スポーツ
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スポーツ 2009年06月16日 15時00分
全日本 武藤が三沢へ悲壮な誓い
全日本プロレスの武藤敬司社長は15日、都内の同事務所で緊急会見。13日に急逝したプロレスリング・ノアの三沢光晴社長に追悼コメントを捧げた。ついに実現することなく幻に終わったシングル対決に悔しさをかみ締めながら、決意も新たにプロレス界の発展へ一致団結していくことを誓った。 天才はやり切れない気持ちでいっぱいになっていた。 この日、都内の事務所で報道陣の取材に応じた武藤。13日の夜に会社や関係者から連絡を受け、訃報を知った。「全然(頭の中で)理解出来ないですね。オレ以上のキャリアはあるし、バックドロップも数多く受けて、何でそのバックドロップでダメだったのか」と信じられない様子。 さらに「夢の戦いどうするんだって。一騎打ちどうするんだって」と悔しさをにじませた。 三沢さんとの初遭遇はデビュー20年目を迎えた2004年。ノアの7月の東京ドーム大会のGHCタッグ王座戦で初対戦し、10月の全日プロ両国大会では、タッグを結成した。「いつかはシングルを」との願いは叶わなくなってしまった。 やり切れない思いは募るばかりで「本当は腹わって酒飲んで未来を語ったり、愚痴言ったりしたかったですね」と本音をこぼす場面も見られた。 三沢さんと武藤といえば、全日本の四天王、新日本の闘魂三銃士としてトップを張り続け、比較もされてきた。その後、三沢さんはノアを旗揚げ。武藤は全日プロに移籍し、共に団体の顔として君臨している。 それだけに「これからプロレス界をどう引っ張っていくかの道しるべが無い中で、オレも模索しながら、三沢社長も模索しながら。そういう部分では、本当にライバルを超えた同士的な(存在)」と意識している部分もあった。 ただ、このまま悲しんでばかりもいられない。「かといってオレも立ち止まるわけにはいかない」と、前を向き「ケガのことだけじゃなく、興行の部分であったりみんなでまとまる形ができれば。そういう形で頑張ったほうが気持ちも楽になると思う」と協調路線を主張。追悼興行が開催された場合には「主旨がどういうものかわかったら」と語った。プロレス界を発展させるため。武藤は歩みを止めることをやめない。 三沢さんの死は以外なところにも影響が出ている。 ノアは大手コンビニエンスストア「ローソン」とのコラボレーション企画でポイントカードを導入していた。これはポイントに応じ、好きな商品がもらえるというもので、3月1日〜5月31日までの期間「好きな選手のサイン入り写真パネル」をプレゼントしていた。 だが、三沢さんが事故で亡くなったことによりサインを入れることが不可能となってしまった。そのため「三沢選手のパネルを選ばれた方には、変更してもらうことになりました」(同社広報部)という。 「プロレスファンの皆様からは人気がすごく高かっただけに残念です」(同) サイン入り写真パネルを心待ちにしていたファンにとってはダブルショックとなってしまった。
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スポーツ 2009年06月16日 15時00分
ノアの暴れん坊・杉浦『新日の秘宝』狙う!
三沢さん、見ていて下さい。必ず新日本の壁を打ち破ってみせます。ノアの暴れん坊・杉浦貴が13日、急逝した三沢光晴社長に新たな誓いを立てた。杉浦は6月20日、新日本プロレスの大阪大会(府立体育会館)に対抗戦のメンバーとして出場が決まっており、スペシャルシングルマッチで後藤洋央紀と対戦する。そして杉浦の狙いは、もう一つ先の新日本の至宝盗りにあるのだ。 今年の1・4東京ドームを機に本格開戦した新日本とNOAHの全面対抗戦だが、両団体の扉はこれまで長く凍りついた状態が続いていた。永田裕志と秋山準のパイプから交流が始まったのが2001年。その後、新日本とNOAHは何度となく対抗戦を行ってきたが、サイモン猪木氏が新日本の社長を務めた05年下半期ごろから関係が悪化。以降、団体間の扉は閉ざされた。 その扉が再び開かれたのが昨年9月。新日本のジュニアタッグチーム、裕次郎&内藤哲也のNO LIMITがNOAH9・6日本武道館大会を訪れ、当時のGHCジュニアタッグ王者・金丸義信&鈴木鼓太郎を挑発。この流れから9・27大阪大会で同選手権試合が行われ、約4年ぶりに両団体の主義主張がリングで交わった。 ジュニア戦線で勃発した対抗戦の炎はヘビーにも飛び火。