新日本
-
スポーツ 2017年01月16日 18時00分
プロレス解体新書 ROUND34 〈東京ドームが揺れた!〉 伝説の10・9メインを締めた激闘
1995年10月9日、超満員札止めの東京ドーム。新日本プロレスとUWFインターナショナルによる世紀の団体対抗戦。大将戦となった武藤敬司vs高田延彦は、旧来プロレスと格闘プロレスの激突と見られたが、その裏側にはさまざまな思惑が渦巻いていた。 日本のプロレス界においては、アマチュア競技で実績を残した選手ほど、格闘技的な意味での言わゆる“ガチンコ”を嫌う傾向がある。最終的にエンタメ路線の『ハッスル』を主舞台とした、小川直也がその典型だろう。 「真剣勝負はアマで散々やり尽くした。それをなぜプロになってまで、しかも五輪のような名誉も格式もない舞台で、やらなきゃいけないのか?」というわけだ。 レスリング五輪代表のマサ斎藤やジャンボ鶴田、長州力、同じくレスリングで高校時代に国体優勝経験のある三沢光晴にも、同様の傾向が見られた。 「藤田和之(レスリング全日本選手権優勝)のような例外もあるが、藤田の場合は不器用過ぎて、プロレス向きではなかったですから」(プロレス記者) 逆に言えば、アマ実績がない者ほど“強さ”にこだわりがある。初期UWF勢はほとんどにアマ実績がなく、そもそもU系の源流であるアントニオ猪木も、プロ入り前には砲丸投げしか経験していない。 「彼らにとっては強さの基準がプロレスしかなかった。だから猪木は“キング・オブ・スポーツ”をうたって、他競技の選手と異種格闘技戦を行ったし、UWF勢は道場での稽古をよりどころとした」(同) UWFに対しては、後年になって「ガチンコではなかった」との批判もあるが、もともとがプロレス流の稽古を突き詰めたものだから、試合スタイルや使う技術がプロレスの枠内に収まるのは当然のことなのだ。 そうして見たときには、新日vsUインター対抗戦における武藤vs高田は、当時のファンの評価であるアメリカンプロレスの武藤と真剣勝負の高田…とは異なった色合いを帯びてくる。 武藤は派手なパフォーマンスで知られるが、実は柔道で全日本強化選手にも選ばれたスポーツエリート。新日入団後もすでに高いレベルにあった寝技の技術をプロレス用にアジャストさせ、当初からスパーリングでの力量はズバ抜けていた。 「日本の柔道は競技者数からしても格別で、そのトップクラスにいた武藤は身体能力でもズバ抜けていた。新弟子時代の船木誠勝や鈴木みのるなども、武藤から一本関節を取れれば大喜びでしたよ」(新日関係者) 第一次UWFが新日に復帰参戦していた頃、飲み会の席で武藤が前田日明に向かい「あんたらのプロレスはつまらねぇ」と言い放ち、それがきっかけで大乱闘になった逸話があるが、これも技術面での圧倒的な自信があったからこそだろう。では、実際の武藤vs高田はどうだったか。 「高田が北尾光司戦のように“仕掛けてくる”危惧もあり(筋書き破り)、序盤の武藤は慎重でした。タックルはしっかり切り、グラウンドでも終始上になって高田をコントロールしていた」(同) そんな中でもフラッシングエルボーやムーンサルトプレスを織り交ぜたのは、武藤のプロ意識だけではなく、高田の様子を見定めた上で「やっても大丈夫」との感触を得た部分もあっただろう。 対する高田は、武藤との体格差もあってグラウンドで苦戦。腕や脚を狙っても極めきれない。そこで活路を見い出したのが蹴り技で、キックボクサーから本格的に学んだキックを前にしては、さすがの武藤も防御すらままならない。かつてUWF参戦時の対戦経験はあったとはいえ、これを常日頃から練習している高田とは経験値で大きく劣る。高田のローをカットすることもなく、好き放題に膝裏や内ももへと食らっていた。 「相手の不得手な部分を攻めるという意味では、猪木vsアリ戦におけるアリキックにも通じます」(同) もし、これが初顔合わせであったならば、蹴り技は決定的なストロングポイントとなっただろう。だが、高田の蹴りは武藤も想定内のこと。強引なタックルでコーナーに押し込み一呼吸置くと、再度ミドルを放つ高田の蹴り脚を取って、見事なまでのドラゴンスクリューを決めた。 「これで高田が膝を壊しての敗戦というのは、恐らく両者ともに了解済みのフィニッシュでした。対抗戦を続けていく上で一番マズいのは、初戦で高田が完敗すること。トップが潰れたのでは次が続かない。とはいえプロレスファン注目の一戦で、新日側も負けるわけにはいかない。そこで、高田が“慣れない”プロレス技で故障した“事故”での負けと装ったわけです」(同) 足4の字固めを決め技に選んだのも、同様の配慮があった。 「武藤が関節を極めたのでは高田の顔が立たないし、ムーンサルトプレスなども武藤が目立ち過ぎる。だから、高田の故障に乗じて、武藤が“普段やらない技”を使ってまで必死に勝ちにいったことにしたわけですよ」(別の関係者) しかし、あくまでも対高田戦における緊急措置として用意されたはずの、ドラゴンスクリューから4の字固めという流れを、その後の必殺ムーブにまで仕上げたのは武藤の天才性ゆえのこと。こればかりは関係者にとっても、いい意味での誤算だったようだ。
-
スポーツ 2017年01月15日 12時00分
「中身は俺が詰め込んで行く」棚橋弘至が復権へ新テーマ曲とともにGO! ACE!
