スポーツ
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スポーツ 2019年05月05日 20時00分
大関復帰を期す栃ノ心 復活したい夏場所の課題とは
“令和初”の本場所となる夏場所(12日から、東京・両国国技館)で、1場所での大関復帰をかける関脇栃ノ心。先月7日配信記事でもお伝えした通り、仮に復帰が現実のものとなれば実に14年ぶりの出来事となる。久しく成功者が出ていないこの難題をクリアするために、栃ノ心はどのような対応を取るべきなのか。今回は筆者が考える3つの事柄について、それぞれ順を追って触れていきたい。■まわしの確保 ここ1年、貴景勝(0勝3敗)、北勝富士(0勝3敗)といった力士に苦しんでいる栃ノ心。下半身にけがが相次いでいることもあり、突き押し相撲には苦しんでいる印象が強い。 一方、四つ相撲を得意とする逸ノ城(4勝0敗)や魁聖(4勝0敗)にはここ最近、無類の強さを発揮している。しっかりとまわしを確保することができれば、苦手の突き押し力士とも十分渡り合えるのではないか。■取りこぼしの減少 新大関で迎えた昨年名古屋場所からここまで、栃ノ心は55番相撲を取り26敗を喫している。この26敗の内訳を見ると、「対横綱・大関8敗、対関脇・小結8敗、対平幕10敗」と安易な取りこぼしが多いことが分かる。 2ケタを目指すにあたっては、当然ながら5回しか負けが許されない。上位陣が待ち受ける後半戦まで1つでも多く猶予を取っておくためにも、格下と対戦する前半戦は今以上に注意を払って臨むべきだろう。■平常心の維持 大関昇進以降の栃ノ心は、取組後に涙を流す姿がたびたび見られる。その人間味もまた栃ノ心の持つ魅力であることは否定しないが、取組ごとに一喜一憂していては翌日以降にも影響を及ぼしかねない。 大粒の涙を流すのは、悲願を達成した後でも遅くはない。それまでは勝っても負けても、「一日一番」の気持ちで平常心を維持し続けてほしいところだ。 「13勝2敗」をマークし、堂々の大関昇進を果たした昨年の夏場所。あれからちょうど1年が経つ同場所で、栃ノ心は“2度目”の大関昇進を成し遂げることはできるだろうか。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2019年05月05日 18時10分
ヒクソン・カレリン・メイウェザー〜平成の日本格闘技界に来襲した3人の男たち〜
昭和の時代は、アントニオ猪木が「格闘技世界一決定戦」を掲げたことをきっかけに、新日本プロレスに数多くの格闘家が来襲した。柔道のウィリアム・ルスカ、プロボクシングのモハメド・アリ、極真空手のウィリー・ウィリアムスら、今では実現不可能なカードが次々に実現した夢の時代だったと言えるだろう。 平成に入る直前に前田日明、高田延彦、藤原喜明、船木誠勝らによって第2次U.W.Fが誕生し格闘技の一大ブームを巻き起こした。さらにそのU.W.Fが分裂し、立ち技最強を掲げたK-1や、猪木の魂を継承する形で生まれた総合格闘技イベントPRIDEが誕生すると、外国人選手が日本のマットに上がり、日本人が優位だったはずの格闘界に脅威を与えた。 その中でも一度も負けず、平成の格闘界にインパクトを残した3人の格闘家を紹介したい。 「兄は僕の10倍強い」 全てはホイス・グレイシーのこの言葉から始まった。1993年7月にアメリカUFCのトーナメントで優勝したホイスは、兄ヒクソンをこのように評し「まだ強いやつがいるのか?」と世界中の格闘技ファンをざわつかせた。 「400戦無敗」というコピーも強烈で、1994年に『VALE TUDO JAPAN OPEN 1994』に初来日。