新日本
-
スポーツ 2017年04月01日 15時00分
プロレス解体新書 ROUND45 〈9年の時を経た夢の再戦〉 看板外国人それぞれのドラマ
『レッスルマニア』の成功により全米制覇を成し遂げたWWF(現WWE)が、1990年4月13日、満を持して日本に上陸した。 その『日米レスリングサミット』(東京ドーム)におけるメインイベントで、世界的スーパースターに成長したハルク・ホーガンと対峙したのは、かつての盟友スタン・ハンセンであった。 スタン・ハンセンとハルク・ホーガンのシングル初対決は、'81年5月10日、新日本プロレスの『第4回MSGシリーズ』公式リーグ戦の中で行われている。 人気、強さともにピカイチだった看板外国人のハンセンと、そのタッグパートナーで新進気鋭のホーガンによる盟友対決。試合は激しい肉弾戦となり、最後は場外でホーガンの椅子攻撃をかわしたハンセンが、ラリアットを叩き込み、リングアウト勝ちを収めている。 期待に違わぬ熱戦に観衆から拍手喝采が送られる中、2人はリング上で健闘を讃え合うように固く握手を交わしてみせた。 この試合は後楽園ホール大会のセミファイナルで、テレビ放映もなかったため、映像としては観客席からファンが撮影した不鮮明なものが残っているだけ。同シリーズはタイガー・ジェット・シンが初めてリーグ参戦したものの、一方では出場予定だったアンドレ・ザ・ジャイアントが来日直前にキラー・カーンとの試合で足を骨折し、不参加となるアクシデントもあった。 そんな中で、他の機会にはまず実現しないハンセンとホーガンの一戦が、中規模会場でのノーテレビマッチとされたのは、やや不自然な印象も受ける。 「実のところ、新日からWWFへの配慮があったのでは?」(プロレス記者) この頃、ホーガンはWWFにおいてボブ・バックランドの持つヘビー級王座へのトップコンテンダー(最有力の挑戦者)に上り詰め、アンドレとも真っ向勝負できる次期エース候補と目されていた。 「一説によると、ホーガンには新日から、外国人エースのハンセンよりも高額のファイトマネーが支払われていたとも囁かれていました」(同) 勝敗自体は主催する新日の裁量のこととはいえ、WWF側からすれば将来のスター選手であるホーガンの敗戦を大々的に扱われることを快く思わず、何かしらの注文を付けた可能性もありそうだ。 そんな初対決から9年の年を経て、両者の再戦が実現する。 WWFと全日、新日の東京ドーム合同興行『日米レスリングサミット』のメインイベント。当初のメインは、ホーガンのWWFヘビー級王座にテリー・ゴディが挑戦するタイトル戦とされたが、直前の『レッスルマニア6』でホーガンはアルティメット・ウォリアーに敗れ、王座から陥落してしまった。 それを不服としたゴディが対戦を拒否したため、代役にハンセンが立ったというのが表向きの発表であったが、現実としてはチケットの売れ行き不振によって、全日側からハンセンに頼んでカード変更したといわれている。 9年前とは違い世界的トップレスラーとなったホーガン。アメリカでは9万人もの観衆を集めた実績もあり('87年『レッスルマニア3』アンドレ戦)、WWE側からすれば東京ドームぐらいであれば誰が相手でもフルハウスにできるとの自信もあったろうが、日本のファンからはソッポを向かれてしまったわけである。 「もしゴディが本当に対戦をキャンセルしたならば、全日マット永久追放も免れ得ない。しかし、実際には直後の6月、ドームのメインから降ろしたことに対するお詫びなのか、ゴディは三冠王者にまでなっています。WWFとのカード編成交渉にあたった全日にしても、どうせホーガンの独り舞台になるのに、そんなところへトップ選手は出せないとの意向があって、最初は二番手扱いだったゴディを立てたのでは」(同) 興行成功のためのカード変更が吉と出て、当日は5万人超の観衆を集めることとなったが、かつて新日時代の後輩にあたるホーガンのジョバー(やられ役)を務めることとなったハンセンの胸中は、いかばかりであったろうか。 「そこはハンセンもプロフェッショナル。試合序盤こそはホーガンがグラウンドやバックドロップなど、アメリカでは見せない日本流の攻めで主導権を握ったものの、場外戦となってからは、いつもながらのラフファイト。ド迫力のタックルでホーガンを吹き飛ばすなど、熱のこもった闘いを見せました。大会場向けの大きな動きが目立ったことや、ハンセンの突進をビッグブーツで迎撃して、クローズライン(肘の曲がりがアックスボンバーではない)で3カウントを奪ったフィニッシュが唐突だったことから、評価を下げる向きもあるようですが…」(同) 試合後はホーガン定番のマッスル・パフォーマンスを優先するために9年前のような握手はなし。かつて勝利した試合を念頭に「勝ち逃げは嫌いなんだ」とのコメントを残したのは、ハンセンのせめてもの意地であったろうか。
-
スポーツ 2017年03月26日 12時00分
“あの頃”も“現在”も新日本を知る男“柴田勝頼”、満を持してオカダ・カズチカに挑戦!
