新日本
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スポーツ 2017年05月14日 12時00分
新日本プロレス“エース”復権に向けて棚橋弘至、6.11大阪城で内藤哲也に再挑戦!
個性派揃いの新日本プロレスにおいて、棚橋弘至ほど“諦めが悪い”男はいないかもしれない。新日本の“エース”棚橋だが、2015年の『G1クライマックス』優勝を最後に、シングルプレイヤーとしての勲章はひとつも得ることができていない。その間、棚橋をタイトルマッチで破ったオカダ・カズチカ、ケニー・オメガ、内藤哲也の3人は、現在の新日本マットにおいてスリートップと言っても過言じゃないほどの飛躍を遂げている。棚橋は完全に踏み台にされた格好だ。しかしエースは諦めなかった。 4.29別府ビーコンプラザ大会のメインで、ジュース・ロビンソンを相手に、IWGPインターコンチネンタル王座を防衛した内藤の前に現れた棚橋は、なんと“エアレター”という形で、挑戦表明したのだ。 「拝啓、内藤哲也殿。あなたに負け、東京ドームでとどめを刺されました。が、いまこうしてここに戻ってきました。あなたのベルトを投げたり蹴ったりするのは、正直嫌いです、コノヤロー。いまここで、このベルトに挑戦を表明します、コノヤロー。つべこべ言わず、俺の挑戦を受けろって言ってんだよ、コノヤロー! 敬具、棚橋弘至」 とどめを刺されても戻ってきてしまったということは、本当にとどめを刺されていなかったのかもしれない。1.4ドーム大会以降は、田口隆祐率いるタグチジャパンのメンバーとして、明るいプロレス道を邁進してきた棚橋だが、監督の田口にはタグチジャパンを通じて棚橋が復活する道を切り開いてもらいたいという気持ちがあった。タグチジャパンがロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンと執拗に抗争しているのも、棚橋が再び内藤と対峙するイメージを描いていたからではないだろうか。棚橋はそんな田口監督の心意気に応えるかのように、EVILとの抗争に決着をつけ、再び内藤にたどり着いた。 決戦の場は6.11大阪城ホール大会に決定。昨年の大阪城大会は怪我のため欠場しているだけに、完全復活をアピールするには格好の舞台となる。 1.4ドーム大会で棚橋を葬った内藤だが、試合後には「今度は棚橋が俺のところ(ポジション)まで来い」とエールとも受け取れる発言をしていただけに、内藤流の発言で棚橋の挑戦を拒んではいるものの、「望むところ。返り討ちにしてやる」くらいの気持ちを持っていても不思議ではない。 1.4ドームと違うのは、完全に追う立場になった棚橋には恐れるものが何もないこと。逆に負けられない“有言実行型”の内藤にとっては、かなりリスクが大きい試合になるだろう。 『G1クライマックス』を前に棚橋が復権するのか? はたまた内藤が完全なる棚橋超えを果たすのか? この試合が単なるリ・マッチではないのは確かである。(どら増田)【新日Times vol.67】
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スポーツ 2017年05月13日 15時00分
プロレス総選挙 古今東西 好きなレスラー100(2)
続いて“黒い呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャーが7位。 「テリー・ファンクの胸に割れたビール瓶を突き刺し、テレビ中継ではストップモーションの放送になった試合が衝撃的で、幼い頃は本当に怖かった」(44・男) その一方で、ブッチャーをモチーフにした漫画『愛しのボッチャー』の影響からか、親しみを感じていたというファンも少なくない。 「試合会場で流血したブッチャーの額に色紙を押し当て、“血拓”を取るのが流行ったことがあった。今から思えば何であんなことをしたんだろう」(48・男) 天龍源一郎の“レボリューション”に胸を熱くしたファンも多い。 「全日時代は上にジャンボ鶴田がいて、SWSでは不当なバッシングにあった。常に判官びいきの気持ちで応援していた」(50・男) 「WWFのハルク・ホーガンから女子の神取忍まで、誰とでも好勝負を見せてくれた。まさに“ミスター・プロレス”と呼ぶにふさわしい」(49・男) その天龍とも多くの名勝負を繰り広げた長州力が、続いてのランクイン。 「藤波辰爾との名勝負数え歌に燃えました。入場曲の『パワーホール』が鳴り響くだけで、今でも胸が躍りますよ!」(48・男) テリー・ファンクは70年代にファンクラブまで結成され、当時はチアガールに扮した女子の応援も試合会場で見かけられた。 「凶器攻撃に屈することなく、何度も立ち上がる姿は今思い返しても感涙ものです」(55・女) 今なお“歴代日本人で最強”といわれるジャンボ鶴田は11位。 「天龍や長州の人気がいくら高くても、あの当時に大型外国人レスラーと真っ向勝負できるのは鶴田しかいなかった」(56・男) 「最初は何か本気が感じられず、むしろ嫌っていたが、天龍との抗争や三沢たち若手との対戦を通じて、やっぱりバケモノだと思うようになった」(49・男) そんな鶴田とも数多の好勝負を繰り広げたブルーザー・ブロディ。 「入場時からチェーンを振り回しての雄叫び、フィニッシュのキングコング・ニードロップまで、まさに完璧なレスラー」(52・女) 「ハンセンとの超獣コンビに勝るタッグは見たことがない」(60・男) キャリアの途中で凶刃に倒れたことは、実に残念。 生涯ヒールで通したタイガー・ジェット・シンを推す声も多い。 「凶器攻撃以外でもコブラクローとか首4の字固めとか、ねちっこかった。シンが相手でないと猪木の試合もどこか物足りないんですよね」(66・男) ハルク・ホーガンについては「一番Tシャツを持ってました」(50・男)と新日本参戦時のファンもいるが、それ以上にWWFトップとしての評価が高い。 「最初はどこかドタドタしていたが、『レッスルマニア』で見たときは、トップレスラーのオーラが出まくりだった」(48・男) “大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントは存在感からして圧倒的。 「地方会場のロビーにアンドレがいて、天井に頭が届きそうなぐらいデカくて驚いた」(50・男)
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スポーツ 2017年05月07日 12時00分
ライガー“最後の”スーパージュニアは新日ジュニア新時代の幕開け!