トーナメントを3連勝、しかも全試合で完勝し、本当に強いことを証明した。同年12月にU.W.Fインターナショナルの安生洋二が道場破りを決行したが返り討ちに。結果的にこれが後の高田延彦戦への布石となった。 翌1995年にも『VALE TUDO JAPAN OPEN 1995』に来日。1回戦では前田がセコンドについたリングスの山本宜久を破ると、そのままチョークスリーパーを武器に3連勝、2年連続でトーナメントを制している。 1997年10月にPRIDEが旗揚げされると、東京ドーム大会のメインイベントで高田延彦と対戦。腕ひしぎ逆十字固めで一本勝ちし、格闘技界のみならずプロレス界にも影響を与えた。高田とは1年後に再戦したが、結果は変わらなかった。 前田らU.W.F出身の選手から「ヒクソンを止めなければ」とコメントが出る中、本格的に準備を始めていた船木が、2000年5月に『コロシアム2000』という単発興行で対戦。試合後、「最も強かったのはフナキ」とヒクソンが認めるほど船木はヒクソンにダメージを与えたが、最後はチョークスリーパーで落とされた。船木は「死んでもいい」覚悟でこの一戦に挑んでおり、ギブアップするつもりはなかったという。 息子の死などもあり、この試合を最後にヒクソンは公式な試合は行っていない。まさに伝説のファイターとなった。グレイシーブランドは今でも健在だが、ヒクソンを超える強い選手が令和の日本格闘技界に現れる可能性は低いのではないだろうか。 “上がるはずがない”選手が日本のマットに上がり、日本のトップと対戦した選手といえば、レスリング“霊長類最強の男”アレクサンドル・カレリンと、プロボクシングで5階級を制覇したフロイド・メイウェザーの2人だろう。 カレリンは何度か新日本への参戦が取り沙汰されたが、実現しなかった。ヒクソンや、マイク・タイソンとのドリームマッチを実現できなかった前田日明は、自身の引退試合の相手として、水面下でカレリンと接触。1999年2月、横浜アリーナ大会で対戦した。カレリンが判定勝ちを収めたが、見応えのある展開で立ち見客が入りきらないほど入った横浜アリーナは大熱狂。ロシアの英雄であり、世界レスリング界のレジェンドであるカレリンが他流試合を行った唯一の試合として、今でも高く評価されている。 メイウェザーは昨年の大晦日、日本の最強キックボクサー那須川天心と、ボクシングルールによるエキシビジョンマッチで対戦。「メイウェザーが日本のリングに上がるだけでも奇跡」という声が上がる中、過去の異種格闘技戦を研究してきたのか、ルールだけではなく体重差も10kg近くオーバーしており、エキシビジョンとはいえメイウェザー側のアンフェアな行為に非難が殺到した。 結果は1R2分19秒でメイウェザーがKO勝ち。メイウェザーが日本のリングに上がり天心と試合をするインパクトだけが残った試合だったが、この試合で主催のRIZINや、天心の名が世界に広まったのも事実。これは猪木対アリの試合後と似た現象になっている。 ヒクソンのように知る人ぞ知る最強戦士と、カレリンやメイウェザーのように世界的な知名度を誇るスーパースターが来襲した平成の格闘技界。令和にはどんな“外敵”が現れるのだろうか?既にマニー・パッキャオら来襲“候補”は出てきているだけにまずは年末に注目したい。※文中敬称略文 / どら増田写真 / 山内猛
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スポーツ 2019年05月05日 17時30分
山本由伸「絶対に“あれ”は食べますね」オリックス・京セラ選手食堂の断トツ人気はあのメニュー!