「リング上で『約束した相手がいる』って言った瞬間、『まさか、同級生じゃないだろうな』ってみんな思ったかもしれないですけど、『オカダ!』って言った瞬間、みんなが『これを期待してたのかな』っていう。『俺のやろうとしてることは間違ってないな』とは思いましたね」 20日のアオーレ長岡大会で、バッドラック・ファレに勝利を収め、『NEW JAPAN CUP 2017』(NJC)を優勝した柴田勝頼が、21日に一夜明け会見を行い、試合後にオカダ・カズチカが保持しているIWGPヘビー級王座への挑戦を表明したことに対して、「間違ってなかった」と確信したことを明らかにした。両選手の対決は、4.9両国国技館大会で実現することが正式決定した。 柴田がIWGPヘビー級王座に挑戦するのは、実に13年振り。当時は王者だった藤田和之に挑戦し、「惨敗だった」と本人も会見で話していたように、玉砕している。新日本マット復帰以降も、後藤洋央紀との同級生抗争(対決やタッグ結成も含む)や、棚橋弘至や中邑真輔との同世代との再会、NEVER無差別級王座を巡る第3世代との抗争、他団体との対抗戦など、柴田がIWGPヘビー級王座と絡む機会がなかった。しかし、たった一度だけ挑戦表明をしたことがある。それは2014年2月にエディオンアリーナ大阪大会で行われた、IWGPヘビー級王者のオカダに、盟友後藤が挑戦し敗れたあと、柴田がリング上でオカダと対峙。一気に対戦ムードが高まったが、オカダは「し、柴田…さん? …向き合っただけで挑戦できると思うなこのヤロー! ちゃんとNJCを優勝してから挑戦して来い!」と突き放し、柴田が同年のNJCに優勝できなかったこともあって実現しなかった。あれから3年の月日が経ち、ようやく柴田に約束を果たす機会が訪れたというわけだ。 「ようやくですね。一回、『G1』で闘ったことがあるんですけど、タッグでも数回ですよね。4、5年いて、ホントに数回、リング上にいた時間なんて20、30分もないんじゃないかぐらいの。『こんなことってあるのかな』っていう思いでずっといて。これは俺の中で、『言ったら言っただけ、オカダから離れていくな』と。オカダを別に否定するわけではないんですけど、そこにまったく触れることができなかったっていうのが…ずっと常に虎視眈々としゃべらずに狙ってはいましたね」 柴田はこの3年間、オカダとほとんど絡めなかったことに対して不満を抱きながらも、挑戦する機会を虎視眈々と狙っていたという。NEVER無差別級王者になった辺りから、試合後のコメントも多く出すようになってきた柴田だが、言いたいことをストレートに発言し続けている内藤哲也を見て、「許されるんだな」という思いになり、向き合っただけで挑戦が決まった鈴木みのるをNJCの1回戦で破ったことも、挑戦表明への決断を後押ししたようだ。 これまでNEVER無差別級王座や、ブリティッシュ・ヘビー級王座といったシングルのタイトルを獲得してきた柴田だが、ベルトを腰に巻かないなど、ベルトへのこだわりがあまり感じられない選手のように思われてきた。しかし、これらのベルトの防衛戦を積み重ねてきたことで、考えが変わってきたという。 「やっぱり『ベルトってどうなのかな』とは思ってたんですけど、去年一年(NEVER無差別級のベルトを)持って。まぁ、言ってみれば3番目のベルトですよ。3番目のベルト、そしてイギリスのベルトを持って闘っていく中で、『ベルトって必要ない』とそれまで思ってたんですけど、『やっぱり、ベルトって大事なんだな』って思いましたね。『中心として、いろいろ動かしていくものなんだな』と思いましたね。IWGPは新日本プロレスの象徴ですから」 また、近年IWGPヘビー級王座戦線の顔ぶれが、オカダを中心に固定化していることに関しても、 「(IWGPヘビー級王座戦線の)『新しい風景にしていきたいな』と。ずっとオカダなんで。俺が再び上がり出した時もオカダだったし、いまもなおオカダ。『IWGPで組まれる対戦カードも似たような選手ばっかりで、そこに一つ風穴を開けたいな』っていう気持ちはあります」 と語り、自らがベルトを獲得することで、新たな流れを作って行きたい意向を示した。とはいえ、今年に入ってからのオカダは、1.4東京ドーム大会でのケニー・オメガ戦、2.5北海きたえーる大会での鈴木戦と、IWGPヘビー級選手権を期待値を遥かに超えるハードな試合で防衛に成功しており、3.6大田区総合体育館大会で行われたタイガーマスクW戦でも、ノンタイトルながらギリギリかつ、ワクワクするような素晴らしい試合を行い勝利を収めている。向かう所敵なし状態と言っても過言ではない。柴田優勝後のリングには現れなかったオカダだが、長岡大会のセミファイナルに出場後、「(決勝に進出した)柴田さんもファレも防衛戦をやったことがないので、新しい闘いを見せることができる」と自信あるコメントを残している。 「俺はオカダが知らないあの頃の新日本を知ってるし、現在の新日本も知っている。オカダと闘えることに楽しみである部分、オカダ・カズチカの素の部分をどれだけ引き出して、俺の土俵で試合してやるかっていうのが、俺の中では凄い楽しみ。俺がプロレスラーとやってきた18年間、どこを区切ってもプロレスラーなんですよ。そこは誰も真似できない部分だと思います。昨日も言ったんですけど、『流す涙より、汗の方が美しいですよ』と。嘘つかないですから」 オカダはこれまでにも、鈴木みのるをはじめ、第3世代や真壁刀義、そして棚橋や中邑といった“あの頃”の新日本プロレスを知る選手と試合をしてきているが、柴田は新日本の旗揚げメンバーである、故・柴田勝久氏の子息なだけに、「産まれたときから新日本」という自負がある。柴田が放つ独特な雰囲気は、古くからのファンには“あの頃”を最も感じるレスラーだと思うし、現在のファンには新鮮に映っているところがある。 そんなシチュエーションの中、組まれたオカダ対柴田の一戦は、旗揚げ45周年という節目に実現するに相応しい、IWGPヘビー級選手権試合になるだろう。(どら増田)【新日Times vol.61】
-
スポーツ 2017年03月24日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND44 〈信頼が結実した世紀の一戦〉 最強カレリンとの引退マッチ