新日本プロレスは毎年恒例となっている、ジュニアヘビー級最強決定戦『BEST OF THE SUPER Jr.24』(スーパージュニア)の出場選手と、ブロック分けを5.3福岡国際センター大会で次の通り発表した。◆Aブロック獣神サンダー・ライガー(17年連続 21回目の出場・1994年、2001年優勝)リコシェ(2年連続 4回目の出場・2014年優勝)ドラゴン・リー(初出場)ウィル・オスプレイ(2年連続 2回目の出場・2016年優勝)マーティー・スカル(初出場)タイチ(3年連続 7回目の出場)TAKAみちのく(3年ぶり6回目の出場)高橋ヒロム(4年ぶり3回目の出場・IWGPジュニアヘビー級王者)◆Bブロックタイガーマスク(16年連続 16回目の出場・2004年、2005年優勝)田口隆祐(12年連続 14回目の出場・2012年優勝)KUSHIDA(8年連続8回目の出場・2015年優勝)ボラドール・ジュニア(2年連続 2回目の出場)ACH(初出場)金丸義信(初出場)エル・デスペラード(3年ぶり2回目の出場)BUSHI(2年連続5回目の出場) 「僕は今年、今回限りで『BEST OF THE SUPER Jr.』を卒業します。今年が最後の『BEST OF THE SUPER Jr.』になりますので、コンディションを整えて、ベストな状態で、もちろん毎年言ってますけど、優勝して、そして有終の美を飾りたいなと思います。今年の『BEST OF THE SUPER Jr. 24』が、ジュニア人生最後の『BEST OF THE SUPER Jr.』になりますので、ファンの皆さんも応援よろしくお願いします。しっかり優勝したいと思います。以上」 “世界の獣神”として新日本マットだけではなく、長年にわたり世界のジュニアヘビー戦線を牽引してきた獣神サンダー・ライガーが、4.27広島グリーンアリーナ・小アリーナ大会での試合後にスーパージュニアを今年限りで卒業する意向であることを明らかにした。ここ数年のライガーは「ライガー最終章」を掲げてIWGPジュニア王座に挑戦するなど、ライガーとしてジュニアの第一線で闘う時間が残り僅かであることを匂わせてきたが、今回の卒業宣言は「そろそろ後進に…」との思いから『NHK紅白歌合戦』を卒業する大御所歌手と同じような心境なのかもしれない。 ライガーが入ったAブロックは、昨年のスーパージュニアベストバウトと言われたリコシェとオスプレイが再び同ブロックになった。高橋ヒロムとCMLLから初出場するドラゴン・リーのライバル対決も公式戦で実現。また鈴木軍のタイチとTAKAみちのくも同ブロックというのも興味深い。タイチは「スーパージュニアをブチ壊す」と予告しており、特に新日本マット復帰以降、接点がなかったロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(ロスインゴ)のヒロムとの対戦は注目である。またROHから初出場のマーティー・スカルはチキンウイング・フェイスロックの使い手と言われているだけに、ライガーとの対戦では関節技を巡る攻防が楽しみだ。 Bブロックは、タイガーマスクWとのタッグ結成で、今年脚光を浴びているタイガーマスク、タグチジャパン監督として大ブレイク中の田口隆祐、前IWGPジュニア王者KUSHIDAと、新日ジュニア本隊のスリートップが名を連ねている。ここにこれまで出場しなかったのが不思議なくらい、全日本プロレスやプロレスリング・ノアで数々のジュニアタイトルを獲得してきた金丸義信が初出場。金丸と同じ鈴木軍のエル・デスペラードも久々に出場する。ロスインゴから出場のBUSHIは、デスペラードが新日本マットに初参戦した時に散々やられた苦い過去があるが、ロスインゴ加入後のBUSHIは急成長を遂げただけに、両者の対決は注目だ。この日本勢に立体殺法に定評のあるCMLLのボラドール・ジュニア、フリーのACHの2選手がどこまで掻き回してくれるのか期待したい。 今年は5.17後楽園ホール大会で開幕、優勝決定戦(決勝)は6.3代々木第2体育館大会で行われる。第1回大会から出場してきたライガー最後のスーパージュニアは、本当の意味で新日ジュニア新時代の幕開けになるだろう。■『BEST OF THE SUPER Jr.24』日程5月17日(水) 東京・後楽園ホール5月18日(木) 東京・後楽園ホール5月20日(土) 三重・さんぎんアリーナ(松阪市総合体育館)5月21日(日) 静岡・キラメッセぬまづ5月22日(月) 東京・後楽園ホール5月23日(火) 栃木・栃木市総合運動公園体育館5月25日(木) 石川・小松市末広体育館(義経アリーナ)5月26日(金) 長野・長野運動公園総合体育館5月27日(土) 茨城・つくばカピオ アリーナ5月28日(日) 群馬・ニューサンピア高崎5月29日(月) 東京・後楽園ホール5月31日(水) 大阪・大阪府立体育会館・第2競技場(エディオンアリーナ大阪)6月1日(木) 愛知・名古屋国際会議場 イベントホール6月3日(土) 東京・国立代々木競技場 第2体育館<優勝決定戦>(どら増田)【新日Times vol.66】