新日本プロレス1・4東京ドーム大会のセミファイナル。内藤哲也が持つIWGPインターコンチネンタル王座に“背水の陣”で挑んだ棚橋弘至だが、25分25秒、内藤の必殺技デスティーノを喰らってしまい万事休す。試合後、リング中央で大の字になった棚橋の胸に、内藤は拳を当てると一礼。世代交代とともに棚橋がトドメを刺されたことを印象づけるシーンだった。 「これでひとつの時代が完全に終わったのかな? 寂しいけどね。これもディスティーノ、運命だよ。かつて彼が俺にこう言ったよ。2006年の7月だったかな? 早く俺のところまで来いよって。でもさ、今この場で俺は彼にメッセージを送るよ。棚橋、早く俺のところまで戻ってこいよ。まあ、戻ってこようとするのは自由だから楽しみに待っとくぜ。カブロン」 試合前の予告通り、棚橋にトドメを刺した内藤だったが、コメントブースでは棚橋に奮起を促すようにも取れるコメントを残している。棚橋はノーコメントだった。 翌5日の後楽園ホール大会。全対戦カードが当日発表だったのだが、メインイベントでNEVER無差別級6人タッグ選手権試合、前日に王座を奪還したばかりのSANADA&EVIL&BUSHIに、棚橋&中西学&田口隆祐が挑戦することが発表されると、超満員のファンからは大きなどよめきと拍手が送られた。棚橋&中西&田口は普段もあまり組むことがない急造タッグだが、個々の人気が高いためファンの支持を得たようだ。 乱入や波乱な結末などがあり、少し荒れた大会になった1・5後楽園大会。しかしメインで棚橋組が棚橋の新テーマ曲に合わせて入場して来ると、一気に会場の空気が明るくなった。前日に初公開されたばかりの棚橋の新テーマ曲だが、ファンの浸透力が高く、曲中に盛り込まれている「GO!ACE!」という掛け声に合わせて叫んでいるファンが多く見られた。 試合は、ファンの圧倒的とも言える支持率をバックにベテランの中西が大奮闘。これを棚橋と田口が見事にアシストし、最後は中西が説得力十分のヘラクレスカッターでBUSHIを葬り王座を奪還。第10代王者に輝いた。1・4ドーム大会では、所属している日本人選手全員がタイトルホルダーとなったロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(L・I・J)だが、逆にすべてのタイトルをCHAOSとL・I・Jに流出させてしまった新日本本隊にとっては、一夜にして一矢報いた形となった。 試合後、ファンと喜びを分かち合った棚橋は遅れてコメントブースに現れると「ありがとうございました」と笑顔で中西と握手。田口には「これこそワンチャンだな」と声をかけた。前日にコメントを出さなかったこともあり「やっぱりベルトっていいもんですね」と言うと、中西&田口が去ったあとも一人残ったので、こんな質問をぶつけてみた。 ――今日は入場時、ファンから「GO!ACE!」という掛け声もありました。すぐに浸透しそうな良い曲ですがいかがですか? 「これはどんな良い曲であっても、実績、試合内容が乗っていかないと、空っぽのままなんで。この良いメロディー。今、まだ空っぽの曲ですけど、中身は俺が詰め込んでいきますから。うん。いい話だな」 棚橋は自分自身に言い聞かせるかのように答えてくれた。さらに内藤戦の敗戦を「僕が感じている以上に、ファンの方、関係者、レスラー仲間が、凄く重く受け止めている結果」と分析すると、「少し落ち込もうかなって思ったんですけど、リングで試合して、ファンの声援を聞いたら『プロレスってそうじゃねぇな』って思って(落ち込むのを)やめました」と話した。内藤にトドメを刺されてドン底に堕ちた翌日にチャンピオンになってしまうあたり、まだトドメを刺されていないのかもしれない。「メインイベントも遠いし、IWGPも遠いし、インターコンチも遠い。ただ、その、発信源は俺なんで。その意味を1番理解しているのも、俺」と言い切った棚橋の表情からは「必ずまた中心に戻ってみせる」といった自信も垣間見れた。棚橋の良いところは“開きなおり”と“切り替え”そして決断の早さである。新日本プロレスが厳しいときも棚橋の素早い決断力で乗り越えてきた。ドーム大会の盛り上がりについては「年々盛り上がっていくけど、棚橋はどんどん下がっていくっていう状況が、やっぱり悔しい」と話していたが、この悔しさがある限り、そしてまだ空っぽのテーマ曲に「詰め込む」作業が終わるまで棚橋弘至は終わらない。 「大丈夫です。棚橋は、元気です」 2017年、棚橋弘至が復権に向かって発進した。「GO!ACE!」のテーマ曲とともに。(どら増田)写真:イーデス・ハンセン【新日Times Vol.51】
-
スポーツ 2017年01月08日 12時00分
2万6千人が感動! オカダとケニーが46分45秒で築いた新日本1・4闘強導夢