1999年2月21日、前田日明のラストマッチが横浜アリーナで行われた。相手は人類最強とも称されるロシアの英雄、アレキサンダー・カレリン。 得意のカレリンズ・リフトで前田の体をオモチャのように投げ飛ばし、持ち前のパワーをいかんなく披露したその試合の裏では、さまざまな人間模様が交錯していた。 日本のプロレス団体において、とかく付きまといがちなのが金銭トラブルの話。 アントン・ハイセル事業で団体分裂を招いたアントニオ猪木の新日本プロレスはもちろん、健全経営とみられた全日本プロレスですら御大ジャイアント馬場の没後には、待遇への不満を主な理由として所属選手が大量に離脱している。 「プロレス団体は興行で日銭が入ってくるため、どうしても『金ならどうにでもなる』という“どんぶり勘定”になりがち。また、看板選手が社長を兼ねることが多く、そのため『俺の顔と名前で稼いだ金だから』と、手前勝手に浪費してしまうケースも多々あります」(スポーツ紙記者) そんな中にあって、希少な存在といえるのが前田日明だろう。目立つ金銭トラブルとしては、新生UWFとビッグマウスラウドにおいて、それぞれ事務方の不透明経理を糾弾したぐらい。 「周囲には前田の直情的な性向を嫌う人間も多いだけに、少しでも後ろ暗いところがあれば、きっと罵詈雑言の嵐となったはず。それでいて一切、前田個人の金にまつわる醜聞が出てこなかったのは、よほど身ぎれいだったという証拠でしょう」(同) 金銭面における前田の堅実さは、これまで随所で見受けられる。 旧UWF時代には、会社の収入増のため興行を増やすことを主張して、格闘技志向の佐山聡と対立。団体存続が立ち行かないと見るや、すぐに新日復帰を決断した。 そもそも新日からUWFへ移ったのも「理想の実現のため」などではなく、「母親の入院により移籍金を必要とした」ことが理由だったという。 リングスにおいても、試合を放送していたWOWOWとの契約が切れると、即座にリングスジャパンは活動休止。前田のネームバリューがあれば別口のスポンサーを募りつつ、借金でつなぎながら興行開催を続けることも十分に可能だったろうが、前田はそれをよしとしなかった。 今では不良少年たちを集めた低予算の格闘大会『THE OUTSIDER』のプロデュースに専念している('12年にはリングス再旗揚げ戦も行われたが、同年3回の大会開催の後に再度休止状態)。 また、リングス活動休止の遠因となったPRIDEによる看板選手の引き抜きに際しても、ファイトマネーの積み合いをしようとしなかった。 '10年の参院選では、当時、政権与党だった民主党からの出馬が取り沙汰されたが、民主党側からの金銭的支援体制が不十分だとして、これを取りやめている。 「そんな前田の契約や金銭面におけるクリーンな姿勢は、むしろ国内よりも海外勢から評価され、多くの実力派選手が初来日時にリングスのマットを選ぶこととなりました。そして、多くの国で今もなお、リングスの名前で活動をしている実態もあるようです」(格闘技記者) 前田の引退マッチとなった'99年の対アレキサンダー・カレリン戦も、そうした前田への信頼が結実したものだった。五輪レスリングのグレコローマン130キロ級で、前人未踏の3連覇を果たしたカレリンは、このとき4連覇を目指すシドニー五輪を翌年に控えていた。 ちなみにカレリンのグレコは、近年、日本で吉田沙保里ら女子勢の活躍で認知度の上がったフリースタイルと異なり、下半身への攻撃が認められていない。また、グレコは古代五輪から続く種目であり、フリーはカール・ゴッチやビル・ロビンソンのバックボーンでもある欧州のキャッチ・アズ・キャッチ・キャンを源流とする、いわば近代種目である。 「ごくごく簡単に言えば、技術の比重が高いフリーに対し、上半身だけで競うグレコは肉体的パワーをより多く要求されるもの。そんな、ある意味でごまかしの利かない歴史ある競技において、長年にわたり頂点に君臨したカレリンこそは、まさに“人類史上最強”と呼ぶにふさわしい選手なのです」(同) ロシアにおいては国家的英雄であり、そんな偉大な選手が異種格闘技で戦うとなれば、格闘技史上の大事件。世界的には猪木vsモハメド・アリにも匹敵するビッグマッチであった。 また、カレリン出場の決め手となったのは、何も法外な高額ファイトマネーではなかった。新日が旧ソ連時代に多くの選手をスカウトした際、カレリンにも声を掛けたが、結局、そのときは競技専念を選択している。 そもそも金で動く選手ではないのだ。 カレリン戦実現の裏には、前田を信頼する人々の尽力があったという。 「ソ連崩壊後、国家からの支援がなくなり食い詰めたロシア人格闘家の多くが、リングス参戦によって経済的に助けられた。リングス・ロシアの幹部たちが涙ながらにそれを訴えたことで、カレリンは人生唯一となる異種格闘技戦を決断したのです」(同) なお、カレリンはこの試合に関して、「私に挑戦してきたのは彼が初めてで、真剣だったから受けました」とだけ答えている。
-
-
スポーツ 2017年03月20日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND43 〈名勝負の陰に裏事情あり〉 格闘技世界一決定戦の幕開け
