1998年のシーズン中、9月初旬のことだった。「長嶋監督勇退、巨人来季監督に森氏決定」の報道が流れた。巨人の系列スポーツ紙までが後を追い「巨人監督に森氏」と1面で報じた。ひと足先の新聞辞令で、本来ならば決定だ。ところが、長嶋監督が激怒した。「ふざけるな。森が巨人の監督なんてとんでもない。巨人の監督にはそれなりにふさわしい品格が必要なんだ。オレは絶対に辞めないぞ、森が後任ならば」。長嶋監督はなんと異例の居座り宣言をしたのだ。
「森だと、冗談じゃない。長嶋の言うとおりだ。巨人の監督には品格が必要だ。森など失格に決まっているだろう」。大物OBたちも一斉に長嶋監督続投擁護に回った。
それでも長嶋勇退、森新監督は球団の規定路線だった。ところが、世論を恐れた森さんが逃げてしまったんだ。藤田さんにはON解任の後に2度も監督を引き受けた男気があったが、森さんにはなかったということだろうね」。当時の事情に詳しい球界関係者はこう述懐する。
V9巨人のチームメートだった森氏を、長嶋氏はなぜここまで嫌うのか。「二枚舌くらいなら許せる。ウソも方便だ。オレだって時には二枚舌を使うことくらいはあるよ。でも、森のは三枚舌だからね。球界では見たことがないよね。信用できないよ」と語ったことがある。
広岡氏と悪くない関係にある長嶋氏にとって、広岡氏を裏切るような形で、ポスト広岡として西武監督に就任したような森氏の行動が許せないのだろう。よりによって、そんな森氏が長嶋氏の後任として巨人監督になることなど、何があっても認められない。長嶋氏の不退転の決意を感じ取った森氏は退却するしか道はないと決断したのだろう。
森氏からすれば、再びの屈辱になった。「サッカー界がプロのJリーグを立ち上げる。それに対抗するにはカリスマのある長嶋監督の復帰しかない」と読売新聞社・渡辺恒雄社長(現巨人球団会長)が断を下し、巨人に復帰した長嶋監督は、就任2年目の94年に森監督率いる西武を破って自身初の日本一に輝いている。その日本シリーズの最中に、東京ドームのバックスクリーンの電光掲示板に「西武・森監督勇退」のニュースが流れたのだ。「あのやり方はないぞ」。屈辱を噛みしめた森氏。森新監督を潰した一方の長嶋氏の方は意気揚々としていた。
「読売首脳の誰が森といつどこで接触、合計何回会ったかも全部知っているよ。証拠はある。メモを残してある」と。第一次政権の時には、ドンと呼ばれた元V9監督の川上哲治氏の介在がウワサされた、80年10月21日の電撃解任劇。今度は長嶋氏自らが阻止したのだ。