝が、巌流島の話題に飛びついて特番放送を決めたのはその一例。世代交代だのイデオロギーだのは細かなことで、根源的な闘いこそが真にファンへのアピールとなる。 これは猪木一流の直観なのか、計算し尽くされたものなのか、いずれにせよそんな考えがあったのではなかったか。 決戦当日、巌流島の上空には報道ヘリが4機、試合開始を今や遅しと待ち構えていた。武蔵よろしく30分遅れで猪木が現れ、ようやく闘いが始まる。 一進一退のグラウンドの攻防は1時間以上にも及び、日が落ちるとリング周囲にかがり火がともされた。炎に照らされる中で死闘は続き、いつしか両者は血まみれになる。 試合時間2時間5分14秒。猪木が斎藤をスリーパーで締め落とし、よろけながらリングを降りたところで決着となった。両者ともにひどい脱水症状に見舞われ、さらに猪木は鎖骨を、斎藤はみぞおち辺りの剣状突起を骨折していた。 「藤波と長州が、それぞれの故郷、大分と山口の間にある巌流島で試合をしたらおもしろい、と話していたのを猪木がパクったとの話もありますが、果たして藤波と長州でここまでの試合ができたか。やはり猪木は偉大なんです」(プロレスライター)
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スポーツ 2016年10月30日 12時00分
仮面ライダー“レスラー”棚橋弘至が悲願のライダー作品出演で1・4ドームまで突っ走る!
新日本プロレスのエース棚橋弘至が、12月10日から全国の劇場で公開される映画「仮面ライダー 平成ジェネレーションズ Dr・パックマン対エグゼイド&ゴースト withレジェンドライダー」に出演することが発表された。 棚橋が演じるのは人類を脅かす人類最恐の敵、Dr.パックマンの仲間で、屈強な肉体を誇り、怪力を活かした格闘術で敵を圧倒するという来瀬荘司(ロボルバグスター)役。棚橋は入場してからリングインした際、コーナーポストに登って決める“逸材ポーズ”が、「仮面ライダーカブト」、その後、両手を下げて広げるポーズは「仮面ライダーW」をモチーフにしていると公言したり、メキシコ遠征や、新日本とメキシコCMLLとの合同興行「ファンタスティカマニア」限定のハーフペイントも、「仮面ライダーW」を意識していると言われている。リング上や試合後のコメントでも「○○キター」(「仮面ライダーフォーゼ」)や「お前の罪を数えろ」(「仮面ライダーW」)などライダーシリーズ語録を拝借。ツイッターやインスタグラムでもたびたび仮面ライダーに関する発信をしており、テレビ朝日系列のバラエティ番組、「雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク!」では仮面ライダー芸人として出演するなど、ライダー“レスラー”としても積極的に活動している。 今回の役はリング上とは違って、ライダーの対角線に立つ悪役ということだが、それこそメキシコではハーフペイントで、ルード(ヒール)として闘っており、棚橋は適任かもしれない。 棚橋は「この作品に参加させていただき、ずっと好きだった仮面ライダーの世界、夢のような空間が広がっていました。この世界観を壊してはいけないと意識しつつ、ロボルバグスターの変身ポーズでは、力があって強いキャラクターから連想して、何かを握りつぶすポーズにしました。こういう感じのやつはプロレスでもあまりやりませんから、とにかく全力で頑張りました。プロレスラー棚橋とは違う来瀬荘司をお楽しみに」とコメント。今回の出演がよほど嬉しかったのか、「孫ができたら自慢します」とまで語っている。 今作品はこれまで7年間続いた冬休み映画「MOVIE 対戦シリーズ」の生まれ変わりと位置づけられており、ライダー生誕45周年ということで、今までは2大ライダーの共闘がピックアップされていたが、今回は5人のライダーが登場し、人類の敵と対戦する。 その5大ライダーと棚橋演じる来瀬荘司がどのような遭遇をするのか楽しみだが、棚橋にとっては、まだ決まっていない1・4東京ドーム大会のカードや立ち位置を、11・5エディオンアリーナ大阪大会のSANADA戦に勝って、映画の公開前に決めておきたいところ。 棚橋が1・4ドーム大会の中心に行くことが、映画にとっても1・4ドーム大会にとっても相乗効果をもたらすだけに、なかなか思うように行かなかった2016年だが、ライダー作品出演で上がっているモチベーションを保ちながら、このまま全力で突っ走っていくしかない。(どら増田)<新日Times VOL.41>(C)東映
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