五輪同一大会で2階級を制した唯一の柔道家、ウイリエム・ルスカ。プロレス界に転身してからも「その強さとパワーは随一」との証言は多い。 そんな“赤鬼”ルスカにとって最高の名勝負とされるのが、1976年(昭和51年)2月6日、転向初戦となったアントニオ猪木との格闘技世界一決定戦であった。 柔道経験のある日本人プロレスラーは多いものの、トップクラスからの転身は意外と少ない。 全日本13連覇の木村政彦、やはり全日本覇者の坂口征二、世界選手権覇者で五輪銀の小川直也。あとは代表候補まで広げても武藤敬司ぐらいのもので、女子でも各時代を代表するような実績を持つ選手となると、神取忍や薮下めぐみなど数えるほどしかいない。 ほかの格闘競技を見ると、レスリングからは五輪代表だけでもマサ斎藤、ジャンボ鶴田、長州力、谷津嘉章、馳浩、中西学、本田多聞らが名を連ねる。ちなみに日本における柔道の競技人口が'15年時点で約16万人。レスリングは男女合わせて1万人弱といわれている。 さらに競技人口の少ない相撲界からも、東富士、輪島大士、双羽黒(北尾光司)、曙と4人もの横綱がプロレス界入りし、さらに力道山、天龍源一郎をはじめ数多くのレスラーが相撲からの転身組である。 柔道からは吉田秀彦や石井慧、瀧本誠ら金メダリストが、全盛時の総合格闘技に進出しているものの、やはり競技人口からの比率でいうと多くはない。 「柔道の場合、社会人になってからも実業団や警察などで競技続行の道が用意されているし、トップクラスともなれば引退後も指導者として引く手あまた。わざわざプロレスなどの不安定な道を選ぶ必要がない。年寄株を取得できなければ、ちゃんこ屋ぐらいしか道のない相撲とはわけが違います。また、他競技への出場に寛容なレスリングとは違って、柔道一筋であることを求める協会の保守的な体質も、一流選手がプロに転向するための障壁となっています」(スポーツ紙記者) 柔道史上で最強ともいわれる木村政彦が力道山の踏み台にされたことで、柔道家にとってプロレスのイメージが悪いというのも理由の一つとしてありそうだ。では、他国の事情はどうか。 日本以上の柔道大国で競技人口50万人以上ともいわれるフランスの場合、法律で総合格闘技やプロレスが禁じられていることもあって、ジェロム・レ・バンナが少年時代に柔道経験があるというぐらい。 他国の主だったところでは、アントン・ヘーシンク(オランダ出身、'64年東京五輪で金、全日本プロレス参戦)、ウイリエム・ルスカ(オランダ出身、'72年ミュンヘン五輪で金、新日本プロレス参戦)、ショータ・チョチョシビリ(旧ソ連出身、'72年ミュンヘン五輪で金、新日参戦)、バッドニュース・アレン(アメリカ出身、'76年モントリオール五輪で銅、新日ほかに参戦)、グレゴリー・ベリチェフ(旧ソ連出身、'87年の世界選手権で金、FMW参戦)、ダヴィド・ハハレイシビリ(ジョージア出身、'92年バルセロナ五輪で小川を破って金、リングス参戦)などがいる('72年ミュンヘンはルスカが93キロ超級と無差別級の二冠。チョチョシビリは93キロ以下級で優勝)。 この中ではオランダの金メダリスト2人のプロレス入りが目につく。 「今では柔道人口約6万人ともいわれ、人口比率でいえば日本以上の柔道大国となったオランダですが(オランダの人口は約1600万人)、へーシンクやルスカの頃はまだマイナー競技にすぎなかった。そのため、柔道師範としての稼ぎ口も少なく、2人ともやむを得ずのプロレス入りだったわけです」(同) それでも初の五輪頂点に立ったヘーシンクはオランダ国内での評価が高く、幹部指導者として将来も開けていたという。それを日本テレビが全日中継の視聴率アップ目当てでスカウトした、いわばVIP待遇であったが、対してルスカは事情が異なった。 へーシンクとの対立関係からオランダ柔道界においては傍流に追いやられ、病気の妻を抱えていたこともあって生活に困窮。青少年を指導する一方、夜の街で“用心棒”を務めたりもした。 売春や大麻が合法の国際的ナイトスポット、アムステルダムを抱えるオランダにおいて、用心棒という職業は日本でイメージするほどアンダーグラウンドなものではないが、それでも五輪の柔道二冠王者にとってふさわしい職業とは言い難い。 歴代でも屈指の強豪柔道家が、4カ月後にモハメド・アリ戦を控えたアントニオ猪木の引き立て役を受けたのは、複雑な事情があってのことだった。 そうして挑んだ初めてのプロのリングにおいて、ルスカは持ち前のパワフルさを発揮し、猪木の格闘技戦の中でも最上級の名勝負を繰り広げてみせた。 その後、プロレスに本格参戦してからの適応はいま一つであったが、しかし、それはルスカの強さを存分に発揮できるだけの相手に恵まれなかったゆえのことだったかもしれない。
-
スポーツ 2017年03月19日 12時00分
松井珠理奈も代表入り!? 新日本プロレス“タグチジャパン”に大ブレイクの予感!
新日本プロレス田口隆祐率いるタグチジャパンの人気が沸騰中だ。 1.5後楽園ホール大会にて、棚橋弘至、中西学との即席トリオで、前日1.4東京ドーム大会で王座を奪還したばかりのロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(L・I・J)からNEVER無差別級6人タッグ王座を奪取。試合後、棚橋が「何かチーム名を決めよう」と田口に提案すると、1.27後楽園大会から田口を監督とするタグチジャパンが始動した。 NEVER無差別級6人タッグ王座は2.11エディオンアリーナ大阪大会で、L・I・Jに再び奪われてしまったが、田口監督がIWGPジュニアヘビー級王者高橋ヒロムに挑戦表明。3.6大田区総合体育館大会で行われたタイトルマッチでは、敗れはしたものの必殺のアンクルホールドを巡る攻防でファンを熱狂させた。試合後にはKUSHIDAが「監督の仇はオレが獲る」とヒロムに挑戦をアピールするなど、パートナーだった棚橋、中西だけではなく、他の選手にもタグチジャパンの輪が広がりはじめている。そんな空気を察したのか、田口監督はSNSを通じて【タグチジャパン通信】なる発信をしはじめた。【タグチジャパン通信】3/14現在監督田口隆祐A代表棚橋弘至中西学招集SANADA(返答待ち)オカダ・カズチカ(辞退)強化指定ハリウッドJURINAKUSHIDA外国人枠エルガンドラゴンリージュースフィンレー ハリウッドJURINAとは、テレビ朝日系列で放映中のドラマ「豆腐プロレス」でSKE48の松井珠理奈が演じているプロレスラー。松井は1.4東京ドーム大会を観戦してから、新日本プロレスの大ファンになり、SNS上で田口監督のオーマイ&ガーファンクルポーズを披露。これが田口監督の目に止まり、勝手に代表に招集されてしまった。また、タグチジャパンは新日本内のユニットに関係なく招集する方針を打ち出し、CHAOSのIWGPヘビー級王者オカダ・カズチカをSNS上で招集したが、オカダは「タグチジャパンでは100%の力を発揮できないと思うので辞退させていただきます」と丁重に辞退。