新日本
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スポーツ 2016年10月28日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND24 〈国際プロ至高の名勝負〉 黄金対決ガニアvsロビンソン
近年再評価される機会の増えた国際プロレス。その歴史の中でも屈指の名勝負と言われるのが、1974年11月20日の蔵前国技館大会で、王者バーン・ガニアにビル・ロビンソンが挑戦したAWA世界ヘビー級選手権試合である。 国際プロレスと聞いたときに、新日本プロレスや全日本プロレスと比べて、正直“マイナー”な印象を持つファンは多いだろう。 だが、一時期は地上波ゴールデン帯で放送枠を持ち、全国巡業となれば1000人単位で集客が見込めたことを考えれば、現在の国内団体よりよほどメジャーな存在であった。 「都市圏の大興行やテレビ視聴率で、全日や新日に大きく後れをとっていたのは事実です。しかし、それでも国際プロの経営規模は、今の新日と比べても遜色なかったのでは?」(プロレスライター) それでいて国際プロが伸び悩んだ原因としては、大きく三つが考えられる。一つ目は絶対的エースの不在。後期には“金網の鬼”ことラッシャー木村がその座に定着したが、設立からの数年間は、グレート草津、ストロング小林、マイティ井上に、外様のヒロ・マツダ、豊登、サンダー杉山、大木金太郎など、ころころと団体の顔が入れ替わった。 「もともと国際の吉原功社長は、選手を団体所属として抱えるのではなく、外部の選手たちとシリーズごとに契約を結ぶかたちを考えていた。しかし、それが団体生え抜きのスターが育たなかった一因でしょう。東京プロレスで苦労していたアントニオ猪木を取り込み、興行の目玉にしたいとの計画もあったようですが、それも実現することはなかった」(同) 日本人初の覆面選手として、その名も覆面太郎(正体はストロング小林)を登場させるなど、スター誕生のためにさまざまな趣向を凝らしたものの、いずれも結果にはつながらなかった。 二つ目は、新興団体を快く思わなかった日本プロレスによる妨害工作である。'67年1月の旗揚げ後、国際初のビッグマッチとなった同年8月14日の大阪府立体育館大会に対し、日プロはジャイアント馬場vsジン・キニスキーのインターナショナル選手権をメインとした、大阪球場大会を同日に開催している。 TBSの放送が決まった初戦、'68年1月8日の日大講堂大会(メインはルー・テーズvs草津)にも日プロは蔵前国技館大会(メインは馬場vsクラッシャー・リソワスキー)をぶつけ、それを放映する日本テレビは特番まで組むほどの念の入れようを見せた。 いずれも国際プロが興行予定を発表した後になって、日プロがわざわざ日程を組み替えてまで開催を決めたもので、国際プロはその節目となるべき大会をたびたび邪魔されることになった。 三つ目は団体解散へと至った最大の要因である、構造的な借金体質だ。 「別に放漫経営というわけではなく、当時のプロレス興行の在り方の問題です。いかに豪華な外国人選手をブッキングできるか、が興行の成否に関わるというのが当時の常識で、そのための経費が莫大になってしまった。それなりに集客も放映権料収入もあったこの頃の国際プロであれば、身の丈に合った経営もできたはずですが、時代の空気がそれを許さなかった」(国際プロ関係者) 旗揚げ直後からダニー・ホッジ、ジョニー・バレンタインなどのビッグネームを招聘した国際プロだったが、結局、それに見合うだけの興行成績を上げられなかった。TBSで放送が始まってからも赤字経営は変わらず、ブッカーを依頼したグレート東郷との金銭トラブルにより、アメリカからの大物招聘ルートを遮断されてしまう。 それでも'70年から取り入れた金網デスマッチが評判を呼び、地方興行は徐々に好成績を収めるようになったが、その金網についてはあまりの過激さから、結局テレビ放送はされず。視聴率向上にはつながらなかった。そうするうちに'74年1月には、TBSが放送打ち切りを発表。さらにはエースのストロング小林が離脱となり、団体存続の危機を迎えることになる。 しかし、半年後には東京12チャンネル(現在のテレビ東京)での定期放送が決まり、国際プロは危機を救ってくれた同局への感謝を込めて、大勝負に打って出た。AWA世界王者のバーン・ガニアと同タッグ王者のニック・ボックウィンクル&レイ・スティーブンス、さらにビル・ロビンソンと、当時AWAのオールスターを集結させたのだ。 蔵前国技館では、ガニアとロビンソンのドリームカードも実現した。互いに得意技のスリーパーホールドとワンハンド・バックブリーカーで1本ずつ取り合って、3本目はバックドロップ崩れからの両者KO。 「結果は引き分けに終わったものの、さすがにトップスター同士。その技の応酬は見応え十分で、日本で行われた外国人対決の中でも、一、二を争う名勝負となりました」(プロレス誌記者) しかしながら、当日の観衆は主催者発表で4500人と、会場の半分も埋まらず。数年後にはAWAへの高額ファイトマネーを捻出できなくなり、ビッグマッチの継続も困難となる。国際プロの社運をかけた大勝負も、結局は経営をいっそう苦しめる要因となってしまったのだった。