現IWGPヘビー級王者・中西学が専修大の後輩であり、因縁浅からぬ秋山準との対戦を口にしたことで、両団体の交渉は進み、09年1・4ドーム大会で中西VS秋山という現時点では両団体のトップに立つ二人のシングル、そして中邑真輔&後藤洋央紀VS三沢光晴&杉浦貴のタッグ戦が実現した。 1・4ドームでの両団体の戦績は1勝1敗となったが、敗れた杉浦が対抗戦における勝負強さを遺憾なく発揮。その後も杉浦は新日本との闘いには積極的に出陣。勝利と内容を新日本ファンに見せつけ、その結果、6・20大阪ではIWGPヘビー挑戦経験もある後藤戦を実現させた。 「待ち遠しいね。結果は当たり前。勝つと同時に新日本のファンにスゲーって思わせる試合をする」 不敵に言い放つ杉浦は、勝利と内容を残すことで狙うものは何か? 新日本の至宝IWGPヘビーだ。かねて杉浦は「新日本の選手全員とシングルでやりたいね」と放言していたが、それはNOAH勢の誰もが成しえていない至宝強奪を見据えてのこと。 「IWGP? いいねぇ」と舌なめずりする杉浦。いわゆるリップサービスなどではない。本気で至宝取りを狙う構えなのだ。 対する、新日本サイドも現王者・中西が1・4ドーム大会で秋山に敗れているだけに、NOAH勢の挑戦となれば受けて立たざるをえないだろう。また挑戦者・棚橋も、05年7月のNOAH東京ドーム大会で当時のGHCヘビー級王者・力皇猛に完敗を喫したことをいまだに引きずっており、方舟戦士がIWGPヘビー挑戦に動き出すとなれば願ったり叶ったりといった状態。新日本側としてもNOAH勢との頂上決戦は臨むところなのだ。 今後の成り行きが注目される。
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スポーツ 2009年06月16日 15時00分
ドクター林の元気があれば何でもできる レスラーの事故死は防げる
なんと、あの三沢選手がバックドロップを受けてそのまま帰らぬ人になってしまったのだ。後に発表された死因は「頸髄(けいずい)離断」。頸髄から心臓などに神経が行っているため、それが切れてしまうと心停止するのは当然のことだ。以前より首が悪いということは聞いており、恐らく頚椎の椎間板ヘルニアと思われるが、そのため頸髄が弱っていたと推測される。そこに加えて社長としての付き合い、ストレスなどで睡眠時間も無いような生活をしていたようなので、過労から受身を取りそこなったのではないか。そして脆弱化していた頸髄が一発の技で切れてしまったのではないか。 プロレス技というのは危険極まりないものがあり、レスラーは死と隣り合わせで試合をしているといっても過言ではない。レスラーは体力を過信せず、技が危険になればなるほど日々のトレーニングを怠らず、試合前には節制して良いコンディションで試合に臨んでほしいと思う。そして、体調が悪いと思ったら休んでほしい。それが不慮の事故から身を守ると共にお客さんに一層の感動を与えるものだと確信する。<プロフィール>ドクター林 本名 林雅之 千葉市出身 秋田大学医学部卒業 東京都江戸川区で弘邦医院開業 プロレス、格闘技のリングドクターも務めている
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スポーツ 2009年06月15日 15時00分
球界因縁のライバル(15)〜森VS長嶋(上) あと一歩だった「森・巨人監督」が夢と消えたワケ
西武監督から巨人監督へという、広岡達朗氏の野望は、頼みの参謀・森祇晶氏がポスト広岡として西武新監督に就任したために、夢と消えた。しかし、歴史は繰り返すか。西武で常勝監督の名をほしいままにした森氏にとっても悲願だった巨人監督就任は、一度は内定しながら急転してご破算になっている。「森が監督になるのなら、絶対に辞めない」という長嶋監督の体を張った続投宣言の前に巨人側、森氏が腰を引いたからだ。 1998年のシーズン中、9月初旬のことだった。「長嶋監督勇退、巨人来季監督に森氏決定」の報道が流れた。巨人の系列スポーツ紙までが後を追い「巨人監督に森氏」と1面で報じた。ひと足先の新聞辞令で、本来ならば決定だ。ところが、長嶋監督が激怒した。「ふざけるな。森が巨人の監督なんてとんでもない。巨人の監督にはそれなりにふさわしい品格が必要なんだ。オレは絶対に辞めないぞ、森が後任ならば」。長嶋監督はなんと異例の居座り宣言をしたのだ。 「森だと、冗談じゃない。長嶋の言うとおりだ。巨人の監督には品格が必要だ。森など失格に決まっているだろう」。