すると田口監督は…3つ言わせてください1つとても残念な返事です2つ69%の力を発揮してくれれば充分なんですがどうです?3つやっぱりタグチジャパン入り希望というならいつでもウェルカムです4つ特にありません とオカダのマイクアピールをオマージュする形で再オファーするも「タグチジャパンに選ばれることはとても光栄な事ですが、次の防衛戦に向けて今はしっかり休養を取る事が大事だと思っております」と再度断られた。現在はL・I・JのSANADAに狙いを定めているが、SANADAは滅多にコメントを出さないだけに、このまま黙殺される可能性が極めて高い。しかし、こうしたやり取りや、ユーモア溢れる試合後のコメントが、ファンの心を掴んでいるのは事実で、会場でも田口に対して「監督ガンバレ!」という声援が多く飛ぶようになった。入場後にリング中央で決めるタグチジャパンの記念撮影ポーズも徐々に浸透してきている。 田口は公式サイトのインタビューで「中西さんが復活するキッカケになればいいなと思った」と話しているように、今シリーズはインフルエンザで欠場をしているが、タグチジャパンを結成してから中西のコンディションは明らかに上昇している。また、本来であればチームリーダーを務めてもおかしくない棚橋も、1.4ドーム大会で内藤哲也に、3.11愛知県体育館大会での『NEW JAPAN CUP 2017』はEVILに1回戦負けを喫してしまうなど、昨年から続くスランプから、なかなか抜け出せないでいるが、3.15松本平広域公園体育館大会の試合後に「『NEW JAPAN CUP』中盤の5連戦、公式戦は1回戦で敗退してしまったけど、監督のおかげで、なんとか気持ちを維持してます」と前向きなコメントを残した。これは田口監督の「棚橋さんには、いちレスラー棚橋弘至として再びエースを目指してもらいたい」という気遣いが棚橋にも伝わっている証だろう。 即席トリオから始動したタグチジャパンだが、田口監督の本気度が浸透してきたこともあり、ファンの支持率も急上昇している。田口監督が勝手に作ってきた「タグチジャパンタオル」も商品化を望む声が多く、グッズが発売されてヒットするようなことがあれば、バレットクラブ、L・I・Jのように、一気に大ブレイクするかもしれない。 田口監督が考えているタグチジャパンの当面の目標は、NEVER無差別級6人タッグ王座の再奪取。無傷の6連勝でWBC準決勝に進出し、日本中を熱狂させている侍ジャパンのように、タグチジャパンが新日本マットでさらなる熱狂を生み出すことが出来るか否か。田口監督の手腕に期待したい。(どら増田)【新日Times vol.60】
-
-
スポーツ 2017年03月12日 12時00分
IWGP王者オカダ・カズチカ「ワクワクする」カードで『旗揚げ記念日』を札止めに!
新日本プロレス創立45周年となる『旗揚げ記念日』が、6日大田区総合体育館で開催された。3年振りにビッグマッチとして行われた今大会は、IWGPヘビー級王者オカダ・カズチカが、アニメの世界から飛び出した“ゴールデンタイガー”タイガーマスクWを対戦相手に指名。過去3試合で驚異的な身体能力の高さを見せつけたタイガーマスクWとオカダによるドリームマッチは、ファンの関心を集め、平日開催にもかかわらずチケットは事前に完売。3,896人(超満員札止め)の大観衆が会場に詰めかけた。 1日の後楽園ホール大会では、オカダ&外道 対 タイガーマスクW&(4代目)タイガーマスクという前哨戦が組まれ、タイガーマスクが外道からタイガースープレックスで勝利を収めると、リング上でマイクを掴み「彼を初めて両国(国技館)で見たときは、『またタイガーマスク出て来たよ』と、『何人タイガーマスク出んだよ?』と、『誰でもタイガーになれちゃうのかな?』なんて、思ってました」と新たなタイガーマスクが誕生したことについて、初めて複雑な心境を語った。しかし、この試合を通じて感じるものがあったのだろう。最後は「でも! 今日の試合見てどうですか? 彼は、タイガーマスクではなく、“真のタイガーマスクW”です! 僕も当日はセコンドに付いて応援します! 大田区期待してください!」と締めてみせた。1980年代の新日本プロレス黄金時代を築いた、初代タイガーの教え子であるタイガーが、Wの後見人を買って出たことで、オカダ対Wの『NJPW旗揚げ45周年記念試合』は、“歴史を超えた”ドリームマッチという意味合いが出てきたのは大きかった。 そして迎えた当日。試合開始直後から場内は割れんばかりの大タイガーコール。これは80年代黄金時代の会場のムードを思い出させるものだった。試合に関しては既に各メディアが報じているように、素晴らしいの一言。オカダがWの、Wがオカダの“危険な”引き出しを開け合ったことで、二人にしかできないストロングスタイルの世界を見ることができた。近年のプロレス界において、ここまでワクワクした試合があっただろうか。このカードを提案し、会場を超満員札止めにさせたオカダにあっぱれである。 試合後、ワクワクさせるカードを提案し、そのカードで超満員札止めにした気持ちをオカダにぶつけてみた。 「単純に、僕も、ワクワクした試合、1月ケニーとやって、2月鈴木さんとやって、僕自身がワクワクするような試合を、楽しめるような試合をしたいなと思っていただけで、それがお客さんにも伝わったと思うんですけど。ワクワクだけじゃ、楽しいだけじゃ、終わらない一戦でした。キツかった。強かった。俺ほどではないけど」 最後に強がるあたりがオカダらしいが、笑みを交えながら語ったその表情からは、普段のタイトルマッチとは違った充実感が伝わってきた。会見ではアニメ『タイガーマスクW』についても「きょうの試合を見たらアニメも気になる人も出てくるんじゃないですかね。試合時間は? 27分? ちょうどいいじゃないですか。この試合をアニメ化してもらいましょう(笑)」と報道陣の笑いを誘っていたが、新日本プロレスに「カネの雨を降らせる」ために、オカダのワクワクした闘いは終わることがない。 「新日本はオカダがいれば大丈夫」 そう感じた45年目の『旗揚げ記念日』だった。(どら増田)【新日Times vol.59】
-
スポーツ 2017年03月06日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND41 〈“新日vsUWF”全面戦争〉 上田馬之助が執念の場外心中