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スポーツ 2016年10月23日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND23 〈“闘強導夢”世紀の一戦〉三沢vs蝶野の激突にファン感涙
2002年5月2日の東京ドーム大会『闘魂記念日』は、ジャイアント馬場のDNAを継承するノア(プロレスリング・ノア)と新日本プロレスの歴史的邂逅となった。それぞれを代表する三沢光晴と蝶野正洋の一戦は、時間切れ引き分けの結果にもかかわらず、ファンを大いに満足させた。 日本のテレビ地上波で最後にプロレス生中継が行われたのは、'02年5月2日、新日本プロレスの創立30周年を記念した東京ドーム大会である。 ゴールデンタイムでの放送としては、以後にもボブ・サップがメインを張った'05〜'06年の『W-1』や'07〜'08年の大みそかに行われた『ハッスル』などもあったが、こちらは録画もしくは時差中継で、昭和の香りが残る実況生中継ということでは、やはり5・2東京ドームが最後になる。 19時からのテレビ中継に合わせて、時間調整のため6分間の休憩がとられた後、田中秀和リングアナの先導で放送開始に向けてのカウントダウンがスタート。そうして試合に先立ち現れたのは、蝶野正洋とアントニオ猪木の2人だった。 「この大会のテーマは“新日の未来”でした。K-1やPRIDEの隆盛に押されるプロレス界は、今後どうあるべきなのか。プロ格闘技路線を推進する新日の創始者・猪木に対し、この大会から現場プロデューサーを務める蝶野が、どんな答えを出すのかが問われたわけです」(プロレスライター) では、実際の試合はどうだったか。 小川直也&橋本真也のOH砲登場に始まって、中西学vsバス・ルッテン、安田忠夫vsドン・フライと異種格闘技戦を意識した試合が続き、王者の永田裕志に高山善廣が挑戦したIWGP王座戦も、テレビ中継のメインながら打撃中心の展開に終始した。 セミファイナルこそは、スタイナー兄弟vs佐々木健介&棚橋弘至(レフェリーは女子レスラーのジョニー・ローラー)という純プロレスであったが、テレビ中継のトータルとしては格闘色が強く打ち出される内容となった。しかし、蝶野は猪木の要求をのんだわけではない。 「中継前に最も会場を沸かせたのが全日本女子プロレスの提供試合で、これこそが蝶野の答えでした」(同) まだ女子を男子よりも格下と見る傾向が根強かった当時に、これを新日のリング、それもドームの大舞台に上げたことは、蝶野の決意の表れだった。 「ファンの間でも全女提供試合への拒否反応はありましたが、それを実行した蝶野も立派なら、試合内容で観客を納得させた全女勢も立派でした」(同) また、大日本プロレスの提供試合も行われ、このカード編成から読み取れる蝶野の意図は“プロレス界の団結”である。格闘技人気に対抗するために、業界全体の協調を求めたわけである。その最たるものが、三沢光晴の参戦であった。 先の2000年には新日と全日の対抗戦が行われたものの、かつての全日勢のほとんどが移籍したノアこそが、ファンにとっての大本命。その総大将である三沢の招聘に成功したのは、ひとえに蝶野の誠意のたまものだった。 当時、ノアを中継していた日本テレビとの権利関係から生中継はできず、試合自体は永田戦後のボーナストラック扱いとなったが、この日、ドームに参集した全ファンの目当てが、三沢にあったといっても過言ではない。 迎え撃つはもちろん蝶野で、いきなりの頂上決戦が実現。しかしながら、試合そのものへの期待は、決して高くはなかった。なぜなら、この試合が30分1本勝負と発表された時点で、ほとんどのファンが“時間切れ引き分け”を予想していたからだ。 「ただ、30分1本勝負となったのは、まったく別の理由です。生放送の都合で21時からの試合開始となり、それで60分にすると建前上は終了が22時を超す可能性がある。しかし、それだとドームの利用規約である“22時までの撤収”に間に合わなくなるために、方便として30分にしたのです」(新日関係者) つまり30分=引き分けはファンの邪推だったわけだが、いざ試合となればそれも関係なかった。 東京ドームに『スパルタンX』が流れると、ドームの屋根が波打つほどの三沢コールの大合唱。この頃、マスコットガールとして中継に参加していたタレントの乙葉が、思わず「三沢さんて有名な人だったんですね」と漏らしたほどだった。 対する蝶野コールも負けてはいない。 「K-1、PRIDE、プロ野球。これがプロレスだ。プロレスは負けない!」と、田中リングアナのコールで会場のボルテージは最高潮に達し、ついに世紀の一戦が幕を開けた。 試合は思いのほか激しい展開となり、蝶野が花道でパイルドライバーを放てば、三沢はエメラルド・フロージョンで倍返し。卍固めにランニング・ネックブリーカー・ドロップと、互いに猪木と馬場の必殺技まで繰り出す。 さらには蝶野が、馬場リスペクトの河津掛け。残り3分を切っても一進一退の攻防が続き、ついに試合終了のゴングが鳴らされた。 引き分け試合にありがちな“延長コール”はほぼゼロ。会場にいた全員が歴史的一戦に満足し、それぞれ家路に就いたのだった。
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スポーツ 2016年10月23日 12時00分
「ドームのメインは甘くない!」新日本オカダ・カズチカ、来年も1・4ドームのメインへ!