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スポーツ 2017年04月30日 16時00分
プロレス解体新書 ROUND49 〈夢のドーム興行が実現〉 異種格闘技戦で初めての黒星
1989年4月24日、新日本プロレスは業界初となる東京ドーム大会『'89格闘衛星★闘強導夢』を開催した。メインイベントに登場したアントニオ猪木は、ソ連人の柔道家ショータ・チョチョシビリに異種格闘技戦で唯一となる敗戦を喫するが、その裏側ではさまざまな思惑が渦巻いていた。 1988年8月8日、横浜文化体育館における藤波辰爾戦は、アントニオ猪木のラストマッチになるとも噂された。IWGP王者の藤波に猪木が挑んだこの試合、結果は60分フルタイム引き分けで引退問題はいったん棚上げとなる。 「そもそも“負けたら引退”という図式は、東京スポーツが試合を盛り上げるためにぶち上げたこと。テレビ朝日も地方プロモーターもまだまだ猪木の名前を必要としており、もし、猪木自身が本気でそれを望んだとしても、許されるはずがない。テレ朝を退社していた古舘伊知郎が『猪木引退戦の実況を務める約束だから』と、一夜限りの復活をしたのも演出の一環でした。局アナ時代の古舘といえば、巡業になれば猪木や新間寿氏らとも酒席を共にするいわばアングルの内側の人ですからね」(新日関係者) 言われてみればその通り。現実に引退の覚悟があったのならば、わざわざ『挑戦者決定リーグ』を開催してそれを勝ち上がることで、他の選手たちの価値を落とす必要がない。 それどころか猪木は、挑戦権獲得を決めたビッグバン・ベイダー戦において、凶器でベイダーの腕をメッタ刺しにしてから腕固めでギブアップを奪うという、途方もない勝利への執着まで見せている。 ちなみに同リーグへの参加選手は猪木以下、ベイダー、長州力、マサ斎藤、木村健吾の5人であった。 「とはいえ、この時期の猪木はすでに長年の故障の蓄積や加齢による肉体の衰え、持病の糖尿病もあって、コンディションを整えることすら困難であったのも事実。そのため藤波戦以降は“世界戦略”を唱え、これを名目にいったんリングから遠ざかることになりました」(同) そうした裏で進行していたのが、ソ連人格闘家による軍団構想であった。 「もともとは協栄ジムの金平正紀会長がソ連人ボクサーを招聘しようと動いていたもので、そんな中、プロ志望のアマレスラーや柔道家がたくさんいると分かり、猪木のところに話が回ってきたのです」(スポーツ紙記者) そこからの猪木の動きは早かった。コーチ役の馳浩らと共にソ連へ渡ると、アマチュア選手たちの育成に取り組む。“プロレスラーとは何たるものか”との心構えを手始めに、プロレスならではの約束事を、約半年間にわたりみっちりと教え込んだ。 そうして誕生させたレッドブル軍団を目玉として、'89年4月にはプロレス界で初となる東京ドーム大会『'89格闘衛星★闘強導夢』の開催にまでこぎ着ける。当時、歴代最高となる5万3800人の観衆を集めた同大会で、メインイベントを務めたのはやはり猪木だった(それまでの最高動員数は'61年、日本プロレス奈良県あやめ池公園大会の3万6000人=無料観戦者を含んだ主催者発表)。 当初発表された対戦相手は、レスリングフリースタイルで'76年のモントリオール五輪100キロ超級、'80年のモスクワ五輪100キロ超級で金メダルを獲得したソスラン・アンディエフ。相手がアマレスベースということで、リングもそれに合わせた円形でノーロープのものが特注で用意され、猪木もアマレス用のシューズで試合に臨むことになった。 ところが、直前になってソスランが交通事故による負傷で出場不能となる。代わって登場となったのは柔道の金メダリストで、'72年のミュンヘン五輪100キロ以下級を制したショータ・チョチョシビリであった。 「突然の変更、それもプロ経験のない選手との対戦となれば、並のレスラーならキャンセルしても不思議ではない。それを受け入れてなおかつ試合成立させたのは、さすが、猪木ならではの芸当でした」(同) しかも、舞台裏ではさらなる問題が生じていた。 「この試合の勝利者賞として提供された高級車を見て、チョチョシビリが『あれが欲しい』と突然勝ちブックを要求してきたのです。とはいえ車なら、別途で渡せばいいだけのこと。大観衆の前での敗戦をプライドが許さなかったというのが実際のところでしょう」(前出・新日関係者) 急きょ出場が決まったことで、契約関係に曖昧な部分もあったのだろう。これを拒絶すればメインカードが飛んで、記念すべき初のドーム大会に泥を塗ることになる。 しかも、相手はプロレス用の練習経験がほとんどない柔道家。見せ場をつくるだけなら技を受ければ済む話だが、説得力のある勝ち方まで演出するとなると、相当な困難が伴う。 しかし、猪木はこれを見事にやり遂げた。チョチョシビリの腕十字により負傷したとする左腕をダラリと下げたまま、必死の形相で闘魂をアピール。最後は裏投げ3連発に沈んだものの、その千両役者ぶりで“猪木健在”を大観衆に印象付けたのだった。 この結果から「やはりビッグマッチに猪木は欠かせない」との声が再燃し、その正式引退は藤波戦から10年後の'98年まで持ち越されることになる。