1986年3月26日、東京体育館で行われた新日本プロレスとUWFの5vs5イリミネーションマッチ。全面戦争となる大一番で主役の座を奪ったのは、大ヒールでありながら正規軍の助っ人として参戦し、この試合がUWFとの初遭遇になる上田馬之助であった。 プロレスには通常のシングル、タッグ戦以外にも、さまざまな試合形式がある。完全決着をうたったデスマッチや、選手の顔見世的なバトルロイヤルがその一例。また、長期の抗争アングルでは目先を変えて新鮮味をもたせるため、これまで変則ルールもたびたび採用されている。 有名なところでは、新日と国際軍団の抗争におけるアントニオ猪木vsラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の1対3変則タッグマッチ('82年、'83年のいずれも国際軍団の勝利)。ほかにも猪木と木村は、ランバージャック・デスマッチや髪切りマッチなどで対戦している。 また、目新しさということでは'83年、新日正規軍vs維新軍による4vs4綱引きマッチも記憶に残るところ。絡み合った4本の綱がリング上に用意され、つかんだ綱の両端が一致した選手同士が対戦するという、くじ引き方式だった。 このときは坂口征二vsアニマル浜口(坂口のフェンスアウト反則負け)、前田日明vs長州力(長州がサソリ固めでレフェリーストップ勝ち)、藤波辰巳(現・辰爾)vsキラー・カーン(両者リングアウト)、猪木vs谷津嘉章(猪木が延髄斬りからのフォール勝ち)の組み合わせとなった。 もちろん、事前に対戦者は決まっているのだが、くじ引きの偶然を装うことで藤波vs長州の“名勝負数え歌”の再現や猪木vs長州の頂上決戦を後回しにつつ、ファンの関心を惹こうという試みである。 ほかにも変則ルールの試合は、相手チーム全員を敗退させるまで続くイリミネーションマッチや3人(3組)同時に闘う3WAYマッチなど多種多様だが、いずれにおいても勝負というよりゲーム性が高く、そもそも完全決着を目的としていないこともあって、いわゆる名勝負とはなりにくい。 そんな中、今なお語られるのが'86年3月26日、新日vsUWF5対5イリミネーションマッチである。同大会では、当初、猪木vs前田がメインイベントとして発表されてはいたものの、これを猪木が「UWFリーグ戦を勝ち抜いた藤原に勝ったばかりで、なぜ2番手の前田とやる必要があるのか」と、前田戦の中止を宣言したことで急きょ決まったものだった。 「これについて“猪木が逃げた”とする声もありますが、猪木の右腕だった新間寿氏は〈前田の取り巻きが猪木の腕を極めたら折ると言いふらしていたため、いまシュートマッチでやっても前田の将来に傷を付けることになる〉と、回避を決めたわけを著書に記しています。それに加えて、UWFとの抗争を長く続けたいとの考えもあったのでしょう」(プロレスライター) 長州率いるジャパンプロレス軍は全日へ移籍。鳴り物入りで獲得したアブドーラ・ザ・ブッチャーは振るわず、マシン軍団も立ち消え状態。WWFとの提携も解消となり、当時の新日にとってはUWF以外に目ぼしい話題がなかった。 発表された出場選手は、新日が猪木、藤波、木村健吾、星野勘太郎、上田馬之助。UWFが前田日明、藤原喜明、高田伸彦(現・高田延彦)、木戸修、山崎一夫。 「メンバーで目を惹いたのは、これまでUWFと絡んでいなかった上田の存在でした。試合形式の珍しさとヒールの上田が新日正規軍入りした意外性への興味から、猪木vs前田が消滅したにもかかわらず、ファンからの事前の評判はおおむね良好。当日の会場も満員となりました」(同) 試合のキーマンとなったのも、その上田であった。新日勢は星野、木村、藤波が、UWF軍は山崎、藤原が脱落していく。 「新日で残ったのは因縁深い猪木と上田。ここで“上田の裏切り”を思い浮かべたファンも多かったでしょう」(同) だが、そんな予測はいい意味で裏切られる。それまで目立った動きのなかった上田は、前田と対峙するやミドルキックやハイキックを打ち込まれたが、倒れるどころか避けたりガードすることもなく受け切ったのだ。 そうして蹴り脚をつかみグラウンドに引きずり込むと、自ら場外へ飛び降りるようにして前田を道連れに“心中”してみせた。この試合は場外転落=敗戦の特別ルールが付け加えられており、これは「場外カウントを短縮しろ」というUWF側の要求に対し、新日側が「だったら場外はナシで」と決まったものだった。 上田の闘った時間はわずか3分ほどであったが、それでも新日ファンからは救世主として、またUWFファンからはそのタフネスさをたたえられ、大歓声を浴びることになった。その後、猪木が高田と木戸を連続で下して新日軍の勝利となったが、この日の主役は紛れもなく上田だった。 この盛り上がりに味をしめてか、同年5月には両軍のシングル5vs5勝ち抜き戦が組まれたが、猪木と上田がメインのタッグマッチに回ったこともあり(相手はアンドレ・ザ・ジャイアント&若松市政)、特に目立つ波乱もないまま大方の予想通りUWF軍の勝利に終わっている。
-
スポーツ 2017年03月05日 12時00分
棚橋vsEVIL! 柴田vsみのる! 今年のNJCは1回戦から死闘必至