大物OBたちも一斉に長嶋監督続投擁護に回った。 それでも長嶋勇退、森新監督は球団の規定路線だった。ところが、世論を恐れた森さんが逃げてしまったんだ。藤田さんにはON解任の後に2度も監督を引き受けた男気があったが、森さんにはなかったということだろうね」。当時の事情に詳しい球界関係者はこう述懐する。 V9巨人のチームメートだった森氏を、長嶋氏はなぜここまで嫌うのか。「二枚舌くらいなら許せる。ウソも方便だ。オレだって時には二枚舌を使うことくらいはあるよ。でも、森のは三枚舌だからね。球界では見たことがないよね。信用できないよ」と語ったことがある。 広岡氏と悪くない関係にある長嶋氏にとって、広岡氏を裏切るような形で、ポスト広岡として西武監督に就任したような森氏の行動が許せないのだろう。よりによって、そんな森氏が長嶋氏の後任として巨人監督になることなど、何があっても認められない。長嶋氏の不退転の決意を感じ取った森氏は退却するしか道はないと決断したのだろう。 森氏からすれば、再びの屈辱になった。「サッカー界がプロのJリーグを立ち上げる。それに対抗するにはカリスマのある長嶋監督の復帰しかない」と読売新聞社・渡辺恒雄社長(現巨人球団会長)が断を下し、巨人に復帰した長嶋監督は、就任2年目の94年に森監督率いる西武を破って自身初の日本一に輝いている。その日本シリーズの最中に、東京ドームのバックスクリーンの電光掲示板に「西武・森監督勇退」のニュースが流れたのだ。「あのやり方はないぞ」。屈辱を噛みしめた森氏。森新監督を潰した一方の長嶋氏の方は意気揚々としていた。 「読売首脳の誰が森といつどこで接触、合計何回会ったかも全部知っているよ。証拠はある。メモを残してある」と。第一次政権の時には、ドンと呼ばれた元V9監督の川上哲治氏の介在がウワサされた、80年10月21日の電撃解任劇。今度は長嶋氏自らが阻止したのだ。
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スポーツ 2009年06月15日 15時00分
ミッキーマウスに嫌われた!?デーブ大久保
埼玉西武ライオンズで編成部プロ担当を務めるデーブ大久保(42=本名・大久保博元)氏が、なぜかミッキーマウスに嫌われているとの噂が流れている。 現役時代はでっぷり太った一発強打の捕手として活躍。昨季は、持ち前の明るいキャラで1軍打撃コーチとして渡辺久信監督を支え、チームのリーグ優勝&日本一の立役者となった。しかし、オフに入ると知人女性への暴行事件などで週刊誌上を賑わせて飛ばされた。これをナント、世界的人気者で知られる某ネズミが手をたたいて喜んだという。 「悪名高き『デーブ事件』を知ってるか? 某ランド内ではあくまで混乱防止のため著名人は特別扱いされる。たいていはその意をくんで目立たぬよう控えめに行動するものだが、あの男は違った。ミッキー様の目の前でファンに囲まれると、あろうことか即席サイン会を始めた。ここは野球場ではなく夢の国。夢をブチ壊したデーブは重罪だ」と関係者。 デーブ氏にしてみればファンサービスのつもりだったのだろうが、主役気取りはまずかった。関係者はそろってカンカンだったらしい。
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スポーツ 2009年06月15日 15時00分
ノア キング三沢急死の波紋
プロレスリング・ノアのキング三沢光晴さん(46)が、13日夜の試合中に頭部を強打して亡くなった。ノアの社長兼レスラーとして箱舟マットをけん引しながら、プロレス界の首領に君臨した男が、もうリングに立つことはない。混迷するプロレス界を支えてきたキーマンの死は、今後の業界を揺るがしかねず、その波紋は計り知れない。 キング急死のショックは甚大だ。13日に行われたノア広島大会の試合で、三沢さんが相手のバックドロップを受けて頭部にダメージを負い、46歳の若さで帰らぬ人となった。同世代の蝶野正洋や武藤敬司、2005年7月に急死した橋本真也さんら闘魂三銃士と一つの時代を築いた誰もが認めるトップレスラー。2000年7月に自ら旗揚げしたノアでは、社長業兼レスラーの2足のわらじをはいて激務をこなしていた。 ノアにはなくてはならない存在だった。今春には日本テレビの地上波放送の中止もあり、厳しい団体経営を強いられていたが、そんな状況下でもリングの中心に立って躍動。日テレの中継中止後のシリーズで行われたタッグリーグでは、潮崎豪を従え、同リーグ戦を制してリング上を盛り上げた。 