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その他 2017年04月27日 14時15分
アニメ「タイガーマスクW」のオリジナルサウンドトラックが発売
2016年10月からテレビ朝日系24局ネットで放送されている「タイガーマスクW」のオリジナルサウンドトラックが4月26日に発売となった。 「タイガーマスクW」は1969年から放送されていた超人気作「タイガーマスク」のリバイバル版というだけではなく、新日本プロレスの人気レスラーが実名で多数登場していることもあり、プロレスファンの人気も集めている。また、地上波だけではなく、AbemaTV、Amazonビデオ、新日本プロレスワールドをはじめとする19サイトでも配信されており、様々な環境で視聴可能だ。 新日本プロレスのリングにもタイガーマスクWが上がり、レッドデスマスク、タイガー・ザ・ダーク等のアニメ登場キャラクターや、オカダ・カズチカ選手らと対戦し、プロレス界でも話題沸騰中で、新日本プロレス参戦時の勝利時のテーマ曲や、ライバル選手の入場テーマも収録されている。 新日本プロレスの真壁刀義は本作について、「タイガーマスク」に“本物のプロレス”と呼んでいるものの原点を見せてもらったと、アニメサントラの構成や解説を得意とするライターの腹巻猫が行ったCDブックレット内のインタビューで語っており、「タイガーマスクW」は今の時代に適した形で男同士の闘いや善と悪との戦い、そして何より“あきらめない心”が描かれている作品だとしている。 そんな本作のサウンドトラックを手掛けるのはアニメ音楽界の巨匠・高梨康治。代表作には格闘技「PRIDE」テーマ曲のほか、「NARUTO-ナルト-疾風伝」、「プリキュア」、「地獄少女」、「FAIRY TAIL」、「美少女戦士セーラームーンCrystal」など名だたるアニメ作品の劇伴を手掛けており、アニメサントラファンからも注目を集めている。(C)梶原一騎・辻なおき/講談社・テレビ朝日・東映アニメーション
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スポーツ 2017年04月23日 15時00分
プロレス解体新書 ROUND48 〈長州vs天龍“伝説の死闘”〉 1・4東京ドームの最高試合
1992年に始まった新日本プロレス恒例の1・4東京ドーム。四半世紀にわたる大会の歴史の中でも、一、二を争う最高のメインイベントと評されるのが、正月のドーム初進出の翌年となる'93年、SWS崩壊後の天龍源一郎が長州力に挑んだ一戦である。 SWS旗揚げに対するバッシングは、昭和プロレスにおける黒歴史の一つと言えるだろう。 「メガネスーパーの資本による新団体の設立は“金権プロレス”と批判を浴びましたが、今になってみればレスラーに高待遇を用意したことの何が悪いのか分からない。しかし、当時のファンの間には全日と新日による引き抜き合戦に辟易した記憶がまだ根強く残っており、それを焚きつけるような感情論でのSWS叩きを展開した週刊プロレスの影響は大きかった」(スポーツ紙記者) SWSへ移籍した選手たちを「金に釣られた」とののしった同誌のターザン山本編集長が、あとになって全日から裏金を受け取っていたと告白したのも、笑えない話ではある。 「ただ、これもターザンが突出して金に汚かったというわけではなく、本人としては“もらって当然”ぐらいの気持ちだったのでは? なにせ記者会見や大会の取材に行けば、大入り袋で1000円、5000円と配られていた時代のことですから」(同) 当時の記者のそれぞれが、大なり小なり団体からの恩恵にあずかっていたのだ。 「全日の社長だったジャイアント馬場の意向を受けてSWSを叩いた癒着にしても、アングル作りや選手の引き抜きにまで関わっていた記者もいたわけで、つまりターザンはその真似をしただけとも言えます」(同) 一方、叩かれたSWSの方も決して褒められたものではなかった。ただ楽に稼ぎたいというだけで、どんなプロレスをやりたいかという理想を欠く選手が少なからずいた。また、プロレス界で初の試みとなった部屋別制度の導入が派閥意識を生み、選手間の深刻な分裂を招く結果となった。 それまでの実績から本来エース格であるべき天龍源一郎の独走を許さず、足を引っ張ろうという選手もいたという。 また、その天龍にしても、全日時代にはジャンボ鶴田ら強者に挑む姿にファンは感情移入をしていたが、SWSでは格落ちの日本人、もしくはエンタメ色の濃いWWF勢を相手にすることで、どこか不完全燃焼の印象を持たれることになってしまった。 