オリックスが本拠地としている京セラドーム大阪には、試合前後に食事ができる選手サロンが設けられている。選手からは「おいしい」と好評なのだがそれもそのはず。ロイヤルホストでおなじみの「ROYALグループ」のロイヤルコントラクトサービスが料理を提供しているのだ。果たして選手たちは試合前後にどんな食事をしているのだろうか。選手、ロイヤルコントラクト、そして球団関係者に話を聞いてみた。 「絶対にざるラーメンは食べますね」 開口一番、このように話してくれたのは、山本由伸。ざるラーメンは、今回話を聞いたうち9割の選手が注文すると答えてくれた一番人気のメニューだ。 ロイヤルコントラクト京セラドームスタジアムサービス店の井上正夫店長は「ざるラーメンは、かなり多くの選手のみなさんに召し上がっていただいてます。具はセルフなんですが、オリックスさん以外の球団や、ケータリング担当の方からレシピを聞かれることもあるんですよ。ありがたいことに『京セラのざるラーメンはおいしい』とみなさん、いろんなところで話されてるんでしょうね」と、ざるラーメンが他球団の選手にも好評だと明かしてくれた。 「ざるラーメンをおいしく食べるためにカレーを挟むこともありますし、エビピラフもセルフであるので食べますね。あとは唐揚げ!今年は先発に戻ったので、(食べる)間隔を開けてますが(笑)」 このように“ざるラーメン愛”が止まらない由伸だが、「つゆがうまい」と語ってくれた近藤大亮、西野真弘、西浦颯大ら、ざるラーメンファンは他にもいる。一方で山崎福也は、「ざるラーメンより僕は丼ですね」という。ちなみに昨年、全選手の中で注文数が1位だったというデータが残されている。2位は澤田圭佑。3位以下はあまり変わらないとのこと。 「私どもは、ビジターでは楽天さんとヤクルトさんにも提供させていただいてるんですが、以前、北川博敏さん(現ヤクルト二軍打撃コーチ)がいらした時に、うどんつゆにうどんではなくラーメンの麺を入れた『北川スペシャル』というのがありまして。楽天の選手の方から『北川スペシャルできますか?』と言われた時は驚きました」 そう笑う井上店長は「選手のみなさんはいろんなトッピングをして楽しまれている。おいしく召し上がっていただけているのはうれしい」と話していた。また昨年からは京セラドームの選手サロンで、夕食も提供するようになり、「20名ぐらいは利用されている」(井上店長)そうで、山崎福也は「ナイターの時は助かってます」と話している。 オリックスの久保充広管理部長は、「選手を管理するというほどガチガチなものではないんですけど、若い選手が多いので(重視するのは)『食に対する意識づけ』ですね。遠征先のホテルでも栄養士と話して、メニューをチェックしています。夕飯の提供は昨年から始めたのですが、これも栄養士の提案。『食べてから寝るより、食べて少し置いてから寝た方が吸収が良く、疲労回復につながる』との理由から取り入れました。ここ(京セラ)で夕飯を早く済ませればその分、就寝する前に練習に時間を割くこともできますからね」と語ると「今はかなり食に対する考え方が変わってきてると思います」と続けた。 「これから夏場になってくる。消化のいいものを提供して、選手の期待に応えたいですね」 井上店長は今後も可能な限り、選手や球団の要望に応えていき、チームを「食」の部分で支えていく意向。今年は体が大きくなった選手も多く、「食に対する意識づけ」は間違いなく浸透していると言ってもいいだろう。選手たちには、ざるラーメンパワーで厳しいペナントレースを乗り切ってもらいたい。取材・文 / どら増田写真提供 / ロイヤルコントラクトサービス
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スポーツ 2019年05月05日 15時00分
ベイスターズがもっと好きになる!「70th ANNIVERSARY MUSEUM」で野球歴史の勉強を!