新日本プロレス10・10両国国技館大会で、来年の1・4東京ドームでのIWGPヘビー級選手権挑戦権利証を保持しているケニー・オメガが、後藤洋央紀の挑戦を、IWGPヘビー級王者のオカダ・カズチカが、プロレスリング・ノアの丸藤正道の挑戦をそれぞれ退けたことで、オカダ対ケニーのIWGPヘビー級選手権試合が、「レッスルキングダム 11 in 東京ドーム」(来年の1・4ドーム大会)のメインイベントで行われることが決定した。 挑戦者のケニーは「レッスルキングダム」シリーズ11年の歴史にして初めて、外国人選手のメインイベント出場となる。(ダブルメインイベントは除く) チャンピオン、オカダの「レッスルキングダム」戦績(レインメーカーとして凱旋帰国後)は次のとおりだ。2012年▼凱旋帰国マッチ○オカダ・カズチカ 対 YOSHI-HASHI×2013年▼IWGPヘビー級選手権試合○<王者>棚橋弘至 対 オカダ・カズチカ<挑戦者>×2014年▼IWGPヘビー級選手権試合○<王者>オカダ・カズチカ 対 内藤哲也<挑戦者>×2015年▼IWGPヘビー級選手権試合○<王者>棚橋弘至 対 オカダ・カズチカ<挑戦者>×2016年▼IWGPヘビー級選手権試合○<王者>オカダ・カズチカ 対 棚橋弘至<挑戦者>× レインメーカーとして2012年の同大会に凱旋帰国したオカダだが、同じく凱旋帰国をしたYOSHI-HASHIとの試合は消化不良に終わり、メインイベントでIWGPヘビー級王座を防衛した棚橋の前に現れ、挑戦表明したときにはブーイングと帰れコールを浴びている。しかし、その翌月に棚橋を一発で破り、IWGP初挑戦&初戴冠という“レインメーカーショック”を起こし、ファンの支持を一気に集め一躍人気選手となった。 しかし、2013年はG1クライマックスに優勝し、棚橋に挑戦するも敗戦。2014年は棚橋と直接対決はしなかったものの、中邑真輔 対 棚橋のIWGPインターコンチネンタル選手権試合にメインイベントを決めるファン投票で敗れ、ダブルメインイベント第1試合に降格する屈辱も味わっている。2015年は再び棚橋に敗れると帰りの花道で人目をはばからず、涙を流した。 今年、チャンピオンとして再び棚橋の前に立ったオカダは、激闘を制し1年越しの雪辱を果たした。棚橋に“東京ドームで”初めて勝ったことで、3勝2敗と勝ち星を先行。オカダも「これで東京ドームの嫌なイメージが払拭できた」と試合後に語っている。 「東京ドームのメインイベントは甘くないと言いたいですね」 11日にテレビ朝日本社で行われた会見でオカダは、IWGPヘビー級王座初挑戦かつドームのメインに初出場となるケニーにこう言い放った。オカダが言うと重みがある言葉だ。ケニーがこの言葉をどう受け止めたのかは知る由もないが、今まで見たことがないオカダの世界が見られるかもしれない。(どら増田)<新日Times VOL.40>【撮影/広瀬ゼンイチ】
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芸能 2016年10月18日 12時15分
壇蜜、彼氏に土下座! 数年前のほろ苦い恋愛エピソード明かす
タレントの壇蜜が17日、東京オペラシティで行われた映画『インフェルノ』(28日全国公開)の公開記念イベントに作家の荒俣宏と出席。場所が初台(新宿区)とあり、トークショーでは初台にちなんだほろ苦い恋の経験談を明かして会場をわかせた。 この日は映画にちなみ、新日本フィルハーモニー交響楽団が、「ダ・ヴィンチ・コード」「インフェルノ」などの音楽を演奏。ショーの冒頭に登場した壇蜜は荒俣と映画に関するトークを行う中、本作のテーマのひとつ「地獄」と絡めた自身の過去の恋愛話を披露。 「ここ初台ですよね」と切り出すと「ここで数年前、付き合っていた人にまさかの土下座をするというイベントをやったことがあるんです」とコメント。「仕事が忙しくて、その人との約束を反故にしてしまって、喧嘩をしてしまったんです。そこで大げさに謝ればどんなことが起きるのかなって…」と自ら志願して土下座イベントを敢行したといい、その現場がまさに地獄絵図だったと告白。 「わたしの中の地獄は常に一妙の光。ひとつの光がある地獄をいつも想像していて、自分がやったことの目先に何か新しい光があるんじゃないかって期待して、でも光は実際にはなくて怒られるというね…」と壇蜜。プライベートでの地獄観を自虐を交えて説明していた。 また、まもなくハロウィンだが、ハロウィンは「秋田にいるんですよ、わたし」と残念そうな表情。「ハロウィンらしくない読書のイベントに出るんです。ハロウィンは何か着てみたいという気持ちはまだちょっとあります。こないだインターネットで黒子っていくらするんだろうって思ったら3万円くらいするのを知ってびっくりしました。ひょっとしたらハロウィンは黒子衣装で登場するかもしれません」と笑顔で話していた。(取材・文:名鹿祥史)
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スポーツ 2016年10月17日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND22 〈“新旧”リーダーの激突〉 尻すぼみに終わった世代闘争