結局、SWSは'90年9月のプレ旗揚げ戦から'92年6月のラストマッチまで、2年弱の活動期間をもって崩壊へと至る。だが、皮肉なことに、これが天龍のレスラー人生における好機となった。 新団体のWARを旗揚げした天龍は、その直後から新日本プロレスとの団体対抗戦に討って出た。 「巨大メジャー団体への挑戦は、まさに天龍にとっての真骨頂。天龍革命の復活は改めて熱心なファンの心をガッチリつかみ、また、この頃には鶴田が肝炎発症により長期欠場を決めていたことから、鶴田vs天龍の時代を懐かしむ層からの共感を得ることにもなりました」(プロレスライター) 越中詩郎率いる平成維震軍との絡みから始まった抗争は、年を越した'93年1月4日の東京ドーム大会、メインイベントの長州力戦で一つのクライマックスを迎える。 両者のシングルマッチは、最後の対戦から実に6年4カ月ぶり。ジャパンプロレス興行における、エプロンでのバックドロップによる長州リングアウト勝ちに始まって、全日では天龍が2度の反則勝ちを収めている。 前年から始まった1・4東京ドームで、長州は藤波辰爾戦から2年連続のメインイベント出場。一方の天龍は前年暮れの大阪府立体育館、越中戦から2大会連続で新日ビッグマッチのメインを張ることになった。 試合は両者ともに気迫を前面に出すゴツゴツとしたぶつかり合いで、最後は天龍がパワーボムで3カウントを奪った。 「歴代1・4メインの中でもナンバーワンと称されるほどの名勝負。なにせ滅多なことで他人を褒めないアントニオ猪木が、試合後に『ありがとう! 素晴らしい試合!』と評したほどですから」(同) その後、天龍は新日において、橋本真也をはじめとする多くの選手との激戦を繰り広げ、一方ではインディー団体のリングでも大仁田厚や神取忍らと相まみえている。ハッスルではエンタメプロレスにもチャレンジした。 「猪木や馬場はどこかプロレスラーであることに対して引け目を感じ、他の格闘技と比べてやたら優位を誇ったり、リングを下りればイメージとは程遠い絵画をたしなむなどしたのに対し、天龍はプロレスラーとしての矜持を持ち、どんな相手とでも自分のプロレスを表現してみせた。65歳の引退までメインを張り続けた、そんなレスラーは世界を見ても天龍以外にどれほどいるでしょう」(同) まさに“ミスタープロレス”として、現役生活を全うしたのである。
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スポーツ 2017年04月23日 12時00分
夢は柴田とのIWGPヘビー戦! NEVER王者、後藤洋央紀が鈴木みのるを挑戦者に逆指名!
「初めて、初めて、この俺から指名してやるよ。次、鈴木みのる。いつでも来い!」 新日本プロレス4.9両国国技館大会で、鈴木軍の“秘密兵器”ザック・セイバーJr.を相手に苦戦を強いられたものの、最後は裏GTRからの正調GTRで完膚なきまでに叩きのめし、NEVER無差別級王座3度目の防衛に成功した後藤洋央紀は、次期挑戦者に鈴木軍の“ボス”鈴木みのるを試合後に逆指名した。 ザックとの試合では、セコンドに付いていたエル・デスペラードがエプロンに上がり、レフェリーを引きつけている間に、背後からみのるが急襲。後藤を突き飛ばしてレフェリーと激突させると、スリーパーで後藤を捕らえ、ゴッチ式パイルドライバーの体勢に入るも、後藤がバックスープレックスでみのるを投げ捨て、ザックとデスペラードを蹴散らし、牛殺しで鈴木を排除するという、後藤1人で鈴木軍の3人を蹴散らすシーンがあった。 昨年の春にCHAOSに入ってから、『G1クライマックス』準優勝や、柴田勝頼を破ってNEVER無差別級王座を獲得するなど、実績は残している後藤だが、ここまでインパクトのある強さを見せたのは久々である。 試合後、後藤も手ごたえを感じたのか、場外に残っていたみのるにNEVER王座を見せつけるように掲げると大乱闘。鈴木軍のボスであるみのる自身が介入して失敗した例は記憶にないだけに、みのるのプライドもかなり傷をつけられたに違いない。インタビュースペースに現れたみのるは、立て札をぶん投げるなど大荒れだった。 これを受けて新日本プロレスは4.27広島グリーンアリーナ・小アリーナで、両者によるタイトルマッチを決定した。 「お前らが持っている“宝”を全部寄越せ!」 今年の1.5後楽園ホール大会に、2年振りとなる新日本マットに鈴木軍のメンバーを引き連れて現れたみのるは、IWGPヘビー級王者オカダ・カズチカを急襲するとこう言い放った。この“宝”とは、新日本が管轄しているすべてのタイトルを指している。鈴木軍としては、タイチ&金丸義信がIWGPジュニアタッグ王座を、ザックがブリティッシュヘビー級王座を獲得しているが、2.5北海きたえーる大会ではみのるがオカダに敗れ王座奪還に失敗。またランス・アーチャーの怪我などもあり、当初の思惑通りに“宝”が獲れていないのが現状だ。 