「星野と一緒にするな。オレは200勝しているが、星野はいったい通算何勝している投手なんだ。星野のようにバッターにぶつけるような危ないボールを投げなくても、オレは勝てたんだからな。投手としてのレベルが違うんだよ」。
星野氏の話になると、堀内氏は血相を変えて、こう反論する。新人で13連続44イニング無失点のプロ野球新記録を作り、通算203勝した堀内氏に比べ、確かに星野氏は146勝だ。堀内氏は昨年殿堂入りしている。星野氏は落選している。
「ピッチャーというのは、へそ曲がりばかりだからね。ピッチャーがボールを投げなければ野球は始まらない。バッターは打てないんだからね。だからピッチャーはワガママだし、プライドが高い。みんな一国一城の主だよ」。こう論破したのは、フォークの神様・杉下茂氏だ。中日OBの大先輩として星野氏とも親交があるし、1976年から巨人長嶋第一次政権下で投手コーチを務め、晩年の投手・堀内氏も良く知っている。その人物の言葉だけに、一般論としてだけでなく、堀内氏VS星野氏の犬猿の仲を言い当てている気がする。
どちらもお山の大将で、巨人のエースVSアンチ巨人を売りのエースという立場の違い、しかも同じ世代だからこそライバル意識が強くなるのだろう。「打倒・ON」「反骨心の男・星野仙一」をアピールする星野氏の方にすれば、ONを中心とした穴のないV9強力巨人打線をバックにしたエースなど評価できるかというところだろう。水と油の2人のエースが、なんと巨人軍監督の座を巡っても微妙に関わってくるのだから、野球人生はわからない。
「本当に青天のへきれきだった」。03年9月26日、電撃的に巨人監督に就任した堀内氏の第一声だった。監督就任1年目の02年、いきなり日本一になったまだ40歳半ばの原辰徳監督がわずか2年で辞任に追い込まれるとは、誰もが予想しなかったからだ。それから2年後の05年10月5日、今度は立場が変わり、再び青天のへきれきの政権交代が発表された。原氏の巨人監督復帰と堀内氏の辞任だ。
「読売グループ内の人事異動だ」。こううそぶいたのは、巨人・渡辺恒雄球団会長だが、原監督復帰で一件落着するまでの楽屋裏はまさに激動だった。シーズン真っ盛りの8月、ポスト堀内として、球団史上初の外様招へい、巨人・星野仙一監督が情報が急浮上して、球界内に止まらず、社会的な大騒動に発展したのだ。連日、テレビのワイドショーまでが過熱報道して野球どころではなくなっていた。
「世代交代があり、もうなれないと思っていた監督になれたこと自体が奇跡的なこと」と達観していただけに、辞めることには執着していなかった堀内氏だが、後任に星野氏の名前が出たことだけは許せなかった。
「V9時代のように、生え抜きを重視して4番・高橋由を実現させようとしたりした堀内は悪くない。悪いのは清原を野放しにしてきたフロント首脳だ」。かつてのV9ナインからは、堀内監督のチーム改革は理解されていたから、後任監督人事さえ納得できるものなら、不満はなかった。それが星野監督とは…。