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“俺達の福浦”“魂のエース”そして… 平成を代表したロッテ戦士達!

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福浦和也

 球団別に平成時代を代表する選手を振り返る企画第5弾は、川崎市から千葉市に移転し、熱いファンの声援とともに日本一になるなどイメージを大きく変えた千葉ロッテマリーンズだ。

①福浦和也

 地元習志野高校のエースとして活躍し、ドラフト7位で入団。背番号は70でお世辞にも期待された存在ではなかった。

 プロ入り後、山本功児二軍打撃コーチ(当時)に打者転向を勧められ、半ば強引に投手を諦める。この判断が大成功で、1997年にレギュラーをつかむと、広角に打ち分けられる打者に成長。2001年には打率.346を記録し、首位打者を獲得。その後2006年まで6年連続で3割をクリアし、ロッテの顔として活躍した。

 2012年以降はスタメンを外れることも多くなった福浦だが、要所で力を見せ、2018年、42歳で2000安打を達成。そして2019年、今シーズン限りでの引退を表明した。まさに平成とともに野球人生を歩んだ選手で、「平成の千葉ロッテ」を代表する打者であることは間違いない。

②黒木知宏

 1994年のドラフトでロッテに入団。1年目から即戦力として活躍し、1997年に12勝を挙げ中心選手となる。

 1998年にはプロ野球ワーストとなったチーム18連敗の17戦目(引き分けを挟むと18戦目)で、連敗ストップの期待がかかったオリックス戦に登板したが、9回2アウトから同点ホームランを打たれマウンドにうずくまってしまう。その姿は見る者に強いインパクトを与えた。

 そんな黒木は同年13勝を挙げ最多勝を獲得。低迷するロッテの中で、1人気を吐いた姿に、胸を打たれたファンは多い。

 当時弱小といわれたロッテで、5年連続二桁勝利を達成し名実ともにロッテのエースとなった黒木。ジョニーと呼ばれる端正なマスクながら、投球スタイルは闘志むき出しで、あのイチローも好敵手として認めていた。

 2001年以降は肩の故障で本来の姿を取り戻せず、2007年シーズン限りで引退した。その存在は記録よりも記憶に残る投手だった。

③初芝清

 東芝府中からロッテに入団。落合博満がたどったコースと同じということで、当初0だった背番号が6に変更された。

 初年度から一軍に定着し、以後4番サードとしてチームの顔に成長する。良くも悪くも目立つ存在で、「幕張のファンタジスタ」などと呼ばれた。もちろん実力も伴っており、1995年にはイチロー(オリックス)、田中幸雄(日本ハム)とともに打点王を獲得。勝負強い打撃でチームを引っ張り、いつしかファンは彼を「Mr.マリーンズ」と呼ぶようになった。

 晩年は代打に回り、代打7打席連続安打の日本記録を作った初芝。2005年、引退を表明するとチームはプレーオフを勝ち抜き、リーグ優勝。そして日本シリーズも阪神を完膚なきまでに叩きのめし、日本一となる。初芝にとっては川崎球場時代には考えられなかった「リーグ優勝」と「日本一」を経験し、最高の花道となった。

 そんな初芝は現在セガサミー野球部の監督として指揮を執っている。

 川崎から千葉への移転、そして最下位常連から、ボビー・バレンタイン監督の指導でリーグ優勝、日本一を経験し、現在はまたも低迷気味のロッテ。ロッテにとって平成は、浮き沈みの激しい時代だった。

文・櫻井哲夫

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