過去に両者は、2011年8月8日に横浜で行われた『G1クライマックス』公式戦で対戦しているが、この時はみのるがゴッチ式パイルドライバーで勝利を収めている。しかし、後藤に4.9両国大会で見せたような強さがあれば、鈴木軍の介入があったとしても、問題がないのかもしれない。むしろ、みのるを相手に防衛すれば、これまでIWGPヘビー級、IWGPインターコンチネンタルに続く、“3番手”と思われがちだったベルトの価値は一気に上がることになる。また後藤には、現在欠場中の柴田勝頼とIWGPヘビー級王座をかけて闘いたいという長年の夢もあり、ここでつまずくわけにはいかない理由がある。 対するみのるも、最近まで抗争を繰り広げていただけに、柴田に対しては思うところもあるだろう。しかしそれ以上に、鈴木軍のボスとして今回も敗れるようなことがあれば、新日本マット内の影響力の低下は否めない。 今回のタイトルマッチは、両者とも負けられないという、見る側にはとても興味深い展開となった。(どら増田)【新日Times vol.65】
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スポーツ 2017年04月16日 15時00分
プロレス解体新書 ROUND47 〈伝説の“鶴龍対決”第5戦〉 三冠王者となった天龍の憂い
1989年4月の三冠王座戦では、ジャンボ鶴田の頭から落とすパワーボムで失神KO負けを喫した天龍源一郎。その後、首と腰を痛めて戦線離脱した天龍は同年6月に復帰して雪辱を果たしたが、その表情が晴れることはなかった。 世間から頑固や偏屈と言われる人間も、当人には当人なりの理由がある。自分なりに考え尽くしたことを赤の他人に対して簡単に説明できるわけがないとの思いがあるから、どうしても無口になってしまうのだ。 '89年6月5日、日本武道館において天龍源一郎がジャンボ鶴田に挑戦した三冠王座戦。天龍は人生初にして唯一、鶴田戦でピンフォール勝ちを収めたにもかかわらず、喜びの様子を一切見せなかった。勝利者インタビューを求めるマイクに背中を向けると、リングを下りながら「まだまだこれからです」とだけコメントを残している。 プロレス大賞の年間最高試合賞を獲得したこの一戦。満場1万5200人の声援の中、パワーボム2連発からの完璧なピンフォール勝ちに、いったい何の不満があったのだろうか。後年、天龍自身が選んだ生涯ベストバウトも、同じ鶴田戦ではあるが、バックドロップ・ホールドに敗れた全日本プロレス離脱直前の試合であった。 「天龍というレスラーを読み解くキーワードの一つに“職業・プロレスラー”というのがあります。入団時の会見で『全日本プロレスに就職します』と言った鶴田が、プロレスを仕事として捉えていたのとは似て非なるもので、要するにプロレスを天職として全うしようということになるでしょうか」(プロレスライター) プロレスが仕事である鶴田は、職場のリングでだけプロレスラーになり、家では素顔の鶴田友美に戻る。お勤めだから当然、定年もある。片や天龍は職業として選んだからにはと、24時間プロレスラーであろうとした。常にプロレスとは何か、プロレスラーとはどうあるべきか考えを巡らせた。 「スタン・ハンセンからはプロレスラーのすごさを、ブルーザー・ブロディからはプロレスのすごさを教えられた」などの天龍語録からは、確かに考え続けた人間にしか出せない深みが感じられる。 「大相撲時代に所属した二所ノ関部屋のトラブルに巻き込まれたことで、予期せずプロレス転向を決めた天龍ですが、そこには天賦の才に恵まれた鶴田がいた。お仕事気分で強豪外国人を相手に、楽々とメインイベンターの務めを果たす鶴田に比べ、天龍は相撲とレスリングの違いもあって、スタミナ面やグラウンドのスキルなどでどうしても力及ばなかった」(同) しかし、その差を埋めるための試行錯誤がレスラー天龍の基礎となった。 「チョップやパンチ、キックで試合をつくるスタイルも、長年のアメリカ修行時に身に付けたアメリカンプロレスのテンポに、日本流の激しさを組み合わせた天龍による一種の発明ですが、これもレスリング技術では鶴田にかなわないことから生み出された部分があったのでしょう」(同) ジャイアント馬場、鶴田、タイガー戸口に次ぐ全日4番手の頃から、ライバル団体・新日本プロレスの総帥であるアントニオ猪木の延髄斬りや卍固めを使い始め、心ないファンからは“偽猪木”とのそしりを受けたりもした。しかし、その懸命なファイトは徐々に周囲から認められ、'83年には鶴田との“鶴龍タッグ”を結成するに至った。 だが、ようやく鶴田に近づけたとの思いを抱くも、同時にそのプロレス観への違和感が生じることにもなる。ハンセン、ブロディ、ロード・ウォリアーズらの技を受けることで試合を盛り上げ、主役の鶴田に見せ場を作ろうという天龍の思いが、当の鶴田には伝わっていないと歯噛みをすることもしばしばだった。 