新日本プロレスは春の祭典『NEW JAPAN CUP 2017』(NJC)トーナメントの組み合わせと日程を次のとおり発表した。▼トーナメント1回戦◎3.11愛知県体育館大会A. 棚橋弘至 対 EVILB. 本間朋晃 対 タンガ・ロアC. マイケル・エルガン 対 バッドラック・ファレD. 矢野通 対 タマ・トンガ◎3.12尼崎市記念公園総合体育館大会E. 柴田勝頼 対 鈴木みのるF. ジュース・ロビンソン 対 高橋裕二郎G. 石井智宏 対 ケニー・オメガH. YOSHI-HASHI 対 SANADA▼トーナメント2回戦◎3.13福井県産業会館・1号館展示場大会I. Aの勝者 対 Bの勝者◎3.14滋賀県立文化産業交流会館大会J. Cの勝者 対 Dの勝者◎3.15松本平広域公園体育館大会K. Eの勝者 対 Fの勝者◎3.17所沢市民体育館サブアリーナ大会L. Gの勝者 対 Hの勝者▼トーナメント準決勝◎3.19アクトシティ浜松大会M. Iの勝者 対 Jの勝者N. Kの勝者 対 Lの勝者▼トーナメント決勝戦◎3.20アオーレ長岡大会Mの勝者 対 Nの勝者※試合はすべて時間無制限一本勝負※優勝者は4.9両国国技館大会で、IWGPヘビー級王座(王者/オカダ・カズチカ)、IWGPインターコンチネンタル王座(王者/内藤哲也)、NEVER無差別級王座(王者/後藤洋央紀)のいずれかに挑戦ができる。 発表前にチャンピオンでありながら出場表明していた、内藤哲也や後藤洋央紀の出場は認められず、毎年出場していた永田裕志ら第3世代の出場も見送られた。真壁刀義は「インパクトのある仕事」を理由に出場を辞退している。 まず、今年出場する選手が優勝した場合、どの王座に挑戦するのか予想してみた。■IWGPヘビー級王座ファレ、柴田、みのる、ケニー、SANADA■IWGPインターコンチネンタル王座棚橋、エルガン、矢野、裕二郎、石井、YOSHI-HASHI■NEVER無差別級王座EVIL、本間、ロア、タマ、ジュース この中で明確にアクションを起こしているのは、ケニー、エルガン、ジュースの外国人三選手のみ。その他の選手に関してはチャンピオンとの因縁や、軍団の同門対決を避けるだろうという観点から予想した。NJCで優勝すると、挑戦できるベルトが選択できるようになってからは、“ベルトへの執着心”が優勝の行方を左右していたのだが、今年は1回戦で二つの因縁カードが組まれたことで、トーナメントとは別の意味で注目を集めている。 ひとつは柴田勝頼対鈴木みのるだ。両者は2.21後楽園ホール大会で、みのるの新日本マット復帰以来“初遭遇”を果たすと、いきなりハードヒットな攻防を見せた。NJCでの対戦が決定した直後の、3.1後楽園大会ではタッグで激突。試合後はみのるが鈴木軍の加担を制して、柴田と1vs1の大乱闘を演じるなど、遺恨はさらに増している。試合後、みのるが「オレとオマエ、パートナーとかいらないだろ。オレはテメーと決着つけてやる。力の限りぶちのめしてやる」と叫べば、柴田も「望むところだ! もう、舞台は整ってるよ。あとはやるだけ! 以上!」とコメント。3.12尼崎大会では想像を絶する死闘が見られそうだ。 もうひとつは棚橋弘至対EVILである。EVILは1.5後楽園大会でタグチジャパン(棚橋&中西学&田口隆祐)にNEVER無差別級6人タッグ王座を奪われてから「(1.4東京ドーム大会での内藤戦で)終わった棚橋の魂を捻り潰し地獄に葬って、ダークネスに染め上げる」と連日挑発。試合でもEVILから棚橋に積極的に絡んでいたが、棚橋は「やり合っているうちには入らない」とEVILの挑発を無視していた。しかし、3.1後楽園大会の試合後、棚橋から向かっていく形で大乱闘に発展。ひさびさに激しく感情を露わにした棚橋の表情はぶ然としていた。コメントブースでも「ナメられたモンだね、棚橋も。あったま来るわ。ひょっとしたら、勝てるんじゃねえか? ナメんじゃねーぞクソヤロー」と珍しく声を荒げた。棚橋の気持ちに火をつけることに成功したEVILも「棚橋のボケが! スカしてんじゃねえぞ。オメエはもう終わってんだよコノヤロー。時代は、オレの時代なんだよ、バカヤロー!」と帰国後には見せたことがないような感情を爆発させている。売られた喧嘩を買う形となった棚橋だが、内藤戦よりもリスクが高い試合になるのは間違いない。この試合も両選手が2回戦以降を考えない闘いになるだろう。 1回戦では他にもエルガン対ファレの怪物対決や、好勝負の期待が高まる石井対ケニーなど注目カードがズラリと並んでいる。トーナメントは大物同士が星を潰し合う可能性も高いだけに、意外な選手が優勝するかもしれない。4.9両国大会のメインで誰がどの王座に挑戦するのか? 昨年は内藤が大ブレイクするキッカケになったシリーズなだけに、今年も新日本マットの上半期を大きく占うNJCに注目だ。(どら増田)(C)新日本プロレス【新日Times vol.58】
-
スポーツ 2017年02月27日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND40 〈小橋vs健介“魂の名勝負”〉 壮絶極まる剛腕チョップ合戦
“鉄人”、さらには“絶対王者”として一時代を築いた小橋建太。数多の名勝負を繰り広げてきた中でも、プロレスリング・ノアが隆盛を極めた2005年、東京ドーム大会における佐々木健介とのチョップ合戦は、今もなお伝説として語り継がれている。 2月1日に株式会社ピーアールエヌ(旧・株式会社プロレスリング・ノア)が破産となった。興行権などはすでに別会社に移譲されているため、ノアの大会は今までどおり開催されるというが、かつての隆盛を知るファンからすれば驚きとともに寂しさを禁じ得ないことだろう。 三沢光晴を中心とするレスラーやスタッフ総勢約50人が、全日本プロレスを離脱し、2000年に設立されたプロレスリング・ノア。ディファ有明での旗揚げ2連戦のチケットは、わずか20分足らずで完売し、その「新しい闘い」(三沢による試合前のあいさつの言葉)への期待度の高さを示した。 「この時期、業界最大手の新日本プロレスは格闘技進出で結果を残せず、それに関連してアントニオ猪木やその子飼い選手たちの扱いでもゴタついていた。さらには武藤敬司らの全日移籍や長州力一派が離脱してWJを旗揚げするなど、相次ぐ迷走でファン離れが進んでいた。その一方で、ノアは安定した内容でファンの信頼を集めていきました」(プロレス記者) 旗揚げ戦こそは、秋山準によるフロントネックロック“秒殺”や垣原賢人のUWF風ファイトが注目されたが、その後はアングルに頼らない全日時代の四天王プロレスをベースとした闘いで、リング上を充実させていった。 そんなノアの人気が一気に高騰したのは、かねてからの膝の故障などで旗揚げ当初には休場を重ねていた、小橋建太の完全復帰からだった。 '03年に三沢を下してGHCヘビー級王者になると、新日の東京ドーム大会で蝶野正洋を相手に防衛成功するなど、約2年にわたり王座を守り続けた。 「力を出し惜しみすることのない小橋のファイトは、ファンからの共感を呼ぶと同時に“お得感”を与えました。