スポーツ
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スポーツ 2009年07月14日 15時00分
球界因縁のライバル(28) 星野VS堀内(上)
同じ団塊の世代で、不滅の金字塔のV9巨人のエースだった堀内恒夫氏と、アンチ巨人ファンのヒーローだった中日のエース・星野仙一氏は、現役を辞めてからも因縁めいた野球人生を送っている。 「星野と一緒にするな。オレは200勝しているが、星野はいったい通算何勝している投手なんだ。星野のようにバッターにぶつけるような危ないボールを投げなくても、オレは勝てたんだからな。投手としてのレベルが違うんだよ」。 星野氏の話になると、堀内氏は血相を変えて、こう反論する。新人で13連続44イニング無失点のプロ野球新記録を作り、通算203勝した堀内氏に比べ、確かに星野氏は146勝だ。堀内氏は昨年殿堂入りしている。星野氏は落選している。 「ピッチャーというのは、へそ曲がりばかりだからね。ピッチャーがボールを投げなければ野球は始まらない。バッターは打てないんだからね。だからピッチャーはワガママだし、プライドが高い。みんな一国一城の主だよ」。こう論破したのは、フォークの神様・杉下茂氏だ。中日OBの大先輩として星野氏とも親交があるし、1976年から巨人長嶋第一次政権下で投手コーチを務め、晩年の投手・堀内氏も良く知っている。その人物の言葉だけに、一般論としてだけでなく、堀内氏VS星野氏の犬猿の仲を言い当てている気がする。 どちらもお山の大将で、巨人のエースVSアンチ巨人を売りのエースという立場の違い、しかも同じ世代だからこそライバル意識が強くなるのだろう。「打倒・ON」「反骨心の男・星野仙一」をアピールする星野氏の方にすれば、ONを中心とした穴のないV9強力巨人打線をバックにしたエースなど評価できるかというところだろう。水と油の2人のエースが、なんと巨人軍監督の座を巡っても微妙に関わってくるのだから、野球人生はわからない。 「本当に青天のへきれきだった」。03年9月26日、電撃的に巨人監督に就任した堀内氏の第一声だった。監督就任1年目の02年、いきなり日本一になったまだ40歳半ばの原辰徳監督がわずか2年で辞任に追い込まれるとは、誰もが予想しなかったからだ。それから2年後の05年10月5日、今度は立場が変わり、再び青天のへきれきの政権交代が発表された。原氏の巨人監督復帰と堀内氏の辞任だ。 「読売グループ内の人事異動だ」。こううそぶいたのは、巨人・渡辺恒雄球団会長だが、原監督復帰で一件落着するまでの楽屋裏はまさに激動だった。シーズン真っ盛りの8月、ポスト堀内として、球団史上初の外様招へい、巨人・星野仙一監督が情報が急浮上して、球界内に止まらず、社会的な大騒動に発展したのだ。連日、テレビのワイドショーまでが過熱報道して野球どころではなくなっていた。 「世代交代があり、もうなれないと思っていた監督になれたこと自体が奇跡的なこと」と達観していただけに、辞めることには執着していなかった堀内氏だが、後任に星野氏の名前が出たことだけは許せなかった。 「V9時代のように、生え抜きを重視して4番・高橋由を実現させようとしたりした堀内は悪くない。悪いのは清原を野放しにしてきたフロント首脳だ」。かつてのV9ナインからは、堀内監督のチーム改革は理解されていたから、後任監督人事さえ納得できるものなら、不満はなかった。それが星野監督とは…。
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スポーツ 2009年07月13日 15時00分
ノア 百田スキャンダルふっ飛ばす“最強船出”
プロレスリング・ノアに辞表を提出していた百田光雄前相談役が12日、東京・後楽園ホール大会に来場した。10日付けで退団したことを明かし、早川久夫常務取締役、三井政司取締役営業部長、仲田龍相談役を批判。新体制の船出に思わぬ形で水を差されたノアだったが、今回の一件を乗り切るためのキーマンは誰になっていくのか。 この日、田上明新社長になって初めてのツアーを迎えたノア。 試合前に田上社長がリング上にあがり「三沢社長があのようなことになり、このたび後任の社長に就任いたしました田上です。天国の三沢社長に叱られないようの選手いちどう頑張りますので、これからもノアをよろしくお願いします」と、2100人超満員のファンに所信表明している時、舞台裏ではとんでもないことが起こっていた。 