横浜スタジアムに「70th ANNIVERSARY MUSEUM」がオープンした。昨年まで「BAYSTORE NAIYA 3F」のあったスペースで、入場は無料なので気軽に立ち寄れる。スポンサーは1949年から2002年にTBSへ譲渡するまでの53年間球団経営をしてきた「マルハニチロ」が務め、様々な貴重なアイテムが展示されている。 エントランスには、三原脩元監督の胴上げ写真や、秋山登さん、土井淳さんのバッテリーらが、当時の新聞の切り抜きと共に飾られており、オールドファンには嬉しいお出迎えエリアとなっている。 入場して左手には「HISTORY ROAD ZONE」があり、球団の代表的な出来事が列記された年表が展示されている。各年の成績や記録、だけではなく、“三浦大輔引退”など、印象的な出来事まで記されており、じっくり見たいエリアとなっている。 「GLORY ZONE」には、1960年の優勝時のトロフィーが2点、MVPの秋山登さんへ贈られたトロフィーも展示されている。 「FAMOUS SCENE ZONE」では、1960年の日本シリーズ優勝時のペナントを持ってグラウンドを回った際の写真や、様々なポスターがタペストリー風に吊されている。 「UNIFORM ZONE」は文字通り、歴代のユニフォームが飾られている。1959年の桑田武さん、60年代の稲川誠さんの他、背番号3番の1967年の平松政次さんの珍しいユニフォームが展示されている。 一番奥には「EXPERIENCE ZONE」があり、3月21日に大洋ホエールズ復刻ユニフォームで戦った際の写真が大きく展示されており、フォトスポットとして人気を博している。 その他、1960年の優勝ペナントや、珍しいところでは1959年の寄せ書きや、三原脩元監督の監督就任挨拶状、1950年の選手証などが飾られている。出口前には、白地に赤の"まるは"のフラッグに、ファンからの熱いメッセージが書き込まれている。 なお、展示物は定期的に変更されるとの事なので、「一回行ったからいいや」ではなく、ホームページでチェックして是非リピートしてもらいたい。 実際に訪れた際も、年配のファンが秋山投手のシリーズでの4連投の話をし、若いファンが驚くなど、世代を超えたコミュニケーションスペースとして活用されていた。 4月7日の巨人戦で球団創設通算4000勝を達成したベイスターズ。このミュージアムで今までの歴史を勉強して、より深く球団を愛してみてはいかがだろうか。 写真・取材・文 / 萩原孝弘
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スポーツ 2019年05月05日 06時00分
プロレス界に続く維新軍の歴史 平成維震軍に続く令和維新軍は結成されるのか?
先日「平成」が終わった。新元号「令和」になったわけだが、「昭和」から脈々と結成されている歴史的なユニットが維新軍である。 もともと維新軍は、藤波辰巳(辰爾)に「噛ませ犬」発言をし、新日本正規軍(現在の本隊)に反旗を翻した長州力が1980年代、マサ斎藤、アニマル浜口、キラー・カーン、タイガー戸口、谷津嘉章、小林邦昭、寺西勇とともに結成した昭和を代表する反体制ユニット。藤波だけではなく、アントニオ猪木、木村健悟、藤原喜明、前田明(日明)ら正規軍と激しくやり合った。 1984年には新日本プロレス興行改め、ジャパンプロレスに戸口を除くメンバーと、永源遙、栗栖正伸、保永昇男ら新日本の所属選手とともに大量移籍。マサ斎藤との革命軍から始まった「昭和維新」は団体設立、全日本プロレス参戦という団体の枠を超えるファンの夢をかなえた。後にスーパー・ストロング・マシン、ヒロ斎藤、高野俊二のカルガリー・ハリケーンズも合流。馳浩、佐々木健介といった新人も入団し、一大勢力となる。 しかし、1987年に分裂。長州ら大半の選手は新日本に戻ったが、谷津、仲野、永源、高野らは全日本に残留。カーンは嫌気がさして引退した。浜口も新日本で引退セレモニーを行った。昭和維新軍は、団体化した最初のユニットではないだろうか。 それから5年が経ち、1992年に選手会ともめた越中詩郎と小林邦昭が新日本本隊を離脱。誠心会館の青柳政司、齋藤彰俊、木村健悟も賛同し、反選手会同盟を結成する。翌年にはブロンドアウトローズを解散した後藤達俊、小原道由が加入し、名前を平成維震軍に改めた。 維新軍は昭和維新軍同様、結束力が高く、WARとの対抗戦にも本隊に先駆けて、天龍源一郎率いるWARに乗り込み開戦。全日本時代の先輩である天龍に越中が物怖じせず向かっていく姿はファンの胸を打った。その後、ザ・グレート・カブキも加入。平成維震軍の自主興行も開催するようになり、長州&谷津の昭和維新軍とも対戦している。