新日がアルティメット・ロワイヤルなど訳の分からない試合をしているのに比べて、小橋の試合には間違いがなく、この安定感が集客増にもつながったのです」(同) 小橋の全力ファイトこそがノアの象徴とされ、いつしか“絶対王者”の呼び名を付けられた。また、ネットスラングとして流行した“ノアだけはガチ”というフレーズも、小橋の存在があったからこそ成り立った。 「純プロレスであるノアの試合に、総合格闘技的な意味でのガチンコ要素は乏しく、このフレーズは主にノアや、そのファンの“われこそ一番”という態度へのあざけりとして使われていたものです。とはいえ小橋のプロレスに対する真摯な態度は、たとえアンチであっても認めざるを得ないところで、これが“ガチ”という言葉に一片の真実を与えていた。なにせあまりのストイックさゆえに、一時は“小橋ホモ説”までまことしやかにささやかれたほどですから(笑)」(同) そんな小橋=ノア人気がピークを迎えたのが、2年連続で開催された東京ドーム大会であろう。'04年の大会では秋山を相手に小橋はメインを飾った。続く二度めのドームでは、メインこそは三沢と川田利明の因縁対決に譲ったが、これに劣らずファンの心に強く刻まれたのが、セミファイナルの佐々木健介戦だった。 新日時代の健介は、現場監督だった長州の子飼いとして都合よく使われ、ここ一番での試合で負けを“飲まされる”ことも多かった。猪木や武藤などの華やかさに比べ、その泥くささから“塩介(パフォーマンスがしょっぱいという意味)”と、新日ファンに蔑称で呼ばれることもあった。 だが、努力の質と量では健介もまた小橋に劣らない。いわば似た者同士、共に極めつけのプロレス馬鹿である2人の邂逅が、名勝負となるのは必然のことだった。 試合開始直後のバックドロップ合戦からエンジン全開で、鍛え上げられた筋肉が問答無用でぶつかり合う。そうして試合中盤を迎えたとき、両者にらみ合って咆哮すると、今なお伝説として語られるチョップ合戦が始まった。 「2人の繰り出したチョップの数は合計200発を超えました。時間にして5分以上、お互いに一歩も引かず、チョップの威力を減じるために体をそらすこともなく、胸を突き出して受けてみせた。最初は赤くミミズ腫れになっていた2人の胸板が、最後の方ではドス黒く変色したほどでした」(スポーツ紙記者) ファンの想像や期待をはるかに超越した意地の張り合いは、チョップ合戦に終わらず、普段ならフィニッシュホールドとなる大技を互いに惜しげもなく繰り出していく。最後は小橋の剛腕ラリアットに凱歌が上がったが、それは試合の終わりを告げる意味でしかなかった。 「どちらが勝ったかは関係なく、ただ目の前の試合に圧倒されていた。声援を送っていたファンはもちろん、取材をしていただけの記者連中までもがヘトヘトに疲れ果てていた。そんな試合はほかに見たことがありません」(同)
-
-
スポーツ 2017年02月26日 12時00分
「インパクトのある仕事をしてくる」新日本プロレス、真壁刀義がデビュー20周年!
新日本プロレス2.21後楽園ホール大会は、真壁刀義デビュー20周年記念大会として開催された。 試合前にはセレモニーが行われ、真壁が付き人を務めていた“師匠”長州力がサプライズで登場。真壁に労いのメッセージを送ったのだが、その中で気になる言葉があった。 「前座でデビューして、前座で終わると思った」 長州はコメントブースでも「そうなる要素はあったよ」と語っているが、真壁が入団した1997年は、この日VTRで祝福のメッセージを送った同期の藤田和之が、デビューから格闘技路線で注目され、さらに天山広吉、小島聡、永田裕志、中西学ら第三世代と、棚橋弘至、柴田勝頼、中邑真輔らの世代の狭間の世代だったということもあり、真壁に光りが当たることがなかった。 2004年に高山善廣とのタッグで台頭し、リングネームを本名から現在の真壁刀義に改名するも、直後にアキレス腱を断裂してしまう不運も重なってしまう。しかし、どんな時も真壁は腐ることがなかった。2006年に復帰すると、現在のトレードマークであるチェーンをリングコスチュームに加えて、暴走キングコングスタイルを確立。天山が結成したヒールユニットG.B.Hに参加すると、ヒールレスラー真壁刀義として開花させる。その後、天山を追放しG.B.Hのリーダーになった真壁だが、2009年4月に矢野通ら、本間朋晃を除くメンバーが中邑真輔と結託して造反し、CHAOSを結成。G.B.Hは真壁と本間の2人だけになってしまったが、同年の『G1クライマックス』で初優勝を飾ると真壁人気が爆発。優勝インタビューで真壁がファンに「サンキューな」と語ったシーンは『G1』名場面のひとつである。 「テッペンから見える光景が見たい」この頃から真壁はIWGPヘビー級王座に狙いを定めていく。そして2010年5月、アキレス腱断裂の試合、G.B.H分裂の試合、『G1』決勝戦と、「いつも節目にはアイツがいた」という因縁の相手である中邑から、悲願のIWGPヘビー級王座の奪取に成功。真壁の苦悩を見てきたファンにはたまらない戴冠劇だった。 IWGP戴冠により、“スイーツ真壁”としてメディアの露出も増えていき、今では世間的な知名度のある現役プロレスラーNo.1と言っても過言ではない。真壁の表現力に対するメディアの評価も高いだけに、これからもプロレスラー真壁刀義の露出は増えていくだろう。 20周年記念試合では“盟友”本間とのタッグで、因縁が深いIWGPタッグ王者チーム、矢野&石井智宏に快勝。試合後には次期シリーズ『NEW JAPAN CUP 2017』の欠場を発表した。欠場理由については「まだ言えない」と口を濁したものの「ステップをもっと上げるため勝負してくる。でも、すぐ戻ってくる。それぐらいインパクトのある事をしてくるから」と欠場について予告した。詳細は追って発表される模様だが、真壁が世間に親しみやすく発信することにより、会場に行きやすい環境ができているのは事実であり、今の新日本プロレスにとって真壁は大きな財産である。「NEW JAPAN CUP 出場」を蹴ってまで選択しただけに、期待しながら発表を待ちたい。(どら増田)写真:ディーン・ニシオカ【新日Times vol.57】