新日本プロレス1・4東京ドーム大会『レッスルキングダム11』のメインイベントは、46分45秒という東京ドームでのプロレス大会史上最長の試合時間で、オカダ・カズチカが脅威の粘りを見せたケニー・オメガを渾身のレインメーカーで振り切って、IWGPヘビー級王座の防衛に成功した。 この日、東京ドームに集まったのは26,192人の大観衆。メインの試合時間が進むにつれて、ドーム内の空気が変わってきたのが記者席まで伝わってきた。アリーナに降りてみると、何人ものファンが泣きながら2人の試合を見ている。毎年1・4ドーム大会に足を運んでいるが、こういう光景ははじめてだ。試合後、インタビュールームに現れたオカダにストレートにぶつけてみた。 ──今日の試合、30分を越えたあたりから、観客席で涙ぐむファンがかなり見えたんですね。こういう光景は最近新日本プロレスでなかったなと思うんですけど、会場の雰囲気の変化は感じられましたか? オカダ「どうなんですかね? 今日のオカダvsケニーがそういうお客さんの心に響く試合だったと思いますし、本当に感情移入して泣ける試合なんて腐るほどありますし、ドンドンドンドンそういう泣ける試合もそうですし、ハラハラドキドキワクワクした試合もあると思いますし、そういう試合を見せていけるのが新日本プロレスだと思いますんで、それがプロレスの魅力だと思いますんで、そういうのをドンドン見せていけたらと思います」 ファンが涙を流したのはケニーの底知れぬスタミナがオカダをかなり追いつめたのも大きいが、レインメーカーとして凱旋帰国してからのオカダは、クールさを前面に出していたこともあり、ファンから感情移入がし難い選手と言われることが少なくなかった。しかし、あれから6年が経ち、東京ドームという大会場で観客と喜怒哀楽を分かちあえる選手に成長したのが理由だろう。昨年まで6年連続でドームのメインを務めてきた棚橋弘至(今回はセミファイナルに出場)がいなくても、棚橋の影をまったく感じさせることなく、大会を締めてみせた今のオカダは、立派なIWGPヘビー級王者である。 ──試合後にケニー・オメガ選手を新日本の歴史上一番強い外国人選手だとおっしゃっていましたけど、どんなところが強いと感じましたか? オカダ「こんな47分も今まで試合したことないですもん。それは棚橋さんにしたってそう、内藤さんにしたってそう。したことないですし、今までの歴史の中で、新日本プロレスももうすぐ45周年ですけど、今が一番だと思ってますし、その中で僕とやっている選手、今回はケニー・オメガでしたけど、ここまで追い込まれてこんなにフラフラして帰ってくることは今までなかったですから、それは僕が認めます。もちろんファンの人も認めざるをえないような試合だったんじゃないかなと思います」 試合中、挑戦者ケニーの凄さに対してオカダが動揺(困惑)した表情を見せたシーンがあった。それは試合時間が30分を超え、勝負に出たオカダはツームストンパイルドライバーからの正調レインメーカーを決めたが、カウント2で返されてしまう。このときに浮かべた「信じられない…」という表情と次の技に行けないオカダ、そしてゾンビのように這い上がってラッシュをかけてくるケニー。40分を超えてからは、どちらかといえばケニーが優勢だった。しかし最後の最後にチャンスを逃さないのが、オカダの「ケニーとは背負っているものが違う」という差だったのかもしれない。 「今日は負けてしまったけど、とても誇らしい思いでいっぱいだ。こんな気持ちが沸き上がってくるとは思ってなかった。時にはこういう苦い思いもしなくてはならない。でも、オカダ、お前をリスペクトしている。お前は日本で最高、いや、もしかしたら世界でも最高のプロレスラーかもしれない。だけど、もし再戦のチャンスがあるなら、次は絶対に負けない。絶対に倒してみせるとここに誓おう。負けたとは思っていない。ニュージャパンは俺に最高のチャンスをくれた。そして2016年は、最高の時間をもたらせてくれた」 46分45秒の激闘に敗れたケニーはインタビュールームの椅子に座ると、マイクが置かれた机にもたれかかりながら、オカダへの想いと新日本プロレスへの感謝の気持ちを語った。ケニーにとって2016年はバレットクラブのリーダー就任にはじまり、ヘビー級転向、『G1クライマックス』初出場&初優勝と、新たなるチャレンジを続けた一年だった。1・4ドーム大会のメインも経験し、最大の目標であるIWGPヘビー級王座「あと一歩」まで近づけただけに、今年はさらなる飛躍が期待される。 「それは僕がケニー・オメガはライバルだと言う必要はないと思いますし、それはもう見ている人が決めればいいと思いますし、もしかしてこの試合で明らかに新日本の歴史で、ここでオカダとケニーのライバルストーリーが始まったよねっていう一戦になるかもしれないですし、もしかしたらケニーががんばらなければおしまいになってしまうかもしれないんで。僕がおまえのことをライバルと認めてやるって、そんなことはないですね。強いっていうのは認めてやります」 ケニーはライバルになったか?という質問に対して、実にオカダらしい答えが返ってきたが、1・4ドーム大会という大舞台のメインイベントで、46分45秒という試合を闘い抜いたオカダとケニーの間に何も芽生えないはずがない。シングル初対決とは思えない濃厚な試合内容は、観客のハートを鷲掴みにした。かつて新日本プロレスはドーム大会のタイトルに闘強導夢(東京ドーム)という造語を入れていたが、まさに強い者が闘い、夢を導いた試合だったと思う。今大会のツイッターのハッシュタグのトレンドが世界一を記録したことからも、世界のプロレスファンがオカダとケニーから、闘強導夢を抱いたのではないだろうか。 世界に誇れる試合が日本の東京ドームで実現したことを感謝したい。(どら増田)(C)イーデス・ハンセン【新日Times Vol.49】