1987年8月19日、東京・両国国技館。新日本プロレスNOWリーダー軍とNEWリーダー軍の5vs5イリミネーションマッチで凱歌を上げたのは、2人勝ち残りの完勝を収めたNEWリーダー軍だった。 だが、これをもって世代交代という者は皆無に等しかった…。 昭和のプロレス黄金期をけん引した新日本プロレス。しかし、さまざまなヒット企画を生み出したその一方では、数多の失敗も重ねてきた。 失敗の多くは先を考えない無計画性によるもので、アイスホッケーのマスクをかぶった海賊男などは、その典型である。 「フロリダ遠征中の武藤敬司に何か仕掛けようというときに、アントニオ猪木が『フロリダといえばカリブ海、カリブといえば海賊だろう』と言い出したのが始まりで、要は単なる思いつき。なんら将来の展望があったわけではなかった」(新日関係者) それでも創業者の意見を無下にはできない。 「言う通りにやってみろ」「やり方は任せる」と強引かつ無責任な難題を押し付けられて、困ったのが現場だった。 海賊男を誰が扮するのかすら決まっておらず、そもそも言い出しっぺの猪木が、最初に海賊姿となって武藤を襲撃したというのだから、それ以後にまともなアングルなど組みようがない。 '87年3月、練習生だったブラック・キャットが海賊男に扮した際には、猪木を手錠でコーナーにつなぐべきところを、誤って相手のマサ斎藤に手錠を掛けてしまうという大失態を犯し、あまりの意味不明な展開に激怒した観衆が暴動を起こす騒ぎとなっている。 では、思いつきのアングルがすべて悪いのかというと、そうでもないのがプロレスの奥深いところ。時にそれがモハメド・アリ戦や北朝鮮興行のように、歴史的な偉業となることもあるし、逆にしっかり戦略を立てた仕掛けが、あっさりとポシャることもある。 さて、大阪での暴動騒ぎから3カ月後、IWGPリーグ決勝戦で猪木がマサ斎藤を下したリング上で、長州力の呼び掛けに藤波辰巳(現・辰爾)、木村健吾、前田日明が応じたことから、新日マットにおける世代闘争が始まった。 「実はこれ、テレビ朝日が中継の目玉として企画したものでした。猪木の正規軍と長州の維新軍、そして前田のUWF軍による三つ巴の抗争では、視聴者に相互関係が伝わりにくいとの理由から、旧世代のNOWリーダーvs新世代のNEWリーダーという新たな構図を作り出したわけです」(スポーツ紙記者) しかし、これはなんら結果を残すことなく尻すぼみに終わる。失敗の原因は大きく二つある。 一つはこの時期のテレビ中継が、バラエティー色を前面に打ち出した『ギブUPまで待てない!!』へとリニューアルされたこと。 「プロレスを軽んじた演出に愛想を尽かしたファンは多く、視聴率が激減。これまでの金曜から火曜に放映日が替わったことの影響もあり、アングルのよしあし以前に、視聴者自体がいなくなってしまった」(同) そうしてもう一つは、選手たちのやる気の問題だ。 「そもそも総帥である猪木が世代闘争に乗り気ではなく、露骨になんで若い連中を引き立ててやる必要があるのか?という態度でした。長州や前田も自分がトップに立ちたいタイプで、共闘への意識が薄かった」(同) そんな中にあって、世代闘争のクライマックスとなるはずだった新旧世代の5vs5イリミネーションマッチが、要領を得ないものになってしまったのは、むしろ必然であったのかもしれない。 NEWリーダー軍は藤波辰巳、長州力、前田日明、木村健吾、スーパー・ストロング・マシンと順当な顔ぶれがそろったものの、NOWリーダー軍に名を連ねたのはアントニオ猪木、坂口征二、星野勘太郎、藤原喜明、武藤敬司という面々だった。 若手も若手の武藤が旧世代軍入りしたのは、もともと参加予定だったマサ斎藤が、直前にアメリカで出国不能になったからとの理由であった。しかし、現場的には「なんでもいいから売り出しておけ」との意識も、少なからずあっただろう。 また、そのいかつい顔付きから旧世代に並んで違和感のない藤原も、実年齢では長州と2歳しか違わず、むしろ新世代にふさわしかった。 試合経過は以下。長州(体固め)坂口猪木(卍固め)マシン藤原(膝十字固め)木村猪木(両者リングアウト)前田藤波(逆さ押さえ込み)藤原長州(体固め)星野藤波(原爆固め)武藤 「肝心かなめの猪木が中盤でリングアウトとなったのは、今後にストーリーをつなぐためとはいえあまりに安易で、もっと他にやりようはなかったのかという気にもなる。さらに、最後が藤波と武藤で決着というのでは、いったいどこが世代闘争なのか」(プロレスライター) 結局、一連の抗争はこれ以降も盛り上がることはなく、テレ朝は次の一手として『TPG(たけしプロレス軍団)』を打ち出し、さらに不評をかこつことになった。
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スポーツ 2016年10月16日 12時00分
歴代とは違う! 新日本でデビューした「タイガーマスクW」は新しい形のメディアミックス!
