そこで今回は1月に引き続き、平成を代表するハズレ外国人選手を振り返ってみたい。
1、マイク・グリーンウェル(阪神タイガース)
1997年、ボストン・レッドソックスで通算打率3割超え、通算100本塁打以上という実績を引っさげ、年俸3億円で入団。4番打者としての活躍が期待されていた。
ところがキャンプ中、早々にアメリカに帰国すると、「故障した」としてなかなか来日せず、戻ってきたのは4月30日という有り様。ようやく5月3日から試合に出場した。
打撃センスは「さすが」と思わせるものを見せたグリーンウェルだが、5月10日の巨人戦で自打球を足に当てると、まさかの骨折。すると「神のお告げがあった」として、引退を決めてしまう。年俸3億円の男は、わずか7試合で帰国してしまったのだ。
7試合、ヒット6本で億単位の年俸を稼ぎ、勝手に神のお告げを信じて帰国したグリーンウェルは、日本野球史上最悪の外国人選手として現在も語り継がれている。
2、ケビン・ミッチェル(福岡ダイエーホークス)
メジャーリーグで200本を超える本塁打を放ち、1989年には本塁打王・打点王に輝いた実績を持つバリバリのメジャーリーガーで、1995年に就任した王貞治新監督の肝いりの助っ人として入団した。
開幕戦初打席で満塁ホームランを放ち、その高い実力を示したミッチェルだが、故障を理由に欠場する。検査では異常が見つからなかったことから、「仮病」と揶揄される中、5月末に治療のため一時無断で帰国してしまう。
8月に来日するものの、またもや無断帰国。球団は解雇したが、ミッチェルは残りの年俸を支払うよう裁判を起こした。終始日本野球をナメていたミッチェル。その尊大な態度は史上最悪と言っても過言ではないだろう。
3、ホワン・アイケルバーガー投手(ヤクルトスワローズ)
1989年ヤクルトスワローズに入団。クローザーとして期待された。ところが巨人との開幕第2戦の9回裏に登場すると1死も取れず満塁のピンチを迎え、ワイルドピッチでサヨナラ負け。その後もサッパリで、5月に解雇されてしまった。
すぐに忘れ去られてしまいそうな選手ではあるが、その特徴的な名前を記憶にとどめている人は多い。当時の関根潤三監督は「名前が面白いから獲った」と言ったのだとか。
4、ジョシュ・コラレス投手(東北楽天ゴールデンイーグルス)
2015年に社会人野球の三菱日立パワーシステムズ横浜に入部。目立った活躍ができず、2016年にBCリーグの富山GRNサンダーバーズに移籍する。すると2017年は防御率1点台の好成績を残し、シーズン途中に楽天と契約した。
チームが優勝争いをしていた8月、二軍でも不振が続いていたコラレスが目下の敵である西武ライオンズ戦で初先発した。どのような投球を見せるか注目されたが、コントロールが安定せず四球を連発し、3回5失点で降板。楽天が追いついたため負けはつかなかったが、チームは痛い星を落とした。
この後、楽天は大失速し、優勝戦線から脱落。その様子はまさに「急降下」で、ファンの間では失速のきっかけとなったコラレスの先発試合を「コラレスショック」と命名した。
コラレスは若さを買われて2018年も楽天と契約するが、1軍登板はなく、解雇に。合同トライアウトにはTシャツ姿で参加し150キロの速球を投げ込んだが、獲得球団はなし。現在はメキシコのキンタナロー・タイガースに所属している。
平成が終わり、令和になることが決まった日本。令和の時代、「ダメ外国人選手」にはなるべくなら来てもらいたくないものだ。