-
-
スポーツ 2016年12月26日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND32 〈“両者KO”極限の死闘〉 名勝負を生んだ藤波の頑張り
次代のエースを争う藤波辰巳(現・辰爾)と前田日明のシングル対決。直前の新日本プロレスvsUWFの5対5勝ち抜き戦では、藤波が藤原喜明の場外パイルドライバーで大流血し、ハンデを抱えての対戦に前田が勝利を収めたが、シングル対決でもまた、藤波は大流血のアクシデントに見舞われた。 日本人トップレスラーの中で、藤波ほど評価の分かれる選手もいないのではないか。 「ジュニア時代のドラゴンブームを知るファンなら、華やかなスター選手のイメージを強く持つでしょうが、ヘビー転向後しか知らないと、長州力らの影に隠れた“地味な存在”と感じるかもしれません」(プロレスライター) 人格についてもそうだ。 「新日社長となってからの藤波は、周囲やマスコミから“コンニャク”と揶揄されるほど、その優柔不断さを指摘されたものですが、しかし、それは深謀遠慮の故でもある。藤波ほど多くの岐路に立たされた選手はいないですから」(同) アントニオ猪木の後継をにらんだジュニアからヘビーへの転向、長州人気に押されて敵役となった“名勝負数え唄”時代、全日本プロレスのジャイアント馬場からの移籍話、さらに自身の度重なる故障…。 「今ではネタ扱いされることの多いドラゴンボンバーズの結成や無我の設立、社長時代に橋本真也の独立問題で揉めたZERO-1も、本来は興行やアングルを考えてのもの。ドラゴン・スープレックスからドラゴン・スリーパーへと至るフィニッシュホールドの変遷も、自身のパフォーマンスとリング上での説得力を考え合わせた上のことで、その時々に思い悩んでいたことがうかがえます。結果として移籍も引退もしなかったことで、低迷期の新日が完全崩壊に至らなかった事実もあるわけで、その点での藤波の功績は多大だと言わざるを得ません」(同) 藤波は“強さ”の点でも意見が分かれる。 「藤波を弱いとするのは、主にミスター高橋が著書の中で〈格闘家としてはお世辞にも強いと言えない〉と断言したことの影響でしょう。確かに五輪代表の長州と比べれば、レスリング技術でこそ劣るかもしれないが、いわゆる“極めっこ”など、新日流のグラウンド技術で劣っていたわけではない」(新日関係者) UWF軍として新日参戦していた前田日明が、藤波との対戦後に「無人島だと思ったら仲間がいた」と、賛辞を送ったのもここに由来する。 「この言葉を“藤波がUWF勢のキックや関節技を正面から受け止めた”という、受け身の部分に対する評価と理解しているファンは多いようだが、それだけではない。前田の真意は、新日道場で練習を重ねてゴッチの下で学んだ藤波に、UWF勢と同じバックグラウンドを見つけたということだったと思いますよ」(同) さて、その両雄が対戦した試合は、1986年6月12日、大阪城ホールでIWGP予選として行われた。猪木らのAグループと、藤波や前田のBグループに分かれてリーグ戦が争われ、それぞれのトップが決勝進出するという方式である。 藤波と前田は、ディック・マードックとともにトップを競っており、この試合に勝利すれば決勝進出に向けて大きく前進するという、大事な一戦であった。 猪木vs藤波の師弟対決となるのか、それともついにファン待望の猪木vs前田が実現するのか。大きな注目の中で試合は始まった。 終盤に前田が放ったフライング・ニールキックにより、藤波が目尻を切って大流血したことで知られるこの試合だが、加えて注目したいのが序盤戦だ。 藤波は前田と互角以上のグラウンドの攻防を見せ、スムーズな入りからのクルック・ヘッドシザース…U系の代名詞的な技を披露している。さらにはローキックも繰り出すなど、格闘プロレスにしっかり対応してみせたのだった。 5分を過ぎた頃からは、攻めの前田に受けの藤波と、それぞれの特色が際立つ好勝負となる。 藤波の流血アクシデントを招いた前田のニールキックが、通常の体を横に倒しながら飛び上がる形ではなく、タテ回転の大車輪キックのような形になったのは、前田いわく「藤波さんならこのくらいは大丈夫」との信頼感からのことだった。 ちなみに後年、前田は藤波との対談の中で、その出血について「(レフェリーのミスター)高橋さんがまたいらんことをしたのかと思った」と話している。 “いらんこと”とは、つまりレフェリーが故意にカットしたという意味。前田が“流血の魔術”など不要と感じるほどに、藤波との闘いに対して手応えを感じていた証左であろう。 結果は藤波のレッグラリアットと前田のニールキックが、相打ちとなっての両者KO。恐らくは事前の予定通り、共に“決勝進出しない”ための引き分けとなった。 「前田が頭から落ちて立ち上がれないというのは、やや無理やり気味でしたが、それでも観客から不満の声が上がらなかったのは、大流血を押して闘い続けた藤波の頑張りがあってのことでした」(スポーツ紙記者) なお、同年の決勝は猪木とマードックの間で争われ、猪木の勝利に終わっている。
-
スポーツ 2016年12月25日 12時00分
新日本1・4ドームを前に棚橋調子上がらず! 内藤の勢いを止められるのか?