ポスト三沢の穴は、そう簡単に埋められるものではない。ノアの象徴なきいま、リング上では、この日のノア博多大会で三沢さんが作ったGHC王座に初戴冠した潮崎に期待がかかるところ。現時点では誰が次期社長になるか定かではないが、箱舟マットの舵取りには三沢さんと同じ四天王の小橋建太や秋山準らが主役となる。 キングの功績は大きい。他団体との交流戦にも積極的だった。今年は先陣を切ってライバル団体の新日本プロレス1・4東京ドーム大会にも殴り込み、混迷するプロレス界のために自ら動いてウネリを起こした。犬猿の仲だった新日プロとの外交窓口を再構築。プロレス界復興のキーマンとして動き出した矢先の出来事だった。 混迷のプロレス界に大きな影響力を持ち、にらみを利かせてきたキングの死は、ノアのみならず業界にとってあまりにも大きな損失。新日プロ菅林直樹社長が「絶対に交わることのない新日本とノアの距離を縮めることができたのは、三沢社長の真面目な性格とプロレスに対する真摯な姿勢があってこそ。三沢さんのご理解もあって最近はプロレスの隆盛を取り戻すため、ノアさんと全日本さんとうちの3社で協調路線をとってきた。三沢さんの遺志である業界を盛り上げていく気持ちを糧にしたい」と語るように、今後は業界を再興するためにもより一層メジャー団体の一致団結が必要不可欠となる。 偉大な首領を失ったことで各団体が勝手な行動に出ることは避けなければならない。プロレス界を襲った三沢ショックの影響は計り知れない。いまこそ三沢さんの遺志を継ぐ次世代のレスラーが奮起するしかない。
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スポーツ 2009年06月15日 15時00分
強行・博多大会で新若武者が誕生!三沢魂は生きている!!
プロレスリング・ノアの三沢光晴社長が頭を強打し、急死してから一夜明けた14日、博多スターレーン大会が通常通り行われた。だが、GHCヘビー級王者・秋山準が椎間板(ついかんばん)ヘルニアのため欠場を発表。予定していた防衛戦が中止になるアクシデントに見舞われた。一体なぜ秋山はベルトを返上したのだろうか。そのウラでニューヒーローが誕生したことでノアに新時代到来となった。 三沢さんの急死から一夜明けたこの日、広島中央警察署から「頸椎離断」と死因が発表され、遺体は東京へと運ばれた。 一方で、ノアの博多大会は通常通り施行。献花が寄せられるなど、詰め掛けた多くのファンが方舟の盟主の死を悼んだ。 試合前には選手全員で追悼の10ゴングが鳴らされ、三沢さんの入場曲「スパルタンX」が流れると、大「ミサワ」コールが巻き起こった。 百田光雄副社長は「三沢社長自体が満身創痍の状態でも必ずリングに上がってきた。三沢社長の意思を継ぐという意味では、選手全員とも話したんですが、やっぱり決行すべきじゃないかと」と開催に至った理由を説明。 今シリーズは最終戦(22日、東京・後楽園ホール)まで通常通り興行を行う。葬儀については遺族の意向もあり密葬の予定で「ファンの方には改めて違う形でお別れする場を作らないといけないと思う」(百田福社長)と、追悼イベントの開催を示唆した。 今後については密葬が終わり、シリーズ終了後に役員会を開いて決めていくという。 三沢さんの突然の訃報にみんなが肩を落とす中、さらに残念なニュースが発表された。GHC王者の秋山がヘルニアのためシリーズを欠場。ベルトを返上することになったのだ。全治は未定。一体秋山の身に何があったのか。 西永秀一渉外部長によれば「(腰は)シリーズ前から痛めていました。昨日病院に行きましたが、立っているのがやっとの状態のようです」と明かした。 リング上に上がった秋山は「ふがいなさとともに申し訳ない気持ちで一杯です。本来ならGHCヘビー級王者として最高のプロレスをみせないといけないのに、それが出来ません」と号泣。「チャンピオンベルトを返しました」とタイトル戦線からの一時撤退を表明した。 とはいえ、そう落ち込んでばかりもいられない。現在、方舟は大黒柱不在の状態。この状況を立て直さなければならない。それだけに陰ながら支えていく人物が必要となってくる。 「これからも選手一同、一生懸命がんばりますので、よろしくお願いします」(秋山)。方舟は“新たな羅針盤”を探すことになる。
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スポーツ 2009年06月15日 15時00分
新日本 永田「正面から受け止めてくれた大きな人」