控え室であいさつを済ませた百田前相談役が、報道陣の対応に応じ「『選手としても、社員としても辞表を受理しました』と(10日に)早川から言われた」と明かしたのだ。 今回辞表を提出するに至ったのは、背広組に対する不信感及び新役員人事に不満があったため。「7月4日のお別れ会に関しても旅先で聞いた。(その時点で)役員は誰も聞いていなかった。(日程を)決めたのが仲田龍だった」とズバリ。 さらに「営業成績が下がってきているのに役員に昇格。そんなバカな人事があるか」と営業部長の役員昇格に不満タラタラだ。 百田氏によれば、6日の役員会で前役員は任期満了に伴い、総退陣という形をとったが、その後の臨時株主総会で、筆頭株主である三沢真由美夫人から委任状を託されていた早川常務から相談役への就任を打診されたという。 その時点で「早川久夫にそういうことを言われる筋合いはない。影響力を持てる立場だったら残っていた」「思うのは(三沢前)社長が亡くなった時点で、(裏で)なんらかの動きがあったんじゃないか」などと、不信感は頂点に。一睡もせず辞表をしたため「父(力道山)が相撲を辞めて廃業する時にマゲをきった時と同じくらいの気持ちで辞表を提出した」と決意の退団であることを明かした。 田上社長は百田相談役の体制批判について「辞めていく人は不満があって辞めていくんでしょうね。ノアに残された道はみんなで一緒になってやっていくしかない。このご時世生き残っていけない」と一致団結を強調した。 今こそ“一枚岩”になることが迫られているノア。そのためのキーマンとなるとやはり仲田龍相談役の力が必要になってくる。 仲田相談役といえば、三沢さんの参謀として“ノアを創った男”としても知られ、2008年には英国で初の海外主催興行を成功させるなど数々の実績を残してきた。 それだけに、今後は相談役という立場の“舵取り役”として、その手腕に期待が集まる。
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スポーツ 2009年07月13日 15時00分
K-1MAX 魔裟斗に逆風
いよいよきょう13日夜に魔裟斗と川尻達也の“世紀のケンカマッチ”のゴングが打ち鳴らされる。12日には東京・新宿ステーションスクエアで「K-1WORLDMAX2009」(日本武道館)の直前会見。決戦を前に”後ろ盾”をめぐって両雄の明暗はクッキリ分かれた。 世界一決定トーナメントの準々決勝が行われる今大会だが、やはり注目なのが、年内いっぱいで引退を表明しているMAX不動のエース魔裟斗とDREAMファイター川尻の他流試合。決戦前から両雄がアツい舌戦を繰り広げたこともあって、前売り券はすべて完売し、急きょMAXで初の「当日立ち見券」を発売することになるなど、注目度の高さをうかがわせる。 そんな戦前の盛り上がりから、魔裟斗自身も「ほとんどの客が俺を見に来る」「俺の勝つところを見に来る」などと自負しているのだが、そんなMAXファンの期待とは裏腹に、実は舞台裏の情勢は違う。K-1MAX谷川貞治イベントプロデューサーが次のように嘆く。 「あすの試合にはDREAMのほとんどの選手が川尻君を応援しに来る。総合格闘技、DREAMの選手は川尻君と心中するつもりくらいの感じなんでしょう。でも魔裟斗君を応援しに来るK-1の選手というのはいまのところちょっと聞いてない。」 現時点では大みそか引退予定の魔裟斗だが、この試合で「負けたら引退する」と宣言しているだけに、ラストファイトになる可能性もある。にもかかわらず、いまのところ”援軍なし”というのはちょっとさみしい情勢といえる。 また、この日は都内ホテルで公開軽量が行われ、両雄ともに契約体重ちょうどとなる70.0キロで一発クリア。その後の会見では川尻が「(軽量で身体つきを見て)強そうだなって思った。ビビらないようにがんばります」と語れば、魔裟斗は「俺は(川尻の身体つきを見て)強そうとは思わない。リングの上で暴れて、倒します」とKO予告で呼応し、ピリピリムードが漂っていた。
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スポーツ 2009年07月13日 15時00分
猪木と流星仮面が20年ぶりに再会