野上彰(AKIRA)も加入したが、1999年に解散した。 解散後も節目には復活を繰り返しており、近年では武藤敬司がプロデュースするプロレスリング・マスターズや、今年1月に行われた越中のデビュー40周年記念興行では、平成生まれの新メンバー、真霜拳號が加入。平成が終わっても平成維震軍を継続すると宣言している。 平成維震軍は続くようだが、令和にも維新軍ができても不思議ではない。歴史が繰り返されることは、プロレス界の歴史を紐解けば分かること。令和維新は誰がどんな形で行動を起こしていくのか、大いに期待したい。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2019年05月04日 20時00分
悪い意味で忘れられない…プロ野球、伝説の“ハズレ外国人”
平成のプロ野球は、外国人選手の好不調がチームの「不沈の鍵」とも言われる。歴史に残る記録を打ち立てた選手がいる一方で、どうしようもない選手もいた。 そこで今回は1月に引き続き、平成を代表するハズレ外国人選手を振り返ってみたい。1、マイク・グリーンウェル(阪神タイガース) 1997年、ボストン・レッドソックスで通算打率3割超え、通算100本塁打以上という実績を引っさげ、年俸3億円で入団。4番打者としての活躍が期待されていた。 ところがキャンプ中、早々にアメリカに帰国すると、「故障した」としてなかなか来日せず、戻ってきたのは4月30日という有り様。ようやく5月3日から試合に出場した。 打撃センスは「さすが」と思わせるものを見せたグリーンウェルだが、5月10日の巨人戦で自打球を足に当てると、まさかの骨折。すると「神のお告げがあった」として、引退を決めてしまう。年俸3億円の男は、わずか7試合で帰国してしまったのだ。 7試合、ヒット6本で億単位の年俸を稼ぎ、勝手に神のお告げを信じて帰国したグリーンウェルは、日本野球史上最悪の外国人選手として現在も語り継がれている。2、ケビン・ミッチェル(福岡ダイエーホークス) メジャーリーグで200本を超える本塁打を放ち、1989年には本塁打王・打点王に輝いた実績を持つバリバリのメジャーリーガーで、1995年に就任した王貞治新監督の肝いりの助っ人として入団した。 開幕戦初打席で満塁ホームランを放ち、その高い実力を示したミッチェルだが、故障を理由に欠場する。検査では異常が見つからなかったことから、「仮病」と揶揄される中、5月末に治療のため一時無断で帰国してしまう。 8月に来日するものの、またもや無断帰国。球団は解雇したが、ミッチェルは残りの年俸を支払うよう裁判を起こした。終始日本野球をナメていたミッチェル。その尊大な態度は史上最悪と言っても過言ではないだろう。3、ホワン・アイケルバーガー投手(ヤクルトスワローズ) 1989年ヤクルトスワローズに入団。クローザーとして期待された。ところが巨人との開幕第2戦の9回裏に登場すると1死も取れず満塁のピンチを迎え、ワイルドピッチでサヨナラ負け。その後もサッパリで、5月に解雇されてしまった。 すぐに忘れ去られてしまいそうな選手ではあるが、その特徴的な名前を記憶にとどめている人は多い。当時の関根潤三監督は「名前が面白いから獲った」と言ったのだとか。4、ジョシュ・コラレス投手(東北楽天ゴールデンイーグルス) 2015年に社会人野球の三菱日立パワーシステムズ横浜に入部。目立った活躍ができず、2016年にBCリーグの富山GRNサンダーバーズに移籍する。すると2017年は防御率1点台の好成績を残し、シーズン途中に楽天と契約した。 チームが優勝争いをしていた8月、二軍でも不振が続いていたコラレスが目下の敵である西武ライオンズ戦で初先発した。どのような投球を見せるか注目されたが、コントロールが安定せず四球を連発し、3回5失点で降板。楽天が追いついたため負けはつかなかったが、チームは痛い星を落とした。 この後、楽天は大失速し、優勝戦線から脱落。その様子はまさに「急降下」で、ファンの間では失速のきっかけとなったコラレスの先発試合を「コラレスショック」と命名した。 コラレスは若さを買われて2018年も楽天と契約するが、1軍登板はなく、解雇に。合同トライアウトにはTシャツ姿で参加し150キロの速球を投げ込んだが、獲得球団はなし。現在はメキシコのキンタナロー・タイガースに所属している。 平成が終わり、令和になることが決まった日本。令和の時代、「ダメ外国人選手」にはなるべくなら来てもらいたくないものだ。
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スポーツ 2019年05月04日 17時30分
“令和の新大関”貴景勝 “新横綱”になるための課題とは?