10月からテレビ朝日系列で放送中のテレビアニメ「タイガーマスクW」とメディアミックスする形で、プロレスラー版タイガーマスクWが10日に行われた新日本プロレス「KING OF PRO-WRESTRING」両国国技館大会でデビューし、遂にベールを脱いだ。 対戦相手は8日のアニメ放送でも次回予告に出て来たGWMの最恐レスラー、レッドデスマスク。当日のテレビ実況席には、タイガーマスク(東ナオト)役の声優、八代拓がゲスト出演し、タイガーマスクWのデビューに花を添えた。10・10両国大会は16時開始だったが、この試合は第0試合という位置づけで、15時30分に試合の紹介PVが場内に流されたのだが、既に8割方の席は埋まっており、タイガーマスクWに対する注目度の高さが伺える。これは当時謎のマスクマンだった初代タイガーマスクのデビュー時よりも、タイガーマスクWやレッドデスマスクに関する情報が伝わらなかったことで、プロレスファンの幻想を抱かせた部分が大きい。情報化社会になった現在では珍しい現象である。 紹介PVに続いて先に入場したレッドデスマスクは、歴代“プロレスラー”タイガーマスクのデビュー戦の対戦相手に比べると大柄。全身が真っ赤なコスチュームは、異彩を放っていた。そして、湘南乃風が歌う「行けタイガーマスク」に乗って、注目のタイガーマスクWが入場。マントを羽織り、コーナーポストに立って人差し指を立てるシーンは歴代タイガーマスクと同じ。しかし、マスクはアニメ版のタイガーマスクWのタイガーマスクに近い仕様になっていた。背格好は歴代のタイガーマスクより大きいが、ヘビー級という身体つきではない。 試合は、序盤からレッドデスマスクのパワーにタイガーマスクWが押され苦戦していたが、歴代のタイガーマスクに劣らないトリッキーな動きで形勢を逆転すると、プロレスラー版タイガーマスクの代名詞である空中殺法や、ジャーマンスープレックス、そして最後は“力強い”変形のタイガードライバーで、レッドデスマスクを葬った。試合後、インタビュールームには両選手とも現れずノーコメント。恐らく今後もコメントを出さないのではないだろうか。 この試合が第0試合で組まれた意味合いというのは、あくまでも新日本プロレス本体とは別枠という見方をすることができる。タイガーマスクWはあくまでもタイガーマスクWで、レッドデスマスクはあくまでもGWMのレッドデスマスクなのであって、他の誰でもないと考えたほうが分かりやすい。 アニメでタイガーマスクWというのは、タイガーマスクとタイガー・ザ・ダークという二人のレスラーのことを指しており、今回登場したのがタイガーマスクであるならば、タイガー・ザ・ダークの登場はどのタイミングになるのか? など、ファンはアニメ版の動向もチェックしていくことで、現実とアニメの双方で「タイガーマスクW」を見る楽しみが増えることになる。 このまま新日本プロレス本体の選手と絡まないとするならば、これは歴代タイガーマスクとは一線を画した新しいプロジェクトになり、テレビと新日本マットの相乗効果を生み、メディアミックスとして成功を収めることになるだろう。 11日にテレビ朝日で行われた記者会見では、タイガーマスクWが来年の1・4東京ドーム大会に参戦することが発表された。対戦相手はテレビアニメ「タイガーマスクW」を見ることで、分かってくる可能性が高い。ファンや関係者からは、デビュー戦の評価が上々だっただけに、今後の展開も期待ができそうだ。(どら増田)<新日Times VOL.39>
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スポーツ 2016年10月10日 14時00分
プロレス解体新書 ROUND21 〈最強を懸けた神宮決戦〉 高田延彦vsS・ベイダーの大一番
UWFインターナショナル(以下Uインター)の旗揚げ以降、高田延彦は“最強”を自称して、時に周囲へ喧嘩を吹っ掛けながらも次々と難敵を退けてきた。その集大成といえるのが、1993年12月5日に行われた真冬の神宮決戦。前WCW世界王者スーパー・ベイダーとの一戦であった。 '91年に旗揚げされたUインターは当初、UWFファンと従来のプロレスを支持するファンのいずれにとっても、ちょっと困った存在であった。 「その頃のファンの認識としては“プロレスとUWFは別物”であったが、UインターはUWFと冠しながらも“プロレス最強”を掲げていた。