「ドームの直前になれば、自然に棚橋のコンディションも上がってくるだろうっていう、希望的な観測がダメだったね。結局、調子上がらず。ただ、内藤は元気良いし、生き生きしてて、嬉しそうだけど、“棚橋にならなかった男”。やっぱり、俺の代わりは、いないからさ」 16日の後楽園ホール大会でKUSHIDAとのタッグで、内藤哲也&高橋ヒロムとのダブル前哨戦に臨んだ棚橋弘至は、試合後声を振り絞りながら、何とか強がりを見せるのが精一杯だった。 棚橋は来年の1・4東京ドーム大会で、内藤が保持するIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦することが決まっているが、カード決定発表の記者会見から内藤にペースを握られたまま年内最終戦(16&17後楽園2連戦)を迎えてしまう。16日はタッグマッチということもあり、何とか一矢報いたかったが、高橋ヒロムをロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(L・I・J)に加入させた内藤の勢いは凄まじく、棚橋らしさのすべてを封じられてしまったのだ。あの前哨戦を見て1・4ドームでの棚橋勝利を頭に描いたファンは少ないだろう。ここまで差が開いた前哨戦も珍しい。また棚橋も話しているように、ここ数年は年内最終戦にピークを持ってきて1・4ドームへの期待を感じさせてきただけに、棚橋自身が一番戸惑っているのかもしれない。 翌17日は、天山広吉、小島聡、デビッド・フィンレーを加えてL・I・Jとの10人タッグマッチ。試合は小島がBUSHIを捉えて、新日本の本隊チームが勝利を収めたが、棚橋が内藤にインパクトを与えることはできなかった。しかし、この日は長年愛用してきた棚橋の入場テーマ曲「HIGH ENERGY」が最後(1・4ドーム大会より新曲で入場)ということで、棚橋が場を締めることができた。 「“HIGH ENERGY”(入場テーマ曲)がさっきで、試合で使うのは、ラストでしたね。一つの時代が終わって、また新たなステージに進むという気持ちなんでね、新しい入場曲、そして新しい2017年の棚橋は、大いに期待してください。いよいよ、1・4東京ドーム、トランキーロの下に隠された、内藤哲也を引き出して、倒して、俺がチャンピオンになります」 前日とは違って晴れやかな表情を見せた棚橋。こうした切り替えの早さは棚橋の強みでもある。 「俺は棚橋を追いかけてきたよ。ずっと、棚橋の背中を見てきたよ。あの、輝いている棚橋に憧れ、彼をいつか超えたいと思ってたよ。でもさ、いつの間にか、輝きを失い、そして、いつの間にか、俺より後ろの存在になってしまった棚橋だけどさ。まぁ、最後の晴れ舞台だよ。東京ドーム。今流れてる『HIGH ENERGY』、今日で最後なんでしょ? やっぱり、輝いてた時の棚橋、イコール、この『HIGH ENERGY』がイメージであるからね。この『HIGH ENERGY』の終了とともに、棚橋時代も完全に終わりでしょ。きっと彼も望んでるはずだよ。最後のとどめを、俺がきっちり刺してやるぜ」と内藤。 1・4ドーム大会でL・I・Jは、SANADA&EVIL&BUSHIがNEVER無差別級6人タッグ王座に、高橋ヒロムがIWGPジュニアヘビー級にそれぞれ挑戦が決定しており、内藤も含めてメンバー全員がタイトルに絡むことになる。一夜にして、メンバー全員がタイトルホルダーになる可能性も秘めているのだ。今年の新日本プロレスを席巻してきたL・I・Jにとっても1・4ドーム大会は来年に向けた大切な大会となる。 そんな内藤やL・I・Jを「力で」止められるのは棚橋しかいない。まさに背水の陣で内藤戦に臨む棚橋の巻き返しに期待したい。(どら増田)写真:広瀬ゼンイチ【新日Times Vol.49】
-
-
スポーツ 2016年12月18日 12時00分
東京ドーム名勝負再び! 新日本1・4ドームで柴田と後藤がシングル対決!
新日本プロレス1・4ドーム大会『レッスルキングダム11』(2017年1月4日、東京ドーム)の全対戦カードが発表された。 その中でもひと際目を引いたのが、第8試合にラインナップされた、NEVER無差別級選手権の“王者”柴田勝頼 対 “挑戦者”後藤洋央紀のカードだろう。 12・5京都大会で後藤から直接勝利した柴田が「おまえは何も変わってねえ」「中途半端に拍車がかかっている」と辛辣コメント連発。これに対して後藤は、12・10宮城大会で柴田をGTRで沈めてピンフォール奪取。試合後、NEVERのベルトを掲げ、ダウンした柴田の上に乗せ挑発した。 柴田 対 後藤といえば、2014年の1・4ドーム大会で、大会ベストバウトと呼ばれる名勝負を行い、テレビ朝日系列の「ワールドプロレスリング」では、30分の枠を最大限に使ってノーカット放送され大きな反響を呼んだ。 2013年夏の『G1クライマックス』の公式戦でも同カードが組まれたが、後藤の負傷欠場により流れている。後藤の復帰後は、柴田が新日本に再入団する流れを作った“同級生タッグ”を結成し、2014年には『ワールドタッグリーグ』に優勝、翌2015年の1・4ドーム大会でIWGPタッグ王座にも輝いている。 今春、後藤がCHAOS入りをしたことから、再び対角線上に立つことになった2人。今年の後藤は、1・4ドーム大会で内藤哲也に勝利を収め、2月にオカダ・カズチカが持つIWGPヘビー級王座にボディペイントを施して挑戦するも敗戦。オカダに勧誘される形でCHAOSに加入して臨んだ、春の『ニュージャパンカップ』も、夏の『G1クライマックス』も準優勝と、あと一歩のところでチャンスを逃している。一方の柴田はNEVERのベルトを死守し、永田裕志ら第3世代から、プロレスリング・ノア勢、アメリカROH勢などと抗争を繰り広げ、話題を提供してきた。 12・10宮城大会の試合後に後藤は「柴田! タッグリーグの借りは、しっかり返させてもらったぜ。『CHAOSに入って楽しいか?』って。正直言うよ。今が、一番楽しい。もっと楽しませてくれよ。