“流星仮面”として一時代を築いた往年の名レスラー、マスクド・スーパースターがこのほど16年ぶりに来日した。現在は米国ジョージア州で青少年更正施設でカウンセラーを務めるスーパースター。今回はその青少年保護施設の寄金を募るため、日本でチャリティー活動を行い、その傍ら、かつての戦友アントニオ猪木とも約20年ぶりに再会を果たした。61歳になった流星仮面はいま何を思うのか。レジェンド・マスクマンを直撃した。 −−16年ぶりに来日した目的を教えて下さい。 マスクド・スーパースター(以下=S) いま私はジョージア州のインナーハーバースクールという青少年の更正施設で先生をしているんですが、その少年保護施設の運営資金と寄付金を募るため、日本で試合(4日に新木場1stリングで行われた仮面フェスタ)をしたり、新日本プロレスの大会を通じて日本のみなさんに寄付を呼びかけました。来日する前はさすがにもう日本では忘れられているかと思っていましたが、みなさん温かく迎えてくれて感謝しています。 −−レスラーから更正施設の職員になったきっかけは。 S WWF(現WWE)と契約が終わった後、ある私の知り合いがいまの施設の先生を探していて、たまたま私がジョージア州の教職免許を持っていたので、そのオファーをもらって2000年からいままで9年間この仕事をやっています。なかなか更正施設の先生というのは成り手がいないんですよ。でも、更正施設の方がよっぽど公立のハイスクールなんかより安全。武器やガンを持ってる生徒がいないから。 −−元トップレスラーが先生をやることに支障はないか。 S あんまり関係ない。先生のときはもちろんマスクも被ってないからね。主に私は泥棒や恐喝、性犯罪や覚せい剤など、いろんな罪で収容された8歳から18歳の少年を看ていて、最初は彼らみんなを更正させたいと思っていたけど、最近になってそれが難しいことが分かった。18歳になると70%は少年院からそのまま刑務所に入ってしまう。まあそういう嘆かわしい現実もあるんだけど、いま私は少しでも彼らの社会復帰に貢献できればと思ってやっているよ。 −−いまは「レスラー兼教師」としての“顔”だが、現役時代もマスクド・スーパースター以外にもいろんな“顔”を持っていた。 S 確かにいろんなものをやったね。ボロ・モンゴルから日本ではマスクド・スーパースター、アックスにビリー・クラッシャー…。でもその中でも私はこのマスクド・スーパースターが一番好き。何より自分の性格にも合ってる気がするんだ。こうしてスーパースターでいるときが、気分的にも一番素に近いというかね。今回は昔の友人にも会えて本当に良かったよ。 −−アントニオ猪木とも再会を果たした。 S 最高の再会だった。彼からは当時いろんな影響を受けたからね。あのときのミスター猪木は卓越したレスリングテクニックとスピードを持ち合わせ、そして何より不屈の闘魂で闘っていたカリスマ。いろんなところをケガしながらも、一切それを表に出さない彼のあの不屈の闘志には感銘を受けた。だからこそ私もそういう精神でリングに上がっていたし、猪木との試合では絶対に彼からギブアップしなかった。 −−久しぶりに猪木と再会してどうだった? S 本当に少しの時間だったんだけど、ファーストクラスの扱いで迎え入れてくれて本当に良い時間になった。61歳なんて全然若いって言われたんだけど、彼も元気そうで昔と全然変わってなかったよ。いまミスター猪木はIGFというイベントをやっているそうなので、是非とも私のいるジョージア州にも来てくれたらうれしい。私の住んでいるところでもミスター猪木は大スターだから。今後そういう機会があったら喜んで協力したいと思う。 −−今後について。 S 6、7月が施設が夏休みになるので、また来年のこの時期に日本に来れたら。日本でまだ再会したい人もたくさんいますし。あと今回会えなかった藤波とも会いたい。彼とは現役時代に何度もタイトル戦をやったから。彼もいまドラディションっていうイベントをやっているそうなので、何か再会するチャンスがあればと思う。 −−最後に日本のファン、内外読者にメッセージをお願いします。 S ナイガイタイムスも60歳で健在のようですが、私も61歳でまだまだ健在です。このさき日本のファンのみなさまとどこかでまたどこか再会できることを楽しみにしています。 ○マスクド・スーパースターは自らがカウンセラーを務める青少年更正施設への寄付金を呼びかけている。寄付はインターネットのウェブサイト上からも可能。詳細は公式HP http://www.maskedsuperstar.com/index.htmからアクセスとのこと。<プロフィール> マスクド・スーパースター。1947年12月27日生まれ。米ペンシルバニア州出身。身長192センチ、132キロ。