このためUインターを『どっちつかずのコウモリ団体』とする声は、少なからずありました」(プロレスライター) ルールにおいてはロストポイント制などUWFを継承しながら、最高顧問に旧来プロレスの象徴であるルー・テーズを招き、試合ではダブルバウトと称するタッグマッチまで行った。 「スポーツ性を志向したUWFと原点回帰を目指したUインター。アプローチは異なるものの、プロレスがショービジネス化していく過程で染み付いた、欺瞞性を排除しようという志は同じ。しかし、それは今になって分かることであり、“UWFはプロレスと別物のリアルファイト(真剣勝負)”という見方が強かった当時は、なかなか理解されませんでした」(同) Uインター代表となった高田延彦の存在も、団体の評価を曖昧なものにする一因となった。 「UWFでは前田日明を越えることのない万年二番手で、むしろ船木誠勝ら若手の勢いに押されているようなイメージもあった。また、前田が常にメディアを通じて自らの思想信条を語っていたのに比べて、高田の本音が表に出る機会は少なく、そのためUインター旗揚げの意図もよく伝わらなかった」(同) 広報役の宮戸優光が、いくら「プロレスこそ最強」と豪語したところで、それが高田の真意なのか、宮戸の独断なのかがファンからすると判然としない。同時期に新団体を興した前田や大仁田厚のような強烈な個性を欠くこともあり、いまひとつファンにアピールできずにいた。 そこでUインターの取った手段が、“ビッグネームの招聘”だった。とにかく名前の通った大物選手を倒すことで、高田=最強を実証していこう、というわけである。 モハメド・アリを倒したボクシング元WBCヘビー級王者のトレバー・バービック、元WWF王者のボブ・バックランドにアイアン・シーク、新日本プロレスの常連外国人でソ連旋風を起こしたサルマン・ハシミコフ、柔道五輪銅メダリストで影の実力者ともいわれたバッドニュース・アレン…。 「とにかく名のある選手を手当たり次第に招聘する一方で、新日に参戦経験のあるゲーリー・オブライトをエース格にまで育てたり、のちのUFC王者ダン・スバーンを初来日させたりもしています」(スポーツ紙記者) そんな中で団体への風向きを変えるヒットとなったのが、'92年10月23日の北尾光司戦だ。前年にSWSのリング上で、ジョン・テンタを「八百長野郎」呼ばわりして解雇された北尾は、いわばプロレス界の仇敵。これを相手にハイキック一閃KO勝利したことで、高田の株は急騰する。 その勢いのまま'93年12月5日には、現役WCW王者ビッグバン・ベイダーの招聘を決定する(同名義の権利は新日にあったためリングネームはスーパー・ベイダー)。テーズゆかりのプロレスリング世界ヘビー級王座を保持する高田と、当時、WWFと並ぶメジャータイトルWCW王者のベイダー。一騎打ちの舞台となったのは、プロレス興行初となる神宮球場だった。 「真冬に屋外興行とはまったく観戦には不向きですが、つまりはそのくらいの大会場を埋めなければ、ペイしないほど高額のファイトマネーをベイダーに払ったということ。当日のアリーナは椅子を並べただけ。場内に設置した大型ビジョンはカラーでなく白黒と、節約していたのもそのためでしょう」(同) 集まった観衆は4万人超。ベイダーは参戦決定後、ロン・シモンズに敗れて王座を陥落していたが、新日参戦時の強さは記憶に新しい。 そして、いざ試合になればその巨体で圧力をかけ、左右の腕を荒々しく振るうベイダーハンマーで、高田をダウン4回、エスケープ4回まで追い込んだ。 通常のUインタールールならすでにKO負けだが、特別ルールによりその規定はなく、これに救われた高田はローキックに活路を見出す。そうして10分を過ぎた頃には形勢逆転し、ついにはベイダーの右腕を取って腕ひしぎ逆十字固めを極めた。 14分23秒、ベイダーからギブアップを奪い高田が最強を証明した瞬間、会場は真冬の寒さを吹き飛ばす熱気に包まれたのであった。旗揚げ当初のUインターをいぶかしがる目は、もはやそこにはなかった。 「高田はのちに自著で、この試合について“試合直前になってベイダーが負けブックを拒否した”と語っています。しかし、そのとき高田は“ならばシュートで”と迫ったという。そんなある意味で命懸けの覚悟を持って試合に臨んでいたことが、ようやく観客にも伝わったということではなかったでしょうか」(プロレスライター)
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スポーツ 2016年10月09日 12時00分
いよいよ10・10新日本両国決戦! オカダvs丸藤! タイガーマスクWがデビュー!
