現在でこそ代表チームが常設され、WBCや今秋に行われるプレミア12など国際大会が定期的に行われるようになり、多くのプロ選手が代表チームで活躍を見せているが、プロが日の丸を背負うきっかけとなったのはオリンピックを勝ち抜くことを目指したのが始まりだった。
■歴史的なプロ・アマ合同チームも
プロ野球選手の出場が解禁となった1999年のシドニー五輪予選には8人のプロ選手が参加。史上初のアマチュア選手との合同チームが結成され大きな話題を呼んだ。古田敦也や松坂大輔らが送り込まれ、予選では韓国には敗れたものの台湾との死闘を制し、危ぶまれていた五輪切符を手にした。
翌年のシドニー五輪でもプロ選手が日本代表として出場、プロ・アマ合同チームで挑む。予選に続き参加の松坂、中村紀洋や田中幸雄、黒木知宏といったパ・リーグの主力を中心が名を連ねた。しかし、メダルを争った上位3チーム(キューバ・アメリカ・韓国)には一度も勝利を挙げられず、4位に終わる。
2004年のアテネ五輪はメンバー全員がプロ選手。監督も長嶋茂雄氏(本大会では中畑清氏が代行)が指揮を執り、「オールプロ」で悲願の金メダルを狙う。予選リーグにおいて宿敵キューバを破って突破し一気に金メダルへの期待が膨らんだが、準決勝で伏兵のオーストラリアに苦杯、3位決定戦でカナダを破り銅メダル獲得にとどまった。さらに2008年の北京五輪でもプロ選手のみ、かつ、1チームから招集できる人数制限もなくなり万全の態勢で北京に乗り込んだ。だがここでもライバル国との直接対決ではことごとく星を落とし、メダルなし。ベンチワークも含め勝負所での凡ミスが相次いだ。
■永く記憶に残る戦いとプロの技術を
日本は公開競技として行われた1984年のロス大会以降、来年の東京も含めると世界で唯一、連続で出場を果たすことになる。それでもプロ参加となってからはシドニー、北京と2大会でメダルを逃すなど思うような結果を残せていない。それどころか、苦戦を強いられた場面ばかりが思い浮かんでしまう。
ただ、今後、五輪競技として定着せず、さらにこの先もその舞台で競技が開催されない可能性が高くなってしまったことで、かえって選手たちには来年の東京での戦いが地元開催という意味合い以外でも重要度が増したことは間違いない。
これまで多くの競技がそうであったように、五輪の舞台で心を揺さぶるような場面が、来年の東京五輪の野球競技でも見られることを願わずにはいられない。金メダル獲得の他にも、日本のみならず世界中の野球ファンの記憶に残り続ける「プロの技」を見せつけてもらいたい。(佐藤文孝)