先の3月場所で「10勝5敗」をマークし、見事に“令和の新大関”となった貴景勝。この勢いのまま“令和の新横綱”まで上り詰めようと、本人は強く心に期していることだろう。ただ、横綱の座をつかむには、クリアすべき課題が多いことも事実。そこで、今回は筆者が考える3つの課題について、それぞれ順を追って述べていきたい。■立ち合い ハマれば絶大な威力を発揮するが、豪栄道や御嶽海のように下がらず対応してくる力士には分が悪い貴景勝の立ち合い。突き押し一本の立ち合いに関しては、「まわしを取ることも覚える必要がある」との指摘も少なくない。 だが、慣れないスタイルに手を出すよりは、今の立ち合いをより低く、より鋭く、より強く改良する方が確実に割に合っている。競技は違うが、吉田沙保里さん(元女子レスリング選手)の高速タックルのような、「分かっていても防げない」レベルまで行けば未来は明るい。■劣勢時の対策 先に書いたように、貴景勝のスタイルはまわしを求めない突き押し相撲。そのため、相手に胸を合わせられた際には、まわしを切って距離を離さないとそのまま“料理”されてしまう。 この点に関して、参考にしたいのが白鵬の相撲。改めて言うまでもないことだが、白鵬は腰を使ってまわしを切り、劣勢から抜け出すのが非常にうまい。歴代1位の優勝回数(42回)を誇る、大横綱の“メソッド”を盗まない手はない。■怪我防止 今回挙げた3つの中で、筆者が最も危惧するのはこの点。最近では稀勢の里や栃ノ心がそうだったように、怪我を負った力士はまたたく間に凋落することになる。 いらぬ怪我を防止するためには、とにもかくにも稽古が大事。突き押しの威力を生む下半身の鍛錬も合わせ、今以上に精力的に取り組む必要があるだろう。 突き押しだけで横綱となった力士がいないことを理由に、「横綱昇進は厳しい」という見方もされている貴景勝。これらの課題をクリアし、堂々と“前例”になってくれることを期待したい。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2019年05月04日 15時00分
“俺達の福浦”“魂のエース”そして… 平成を代表したロッテ戦士達!
球団別に平成時代を代表する選手を振り返る企画第5弾は、川崎市から千葉市に移転し、熱いファンの声援とともに日本一になるなどイメージを大きく変えた千葉ロッテマリーンズだ。①福浦和也 地元習志野高校のエースとして活躍し、ドラフト7位で入団。背番号は70でお世辞にも期待された存在ではなかった。 プロ入り後、山本功児二軍打撃コーチ(当時)に打者転向を勧められ、半ば強引に投手を諦める。この判断が大成功で、1997年にレギュラーをつかむと、広角に打ち分けられる打者に成長。2001年には打率.346を記録し、首位打者を獲得。その後2006年まで6年連続で3割をクリアし、ロッテの顔として活躍した。 2012年以降はスタメンを外れることも多くなった福浦だが、要所で力を見せ、2018年、42歳で2000安打を達成。そして2019年、今シーズン限りでの引退を表明した。まさに平成とともに野球人生を歩んだ選手で、「平成の千葉ロッテ」を代表する打者であることは間違いない。②黒木知宏 1994年のドラフトでロッテに入団。1年目から即戦力として活躍し、1997年に12勝を挙げ中心選手となる。 1998年にはプロ野球ワーストとなったチーム18連敗の17戦目(引き分けを挟むと18戦目)で、連敗ストップの期待がかかったオリックス戦に登板したが、9回2アウトから同点ホームランを打たれマウンドにうずくまってしまう。その姿は見る者に強いインパクトを与えた。 そんな黒木は同年13勝を挙げ最多勝を獲得。低迷するロッテの中で、1人気を吐いた姿に、胸を打たれたファンは多い。 当時弱小といわれたロッテで、5年連続二桁勝利を達成し名実ともにロッテのエースとなった黒木。ジョニーと呼ばれる端正なマスクながら、投球スタイルは闘志むき出しで、あのイチローも好敵手として認めていた。 2001年以降は肩の故障で本来の姿を取り戻せず、2007年シーズン限りで引退した。その存在は記録よりも記憶に残る投手だった。③初芝清 東芝府中からロッテに入団。落合博満がたどったコースと同じということで、当初0だった背番号が6に変更された。 初年度から一軍に定着し、以後4番サードとしてチームの顔に成長する。良くも悪くも目立つ存在で、「幕張のファンタジスタ」などと呼ばれた。もちろん実力も伴っており、1995年にはイチロー(オリックス)、田中幸雄(日本ハム)とともに打点王を獲得。勝負強い打撃でチームを引っ張り、いつしかファンは彼を「Mr.マリーンズ」と呼ぶようになった。 晩年は代打に回り、代打7打席連続安打の日本記録を作った初芝。2005年、引退を表明するとチームはプレーオフを勝ち抜き、リーグ優勝。そして日本シリーズも阪神を完膚なきまでに叩きのめし、日本一となる。初芝にとっては川崎球場時代には考えられなかった「リーグ優勝」と「日本一」を経験し、最高の花道となった。 そんな初芝は現在セガサミー野球部の監督として指揮を執っている。 川崎から千葉への移転、そして最下位常連から、ボビー・バレンタイン監督の指導でリーグ優勝、日本一を経験し、現在はまたも低迷気味のロッテ。ロッテにとって平成は、浮き沈みの激しい時代だった。文・櫻井哲夫