タイトル歴WWFタッグ、NWAジョージアヘビー、NWAナショナルヘビー。得意技はジャンピングネックブリーカードロップ。 ○高校の歴史教師からレスラー転向を果たし、1973年にプロレスデビューする。デビュー当時はボロ・モンゴルとしてIWAやNWFで活躍。翌74年4月に新日本プロレスに初参戦し、77年3月からマスクド・スーパースターとして同マットに登場した。各タイトル戦やMSGタッグリーグなどに出場。 85年にはアンドレ・ザ・ジャイアント扮するジャイアント・マシーンとともにスーパー・マシーンとしてマシン軍団の一員となり、WWFに逆輸入の形で進出する。 90年には東京ドームで開催された日米レスリングサミットでジャイアント馬場&アンドレ組と対戦。その後は新日プロで闘魂三銃士の蝶野正洋や武藤敬司ともシングルマッチを行い、90年代後半からは米インディ団体の試合などにスポット参戦を続けている。
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スポーツ 2009年07月13日 15時00分
UFC 秋山辛勝で病院直行
日本の総合格闘技「DREAM」からUFCに移籍した秋山成勲が12日、米・ラスベガスで開催された「UFC 100」でオクタゴンに初登場。僅差の判定勝ちで初陣を飾ったが、試合後は足を負傷していまい、辛勝デビューとなった。 日本でも馴染みのあるデニス・カーンやジョルジュ・サンチアゴという強豪を破ってきたアラン・ベルチャーとのUFCデビュー戦に挑んだ秋山。1Rに左フックを食らってよろめき、再三ローキックを浴びたが、その後はグラウンドポジションで上になって攻め、試合を優勢に進めた。 判定2-1のスプリットで勝利したが、試合後は左足の負傷により病院直行した。 またUFCヘビー級王座統一戦では 級王者のレスナーがミアをTKOで破った。
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スポーツ 2009年07月13日 15時00分
ノア 秋山が戦線復帰で大暴れ
腰椎椎間板ヘルニアによりGHCヘビー級王座を返上し、6月14日より欠場していた秋山準が戦列復帰した。 この日伊藤旭彦と組み、力皇猛&モハメド・ヨネのDisobeyと対戦した秋山。ブレーンバスターやエクスプロイダーなど、腰に負担がかかる投げ技も繰り出し復調をアピールしたものの、伊藤がヨネのキン肉バスターに屈し、復帰戦を白星で飾ることは出来なかった。 試合後、秋山は「普通のケガじゃなく神経だから、感覚は戻っていないですけど、戻ってこれた。(三沢前)社長のことがあったからじゃなく、早くリングに復帰したいという気持ちだけ。腰のためにも(GHCの)ベルトはあった方がいい。コルセット代わりになりますよ」と語った。
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スポーツ 2009年07月13日 15時00分
ノア 追悼興行 9・27武道館&10・3大阪で開催
田上が“社長開幕戦”を見事白星で飾った。 この日、小川良成&菊地毅と組み、高山善廣&佐野巧真&エディー・エドワーズと対戦した田上。序盤こそフロントハイキックが避けられるなど、エンジンのかかりが遅かったが、ランニングネックブリーカーで反撃ののろし。最後はエドワーズをノドは落としからオレが田上でマットに叩きつけた。 見事初陣を飾った田上は「気持ちは変えないで、いつも通りリングの上でやる。オレにはオレのプロレスがあるし。自然体でね」と語る一方で、「社長」コールには「まだなんとなく照れくさい。チョップ一発より効くね」とはにかんだ表情を見せていた。 なお、三沢さんの追悼大会を9・27日本武道館、10・3大阪府立体育会館で開催が決定した。
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スポーツ 2009年07月13日 15時00分
ノア ジュニア・ヘビー級が大荒れ
今シリーズでジュニア・ヘビー級タッグリーグ戦が開幕。GHCタッグ王者チームが引き分け。昨年度優勝者チームが開幕戦で黒星を喫するなど波乱の幕開けとなった。 この日、金丸義信&鈴木鼓太郎の王者コンビはは中嶋勝彦&宮原健斗と対戦。宮原の驚異の粘りの前に、勝負を決められず、そのまま時間切れ引き分け。 また、現在2連覇中のKENTA&石森太二は、青木篤志&飯伏幸太と対戦。ミドルキックを連発し、go2sleepで青木を仕留めにかかったが、うまく切り返されると、腕ひしぎ逆十字で捕獲され、なんとか脱出を試みるが、逃れることはできずついにギブアップ。ノーコメントで控え室に消えていった。