新日本プロレスは10日(月・祝)、10月のビッグマッチ「KING OF PRO-WRESTLING」を両国国技館(16時開始)で開催する。前売りチケットの売り上げも順調で、都内開催としては年内最後のビッグマッチということもあり、注目を集める大会となっている。 試合開始前の15時30分からは、10月よりテレビ朝日系列で放送が開始したテレビアニメ「タイガーマスクW」の放送開始記念スペシャルマッチとして、タイガーマスクW対レッドデスマスクというカードがラインナップ。「タイガーマスクW」ではオカダ・カズチカや棚橋弘至など新日本プロレスの実在の選手がアニメに登場しており、「タイガーマスクW」に登場するオリジナル選手が、新日本のリングにも登場することが、予告されていた。これは80年代に一世を風靡した初代タイガーマスク(テレビアニメ「タイガーマスクII世」)と同じメディアミックスである。 初代タイガーは当時の蔵前国技館でデビューを飾り、デビュー戦のインパクトの凄さから、ワンマッチ出場のはずが継続参戦となり、社会的なブームを巻き起こした。今回のタイガーマスクWが1回限りのものなのか? ヘビー級か? ジュニアヘビー級か? そして正体は誰なのかは全く知る由もないが、第0試合という位置づけではあるものの、初代と同じ国技館でデビューというのは期待せずにはいられない。当日は15時30分に着席しておく必要があるだろう。 セミファイナルでは、1・4東京ドーム大会 IWGPヘビー級選手権試合挑戦権利証争奪戦としてケニー・オメガ対後藤洋央紀が、メインイベントではIWGPヘビー級選手権試合、オカダ・カズチカ対丸藤正道がラインナップされた。両国大会が終わっても、まだ11・5エディオンアリーナ大阪大会という年内最後のビッグマッチを残しているが、ここ数年の傾向を見ると、この勝者同士が来年1月4日の東京ドーム大会で対戦する可能性が高い。オカダ対ケニー、オカダ対後藤、丸藤対ケニー、丸藤対後藤。両国大会のセミとメインの結果によって、4通りのカードが考えられる。セミのケニー対後藤は、8月のG1クライマックス優勝決定戦の再戦となった。後藤にとっては願ってもないリベンジのチャンス。9月シリーズの後藤は絶好調だっただけに、ケニーは初のIWGPヘビー級王座挑戦に向けて最後にして最大の難関を乗り越える必要がある。 メインはこちらもG1の開幕戦で丸藤に敗れたオカダにとってリベンジのチャンス。オカダも他団体の選手に負けたまま、王者として東京ドームの花道を歩くわけにはいかない。一方の丸藤はプロレスリング・ノアの選手として初のIWGPヘビー級王者になるチャンスであり、G1で決勝に残れなかった悔しさもあり、オカダに連勝してベルトを巻くことで、個人として、ノアとして存在感を示したいところである。 その他のカードも11・5大阪大会や1・4東京ドーム大会に向けて、重要なカードがズラリと並んでいる。ひと足早く東京ドームに駒を進めるのは誰か? 両国決戦を見逃すな!(どら増田)<新日Times VOL.38>
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芸能 2016年10月06日 11時05分
KABA.ちゃん 女性として初めてイベントに登場「お婿さんお待ちしています」
タレントのKABA.ちゃんが5日、「戦国炎舞-KIZNA-」プロモーション発表会に、性別適合手術を受け“女性”として初めて公の場に登場した。 KABA.ちゃんは、今年3月にタイで性別適合手術を受け、8月に戸籍上の性別を男性から女性に変えた。会場では花魁姿でランウェイをかっ歩。衣装は着物丈がかなりキワドイものだったが、「大人の色気を出そうと思って。上機嫌で出てきました」と笑顔をみせた。 本名も椛島永次(えいじ)から、女性名の「一華(いちか)」に変更。両親と実姉が「一人の女性として一花咲かせたい」という意味を込めたと明かした。 8月中旬には戸籍を変える手続きをしたそうで、「保険証が先に届いて『女になっている』とびっくりした」と語った。また、“工事”の費用については「頬骨の手術が一番高かった」と話し、「上から下まで全部含めたら、ちょっと良い車が買える、(1000万円の)大台は乗っています」と明かす。 女性になって2か月ほど経過したが、心境の変化を「男の人とすれ違うと『この人と結婚できるんだ』と思うと、ニヤニヤしちゃいます」とコメント。「こんな感じで仕上がりました。お婿さんお待ちしています」と婚活へ向けてアピールした。 イベントには、新日本プロレスのオカダ・カズチカ、タレントのぺこ、りゅうちぇるらも登壇。KABA.ちゃんは、オカダの鍛えた体をマジマジとみて、オカダが独身だと知ると「私、こう見えて弱いんです。秋には出会いがあるのって占いで言われたの」と女性の顔をみせていた。(斎藤雅道)
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スポーツ 2016年10月02日 15時30分
新日本、内藤哲也インターコンチ奪取! 気になる次期挑戦者は?