オイ、次は1対1だ。楽しませてくれよ」と自分の選んだ道が間違っていなかったことを強調した上で、柴田に挑戦表明した。対する柴田は「アイツ(後藤)は何て言ってました?」と報道陣に質問し、報道陣が後藤のコメントを伝えると「あぁ、そうか。そいつは何よりだよ。(1対1をやりたいという)その意思表示は、しっかりリングの上で伝わってきました。やるなら、一つでしょ。やってやるよ。以上!」と吐き捨てて、インタビュールームを後にした。 両者のシングル対決は2014年8・10西武ドーム大会以来、約2年5か月振り。プロレス会場としては異空間だった西武ドームでも観客が熱狂する闘いを見せていただけに、後藤がCHAOSに立場を変えた今回はさらに期待をしてもいいだろう。この2人のプロレスは初めてプロレスを観る人や、かつて1・4ドーム大会に通っていた世代にも響くスタイルなだけに、このカードがセミファイナル前に組まれた意義は大きい。 新たな『柴田 対 後藤』ブランドの構築に期待したい。(どら増田)(C)新日本プロレス【新日Times Vol・48】
-
スポーツ 2016年12月16日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND31 〈“椅子大王”が男泣き!〉 名勝負に昇華した喧嘩マッチ
大会場のビッグマッチやテレビ中継用の大会でもない、ごくありふれた興行へ気軽に足を運んだところ、思わぬ名勝負に出くわすことがある。 1990年8月3日の橋本真也vs栗栖正伸などは、その代表的な一つと言えよう。新日本プロレスの『バトル・ホール・ア・ウィーク』と題された後楽園ホール7連戦。このシリーズでは橋本のシングル6連戦、武藤敬司&蝶野正洋のタッグ6連戦、最終日には橋本、武藤、蝶野がそろっての6人タッグがラインナップされていた。 「同年4月に2度目の凱旋帰国となった武藤が、蝶野と組んでIWGPタッグ王座を獲得。橋本も前年の東京ドーム大会で、ビッグバン・ベイダーに負けたとはいえ、真っ向勝負を挑んだことで評価が高まっていた。いわゆる“闘魂三銃士”の呼び名が定着したのはまさにこの頃で、その売り出しのための大会でした」(プロレス専門誌記者) あくまでも主役は三銃士で大物ゲストの参戦なし。ほぼ新日所属選手のみのカード編成になっていた。 「言うなれば、翌年から始まる『G1クライマックス』のパイロット版のようなものでした。夏の暑い時期に全国を巡業するのではなく、都内の連戦で経費をかけずに稼ぐという、会社としての意図があったのでしょう」(同) 橋本の対戦相手を見てみると、初戦から(1)佐々木健介(2)馳浩(3)栗栖正伸(4)スーパー・ストロング・マシン(5)木村健悟(6)越中詩郎の順。最初の2戦は同世代、後半は中堅勢との対戦になっており、その谷間に配された外敵との試合は、ちょっと目先を変えるための箸休め。橋本が負ける相手ではないというのが、ほとんどのファンの認識だった。 「それは新日側も同じこと。当日の会場には収録用の機材もなく、今に残るのは社員が資料用として手持ちカメラで撮った映像だけ。のちにビデオ化して発売することすら、念頭になかったのでしょう」(同) '72年に新日でデビューした栗栖は、その後、ジャパンプロレスの一員として全日本プロレスへ移籍。長州力らと袂を分かち全日に残留すると、'88年に一度目の引退。しかし、翌年に旗揚げされたFMWで現役復帰すると、ほぼ椅子攻撃オンリーのラフファイトで“椅子大王”の異名をとるまでになる。 そのスタイルは'90年6月、古巣の新日に復帰してからも変わらず、試合会場では常に大ブーイングを浴びていた。 「もちろん、橋本との試合も大ブーイングから始まりました。ただ、このとき25歳の橋本に対し、栗栖は44歳。年齢差や実力差を見ての判官びいきからか、栗栖への声援もいくらか聞かれたようです」(スポーツ紙記者) 試合は大方の予想通り、花道から入場してくる橋本に栗栖が襲いかかってスタート。しかし、椅子での奇襲攻撃を左手一本で払いのけた橋本は、頭突きの連発で早々に栗栖を追い込んでいく。橋本の猛攻を浴びた栗栖は、右ふくらはぎを負傷。橋本は脚を引きずる栗栖を力任せに持ち上げ、決め技の垂直落下式DDTを炸裂させる。 これで試合は決まったかに思われたが、栗栖は急所攻撃で辛くも逃れると、そこから反撃を開始する。椅子、椅子、椅子の大乱舞。橋本の反撃にフラフラになりながらも、やはり椅子、椅子、椅子…。若く伸び盛りの橋本に、ロートルの栗栖が必死に食らいついていく。 椅子攻撃という明らかな反則行為にもかかわらず、その懸命な姿はいつしか観客の心を捉えていった。橋本はミドルキック7連発からのDDTで栗栖をグロッキー状態に追い込み、これを引きずり起こすやロープに振ってのフライング・ニールキック。それでもフォールにはいかず、続くジャンピングDDTでようやくのフィニッシュとなった。 「実のところ橋本は、試合前の栗栖の奇襲で左手甲を亀裂骨折していました。それでも早々に試合を終わらせることはせず、持てる技のすべてを繰り出していった。やはり橋本も、栗栖の闘う姿に何かしら思うところがあったのでしょう」(同) 試合後、満場の観客からその健闘を称える“栗栖コール”を送られると、さすがの大ヒールも男泣き。 「なんで俺、泣いちゃったんだろう…。俺、ヒールなのに、嫌われ者なのに…」(栗栖) これ以降、どこの会場でも栗栖が椅子を持つたびに声援が飛ぶという、逆転現象が起こるようになった。 試合を終えてリングから引き上げる橋本は、栗栖の小学生の娘が涙ぐむ姿を見つけたという。父親を叩きのめした直後の後ろめたさから、何か声をかけようと近寄ったところ、その娘さんからビンタを受けてしまった。 「あれは栗栖さんの椅子よりも、心の底まで効いたなあ」(橋本) それぞれの生の感情が交錯する、プロレスの古きよき時代の話である。
-
スポーツ 2016年12月11日 12時00分
通勤時間の駅前にタイガーマスクW! 新日本1・4ドーム大会プロモーションがスタート!