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スポーツ 2009年07月13日 15時00分
球界因縁のライバル(27)古田VS野村「生まれるべくして生まれた確執」
ポスト野村候補の古田敦也氏VS続投に執念を燃やす楽天・野村克也監督。かつてはヤクルトでID野球を売り物にした野村監督は、捕手・古田をID野球の申し子として育て上げ、蜜月関係にあった。 「捕手・古田はグラウンド上では、野村監督に代わる司令塔、監督代理のようなものだ」と言われ、実際に野村監督率いるヤクルトと毎年のように優勝争いを演じた巨人・長嶋茂雄監督はこう激白している。「ヤクルト戦は古田のリードとの戦いだ。相手はヤクルト投手陣ではない」と。 危険球と背中合わせ、バッターの胸元をドンドン攻めさせる古田の大胆なリードに巨人打線は手玉に取られると同時に、怒りを爆発させた。死球を巡りあわや大乱闘というシーンは何度もあった。「古田はわざとぶつけさせた。確信犯だ。許せない」という怒りから、報復に巨人側が古田に対し、死球を与えることも珍しくなかった。野村監督=捕手・古田のコンビは巨人にとってそれだけ大きな脅威になっていたのだ。 それがいつの間にか、野村監督と古田の間には距離が出来てきた。「もう古田が野村超えをして、一流の捕手になっているのに、いつまでも『古田はオレが育てた』というノムさんの態度に古田も我慢できなくなったからだ」とアンチ野村の巨人OBは解説する。 確かに、野村監督は同じ捕手出身で常勝西武の監督だった森祇晶氏と同様に「自分が野球を一番良く知っている。ワシ以上の監督はおらん。勝てば自分のサイ配の賜物、負ければ選手の責任」という自己中心的な監督だ。捕手・古田が捕手・野村を超えることなどあり得ないと思っているし、認めたくない。 そういう考え方だから、「古田も偉くなったもんやな。ワシがヤクルトの監督を辞めたら、年賀状もよこさん」などと、あちこちで古田批判を口にする。一流捕手になれた育ての親であることは間違いなくても、こうあからさまにバッシングされれば、古田氏としても心穏やかでないだろう。自然と距離を置くようになる。しかも「実は、ノムさんは『メガネをかけた捕手などいらない』とドラフトでの古田指名に反対した。が、スカウトの強力な推薦で渋々了承した」という入団時の楽屋裏話が公然の秘密になっていた。 「いや、古田も問題だ。育ててもらいながら、一人前になったら距離を置くなんてとんでもないヤツだ」という野村監督擁護派もいるが、要は古田氏VS野村監督の確執は生まれるべくして生まれたといえる。もっと突っ込んだ因果応報説を口にする南海ホークスOBがいる。「育ての親を大事にしなかったヤツが、古田の悪口を言える立場か」と語気荒く、こう一気にぶちまける。 「鶴岡親分にテスト生として取ってもらいながら、一人前になれば知らないふりどころか反対派に回る。自分が兼任監督になると、今度はサッチー(沙知代夫人)がチーム内のことに口を出す。『公私混同だ』と激怒した鶴岡親分が野村解任を球団首脳に進言してクビになると『元老に吹き飛ばされた』と逆恨み。鶴岡親分が亡くなっても葬儀にも参加しない。そういう恩知らずの人間が古田を批判する資格があるのか」と。「グランドには銭が落ちている」という名言で有名な、南海ホークスの黄金期を築いた親分・鶴岡一人氏への野村監督の許さざる不義理を糾弾するのだ。 因果応報説には、なるほど説得力がある。古田氏VS野村監督の確執は、果たしてどういうエピローグになるのか。これからがクライマックスだ。
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スポーツ 2009年07月11日 15時00分
伊藤旭彦 天下獲ってみせます