新日本プロレスは9月25日に神戸ワールド記念ホールで、秋の三大ビッグマッチの最終戦「DESTRUCTION in KOBE」を開催。5,432人(満員)の観衆を集めた。 第2試合では、ヨシタツが、キャプテン・ニュージャパンのハンタークラブ入りを問う、ツイッターでの投票結果を発表。結果は賛成が3,072、反対が4,090と大差で反対が賛成を上回り、キャプテンのハンタークラブ入りは却下された。するとキャプテンがパートナーのヨシタツを背後から急襲。これに対戦相手であるバレットクラブの高橋裕二郎&チェーズ・オーエンズも加担し、ヨシタツをKO。試合後もキャプテンはヨシタツに攻撃を加えて、バレットクラブ勢とともに退場。バックステージでは、その他のメンバーにも迎え入れられ、リーダーのケニー・オメガからキャプテンのバレットクラブ入りが認められた。ただし、リングネームやコスチュームの変更を指示しており、キャプテンも「ヒーローごっこはこれで終わり」とコメントを出しているので、4年9か月に渡ったキャプテン・ニュージャパンというリングネームはこれが見納めになりそうだ。 10・8新潟大会でBONE SOLDIERなる選手の参戦が、バレットクラブの新メンバーとして発表されており、10・15台湾大会ではヨシタツとのシングルが組まれている。シルエットもキャプテンに酷似していることから、このBONE SOLDIERが新たな顔になることが予想される。キャプテンになる前は凱旋帰国からキャラクターの迷走期間が長かっただけに、今回のバレットクラブ入りで、本来持ち合わせているはずの強さを開花できるのか注目される。 メインでは、内藤哲也が「G1クライマックス26」公式戦で勝利を収めたマイケル・エルガンが持つIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦。内藤は珍しくロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(L・I・J)勢を従えずに入場。序盤から中盤は前哨戦で破壊し続けたエルガンの膝に狙いを定め、関節技と打撃の双方でダメージを与え、エルガンは大量の汗とともに苦悶の表情を浮かべていた。しかし内藤の“間”を読んだエルガンは、内藤の立体的な技をかわすだけではなく、飛んで来た内藤を捕まえてから投げるなど、規格外のパワー殺法で形勢を逆転する。しかし膝へのダメージは重かったようで、力技と膝狙いの攻防で形勢がめまぐるしく変わるという、手に汗を握る展開に。最初は内藤コールが押していたが、エルガンの粘りに対し、終盤は声援が拮抗していた。 試合の流れが変わったのは、エルガンが得意の雪崩式ファルコンアローを返され、勝負にでたパワーボムを狙ったが、内藤がうまく海野レフェリーを巻き込み、海野レフェリーがダウン。これを合図に、控室からL・I・J勢が乱入し、エルガンを急襲。リングは無法地帯と化す。棚橋弘至とKUSHIDAがエルガンの助っ人に駆けつけるも、KUSHIDAがBUSHIの毒霧を喰らってしまうなど人数に勝るL・I・J勢が優勢な状況に変わりはなかった。しかし、エルガンの驚異的なパワーでL・I・J勢を何とか排除すると、この隙をついて内藤が必殺技デスティーノを決める。しかしダメージが残る海野レフェリーのカウントにも助けられ、エルガンはキックアウト。会場はここから大興奮状態に。試合時間が30分を経過しながらも続く一進一退の攻防だったが、最後はエルガンボムをあり得ない返し方で、デスティーノで切り返し、さらに正調デスティーノを決めた内藤が勝利。新王者となった。 翌日行われた会見では、ミスター・インターコンチとも言われていた中邑真輔(1月に退団)の色を払拭することを明言。次期挑戦者については「トランキーロ」と煙に巻いていたが、来年1・4東京ドーム大会や、節々に発しているファン投票の実施についての質問についても、内藤流にうまくかわしていた。 次回のビッグマッチ、10・10両国国技館大会では、防衛戦が組まれず、L・I・Jのフルメンバーで棚橋&エルガン&KUSHIDA&ジェイ・リーサルとの対戦が発表された。このメンバーの中から次期挑戦者が現れる可能性は極めて高い。インターコンチの特性から予想すると、8月のアメリカROH遠征で仲間割れをしたリーサルが有力ではないだろうか。 10・10両国大会でどんな展開が待っているのか非常に楽しみである。(どら増田)<新日Times VOL.37>
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