今月2日の朝7時から10時にかけて、JR品川、渋谷、新宿、水道橋、東京など都内11駅12箇所に全30体の『タイガーマスクW(ダブル)』(以降、タイガーマスク)が出現した。これを仕掛けたのは、スポーツ専門のフリーペーパー「Spopre」を発行している株式会社スポプレだ。今月号は『レッスルキングダム11 in 東京ドーム』新日本プロレス1・4東京ドーム大会の特集記事が組まれたということもあり、新日本協力のもと今回の企画が立案された。 「今回はやはりタイガーマスクのマスクを被って配布したので、SNSの反響がすごかったんですよ」 スポプレの担当者がこう話すように、当日の朝はTwitterをはじめとするSNSで、フリーペーパーを配布するタイガーマスクの画像が多数発信されていた。通勤ラッシュの時間帯にタイガーマスクが現れたインパクトはかなり強かったようだ。発信者のほとんどが、プロレスファンではなかったところに、今回の企画の価値があるのだろう。 担当者は今回の手応えについて「3万枚配布させていただいたのですが、手応えはありました。配っていて思ったのは、サラリーマンの方はもちろん、OLの方や学生さんにも反応が良かったので、新日本プロレスさんの人気を実感しましたね」と話している。今回のような企画は、現在のファンだけではなく、昔1・4ドーム大会に毎年のように行っていた層にも「1・4ドーム」を思い出してもらえる大きなチャンスである。1・4ドーム大会の見どころとともに、過去の試合を視聴することができる「新日本プロレスワールド」の情報も紙面に割かれており、これが再びプロレスに興味を持ってもらうキッカケになるかもしれない。 1・4ドーム大会は5万円のロイヤルシートが既に完売し、続くアリーナAも残り僅か。関係者によると、チケットは昨年を上回るペースで売れているとのこと。これは「新日本プロレス」というブランドが世間に根付いてきた証だろう。とはいえ、当然のことながら、まだまだプロモーションの手を緩めることはない。大会まで1か月を切ったことで、今回のタイガーマスクを皮切りに、選手のメディア露出も含め、今年も「“新日本プロレス”が目に入る」ような世間に向けた様々なプロモーション活動が行われる予定だ。 またスペシャルアンバサダーとして、人気俳優の安田顕が就任。安田は以前からプロレスファンを公言しているだけに、1・4ドーム大会への熱い思いを新日本のオフィシャルサイトなどで語っている。大会前日の3日には前夜祭的なファンイベント『大プロレス祭り2017』(ディファ有明)の開催も決定した。1・4ドーム大会は週明けにも全カードが出揃う予定だ。(どら増田)写真提供:Spopre【新日Times Vol.47】
-
スポーツ 2016年12月05日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND29 〈最初で最後の直接対決〉 猪木が見せた前田への気遣い
新日本プロレス対UWFの闘いにおける世代交代の中で、ファンから待ち望まれながら最後まで実現しなかった、アントニオ猪木と前田日明のシングルマッチ。唯一、両者の直接対決は、前田が海外武者修業から凱旋した若手時代にさかのぼる。その試合で猪木は、意外な一面を見せていた。 かつてジャイアント馬場は「あいつは対戦相手を使い物にならなくするから困る」と、アントニオ猪木に苦言を呈していたという。 「馬場にしてみれば、全日のトップ外国人だったアブドーラ・ザ・ブッチャーを引き抜き、短期間で使い潰した新日への不満が相当あったのでしょう」(スポーツ紙記者) とはいえ“育成の猪木”としての一面も見逃すことはできない。 見栄えのするフィニッシュホールドのなかったタイガー・ジェット・シンに、ブレーンバスターを伝授したのみならず、実際の試合の中で猪木自ら練習台になったのがその一例。ほかにもスタン・ハンセンやハルク・ホーガンなど、粗削りな無名選手をメインイベンターにまで育てており、一概に馬場の言葉が正しいとは言い切れない。 「その一方で、手の合わない相手や不要な選手については、あきれるほどに冷淡な扱いをすることがあったのも事実です」(同) 国際プロレスなどで活躍したオックス・ベーカーは、同団体では怪奇派のトップヒールとして君臨していた。しかし、新日に参戦すると、猪木は初のシングル対決において、延髄斬りからのレッグドロップで3カウントを奪うまで、わずか3分足らずで試合を終わらせ、ベーカーに一切の見せ場を与えなかった。 この試合はテレビ生中継で、前の試合が押して残り時間がわずかとなってしまい、その枠内に収めるための処置とされる。とはいえ、その当時は試合途中での中継終了という流れもよくあり、無理に時間内で決着をつける必要もなかった。実績のあるベーカーに対して、この扱いは、さすがに“ひどい”と言われても仕方あるまい。 身内である所属選手に対しても、こうした猪木の差別的な扱いは見られた。 「長州力にはシングル対決でピンフォール負けを喫した猪木ですが、藤波辰爾にはタッグでのフォール負けはあるものの、シングル戦ではフルタイム引き分けまで。両者ともに後継候補と見られていたものの、猪木の中では明確な格付けがあったことがうかがえます」(プロレスライター) では、やはり猪木の後継者と目されていた前田日明についてはどうだったか。UWF軍として新日に参戦してからは、猪木vs前田のシングル対決が待ち望まれながらも、結局、実現には至っていない。 「これは、のちの猪木の引退試合で、小川直也との対決が実現しなかったことと似た意味があると考えられます。ラストマッチで有終の美を飾るためには、いかにファンの期待が大きいとはいえ小川とやるわけにはいかなかった」(同) つまり、“引退する自分が、将来、有望な小川に土をつけるわけにいかない”との猪木の親心により、両者の対戦が組まれなかったというわけだ。 前田に対しても同様だった。