プロレスリング・ノア期待の若手レスラー伊藤旭彦。今年に入りGHCジュニアタッグ王座にも初挑戦。5・6日本武道館大会で行われた新日本プロレスとの対抗戦では師匠である“鉄人”小橋建太のパートナーに抜てきされるなど、メキメキと力をつけてきている。次期シリーズ「Summer Navig09」で開催される「ジュニア・ヘビー級タッグリーグ戦」(12日、東京・後楽園ホールで開幕)を控え、新生ノアのジュニアの未来を担う期待のホープに迫った。 −−菊地毅と組んでジュニア・ヘビー級タッグリーグ戦に参加するが。 「菊地さんと組んだことがないんです。まずそこをどうしていくかってのを話し合ってから、連携も作っていかないと。強豪がそろってますからね。でも、菊地さんは新日本に出て(ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア優勝者の)金本(浩二)さんに勝ったり。いま勢いがありますからね」 −−意識するチームは。 「僕らに関しては全部ですね。でも、即席チームが何個かあるんで、そこにどうにか勝つチャンスがあると思う。あとは、今のGHCジュニアタッグチャンピオンチーム(金丸義信&鈴木鼓太郎組)ですね」 −−出場するからには優勝を狙いたい? 「気持ちはそう思っているんですけど、まずは一試合一試合を一生懸命やれば、結果はついてくると思うんで」 −−今年に入ってGHCジュニアタッグ王座にも初挑戦。着実に力はつけてきている。 「丸藤(正道)さんと青木篤志と3人で組んでから、穴から光がちょっと見えてきました。ジュニアタッグに挑戦してからもイマイチ勢いに乗れてなかったんで。全然結果も出なかった。結果が欲しいッスね。結果を出さないと次に進めない。このまま終わっちゃいますよ。それくらいの覚悟です」 −−同期の青木の存在は気になるか。 「同じ日(2005年12月24日)にデビューして、運動神経はずば抜けてましたからね。それに感情表現がうまい。だからお客さんもついてくる。僕はそういうところが苦手だったんで、そこを意識してますね」 −−同じユニットのリーダーでもある丸藤の印象は。 「すごすぎるというだけです。本当に天才ですよ。試合中はとっさにパッと(技を)出しちゃうから、相手もそれについてこられない」 −−それでも、いつかは越えなきゃいけない壁だと思うか。 「丸藤、KENTA、金丸、鈴木と、いつまでもそこが(ジュニアの)トップじゃダメなんですよ。下からの突き上げがないと。僕たちがやらないと。ジュニアの歴史をひっくり返すぐらいの力をつけたい」 −−そのためにはどんなレスラーを目指しきたいか。 「記録より記憶に残る(レスラー)じゃないですかね。潮崎(豪)さんのチョップとか、KENTAさんのキックとか、そういう部分が僕には無いんで。今そこを探している。印象に残らないとやっていけない」 −−ところで、亡くなった三沢さんについては。 「とにかく頑張るだけです」 −−最後に今後の抱負を。 「前に小橋さんに『弾けきれていない』って言われたんですよ。次のタッグリーグ戦では弾けますんで。肝に銘じておきます」。◎好きなことには一直線 高校時代はレスリングで国体出場の実績もある逸材。そんな伊藤がプロレスへと導かれた原点はテレビゲームだった。 当時中学3年生の伊藤少年は、攻略本を購入してまでプロレスゲームに熱中。対戦では“無敗伝説”を誇るほどのやり込みようで、その当時は佐々木健介が好きだったという。 そんな伊藤がレスリングと出会ったのは、高校1年生の体育の授業。初挑戦のレスリングで「ブリッジがすごい」と監督の目に留まり、高校2年生の時に門を叩くと、瞬く間に実力をつけ、76キロ級で国体に出場した。 その後は国士舘大学に進むも「やりたいことをやりたい。プロレスラーになれるんじゃないか」と一念発起し、レスラーを目指した。 ノアのスタッフから「ひとつのことに熱中したら、周りが見えなくなる」と評されるように、好きなことに打ち込める並々ならぬ集中力が、プロレスラー伊藤を生み出した。<プロフィール> 伊藤旭彦(いとうあきひこ)本名同じ。1983年1月10日生まれ。26歳。三重県桑名市出身。桑名工高校時代にはレスリングで国体に出場。身長177センチ、体重91キロ。B型。家族は父、母、兄、妹。2005年12月24日のディファ有明で行われたノア・クリスマス興行、力皇猛&ムシキング・テリー戦でデビュー(パートナーは潮崎豪)。08年6月にはメキシコ修行も経験。同年11月ツアーの「第2回モーリシャス杯」で優勝した。今年1月には橋誠の白GHC王座に挑戦。4月には青木と組んでGHCジュニアタッグ王座にも初挑戦した。好きな女性のタイプは「アヒルみたいなポッチャリした子」「美保純みたいに顔がふっくらしている人」。好きな言葉は「常に一日一日を頑張る」。
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