小林氏のキャリアを語る上でけっして外せないのが、言うまでもなく「空白の一日」を経た、江川卓氏との電撃トレードであろう。金子鋭コミッショナー(当時)が、「江川氏の入団が認められなければセ・リーグ脱退」を匂わせる巨人サイドの圧力に屈する形で、ドラフトで阪神に指名された江川氏の、トレードでの巨人入団を強固に後押し。小林氏が江川氏とのトレードを告げられたのは、春季キャンプに向かう空港でのことだった。
79年1月31日のその日から、小林氏と江川氏は数奇な運命に巻き込まれ、以降けっして交わることはないものの、お互いに酷似した現役生活を辿ることとなる。ともに肩痛が原因とはいえ、余力を残した印象を与えたまま、若くして引退した小林氏と江川氏。二人とも40歳までプレーし続けていれば軽く200勝はクリアできたろうが、納得いくピッチングができなくなったと自己判断した途端、記録への執着をまったく見せずに、あっという間に現役生活に見切りをつけた。その現役生活同様、いささか見切りの早すぎる死に様を見せた小林氏に、江川氏は何を思ったことか…。
巨人・阪神という二大人気球団でプロのキャリアを積み、いずれもエースとして獅子奮迅の活躍を見せた小林氏。周囲からのプレッシャーが他球団とは比較にならないほど甚大な両球団でトップを張り続けた経験を、今季より日本ハムの投手コーチ業で活かすはずであった。否、むしろその貴重な経験は、日本ハム球団はおろか、球界全体の財産となり得たであろう。早すぎた死が惜しまれる。