あの当時、まだ興行での集客やテレビの視聴率を考えれば、猪木がトップを張っていかねばならなかった。よって前田とやるなら猪木が勝つしかないのだが、そうすれば前田の経歴に傷をつけることになる…。 「以前から『猪木が前田を恐れて対戦を避けた』との声もありましたが、今になって振り返ればそれは違うように思います。前田はあのいわくつきのアンドレ戦でも、攻め込む前に『やっちゃっていいんですか?』と、リングサイドにうかがいを立てているし、試合中のアクシデントで藤波が大流血に至ったシングル戦でも、あえて両者KOで早めに試合を終えている。また、猪木への挑戦者決定戦でも藤原喜明に勝利を譲ったように、むしろアングルに忠実な選手であり、それが猪木戦だけ豹変するとは考えづらい」(同) 唯一、行われた猪木vs前田のシングル戦を見れば、猪木がいかに前田を大切に扱っていたかということがうかがえる。 1983年5月27日、高松市民会館で行われたIWGP決勝リーグ戦。日本勢では長州も藤波も、団体ナンバー2の坂口征二もエントリーされなかったリーグ戦に、前田は特例的な“欧州代表”なる枠で大抜擢された。 シングルマッチの連戦は選手にとって肉体的なダメージが大きく、絶対的エースの猪木としては、若手の前田が相手の地方大会での一戦となれば、軽く流して終わらせたいところ。だが、この試合で猪木は、当時の前田が武器とした“七色のスープレックス”からニールキックまで、得意技のすべてを受けきってみせた。 「猪木がジャーマンやドラゴンスープレックスを受けること自体が、めったに見られることではない。そのことだけでも、いかに前田の能力を買っていたかが分かります」(同) フィニッシュも立ち上がり際の延髄斬りという、いわば一瞬の返し技であり、そこにも前田になるべく傷を付けないように、という配慮がうかがえる。 相手を潰すばかりではない“指導者”としての猪木の一面がうかがえる、これも一種の名勝負と言えよう。
-
-
スポーツ 2016年12月04日 12時00分
新たなスター誕生か? 新日本プロレスの“TIME BOMB”高橋ヒロムが1・4ドームに凱旋帰国
今年の「G1クライマックス26」最終戦、8・14両国大会の休憩が明けると、スクリーンに「TIME BOMB」なる映像が流れ、映し出されたカウントダウンの数字を計算すると、時限爆弾は11・5大阪大会に仕掛けられていることがわかった。大会毎に流されていくカウントダウン映像に、ファンは一体何が起こるのか気分を高まらせていたに違いない。 そして迎えた11・5大阪大会。IWGPジュニアヘビー級選手権試合で、BUSHIからKUSHIDAが王座を奪還すると、場内が暗転。最後のカウントダウン映像が流れ「0」と同時に爆音が響き、入場ゲートに無期限の海外遠征中だった高橋ヒロム(以後ヒロム)が現れた。この映像には何バージョンかあったが、大阪の街をバックにヒロムの遠征先だった、イギリスやアメリカ、そして日本の国旗がフラッシュするなど、いくつかのヒントが隠されていたと思われる。 大ヒロムコールの中、リングに上がったヒロムはマイクを持ち、「KUSHIDA、おまえに用はねえ。俺はこのベルトに用があるんだ。東京ドームでこのベルトに挑戦させてもらう。おまえはかわいそうな男だよ。ドームでおまえは終わりだ!」と叫ぶとベルトを舐め回すように見てからリングを後にした。刺激のある挑戦者の出現に、王者のKUSHIDAも断る理由がない。来年1・4東京ドーム大会での対戦が決定した。コメントブースに現れたヒロムは、「さあ、東京ドームに集まる5万人の皆さん、最高のもの、見せてやるよ。俺のIWGP初戴冠。そして! KUSHIDA! おまえの終わりの日だ!時限、TIME BOMB!」とまくし立てた。 ヒロムは、2010年8月24日に本名の高橋広夢でデビュー。身体能力の高さから将来のスター候補生として期待されており、ベスト・オブ・ザ・スーパーJr.(BOSJ)に2年連続で出場するなど、ヤングライオン時代から注目されていた。2013年6月から無期限の海外遠征へ出発。イギリスからメキシコに渡ると、CMLLではマスクマンのカマイタチ(後に覆面剥ぎマッチで敗れ素顔になる)として活躍。今年1月23日の後楽園ホール大会に乱入しドラゴン・リーを急襲すると、リーが保持するCMLL世界スーパーライト級王座に挑戦表明。翌24日の後楽園大会でリーへの挑戦が急遽決定すると、ファンが大熱狂するほどの激戦を制し、王座を奪取。一気に帰国への期待値が高まったが、本人は「IWGPヘビー級王者に負けないIWGPジュニア王者になる」ことを掲げて、再び海外遠征を続けた。4月頃からはメキシコからアメリカに闘いの場を移し、新日本と提携しているROHを中心に活動し、ヘビー級の選手とも数多く対戦した。ジュニアヘビー級の祭典である、BOSJやスーパーJカップでも凱旋帰国を果たすことなく、ヒロムはヘビー級王者にも勝てるジュニア戦士になるための最終調整を、アメリカマットで仕上げたのかもしれない。 1・4ドームという大舞台での凱旋帰国。しかも新日本は時限爆弾“TIME BOMB”として、この夏からずっと煽り続けてきた。“レインメーカー”オカダ・カズチカも1・4ドームで凱旋試合を行っているが、“レインメーカー”として認知されたのは、棚橋弘至からIWGPヘビー級王座を奪取してからである。これはヒロムに対する期待の表れであり、1月の試合で強烈なインパクトを残したことで、ファンの支持を得ているのも大きい。苦労して新日ジュニアのトップに上り詰めたKUSHIDAの壁は簡単に崩せるはずもないが、もし1回で崩すようなことがあれば、KUSHIDAが築いてきたものを全て消してしまうかもしれない。この時限爆弾はそれくらいの破壊力がある。 来年の1・4ドームは、ひさびさに新たなるスター誕生の可能性を秘めた大会となった。 (どら増田)(C)新日本プロレス【新日Times Vol.46】