「天龍のキャラクターから誤解されがちですが、'87年に長州力らジャパンプロレス勢が離脱したのを契機にスタートした天龍革命は、別に激しい試合がやりたかったわけではない。その当時、アメプロよりもそうした試合の方がウケるという読みからの行動であって、それは後に天龍がインディー団体やハッスルに出場した動機とも大きく違わないのです」(同) 天龍の挑発にようやく鶴田が乗ったことでファンからも大きな反響を得ることになったが、しかし、そこで天龍は本気の鶴田のすごさを知らしめられる。天龍自身の人気も高まり、鶴田のライバルとされたはいいが、どうしてもそのナチュラルな強さにかなわない。 冒頭の試合に勝利した直後、コーナーにへたり込む天龍に対し、鶴田は何事もなかったかのようにスクッと立ち上がり、さわやかに握手を求めてきた。天龍はそれに応えようとせず、ただうつむいていた。 「結局、鶴田は天龍の気持ちや天龍革命の目的について、何も分かっちゃいないという絶望感が『まだまだこれからです』との言葉になったのでしょう」(同) 会社からも金銭という目に見える形での評価を受けることはなく、上には必ず鶴田がいてその枠組みが変わることはない…。そんな思いが約1年後のSWS移籍へと、つながることになったのではないだろうか。
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スポーツ 2017年04月16日 12時00分
新日本5.3福岡でIWGP初挑戦のファレ、21世紀のベイダーになれるか?
新日本プロレス4.9両国国技館大会。10,231人(超満員札止め)と、昨年4月の両国大会よりも多くの動員に成功。関係者の話によると、「雨だったにもかかわらず、残り僅かだった当日券も完売しました」とのこと。この大会で最もファンの興味を引いたのは、メインイベントで行われたIWGPヘビー級選手権試合、オカダ・カズチカに柴田勝頼が挑戦したタイトルマッチだったのは言うまでもない。オカダと柴田による前哨戦は、前哨戦の域を超えるような意地のぶつけ合いだった。試合は38分を超える死闘の末、オカダがレインメーカーで勝利。4度目の防衛に成功する。試合後、柴田は体調不良を訴え病院に緊急搬送。診察の結果、硬膜下血腫が見つかり、処置の為の手術を行ったが無事成功し、現在は安静状態となっている。 当然、勝ったオカダもかなりのダメージを受けていたが、勝ち名乗りを受けようとしたその瞬間、背後にバッドラック・ファレが現れオカダを急襲。必殺バッドラックフォールでKOした。これにはオカダのマイクによる締めとエンディングを期待していたファンから大ブーイング。屈辱を味わったオカダはファレの実力行使による挑戦表明を受諾。翌10日に5.3福岡国際センター大会での対戦が決定した。 「闘うなら『ヤバいファレと闘いたいな』って思いますよね」 オカダは「ファレも(バレットクラブの用心棒として歴代のリーダーである)プリンス・デヴィットやAJスタイルズ、ケニー・オメガの陰に隠れていて溜まっているものがあると思う」と前置きした上で、“ヤバい”ファレと闘いたいと挑戦者に注文をつけた。 さらにオカダは話を続ける。 「『いま』って言ってるボクが、『昔、昔』言って申し訳ないですけども、最近の外国人選手はみんな強いですけど、キレイすぎるというか、上手すぎるというか、そういう選手がいた中で、ファレはどちらかというか、昔ながらの外国人じゃないですけど、まだまだ持ってるモノはあると思いますし。そういうのを出して大暴れしてもらわないと、ボクに勝てないと思いますので、勝つ気で来てもらいたいと思います。そのファレをボクが倒したら、また『俺、強ぇな』って思うと思うんで」 ファレには昔ながらの外国人を感じると分析したオカダだが、そう感じているのはオカダだけではない。古くから取材をしている報道陣や、ファンの間からも、かつて新日本プロレスのエース外国人として、日本人選手の壁になっていた“皇帝戦士”ビッグバン・ベイダーと、ファレを被らせる声は大きい。これまでも棚橋弘至や中邑真輔、そしてオカダも怪物的なパワーで、節々に圧殺してきたファレだが、意外にもIWGPヘビー級王座は今回が初挑戦となる。この試合でさらなる覚醒を果たし王座奪取となれば、ファレが21世紀のベイダーとして新日本マットを席巻するのも夢ではない。バレットクラブ内のパワーバランスも変えられる大チャンスである。 ファレにとって課題をあげるとするなら、今年に入ってからのIWGPヘビー級選手権はいずれも40分前後の試合が続いており、王者のオカダは底知れぬスタミナを見せつけて勝利を収めている。これはファレにとって未知なる領域。しかし、ファレが圧倒的なパワーで試合の主導権を握り、オカダが得意とする長期戦ではなく短期決戦で勝負をかければ、十分に勝機はある。 今回のIWGPヘビー級選手権は、大型外国人選手の“復権”もかかった重要な試合。ファレはベイダーを超える素質と、レスラーとして大切な柔軟さを持っているだけに、大いに期待したい。(どら増田)(C)新日本プロレス【新日Times vol.64】