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スポーツ 2019年05月04日 11時40分
IWGPヘビー級新王者オカダ・カズチカ、初防衛戦は「約束通り」“同い年”のSANADA!
オカダ・カズチカの次戦は「約束通り」の相手だ。 日本時間4月7日、アメリカのニューヨーク・マディソン・スクエア・ガーデン(MSG)大会に、日本人プロレスラー史上3人目となるメインイベントに出場。モンスター化したジェイ・ホワイトからIWGPヘビー級王座を奪取した。10カ月ぶりに戴冠し、平成最後のIWGPヘビー級王者となったオカダは、3月に開催された『ニュージャパンカップ2019(NJC)』の決勝で対戦したSANADAを初防衛戦の相手に指名した。 NJC決勝でSANADAを倒した際、オカダが「アメリカから帰ってきたらまずSANADAさんともう1回やるよ」と再戦をファンに約束しており、これを守った形だ。2人は5月4日、『レスリングどんたく 2019』福岡国際センター大会2日目のメインで戦う。 オカダとSANADAは同い年ということもあり、内藤哲也と飯伏幸太のように「自分らの世代で盛り上げたい」という気持ちが強い。しばらく先輩ばかりの状況が続いていたオカダにとって、ライバルになり得る同い年のSANADAが新日本マットに来たのは大きいのだろう。 歴代最多防衛V12の記録を持つオカダが、新たな防衛ロードの記念すべき初戦でスケール感の大きな戦いを見せてくれそうだ。SANADAとしてはリベンジ、そして新日本で初のシングル戴冠がかかる。NJCではシングルプレーヤーとして実力を発揮しただけに、抜群の身体能力とプロレスセンスが開花するのか?SANADAはまだオカダから勝利を収めていないが、今回はどうなるか。 また、今大会では「カミングスーン映像」が流れていたバレットクラブの新メンバーXがついにお披露目される。Xは石森太二と組み、ドラゴン・リーとウィル・オスプレイのハイフライヤータッグと対戦する。バレットクラブ所属ということ以外は何も分からないXだが、場内ビジョンで流れている噂のニューメンバーは、外国人の“あの”選手なのか?13日に開幕するジュニアヘビーの祭典『ベスト・オブ・スーパーJr.』に向けてインパクトを残すことができるのか注目したい。 今大会は福岡在住の獣神サンダー・ライガーにとって、キャリア最後の『レスリングどんたく』となる。なお、棚橋弘至は左肘の負傷で今シリーズを全休する。復帰時期は未定。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2019年05月04日 06時00分
野球ファン以外からも称賛殺到!平成のスター、イチローの妻・弓子夫人伝説とは
3月21日に現役引退を発表したマリナーズのイチロー選手を称える声はいまだに多く聞かれている。間違いなく平成のスターのひとりとなったイチロー選手だが、その功績の裏にはイチロー選手を支え続けた妻の存在があった。 「イチロー選手は21日の試合後、都内で会見を行いましたが、その中で弓子夫人について、『頑張ってくれましたね。一番頑張ってくれたと思います。僕はゆっくりする気はないですけど、妻にはゆっくりしてほしいと思います』と発言。妻を想う姿勢に称賛の声が多く寄せられ、話題になりました」(芸能ライター) 野球選手として数々の伝説を残したイチロー選手だが、伝説を作る夫を支え続けた弓子夫人の“伝説”にも今、注目が集まっているという。 「イチロー選手は会見の中で、『ゲーム前にホームの時はおにぎりを食べるんですね。妻が握ってくれたおにぎりを。その数が2800くらいなんですよ。(妻は)3000行きたかったみたいですね』と語っていましたが、実はイチロー選手はかなりの偏食。独身時代は焼肉屋で牛タンばかり食べていたといいます。12年にはアメリカでイチロー選手のドキュメンタリー映像が作られましたが、食生活が偏り過ぎており子どもが真似したら困るという理由で医療支援団体からクレームがつき、放送見送りになった過去もあります」(同) 弓子夫人はそんなイチロー選手のためにスポーツ栄養学を学んでいた。おにぎりのお米は山形の農家にこだわり、水やパンはこだわりの産地から取り寄せ、野菜は専業農家と直接取引をして買い付けていたという。 「また、試合開始時間を逆算して料理を始めるのはもちろん、食べる速度まで計算して出すとのこと。献立は年齢を考慮して臨機応変に変え、偏食のイチロー選手のために工夫を凝らし、野菜を細かく切り刻んで料理に混ぜるなどの努力をしてきたそう。このこだわりがイチロー選手の現役生活を支えてきたことは間違いないようです」(同) 多くの野球ファンから惜しまれたイチロー選手の引退だが、弓子夫人の内助の功にも「イチローは超一流の選手だったけど奥様も超一流の奥様だったんだね」「奥様いなかったらイチロー選手もここまでヒット打ててないかもね」「イチローも凄いが奥様も凄い」と称える声が集まっていた。