プロレスリング・ノア三沢光晴さんの訃報は、対抗戦の真っ只中にある新日本プロレスにも大きな衝撃を与えた。新日プロ14日の後楽園ホール大会では、各選手と関係者が黙とうを捧げ、哀悼の意を表した。 三沢さんの急逝から一夜明けたこの日は新日プロでも試合開始前に1分間の黙とうが捧げられた。この日決勝トーナメントが行われた「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」にノアから参戦中の菊地毅と青木篤志が遺影を持ってリングに上がり、リングサイドを新日プロの選手や関係者が取り囲むかたちで三沢さんの冥福を祈った。 ゼロワンの旗揚げ戦で三沢さんと初対決し、GHCヘビー級タッグ戦で熱戦を繰り広げた永田裕志は「自分の攻撃を正面から受け止めてくれたすごく大きな人だった。その分お返しは半端じゃなく強烈でしたけど。エルボーが首から胸骨まで響いてグシャッときたのを覚えてる」と振り返り「あの(ゼロワン)旗揚げ戦で闘った三沢さんもパートナーだった橋本(真也)さんもなくなってしまった。早すぎますよ」と言葉をつまらせた。 また、今年の1・4東京ドーム大会で三沢さんと対戦した中邑真輔は「(1・4では)真っ向勝負で挑んでも、ノーガードで立ちふさがられて懐の深さを感じました。(体調が)悪かったと聞いていたが、闘っている最中には感じなかった。ボクの中でノアイコール三沢光晴で、プロレスの象徴である存在と思ってました。まだ闘うチャンスもあったでしょうし壁になって欲しい存在でした」と語った。
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スポーツ 2009年06月15日 15時00分
GHC新王者・潮崎「社長が作ったもの守り抜く」
王者・秋山突然の王座返上で急きょ決まったGHCヘビー級王座決定戦、力皇と潮崎が対決し、潮崎が力皇に勝利。見事初戴冠を果たした。 場外戦で圧倒的なパワーに苦戦する潮崎だったが、逆水平で反撃ののろし。三沢さんの得意技ローリングエルボー、ランニングエルボーで攻め込むと、最後はゴーフラッシャーでトドメ。 試合後、ベルトを巻いた潮崎は、献花台に勝利を報告。控え室に戻り、小橋と握手を交わし、肩を叩かれた。 「昨日のタイトルマッチでああいうこと(事故)があって、今日は試合できないかと思っていたら、昨日の夜、秋山さんから話があった。その時、社長の顔も見えてきて、ここでやんないといけないと思った」 涙を抑えることが出来なかった。「社長が作ったGHCというものを無くしちゃいけない。どんなことがあっても責任をもってやり通すこと。体がボロボロでも立ち向かっていくこと」 三沢の魂はノアの若武者へとしっかり受け継がれた。
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スポーツ 2009年06月15日 15時00分
全日本スーパージュニア戦 金本7年ぶりVで狙うはIWGP
新日本プロレスのジュニアの祭典「ベスト・オブ・ザ・スーパー・ジュニア2009決勝戦」が14日、東京・後楽園ホールで開催され金本浩二が7年ぶり3度目の復活優勝を果たし、次期IWGP挑戦を表明。また、今大会の台風の目となったプリンス・デヴィットが準優勝を飾った。 DDT飯伏幸太やプロレスリング・ノア青木篤志の若き外敵戦士が準決勝まで駒を進める中、現IWGPジュニアヘビー級王者タイガーマスクがまさかの予選敗退。波乱のトーナメントとなったが、そんな状況下で新日勢のアニキとデヴィットが意地をみせた。 準決勝でノアの青木をねじ伏せた金本は、同じくDDTの飯伏に競り勝ち、勢いに乗るデヴィットと頂上決戦。デヴィットの必殺技プリンスズスロウンをアンクルホールドで返す一進一退の攻防から、最後はジュニアのカリスマが底力をみせ、足を四の字にロックする変型アンクルホールドでタップを奪った。 試合後は今年1月13日に入籍した新妻の元女子プロレスラーHikaruに、リング上から「Hikaru、スーパージュニア獲ったぞ!」と優勝報告。年内に第1子が誕生することも明らかにした。公私とも絶好調の金本は「ジュニアのカリスマを通り越してスーパージュニアの神やな」と自画自賛。さらには現IWGPジュニア王者のタイガーマスクへの挑戦を表明した。 なお、過去2年連続でスーパージュニア途中欠場という因縁を払しょくし、決勝まで勝ち上がったプリンス・デヴィットには、内外タイムス賞が贈られた。
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