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アイドル 2017年04月15日 21時00分
【帰ってきたアイドル親衛隊】初めて会って緊張のあまり会釈しか出来なかった中村あゆみ
私が高校2年になったばかりの頃に、強烈な印象を与えてくれた曲がある。それは中村あゆみの『翼の折れたエンジェル』である。ハスキーボイスでカッコいいサウンドで、初めて耳にした時にはなぜかすごく興奮していた思い出がある。しかしその時は、誰の何という曲かすらわからなかった。その曲は日清食品『カップヌードル』のCMソングとして起用されていたので、毎日のようにテレビで流れていたこともあり、CMのたびに高まっていた。 地元の友達に話しをしたら、すでにその友達は中村のことを良く知っていて、出遅れた私は必死になって、色々な情報を集めるようになっていた。翌月21日に2ndアルバム『Be True』が発売されるのだが、当時は金欠続きだったことで、発売してすぐに買うこともできず、当時主流だったレンタルレコードショップに行っても貸し出し中で、発売して1週間以上経っても聞くことができなかった。そんな時に中村あゆみを教えてくれた地元の友人が、レコードを買っていたので、カセットテープにダビングしてくれた。これまで『翼の折れたエンジェル』しか知らなかったのだが、どの曲を聴いても良曲で、ダビングしてもらったメタルテープが擦り切れるんじゃないかと思うくらいリピートして聴きまくっていた。 しかし私は楽曲がすごい好きなのに、なぜかコンサートなどに出向くことは無く在宅で聴くだけで満足していた。というのも当時は行きたい現場が多すぎて、手が回らなかったのが本音である。そんな矢先に私にとって大きな転機が訪れた。1986年12月頃に遂に中村と出会うことになった。その頃は『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)に素人としてだが出演していたので、頻繁にフジテレビに出入りをしていたので、たまたま『夜のヒットスタジオ』の本番がある日に私がフジテレビの廊下を歩いていたところ、目の前から中村が歩いてきたのである。かなり遠くからでも存在感があって、少しずつ近づくにつれて、私の心臓の鼓動が早くなってきた。目の前に中村が来た時に、何か話しかけようと思っていたが、とっさに取った行動は会釈だった。緊張しすぎて、その時にできた精一杯のことが会釈だった。我ながら情けないと思ってしまった。 悔しさも強かったが、翌年の12月には、このすれ違いを越える出来事が待っていた。両国国技館で新日本プロレスの興行が行われ、私はその時に会場整理のアルバイトをしていた、そこに偶然に中村が観戦に来たので、見つけた瞬間に近づき座席へと案内した。そこで歩きながらだが話しができた。今に思えば完全に職権乱用だが、その時は精一杯のおもてなしをしたつもりである。ちなみにこの日は、TPG(たけしプロレス軍団)がビッグ・バン・ベイダーを連れて来て、さらに暴動まで起こってしまったプロレス史に残る出来事があった日である。プロレス好きの私にとってはこんなすごい日に中村に会えたことも私の歴史の1ページとして刻まれた。 90年代以降は中村と会うことは無くなったが、プロレスラーの鈴木みのる選手が入場曲として中村の『風になれ』を使用していたこともあり、プロレス会場でも間接的だが中村を感じることができた。 中村に対して色々な思いがあったが、一度も生で歌っている姿を見たことが無かったのも現実である。ある時、中村のステージを観たいと衝動的に思ったことがあった。かなり時が経ってしまったが、2009年8月のことである。中村が『VOICEII』というアルバムを発売することになり、そのリリースイベントとして、ラゾーナ川崎でミニライブをすることになった。思い立った私は早朝から川崎に出向いて、最前列をキープ。ミニライブということで。5曲くらいしか歌わなかったが、そこで私が中村を知るキッカケになった『翼の折れたエンジェル』を歌ってくれた。さらにこのアルバムがカバーアルバムだったこともあり、別のアーティストの曲も披露してくれた。そこで尾崎豊の『僕が僕であるために』を歌ってくれた。まさかそこで大好きな尾崎の曲を歌ってくれるなんて思いもしなかった。私にとってすごいサプライズだった。30分程度の短いミニライブだったが、24年の歳月を経て、ようやく生のステージを観ることができた。 このミニライブを観てからすでに8年近くが過ぎてしまったが、今でも中村は現役で歌い続けているので、今度はミニライブではなくて、しっかりしたライブを観に行きたいと思っている。【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。
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