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「時代」を彩った男と女・あの人は今 第60代横綱、双羽黒こと北尾光司さん
2010年01月28日 13時00分
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阪神・金本契約更改のドタバタ!
2010年01月27日 16時00分
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前ロッテ・清水は尾花イズムに付いていけない?
2010年01月27日 14時00分
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「時代」を彩った男と女・あの人は今 女子プロレス・アジャコングさん
2010年01月27日 13時00分
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貴乃花潰しが逆効果!! 若手親方衆の改革ムードが広がる 作戦参謀は景子夫人か!
2010年01月27日 10時25分
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菊池雄星は第二の江夏豊だ!
2010年01月26日 13時00分
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やる気なし? 朝青龍が優勝でどうなっちゃうの相撲界
2010年01月25日 15時00分
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“ストレイト”なガチバカ一直線!? 貴乃花と船木誠勝に相通ずる“マッドネス”
2010年01月25日 13時00分
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菊池雄星の一軍キャンプ帯同は営業絡み!?
2010年01月23日 13時00分
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甲子園スターの伸び悩みで高井雄平が投手再転向
2010年01月22日 14時00分
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スポーツ
貴乃花の“造反”の陰に、北の湖の“復讐”あり!?
2010年01月22日 12時30分
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スポーツ
今年は寅年 阪神の行方は? そして意外なライバルが!?
2010年01月21日 14時00分
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「時代」を彩った男と女・あの人は今 元・阪神の亀山つとむさん
2010年01月20日 15時00分
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腹心・小林繁コーチを失った梨田監督は前途多難…
2010年01月19日 19時00分
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「時代」を彩った男と女・あの人は今 元柔道選手・山口香さん
2010年01月19日 13時30分
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57歳の早すぎる死…小林繁氏を悼む
2010年01月19日 01時00分
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高田ヤクルトの士気を奪う経費節減…
2010年01月18日 14時00分
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「時代」を彩った男と女・あの人は今 元全日本女子バレーボール監督・山田重雄さん
2010年01月18日 13時00分
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星野SD以上!? 原、岡田両監督の意外な評判
2010年01月16日 14時00分